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17話 水霊

 三色の帝都神殿、及び龍生殿では半年に一度、大祓(おおはらえ)の儀をとりおこなう。

 すめら全土の民のために、あらゆるけがれを浄めるという大掛かりなものだ。

 祭祀を仕切るのは各色の巫女王(ふのひめみこ)。贄を捧げ、神楽と舞を奉納し、浄化の祈りを捧げる。そうして神降ろしを行い、すめらの未来を占う。

 その神託は「政策の方針」として、元老院が受領するのだが。


『どうか、黒髪さまをお救いください!』

 

 大翁様はクナの望み通り、大いに動いてくれたらしい。

 クナが神殿に帰されたその日、百(ろう)の方はなかなかご神託を出さなかった。

 午後も暮れたころゆるゆると神降ろしを始め、神はまだ降りぬと苦しそうにおっしゃり、か細い声で歌いつづけるのみ。祭壇の前で神官も巫女たちも数刻以上神楽を鳴らし、舞い続けて、ずいぶん待った。

 すなわち。以前のように、龍の巫女王(ふのひめみこ)が打ち消しの神託を出してくるのを警戒したのである。同案件で神託が相反する場合は、より遅く出されたものが採択されるからであった。

 そうしてもはや日が落ちるかという時。祭壇になんとあのアヤメがこそそとやってきて、百(ろう)の方に耳打ちをした。


「星は別の案件を。月は黒髪さま救出の神託を出しました。龍はこちらの託宣を待っておりましたが、さきほど、黒髪さまの切り捨てを示唆する神託を下しました」


 我が子を失っての恨みが深いゆえか。それとも性格ゆえか。龍生殿の主たる花龍(ファーロン)は、しもべたる龍の巫女王(ふのひめみこ)をせっついたようだ。

 しびれを切らして神託を出させたのをこれ幸いとし、根比べの勝者はようやく、「ご神託」を下した。 

 

「黒髪の柱国将軍を救え。かの者はすめらに勝利と繁栄をもたらす。天照らし様はそう仰せじゃ!」


 かように無事、神託は下されて。今やいっぱしの隠密となったアヤメによると、元老院では現在、いかにしてその「神の思し召し」を具現すべきか論じられているという。

 星が関わってこなかったのも。月が協力してくれたのも。そしておそらく、恨み深い花龍(ファーロン)を焦らせたのも。大翁様が裏でいろいろ手をつくしてくださったのだろう。

 すめらが国をあげて黒髪さまを救ってくれる。その流れがしっかとできたのである。

 クナにとってはこの上もなき結果。万々歳であったのだけど。

 願いどおりになったと、ホッとしたけれど。

 けれどしかし――

 

 



 宮処(みやこ)は容赦ない。今日もひどい蒸しようだ。

 全身汗だくのクナは胸元で手をあわせた。頭を下げ、意識を集中させ。心をこめて祈る。

 

 かしこみ。かしこみ。願い、奉る……


 すぐ鼻先にあるのは、ばちばち爆ぜる炎。頬が焼かれてほのかに痛い。

 夏に打たせ水は修行にならぬ。ということで、クナたち従巫女は本日、護摩焚きの修練を行った。場所は屋根のない、炎天下の舞台。巫女王(ふのひめみこ)の選出が行われたところだ。

 舞台の真ん中で、聖木が盛大に燃やされている。燃えさかる浄化の炎のすぐ前で、クナたちは正座して合掌し、祝詞を何度も唱えた。

 

 かしこみ。願い、奉る……


 荒行ゆえに体は汗だく。(ひとえ)も袴もべとべとだ。

 涼しい山育ちゆえ、こんなに暑い夏は初めてのこと。腰に巻いた注連縄が汗で湿って、どうにも居心地悪い。なれどクナは一心不乱に祈った。尊敬してやまぬ百(ろう)の方のために。

 本来ならばかの御方は従巫女の修行を監督するべく、この場に居合わせているはずなのだが。残念ながらその姿はない。大祓(おおはらえ)の儀の翌日から、体調を崩して臥せっているのだ。朝議やご祈祷といった公務だけはなんとかこなしてはいるが、食事がなかなか喉を通らず、すぐに横になってしまう状態である。


