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14話 鈴の音

 暑気をなだめる風が心地よい。さくさく草を踏みしだく先に、朱塗りの鉄車が見える。

 車体に輝くは黄金の太陽紋。一台だけの御成(おな)りに見えるが、はるか遠く街道へ通じる林道に護衛車が五台並んでいる。滝壺の周りに入ることをはばかっているのだ。

 清き滝の一帯には、注連縄の結界がはりめぐらされている。ここは帝室の方々や帝都神殿の役職にあるお家の方々など、品格よろしい高貴なる者しか入場を許されぬ聖地なのである。


「だ、大丈夫であったか?」


 アヤメを従えた九十九(つくも)の方は、鉄車に入るなり朱の衣をまとった巫女に迫られた。


「なんぞ突つかれたりなにか投げられたり――」

「されてまへん。見た限りでは」

 

 鉄車の壁は分厚いが、滝の音はざあざあどうどう。ずいぶんはっきり聴こえるので、声が半ば消え入る。

 

「ふ、二人きりとなったら何をされるか」

「まあ、物理的には大丈夫ちゃいますか?」


 何だその答えはと、朱の衣の人――百(ろう)の方がくわりと片眉を上げる。いらいらそわそわその場を右往左往、その様子は苦笑ものだが、本人は真剣そのもの。しろがねの娘を痛く心配しているようだ。


「おじ様は識破(シーポゥ)さまの御名の通り、千里眼の持ち主。さっそく透視しはってたようですわ」


 まさか衣の下を?! と両頬を両手で覆って青ざめる朱の衣の人に、九十九の方は落ち着かはってくださいとため息をかけた。

 龍蝶の甘露は所有欲を喚起するといわれている。偏愛、執着と呼ばれる類の愛を抱かせるというが、百(ろう)の方のこの愛情はそれとは如実に色合いが異なる。やはり失った子の存在と重ね合わせているのだろう。

 

(母性だだ漏れやわ)


「して九十九(つくも)、そなたはまだ霊光殿より戻れぬのか?」 

「当分、おじ様のもとにいる方がええと思いますわ。お任せいただきました黒髪さまの巫女団長としての務め、御領地や財産の管理もろもろ、本来ならば黒髪さまご所有の館でこなすべきやとは思いますが。なにせ霊光殿には、すめらのあらゆることどもが集められてはるので」

「情報を得るに、この上ないか」 

「それどころか。あすこは、得た情報を操るところでもありますから」 

 

 御祖父君がずいぶん可愛がってくれているせいでもあろうと、朱の衣の人の真紅の瞳が嫉妬のような色を帯びる。

 

「その言葉遣い、少しも直されぬようじゃし」

「これは生来しみついたもん、直しようがありまへんわ」

 

 三色の神官族のうち、星の神官族はすめらの西州一帯を始祖の地としている。

 青銀の髪の血統を守る一族の言葉遣いは、その血統の純なるを誇るかのように独特だ。その喋りようで星の者と一瞬で分かる。

 宮処(みやこ)言葉を話す太陽の神官族においては、星色の西言葉は嫌悪の最たるものとなりえるはず。しかし星色の青銀髪を継いでいるゆえか、大翁様は少しも嫌な顔をなさらない。それは血の繋がった親族への愛情であり、他者へは注がれることはない寛容に違いないと、九十九(つくも)の方は感じている。実にありがたいことだと。

 しかし親族としてただそばに居るというだけでは、大翁様の多大なるご恩に到底、値するものではない。

 

(おそらく近々、代償を要求されますわ……)


 大翁様の身元に日々運ばれる密書の山と、その処理の仕方を見るにつけ、そんな見通しが頭をよぎる。きっとにこやかに相当な無茶ぶりをしてくるのであろうと、想像をめぐらせるこのごろだ。

 性格的に、課されるものが何なのかむしろ期待してしまっているのだが。背筋がぞくぞくとして、武者ぶるいのような感覚を覚えるのだが。そんな我が身はともかく、護るべきものへの心配は尽きない。

  

「大姫はん。たとえ黒髪様がご帰還を果たされはっても……」

「うむ。しろがねは中枢に認知されておる。黒髪さまが公にしろがねの娘を娶ることは不可能じゃ」


 すめらにおいて龍蝶の所有者になれるのは、帝と大神官、巫女王のみである。

 しろがねの娘を黒髪さまのもとに置く方法はただひとつ。


「所有者はわらわのまま、貸与という名分にて、しろがねを黒髪様にお返し申し上げるしかなかろう」

「せやけど、しろがねはんが寿命をまっとうするまで、大姫はんがつつがなく今の地位に在ることは……」

 

