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23話 出陣式

 部屋に陽がさしている。

 頬に当たる陽光の熱さに、クナは思わず声をあげた。


「ゆき、やんだのね……!」


 庭に降り積もった雪が天照(あめて)らしさまの光を浴びているのだろう。ほのかな冷気が縁側から昇ってくる。


「今日は暖かいね」


 澄んだ声の主が、なにもまとわぬクナの肩に衣をかけてきた。


「あ……えっと、おひさまのくうき、おいしいです」

「そうだな」


 昨夜は大雪だった。風が絶えずひゅるひゅるこうこう、凍えるような猛吹雪。

 それにかこつけられて、かわいそうに寒かろうと、クナはいつになく念入りに愛でられた。

 橙煌石はいったいどれだけ、クナの聖印の炎を中和したのだろう。

 寝室はあたかも蒸気浴の湯殿のようで、褥はひどく湿っている。


「いたっ……」


 縁側へ這い出たクナは、足の間をかばった。

 子供だからと容赦されていたところが、とろとろ熱を帯びている。聖印の力が、忘れがたいものをいまだ燃やそうとしているようだ。

 

「痛むのか?」

「えっ……とその、あの、だい、だいじょうぶ、です。たぶん」


 背後から降ってくる声にびくりとしつつ、火照る顔をぶるんぶるん。クナはしどろもどろに答えた。

 遠征軍の先陣を仰せつかった黒髪さまの軍団は、他の軍団より一週間先駆けて出陣しなければならない。ゆえに蟄居(ちっきょ)が明けたらすぐ、軍団の集結地点へ赴くことになっている。

 そうして出立がせまった昨夜。

 

『しばらく会えなくなるから……』


 クナは容赦なく、大人の女として扱われた。

 いままでされてきたことはまったくの児戯だったのだと、思い知らされた。

 聖印の熱にうかされて何と言われたか思い出せぬが、ひと晩中甘い囁きに宥められて。愛でられて。離してもらえたのはつい先ほどだ。

 

「すまぬ。その……欲しかった」


 耳たぶに冷たい唇が触れてくる。背後から細身をくるんでくるのは、たくましい両の腕。

 きつい抱擁にクナは身を硬くした。覚えた文字を思い出す余裕を失って、ぎこちない裏声が出る。

 

「お、おしたく、なさらないと」 

「君こそだ。舞台となる黒の塔に衣装を一式届けた。舞を見るのが楽しみだ」


 言葉とは裏腹に、柱国さまはクナを抱き上げ褥に戻した。

 

「あの、だめですっ、これからあたしみそぎしないと! まいのれんしゅうもっ」

「この一週間、ずいぶん熱心に練習してたじゃないか。もう十分だろう」

「ひ……!」


 こおっ、と橙煌石が冷気を放つ。湿った寝台に抑えつけられたクナの体は、また燃え出した。

 相手を焼き尽くそうと、カッと音を立てて。



  

 

 黒髪の柱国さまがクナを伴い鉄の竜に乗って飛び立ったのは、昼過ぎのこと。予定よりも半日遅れての出立であった。理由はいわずもがなである。

 しゃらしゃら歌う白綿蟲の衣をまとったクナは、硬い鎧をまとった人にくたりと身を預け、空の旅を耐えた。腰はだるく、体はまだ熱っぽい。だが舞う気は満々だった。


(うまく舞いたい……あたし、柱国さまにあたしを見せたい。あの子じゃなくて、あたしを……)


 クナは舞うことで示したかった。あの子と自分は違うことを。だから一所懸命練習したのだが――


鉄の竜(ロンティエ)では、遅れは取り戻せないな」

 

 クナを貪った人はそのような思いなどまったく気づかぬそぶり。龍がいないのをぼやいていた。

 残念ながら、屍龍を手元に戻すことはかなわなかったのだ。

 戦に龍は不可欠。その訴えは通ったものの、かの龍は別の将軍に与えられてしまったのである。

 