「しろがね、その暑苦しい縄をとるわけにはまいりませんの? 終わるなりまたばったんきゅうなんて、よしてちょうだいね?」


 すぐ隣にいるリアン姫が囁いてくる。


「だ、大丈夫です。もう倒れません」


 大祓(おおはらえ)の儀で、クナは立派に舞い手を務めあげた。重い縄を腰につけたまま、くるくるくるり。少しも速さを落とさず舞ったので、百(ろう)の方や巫女たちに感嘆された。けれど――

 

「あれはその、なかなかご神託が出なかったので」


 待つ間、何刻もずっと舞うのはさすがにきつかった。儀式が終わるや、ばったり昏倒。すぐに回復したものの、百(ろう)の方の取り乱しようといったらなかった。こんな縄をつけさせられてとか、なにげに大翁様を呪う言葉を聞いたような気がする。

 でも本当に、大したことはなかったのだ。神降ろしを行い、その聖なる息吹満ちる神霊の気をおさえとどめ、ぎりぎりまで解放せず。ぐいと捻じ曲げ、予め定められた「神託」をくだした百(ろう)の方にくらぶれば……。

  

「やせ我慢はなさらぬがよろしくてよ。わたくしは今すぐ冷たいものが食べたいですわ。砕き氷とかね」


 嫌味たらしく言われて、クナはうっと返事につまった。

 御身の苦しさなどそっちのけ、百(ろう)の方は倒れたクナをねぎらって、氷をごちそうしてくださった。甘い汁が実に美味で、なんとおいしいと感動したのだけれど。あの氷はどうやら、巫女王(ふのひめみこ)しか口にしてはいけないものだったらしい。


「たしかに帝都太陽神殿に住まいし者はみな、神の眷属とみなされて、各州の神殿から捧げられるものを食しておりますわ。でも大姫様が口にされる物は、わけても特別なんですのよ」 


 すなわちあの氷や甘い汁は、北方の州神殿の献上物。凍りし聖泉から切り出した氷と、御神木の樹液である上に、竈殿(へきいどの)と呼ばれる特別な厨房で、特殊な聖具を用いて作られたご神撰(しんせん)。この神殿の聖水が混ぜられており、天照らしさまの祭壇に捧げるものと全く同じものなのだそうだ。


「これは神様を御身に宿らせる、聖なる体を作るためですの。現人神(あらひとがみ)の今上陛下、神降ろしを助ける大神官様。そのような方々ならばよろしいけれど、わたくしたちが食べてはならない品格の物なんですのよ。今度すすめられたら、丁重に固辞なさってね?」

「はい。すみません」

 

 神々と同じものを食される。太陽の巫女王(ふのひめみこ)とは、かくも神聖なる御方。はるか高みの雲の上の存在。その方と同じものを食べるなんて、不遜はなはだしいこと。

 リアン姫はしっかり、品格の差を心得ている。

 それに比べ、自分は――

 クナはがくりとうなだれた。


(あたし、いつも百ろう様に助けられてばかり。その思し召しに、どれだけ甘えさせてもらったことか)

 

 慣れぬ激務に連日の暑さ。追い打ちに神降ろし。

 百(ろう)の方のご不調は、それだけではないだろう。

 クナが差し上げた大翁様からの棗。あれを渡したとたん、百臘さまから生気の光が失せた。

 そう思ったのは、気のせいではなかったのだ。

 もしかしてあれはお茶などではなく、揮発性の毒かなにかだったのだろうか。

 

(あたしがもっとちゃんと、中身を確認していれば……)


 毒味をするべきだった。かえすがえすも、クナは後悔しきりだった。自分は巫女王(ふのひめみこ)の従巫女だというのに。主人を守らねばならないというのに。職務を怠るどころか、害してしまったのかもしれない。母のように大事な人を。

 

「な、ちょっと、泣かないでくださる? いじめたわけじゃありませんわよ? わたくしやんわりいいましたでしょ? やんわりっ」

「あ、は、はい」


 クナがしきりに湿るまぶたをこすったので、リアン姫は慌てたようだ。尖った声を急いでやわらげてきた。


「あとで冷やし飴をアオビに持ってこさせてすっきりしましょ。わたくしたちも食べられるものをね」


 巫女王(ふのひめみこ)より品位が劣るとはいえ、従巫女にもかなりの特権がある。部屋は広いし、主人の外出についていけるし。とくに普段の食事は豪勢だ。

 州神殿から捧げられる穀物や野菜はみな品質がよく、大炊き処(おおたきどころ)と呼ばれる厨房で調製される。だが、ひらの神官や巫女は豆飯に一汁のみ。それに比べて役職である従巫女には菜の皿が三つもつく上、午後と夜に菓子が出る。

