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24話 裳の舞

 指先を揃える。正面に突き出した腕を伸ばし真横へ。それからまた正面へ。

 息を詰め、かすかな振動に耳を澄ます。

 筋がはりつめる腕に、やわらかな裳が落ちてくる――


「あかん! 床についた」


 裳を投げ上げようとしたクナを、九十九(つくも)さまが厳しく制した。

 

「もっとすばやくせんと、生き物にならへん」


 腕を挙げるのが遅い。勢いがない。腕の振りをもっと速く。もっと――

 降り注ぐ叱咤の雨。しかしクナはめげずに何度も裳を投げた。何度も。何度も。耳をそばだてて。

 

「裳はすめらの巫女の標準装備や。いっぱしに扱えるようにならんとあかんで、スミコ」

「はいっ!」





 ニの月の末。黒の塔はいまだ、黒髪さまの軍団を送り出した鼓舞殿前にそびえている。

 周囲にはガシャガシャはがねの音をたてる兵馬の群れ。雪原に果てなくおびただしい天幕をはる、不知火(しらぬい)将軍の軍団三万余に呑まれている状態だ。この大軍団が揃うなり、黒の塔の巫女団は出陣式に駆り出された。


『おいおまえら、神楽をやれ。俺の奥さんたちは、まだ宮処(みやこ)にいっからよ』


 かく命じてきた不知火(しらぬい)さまが連れてきたのは、かつて火龍の贄としてもらった月の巫女姫ひとりのみ。本来呼ばれるべき不知火(しらぬい)さまの巫女団は、いまだ御所に留まったまま。不知火(しらぬい)さまが陛下の覚えめでたくなるよう、毎夜のように開かれる宴での演し物枠の常連となり、舞を披露しているという。

 それゆえクナたちにお株が回ってきたのだが。


『っはあ? ばあさんとガキしかいねえの? 貧相なちんどん屋だなぁ』


 クナたちの神楽をご覧になった不知火(しらぬい)さまの反応は、芳しくなく。黒髪の巫女団は全員鼓舞殿の天守に呼び出され、ひとしきり文句を浴びせられた。


『おまえらお上品すぎ。もっと派手派手しくにぎやかにやれよ。そのけばい化粧のようにな』


 かように侮辱された儀式の直後、クナは九十九(つくも)さまから長くふわりとした裳を渡された。不知火(しらぬい)さまの評に憤懣(ふんまん)やるかたない舞の師は、ならばとクナの修行を次の段階に進めた。目に鮮やか、見栄えのするらしい裳の舞を教え始めたのである。


「ふん、団長はんはともかく、うちのどこがけばいんや。大体年始の行事が終わっても、奥のもんを御所に居座らすやなんて、どあつかましい……あかんスミコ! もう一瞬早う腕を上げ!」

「はいっ! 九十九(つくも)さま!」


 その呼び名のとおり、今のクナの髪は黒い。目には菫の色を隠す眼膜を入れている。龍蝶であることを、不知火(しらぬい)さまとその軍に知られぬようにするためだ。


「ご主人様、裳を使うのはスミコさまには無理では……」

「いいや、できる。うちはこん子の修行、初歩で終わらすつもりはあらしまへん」


 侍女のアヤメが心配するも、九十九(つくも)さまは手加減なし。クナの才を買っていた。


「裳を使えば派手になるだけやない。もっと容易に神楽の音色を拡散できる。せやから巫女の誰もが裳を使いはる。こん子は、他の巫女はんに劣るところはどこもない。練習すれば、まともに扱えるようになるわ」


 裳が動く様をクナは視認できない。しかし師の言葉に励まされた娘は、音を感じることで見えぬ目を補った。

 裳を横一閃に薙いだ音。縦に打ちつける音。ぐるぐる頭上で回す音。九十九(つくも)さまが「それでよし」と仰ったときの音の切れをしっかり覚えた。びんびん鳴らされる琵琶の音をものともせず、わずかな空気の動きを耳と肌で感じとる。


