22話 玉風 (たばかぜ)
すめらの宮処は碁盤の目のように東西の宮が整然と配されている。
四方を囲むは、いと高き城壁。門は東西南北に四ヶ所ずつの、合わせて十二箇所。
かつて龍を封じる聖地であったころ、各門の上にあったのは無骨な砦であった。
しかし帝が住まう処となってからは違うものが載っている。
「なんとも壮麗ですねえ」
寒風に流れる長い黒髪。蒼い直垂をまとった貴人らしき男が、眼前を見上げる。さやかな水色の瞳に映るのは、白い雪空を突く五重の塔。
皇極門の上に建つそれは、壁も柱も鮮やかな朱塗り。太陽寝殿に管轄されている建造物だとひと目で分かる。
年始めのもろもろの行事が済んだ、一の月の末。黒髪なびかせる美丈夫は、書記官たる史生に案内されながら、粛々とその塔を昇った。各階ともずらり書庫が広がり、目に入るのは巻物ばかりである。
「大理卿はこちらの座敷にお越しになります。しばしお待ちくださいませ」
さらの巻き紙を抱える史生は、男を座敷に通して入り口近くに座した。こたびのやりとりの議事録をとるのだろう。しかし腰の筆筒から筆をとった彼は、次の瞬間どたりと倒れた。
その首にくないがずっさり突き刺さっているのが、黒髪の男の目に映る。閉められたはずの扉が、わずかに開いているのも。
座敷に腰を下ろしかけていた美丈夫は驚く間もなく、目にも留まらぬ速さで廊下へ出た。
見れば大理卿とおぼしき人が、つきあたりの室から出てこようとしている。
「狙われております! 御身を低く!」
叫ぶと同時に黒髪の男は、背後に何者かの気配を感じた。殺気を帯びた不穏なものだ。
しかしふりむかず、両手を大きく広げて、目をむく大理卿の前に飛び出す。
かばいだてした蒼い背に突き刺さる、どすどすという鈍い音。
ぎらりと、細い刃が蒼い直垂の上で光った。
幾本も、無残に。
「……というわけで、いやぁほんと、大変でしたっ」
焼け落ちた車寮の跡地にて、めらめら燃えるアオビが黒髪の婦人にまとわりついている。
はしゃぐ彼の周りには、小さな鬼火がぽんぽん。いったいいくつあるのか、弾ける花火のようだ。
「鬼火が燐光で作る幻は、少々弾力性がありますからねえ。しかし核にさえ当たらねば、刺されても大丈夫なのです。満身創痍の私、大理卿をかばって大立ち回り! 興奮しちゃって、いっぱい分裂しちゃいましたよ」
上機嫌にうそぶく蒼い炎のそばで、長い黒髪をひとつにまとめた百臘さまは、ざっくざっく。大きな熊手で黙々と、真っ黒な瓦礫を掃いている。三角巾を口にあてているが、分厚い白粉顔は煤だらけ。たすきをかけた衣も汚れて真っ黒だ。
「つまりですね、襲撃の罪をご主人さまになすりつけようとする、大陰謀であったわけですよ! 黒幕はご主人様を、ご沙汰を拒否する大罪人としたかったようなのです」
「なるほど……我が君が生身の人間でなくおまえを名代にしたは、こうなる可能性を読んだからか。して、黒幕の手がかりは?」
「申し訳ございません。襲撃者をふんじばりましたが、ぬかりなく自害されてしまいました。しかし、不知火さまと針峰さまの恨み晴らせず無念……と、もごもご口の中で……」
ひたと、百臘さまの熊手を動かす手が止まった。その白い眉間に、たちまちひびわれのごとき深い皺が寄る。
「柱国将軍おふたりの恨み? なんじゃそれは? 我が君があの方々に何をしたというのじゃ?」
「それはなんとも……」
年始行事の開催が優先されたゆえ、また、現場に刑部の立ち入り捜査が入っていたゆえ、焼けた車寮の瓦礫の撤去は伸び伸び。つい数日前に始まったばかりだ。
造営を行う木工寮の監督官たちは、男子入禁の西手に特赦状で立ち入れる。だが直丁や使部といった作業員は入れない。西手の肉体労働系作業は赤い鬼火が担う。
ここで黒髪の柱国将軍の巫女団は、再建支援の名乗りをあげた。現在四名全員、めらめら燃える鬼火たちに混じり、瓦礫を撤去している真っ最中である。
「しかし太陽神殿が……軍部中枢が我が君を、勅令を拒否する大罪人に仕立てようとするとは。なんと由々しい……」