 餡のはいった餅。蒸した饅頭。砂糖衣の揚げ菓子。水飴などなど、大炊き処(おおたきどころ)で作られるものもあれば、すでにできあがった熟撰(じゅくせん)として献上された品がそのまま出されるときもある。


「冷やし飴? まったくリアン様はいやしいですこと。修行中に、菓子の話なんて」


 リアン姫の向こう隣から、(ヤン)家のミン姫がつんと目くじらを立ててきた。  

 

「はぁ? わたくしは皆が汗だくではあはあ言っているのを見て、心配してるだけですわ。実際にぶっ倒れた人が約一名いるのだし?」

「面倒見のよろしいことね。でも今は、修行に集中なさいませ」

「あら、しろがねもわたくしも、ちゃんと祝詞の詠唱百五十回を終えましてよ?」


 二人の姫の間にばちばち火花が散った気がして、クナはあわてて仲裁に入った。


「あの、おふたりともどうかなかよく――」

「お言葉ですが私は二百回唱えました。たしかに課題は百五十ですが、それは最低の基準かと。三百を目標にしていますので、あと百回唱える間、静かにしていただけますかしら」

「はぁ? 三百? 目標値を上げるのは勝手だけれど、わたくしたちに協力させるなんてあつかましいですわよ?」

「あ、あの、ケンカは――」

――「みなさまお静かになさいませ」


 りんとした声が一瞬、護摩焚きの炎を冷やす。クナはほっとして、その声のした方に顔を向けた。浄化の炎の向こうに座している人に。

 

「アカシさん!」

「大姫様が立ち会われぬゆえの体たらくでありましょうか。いさかいはお慎みを」


 序列一位の従巫女の言葉に、姫たちはたちまち黙った。アカシはその位にふさわしい者らしく、きっぱり皆に告げた。


「私は修行の様子を大姫さまに報告しなければなりませぬ。情けない内容など伝えれば、ご容態が悪化するやもしれませんので。どうかみなさま、落ち着かれませ」

「ごめんなさい……!」

 

 クナは頭を下げ、手を合わせた。修行の間ずっと祈っていたけれど、まだ足りない。

 そう感じて、祝詞をまた唱え始めた。


「あ、あらまだやりますの?」


 ならばとリアン姫も負けじと祝詞を詠唱する。


(ちがうの。ちがうの。これは修行だけど修行じゃないの……)


 かしこみ。かしこみ。願い奉る――


(どうか、大姫様のご快癒を)

 

 クナは願った。どうか天に届くようにと、我が身を炙りながら。


(どうか、その御顔が日輪のごとく輝かんことを。

 天照らしさま、お願いいたします。どうかお願いいたします……)  





 数日たっても数週たっても、百(ろう)の方の容態はかんばしくならなかった。

 朝議もご祈祷にも欠席はなさらない。なれど両脇から従巫女たちが支えないと、立っていることができないほどの衰弱ぶり。食事はいまだほとんど召し上がれず、蜜水を口に含める程度だった。

 

「皆さま。これから毎朝、大姫様の快癒祈願のご祈祷を行うことにいたしたく思います」


 七の月も下旬になろうというころ。序列一位のアカシの提案に、従巫女たちは真摯に従った。


「修練のたびごと、個人的にご回復をお祈り申しあげていたのですが」 

「あらわたくしもそうでしたわ」

「私もです」

「あたしも……」


 みな同じことを思っていた。そんな一致が、従巫女四人の心を近づけた。

 まるでひとつの家の巫女団のように。


「アカシさま、昨日の小社への代理祈祷、お見事でしたわ」

「ええ、良き歌声でしたわね」


 あたかも巫女団長のようなアカシの奮闘ぶりも、その現象を後押しした。

 御三家の姫たちに遠慮して困惑していたころとは違い、今のアカシは凛とふるまっていてなにやら頼もしい。主人から指示された事務仕事を処理したり。他の従巫女を監督したり。代理で祭祀をとり仕切ったり。そのような仕事を卒なくこなす彼女を、姫たちは序列一位にふさわしいと認めたようだ。