「そうや、その調子や。ええでスミコ」


 クナは必死に裳の舞を習った。おぼろげながらも自分で裳の動きの良し悪しが、判断できるほどまでに。

 没頭すればするほど、時の経つのはあっという間。禊や祝詞の巫女修行。百(ろう)さまのご講義。空いた時間の掃除。どれも無我夢中でやった。だから昼の時間は隙間なく、飛ぶように過ぎ去ってくれた。

 しかし夜は……


「柱国さま……柱国さまは、今どこ? 鏡さん、教えて」


 独りの夜は、長すぎた。


「はい奥様。ご主人様の軍団は本日進軍十日目、魔導帝国属州ファラディアの街をまた一つ攻め落としたそうにございます」

「これで、三つ目……」

「はい奥様。現在ご主人さまの軍団は拠点を増やしつつ、汪澪おうれい将軍と金烏きんう将軍の軍団がファラディアに入るのを、待っている状態です」


 黒の塔には逐次、黒髪さまの軍団から報告が入る。距離が離れると中継点を増やして伝信するそうだ。アオビが戦司(いくさのつかさ)よりその報告を聞き取り、鏡に情報を入れてくれるのだが。


「黒髪さまの軍だけが、戦ってらっしゃる……」

「はい奥様。すめらはまず属州ファラディアを獲り、赤の砂漠の北西をおさえる計画です」


 揃いの長持ちが並ぶ寝室で、仙人鏡を抱えるクナは涙ぽろぽろ。震える唇に指先をあてながら、だだ広い寝台にうずくまるのだった。


「いや……どんどんはなれてく。はなれてくわ……」





 黒髪さまの軍団は、出陣の儀が終わるとすぐ鼓舞殿から発った。

 半日遅れでその日は夜まで数刻しかなかったものの、軍は動かねばならなかった。進発の日延べは縁起が悪いものとされているからだ。


『本日は、本塔より三十里の地点にて日没。野営となったそうにございます』


 その夜、仙人鏡の声が淡々と流れてきたとたん。塔の寝室に戻ったクナは声を殺して夜通し泣いた。


『もうそんなに? そんなにはなれてしまったの?』

『はい奥様。大きな街道を()けば、さらに距離が稼げるでしょう』


 すめらの軍団は鉄馬や鉄車に乗って移動する。ゆえに一日百里、歩行(かち)よりはるかに速く、遠くまで進み()く。


『これからどんどん……はなれるのね』 

『はい奥様。大陸をほぼ横断することになります』

『そんな……』


 以来毎晩、鏡の報告を聞くたびに、クナは目を湿らせてしまう。

 まさかこんなに辛い思いに襲われるとは、思いもしなかった。こんなに離れがたいと思うとは。

 そして……


「兵がとても少ないの、あたしぜんぜん、気づけなかった……」


 おのれのことを、こんなにふがいなく思うとは。

 不知火(しらぬい)さまの軍の中にいる今なら分かる。おびただしい兵の気配。眉を寄せたくなるほど騒がしい物音。充満する炊き物の匂い――黒髪さまの軍とは雲泥の差だ。


「あたしもっと知らなくちゃ……もっと感じとらなきゃ」


 そのことをひどく気にしているゆえか、クナは埋め合わせるかのように毎晩恋しい人を案じた。濡れる目は固いまま。眠気がなかなか寄ってこない。眠れぬ夜は、昼の何倍もの時間があるように感じた。明け方になってようやくうつらうつらするまで、クナは良人(おっと)と別れた日のことを、何度も何度も思いだすのだった。

 あのとき交わした言葉ひとつひとつを。

 そして。

 あのとき視えたものを――

 

