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21話 白鷹城の怪人

 寒々とした室内に、肺活量の多そうな男の笑い声が響く。


「はははは! まさか花嫁ご自身が、鉄の竜(ロンティエ)に乗って降りてこらレルとは!」


 変な抑揚がついている声はとても濃い。分厚い岩壁に囲まれた部屋はさほどの広さではなく、天井もそんなに高くないようだ。


「いやはやなんとも、姫君におかれてはまコトに勇ましい。そのお姿、まさしく戦女神(スヴェントヴィト)のごトシですな」


 この不自然な抑揚は、彼にとってはすめらの言葉が「外国語」だからなのだろう。

 声の主がごとりと、卓に何かを置く。とたん、クナと一緒に花嫁の真後ろに並び立つリアン姫が、腹立たしげに囁いた。

 

「あれって銀の杯かしら。ごてごてして趣味悪いわね……」


 ここは九十九(つくも)の方の嫁ぎ先。ユーグ州公閣下の居城、白鷹城の一室である。

 大陸北部に在るゆえか、それとも岩を組んだ建物のゆえか。室内はひんやり、身震いするほど涼しい。

 上座にしつらえられた花嫁の席の真向かいに座し、ガハハと不躾に笑っているのは、パーヴェル・アルトロビッチ・アリョルビエール。州公閣下の弟君で、州公軍の元帥。軍の統括者であるという。

 彼こそ、州都ベリクリーリャの飛行場で花嫁の船団を迎えた軍団長。合わせて一千人のニ個師団を率い、花嫁を迎えて白鷹城へ先導する、という任務を遂行したばかりなのだが。

 

「てっきり、色煙を巻き散ラス式典竜かと思いましたぞ。我らが祝砲を真近で堪能なサルとは、光栄の至り。はははは!」


 祝砲? あれが?

 クナの右隣に並ぶアカシがかすかに舌打ちする。その向こうのアヤメも、リアン姫の向こうにいるミン姫もみな、呆れかえったため息を吐いた。

 花嫁も付き添い娘たちも、いまだ重い鎧姿のまま。当分この装束を解くわけにはいかないと硬い緊張を帯びている。

 なぜならすめらの船団ニ十隻、二万の軍勢はしっかと目撃したのだ。地へ降りんとする鉄の竜たちが、わざと黒い大砲の射撃の的にされたのを。あろうことか、敬意を持って歓迎されるべき相手に容赦なく撃たれたのである。

 クナが乗っていた鉄の竜は、どかんどかんと二発も直撃をくらった。

 とびちる火花。きらめく熱。

 鎧を着ていなければ、きっと火傷を負っていただろう。

 花嫁たちを守ろうと、金烏(きんう)将軍の光龍が躍り出て盾となってくれた。光り輝く龍が砲弾を受け止めている合間、氷昌(ひしょう)将軍の氷龍が冷気を吐き出し、火を噴く大砲を凍結してくれた。相手の兵はひとりも負傷させず、いっとき武器を機能不全にする。そんなさすがの手腕であった。

 ずんと地に降り立った龍たちに睨まれ、たちまち相手の攻撃は鳴りをひそめた。

 次々着陸した船から、怒りまとうすめらの兵が怒涛のように殺到し、たちまちパーヴェル卿とその師団を包囲。即、無礼を働いた報いを受けさせようとする勢いだったのだが――


『О! В случае Это живой дракон?

