1話 月の男
その日は実に晴れ晴れとしていた。
空には雲ひとつなく。日輪はいつにもましてまばゆく。しかし陽のまなざしはおだやか。
十の月ゆえ、紺の瓦ひしめく帝都には、秋風がさやかに吹いていた。
「まこと、天照しさまのご加護ある国」
「建国を祝うにふさわしい日和じゃの」
臣民は天を仰いで口々にそう言い、日輪に手を合わせた。
建国記念の大祭というので、帝都の大路には市が立って大にぎわい。そこかしこで、花吹雪がまかれている。うきうき浮き立っているが、すめらの民は信心深い。天つ神への感謝を、けっして忘れないのだった。
「太陽のめぐみじゃ」「ありがたいことですなぁ」
「しかしなんともよい匂い」「串肉をあちらで焼いておりますよ」
「屋台が出せるのも、天照らしさまと天子さまのおかげ」「ほんにそうですな」
にぎわう大路を、白い月紋の牛車がゆたりゆたり。
「なんとすばらしい天気」「今宵は、月女さまのお姿も美しかろうよ」
月の大神官トウイは、牛車の窓の隙間から大路をゆるゆる眺めて、目を細めた。
(ふふふ。よく飼いならされておる。よき民じゃ)
お仕えする月神への賛辞を聞いて、もとから細い目は糸のよう。
銀箔を散らした扇子でひざをひと打ち。白絹の衣のそでをおちょぼ口にあて、悦に笑う。
夜になればさらに、都は月女さまへの賛辞であふれかえるにちがいない。
なぜなら今宵は十三夜。主上がおわす内裏では、月の宴がひらかれる。帝都五十万の民もむろんのこと、月に向かって手を合わせるであろう。
神官であるトウイにとって、天の神々へ頭たれる民を眺めるのは、なんとも心地よいことだった。
(信心深く、従順なる臣民。まさにわれら月神官の、教育のたまものであるな)
すめらの国主は今上の帝。太陽神の天孫とされる、現人神。
皇族と貴族から成る元老院が、主上の思し召しを汲み、具体的な政策を定める。
定められたことをもとに、三色の神殿が実務を行う。
三色とはすなわち、朱衣まとう太陽神殿、白衣まとう月神殿、蒼衣まとう星神殿のこと。
政教一体。
帝国百州、属州十二州の広大な国土は、この三神殿によって、つつがなく管理されている。
ざっと大分すると、太陽神殿は軍事と法を、星神殿は大蔵と公共工事を、そして月神殿は外交と教育と厚生福祉を司る。
すなわちトウイを一の長とする月神殿こそが、日々、民をみちびき育んでいるのだ。
(月神殿こそが、この帝国を支えておるのじゃ)
月の大神官となって十年。太陽神殿が戦に明けくれるなか、トウイが統率する月神殿は堅実に、帝国内の教育制度の改革に努めてきた。
従来のものでは、民にすめらの国への絶対の忠誠を植えつけるには生ぬるい。
庶民むけの国営学校の教育を抜本的に見直し、雑多なつめこみ教育を廃止して、教える内容を厳選せねばならぬ……。
月神殿が元老院に、血のにじむような工作と根回しをした結果、臣民教化政策は日の目をみている。
ゆえにトウイは、内心鼻高々であった。
(わしは、脳筋の太陽神官どもとは違うからな。若きころから血筋に甘えず、勤勉であったわ。民を飼いならすにはどうすればよいか、よくよく研究したものよ)
政教一体のすめらの国において、貴族というのは、三色の神殿に代々仕える神官族を指す。
トウイの家は代々帝都月神殿の神官を務める、家格第一等の大貴族。元老院の議席をもっている。
元老院議員の子息がみなそうするように、トウイも帝国の最高学府、国子監に入って学歴を得た。
学生生活は、たいへん充実したものであったと記憶している。
そして太陽神殿の子息たちは、たいへん微妙であったこともよく覚えている。
講義はサボる。落第はあたりまえ。女にうつつをぬかす。会話は幼稚きわまりなく、遊戯札や武器鎧や、兵器の性能のことばかり。
青春をだらだら謳歌する太陽の貴公子たちを尻目に、月の貴公子トウイは勉学にはげみ、さっそうと主席で卒業して、おのれに燦然と輝く箔をつけた。
狙い通りその箔が、出世に大きく作用した。任官先は当然、父と同じ帝都月神殿。
トウイは着任直後から大神官の目に止まり、かわいがられてひとり娘を与えられた。
