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終章 5話 ポポフキン夫人の回顧録

『その日、目にしたこと。そして次の日に起きたことを、私は、生涯忘れないでしょう。

 至高なる舞師の舞と。甘露の涙と。天に飛び去りし黒い鳳のことを』

(神聖歴7880年刊 ポポフキン夫人の回顧録より)



 ぱちぱちと白亜の暖炉で赤い火が燃えている。

 炎が暖めているのは、石組みの城の一室だ。白い鷹の紋様のタペストリが壁という壁にかかっているのは、部屋のぬくもりを逃さぬようにするための工夫である。石の城は驚くほど暖まりにくい。夏ですら肌寒くて、腕を出してはいられないほどである。


「雪が止みましたか」


 西方風の白絹のガウンに身を包んだ金髪の貴婦人が、しずしずと部屋を横切った。

分厚いギヤマンが嵌められた円形の窓の向こうは、まぶしい雪景色。城下の家々の屋根に、雪が分厚く積もっている。

 暖かな炎の熱を背に受けながら、金髪の婦人は羊皮紙を広げた卓についた。神霊玉の力が宿る紅色の瞳で今まで書いたところを確認し、インク壺に入れていた羽ペンを取る。

 婦人は心配げにちらりと後ろを振り向いた。年配の乳母が暖炉のそばで、白鷹の紋様がついたゆりかごを優しく揺らしている。赤子がすやすや眠りだしたことを確かめた婦人はほっと息をつき、羊皮紙にさらさらと、回顧録の続きをしたため始めた。


『その日。すなわち巫女王ミン様の葬礼の日、私は髪を結い上げ、黒い鉢巻きを締めました。白い千早に黒袴という、ひと目で太陽の巫女と分かる出で立ちで帝都太陽神殿に参上したのです。なれど私は巫女たちが控える室ではなく、元老院の方々の隣に座すようにと、湖黄殿の摂政猊下から直々に命じられました。

ユーグ州の親善大使というのは、元老院の方々のそばに並べる身分であるからでした。

当時私の婚約者になったばかりのグリゴーリ様も、帝都太陽神殿に招かれておりました。なれども異国人であるために、神殿前に設営された特設の祭場にて、先の太陽の巫女王の冥福を祈らなければなりませんでした。



 南中より始まった葬礼は、日没と共に終わりました。

 私はグリゴーリ様に舞台の様子をお伝えしようと、特設の祭場へ足を運びました。

 ご弔問にいらした異国の方々は数十人ほどで、元老院が厳選したとのこと。

 金獅子州公家にゆかりの方々、グリゴーリ様を筆頭とするユーグ州の使節団に加えて、魔導帝国の赤毛の幼帝陛下や黄金の護国卿もおられました。

 しろがね様の舞をごらんになれなかった幼帝陛下は、泣いてしまうほど残念がっておいでで、そのせいで護国卿閣下がかなりご機嫌を損ねていらっしゃいました。もてなす太陽の神官たちを、今にも木っ端微塵にしかねないような神気を放っていたのを覚えております。

 日が沈んだころ、嬉しきことが起こりました。

 しろがね様が賓客のおられる祭場にいらして下さったのです。私はグリゴーリ様と共に今一度、しろがね様の舞を見るという幸運に恵まれたのでした。


 躍る風。天へと舞う天女。


 素晴らしい舞が終わった後。しろがね様は私を見つけて、駆け寄ってこられました。

 妹君のシガ様に舞ってほしいとお願いされたのだと、しかもシガ様から思いの丈を綴った文をもらったのだと、歓喜に満ち満ちたご様子で教えてくださいました。

 文には、姉君のことを心から尊敬していること。どうかこれからもすめらを守ってほしいという願い。自分も成すべき事を全うするという決意などがしたためられていたそうです


『目が見えるようにならなかったら、この文は読めなかったわ。決して読めなかったわ』


 しろがね様はそう仰り、感涙にむせんで、甘い涙をぽろぽろこぼしておられました。

 その光景を目にしただれもが、えもいわれぬ、春めいた優しい気持ちになったのです。

 竜蝶の姉妹が抱き合う姿を、私たちは目に焼き付けました。

 一体誰があのとき、次の日に起こったことを予想しえたでしょうか――』


 ゆりかごのそばにいた乳母が、客が来たことを告げた。

 金髪の貴婦人は筆を置いて席を立ち、うやうやしく頭を垂れて客人を迎えた。


「ようこそ、リアン様。はるばるお越しいただいて、ありがとう存じます」

 

 銀狐の毛皮をまとっている客人は、満面の笑顔で金髪の貴婦人を抱きしめた。


「ごきげんよう、ポポフキン夫人。思いのほか早く着きましたわ。これからたびたび、お邪魔しようって思ったぐらい。さあ、あなたの天使はどこ? あたくしの息子にふさわしい美人かしら?」