 Какой большой! Это замечательно!』

 

 軍団長たるパーヴェル卿は余裕しゃくしゃく。クナにはまったくわからぬ現地語を叫び、笑いだした。なんと言っているのか。なぜ笑っているのか。みながその異様な様子にどん引く中。


『ほんま、派手な出迎え大義なことですわ』


 すめらの軍の大将たる花嫁は、実に冷静だった。

 何か察するものがあったらしく、姫将軍は鶴のひと声でいきり立つすめらの軍をおさえ、手出しは無用と皆に命じた。そうして柱国将軍ふたりと一個師団、五百の騎兵のみという僅少な兵力を護衛に付け、このパーヴェル卿の先導による花嫁行列を敢行したのである。

 飛行場で待機を命じられた軍団の動揺と不安はいかほどであろうか。とくに二頭の龍たちは、主人のもとに参じたくて仕方ない気持ちでいるだろう……。


「大砲十基で盛大に撃ってくれはりまして。いったい何発くらったことやら」

「ははは、姫君、あれはただの花火。スメルニアの鉄の竜(ロンティエ)はどうか知らぬが、我が州のものはあれシキではびくともせぬ。幾重にも装甲をまとう重厚な装いをしてイルゆえ、向かうところ敵ナシだ」

「すめらの鉄の竜(ロンティエ)は飛行速度を上げるため、装甲をあまりつけまへん」


 ことりと品よく、花嫁が卓に酒杯を置く。

 クナが視たあの黒い点――大砲は、本物の砲弾を放ってきた。決して花火などではない。

 なれど九十九(つくも)の方は、今は波風をたてないが吉と読んだらしい。賢い花嫁は、悪ふざけもはなはだしい相手の言をちくりと刺すにとどめた。


「あの形態こそ、かつて鉄の竜を発明し、輸出していたすめらが誇るもの。あれで十分、砲弾は防げます。ごてごての装甲なんぞ、無用の長物ですわ」

「姫の仰る通りでございます。たとえ本物の大砲をくらっても、すめらの鉄の竜(ロンティエ)はあのままで十分、弾をはじくことでしょう」


 金烏(きんう)将軍が押し殺した声で援護する。二人の柱国将軍もいまだ完全武装のまま。九十九(つくも)の方の左右の席に、まるで護神のごとく座している。


「大体にして貴殿は一体――」

――「ほほう。それにしても、この酒は実に美味ですな」


 怒り心頭の金烏(きんう)将軍を遮り、隣に座す茶の先生が、話題をさらりと変えた。それはまさに阿吽(あうん)の呼吸。今はまだ事を荒立てたくない花嫁の意を汲むものだった。

 

「製法を詳しくお聞きしたいものですのう」

「ははは、お気に召サレたか。この酒は、我が領ゴルデ山の麓でとレル紅果(グラナトヴィ)を発酵せしものよ」


 先生の言葉にのせられ、パーヴェル卿が酒についてのうんちくを語りだす。うんざりするほど大声で、破鐘(われがね)のようにがんがんと。

 クナはうるさい声音にげんなりしつつ、胸に不安をつのらせた。


(なんとか無事にお城に入れたけど……)


 先生の隣にはあと三人ほど、「花嫁の教師」が並んでいる。

 氷晶(ひしょう)将軍の隣に並び座るすめらの大使が、声高らに彼らの名をあげ、ひとりひとりを厳かに紹介した。なれど花嫁を迎えるこの宴の席には、肝心なものが欠けていた。

 

「ほほう。蒸留とは、大変興味深い醸造方法ですな。それにしてもパーヴェル卿……姫様のご夫君となられる方は、今いずこにおわしますのかな?」


 茶の先生の問いに、パーヴェル卿は嘲りを含むような笑いを返した。

 まるでわざと、怒りを買おうとしているかのように。


「はははは! 兄上は今、第二妃のもとにおらレル。第二妃は諸事情で実家に下がっておらレルが、急に産気づいたのだ。御子の出産を見届け次第、兄上はご帰城さレル。第三妃となられる姫におかれては、しばしお待ちにナルがよい!」 


 なぜ第二妃は実家へ戻っているのか。なぜこの城で御子をご出産なさらぬのか。

 暗雲の如き予感を感じるクナは、切に願った。

 

(どうか。州公閣下は、弟君のような人ではありませんように。良い人であられますように)

 




 白鷹城は、ほぼ平屋だけの広大なすめらの御所とは違い、高層も高層。湖に浮かぶ島というかぎられた土地に建てられているゆえか、非常に背高のっぽの城だ。なんと、二十階もあるという。