針峰(しんほう)将軍があいつをほしがったそうだ。龍舎を壊した破壊力を気に入ったらしい。それで失った地龍の埋め合わせとなるなら……まあよかろう」


 龍はしごく貴重なもの。簡単に代わりが手に入るものではないらしい。

 

「半世紀前……災厄が大陸を焼いた時、すめらの国も落ちてきた星をひとつふたつ受け止めた。それにもかかわらず大して甚大な被害を受けなかったのは、龍たちのおかげと言われている」 


 当時、神獣ミカヅチノタケリの眷属の数はきら星のごとく。何百という数の龍たちがいて、鉄壁の結界を展開し、帝都や各州の首都を守り、落ちてきた星を砕いたという。


「龍たちはそのとき帝国を守るために力を使い果たし、ほとんどが永い眠りについた。目覚めているものはとても少ない。かように貴重なものを二柱も失わせたのだから、相応の罰を下されるのは当然だな」

「なぜそんなむりを……」

「どうしても仇をとりたかったからね」


 クナの腰にまわされている腕に力がこもる。硬い手甲に覆われた、冷たい腕だ。脳天に落ちてきたのは口づけだろうか。


「前世の君を殺した奴をこの手で倒す。今度こそ、叶えるよ」

「あの子はどう思うのか……わからないです。でもあたしは、むりはしてほしくな――」

「レヴテルニは殺す。これだけは譲れぬ」


 にべもなく答えた柱国さまの声は、いつもの澄んだ美声ではなく。その昏さがおそろしくて、クナは言葉を続けられなかった。

 否。二の句が継げなかったのは、この上なくきつく抱きしめられたせいかもしれない。


「あいつは殺す。君のために」

(あたしのため……あたしは、レヴテルニさまのことを知らないのに……)


 しくしく、えもいわれぬものが胸の底で燃える。くすぶるこの思いはなんだろう?

 言葉にできず、クナは胸を押さえた。

 柱国さまは文句を言ったが、鉄の竜は疾風のよう。蒼穹を矢のごとく飛び、陽がまだ傾き始めぬうち、雪と土の匂いのするところに降り立った。


「あたたかい……」


 太陽が燦々とあたりを祝福していた。きんと凍りついた冬の空気が焼かれている。

 暖かい日差しとともに伝わってくるのは、はがねが擦れ合う音。控えめに鼻をくんくんさせれば、晴れやかな日差しの香りの中に、油で磨かれた鎧の匂いが混じっている。

 ざくりざくりと積雪を踏みしだき、つわものたちが続々と、開けた雪原に集結しているようだ。

 集まっているのは鎧を着こんだ兵士だけではない。鉄車や鉄馬の走音も鳴り響いている。鉄の車輪と鉄の蹄もまた、雪を潰している。

 いずれ近いうち、このはがねのものたちは、敵軍の兵も雄々しく残酷に潰すのだろう……。


「ここは西(さい)鼓舞殿(こぶでん)。古来よりすめらの軍の出陣地として知られる、四つの関所のうちの一つだ」


 雪原の前に建つ関所は、えんえんと階段が続くいと高きものだった。今まで幾度となく出陣式が執り行われてきた砦であり、美しいご来迎を眺められる台地の上にあるそうだ。


「よくぞ集まってくれた、我が無敵のつわものたちよ!」


 クナの手を引いて天守に登った柱国さまは、集まったつわものたちに呼びかけた。声高らかに、勇壮に。まだ体を火照らせているクナをかたわらに置きながら。

 なんらかの拡声のからくりを備え付けているのだろう、不思議とその声は大きく広がり、軍団の津々浦々にまで届いている様子であった。


「これより我らは西進し、魔導帝国(サハリシュ)の赤き砂漠を目指す。今度こそ、魔眼の皇帝レヴテルニの首を挙げようぞ!」


 同調の(とき)の声があがったことに満足して、美声の人は御身の胸をがしりと叩いた。分厚い甲冑を着込んでいるゆえの、頼もしい音だ。出がけに身につけるとき、彼はひとつひとつの武具をクナに触れさせた。


『君がさわるだけで加護の力が宿る』


 そう言われたが、本当だろうか? 巫女王(ふのひめみこ)さまなら霊験あらたかであろうが、たかだか一(ろう)の――しかも清らではなくなった巫女なのに。神霊力などほとんど、ないも同然であろうに。

 

『糸巻きと同じだ。私には効く。君は私にとって、特別だからね』


 特別? 本当に? 