先代が死去すると当然のごとく、大神官位はトウイのもの。
熱心に臣民を教化するかたわら、夫人との間に息子二人と娘ひとりをもうけた。先日長男次男ともに、月の名家から子女を娶って、お家は磐石至極。さらに娘のマカリ姫は、今年十五歳。つつがなく裳着の儀をうけて成人した。
姫は母に似て、牡丹か芍薬かという美しさ。
「帝国一美しい巫女姫」であると、帝都で評判になっている……。
このように、月のトウイの人生には、なんのかげりもなかった。
今日、この日までは。
「こら、無礼な!」
突然。都大路を進むトウイの牛車が、がくりと揺れて止まった。
御者の叫びに、トウイがなにごとかと小窓からのぞけば。がららと音をたて、四頭立ての洋馬車が大路を駆け抜けていく。馬車が牛車のすぐわきを、乱暴にすりぬけていったのだ。
「なんとがさつな」
馬車には朱色の太陽紋。帝都太陽神殿のものだろう。
まっすぐ北への進行方向からして、行き先はトウイと同じ帝宮、主上のおわす内裏。太陽神官のどなたかが乗っているにちがいない。
「ふん、馬車などせわしない。異国かぶれめ」
トウイはおっとり扇子をひらき、顔を半分隠して嘆息した。
まったく、太陽神官族というものは……。
本日はめでたき建国記念の宴。それゆえ主上に召されたが、御前にて太陽神官たちと向かいあうのは、正直楽しくないことだ。
帝国は大陸の覇権を賭け、ながきにわたって他国と戦っている。それゆえ元老院は軍事偏重。
軍事と法を司る太陽神殿の権勢の強いこと、この上ない。
権力を持てばおごるのが世の常。太陽神殿の越権やごりおしなど、日常茶飯事だ。
月神殿が外交で処置するとしたことにも横槍を入れてきて、兵を出したがる。
予算もがっぽりとっていく。兵器はつくり放題、巫女の力を将軍に吸わせて、無敵の指揮官をつくるとか。そんなあやしげなこともやっている……。
月神殿や星神殿が管轄する諸事は、常にあとまわし。予算をごっそり削られて、いい迷惑だ。
しかし今宵は、十三夜。
「月の宴なれば、本日は月神殿が主役。太陽神殿には、控えていただこうぞ」
トウイはますます目を糸にする。
主上は今宵、月女さまをお題にして歌を詠まれるであろう。
その時トウイはさりげなく、言上しようと思っている。
『我が娘マカリを、宮中に上げたくぞんじまする』
むろんそのような言葉を直接いうのではなく、そんな意味の歌を吟じるのだ。
『その杯に、月を映して飲まれてはどうですか?』
かような雰囲気の言葉を、雅びに奥ゆかしく並べるのである。
「さて。姫をどう形容して、紹介しようかの。しろがねの……慈愛の……」
トウイは目に入れても痛くない愛娘の姿を思い浮かべ、詠み歌の枕ことばをさがした。
元老院議員の姫は幼きころより、帝都神殿にて養育される。父が勤める神殿にて処女性を守られつつ、主上のお后候補として育てられるのだ。
娘のマカリ姫が年頃となり、みめうるわしく成長していることは、すでに若き主上の耳に入っている。幻像を水晶球にこめて献上したから、しっかり目にも入っている。
マカリ姫の美しさは、壁画に描かれるうるわしの月女さまそのもの。ゆめゆめおことわりの返歌をいただくことはあるまい。
トウイはずいぶん前から、夫人に輿入れの準備をさせている。
幾枚もの錦の衣や裳。かんざしや櫛や鏡や文箱。螺鈿の箪笥に銀箔塗りの箱に入った茶道具……嫁入りの品は、どれも一流の職人が織ったり仕立てたり作りあげたりした、一点もの。最高の品ぞろえ。
特に銀の月を模したかんざしの意匠の、それはそれは見事なことといったら。
あれこそは、月女さまの涙をかためたものであろう……。
建国記念の祝祭は、三日間続く。一夜明け、本日はその二日目。
ぽんぽん打ち上げられた花玉が、晴れわたった蒼穹にふわりと広がる。
破裂した玉からほそい爆竹が無数に飛び出して、ながくえんえんと、煙の尾をひいた。
あまたの爆竹は羽虫の群れのごとく空を飛び交い、ふわりひろがる花模様と化す。その花弁は綿のようで、なんともやわらかな風合いだ。
薄桃にくれないつつじ、赤もみじ。花園をとびかう朱の鳳凰。