黒髪様の巫女団の動きを知った他の巫女団たちは、本日あわてて、焼けた車寮の再建費の供出を宣言している。だが、金子に加えて労働力を提供する団はいまだない。
黒髪の巫女団は、頭ひとつ抜きん出ている状態だ。
これで少しでも、陛下の寵がうすれた黒髪様の風評を回復させたい――
百臘さまはそう目論んでいたのだが。
「軍部中枢の仕打ち、洒落にならぬわ。これでは我らがいくらあがいても、無駄やもしれぬ」
栄達著しい黒髪様は、以前からご同僚に嫉妬されているそぶりがおありだった。
外来人で将軍位の末席にありながら国姓をいただくなど、身に余る褒美を受領しておられるからだ。
「先の戦で我が君は金星をあげたが、将軍お二人は龍を失った……その逆恨みか? しかしこれほどの仕打ちの理由とするには弱いわ」
どの巫女団も御斎会では卒なく、壮麗この上ないお神楽を披露したと聞く。車を焼かれた被害者として、陛下よりそこそこの憐憫を得らたようだが、お渡りを受けた巫女はまだいない。
もし太陽神殿が爆破の黒幕ならば、月陣営にその容疑をなすりつけ、陛下の恩寵を巫女団に与えるのが狙いであっただろう。
しかしそうならなんだは、月のコハク姫が機先を制したゆえか。
――「なんで来たんや!」
庭に瓦礫をつめた袋を運び置いた九十九さまが、声を上げて鼻白む。彼女の前には、男物の直垂をまとった少女がいる。噂をすればなんとやらの、コハク姫だ。
「なぁ、あの黒髪の子。どこにやったんだ? 教えてくれ」
「あんさんはもう女御さまですやろ。おとなしく陛下のお渡りを待ってるがよろし!」
「えーっ、だるいよ、部屋で待機なんて。こっちを手伝うのがまし」
「手伝わんでよろし! さっさと去ね!」
九十九さまが鬱陶しげにしっしっと姫を追い払う。なんとぶしつけな子かと呆れ返った百臘さまは、ぱっぱと悪霊祓いを祈願する手の仕草をした。
「あのわらしが少々舞ったせいで、我が君がこれ幸いと、軍部中枢から切り捨てられるなど……」
軍部中枢は黒髪様を完全に排斥したがっているように見える。ここでばっさり切り捨てる、そのような空気を感じる。
もしかして、そうするに足るもっともな理由が他にあるのであろうか?
厳しく断罪せねばならぬ、重大な罪が――
「して、ご沙汰は?」
「はい、しかと承ってまいりました。せっかくお命を救ってさしあげたのですがねえ、ご沙汰は勅令だから変えられぬと、大理卿に申し訳なさそうに言われちゃいましたよ。でも刑部には恩を売りましたから、こたびの火事の下手人にされることだけは、ないかと思われます」
蒼い鬼火の声がしぼむ。一番の重要事項を報告するために襟を正したのだろう、周囲の小さい鬼火がしゅううとすべてひっこんだ。
「我が君に申し渡されましたのは、七日間の蟄居。そして――」
どたどたと、廊下を駆ける音が響く。
雑巾をかけるクナは思い切り床を蹴り、勢いよく前進した。
頬に触れる外気はまったく寒くない。朝から体を動かしているのでむしろ暑い。
ここは帝都よりかなり南方の地。朝方うっすら積もった雪は昼頃には溶けてしまう。
「田舎娘。それぐらいでやめなさい」
「いえ! 向かいのろうかもきれいにしますっ」
「もうよい。寒いから温泉に入ろう」
「さむくないですから、大丈夫ですよ。床ふきおわったら、庭をはきますねっ」
美声の人の要請を、クナは一所懸命掃除するという空気でかわした。
そう、この館の庭には広い湯池がある。
柱国さまはそれがため、いくつかあるご領地のうち、この地を選んだらしい。
「まだ髪のことを怒っているのか?」
「いいえっ。でもすごく心配です。あたし、白いですから」
「大丈夫だよ。ここの使い女は、地元の街から雇っている庶民だ。あの一族のことはほとんど知らぬ」
髪の色を落としたくなくて、薬湯に入ることを拒否したものの。普通の湯ならばよいだろうと言われて、すっかりだまされた。湯池で少々流しただけだのに、洗ってもようよう落ちぬ染料の匂いがしなくなった。だから嫌な予感はしたのだが。
――『まあ、なんてまっしろな御髪!』
