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15話 現れる世界

「ひゃ!」


 浮遊感。

 いきなり襲ってきたそれに、クナはたじろいだ。

 またしてもすこんと魂が抜けたらしい。でもまだ手足の感覚はある。離れたけれどまだどこかつながっている――

 そんな不思議な感覚の中で、クナは糸巻きから出る音に耳を澄ました。無意識にも引き出した糸が震えているのが、まだ感覚のある手に伝わってくる。

 しゃんしゃん、ふるふる。しゃんしゃん、ふるふる。びいんびいん。

 大翁様の鈴の音に応えるように、糸が鳴りだす。神秘的なのに、どこか懐かしい響きで。

 

(ああ、この音は)


 それはすっかり同じだった。その昔、母さんが糸を震わせた夜に聴いたのと。


『指先触れれば あなたとわかる……』 


 ふと。しろがねの夜、母が歌ってくれた歌が記憶の底から蘇ってきた。

 懐かしい声で歌われた、不思議な歌が。


『あなたがそうだと 魂が気づく……』

 

(かあさん。かあさん。そうよね。きっとわかるわよね。あたしぜったい、見つけるわ)


 母に励まされた気がして、クナはきりっと胸を張った。とたんに、おのが魂が勢いよく舞い上がった。ふわりふわりどころではない。ひゅんと音立つような速度がある。

 鈴の音がみるみる遠ざかった。引き出した糸から聞こえてくる、黒髪さまが吹き込んだ言葉も遠くへ溶けていく。


『君を守りたかった。だれからも… 』


 名残惜しげについてくるその声に、クナは耳を澄ました。何度も何度も、枕を涙で濡らして聞いた言葉。何度も何度も繰り返し、糸巻きを耳に当てて聞いた囁きを。

 

『……愛している』

 

 絞り出すような声で終わるその嘆きを。一瞬、体の中に舞い戻って糸を戻して、もう一度聴きたい衝動にかられたが。クナはぐっとこらえた。


(どこですか? 黒髪さま。どこですか?)


 強く念じると、自分の意志が声となり、さあっとあたりに広がっていく感覚がした。ふおんふおんとこだましながら、それは遠くへ伸びて消えてゆく。

 あたりはなにもない。四方八方どこもかしこもきらきらしく、一片の闇もない。


『見事だな。また一気に山の頂きを越えた。雲の上に出たぞ』


 光の人型がそばにいる。大翁様だ。西はあちらだと指し示される前に、クナははるか遠くで点滅しているものに気づいた。燦然と輝く空間の中で、ぽつりとひとつ。それは穴が開いたかのようにまっ暗い。


『あそこになにか、あります』

『どれだ? 私には余計なものが見えすぎる』


 大翁様は魂だけとなっても普通にものが見えるらしい。

 クナは穴のようなものを指し示した。腕を伸ばし、指をさす。そんな動作を思い描いたら、なるほどそこかと大翁様は分かってくださった。

 

『よかった、言葉で言おうにも、どのぐらい離れてるのか分からなくて』

『私の目には、そなたは菫色の人型に視える。それがあちらの方を指差したように見えた』


 光の人型が動く。すうと手を伸ばし、指差す人の形となる。


『そなたが示したのはすめらのはるか外。今はまだそれしか分からぬ。ずいぶん遠い……黒い点だ』

『黒、ですか』 

『うむ。漆黒の闇の一点だ。いくつもの山と平野と河と谷のむこう。地の果てにある。山の頂きより眺めてなお、それはかすかにしか視えぬ』

『山……きゃ?!』


 お山を思い描いたとたん。クナの足元に巨大な盛り土のようなものが現れた。

 ずんと座し、しゃがみこんで両腕でなにかを抱えているような格好の塊だ。表面はきらきらしいが中は闇夜のように暗い。なんという大きさかと息を呑むと、大翁様は面白げに教えてくださった。


『山が視えたか。そなたが今認識したのは、おそらく紫明(しあ)の山の精霊だ』

『ということは、お山の魂なんですか?』

『そうだ。この世界には、万物ありとあらゆるものに魂が宿っている。なんにでもな』


 山のそばに谷が。河が。平野が。そして都が。

 大翁さまは次々、クナの注意を引いて指し示した。そのたびになにもなかったところにずんずんと、それとおぼしききらきらしいものが現れる。まるでさらの碁盤にひとつひとつ、石を置いていくように。