 その上層、第七階にて開かれた「歓迎の宴」は、早々に切り上げられた。

 なにぶん花婿は不在。代わりに夫の名代として城を守るべき公妃も、現在、白鷹城にはおられないからだった。


「病気療養?」

「うむ。公妃は胸の病を癒ヤスため、西の温泉地にあるサナトリーウムにおらレル」

「ではこの城には今、お妃はだれもいてはらへんのですね?」

「ゆえに兄上はもっと妻がほしくて、あなたを娶ったのだ」


 無礼に言い放つパーヴェル卿の采配で、花嫁一行は第九階にある部屋をそれぞれ割り当てられた。

 五百の護衛兵団は城の庭園に天幕を張ることを許されたが、城内で護衛につく人数は十人ほどに限定された。本来ならひとりも要らぬ、これは破格の措置であると、パーヴェル卿は尊大に宣言したものだ。

 州公閣下はいつお戻りか。結婚式をとり行うと定めた日には間に合うのか。

 問うても返ってきたのは、はぐらかすような笑いのみだった。


「第二妃が兄上を引き止メルやもしれませんな。ククク」


 結婚式は十中八九延期される――

 そう察した九十九(つくも)の方は、付き添い娘と茶の先生を引き連れて部屋に入るなり、ふたりの柱国将軍を呼んで命じた。


「うちの護衛は今の手勢で十分。将軍はんらはただちに、州都の飛行場に待機する船団を、南の本営地へ入れてください。かねてよりの作戦どおり、すぐに軍の予備訓練を始めはってほしいのです。式の延期は我慢できますが、遠征の遅れは決して許容できまへん」

「御意!」「お任せを!」


 かくして将軍たちは、龍たちが待つ飛行場へと戻っていった。

 そこでようやく姫将軍は長椅子に身を落としたのだが。いまだいっこうに鎧を脱ごうとはしなかった。


「まったくこの城は巨大やねえ。ひと階にいったい何部屋あるのやら」

「ええと、式を挙行されたのち、九十九(つくも)さまは第五階に部屋をいただくとパーヴェル卿がおっしゃってましたね」

「そうやアヤメ。妾妃はんらはみな、その階に住まうしきたり言うてましたな。第四階は州公閣下の女の庶子が、第三階は男の庶子が住まう階。第二階は州公閣下の正嫡の兄弟が住まう層。そして最上階には、州公閣下と正妃、正嫡の御子らが住まいはる。どうや? 動けそうか?」

「難しいですね……土台、階層間を自由に行き来することができないようですから」


 いまや手練れの隠密になっているアヤメが、呻き声をあげる。

 この城の身分による層分けは非常に厳格なようだ。中央と東西南北、五ヶ所にある各階の階段はまるで関所のよう。何人もの衛兵と鎖の門で守られている。


「隠し通路など探してみます。アオビたちを昇降機で各階に送ってみますね」

「昇降機……?」


 下層の厨房で作られる食事はなんと、昇降機なるもので各階の食堂室へ運ばれてくるという。ほかのありとあらゆる伝達や物流もほぼ、この箱のような機械を介して行われるらしい。

 ひとしきり城の構造に驚くクナたちに、九十九(つくも)の方は嘆息ひとつ。硬い声で聞いてきた。


「ところであんさんら。この状況を、どう読みはりますか?」

 

 出迎えのときの攻撃。

 花婿の不在。

 なんとも不穏な雰囲気しかない。

 アカシがそう申し上げると、いまだ武装を解かぬ花嫁はおもむろに、長持ちから出した琵琶を奏で、祝詞を唱え始めた。

 たちまちあたりに神霊の気配が降りてくる。その意図を察した付き添い娘たちは次々と声を合わせ、外に音が漏れぬ結界を部屋の中にはりめぐらせた。そうして万事抜かりない空間を作った花嫁は、そこでまたひとつ、深いため息をついた。

 