紺の瓦ひしめく空は百花繚乱。帝都五十万の民が見上げているのだろう、にぎやかな歓声が秋風にのり、白壁映える月神殿の一室に運ばれていく。
「おのれ……おのれおのれおのれぇっ!」
月の大神官トウイは部屋に垂れる月紋の幕を乱暴におしのけた。私室の窓から空一面の花玉がみえる。
空ゆく朱色の鳥を見るなり、そのまっしろな顔がぐしゃり。みるみる歪んでいく。
「朱色など。なんとむかつく……!」
窓枠を激しくひと殴りしたトウイは、おのが寝台にどずんと腰を落とした。
昨日悦に入って牛車に乗っていたときとは大ちがい。げっそり頬こけ、やつれている。昨晩遅く内裏から帰ってより、衣を脱ぎもせず、体をきよめもせず。部屋の調度にあたりちらし、大荒れの呈である。
「白湯をおもちしましたよ」
部屋に夫人が入ってくるも、いつもの笑顔が見せられない。
「くそ! どうしてこんなっ……」
「それはあなたさまに、歌詠みの才がなかったせいでございましょう」
夫人は早口に言い放つと、白湯をいれた椀を寝台の横の卓にどんっと置いた。
「あなたさまは吟じるのはそこそこですが、人の歌を解するのは――」
「ちがう、わしは太陽神官どもに嵌められたのだっ」
憔悴いちじるしいトウイは弁明するも、夫人は怒りに満ち、疑わしいまなざしを崩さない。
「身代わりをたててくださいませ」
「むろんだ。密偵たちが、手ごろな娘を探しておる」
「間に合わねば、わたくしのマカリ姫は……」
「間に合わせるっ!」
どうしてこうなった。
夫人が鬼瓦のような顔をはりつかせたまま辞したあと。トウイは寝台の上で頭をかきむしり、苦悶のうめきをもらした。
昨晩の月の宴は、実に優雅で雅やか。池に映るはしろがねの月。竜笛の調べが流れる中、杯に月を映す美酒が酌み交わされた。
若き主上は黄金の衣まとう艶姿。杯をかかげられ、月の美しさに焦がれる歌をお詠みになられた。
するとおそばにおられる銀の衣の母后さまも、月のけなげさを愛でる歌をお詠みになられた。
これはおすすめするまでもなく、お二人は我が娘をお望みなのだと、トウイは有頂天。
であったのに。
よろこんで月の娘を差し上げますと言う意味の歌を、朗々と詠み返すと。
主上は実にほっとした龍顔で、トウイに謝意を示されて、思し召しを下された。
『では、八人の帝都月神殿の巫女を、八人の柱国将軍に捧げるように』
『は……はぁあああ?!』
トウイは口をあんぐり。呆然とその場に固まった。
刹那、「ありがたき幸せにございます」と深々頭をさげたのは、太陽神官のものども。
これは太陽神殿の、卑怯きわまるはかりごと。
月のトウイ、ハッと気づいたるも、あとのまつり――。
柱国将軍とは、群を抜く武功により勲位を授けられた、すめらの武人のこと。
すなわち幾万もの兵士を率いて戦場で戦う、太陽神殿の神官である。
彼らは帝国の守護神とうたわれているが、しかしその実は、巫女に宿った神霊の力を吸うという、あやしげな方法で強化された将軍たちにほかならない。
『柱国将軍は今まで、州太陽神殿の巫女を娶り、神霊の加護を得てきた。しかしそれでも、レヴテルニ帝率いる魔道帝国軍との戦は苦しい。太陽神殿は将軍たちのさらなる強化のために、最高位の巫女姫を娶りたいと、切に望んでおる。だがな、帝都太陽神殿の巫女はみな近々嫁ぐことに決まっておるので、将軍たちにはやれぬのだ』
つまり太陽神殿は、家格の高い巫女姫を娶らせて柱国将軍を無敵にしたいが、自前の巫女姫を使うことを惜しんだのだ。帝都月神殿の巫女を使えば一石二鳥。柱国将軍は強くなり、月神殿は内裏への影響力をそがれる。
『トウイよ、よくぞ承諾してくれた。朕はあらためてそなたに礼を述べる。おいおいそなたに、これに報いる勲位と、相応の封土をあたえることとする』
主上の龍顔は晴れ晴れ、まるで悪い憑きものから解放されたよう。
呆然自失のトウイはそこでハッと気がついた。主上に寄りそう母后さまがチラチラと、太陽神官のひとりに熱っぽいまなざしを送っておられるのを。
(まさか……まさか母后さまは……!)
その太陽神官は、なんともみめよい美丈夫――。
(なんということだ! 太陽神殿は、母后さまを寵絡したのか?!)
