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18話 別れのことば

 ぴいい、ぴいい。

 伴奏の笛が鳴る。アカシの息使いはいつにもまして見事だけれど。どこかもの悲しい。

 

「ほれ。指先が伸びてまへんがな」

 

 舞い踊るクナの指先にぴしりと、竹の教鞭が当てられた。

 指導してくださっているのは、九十九(つくも)の方。嬉しいことにこの数日神殿に滞在して、従巫女たちの修行に立ち会ってくれている。

 

「全然締りがあらへん。集中しきれへんか?」

「すみません……」

「あれまあ。ずいぶんなまっておるの」

 

 ゆだるような舞台上に、ほほほと弱々しい笑い声が流れる。

 すぐそばで、百(ろう)の方が従巫女たちの修行をご覧になっているのだ。加減が良いから修行の様子を見たいと仰せになったのだが、この暑いのに大丈夫なのかと、クナは気が気でなかった。


『あたしのせいで、死んじゃうかも……!』


 渡した(なつめ)のことを九十九(つくも)の方に打ち明けたら。それは大丈夫だ、中身は本当にお茶であったから心配するなと言われたけれど。


『たしかに、毒味はするべきやろねえ』


 従巫女としての不備はしっかり指摘された。

 

『大姫はんは、ほかの色の神殿とかけ引きせなあかん立場のお人。せやからおのずと敵が多い。ようよう、気をつけてあげなはれ』


 その声のなんと柔らかかったこと。母のときのようにひどく責められるのだろうと、クナはがちがちに覚悟していた。あれはシズリの言いがかりだったけれど、今回ははっきり自分の落ち度だと信じ込んでいた。なのに頭を撫でるようにあんなに優しく言われるなんて。いまだに信じられない心地でいる。


「あんさんらの上達や昇段。それがなにより、大姫はんを喜ばすんや。気合を入れなはれ」

「は、はい」

「しろがね、今日の大姫さまはずいぶん調子がよろしいようですもの。きっと大丈夫ですわ」


 隣で舞っていたリアン姫が声をかけてくる。ミン姫も安心させようとしてか、親切に教えてくれた。


「大姫様のお顔のお色、だいぶよろしいですわ。大傘を立てて、日陰の中におられますし」

「ほほほ、しろがねは心配症じゃな。息が上がっておるが大丈夫か? 少し休んだらどうじゃ?」


 百(ろう)の方も口を開けばご自分ではなく、クナたちの心配ばかり。

 みな、優しいのだ。家族以上に家族のよう。

 この人たちのためならば――命を捧げることになったってかまわない。

 クナはそう思う。なれど、病だけは肩代わりできるものではない。


(母さんも大丈夫大丈夫って言ってて、死んじゃったもの)


 あの悲しい別れをまた味わうのは嫌だ……

 そんな気持ちが、舞の一挙手一投足に出てしまうようだ。


「ほほほ、わらわも舞おうかの」

「やめときなはれ。お歌専門のあんさんのは、タコ踊りやさかい」

「はぁ? だれがタコじゃ。この狐!」


 九十九(つくも)の方がいらしてから、百(ろう)の方のご容態はめきめきと良くなられた。

 臥してばかりであったのが、庭園に出たり、禊場で打たせ水の修行をなさったり。結構動けるようになっている。大親友のご滞在が、病人に多大な喜びと良き効果を与えているようだ。


『なにしろ後宮で出会いて幾星霜、ずっと一緒の殿に住まっていた仲ですから』


 嬉しげに話すアカシの声の明るさに、クナはハッと気づいたものだ。百(ろう)の方だけではない。アカシも、居るべき人がいなかったことがひどく寂しかったのだと。

 クナも同様に、九十九(つくも)の方のご帰還がうれしくてたまらない。

 だからこの救世主のような方に、確たる希望を見出したかった。

 もしかして九十九(つくも)の方は、よく効く薬を届けてくださったのでは。何か秘薬をお持ちになったのでは。そう思いたいのだが――


(でも、かがやいてない)


 クナは敏感に、病める人の生気を感じ取っていた。

 陽の光のようなまぶしさを放っていた人は、いまだ暗く沈んだまま。

 少しも、明るくなっていないのだった。


(たぶん病は、全然よくなってないんだわ)