 体がくらりとゆらぐ。手を握られているが、相手の手は金属の手袋に覆われている。聖印は発動しないはずなのに、なぜか体が熱くなる……。


「これより出陣式をとり行う。神官どのらのご祈祷、そして射占の儀ののち、我が巫女団が黒の塔にて、諸君に祝福を与えるであろう」


 はばたきの気配が空をつんざいた。鉄の竜たちが飛んできたようだ。いったい何体いるのか、晴れ渡る空にぎしゃぎしゃひしめく咆哮が聞こえてくる。

 と、同時に。


「塔が来たよ」


 足元が揺れているのに気づいたクナは、美声の人の囁きにうなずいた。翼あるものの気配に導かれるようにして雪原に来たのは、地響きたてる巨大なもの。じじじと全身を震わせるこの轟音はまさしく、あの巨大な塔が進み来る音だ。

 

「西の国境より呼び寄せた。塔はこの鼓舞殿にとどまり、我が軍と大本営、そして遠征軍本隊とを結ぶ中継塔となる。どこよりも安全といえるだろうな。だから神楽を奉納したら、そのまま塔に住まってほしい。巫女団に君の警護を任せ……ああ、そんな顔をしないでくれ」 

「そんなかお? あ……」


 クナは自分の顔に手を当てた。なんと気づかぬうちにまぶたも頬も湿っている。自分で自分にびっくりしつつも、クナはまだ、胸の奥でくすぶっているものを言葉にできなかった。


(これはなに? なんていったらいいの? わからない……)


 塔の動きが完全に止まり、神官たちの祈祷が始まった。関所の真ん前あたりから、幾人もの響き良い声の和合が天守に昇ってくる。

 しきりにまぶたを拭うクナは美声の人に背を押され、そっと優しく離された。

 

「泣かないでくれ。ほら、巫女団の者たちが迎えにきたよ」

――「スミ……しろがね! つつがないか?」「あら、髪が白に戻ってますがな」


 なつかしい声が聞こえてきたとたん、クナはたちまち満面の笑みを浮かべた。しかし一拍たたぬうち、またぞろ顔を涙でくしゃり。天守に登ってきた気配に駆け寄って頭を下げた。

 

「百ろうさま! 九十九(つくも)さま! すみません! すみません! あたしひとり、御所からさがって……」

「それはあんさんが気にすることやない。御所に残るは、団長はんが勝手に決めはったことや」

「ちょ……この狐女! しろがねをひとり占めするでないわ」


 ふわと身をくるんできたのは、九十九(つくも)さまの長い裳布だった。なぜか憤る百(ろう)さまに、舞の師匠はひょうひょうと言葉を返す。


「あんさんは(はよ)う、我が君にご報告しなはれ。うちらは先に塔へ行って、支度をしてますよってに」

「ふん! 嫌な役目ばかり押し付けよって!」

「ご報告?」

――「ささ、しろがねさま、こちらへ」「塔へ急ぎましょ」


 アカシとアヤメ、二人の巫女が手を引いてくる。ふたりの導きで関所から降りるクナの背を、突然ぶるっと何かが走った。悪寒めいたうすら寒いものだ。

 その感覚を裏付けるかのように、九十九(つくも)さまのつぶやきがずぶり。背中に鋭く刺さってきた。


「それにしてもなんやこれは……兵の数が少なすぎるわ」





鉄錦(たたらにしき)に舞い姫用の短い鉄袴(たたらはかま)

 柱国さまが用意してくれた衣はとても上等なものだった。手触りはきめ細やか、鎧の素材でできているのに、驚くほど軽い。

 美しく装うようにと(おもんばか)られたのはクナだけではなかった。巫女団全員分の(たたら)衣装が新調されて、舞台の手前にある控え部屋にそれぞれ大きな箱に入って置かれていた。合わせて届けられた簪や首飾りも、贅をこらしたもののよう。

 アカシとアヤメは一度につけきれぬとため息しきり。しかしクナは、衣装一つ一つをたしかめてうっとりするどころではなかった。


(兵が少ないって、どういうこと?)