『すき……すき……すきです!』


 この人から離れてはいけない。

 夢中で塔から走り降りたとき、クナはそう感じた。体を突き動かす、予感のようなものを。

 あの糸巻きにその想いを叫んだら、糸はりんりんと震えた。たちまち不思議な気配が降りてきて、母と一緒にしろがねの月を見たときのあの感覚が、クナを襲ってきた。

 そのとき。


『あ……柱国さま……!』



 視えたのだ。



――『ありがとう、何よりのお守りだ』


 美声の人の姿が、おぼろげながらにも視えたのだ。

 それは暗い暗いすらりとした闇。なれど声も仕種も実に優しい影だった。


『泣かないでくれ。必ず戻る。しろがねの――』


 優しい影は囁きと共に唇を塞いできた。不安がるクナの泣き声をおさえて、とろかすために。そして口の中でつぶやいた、とある名前を隠すために。

 それは〈あの子〉の名前ではなく。「田舎娘」でもなく。「狗那(クナ)」でもなく。初めてひとつに繋がったときに囁かれた名前だった。

 

『君の名前だ。私がつけた、私だけが知る秘密の名前だよ。たとえ炎の聖印が消えても、この名が君を護る。その力を保つため、決してだれにも教えないでくれ。いいね?』


 もらった名は、〈あの子〉に負けぬぐらいとてもきれいで不思議な響きを持っていた。自分の名でいいのだろうかと思うぐらいの、美しい音のつらなり。

 優しい影は名残惜しげに、それからまた幾度も口づけてきた。鉄車が動き出し、鉄の竜が飛び始め、副官らしき人がおずおずと呼びに来てもなお。

 その感触がまだ、唇に残っているように感じる。いや。たぶん忘れたくないのだろう……。

 今宵もクナは無意識に唇に指を当て、泣き声を殺した。


(とんでいきたい。とんで……)


 そうして明け方ようやく、ひどく浅い眠りの中に意識を落とした。罪人の鎖を渋々、解いて放ってやるように。





――「奥様! 起きてくださいませ、奥様!」

 

 黒髪さまが三つ目の街を落としたと聞いた翌朝。クナは鏡の声で起こされた。いつものように目が固く、明け方にうつらうつらしていたのだが、さすがに体が睡眠を求めたのだろうか。寝坊したかと急いで衣を引き寄せると、鏡はさらに叫んだ。


鉄錦(たたらにしき)をおまといください!」


 その意味するところは、いうまでもなく。


「まさかこの塔は、戦時になるの?」

「はい奥様。これより不知火(しらぬい)軍団は、南へ進軍を開始いたします」

「南へ?」


 不知火(しらぬい)軍団は遠征軍のしんがり。南の鼓舞殿に詰める針峰(しんほう)さまおよび雷同(らいどう)さまの軍団と同じく、すめら本国を護る駒となり、こたびの遠征には実質参加しない。そう聞いていたのだが――。


「大本営より密命がくだりました。ご主人様の軍団と、後詰めの汪澪(おうれい)金烏(きんう)軍団は、魔導帝国軍をファラディアに引きつけるための囮。まことの遠征軍本軍は、三日前に南の鼓舞殿より出陣なさいました、針峰(しんほう)雷童(らいどう)軍団、合わせて七万です」

「黒髪さまの軍は、おとり?!」

「はい奥様。針峰(しんほう)雷童(らいどう)軍団は昨日、我が帝国の南端に隣接する魔導帝国領ハディアット・ジェリに侵攻いたしました。不知火(しらぬい)軍団は本日未明、このニ軍団が発しました援護要請を受けたのです。どうかご武装を」


 着付けを手伝うため、めらめら燃える鬼火たちが寝室に入ってきた。お体が震えていると気遣ってくる彼らに、クナはおろおろ。ろくに言葉を返せなかった。戦時になったという緊張のせいではない。


(おとりだなんて。黒髪さまは、大丈夫なの?!)


