6話 太陽の凱歌
竜の父たるミカヅチノタケリは、湖に浮かぶ舞台に顕現していた。
春風がくれないの光に焼かれるたそがれどき。蒼い鬼火の群れと墓守たちをよびつけて、龍は巫女王選出の儀のさらなる延期を宣じたのである。実に不本意だと、ぶつぶつぼやきながら。
「我は黒髪の巫女団に属する娘の中から、巫女王を選ぶ。しかし巫女たちは頑なに、自分たちが未亡人になったことを信じようとせぬ。実に哀れなことよ」
龍は意中の娘がいることを公けにしたが、その娘が龍蝶であることは伏せた。
黒髪のトリは生きている――そんな卦が出たと巫女団長が主張したため、娘はまったくなびいてこない。
この大陸のどこにも、あの魔人の匂いがしなくなったというのに。
どこかに封印されたのは確実だというのに。
ひしひし肌に感じるこの感覚は、真実のもの。
精神同調の技を使い、同じ感覚を感じさせれば、娘は「事実」を信じざるをえないだろう。しかしその術を行使するには、身も心も龍に捧げてもらう必要がある。鉄壁の加護で守られている娘の体を奪うことはできず。娘の心はもとより近しくないので、術を使うのは不可能だ。
「ゆえに、別の方法で説得を試みる。鬼火たちよ、黒髪の将軍の遺品を探し出してくるのだ」
不機嫌極まりない龍の父は、めらめら震えるアオビたちに命じた。
「わ、私たちが、ご主人様の遺品をですか?」
「そうだ。はるか地の果て、赤の砂漠でひと戦したのち、黒髪は消息を断ったと聞く。その地に何か戦の残骸が残っているだろう。砂漠に打ち捨てられているものを、ひそかに探し出してくるのだ」
龍が全力で飛べば、現地まで数日もかからない。しかし彼が自ら遺品を探しに行くことはかなわなかった。帝への忠誠を強制する宝玉が、すめらの外へ出てはならぬと命じるからである。
自由に飛べぬ。どこにも行けぬ。
そんな不自由にはもう耐えられぬ――!
「鬼火たちよ、疾く出立し、赤の砂漠へ至れ。そして必ずや遺品を持ち帰るのだ。おまえたちの大事な女主人どもが、我の光に焼かれたくなくばな!」
神たる龍は鬼火たちを脅し、舞台からすっかり吹き飛ばすと。今度は舞台に残った墓守たちに命じた。
「もし鬼火たちが砂漠で何も見つけてこれなければ、おまえたちが作れ」
白綿蟲の糸で織られた星黒衣。黒金剛を加工した鎧。黒髪の将軍がまとっていた装備はどれも、普通の職人や鍛冶師には作れないもの。今の世では決して手に入らない。
「ゆえに同じものを示せば、巫女たちはあの魔人のものだと信じるであろう」
龍の体の半分は、固い鋼でできている。その体を診るがため、灰色衣の墓守たちは、いにしえより伝わる鍛冶の技を会得している。金属を自在に扱うだけでなく、生きた物すら生み出せるような技だ。素材さえあればなんとかなりますと、墓守たちは竜の剣幕に震えながら平伏した。
「では万事準備しておけ。臆することはない。これは捏造ではないぞ。黒髪のトリの死はまこと真実。単に事実を象徴するものを作るにすぎぬのだ」
死人の卦など真っ赤な嘘。「遺品」は、巫女たちの思い込みを砕いてくれるはず。
望みの品を待つ間、彼女らにもっともっと贈り物を贈って心をほぐすのだ。
黒い影をまとう恐ろしい魔人よりも、龍の方がはるかに良い夫だと知らしめるために。
そうした上で「遺品」を見せてやるのだ。甘い涙をこぼして絶望する娘を、優しく慰めてやれば。龍はきっと娘の心を手に入れられるだろう――
「我は神。暴君ではない。下等な物の怪などではないッ……」
黒く髪染めた百臘の巫女が放った言葉を、龍は痛く気にしていた。無視して、精神を侵す呪法をしろがねの娘にかけていれば、彼の運命は変わったかもしれない。
娘の甘露が宝珠の力を凌駕し、忠誠の呪縛が解かれ、すめらの外へ飛んでいけたかもしれない。