「あのパーヴェル卿はえらい曲者のようや。飛行場で攻撃してきたんは、うちらを挑発してのこと。わざとすめらの軍をいきり立たして、州公軍を傷つけさせようとしましたんや」


 こぷこぷこぷ。

 茶釜の風炉(ふろ)に熱い湯が注がれる。茶の先生がじんわりじんわり、釜を温めはじめたのだ。

 長旅を経てきたのにゆるりとできぬとはご不憫なと、先生も沈んだ息を吐いている。

 せめて茶の湯で疲れをほぐしてほしいと思ったようだ。

 湯が湧くまで、九十九(つくも)の方は強固な結界を盾にして思うところを吐露した。

 おそらくパーヴェル卿は、いわれもなくすめらの軍に攻撃されたとさわぎ立てるつもりであったのだろうと。二個師団をすめらの船団に殲滅せしめ、同盟をぶちこわす。そうして遠征を行えないようにする。そんな思惑を抱いていたのではあるまいかと。

 

「あの御仁。もしかしたら、魔道王国と通じてはるかもしれまへん」

「でも……あのとき我が軍がもし攻撃していたら、あのパーヴェル卿も命を落とされていたのでは?」


 冷静なミン姫の問いに、九十九(つくも)の方はそこが鍵やと声をひそめた。


「あんさんら。城へ向かっている最中、行進の音楽を耳にしましたやろ」

 

 とたんクナをはじめ、みながウッと言葉に詰まった。


「ああ、あの気持ち悪いあれ……」「はい……あれはとても異様でした」


 出迎えの時だけではない。

 城へ向かう道中でも、あのパーヴェル卿とその手勢はなんとも異様な雰囲気をかもしていた。

 花嫁を城へ導いたかの人は、まったく悪びれることなく堂々と花嫁行列の先頭に立ち、城までの道をゆったりゆったり進み、城にかかる長い長い橋を渡った。

 リアン姫の実況によれば四頭立ての馬車に乗っていたそうだが、その歩みはまるで牛車のよう。そのすぐうしろに付き従う軍楽隊が、けたたましくラッパを吹き鳴らしていた。

 しかも兵隊たちはみな、クナたちが唖然とするような歌を歌っていたのである。

 

 この道を 切り開きしは我が司令

 勇ましきかな 銀の鎧

 麗しきかな 金の髪

 白鷹の誉れ 我らが希望

 その名はパーヴェル 偉大なパーヴェル 

 アリョルビエールの 不死の鷹

 

 それは他のだれでもない、パーヴェル卿を称える歌だった。

 花嫁を運んでいるのはだれなのか、兵士たちはえんえん宣伝し続けていた。

 この国の栄えを願うものでも、すめらの国に敬意を払うでもなく。ただひとりの男の名だけをただひたすら賛美し、強調していた。

 

(あの音楽。すごく不気味だった……)


「あの露骨な売名だけやったら、人にそう思わせたいだけかと思ってしまうのやけど。飛行場でのあのふるまい……パーヴェル卿は、ほんまに歌の通り不死身なのかもしれまへん」

「な……だから、あんな無茶な出迎えをしたと?」

「そうやアカシ。あん人はおそらく、あそこで殺されたかった(・・・・・・・)んや。そうして鮮やかに復活してみせれば、迷信深いすめらの軍は恐慌に陥ったかもしれへん。いずれにせよ、攻撃していれば非難されたんは確実。ここぞと同盟を潰しにきはったに違いありまへんわ」


 付き添い娘たちはみな息を呑んだ。こたびの遠征には、軍の拠点となるユーグ州の全面的な協力が必要不可欠だ。その同盟を阻む者が現れるとは……

 