 すなわち――


「アカシさま。さあ、ご勝負を」

「いえそれはちょっと」

「これは修練ですわ。ご遠慮なさらず思い切りまいりませ!」 


 毎夕、舞台で修練が終わるころになると姫たちは決まって、アカシと勝負したがった。

 たしかにこの巫女の神霊力はかなりのもの。祝詞を唱えればたちまち、神霊の気配があたりにたちこめて、精霊の類が寄ってくる。

 

「本日は水の精霊を幾体呼べるか競争いたしましょう」

「祝詞を唱える順番を決めますわ」

「昨日も力比べをいたしましたから、本日はご容赦くださいませ。代わりにしろがねさまにやってもらっては」

「はぁ? まだ四臘にもならない巫女と勝負なんてできませんわ」

「ええ、この子はまだ目も全然赤くないですし」

 

 アカシの瞳は、かなり深い真紅であるらしい。

 その色は、体内の神霊玉になみなみならぬ力がたまっているという証だ。


「いえでも。しろがねさまだけ、ご勝負に参加されないのは……」


 アカシのそのひとことで、この日クナはようやくはじめて勝負への参加を許された。


「ではしろがねも参加してよいことにしますから、どうかアカシさま」

「ええ、四人で競い合いましょう」


 幼少のみぎりより神殿育ちの他の三人に比べ、クナの(ろう)は極めて少ない。実のところ従巫女になるなどとんでもない数ゆえ、今まで誘われなかったのは当然といえば当然のことだ。

 やる気満々の姫たちにアカシは苦笑し、リアン姫が奏でる笛の音で歌い上げた結果。みごと庭園の池の水霊たちを五体ほど、舞台へ降ろしてみせた。

 リアン姫はミン姫の伴奏で歌い、アカシと同じく五体。

 ミン姫は修行熱心なだけあり、アカシの伴奏で歌って六体。厨房の井戸の霊も呼び寄せた。

 さやかな冷気がそのたびに、舞台の空気をうるおした。

 精霊召喚などしたことのないクナは、引き込みの舞を舞いなさいとアカシに教えられた。

 祝詞を歌わずとも、精霊を呼べるという。


「四臘だったら、二、三体がせいぜいかしら」


 ミン姫が予想するも。アカシの笛の音で舞い始めたとたん、クナの魂はすこんと抜けた。みるみる天へ舞い上がるクナの周囲に、うずくまる宮処やきらめく山、蛇のような川が現れる。

 水霊を寄せるということは、手を伸ばせばいいのだろうか。

 そう思ってクナは白く輝く川や、紫亜の山の中を流れる滝に手を差し出し、その水を掬った。

 

(ああまだ。シーロン様は眠らされてらっしゃる……)


 滝の中にひときわまばゆい真っ白な光の玉が見えた。

 クナはその玉をそっと撫で、神殿の舞台へ戻った。

 とたん。


「ちょ! 一体どこから持ってきたの!」

「舞ってる途中で倒れたと思ったらいきなりこんなに……」

 

 姫たちがうろたえている。クナは両手で掬ってきたものをあたりに放ったのだが。それは数にするとずいぶんたくさんいるらしい。

 ざあざあしゃわわ。なんと舞台に雨が降りだした。

 

「しろがねさま、これは紫亜(しあ)の御滝ですか?」

「は、はい。あと、宮処の隣の、平野を流れる川も少し」

「少しじゃありませんわよ!」

「すごいですわね……少しも神霊力がなさげなのに、何百と精霊を連れてくるなんて……」 


(すごい? まさかそんな。そんなことない!)


 クナは哀しげにうなだれた。こんなことができたとて、何の役に立つだろう。

 百臘の方のために、万病を治す霊泉のたぐいを持ってきたのならまだしも。

 

(あたし、なにもできない。祈るだけでなにも。癒やしの水。どこかにあるかしら。どこかに。ああ、それを持ってきたかった……!)