 巫女団と再会して、黒の塔に戻ったのに。巫女団と共に来たアオビも、嬉しい悲鳴をあげて迎えてくれたのに。九十九(つくも)さまの言葉がぐるぐる何十回となく反芻(はんすう)されて、帰塔を喜ぶ気持ちもどこへやら。暗い不安が押し寄せてくる。


(少ないってよい意味じゃない。ぜったいよい意味じゃないわ)


 たしか黒髪さまが抱えている軍は、全部合わせると五万ほどになると聞いた。今この雪原にはいかほど集まっているのであろうか?

 アカシたちに手伝ってもらってほぼ着付けを終えると、大丈夫やと、九十九(つくも)さまが肩を叩いてきた。血の気の引いたクナの貌を読んだのだろう。


「先鋒ゆえ、身が重くてはあかんのやろな。たぶんそうやわ」


 しかしその口調はまるでご自分に言い聞かせるようであったので、クナの顔はますます熱を奪われた。


「まさかみんなこわがって、あつまらなかったとか?」

「いいや。大本営が、我が君の軍を再編成したんや。先鋒ゆえ機動力を重視せよだのなんだの、もっともな理由をつけて兵員を削った――という話は、アカビから聞いていたんやけど。あれだけやなんて……」


 九十九(つくも)さまが言葉尻をすぼめたとき。百(ろう)さまがぷんぷん勘気を放ちながら控え部屋にいらっしゃった。

 

「射占いが始まった。もうすぐ出番じゃ。しかしまあ、我が君の軍は全兵種あわせて三千そこそこだそうじゃ」

「三千? いくら切り込み役かて、それは……」

「別動隊など作れぬわな。真っ向勝負しかできぬ。しかもこの黒の塔まで、とりあげるとはの」

「とりあげる?」


 眉寄せるクナの前で、百(ろう)さまは深いため息をつかれた。我が君に大変遺憾なご報告をしてきたと、重苦しく言葉を紡ぐ。


「本日未明、大本営が我ら黒髪の巫女団にじきじきに命令をくだしてきよった。本日より黒の塔と黒髪の巫女団は不知火(しらぬい)軍団の麾下に入るべし、じゃと」

「えっ?! それって……」 

不知火しらぬい軍団は後詰めでこの地に駐屯する。それゆえの編成らしいが、つまり我らは不知火さまに預けられたということじゃ」

「本来なら今上陛下の預かりになるのに……うちらが御所で評判を上げて目立ち始めたとたん、この措置やわ」


 九十九(つくも)さまがクナの頭に飾り(かつら)を乗せてきた。

 (かつら)には幾本もの簪と、じゃららと珠が揺れる宝冠と、長い房髪がついている。紅と白の染め髪だそうで、しろがね色の髪をごまかすにちょうどよいものらしい。


「まあ、不知火(しらぬい)さまの軍団のしんがりにて、ひっそり息を潜めてたらよろし。さ、準備でけましたで」

 

 似合っていてきれいだと巫女たちは褒めてくれたし、宝冠の珠がすれる音は実に美しかったのだが。クナはひどい胸騒ぎに襲われた。

 どくり、どくり。心の臓が飛び出るぐらい痛んでくる。


「ち、柱国さまは、金星をとられたお人なのに。なぜこんな、手足をもぐような……」

「わからぬ。先の戦で何かやらかしたのかと、さっき我が君に問うてみたが。まったく身に覚えがないそうじゃ」

「先の戦でなにか……した?」


 龍を見殺しにした――先鋒にされたのも屍龍を他の将軍にとられたのも、そのせい。そう柱国さまは仰っていたが、こたびの編成はそのことが影響しているのであろうか? しかし……


(身に覚えがない? そんな……なぜ、百ろうさまにおっしゃらないの?)