しかし曲がりなりにも神を名乗る龍にはできなかった。だれよりも強い自負と自尊心を持つがゆえ。まことの愛がどんなものか、おぼろげなりとも知って欲しているゆえ。操りの呪法はどうしても使いたくなかったのだ。
墓守たちが辞し、舞台がすっかり空になると。龍はうっとりつぶやいた。
「龍蝶。紫の四の星より来たりし白きものよ。我は汝らが今一度、大陸を統べることを望む。いとしきアリステル……我がいにしえの主人よ。我はそなたを継ぐ者を見つけた。我ら龍は、龍蝶と共に栄えるのだ……!」
そのときだった。霧たちこめる湖の彼方から、輝く塊が次々と現れたのは。
――「狂ったか父上!」「今の言葉、聞き捨てならぬ!」
まるでずっと息を潜め、待ち伏せていたかのように。決定的な言葉が出るまで待っていたかのように。満を持した様子で、それらは舞台に躍り出た。
上空が割れる。まばゆい雷光が交錯する。日が傾き暮れなずんでいた空は、いっそう黄昏の色を濃くした。うすくたなびく雲へと立ち昇るのは稲光り。湖に青白く立つのは無数の水柱。春を吹き消すような吹雪が、こうこうと舞台に舞った。
「息子どもか!」
疾風の勢いでうねり、まとわりついてくるものたちに、神たる龍はひと声吠えた。
巨龍の半分ほどもないものたちは、しかし鬼火のように吹き飛ばされたりはしなかった。
すさまじい威風にしっかと耐え、果敢に雷槌や氷、毒を混ぜた息吹を吹いてくる。
「我が父よ、目を覚ませ!」
「なぜに母上をあのような目に!」
「龍蝶の甘露で狂ったというのは、本当だったのだな!」
彼らは口々に吠えていた。怒り猛って何度も息吹を巨龍に吹きかけ、金の鱗を爪で裂く。
龍の父は激しく身を捩り、空へ舞い上がった。絡んでくるものたちを次々長い尾ではたきおとし、舞台に叩きつける。しかし相手はへこたれない。すぐ浮き上がり、目にも留まらぬ速さで旋回し、攻撃と離脱を繰り返す。接触するたび周囲はばちばち。黄金色の火花が派手に散った。
「花龍に入れ知恵されたか! 馬鹿者どもが!」
――「これは正当な怒りです!」「よくも母上をひどい目に!」
襲ってきたのは、花龍が人間に与えた仔たちだった。おそらく杉の木に串刺しにされた母親に喚ばれ、復讐せよと吹き込まれたのだろう。
雷同将軍の雷龍。
氷昌将軍の氷龍。
汪澪将軍 の水龍。
霊明将軍の紫龍。
そして金烏 将軍の光龍。
一騎当千の力を持つ五体、柱国将軍に飼われる龍がすべて揃っていたどころか。その背にはいまいましくも、主人と仰ぐ者たちを乗せていた。
将軍たちが手に持つは、光ほとばしる神槍。金剛石すら砕く、いにしえの武器。柱国の筆頭、金烏将軍が勇敢にもその槍をかかげ、龍の父の鼻先に肉迫した。
「ミカヅチノタケリ! 神妙にせよ! 龍蝶の世を望むは、すめらの帝に対する反逆ぞ!」
「黙れ! 人間風情が!」
屍龍の衣であった蟲たちならば、神槍に怯んだだろう。だがミカヅチノタケリ自身は、体内に光の精霊を宿している。ゆえに霊光の刃などおそるるにたらぬ。息子たちの攻撃にも耐えられる。
父はそう思ったが。筆頭将軍を乗せる光龍の息吹は、強烈だった。
「ぬ?! 結界が?!」
まばゆい閃光波。その一撃はやすやすと結界を貫き、龍の父の翼に大穴を開けた。
「父上。おとなしく大鍵の制御を受けて下さい! 龍蝶に惑わされてはなりません!」
黄金色の光龍は父と瓜二つ。原始の龍の血を色濃く引き、父と同じく光の精霊を呑み込んでいる。体は親に比べて四分の一ほどしかないが、完全に生身だ。それゆえ金属を嫌う光の上位精霊もすべからく、その身に宿っている。それは父がまとう精霊よりもはるかに強いものだった。
「おのれ我が息子よ! 我の意に反するな!」
「申し訳ございません! 龍蝶に与するとの御言葉、はっきりと聞いたからには、我々は父上を止めねばなりませぬ!」
「ぐ……!」
光龍は大きく翼を広げ、父に向かって輝く精霊玉を無数に投げつけた。