 無知で無力であることがこんなに悔しいなんて。 

 大事な人ひとり、救うことができないなんて。

 クナが我が身を呪って唇を噛み、こみあげてきた涙を呑んだとき。

  

「――なんやここ。えらい雨さんさんやなぁ」


 やわらかなはんなり声が舞台に昇ってきた。アカシが驚いてささとその気配に駆け寄る。

  

九十九(つくも)さま!」

九十九(つくも)さま?」

「大姫はんの御見舞に来ましたわ」


 ぼろっと顔を崩したクナも、舞の師のそばに走った。


九十九(つくも)さま! あたし……どうしよう、どうしよう……!」


 我慢しかけた涙がぽろぽろ。その頬を流れ落ちた。


「お、教えてください! 万病に効く泉って、どこですか?!」

「なんやて?」

「薬が要るんです。あたしのせいで、百ろうさまが……し、し、しんじゃうかもしれな……」

「あんさんの? いいやそんなことあらしまへんわ」


 九十九(つくも)の方はふふとやわらに笑った。


「人には、天命いうものがありますのやで」

 

 

 

  

 庭園の木に貼り付く蝉が、ジャージャー叫びたてる。

 床から身を起こした百臘の方は、そっと身にかけていた衣を脇へ寄せた。


「いつもと違う薫物(たきもの)ですのんか」

 

 見舞い人が敏感に、その衣の香りを吟味する。

 蓮の花に似たり。

 そう形容される夏向きの練香なのだが、もっと薬くさいものだ。樟脳(しょうのう)を多めに練り込んだ、手製のものを焚きしめている。

 

「甘みを消したというか。まあなんじゃ、腐りたくないというか」

「けったいな理由やわ。あんさんの娘はんが、えらい心配してましたで。うちにすがってびいびい泣いてはりましたわ」

「おお、しろがねが」


 ぱっと頬こけた顔に笑みがさす。しかし体が重いのだろう、病む人はずずと脇息に身をもたせかけた。


「なんぞ、薬でも持ってきてくれたのか?」


 もちろんやと、見舞い人はすすと漆塗りの箱を献上してきた。


「いろいろ報告したいことがあるのやけど。まずはこれを」


 中を開ければそこには、何かを乾かして作った生薬。秘薬の類だろう。


「炎の鳥の尾羽根や。これであんさんはこれ以上老いず、ほぼ永遠に――」

「龍蝶の甘露以外の不死薬といったら、これが鉄板じゃな。なれど……これは受け取れぬ」


 見舞い人の細い目が釣り上がる。と同時にため息ひとつ。


「ということは。おじ様があんさんにさし上げたんは……」

「お茶であったわ」


 くくくと、病める人は口の端をほころばせた。骨ばった手がすっと枕元に伸びて、実に質素な黒柿細工の(なつめ)を取り上げる。木目を薄塗りの漆で浮き上がらせた、光沢美しい逸品だ。


「ありがたきことに、毎日飲んでおる。ゆえにあと五年はもつであろ」

「そのお茶。霊力ある(きのこ)から作られし特効薬……やろか。すなわちあんさんの病は、寿命を伸ばすだけの尾羽根では全く効かへんもの。徐々に体の時を止める、あのおそろしい……」 

「あいかわらず、察しが良いのう。そなたにも、祖父君と同じ力があるのではないか? あの怖ろしい千里眼の力が」


 病める人の口から、こふりとはかない咳が出た。

 茶を見たとたん、己自身で確かめた。たしかに右手にその病の証拠となる痣が見つかった。ゆえにこの茶で進行を食い止めている……

 そんな言葉が乾いた口から漏れる。


「この不調は茶の副作用。じゃが、飲まぬわけにはいかぬ。でなくば、一年ともたぬからな。本人も気づかぬうちに、病を見つけてくださるとは実に助かったぞ。大翁様はなんでもお見通し。わらわの体内も。その寿命も。すべてを見通す」

「その称号は伝説に伝わる、黒き衣の導師のもの。おじ様は……そんなできのええ予言者ではありまへん」

「いいや、あの御方はご存知なのじゃ。わらわがいつ死ぬるか。じゃから万全に、次代の候補を定めたのであろ」

 

 百臘の方は棗をぐっと握りしめた。

  

「ほんにおそろしい。なれど、ありがたい御方よ」


 病める人の細まった顔がくしゃりと歪む。眼にじわじわ滲んでくる光を、九十九(つくも)の方はただ痛ましい貌で見つめるしかなかった。



「ああ……しろがねが大人になるのを、この目で見たかった」 

 



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