 もしかして、上臘(じょうろう)さまたちに知られたくないことなのだろうか。

 クナは開きかけた口をとっさに閉じたものの、首を傾げた。

 

(つまり、ぜったいひみつにしておきたいほど、大変なことだったの? でも、なんであたしには教えたの? なんで……)


 百(ろう)さまの大鏡を通して、アオビが射占の終了を報告してきた。


「出番じゃ。舞台にあがるえ!」


 威勢のよい団長の言に、はいな、はいなと巫女たちが力強く答え、控え部屋を出ていく。

 クナもふるえ声で答え、足を動かした。

 暖かい日差しのもと始まった神楽は、初陣の時とほぼ同じもの。クナはつむじ風で神楽をかき混ぜ、外に広げるよう命じられた。


「聖なる調べ、聖なる歌声を塔の周りに集う兵たちに降らすのじゃ。我が君の兵ひとりひとりにあまねく、祝福の力がかかるようにな」


 体はまだほとほと熱い。だが鉄錦(たたらにしき)が軽いおかげで、クナは舞えた。

 くるりくるり。一所懸命回転して、うろたえる娘は調べを周囲に広げた。


(なぜ? どうして?)


 柱国さまはなぜに自分にだけ打ち明けてきたのか、考えながら。


『君は私にとって――』

(とくべつ……だから? なの?)


 ちりちりしゃりしゃり。おのれの舞で遠くまで広がった神楽が、小気味よい音を立てて下に落ちていく。塔を見上げるつわものたちのもとに。この祝福を、柱国さまも浴びているのだろうか? この舞を見てくれているだろうか?


『信じてくれ。本懐を遂げたら、本当にあの子との記憶を消すよ』


 耳の奥で美しい声が蘇る。この言葉はいつ、囁かれたのだっけ?

 

『舞う君はきれいだ。だから君を見たい』


 この言葉は。どこで――?


君だけを(・・・・)見たい』


 そうだ褥で囁かれたのだと、クナはハッと思い出した。

 ひとつになったときに。わけがわからず泣き叫んでいたときに。何度も何度も囁かれた……。



『君だけを。しろがねの――』



(天守は、どこ? 柱国さまは今、あたしをみてる? あの子じゃなくて、あたしをみてる? ああ、でも、あたしはみえない。みえない。みえないわ……!)


「しろがね?!」「しろがねはん!」


 舞い終えるなり、クナは衣装をつけたまま、踵を返して舞台から飛び出した。壁に触れながらできるかぎり急いで塔の階段を降り、外へ出て、関所がそびえたつところへ急いで向かう。

 

「ち、柱国さま! 柱国さま……!」


 短い袴のおかげで走れた。兵士たちも道を開けてくれた。だが急いだせいで足がもつれた。

 どたりと倒れて、冷たい雪が顔につく。めげずにがばりと起き上がると――

 ふわりと体が浮いた。


「晴れ姿を見せにきてくれたのか。きれいだよ」


 くすくす笑い。冷たい甲冑。背に回る腕。さくさく雪を踏む、軍靴の音がする。

 求める人に抱き上げられて、関所へ運ばれているようだ。

 クナは硬い甲冑にすがりながら頼んだ。


「糸まき……糸まきを、かしてください!」

「おや、祈ってくれるのか?」

 

 欲しいものを手渡されるなり、クナはぼろっと涙をこぼした。ぽたりぽたりとしずくが手の中にあるものに落ちる。あふれたものはそれだけではなく。


「みえないの……あたし、あなたがみえないの……どんな顔かわからない……でも、すき……すき……すきです……!」 


 言葉もまたあふれた。くすぶっていた胸の奥からようやくのこと、声となって。

 

「ほんとは、はなれたくない。はなればなれなんて、いや……」


 糸巻きから引き出された糸がびぃんと震えた。すすり泣くクナの想いを刻むために。


「だから帰ってきて。かならず帰ってきて! お願い……! 帰ってきて!!」




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