たちまちそれは光の矢となり、巨大な黄金龍の体を容赦なく貫通した。
哀れ巨龍は蜂の巣のごとし。穴だらけとなり、みるみる舞台へ落ちていく。すかさず、黄金の鞍にまたがる金烏将軍が手綱をぐいとひっぱり、おのが龍に命じた。
「光龍よ、楔を打ち込め! 舞台に貼り付けよ!」――「はい、我が主!」
「人間の下僕となりはてるなど、愚かな……!」
「愚かなりしは父上です。龍蝶は甘露を出す恐ろしきもの。滅ばさねばならぬ魔物なのです!」
いいや。人間どもの支配の宝珠の方がえげつない――
光龍の精霊玉が喉を貫通したのだろう。龍の父はもはや声が出せなかった。苦し紛れに背中の角から放った光線は、迫りくる光の楔にすっかり呑まれた。
おのが思いはこの家族には届かぬのか。人間に従わねばならぬと宝珠の力で強制され。自由ではないことに気づけぬこの家族には。通じぬのか。だがあきらめぬ。我は決して――
巨大な楔が分厚い黄金の胸板を貫き通し。舞台にずんと突き刺さった。
父の怒りは無残に飛散した。千万の細粒となってチリチリ散らばる、まばゆい黄金の鱗とともに。
「かように……タケリ様の捕縛はまばゆく、凄惨でございました」
ばちばち地面が焼かれる音がする。顔前に居る鬼火が、燃える頭を地につけているのだろう。
「我々のほとんどは舞台から飛ばされ、そのまま退散したのですが。私だけは舞台へいたる橋のたもとに落ちました。それでずっとそこで息を潜めて、一部始終を見ていた次第です」
「……知らせてくださりありがとうございます。一番目のアオビさん」
クナは弱々しく声を発した。
春風の届かぬ、窓のない小部屋。ここには灯り球や火鉢といった、ぬくもり放つものはひとつもない。鬼火の燐光がかろうじて、わが身をほのかに暖めてくれている。自分の姿はきっと、鬼火の光の中にぼうっと浮かび上がっているにちがいない。
「さてもここは、巫女の修行部屋でございますね。壁の模様は、天から燦々ふりそそぐ太陽光を模したものでございます。鮮やかな朱色一色で描かれておりますよ」
「はい……巫女になりたての者がこもるところだそうです。天照らし様の御紋が一面についていると、神官さまたちから聞きました」
クナは狭い部屋の真ん中に正座していた。身にまとっているのはもはや光の衣ではなく、短袴に千早一枚。座しているところに台座はない。
「他のアオビさんたちは、赤の砂漠へ向かったんですか?」
「いえ、命令を受けた直後にあの恐ろしいことが起こりましたので、ほとんどのものは出立を見送り、龍生殿にとどまりました。慌て者が三体ほど出ていきまして……それがいまだに、音信不通です。これらは律儀に、タケリ様の命令を遂行していると思われます」
「あれから……七日たつんですね」
かくりと、クナは疲れきったようにうなだれた。
「アオビさん、よくご無事で……」
「いえ。このアオビ、全くなんの助力もできず。まことに申し訳ございません!」
ばちばちと地面が焼ける。この部屋に床板は貼られていない。大地の力をじかに感じるようにと、聖なる土が分厚く敷かれている。アオビは平身低頭、頭を土にこすりつけているようだ。
「ご存知でございましょうか、奥様方はこの太陽神殿の地下牢におられます。我らは日参し、何度も面会をお願いいたしましたが、今日まで完全に門前払い。皆様に会うことがかなわず……途方に暮れておりました。本日ようやく、しろがね様にのみ目通りが叶うと言われまして、このように参上しておる次第です」
クナは見えぬ双眸をぎりっと閉じた。
「あたしも地下牢にいて、つい先ほど出されました」
「なんと……おいたわしい」
奥宮の洞窟が崩されたとき。龍とともに五人のつわものたちが押し入ってきた。軍部屈指の神官戦士、帝より勲位を授かった柱国将軍。幾万もの兵を率い、敵兵を屠ってきた者たちだ。下手に抗えば、命がいくつあっても足りない――逃げ道もなく、抵抗をあきらめた黒髪様の巫女団は、あっという間に捕縛された。