「パーヴェル卿は今もうちらを挑発してはる。せやからみな、あん人には反応せえへんように。そして極力鎧は脱がず、うちから離れへんように」


 もろもろのことがもっとはっきりわかるまで、下手な動きは禁物。なれど、いつでも応戦できるよう、いつでも逃げられるよう、心しておくのや――

 先生から茶を受け取った九十九(つくも)の方はそう仰り、こくりと茶を喉に流し込んだ。


「あん人にはとりあえず、すめらの言葉はもう使わんでよろしいとだけ申し上げます。あの変な抑揚のすめら語は、うちらの神経を逆なでするためにわざと喋ってはるもの。まあ、そないに気を使わんでもええと。これからは大陸共通語を喋ってくれと要請しますわ」


 誇り高き花嫁はふふっとやわらな笑いをかもし出した。不安と懸念で固まる娘たちを解きほぐすかのように。


「我らがすめらの言葉。これ以上愚弄されるわけにはいかしまへん」

 




 そのようなわけで、クナはそれから数日、白鷹城で緊張きわまる時間を過ごした。

 部屋は船に乗っていたときと同じ、リアン姫との合い部屋だったけれど、九十九(つくも)の方は娘たちをずっと自室に留め置いた。

 万が一のことが起こった時、だれかが人質にとられぬように――そんな警戒をしたのである。娘たちは部屋からマットレスと毛布をもちこみ、まるで野営のようにして花嫁の部屋で過ごした。

 怪しまれないよう、クナたちはわざと笑い声をたて、貝合せや歌留多に興じた。

 はたから見れば何も考えずに遊びにうつつを抜かしている娘たちに見えるように。

 武装は単なる姫の気まぐれ。軍団ごっこ以外のなにものでもない。

 そんな風に思われるよう、娘たちはしきりにきゃーきゃーうち騒いだ。

 うわさの昇降機を使い、厨房からいろんな菓子を取り寄せたり。部屋に活けたいからと花を所望したり。若い娘らしい振る舞いをした。


ごきげんよう(タラエベルワン)、すめらの姫たちよ!」


 第二階に住まうパーヴェル卿は、にぎやかな花嫁の部屋に毎日やってきた。

 めあては茶の先生が点てるお茶。そう明言したが真っ赤な嘘なのはみえみえで、決まって小一時間、尊大な演説をかましていく。その主張は必ず、おのれの血筋がいかに高貴で純粋なのかを寿ぐ前口上から始まるのだった。

 

我こそは(エマン)白き鷹を(ファミリアズ)操る一族の(ワイトホーク)血を引く者にして(レイナー)アリョルビエールに(イラスアロイス)選ばれし英雄(アリョルビエール)――」


 大陸共通語は、すめらではあまり使われない言語だ。

 誇り高きすめらの民は神を言祝ぐべく、古き言葉を使うべし。

 月神殿がそう徹底して教え広めているせいである。神殿では茶の湯同様に初歩しか教えられないものゆえ、クナはパーヴェル卿がなんと言っているのかあんまり分からなかった。嫁いだあとのたしなみに詳しいリアン姫は、独学で共通語を学んでいるらしく、だいぶ理解できるようだが。


「ああもうほんとに。がっかりですわ」

 

 嵐のように襲い来る卿が演説を終えて部屋から去ると、決まってげっそりするのだった。

 州公閣下の弟君にもしや見初められまいか。そんな淡い期待は、いまやあとかたもない。

 

「毎日よくもまあ、飽きもせずに誘うわよね」

「さそう?」

「あの人、毎回自分はどんなにすごいか主張して、九十九(つくも)さまに結婚を申し込んでますわ」

「え……」

「押してもダメなら引いてみるって感じ? まあ、それとなくそう匂わせる言葉で、手を取り合いませんかって押してきてますわよ」


 出迎え作戦が失敗したゆえ、パーヴェル卿は今度は懐柔作戦を展開しているらしい。

九十九(つくも)の方は悪魔の囁きを毎回さりげなくかわしているという。 

 