使い女たちに驚嘆されて、クナはあえなく髪の色が戻ったことを知らされた。聞けば温泉は少々特殊な鉱泉で、薬湯と同等の効用があるらしい。
「だから心配はいらぬ。さあ、一緒に温泉に――」
「夜に入りますっ。ひ、ひとりで」
「それでは私が寒いばかりだ」
「冷気の石をおつけになってるからです。はずせばいいと思います」
「それでは君に触れられない」
「あたしこれから、舞の練習しますねっ」
「庭を掃くんじゃなかったのか?」
「あ! それ、それやってから、練習します!」
クナはどたどた廊下を走り逃げた。火照る頬を押さえ、覚えたての間取りを頭に浮かべながら。
――『たとえ記憶を失っても、私は君を愛する』
相手の誓いを聴いたとき、クナは呆然とした。
無茶をおっしゃる柱国さまに。そして、取り乱してひどく泣いた自分に。
この誓いはただの気休め。優しさと哀れみから、相手がとっさに言ってくれたものにちがいないと思った。
(あたし、なんてはずかしいまねを……)
こんな言葉を相手から引き出すほど、自分は大人気なく騒いでいたのか――
恥じ入る娘は頬を火照らせ、たちまち萎縮した。
続けて言われた愛の言葉など、受ける資格がないように思えた。
しかし退こうとする体は冷気まとう腕にからめとられ、謝罪の言葉は冷たい口づけに塞がれて。そのまま抱き上げられ、柱国さまの寝室へと連れて行かれてしまった。
成人していないからと最後の一線は越えてこなかったが、それ以外はまったく遠慮なし。
肌を重ねるのも。口づけも。愛撫も。抱擁も。柱国さまは、息をするのと同じと思っているよう。
褥だけでなく、外の湯池でも居間でも、クナを決して離さなかった。
美声の人の腕の中は、何もかも忘れてしまいそうなほど心地よく。クナは何度もとろとろほろほろ。
だが――
(だめ。おぼれちゃう)
数日たつうち、ただ愛でられるだけの自分が、なにもできない赤子のように思えてしかたなくなった。ただ腕の中で啼くだけでは。ただしがみついて甘えるだけでは――
(息が、できない……)
そう感じはじめたとき。使い女たちの囁き声が耳に入ったのだった。
『ご主人様手ずからの介助を受けられるとは。なんと幸せな姫さまなの』
『それにしても不憫だわ。白子だなんて』
『ええ、不憫ね。だからあんなに、かわいがられていらっしゃるのね』
クナを抱いて入浴する柱国さまは、はたからは、かいがいしく妻の世話をする夫に見えるのだろう。居間で菓子や食事をクナの口に入れてくるのも、きっとそんな目で見られていたにちがいない。
使い女たちは、目の見えぬクナのことをとても哀れんでいた。
(介助? そんな。あたし赤ちゃんじゃない。なんでも、ひとりでできるわ!)
それ以来クナは朝早く起き出して、一所懸命巫女修行。禊をして。祝詞を唱えて。舞の練習をする。それでも空く時間を埋めるため、ひたすら掃除する。
これで夜更けまでなんとか、美声の人に我が身を触れさせないでいる。
そして美声の人の声を聞くたび、びくりとする。
なぜなら。
(どんな顔をしたらいいの? わかんない……)
好きなのだろうと好きであるらしい人に言われて以来、自分の気持ちがよく分からない。
「百臘さま……九十九さま……アカシさん……アヤメさん……アオビさん……」
困り果てると、クナは御所で別れてしまったみなに会いたいと思ってしまう。
みなで黒の塔に帰るわけにはいかないのか。
寂しさ募るあまり柱国さまにそう訴えてみたのだが、しかしそれは難しいと言われてしまった。
『アオビは御所の情報を得るために必要だ。巫女団は……この状況で呼んだら、巫女団長に怒られる』
『怒られる?』
『巫女団というのは、すめらの国では奥向きのことを指すらしいからね。だから団長は私のために、私の巫女団を陛下のもとに預けることにしたらしい。ずっと御所から動かないでいてくれている』
『そんな……! みずから人じちに?!』
妻が人質の価値を発揮するならば、自分こそ御所にとどまるべきでは? 柱国さまは、クナと自分は夫婦だと豪語しているのだから。大体にして、クナが無理に御所へ行きたいと望まなかったら、龍が暴走することなどなかったのだ。