 

『都にも、魂が?』

『我ら小さき生き物のものとはかなり性質が違うが。街と呼ばれるものにも、渦巻くひとつの意識のようなものがあるのだ』

  

 蛇のように横たわり、流れゆく河。風に揺られているのか、波打つ平野。

 そして、四角四面で積み木を積み上げたような都。

 クナは言葉を失い、ただただ視つめた。果てまで広がる空間に、次々現れてくるものを。


『これが、世界――』

  


 

 あまり視えすぎると、求めるものが埋まってしまう。

 大翁様はそう仰って、細かなものは教えてくださらなかった。いちいちそれを説明していたら、日が暮れるであろうという。ゆえに指標となりそうな地形のものだけ、そこにあると示してくださった。

 広大な田畑。鏡のような湖。ざわざわ揺れる森林。示されたところに注意を向けるとたちどころに、それらが浮かんできた。

 地図をすっかり埋めたい気もしたけれど、クナは一番はじめに視えたものに集中した。

 黒い点。

 そこへ、行きたい――

 じっとその点に意識を向けると、ぎゅんと魂が飛んだ。

 空を切るような飛翔感。おそらく、ものすごい速さだ。

 しかし穴はなかなか近づかない。大きく視えてこない。言われたとおり、目標はおそろしく遠いのだろう。

 

『黒髪どのが消息を経ったという赤の砂漠は、最新鋭の飛空船ですら一週間はかかる。何万里という距離だ』

『魔導帝国の中、ですよね。西南のはての国』

『黒髪どのが何をしたがっているのか、大姫どのからちらと聞いたが。正直なところ……』

 

 光る人の像がため息めいたものを吐く。


『それは、逆恨みにしか見えぬ』

『そ、そうなんですか?』

『さて、真相はどうであろうな? そなたはまだ思い出しておらぬようだが、黒髪どのが目の敵にしているらしいレヴテルニ帝は、この大陸を災厄より救った偉大な者。世間一般にはそう認識されている』 

『救った?』  

『あの帝は龍蝶ではないが、見かけは若いまま。半世紀前と同じ姿をしている。強力な魔導の使い手であり、ありとあらゆる知を識る賢者でもある人だ』


 来たる災厄が星を割る。

 半世紀前、そんな予測がたったとき。紅の髪燃ゆるレヴテルニ帝は、絶望的な未来に騒然とする大陸諸国に一石を投じた。


 災厄のもとを砕けば良い。この星をかち割ろうとするものを粉々にして、降り注ぐものにしてしまえば、なんとかしのげるであろう――


 少年の姿をした皇帝は、大陸同盟にてそう強く主張した。

 しかしそうするためには、この星の外へ出る特殊な船と、災厄を砕く者が必要だった。

 この大陸において、その船を持っていた国は、たった数か国。災厄を打ち砕けるほどの大いなる力の持ち主も、数えるほどしかいなかった。

 

『レヴテルニ帝は、口だけの男ではなかった。帝は星船を供出した。その船に乗り、災厄を破壊する力ある者も……だれも名乗り出ぬのなら、自分が乗り込むと宣言した』

『皇帝ご自身が?』


 なれば魔導帝国の皇帝はずいぶんと、良い人のように思える。黒髪様がまるでこの世で最悪の悪魔のように言う印象とは、正反対だ。


『大陸全土に向けそう宣言したものだから、あの皇帝の人気はうなぎ登り。一躍英雄視されるようになった。そうして大陸のために、この人を失ってはならぬという機運が生まれた。皇帝の代わりにぜひ自分がと名乗りをあげたのが君……白の癒し手レクリアルだ』


 名乗りをあげた――かつての自分は自ら望んで、災厄を砕く船に乗った?