「まあ、リアンさま。私の娘が、金獅子州公家に嫁ぐなんてことは」

「ありえますわよ。ポポフキン男爵家は白鷹州公家の傍流。ポポフキンという名は、まさに分家という意味で、家紋は本家と同じ白鷹の紋。文句なしに由緒あるお家ですもの」


 客人が毛皮の帽子をとると、豊かな金髪が肩に流れ落ちた。

 青い双眸をきらきらと光らせながら、客人は暖炉のそばのゆりかごに近づいた。


「とても素敵な子ですわね。まっしろな肌に白金の髪。青い瞳は、宝石のよう」

「お乳をよく飲んでくれます。きっと健やかに育ってくれると、信じています」

「きっと願い通りになりますわ。あたくしたちは、しろがねの女神の加護を受けているんですもの」


 つんとすました顔の客人の後ろから、贈り物の箱をいくつも抱えた侍女たちが流れ込むように入ってきた。金髪の貴婦人は、どんどん積み重なって山となっていく箱に目をみはった。

 服も玩具も最高の品を取り揃えた、遠慮なく受け取ってほしいと、客人は目を細めた。

 

「これぐらい当然ですわ。だってあたくしは、金獅子州公家の公妃ですもの。だれよりも多く、だれよりも立派なものを贈らなければ」


 リアン姫が公子妃として輿入れして三年後、金獅子州公が不慮の事故で身罷った。世代交代はまだ先のこと。公子もリアン姫もそう思っていた中での不幸であった。

 父の跡を継いだ夫君ルゥビーンは、他の妃を娶っていない。生涯、妻はリアン姫のみとすると、大陸中に公報を流して、公女を娶らせようとする他州の州公家を黙らせた。

 臣下団は新しい国主に反することなく、リアン姫を名実ともに正妃と認めた。輿入れしてほぼ一年後に公子をもうけ、翌年にはさらに双子の兄弟を産んだからだ。

 リアン姫はその後もさらに三男三女をもうけて大家族を成し、息子のひとりは天の島に住まう女神の子と結ばれるのだが――

 それはまた別の、長い長い物語である。


「何か色々書いてらっしゃると聞いたけれど」


 卓に広げられた羊皮紙を見つけて、リアン姫はポポフキン夫人をいたずらっぽい目つきでつついた。頬をかすかに紅潮させながら、貴婦人は戸棚に重ねた巻物の束を指さした。


「回顧録をしたためております。私たちが経験したことは、後世に伝えねばならない。そう思っておりますから」

「ペンを持ってじっくり書き物ができるなんて、うらやましいですわ。あたくしは視察やら外交訪問やら、毎日どこかに行く公務ばかり。臣下団は良くしてくれますけど、あたくしのコネでしろがねを我が州に呼んでくれって、期待満々にせっついてきますの。最近はそれをかわすのに大変ですわ」