母后さまは帝都星神殿のご出身。ゆえにトウイは完全に油断していた。
三色の神殿は三つ巴。母后さまは当然、星神殿を身びいきすることはあろうが、よもや太陽神殿に取り込まれることはあるまいと。
だが太陽神殿は、主上とその母君を手中に入れたのだ。おそらく。おそらくは、言葉にするのをはばかられる手段を使って……。
(はめられた……おのれ! はめられたぁっ……! ぜ、絶体絶命じゃ!)
内裏にて主上とかわされた約束は、けっして覆せない。
元老院で発議はされるが、この場合は、形式だけのものとなる。
このことはなかったことにしてくれとこちらがごねたら、主上への反逆の意志ありとみなされてしまう。
月の夜であるというのに、太陽神官どもの、なんとにこやかで晴れ晴れしかったことか。
おそろしい。実におそろしいものどもだ。
『ご協力いたみいる、月のトウイどの』
とどめに太陽の大神官ヤンロンが、朱の衣のすそをすすとひいて立ち上がり、ぬけぬけと斜め三十度の会釈をしてきた。その手には、すめらの国の公文書である紙の巻物がひと巻。
それは薄く黄色で金箔が散らしてあり、ひと目で帝の勅令状だということがわかった。
『帝都月神殿の巫女姫は、ちょうど八人おられるな。数がぴったりとは、これはただならぬ縁。いやめでたい。だれをだれに娶らせるかは、太陽神殿の方で決めさせていただいた』
『なっ……』
どこがめでたいのだという叫びを、トウイは必死に呑み込んだ。
柱国将軍が巫女から力を吸い上げるのは、三ヶ月に一度。「娶る」と称するが、その実はつまり……。
『今から縁組みを読み上げる。ロンのトワ姫は不知火の柱国将軍に、フウのアイ姫は……』
よくもあのとき、あの場で卒倒しなかったものだとトウイは思う。
それは十割、悪意としか思えぬ縁組であった。
『……トウのマカリ姫は黒髪の柱国将軍に、その御身を捧げられたし』
「あああ……わしのマカリが、よりによってあの、黒髪の……ざ、残虐きわまりないというあの……!」
寝台に力なく座るトウイは、顔を手で多い、ふらりとよろけた。
月見酒の味など、まったく覚えていない。
太陽神官たちの勝ち誇った笑顔も、第二第三の月神官のうらめしげな顔も、ただただおそろしかった。思わずすがるように星の神官たちを見てしまったが、びくりと腰引くあれらになにができるというのか。
しろがねの月女さまはそ知らぬふり、天で冷たく輝くばかり。
毎日祝詞を唱えて称えているのに、なんとつれない仕打ち。
いや。トウイ自身が、承諾してしまったのだ。この理不尽な縁組みを。未来のない輿入れを……。
だから女神を責めるなど、さかうらみもよいところ。だが、恨めしく思わずにはいられない。
顔面青きを通りこし、トウイの顔は衣と同じくまっ白。
帰殿するなり几帳を倒し、屏風を蹴倒し。夜通し、太陽を呪う言葉を、月を恨む言葉を、ついでに星を役立たずとののしる言葉を、万と吐いた。
「太陽など、昇ってくるな!」
太陽神殿はこちらに小細工をさせまいと、輿入れの日をなんと二日後に指定してきた。
十五夜の日、月の巫女姫たちを引き取りにくるという。
勅令で名指しされているゆえ、他の娘を養女にして差し出すことはできない。
しかしトウイは、わが娘マカリ姫だけは、なんとしても助けたかった。
『猊下』
白湯の器を鬱々と睨むトウイの手元で、水晶球が仄かに光る。玉がかすかに点滅すると同時に、低い男の声がした。
『仰せのとおり、飢饉が起きたところを当たらせました。央州の山村から、娘を売りたがっている農夫が、ふもとの宿場町に集まっております。町の名は……』
これぞ待っていたもの。トウイは食い入るような目で水晶球をがしり。震える手でにぎりしめた。
「い、いちばん見目良いのを、買い取らせよ」
『おそれながら、買い取りの上限額はいかほどでありましょうか』
「いくら出しても構わぬ! 今日中に連れてまいれ。急ぐのだ!」
『御意』
トウイは額にどっとふき出る汗をぬぐった。
これから、村娘を「マカリ姫」に仕立てねばならぬ。
蝶よ花よとかわいがり、自ら巫女の祝詞を教え、手塩にかけて育んだ娘。
あの子だけは、救ってみせる。なんとしても救ってみせる。そして救ったのちには。
「太陽の者どもに復讐を……」
震えるこぶしをぐっと握り、トウイは固く誓うのだった。
狂おしい、暗い殺気をおびた眼で。