 九十九(つくも)の方は言葉尻を消したが、朱の衣の人は察してこくりとうなずいた。眉間に皺を寄せながら、どうあがいても無理じゃなと。

 龍蝶の寿命は混血でも数百年。純血に近ければ、すなわち髪色が薄ければ薄いほど、その寿命は延びる。とすれば真っ白な髪のしろがねの娘は、一体何世紀生きるのか。

 帝のもとで促進剤を使われたのだろう、娘はだいぶ背が伸び、出るべきところがしっかり出ていた。しかして龍蝶が繭ごもりする年齢は混血で三十、純血で六十といわれる。羽化にいたるだけでもおそらくまだ、数十年はあるだろう。

 九十九(つくも)の方は鉄車の後ろに控えるアカシや姫たちにちらとまなざしを投げた。滝の音はよい消音になっているが、これから言うことは絶対に聞かれたくはない。とくに、御三家の姫たちには。

 さすがの相手はその一瞬の視線をすぐ読み取った。従巫女たちにここにいやれと命じ、すすっと鉄車の外へと出てゆく。アヤメに漏洩防止の見張りをせよと目配せをして、九十九(つくも)の方も後に続いた。

 ざあざあどうどう、屋外に出たゆえ、滝の音がさらに大きくなる。

 ふわと風になびく髪――染められたばかりのくろぐろとした髪が舞う背に、狐目の夫人は囁きを飛ばした。


「大姫はん。次代は、(ヤン)の姫が巫女王(ふのひめみこ)にならはります」

「断定するとは……大翁様がそう思し召されたか。ではわらわがみまかれば、しろがねはあの姫のものになるのじゃな」


 太陽の巫女王が所有する龍蝶は、太陽神殿の財産とみなされる。黄金の玉冠と同じ、「人」ではなく「物」として扱われるのだ。手出しするなと遺言を残そうと、(ヤン)の姫がそれを反故(ほご)にしないとは限らない。

 羽化が済んだとしても、手放しで安心することはできぬ。甘露を出す体は不老の薬効がある――そう信じられているため、秘薬の材にされるおそれがある。

 

「大姫はん。あんさんの庇護は、永きを生きるしろがねはんにとってはいっときのこと。あんさん亡きあとのことは、どないしはるおつもりですか? 決まり通りに、次代にお引き渡しにならはりますか? (ヤン)の姫を信じ、託すことができはりますか?」

「それは……」


 くるりと振り向いた百臘の方の顔には迷いがあった。

 さもあらん、ようやく今の状態を手に入れたところだ。職務に慣れようと心労を重ねている上に、しろがねの娘は息を吹き返したばかり。未来のことを考える余裕などなかった。

 しかしできるだけ早く今後のことを決めるに越したことはない。龍の巫女王を差し置き、虎視眈々と次代を狙う姫たちがいるこの様相においては。


(ヤン)の姫は性質の悪い娘ではない。非常に真面目じゃ。なれど生粋の神官族ゆえ、気位は高い。物であると教えられたものを、人と思い直すのは難しかろう」


 しばし言葉を切って沈黙したのち。百臘の方は目を閉じ、切なる声で思いを述べた。


「可能ならばわらわは……わらわは、しろがねの行く末をいつまでも見たいと思うておる」


 九十九(つくも)の方は細い面を石のように硬くした。

 やはりと思う。この方の中にはまこと、親心が育まれているのだと。

 

「その望み、不可能やあらしまへん。叶えるには二つばかり方法があります。ひとつは……しろがねはんを早う繭にすることです」

「なんじゃと?」

「促進の薬は代謝を異常に高め、年をとらせます。すなわち、寿命が大幅に縮まる……おそらく大量に服用させれば、人と同じぐらいに縮まるものやと思います。そうすれば大姫はんは、あん子を次代に渡さずに済むやもしれまへん」

「な……わ、わらわの寿命に合わせて、しろがねの命を削れと?! そんなこと!」


 できるはずなかろう。

 ぎらっと、朱の衣まとう方の真紅の瞳が燃えた。


「けったいなことを申し上げましたこと、お許しください。せやけどこのすめらでしろがねはんを護るには、大姫はんとあん子の寿命をどうにかして合わせなあきまへん」


 さわさわ風に揺れる草場の中。百臘の方の貌が悔しげに歪んだ。ぐっと、白い手が固く固く握られる。

 