 その懸念は。

 悲しいことに的中した。


「毛皮のかいまきを!」

「つ、九十九(つくも)さま、この暑いのにですか?」

「大姫はんはがちがち震えてはりますわ、急ぎや」

「は、はい!」


 ご快復の雰囲気は夢かまぼろしか。

 翌日。百(ろう)の方はひどい高熱に見まわれて、ひさかたぶりに床に()した。

 具合がよいから、今日も午後の修行に立ち会える。つい先ほどそう仰っていたのに、急にお倒れになった。今はなんとも痛ましいうめき声を出していらっしゃる。

 しろがね、しろがねとか細く呼ぶので、クナは急いで近づいてその枕もとに侍った。

 

「は、はよう舞の稽古を、やってくるのじゃ。暑さで、しんどいであろうが、しかし修行を、さぼっては、立派な巫女には……」

「それどころじゃありません。百(ろう)さまが心配で、そんなことできません!」

「ああ、もう、心配症じゃなあ。のうしろがね、わらわも、そなたが、心配じゃ。そなたは、わらわの……娘じゃから……」


 百(ろう)の方はひとことひとこと、噛みしめるように囁いてくる。

 なんともったいないと、クナは膝に置かれた百(ろう)の方の手を両手で包んだ。その手はびっくりするほど骨張り、細くて今にも折れそうで。包み込むクナの手は哀しみの衝撃でがくがく震えた。


「なんぞ、婆のようで、あろ? こわい、か?」

「いいえ! いいえ、大姫さま。こわくなんか」

「では、わらわのこと……て、くれるか?」

「はい?」

(たあ)さまと……呼んで……るか?」


 さすがにそれは恐れ多い。じわじわ涙ぐみ、うろたえて固辞しようとしたものの。後ろに控えるアカシや九十九(つくも)の方がクナの背を押した。

 

「呼んであげなはれ、しろがねはん。それが何よりの薬や」

「しろがねさま、お願い致します。大姫さまのお望み通りに」


 それでもクナはしばしためらったけれど。気を振り絞り、ついにそっと囁いた。

 

「どうか。どうかよくなってください……(かあ)さま……」

「なんじゃ、発音が、違うぞ」


 ふふっと苦笑が聞こえた。


「ほんに、そなたは、田舎娘じゃな。いと(うつく)しい……」





 その晩、アヤメが帝都太陽神殿に忍んできた。

 ひと筋西むこうの帝都星神殿にて仕事中であったらしいが、主人である九十九(つくも)の方に呼ばれた。それで何番目かのアオビがひとっぱしり。通りを走り越えてこそっと連れてきたのである。

 臥せる人の容態がなんとか落ち着き、すやと寝入ると。クナたち従巫女もそろって、九十九つくもの方の部屋、すなわち庭園の池の隣にある客人用の殿に呼ばれた。

 もと黒の塔の巫女団員と御三家の姫。皆がそろうと、呼んだ人はよく参じてくれはったとみなの集結をねぎらった。


「この数日、従巫女はんの修行を手伝わさしていただいて。みなはんが大姫はんのご容態を痛く心配されてはること、よくわかりましたわ。ご本人に代わりて礼を述べるとともに、これよりうちが大姫はんのご病状の詳細を伝えさしていただきます。頃合いを見計らって皆に病状を伝えるように。大姫はんはかねてより、うちにそう命じてはりましたゆえ」


 ふわと部屋の空気が動いた。九十九(つくも)の方は深々と、みなに頭を下げたようだ。

 部屋の空気が引き締まる。

 

「大姫はんを蝕む病は――石化病です」


 病名が告げられたとたん、御三家の姫たちはざわついた。

 

「よりによって、そんな」

「なんと運のお悪い……」

「ああ……やはりそうなのですね。兆しが出ておりました。手の甲に、特有の黒い痣が」


 さすが序列一位というべきか。アカシはうすうす察していたようだ。


「痣が出たのを放っておいたら、数ヶ月以内に発症しますよね……それでお薬を?」


 アヤメが動揺を必死に抑えるような声で訊く。そうやと、九十九(つくも)の方はうなずいた。


「そ、そんなに重い病なんですか?」


 クナの問いに与えられた答えは、およそ希望など見いだせないものだった。


「いわゆる不治の病や。発症すれば次第に体が硬化して動かなくなる。最後には、体内の時間が止まる。たとえ不老不死の身であろうとも、時間凍結に囚われるゆえに死すると変わらへん」