 支度を終えてせり出す舞台へ参じれば。集った巫女団の者たちも同じ思いであるようだ。皆一様に緊張し、固い態度である。


「あの、これはどういう……」

「すめらは、赤の砂漠を目指さぬということじゃ」


 苦虫を潰すような声で百(ろう)さまが呻く。


「先ほど、大本営と不知火(しらぬい)どの双方から、こたびの計画を告げられた。すめらの最南端に触れておる、魔導帝国領の都市を獲ること。これこそ、こたびの戦の真の狙いじゃと」


 ごごっと塔の根もとが音を立てる。広がる地響き。揺れる足元。

 黒の塔がゆっくり動き出す――。


「陛下が年始に巫女団を呼び、大々的に戦勝祈願をさせたことも。すめらの軍がファラディアを襲ったことも。公報で津々浦々、大陸中に宣伝されたそうじゃ。つまりはみな、敵の目をたばかるための策。陛下と大本営は、魔導帝国の本領へ大々的な遠征を行うと見せかけたのじゃ」

「まったくやらしいわ。戦況悪化で不知火(しらぬい)さまの軍が動く段になってようやく、お上が情報を漏らしてきはるなんて。戦司(いくさのつかさ)が今、大わらわで我が君に確認してはる」


 九十九(つくも)さまの言もひどく苦い。今このとき、黒髪さまの軍団と連絡をつけられるこの塔に、戦の真の目的が告げられたということは……。


「侵攻が開始されたゆえ、囮の役目は終わった。おそらく汪澪(おうれい)さまと金烏(きんう)さまの二軍団は、ファラディアに入らぬ」


 クナの頬から血の気が引いた。黒髪さまは三つも街を落とし、血路を開き続けているというのに。敵の軍はおそらくそこへ続々と集まっているというのに。大本営は、わざと黒髪さまを孤立させようというのだろうか。


「く、黒髪さまは、大丈夫なんですか? 」

「スミコ、我が君は自身が囮と知れば、すぐ撤退しは……」


 たちまちクナの目はしとどに濡れた。

 

「で、でも取り残されたりとかしたら……い、いやですそんなの! いやです! いや!!」

「スミコ?」

「……罪なお人やなぁ」


 眉を寄せる百臘さまと、深くため息をつく九十九さまの前で、クナは力なくしゃがみこんだ。体が震える。手足の力が入らない。後から後から涙がほとほと落ちてくる。


「これはあれや。焦がれの病やろ。つまりあんさん、我が君と別れる間際に女にしてもらったんやな?」


 九十九(つくも)さまにずっさり言われたクナは、氷の彫像のようにぴきり。しかしたちまちその顔をくしゃりとさせ、顔を両手で覆ってすすり泣いた。


「最近目が腫れぼったいから、そうやろうとは思っておったが……」

 

 つぶやく百(ろう)さまに構わず、九十九(つくも)さまはぐいとクナの肩をつかんできた。


「スミコ。いますぐ部屋にお戻り」

「え……」


 肩にぐっとしなやかな指が食い込んでくる。深く、深く。クナはびくりと慄き、そして同時に驚いた。九十九(つくも)さまの声の冷たさに。にもかかわらず、食い込む指がかすかに震えていることに。


「この塔はこれから戦をする。うちらは、敵の軍と殺し合いしにいくんや。戦に出る許可をもらったのにこの体たらくとは……こんなにもろい子は使えへん。部屋に戻り」 

「許可……を?」

「すめらの女が旦那様のものになるということは、どういうことか。百(ろう)さまから教えられたやろ」

「あ……」


 お家の巫女団は奥向きの者で構成され、その団長はご正妻である。その意味するところは――

 歯を食いしばり、クナはよろと立ち上がった。涙はまだ止まらない。だがぐぐっと拳に力が入り、やっと気づけたことが喉の奥から出てきた。


「あたしは、黒髪さまにほんとの妻にしてもらいました。そうしてもらったということは、家を守れと……家族を守れと言われたと同じこと……」

「そうや。なら今どうするべきか分かるやろ」

「泣いてる場合じゃない……あたし、守らないと。この家を。ここに住む家族を」

「そうやな。家族を……そうしてくれるとありがたいわ」


 クナの肩から手が離されて。フッと、九十九(つくも)さまの口から柔らかい息が吐かれた。


「その前にまずは顔を洗いや。鼻水と涙でどろどろや」

「はいっ! すみませんでした!」


 勢いよく答え、クナは顔を洗いに舞台から降りた。涙を完全に洗い流すために。


(そうよ。守らなくちゃ……)