「つまりパーヴェル卿は……州公さまの地位を狙っているんですか?」

「わからへん。そうやと見せかけて、うちらを嵌めようとしているのかもしれへん。とにかくはよう式をあげて、うちも本営に行ってしまいたいわ」


 白鷹の家の内情など実のところ知ったことではない。結婚などには期待も何もない。

 九十九(つくも)の方はそう言いたげだった。

 この地で十万の軍を思うように采配できれば、それでよいと。

 今まで一度も花婿に会ったことがないゆえ、その感情は仕方ないことなのかもしれない。

 そんな本音を隠しつつ、九十九(つくも)の方はまだ見ぬ花婿への一途な思いを述べ立てて、パーヴェル卿の誘いをかわした。まるで本当に恋しているかのように語るその言葉を、リアン姫が糖度を加えて通訳してくれるので、クナは顔が熱くなるほどドキドキした。

 そうして城に入って七日目のこと。


「昇降機で各階に放っていたアオビたちが、情報を集めてまいりました」


 アヤメがついに、みなに重大な情報をもたらした。


「やはりこの階は、完全に封鎖されております。他の階よりも厳重に人の行き来が制限されているとのことです」

「そうか……」

「アオビによると、第二妃さまは姦通の罪に問われ、州公閣下の命により実家へ下がったそうです。閣下はまこと、生まれし御子に会いに行かれましたが、それは御子が閣下の血を引いているか否か、血の証の儀を行うためだったそうです。結果、御子は不義の子にはあらず。それで妃の廃位はお取り消し、閣下は第二妃と御子を伴い本日帰城なさるとのことです」


 なんとありがたい情報か。

 花嫁も娘たちも信じて疑わなかった。花婿の帰城によって、すべては正常になると。

 しかし――


「それでは今宵も、私と一緒に月を見る気はないと」

「はい、パーヴェル卿。うちは閣下以外の殿方と、さようなことをする気はありまへん」

「くくく。それは実に残念だ。私ではなく兄上を選ぶとは。実に。実に。ははははは!」


 その日の午後訪れたパーヴェル卿は、はじめて会ったときのように大いに乱れた。狂ったように。何かに取り憑かれたかのように。


「おろかな姫よ。第二妃は私の言うがまま! 私が命じねば、兄上はこの城に帰ることはかなわぬのだ」


 狂える人はいつにもまして尊大な態度で脅してきた。まるで兄の生命を握っているかのように。

 しかし情報を得ていた九十九(つくも)の方はまったく動じず、にこりと微笑んだ。


「なるほど? そんなに吠え立てはるなんて、もしかしてあんさんが、第二妃をはめたんですか? 不義の子と訴えを流したんは、あんさんなのですね? その目的は、この家に不和と混乱をもたらすこと。兄を退け、自らが州公になりはるおつもりですか?」

  

 その推測は図星だったのだろう。州公閣下が帰城する。その一報を聞いたゆえ、獣はついに牙を向いたのだ。時限がきたことに焦って強行突破しようとしたのである。


「だまれスメルニアの狐どもめ! 私が頂きに登った暁には、おまえらとの関係など、すべて断ち切ってくれる!」

――「みなさまお伏せなされ!」


 そのとき茶の先生が怒鳴った。

 刹那。あたりが一瞬まばゆく輝いたと思いきや。パーヴェル卿(・・・・・・)がすさまじい音をたてて爆発した。

 ばぐんばぐんとあたりが連鎖するかのように次々弾ける。ごおうと部屋が燃える音がする。


「きゃあああ!」「な……一体?!」

「あれは本体ではない! 影を使った仙術のひとつですぞ!」 


 先生が部屋から出るよう皆をうながす。

 

(仙術? じゃあやっぱりパーヴェル卿は普通の人ではないの? もしかしてほんとに不死身なの?)


 とにかく難を逃れたと感じたのもつかの間。

 すさまじい爆音が廊下中に響き渡った。

 直後熱波がぶわりと、前から吹き付けてくる――


「なんということじゃ。廊下にも仕掛けておったか」


 先生のうろたえ声が。


「くっ! あやつ、ほんまに狂ってはるわ!」


 九十九(つくも)さまの悔しげな声が。

 その波に呑まれた。熱い熱い炎の渦に。 




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