 たとえ生きていても。停止は死と何ら変わりない――

 

「この病は、超文明の時代に人に埋め込まれたもんが、悪さをしはる」


 その昔。この大陸には超文明華やかなりし時代があった。

 当時の人の寿命は、悠に二百に届くほど。体をいじり倒し、長寿を得たり、特殊な力を得たりしていたそうである。

 しかしあるとき突然、その長寿をもたらす力が変容した。なぜか正常に発現しなくなり、体内の時間を止めるという極端な効果を出すようになったという。

 

「多くの人々が、生ける彫像と化した……いにしえを伝える書物にはそう記されてる」


 とはいえ超文明の技術はすさまじいもの。ただちにおそろしい石化の効果を中和する、時間を進める力が生み出され、人の体内に組み込まれた。

 書物は語る。

 こうして人類は滅ばずに済んだと。中和作用のせいで、人の寿命はずいぶん縮まってしまったけれど――代償はあれど、病は駆逐されたと。

 だが……


「まれにこの、時間を進める中和の力を持たへん人が、生まれてきはるんや」


 文明が衰退してしまった現代において。中和の力を抽出したり、組み入れたりする技術は、残念ながらあとかたも残っていない。

 

「今できるのは、時間硬化の発症をできるだけ引き伸ばすことのみ。大姫はんは今、(なつめ)に入ってた薬で発症を食い止めてはる。せやけどその引き止めも、いずれ効かへんようになる」

「そんな……!」

「どうにもでけへん。太古の技術が復刻できれば……という願いは、この病にかかわるだれもが、一度は望むことや」


 石化病にかかる人は決して少なくない。とくにやんごとなき品格を持つ人ほど、この病にかかる確率が高いそうだ。

 

(イェン)家の(おこ)りは(ヤン)家と同じ、超文明の時代と聞きます。すなわちこれは血が濃い名家の業病とも言えましょう。我が一族の中にも、同じ病で斃れた方々がいらっしゃいます」


 (ヤン)家のミン姫がそう言って、歴代の先祖の中で石化病にかかった者の名をつらつらあげた。


「大翁さまのご兄弟もたしかおひとり、この病で亡くなっておられます。古びて歪んだ血を少しでも薄めるため、御三家はたびたび、いじられていない血筋を求めてまいりました。しかし幾千年たっても、自然な縁組だけではなかなか、血を選り分けるということはできないままでおります」

 

 いじられていない血筋というのは、大陸の西北部、北五州と呼ばれる地域を治める五つの王家のことを指すそうだ。

 これらの王家だけは、超文明の時代にあっても体の改造をかたくなに行わず、今の世にまで続く「純血」を誇っているという。

 リアン姫がなかば腹立たしげに、ミン姫の話を捕捉した。


「北五州の王家の血を求める代わりとして、すめらから嫁いだ姫はたくさんおられますけど。跡取りの母となれた者は皆無と聞きますわ。みな第二室や第三室止まり。たとえ男の御子を産んでも、嫡男(ちゃくなん)とは認められないと聞きましてよ。すめらの人の血はかび臭いとか狂っているとか。外国ではよく、そんな風に悪口を言われるそうですわ」


 御三家の姫たちはものしりだ。いや、クナが無知なだけなのだろう。

 このすめらの外にいったいどれだけ国があるものかも、まだ正確に知らないのだから。

 ない知識を総動員して、クナは一所懸命考えた。

 

「あのせめて……大翁様からいただいたお茶よりもっと……発症をもっと長く、引き止められる薬はありませんか?」

「今服用されてはる茶は、古今東西で一番効果があるとされるもの。せやけどたしかに、知られざる霊薬がこの大陸のどこかにあるかもしれまへんな。霊峰ビングロンムシューの霊水などは、万病に効くといわれてはるし」