「それはわかるが……」


 龍蝶は庇護という名のもと飼われて殺される、哀れなるもの。いっときの囲いでは、まことの意味で幸せにすることはできぬ。このすめらでは――


「命を削ることができへんのなら、命を延ばすしかありまへん。それが二つ目の方法です。まこと、あん子の親となりたいとお望みにならはるのなら」


 片膝をつき、頭を垂れ。親という言葉に狐目の夫人は力をこめた。それが殺し文句となることを重々確信して。


「どうかそのお命をお延ばしにならはるよう、思し召しくださいませ」 


 この「親子」を幸せに。それが願いだ。同じ家族としての、心からの。

 いや、もうひとつ。ひそかな望みはあるけれど……。


(おじ様に言われた。うちの寿命は普通の者より長かろうと……せやけどうちは)


 九十九(つくも)の方は念じた。おじ様に甘やかされたせいだろう、ずいぶんわがままになったものだと思いながら。


(うちは、あんさんに置いて行かれたくありまへんわ)




 

 滝のしぶきが頬をしっとり湿らせる。こまかな飛沫は実に冷たい。

 頬が凍りつくような気がして、クナは袖で顔を拭った。

 撫平人(フーピンレン)

 そう呼ばれたとき、一瞬まわりのすべての音が消え失せたように感じた。もしかしたら、時間が一拍だけ止まったのかもしれない。


(痛い……)


 また刺されている。いったいどんな顔で見つめているのか、まったく遠慮のない視線だ。

「再会」を喜ばれるなんて。すなわち大翁様は、〈あの子〉と知り合いだったということか。

 では、黒髪さまが自分のことをその生まれ変わりと断じたことは、思い込みではなく真実であるのだ。自分がちらとみた不思議な夢は、かつての記憶で間違いないのだ……。

 そう悟ったクナは、ごくりと息を呑んだ。透視というのはものすごいものだと、畏れが心中に満ちる。人の前世まで分かるとは、なんと空恐ろしい力だろう。

 

「ぽかんと口を開けているが。そなたにとっても、すぐに造作のないこととなろう」

 

 くすくす、笑い混じりの声が滝の湿り気と共に降りかかる。


「私の目はその人の魂を映す。それはひとつひとつ、色合いも輝きも違うのだ。個性があるゆえ、たとえ生まれ変わってもだれなのかひと目で分かる」

 

 美しい菫色の輝き。大翁様はそうつぶやいた。それがクナの魂の色らしい。


「す、すごいです」

「そんなに感心されてもな。昔はただ気配を感じるだけのものであったが、ここまでの視力を得られたのは、そなたのおかげだ」

「えっ?」

撫平人(フーピンレン)回来人(フイライレン)には、ずいぶん世話になった」

 

 フーピンレンは癒す人。フイライレンは蘇った人という意味の古語。

 すなわちその名の意味通りのことを、前世のクナと黒髪さまは行ったという。


「北五洲への遠征の折、私は二人に出会った。フーピンレンは私が注視するところで、死人を蘇らせた。自身の夫だという、黒い髪の男をな。当時それは、神々しい奇跡のようにみえた。ゆえに畏怖を込めて、私は二人をそう呼んだのだ」

「奇跡のように……みえた?」

「実のところそれは、私に畏れを抱かせ敵意を削ぐための芝居であったのだ。今思えば実にいまいましい小細工であるのだが、あれは、黒髪が考えついたものらしい」


 ぐっと、掴まれた手首が締められる。血の巡りが止まるほどきつく。びりっと相手の視線の刃がクナの頬を撫でた。怒りとはちがうようだが、まるきり好意というわけでもない。そんな感情がぴりぴり伝わってくる。


「だが後に、本当に黒髪は死し、フーピンレンはあれを魔人として蘇らせた。そうなる間に私はあの二人にずいぶん……まあ、薬師のいない軍だったのでな。癒やし手として力を貸してくれたことには感謝している」

「薬師として、お手伝いさせていただいたんですか?」

「幽体の技もとっくりご教授いただいた」

「な……」

「そんなに唖然とせずともよかろう。まあ今回は、その恩を返すということになるか」 


 苦笑しているのか、昔を語る人が低い笑い声をあげる。

 クナはただとまどうばかりだった。

 黒髪さまは薬草にお詳しいが〈あの子〉もそうであったとは。それどころか、ずいぶんすごい術者であったような言われようだ。

 女神として崇められている人だから、そのような力を有していたのは驚くべきことではないのかもしれない。だがそのすごい人が自分であったというのは、やはりどうにも信じられないことだ。そのような偉大な知識など、なにひとつ覚えていないのだから。