 

 商業都市ハディアット・ジェリは二重の城壁に守られている。針峰・雷童軍団は当初さしたる抵抗も受けず、やすやすと外側の城壁の北端をこじ開けた。

 宗主国たる魔導帝国への宣戦布告は、黒髪の軍団がファラディアに侵攻したときに行っている。ゆえにこれは大陸法違反には当たらない――侵攻直後に魔導帝国当局が抗議してきたのを、すめらの大本営はかくうそぶいてかわしたらしい。

 しかし都市を包囲しようと、二軍団が二枚目の城壁の前にぐるりとばらけたとき。魔導帝国軍の大軍勢が忽然と、外城壁の上に現われたという――。

 

「すめらの囮作戦は完全に読まれておったか。かの国の軍がすでに送り込まれ、潜んでおったとは……レヴテルニ帝の神眼は怖ろしいわ」


 濃い霧の中。ごごごと音を立て、塔が進む。

 南海州は南国、冬とて空気が暖かい。冬季でも雪が降らないらしく、ただただ湿った白霧があたりを覆っている。

 神楽を奏で塔に警戒結界をかけていた百臘さまは歌を止め、小休止に入った。


「また敗走の手伝いとはのう」


 援護要請を受けた不知火(しらぬい)軍団は急ぎ南へ進軍したのだが。三日かけての行軍の間に、針峰・雷童軍団は敗軍と化してしまった。

 敵軍はすめらの軍がうすい輪のように二重城壁の間に広がるのを、手ぐすね引いて待っていた。そうして容赦なく、都市守備軍と挟撃したのである。

 すめらの軍はただちに北端の侵入口から撤退したが、南に広がった雷童軍はズタズタにされ、実質壊滅。辛くも退けた針峰軍は、現在激しい追撃を受けているという。


「しかしなぜ我が君は、進軍を止めぬ? こちらの侵攻が真の狙いだと、敵にばれたのに……敵の兵力消耗を狙っておるのじゃろうか?」


 黒の塔が大本営の真意を伝えたにもかかわらず、黒髪さまの軍団は動きを止めなかった。今朝方またひとつ街を落とし、さらに深く切り込んでいると、鏡が報告してきている。

 そんなにレヴテルニ帝の首級をあげたいのかと、クナは震えたが。事態はもっと深刻だった。


『ファラディアに後詰めで入るはずだった汪澪(おうれい)さまと金烏(きんう)さまの軍が、ご撤退!』


 百(ろう)さまがまた祝詞を唱えようとしたとき。かたわらの大鏡より洒落にならない急報が告げられた。

  

『本塔はご主人さまに即時撤退を勧告中ですが……通じません!』

「なに? どういうことじゃ!」

『本塔とご主人さまの軍との中継点が、切られましたっ! も、もしかしますと今までのやりとりも、中継点で改ざんされていたおそれが……』

「なんじゃと?! では我が君は、いまだご自分が囮だとご存知ないやもしれぬのか?!」

 

 それで黒髪さまは進軍を止めなかったのか。つまり嵌められたのかとみな凍りつくも。巫女団は、動揺して騒ぐ暇を持てなかった。

 刹那襲ってきたのは、ばぐんという怖ろしい爆発音。いきなり塔が大きく揺れた。


「なんじゃ今のは!」

『は、はい! ……あああ、敵襲です! 本塔被弾! 結界にて防御成功! 敵軍は距離一里、正面!』

「正面? それは撤退中の針峰軍団ではないのか?」

『敵軍です! 緑塔より、針峰軍団は左右に分かれ、追撃軍の挟撃を試みるとの伝信! 不知火(しらぬい)将軍さまより、全軍に後退命令! 追撃軍を釣るそうです!』

「針峰軍と連携するつもりやね」


 どうと轟音をたて、塔が揺れる。砲門から火を吹いて迎撃したのだ。

 