「霊水……! じゃああたし、さがします! お薬をさがしながら、もっとさがします!」

「なんやて?」

「超文明の技術っていうものをよみがえらせれば、大姫さまは治るかもしれないんですよね? それを……」


 しろがね、それは無理やと九十九(つくも)の方は苦笑なさった。


「超文明のものは、ほとんど発掘し尽くされてる。大陸中のどこの遺跡もからっぽや。わがすめらの御所の宝物庫にも、西北の黒き衣の寺院にも、おそらく石化病を治す技は――」

「て、天に浮かぶ島……(あめ)の浮き島はどうですか?」


 クナの脳裏に、黒髪さまが連れていってくれたあの島のことが蘇った。

 あの島にあるものはかなり古いもの。黒髪さまはそう仰ったような気がする。


「あそこは大昔の兵器工場だったって……だからいろんなものがあるらしいんです。黒髪さまはそこの遺跡で、あたしの目を探してくださいました」


 義眼は見つからなかったけれど、がしゃんがしゃんと音たてて、いろんな物があった。

 ひとつひとつはなんなのか判別できないが、音からすると何かの道具や、機材とおぼしきものもあったように思う。

 

「もしかしたらそこに、病を治す鍵が……」

(あめ)の浮き島? 代々の帝の墓所が天の島に在るとは、聞いてるけど。あんさんそんなところに黒髪さまと行ってはったんか。そこにはいまだ、古い物が残ってますのんか?」

「はい! 部屋はいくつもあるようでしたから……」


 黒髪さまがそこで何をなさったか思い出し、クナは頬をぼっと赤らめた。

 

「し、調べてみる価値は、あるかと思います」

「せやけどその島は一体どこにありますのんか? それに、いろんなものを発掘できたとしても、古代の技術を扱える人が必要やで?」

「それは……」


 あの島は黒髪さまと白い〈あの子〉の隠れ家だった。すなわちあの場所を知っているのは黒髪さまとかつての自分、それから始龍(シーロン)さまだけだろう。しかしクナの脳裏には、その場所の記憶はいまのところ、少しも昇ってこなかった。

 大翁様に蓋を開けられたとはいえ、〈あの子〉のことを思い出すのはなんだかまだ抵抗がある。それで記憶がなかなか戻らないのかもしれない。

 それでうっと言葉に詰まったけれど。そのときリアン姫があらまあと声をあげた。


「もしかして黒髪の柱国将軍をお救いせよと大姫さまが予言なさったのは、このせいですの? しろがねの話っぷりからすると、黒髪様は超文明のものがある島の場所を知っていて、その扱いもできそうじゃありませんか?」

「あ……! はい! そうです! 黒髪さまなら……! それにあの方は、薬物の技に長けてらっしゃいます。もし太古のものをどうにかできなくても、大姫様のためにすごいお薬を作れるかも」


 クナが身を乗り出しそう言うと。ふっと、九十九(つくも)の方は声を明るい色に染めた。


「しろがね。黒髪さまがご遺言を盾にしてご帰宅を嫌がっても、これで一刻の猶予もならんと引っ張ってこれますわ。すめらにも、揺るがぬ大義名分ができます」

「大義名分……黒髪さまをお救いする旗印が?」

「そうや。太陽の巫女王(ふのひめみこ)は、天照らしさまをその身におろす神聖なる御方。その半神の御位に在る方をお救いすることは、帝のお命を救うことと同義や。すめらの国挙げての、れっきとした国策になりうる」


 さっそくおじ様に奏上せねばと、九十九(つくも)の方は腰をあげた。

 クナの肩にそっと手を置き、言い聞かせるようにくっとその手に力を入れながら。


「しろがね。あんさんは、黒髪さまのことだけ考えなはれ。あんさんにとって一番大事な、旦那さまのことだけを」

九十九(つくも)さま……」

「ええな? 黒髪さまを救えば大姫はんも救える。せやから、うじうじ心配するんはもう無しや」


 肩に九十九(つくも)の方の手の熱がじわりと伝わってくる。

 その圧の強さにクナは一瞬、相手がまるで別れの言葉を言っているような雰囲気を感じたけれど。

 気のせいだと思い直して、素直にこっくりうなずいた。


「はい! 分かりました!」

 

 