「不安がることはない。一度練度を高めた魂は、分裂せぬかぎり劣化することはないからな。たとえ忘れ去っても、すぐに……」


 しゃん。

 鈴の音が聴こえた。

 とたん、滝の音が一気に遠のいた。

 ひりひりとあたりにあの、不思議な空気が降りてくる。見えないものが視えるようになる、

神霊の気が。 


 しゃん。しゃん。しゃん。しゃん。

 

 鳴らされる鈴の音をまといて、まなざし鋭い人の姿がおぼろげに浮かび上がる。

 怜悧な光の彫像だ。煌々として端々が刃のように鋭い。

 

「私がちゃんと視えるようだな」


 はいとクナはうなずいた。


「少しばかり巫女の修行をしたと聞いたが、おそらく訓練せずとも視えていたはず」

「はい……この不思議な気配が降りると、視えます」

「普通の者ではそのような感覚にはならぬ。魂を鍛えていなければ視えぬのだ」

「え……? 気配があるだけでは、視えない?」

 

 しゃん。しゃん。しゃん。しゃん。


 鈴の音だけが聴こえる。滝の音も風の音もどこかへ消えた。

 目の前の光の彫像から手のようなものが伸びてくる。それが肩に触れたとたん。

 ふわと、クナは宙に浮いた。

 

(ひゃ……!)


『はは、引っ張り上げればすんなり抜けると思ったが、あっけなく成功したな』

 

 光の像がクナをぐんぐん上へ引き上げる。実の体が本当に浮き上がったわけではない。実体のない「自分」がふわわと、体を置いていったようだ。ということはクナを引っ張るこの光の像も同じく、大翁様の実体ではなく魂なのだろう。

 

『生前のそなたは魔法の気配がなくとも、自在に体から抜け出せた。私が神霊の気を降ろした中でようやくできることを、いとも簡単に息をするようにしていたものだ。おそらくそなたも慣れてしまえば、自由に体を出入りできるようになるだろう』


 こんなに抵抗なく抜け出られるのだからと、光の像が笑う。

 

『それほど強いのであろうな。飛びたいという念が』

 

 きゅんと、上昇する速さが増した。浮遊感が飛翔感に変わる。

 しかしどのぐらいの高さまで昇ったのかわからない。

 大翁様の魂は視えるが、他は四方八方まっしろだ。


『ど、どうすれば……』

『望めばよい。翼持つ魂ならば、それだけで行きたいところへ飛べる。その場所や会いたい人を思い浮かべるのだ。ためしにどこか近場でやってみるとよい』


 近い処で会いたい人。

 巫女団の面々を思い浮かべたとたん、はるか下方に光の粒が点々と見えた。

 いくつか固まっているそれは、それぞれに光り方が違う。

 なんとも異様だ。明るい暗いだけではない、言葉にできぬ様相がある。激しかったり静かだったり、熱そうだったり、冷たそうだったり……

 中のひとつは今にも燃え上がりそうだ。もしかしてあれは……


『百ろうさまの、魂?』


 しかし遠い。自分はかなりの高さにいる。もしかして雲の上にいるかもしれない。

 望めばそこへいけるというのなら――

 クナは念じた。


(シガも……視える?)


 月の神殿に引き取られた妹。無事でいるのかどうか、知りたい。

 瞬間、きゅんと飛翔感に囚われた。クナは自分が山河を越えているのを感じた。ひゅおうびゅおう、山おろしが聞こえた気がしたからだ。

 

(シガ……シガはどこ? 都の月神殿?)


 まっしろい中にきらりと何かが光る。あれだろうか。きっとそうだ。まだ、生きているのだ。無事で居るのだ……

 みるみる近づくと、その光は小さく三角に尖っていて、きりきりときしんだ音をたてていた。

 

(シガ、なの?) 


『よく眠っておるな』

『はい。治療薬が効いておるようで』


 うっすらかすかに、人の声が漂ってくる。

 

『トウイ様、本当にこの龍蝶を潰さぬのですか?』

『陛下が、これをまた所望なさっておられるからな。別の龍蝶をさしあげると申し上げたのだが、これでなければならぬと仰せなのだ』

『なんと……』

『今回はなんとか持ち直されたが……陛下はまた、お命を狙われるであろうな。おそらく黒幕は帝位を欲する異母弟の方々。もしや実の弟君も加担されているかもしらん』


 シガの周りで話されているのだろうか。三角の魂がきりりりと悲鳴のような音をあげる。

 怖ろしい話におののくように。


『陛下にみまかられるのは困る。コハク姫が御子を生むまで。いやもっと、()ってもらわねば』

『姫のご懐妊、まことにおめでとうございまする』

『あれが帝の(たね)を得られたは、この龍蝶の手柄じゃ。動けるようになり次第、陛下の望み通り、身元にお返ししようぞ。また手引きをさせ、姫にたくさん御子を産ませるのだ』 