連行された先は軍部の中枢、帝都太陽神殿。巫女たちはひとりひとり離されて、神殿の牢部屋に入れられてしまった。
容疑は、巫女団が龍蝶であるクナを隠して「飼っていた」こと。それだけでなく、タケリ様と謀反を共謀した疑いもかけられている。あろうことか、贅沢な物品が洞窟内に打ち揃っていたのが、その証拠とされてしまっているのだった。
「タケリ様は、制御を受けたんですね」
「はい。光龍の楔を受けてまもなく、太陽の巫女王様が現れたのです。その御手に、制御の大鍵を携えて」
舞台に突き刺された龍の父は、まな板の上の鯉。太陽の巫女王がかかげる大鍵の強制の力で、無理やり眠らされてしまったそうだ。
「タケリ様は奥宮でいまだ、眠らされております。杉の木から救い出された花龍様が、以前のように代理の任に就かれるそうでございますが。この花龍様が、太陽の巫女王様になにもかも暴露したようなのです」
「あの、燃えていてとてもこわい龍が……」
タケリ様は龍蝶を囲っている。なんぞ悪巧みをしているにちがいない――
花龍からそう聞かされた太陽の巫女王は、神獣が謀反を起こしかけていると今上陛下に警告した。その功により大鍵を下され、龍の巫女王に昇位したのである。
「皆様なんとおいたわしい……しかしこうしてしろがね様にお会いできたのは、無上の僥倖でございます」
「たぶん、今日中にみんな地下牢から出されると思います」
息をつめ、クナはアオビに伝えた。
「百ろうさまも、九十九さまも。アカシさんも、アヤメさんも。みんなこの神殿の巫女になります。そしてあたしは……」
「しろがねさま?」
クナの様子がおかしいと、アオビが気づいたそのとき。
――「話は、もうよろしいでしょう?」
部屋の扉が、ぎいと開けられた。
「黄金冠……朱の聖衣……! ふ、巫女王……袁の大姫様……!」
アオビがたちまち、炎の音をひっこめる。ささっと部屋の隅へ控えたようだ。
中に入ってきた巫女の衣がしゃららと歌う。龍蝶の繭糸の衣の音だと、クナは眉を下げた。
(朱色の衣……熱い、かまどの火のような色なのね)
おつきの巫女が後ろについてきて、部屋の奥にかたりと何かを置く。巫女王がそこに座る気配がした。上座に位置取られたのを察したクナは、扉の付近まで下がって平伏した。
「さて。支度を始めましょうか」
「も、もう少し待って下さい」
太陽の巫女王。今や大鍵をもち、龍の巫女王も兼ねるその人の声は、どこか刺々しく、鋭い針のようだった。
「何を臆しているの? おまえが後宮に上がらねば、おまえをかくまっていた巫女たちは打ち首。生死不明の黒髪の柱国将軍も、陛下より辰の国姓と、領地を取り上げられる。そう教えたでしょう? おまえの飼い主は巫女団長ではなく、黒髪の柱国将軍その人ではあるまいかと、軍部がしきりに、陛下に訴えておりますからね」
「な……」
部屋の隅でアオビが息を呑んでいる。頭を地につけるクナはぐっと唇を噛んだ。
「ですが陛下は、年始に黒髪の巫女団が御所で懸命に奉仕したことを覚えておいででした。あの善き巫女団がこんな罪を犯すはずがない、きっと龍蝶の甘露にたぶらかされたのだと、仰っておられます。ゆえにおまえがおとなしく陛下の所有物となれば、皆を赦すと思し召しておられるのです」
「でも、あたしの体には加護がついているのです。もし陛下があたしの肌にふれたら大変なことに……」
「その鉄壁の加護。ついたままでよろしいと陛下は仰せです。女としてはまったく役に立たぬけれど、そちらの方は間に合っているとか。まあ、単に繭糸を取るには支障はないとのご見解でしょう」
太陽神殿としては、おまえが陛下を凋落してくれると助かるのだけれど。