 


――『私を置いていくなんて!!』

 


 記憶の底から、哀しげな声が湧き上がる。開かれた蓋から漏れ出る悲痛なものに、クナは思わず身震いした。


『だがまあ、黒髪どのの嘆きも分からぬでもない。龍蝶の魔人だというのに、あの人は主人と一緒に星船に乗り込むことを許されなかったからな』

『主人……』 

『あの二人は互いを伴侶と称していたが。実のところ、魔人は命をくれた龍蝶には逆らえぬ。命じられれば、従うしかない』

『な……』



――『一緒に行くと約束したのに!』 



 だから黒髪様は記憶の中で、こんなに泣き叫んでいるのか。怒りを押し殺しながら。


『かつてのあたしは、黒髪様に命じた? 一緒に死んではだめだと』

『おそらくそうだろう。星船が出港するとき、多くの者が白の癒やし手を別れを惜しんで見送った。私も君と言葉を交わしたが……集いし者たちの中に黒髪どのの姿はなかった。私が聞くと、君は微笑んで答えた。彼は、天の島で眠っていると』


 眠っている? いや。たぶん眠らせたのだろう。無理矢理に。たぶん、主人として命じて。なぜかそんな気が強くする。

 この確信は、きっと記憶の片鱗から来るのだろう。つまり、真実だ。

 ならばかつてのクナに憤りこそすれ。なぜ黒髪様は、レヴテルニ帝を深く恨むのだろう。あの人が君を殺したなどというのだろう?

 たしかにレヴテルニ帝がそのまま意志を通せば。星船に乗っていけば。かつてのクナは死ななかったのだろうが――。


『ふふ、しかし真相は分からぬ』


 光は笑った。


『私が見聞きし、当時推測した限りではそんな話になっているが。そなたが私の話を聞いてうろたえるほど、黒髪どのが復讐心を燃やしているとなると……何かありそうだな』

 

 その真相は、記憶の底にある。蓋が開かれた今、それを引っ張り出すことができるはずだ。

 でも、どうやって? 今は自然に登ってくるものをただ聞いているだけだ。待っていればいずれ、全部思い出すのだろうか?


『災厄が砕かれ地に落ちてすぐに、黒髪どのは目を覚ましたらしい。それからしばらく、癒やし手がひょっとしたら生きてはいまいかと大陸中を放浪したようだが……むろん見つかるはずもない。十年前何を思ったか、あの人はすめらの軍に仕官したいと、私を頼ってきた。魔導帝国は大陸の脅威だと一席ぶって、常にあの国と相対しているすめらに全面的に与すると言ってきたのだ』


 その裏には、何らかの理由で仇と定めた皇帝を討つという目的があったのだろうなと、大翁様はため息混じりに仰った。頑なに成し遂げると誓った悲願を押し隠し、すめらの軍に身を投じたのであろうと。


『つまりすめらの軍は、黒髪どのに利用されたわけだ』

『す、すみませんっ』

『はは、そなたが謝ることではない』


 クナはいっこうに近づかない黒点を視つめた。さっきからぎゅんぎゅん飛んでいるのに、穴はまだ初めて見つけたときのまま。少しも近づいたように視えない。

 

『まさかあれ……逃げてるんじゃ……』

『そのようだ。このままでは我らは、赤の砂漠を通り越すぞ』

『えっ?!』


 何万里という距離に、もう到達した?

 驚いて見下ろしたとたん、足元に広大な輝きが出現した。そこかしこからゆらゆら何かが立ち上るそこに近づくと、びりっと熱気が煽ってくる。

 

『熱い……ここは、炎のようです』

『灼熱の不毛の地ゆえさもあらん。砂も赤い』


 赤。それはかまどの火の色。熱い熱い、焼ける色。


『これが、赤?』

『そうだ。そなたに同じものが見えているか分からぬが。真紅とはこういう色だ』


 なんと苛烈な光だろう。山や森林の輝き方とは如実に違い、この光はまるで燃えているようだ。

 黒髪さまは砂漠で消息を断った。アオビたちが至った地下迷宮は、この赤いところの地下にあると聞いたのだが……めざす黒い点はここにはない。はじめに見たときと同じ、はるか遠くにぽつんと在る。

大翁さまがきゅるきゅる、不思議で難しい音を出す。瞬間、ぱあっと光の粒がはじけ飛び、暗い点に向かって吹っ飛んだ。

 

『探りを入れた。しばし待て』

『黒い点の周りには何がありますか?』

『海だ。逃げるあれは砂漠を縦断し、大陸の南端から黄海へ抜けた。すなわち我らはぐるりとまわって東へ向いている』


 海。

 とたんに広がってきた黄金のさざめきに、クナは目がくらんだ。なんとまばゆい平原なのか。ところどころに渦が視える。

 あれが海? なんと広い――

 光が苛立たしげに、さぐりの光で目標がさらに離れたとぼやいた。すなわち目指すものは、残念ながら……


『蜃気楼だ。だれかが、我らの探索を妨害している』

『しんきろう?』

『追うと逃げる精霊だ。陽動に使用される霊で、西の魔導師がよく使う』


 追っても無駄だと、大翁様はクナを止めた。

 