青ざめるクナに、しかし美声の人は苦笑するばかり。あちらが好きにそうしてくれているのだから、今はそれに甘んじれば良いと仰った。
『だがたしかに、破格の忠誠だ。これほどとは正直……。近いうちに必ず、報いよう』
報いるどころではない。正直、クナはなんとかして御所に戻れぬかと思った。
毎朝祝詞を唱えるとき、巫女団への感謝とその無事を祈願しているが、それではとても足りぬ。ひとりぬくぬく、柱国さまの腕の中で守られるなどできようか……。
――「ああ、すごい玉風だね」
背後から言われ、クナはぴたと振り上げていた腕を止めた。庭を掃いたあと、舞の練習をしていたのだが。
「ずいぶん荒れている」
柱国さまの囁きとともに、びんと琵琶の音が鳴る。
びくりとすると、くすくす自嘲するような笑い声が近づいてきた。
「いや、舞には伴奏が必要だと思って。毎日長いこと練習しているから好きなのだろうなと」
「あ、あ、ありが……」
「しかし楽器はあまり奏でたことがない。金女どののようにはいかないな」
びん、びん、びんと琵琶の音が鳴る。たしかに、九十九さまの鳴らし方とは雲泥の差だ。どことなく調子が外れている気がする。
クナはかくかく、急に関節の曲がらぬ人形のようになって固まった。
玉風。
そのような舞の型は在る。暴れ馬のような北風を指すもので、荒れ狂ったような激しい風を起こす技だ。だがさっきのは、まったくそんなつもりはなかった。辛いことをどう処理してよいかわからず、手足を乱暴に振っていた……
「つ、つくもさまはすごいんです。琵琶をならすと、魔法の気配がおりるんです。百ろうさまもすごいんです……」
「そうだね。随分長く修行している巫女のようだから」
「なんでもごぞんじで、いろんなことを、教えてくださるんです」
声が湿る。じわじわ募るのは、申し訳ないという気持ちと、会いたいという気持ち。それと。
一番強く、喉の奥からこみ上がってくるこの気持はなんだろう?
そうだ。舞いたいのだ――
クナはしくしくする胸を押さえた。
九十九さまの琵琶の音で。百臘さまの歌声で。アヤメさんとアカシさんの鈴や銅拍子が鳴る中で。自分は、舞いたいのだ……。
「この伴奏で舞ってくれるかな?」
びんびんつたなく琵琶を鳴らす柱国さまに、クナは力なくかぶりを振った。
「む、むり……いっしょじゃないと……みんないっしょじゃないと……」
「そうか。出て行く前に、君の舞を眼に焼き付けていこうと思ったが」
出ていく? それはどういう意味だろうか?
しきりに湿るまぶたを拭い、首をかしげる娘の頭に、そっと手が載せられた。
「沙汰が下ったよ。名代のアオビが受け取った勅令状が送られてきた。一週間の蟄居。そして――私の軍団は、来月魔導帝国へ出陣する遠征軍の、先鋒を務めないといけないそうだ」
「せんぽう……」
「いわば切り込み隊長の役だね。たぶん、軍部が陛下にこっそりそう下知するよう訴えたのだろう。まあ、今度は隠れず先頭に立てと。味方が死ぬのを、わざと見過ごすなと言いたいんだろう」
そういえば金星をとったことを話してくれたとき。この人はそんなことを言っていた気がする。二匹の龍が死ぬのをわざと見過ごしたとか……
「ばれないかと思っていたが、軍部はそんなにバカではなかったようだ。まあ、なんとかする。このままではむりだとだだをこねて、腐れ龍を特赦で出してもらうのもありだな」
ばち、と変な音をたてて琵琶の音が途絶える。不吉な予兆ではないかと身が竦むほどの、変な音だ。弦が切れたと、美声の人はくつくつおかしげに笑った。
「それより、巫女団が全員そろわねばならぬというなら、そろうようにしよう。戦勝祈願をしてもらうという名目ならばきっと、我が巫女団を御所から解放できる。前に君が望んだ通りに、みなを黒の塔に集めることが可能だ。だから――」
琵琶の終音とはうらはらに、美声の人の声は明るく甘く。一片の陰りもなく。
「舞ってくれるかな? 君の舞を見てみたい」
ただただ、あたりの空気を震わせるほど澄んでいた。まるで無垢な水晶のように。