『ですが……』

『心配はいらぬ、リンシン』

 

 きりりり。きりりり。シガの魂が哀しげに泣いた。


『何も漏らさぬよう、これの喉はすでに潰してある』

  

 

 

 

 ハッと気づくと、クナは震えながらしゃがんでいた。

 湿った目をしきりに拭うそばで、まだしゃんしゃんと鈴が鳴っている。

 クナを空へいざなった光の像はしかし消えていた。神霊の気配が失せているからだろうか。


「なるほどな」


 光の像からくつくつと押し殺した笑いが漏れている。


「コハク姫がみごもったか。まだ公にはされておらぬが、これでトウイはますます今上にいれあげることになろう」

「大翁さまも、聞いたのですか?」

「そなたに連れて行ってもらった。月神殿は結界固くなかなか見えぬのだが、そなたはいとも簡単に突き破ったな」


 やはり想いが強いのだ――そんなつぶやきと共に、しゃりんと勢い良く鈴の音が締められた。

 たちまち光の像が消え失せる。湿る目を拭ったクナの肩に相手の手が降りてきた。

 

「ありがとう、しろがねの娘よ。くくく、よきものを見せてもらった」

「あの、あれはあたしの……」

「月のトウイは全力で帝を守るだろう。そのそばにおれば、あの龍蝶も安全ではないか? 今上は相当、執心のようだからな」 

 

 安全――そうだとよいのだが。帝の思いが甘露によるものでなく、本物だとよいのだが……。

 コハク姫も心配だ。帝のお渡りはあまり歓迎してなかったし、子を産むのも嫌がっていたというのに。

 

「ひゃ?!」


 いきなりふわと浮遊感に襲われ、クナはよろけた。体の重みが一瞬なくなった。


(なにこれ!?)


 慌ててぎゅっと膝をかかえて縮こまるも、両肩から頭が抜けていく感覚がする。


「はは。引っ張りあげるついでに、魂の蓋をちょっと開けてやった。それでそなたの魂は飛び方を思い出したのだ」

「ふ、ふわふわします。しすぎます!」

「そう、フーピンレンはむしろ、飛ばないようにするのに苦労していたものだ。気づけばふわふわ飛び出していた」

「そ、そんな」


 御所へと魂が飛びかけたらしい。だれかをふと思っただけでこんなにふらつくとは、なんということか。でもこれで、望むところへ飛んでいけるのだろうか。黒髪さまのもとへ。


「さっそく黒髪どのを探しに行ってみるか? 今なら私も一緒についていってやれるぞ」


 大翁様が聞いてくる。その声は実に朗らかで頼もしそうで。クナは思わずうなずいた。


「は、はい。お願い、します」

「む、それは……」

「糸巻きです」


 懐にそっと手を入れて、クナは胸に忍ばせてきた糸巻きを取り出した。お守りにと肌身離さず持ち歩くことにしたのだ。導きの指標、思いを喚起するためにと抱きしめると。

 

『いやだ、行かないでくれ!』


 あの人の声がどこからともなく聞こえた。水晶を打ち鳴らしたような、黒髪さまの声が。


(え? 何?!)


『ひとりで行こうとする私を君が止めた。一緒に行こうと私に怒りながら命じたんだぞ! なのになぜ嘘を吐く!?』


 糸にはこのような言葉は入れられてなかったはず。

 耳を澄ませば、その声は体の内から聴こえてきた。クナの頭の中からはっきりと。


『我が主よ。どうか赦してくれ……! 私を置いていくな!!』 


 これは……記憶だろうか。魂の蓋を開けられたから、漏れてきたのだろうか。しかしこれは一体いつどこで、起こったことなのだろう。声しか、聴こえない……


「どうした? 始めるぞ」

「は、はい」


 大翁様が再び鈴を鳴らし始める。しゃん、しゃん、しゃん、しゃん、規則正しく揺るぎなく。

 クナはぶるっと頭を振って気を固め、糸巻きを抱きしめて念じた。どっとあふれてきそうな何かを、押さえ込みながら。

 

 黒髪さま。

 黒髪さま。

 黒髪さま。

 どこですか。

 どこにいるのですか。


 会いたい、です――

 

 


   


 


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