『どうやら、黒髪どのの魂を削りて蜃気楼に付着させたようだな。アオビたちが探しに行ったことに感づいて、砂漠に置いたのだろう。御霊を自在に操るこの気配……黒き衣の匂いがする』


 黒き衣。

 今のクナには分からない単語だ。しかしそれを聞くなり、クナは全身がざわつくのを感じた。

 たぶんかつての自分は知っているのだろう。それが一体何であるかを。


『あれじゃないなら、黒髪さまはどこに……』

『分からぬが、捕らえられたということは分かった。おそらく厄介な相手にな』

『西の魔導師って……黒き衣って……』

『魔導帝国の皇帝はじめ、あの国には魔導の術を駆使する将が幾人もいる。そのうちの誰かであろうな』

 

 では黒髪さまは、志半ばで仇の陣営に囚われたのか。 

 ああ、一体どこにいるのだろう。なぜ視えないのだろう。


『隠されているのだ。魔導の力で、感知できぬところに閉じ込められているのかもしれぬ』

『そんな!』


 囚人となっているのなら、救い出さなければ。探し出して、助けなければ。

 

『どこ? どこ? どこにいるの?!』


 クナは燃える砂漠に降りた。一瞬だけかいま見たことのある黒い影。あの片鱗がどこかにゆらめいていないかと、必死にあたりを探る。

 穿つように見つめると、ずぶりと炎の中に沈んだ。地下迷宮はどこかと思った結果だ。そのままずぶずぶと、クナは中に潜った。

 地中は重くてかなりの抵抗があったが、クナは歯を食いしばって行きたいと思ったところを押した。

 ぎゅう、ぎゅう。ぎゅう、ぎゅう。

 

『く、黒髪さま……黒髪さま……!』

『闇雲に進むでない。無防備に動けばそなたも捕まる』


 腕を掴まれる感触がする。光る人が止めてきたのだ。

 

『大丈夫ですっ。あたし今、魂ですから、なんか危なくなったら飛んで逃げればいいですよね?』

『吸い込みの術というのがあってだな。昔、見事にそれにひっかかり、水晶玉に閉じ込められた奴がいる。だから――』

『気をつけますから、大丈夫ですっ』

『まったく信用ならぬ言葉だな』

『はいっ? きゃあ!』

 

 突然抵抗がなくなり、空間が開いた。勢い余って転げ落ちた先は、ぽっかり開いた空洞のようだ。ほうこれはと、大翁様が感心したような声をあげる。

 

『無理やり結界を突貫するとは……さすがだな。地下通路が広がっているぞ』


 半ば呆れ返っている言葉に導かれ、みるみるあたりに壁が立ち上ってきた。目の前に、分かれ道のある通路が現れる。暗くしっとりとした半円の筒。壁から醸される湿気は、竹の水筒の中を思わせる。なんとつるりとして、冷たいのだろう――


『これが地下迷宮であろうな。しかし動けぬ』


 たしかに穴は開いたが、思うように前へ進めない。周囲がかちかちに固まっているように感じる。


『まさか、結界ですか?』

『ずいぶん強力だ。ここを探索するのはいくらそなたでも――』


 アオビたちが阻まれたといっていたのはこれか。つまりは何かを隠しているから、こんなに手強いのだ。その何かとはおそらく。おそらく……

 

(黒髪さまだわ。きっとここのどこかにいるんだわ)


『おい! 無理はするな』


 がきがきめきめきと、音立てるような違和感がする。我が身が裂かれるような痛みが走った。

 しかしクナは、構わず動いた。 

  

『指先触れれば あなたとわかる……』 


 ふとまた、母が歌ってくれた歌が脳裏に浮かぶ。


『あなたがそうだと 魂が気づく……』


(そうよかあさん。あたし分かるわ。たとえ視えなくても)


 なぜそれを歌えばよいと思ったのだろう。しかしいつのまにかクナはその歌を呪文のように唱えていた。まるでそれにすがるように。

 そうしてすうっと、「手」を延ばした。

 本物の手ではない。心の中にある想いという手を、思い切り伸ばした。

 

(届いて!)