不知火(しらぬい)さまから直電! 繋ぎます!』


 そのとき。怖ろしい命令が鏡から響いてきた。


――『おい、ばばぁども! 塔はそこで停止だ! 俺の兵士を塔の後ろに逃がさしてもらっからよう!』


 神楽がびたりと止まる。将軍の言葉の意味を察して、舞台上のだれもが硬直した。

 たっぷり数拍の沈黙が流れたあと。ようやくのこと、百(ろう)さまが怒り滾る声を絞り出す。

 

「貴様……この塔を盾にするじゃと?」

『でっかい図体使わない手はねえだろが? まあ、ぎりぎりまで粘ってくれや。じゃあな!』

「待てこの……!」

『申し訳ありません! 伝信を切られました! あの、あの、司令官の命令を尊守すると、戦司(いくさのつかさ)が申しております!』

「く……当然じゃ! そうしたらええわ!」

『申し訳ありません! 申し訳ありません! ああああ!』


 アオビが悲壮な悲鳴をあげると同時に。北へ逆走しかけていた塔がふしゅふしゅと止まった。しかも。

 

「霧が晴れてきやったか……」


 視界良好となれば、天突く塔はおのずと格好の標的となる。どうんどうんと容赦なく塔が揺れだした。

 敵の砲撃を受ける塔の足元を大きな流れがうねっていく。不知火軍(しらぬい)の兵士たちの気配だ。


「ま、守らないと、いけないんですね? 塔の下の人たちを……逃げる人たちを……」

「おのれ……三万の命、この塔に預けるか! スミコ! つむじ風!」

「はいっ!」


 塔を鉄壁の盾とするべく、巫女団は神楽の調子を速めた。

 百臘さまの声量が上がる。九十九さまが激しくびびんと琵琶の弦をはじく。アヤメとアカシが鈴と銅拍子でりりんどんと拍子をとる。

 クナは舞い続けた。心は遠く黒髪様のところに飛びたかったが。回るうちに意識はおのずと体の中心に向いた。


(守らないと。守らないと。守らないと……!)


 ふおんふおんと、変な反響音が聞こえる。敵の「楽団」の音波弾だ。アオビが鏡を通して警戒しろと叫ぶのが聞こえた。前は見事に中和され、結界の維持に苦労したが――


「大丈夫や! うちらの再展開の方が余裕で速い!」 


 裳のおかげか、塔の結界はほぼ消えずに持ちこたえた。

 いけると、巫女たちの誰もが思った。このまま、三万の軍団が背後に逃げ去るまで。針峰軍団が敵軍を潰すまで。塔は無事でいられると。

 塔自身も激しく火を吹き続けている。ばちばちとあまたの砲撃を受け止めつつ地にふんばり、咆えたけっている。

 

『巨砲門開口! 雷神弾で敵を一掃します!』


 塔が大きな砲弾を放つらしい。これで楽になるだろうか。戦は終わるだろうか……

 クナがそう思った直後。ひときわすさまじい爆音が真下から轟いて。

 

『ほっ……砲門に被弾!!』


 塔ががくりと大きく傾いた。べきべきと空怖ろしい音が耳を襲う。


『結界の穴を突かれ――ひぎゃあああ!!』

「アオビ!!」


 そして舞台は――


「折れよった!」 

「あかん! スミコ!!」

「ひ……!!」



 斜面となった。



「スミコぉおおおっ!!」


 神楽が途切れる。聖結界がへしゃげ、破れて。クナはずるりと舞台から滑り落ちた。

 がしりと鉄錦(たたらにしき)の袖をつかんでくれた巫女たちと共に。

 固い地面へ――。 




~裏設定的なもの~


ハディヤット・ジェリ=ジェリの贈り物。


その昔、南王国の覇王ジェリドヤードがレヴテルニ帝に

「この土地めんどくさいから買ってくれ」と売り付けた都市。

ジェリは自国がすめらの国と国境を接するのを嫌い、

同盟国で緩衝材を作りたかったらしいです。


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