そうつぶやいた巫女王の頭から、じゃららと玉が擦れ合う音がたつ。頭冠にはずいぶんたくさん、宝石がついているようだ。
「あの、あたしが後宮に入ればほんとうに、巫女団のみんなは救われるんですね? 黒髪さまも、ご領地が取り上げられずに、すむんですね?」
「ええ。おまえを飼っていたものたちはみな、赦されるでしょう」
「か、飼ってません。みんな、あたしを家族として……大事にしてくれました」
クナは訂正した。しかし巫女王は、そのか細い言葉をにべもなく否定した。
「大事に飼育していたのでしょう? 美しい布を成す糸を取るために。おまえが甘露で操ったという疑いは嘘ですわね? 陛下はそう思い込んでおられますけれど」
「ちがいます。それはちがいます。黒髪さまは、あたしを妻にしてくれました。百ろうさまや九十九さまは――」
「おだまり。龍蝶は、人間にあらず。この国の龍蝶はすべからく、陛下か大神官か、わたくしたち、巫女王のものになるしかないの。さあ、支度部屋へ行きなさい。まずはその黒髪を、もとの色に戻すのです。善き臣民のふりをする必要は、もうないのだから」
硬直したクナの肩にかかる髪がするるとひっぱられた。巫女王が手を差し伸ばしてきて指に絡めたらしい。長い髪が、クナの胸に落とされる。
「黒の塔の巫女団長が黒く染めたのね。あの方の髪と同じ匂いがしますわ。ほほ、母娘と偽るつもりだったのかしら」
おつきの巫女が、さあ立てとクナの腕を掴む。促されたクナは、部屋の隅で燃焼音をひそめるアオビの気配がする方を向いて言葉を送った。
「アオビさん、百ろうさまたちに伝えてください。どうかお元気でと。今まで、本当にありがとうございましたと。あたしは、みんなの無事をいつも祈っていますと」
「しろがねさま!? ま、まさか私はこのために?! 奥様たちへのお別れの言葉をいただくために、ここに呼ばれたのですかっ!?」
「もし黒髪さまが帰ってきたら、あたしはすごく幸せだったと……どうか、伝えてください」
慌てふためく鬼火に、クナは涙をこらえて声をふりしぼった。
「アオビさんたちも、お元気で――」
小部屋の外は、まだ日が落ちていないようだ。
巫女に手を引かれて長い廊下を進むと、ぽかぽかした日差しがクナの半身に当たった。
すばらしい陽気だ。ほのかに甘い花木の香りが花をくすぐってくる。さえずっているのは鶯だろうか。
帝都太陽神殿――ここにはかつて来たことがある。竜の生贄にされたときだ。しかしあのときは木枯らし吹く秋。庭園はこんなにかぐわしくなかった……
クナは軽やかな鳥のさえずりを聴いて、自分を慰めた。
『龍蝶は、人にはあらず!』
巫女王にはっきり言われて、傷ついた自分を。
『おまえは、陛下か大神官、それか、わたくしたち、巫女王のものになるしかないの』
それか逃げ出して、かくれ里に身を寄せるか。このすめらでは、龍蝶はそうするしかない。
逃げる――クナにその選択肢はなかった。そんなことなど、できるはずがなかった。みなクナのために、あらぬ疑いをかけられることになったのだから。
家族である巫女たちの命が、そして黒髪様の身代がかかっている。
体はがくがく。それは武者震いだと、クナは自分に言い聞かせて、拳をぐっと握りしめた。
(おねがいあたしよ、怖がらないで。あたしが陛下のところにいけば、みんなが助かる。あたしはみんなからたくさん、すてきなものをもらった。物だけじゃなくて、優しい想いと愛を、たくさんもらった。今こそ、その恩を返すのよ)
自分が陛下に求められることはない。それはとても、ありがたいことだ。
それに陛下のそばにはすでにひとり、龍蝶がいる。
(そうよ。シガに会えるんだから……死ぬ前に、ほんとの家族に会えるのよ。だから、怖がらないで)
庭の鶯が誇らしげにさえずる。
春の陽気に浮かれる鳥はずっと歌い続けていた。まるで、太陽の勝利を言祝ぐように。