 ぱりんぱりんと、指先に触れるものが割れていく。大翁様がそばで驚きの吐息を吐いている


『なんという意志の……強さだ』


 自分が強いかどうかなど、分からない。だが自分の想いが「手」の先から流れ出ているのは分かる。

 まさに手探りでクナは進んだ。抵抗するものをほぐしながら、少しずつ。少しずつ。

 

『黒髪さま、どこですか! どうか、どうかお答えください!』


 りん


 いったいどれだけ、押し戻そうとしてくるものをこじ開けただろう。果てない歩みに疲れ果て、さすがにふと動きを止めたとき。ついに――「手」の先に、何かが触れた。

 

 りん。りん。りん……


 この振動は覚えがある。水晶を打ち鳴らしたような美しい音だ。

 

『黒髪さま……!!』


 口から呻き声を漏らしているのだろうか。言葉ではないが、間違いない。間違えようがない。

 どうしても聞きたかった声だ。 

 

『く、黒髪さま! ご無事ですか?! お怪我はありませんか?!』


 クナは指先に触れた声をはっしと掴んだ。まるで糸の先っぽを捉えるように。

 ぐいぐいとさらに強引に進む。入り組んだ通路にたちこめる結界をかき分けながら、弱々しいその振動音を無我夢中でたどる。

 離してしまわないようにと、クナは掴んだ声の糸を腕に巻き付けていった。急いでたぐりながら、ぎりりと我が魂を押し込んでいく。


『無理だ、抵抗がはんぱないぞ』

 

 横にいることができず、今や大翁様はクナの後ろにいる。切り開いた道をかろうじてついてきているといった風体だ。

 しかしクナは諦めずに前進した。ひどく硬い何かにぶち当たったが、渾身の力をこめてがしりがしり。叩いて。蹴って。体当たりした。

 何度も。

 何度も。

 何度も。

 何度も――


『そこにいるんでしょう? そこに。そこに!』


 りん


 返事があった。それはクナの呼び声に、たしかに反応した音だった。

 クナはいまいちど、思い切り見えない壁に体当たりした。めきりと、手応えがする。

 もう少しで割れる……!

 そう感じた刹那。しかしクナは、ぐいと大翁様に引っ張られた。

 

『危ない!』


 腕を掴まれ一気に下げられると。

 

 ぐおう


 何かが吠えながら眼前に迫り来た。

 

『気づかれた! 退くぞ!』


 光の人がクナを引っ張り、どんどん後退する。

 おそろしい速さで追ってくるものは、咆哮をあげた。

 肝が縮むような、びりりとしびれる怒号。と同時に視界が眩む。


(おひさま?!)


 クナの目はまばゆい光に潰された。追っ手は燦然と輝き、首にきらめく炎をまとっている。

 

『まさか黄金の……獅子?!』

 

 たしかにそれは大翁さまが叫んだ通り、異国の獣のようで。

 

――『()ね!!』

 

 咆哮と共に人語を喋った。きらきらと、無数の光の粒を振りまきながら。

 

『消されたくなくば今すぐ消えよ! ネズミども!』


 獣の口から何かが吐き出される。じりりと、クナの手が焼かれた。

 すさまじい熱さに悲鳴をあげるその身を、大翁様がぐいと引っ張り上げる。

 

『レヴテルニ帝の守護者がなぜここに……!』

『黒髪さま! く、黒髪さま!!』


 手が痛い。ひどく焼かれてしまった。でも諦めたくなくて、クナは腕を伸ばした。

 大翁様に抱えられながら身が、地下を突き抜け、ぐんぐん砂漠から遠ざかる。

 砂漠の地表に追ってきた光がどっとあふれて、大きな獣の姿を取った。


『助けないと! 黒髪さまを!』

『できればそうしたいが、まずはいったん我らの安全を確保してからだ』  

 

 黒髪さまはあの獣に抑えつけられているのか。皇帝を殺さぬようにと、地下深くであの獣にみはられているのだろうか。

 痛む手の先で、クナはみるまに小さな点となってゆく赤の砂漠をみつめた。

 いまや獣は天に届かんばかりの巨躯となり。光の柱のように美しく立ち昇り。地の果てまで轟く凄まじい咆哮をあげていた。 

 いつまでも。

 いつまでも。

 

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