 夜が明けると、九十九(つくも)の方は神殿を辞して霊光殿へお向かいになられた。

 霊鏡にて伝信を大翁様に送ったら、今すぐ帰ってこいと命じられたという。

 お祖父様は孫娘に会いたくなったのであろうと百(ろう)の方はくつくつ。身を起こして笑われるほど容態を持ち直されたので、クナは痛くホッとした。

 それから三日ほど経ったのち。九十九(つくも)の方は再び、太陽神殿へ戻ってきた。

 朗報と。そうではないものと。二つの報せを携えて。

 大姫さまの部屋に呼ばれたクナは、入るなり百(ろう)の方の怒声を聞いた。


「それは人身御供ではないかっ」

「せやけど。そこからすめらは、軍を送り込むのが一番やということになりましたんで」

「いくら同盟のためとはいえ、別に候補はいくらでもいるであろうにっ」

「今の陛下には、皇女がおられまへん。ですので降嫁なれども帝室につながりある(ヤン)家からというのは、しごく妥当な判断かと。せやからもう、手続きは済ましてあります」


 納得いかぬと、大姫さまがばしりと脇息を扇子で叩く。

 なにごとかとおののくクナに気づいて、九十九(つくも)の方はそばへ座れと命じてきた。

 すでに他の従巫女たちはみなそろい、神妙に二人の婦人の話を聞いていたようだ。

 その空気がなんとも張り詰めている……


「しろがね。元老院が兵を挙げはるよう軍部に命じましたわ。十万の軍団が、西域の小国をひとつ()るために編成される」


 その国は魔道帝国の属国。鉱山を多く持つ国で、征服すれば、かの帝国はすめらから取り戻すべく交渉せざるをえないという。かねてよりそこはすめらが征服目標としていた地のひとつであり、何年もかけて月神殿が周辺諸国へ根回ししていたという。

 もしとどこおりなく国取りが完了すれば。黒髪さまの救出が、他の交渉ごとと一緒に魔道帝国へ請求されることになったそうだ。しかも、優先順位が一番という破格の位置づけで。

 

「しろがねはん。全力ですめらの軍の勝利を祈祷しはってや」

「はい……!」


 ありがたいと思い、クナが喜びに涙ぐむと。場面暗転、続けて信じられぬ言葉が、九十九(つくも)の方の口から発せられた

 

「その戦のため。すめらは北五州のひとつ、ユーグ州と同盟することになりはった。ここを軍の本営地とする作戦なんやけれど、その同盟のために、うちが州公閣下に輿入れすることが決まりましたわ」 

 

 淡々と、さもなんでもないことというように。


「え……?!」


 クナは一瞬我が耳を疑った。

 だれが? 北五州に?


「一方的に黒髪さまと離縁するなど! 巫女団長の責務、ぶん投げていくなんぞ……」

「あんさんも一方的に離縁せざるをえませんでしたやろ。うちも同じや。おじ様がぜひに(・・・)と命じてきはりましたんで」

「ううう、ひとりでは行かせぬ!」

「心配いりまへん。すめらの軍十万、輿入れの護衛としてうちが引き連れる形になります。ほほ、えらい花嫁行列になりますなぁ」

「それだけではだめじゃ!」


 呆然とするクナに、百臘の方の叫び声が刺さる。もはや湿って、しゃくりあげているような声が。


「か、介添娘(かいぞえむすめ)を……!」

「いりまへん」

「だめじゃ! ちゃんと守って送らせる! 送るだけでも! わらわの従巫女をすべて。し、しろがねもっ……」


 結婚式に参列させる。友の門出をそれで祝う。

 それは譲らぬと、大姫さまはがんとして主張し続けた。涙を呑み、ひどく咳き込みながら。

 アカシが慌てて近寄り、その体を支える。

 庭園からじゃーとひときわ、すさまじい蝉の啼き音が聞こえてきた。

 炎渦の夏はまだまだこれから。そんなふうに訴えるように。

 

「あちらは、えらく涼しいですやろなぁ」

   

 九十九(つくも)の方はしみじみそうつぶやいて。さんさんさしこむ()の熱気を避けるために部屋の格子(こうし)を引き下げた。

 がたりという物音がクナの耳を打った。それはずいぶんと力がこめられていて大きかった。

 まるで、百(ろう)の方の泣き声を断ち切るように。

 

 



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