「しろがね様はとてもお忙しいですね。すめら百州を巡っておられますもの」

「ええ、当分は異国に来る暇なんてないでしょうね」

「すめらの民に祝福の神舞を贈る。民と交わり、自由を説く。妹君が、望まれた通りに……」



 楽しい晩餐。音楽の調べ。詩の朗読。

 良人と共に客人をもてなしたあと、ポポフキン夫人は私室へ戻った。

 ほろ酔い加減のグリゴーリ卿が先に寝室のベッドに倒れ込んでしまったので、夫人は少しだけ書き物の続きをしたためた。


『巫女王の葬礼が行われてから、はや五年。

なれどその翌日に起きたことは、昨日のことのように覚えております。


 いまだ日が昇らぬ刻に、帝都太陽神殿の巫女たちが舞台に集いました。

 私も巫女の一人として参じました。

 神官たちも舞台に昇り、神殿に務めるすべての者が揃うと、一位の大神官さまが帛を広げて、帝の崩御を公表なさいました。

 同じ刻、すめら百州に津々浦々と、全国民が喪に服するようにとの布告が出されました。

 かくて私たち帝都神殿の巫女は、大喪の始まりの儀式に臨みました。

 私はリアン様と共に、巫女の列の外輪におりました。異国へ嫁ぐことが決まっていた私たちは、半分部外者であったからです。

 しめやかな雅楽が流れる中、しろがね様が現れました。

太陽の巫女のひとりとして、帝を悼みたいと思し召したのでした。

しろがね様は、巫女王サン姫様と共に、舞台に据えられた祭壇の前に並びました。三人の大神官がおふたりの後ろに控えました。

 大喪の皮切りとして、この祭壇にて異国の娘がひとり、生け贄に捧げられることになっておりました。

私たちは舞台の上で、その娘が連れてこられるのを待っていたのです。

なれども幾時経っても、娘は現れませんでした。

 日が昇り、何か不手際があったのかとひそひそ言い合い始めた舞台の面々のもとに、獄吏があわてふためきながらやってきました。

なんと、黒髪をなびかせる影が生け贄をさらっていったというのです。

 獄にはこれを代わりに捧げよといわんばかりに、鏡が一枚残されたそうです。

 それはまごうことなく、しろがね様が母と慕う御方が宿る霊境でした。


『生け贄はいらぬ。代わりに舞を捧げよ』


 おそらく、黒髪の御方が異国の娘を救い出してくださったのでしょう。


 かくて儀式は、鏡姫様の主導のもとに営まれ、舞台に風が満ちました。

 巫女王様としろがね様が真ん中で巫女たちの風を織りあげ、見事な風柱を練り上げました。

 天へ届かんばかりの柱が立ち昇り、だれもが、これで滞りなく儀式が終わると感じたとき。

 舞台にひとり、女性が駆け昇ってきました。 

 短く切った鳶色の髪に黒裳をかぶせ、黒い錦を床にたなびかせながら。

 しろがね様は驚きながらも、その御方、シガ様を舞の風の中に導き入れました。

 シガ様は見事に舞われました。

 湖黄殿の御方から教えていただいたのでしょう、ぎこちないながらも一所懸命回転し、必死に風を起こしておられました。

 しろがね様は妹君を支え、最後には高く飛べるようにと、大いなる風で押し上げました。

 なんて素晴らしい。なんて美しい――


 風よ。

 風よ。

 舞い昇れ。


 姉妹の舞に私もリアン様も言葉を失い、ただただ、感嘆して眺めるばかりでした。

 なれども。

 高く高く、天へ飛んだシガ様は、降りたとたんに舞台に倒れてしまわれたのです。

 

『シガ! どうしたの、シガ!!』


 しろがね様が抱き起こしましたが、シガ様は口から血を流しておられました。

 遅効性の毒をお飲みになって舞台に昇ったのだと、私たちは青ざめながら悟りました。

 声を出せないシガ様は駆け寄った姉君を腕ではねのけ、毒だけでは飽き足らぬという様子で、懐に隠し持っていた短剣でご自分の胸を刺しました。

後から湖黄殿の御方に聞いたところによると、その短剣こそは帝を殺めた凶器であったそうです。

シガ様は姉君にご自分がしたためた文を渡し、祭壇にすがりながら、こときれました。

まっしろな甘露の血が、祭壇を濡らしました。

 その場で文をごらんになったしろがね様は、とめどなく涙を流されました。

 シガ様は、自分も帝を殺めたことを、そして憎悪ではなく愛ゆえにそうしたのだと、文にて告白されておられました。

 これ以上、帝が人が苦める姿を見たくない。

 帝が後宮に幽閉されているシズリ様のもとへ、しのんでいくのも耐えられない。

 私欲に走る良人には、私欲にまみれた妻が似合いであろう。

 愛する人を独占したいと望む自分こそ、帝と共に天河を渡るべきであろう。

 そのようなことが、つらつらとしたためられていたのでした。

 

『我が巫女。妹君の望み、叶えてやるがよい。御霊を風に乗せて、天河へ送るのじゃ。帝がおわすところへ』


 鏡姫様の御言葉に従い、しろがね様は大いなる風を起こしました。

 哀しみの風は舞台を昇り、天へ届きました。

 昇り始めた太陽の方角から、漆黒の御方が舞い降りてきたのです。

 背にあまたの精霊を固めて翼となすその御方は、一瞬悲痛な声をあげました。

 大きな漆黒の翼が、動かぬシガ様を抱くしろがね様を優しく包み込みました。

 そうしてしろがね様は天へ昇っていかれました。

 私たちはいつまでも、空にたなびく漆黒の尾を眺めておりました。

 いつまでも……



 シガ様は私欲にまみれているとご自分を責められましたが、決してそうではないと私は思います。

 後々になって、私たちはしろがね様が受け取った文のもう一枚に、ご遺言が記されていたことを知りました。それはシガという私人ではなく。すめらの皇后、太極殿の御方としてしたためられたものであったのでした。



『すめらのすべての民に、自由を。

旧き教えで凝り固まった人々が、身も心も、旧き支配から解き放たれますように。

竜蝶が虐げられることなく、どのような種族の者たちも、平和に暮らせますように。

愛する姉上。やるべきことをできなかった良人と私を、どうか許してください。

そしてどうか皆に、祝福と導きを与えてください』



 しろがね様は今、すめらの各地を巡っておられます。 

 あまたの精霊を従える黒髪の御方に守られながら、村という村を、町という町を訪れ、すめらの民ひとりひとりと会って話し、大いなる風の祝福を与えていらっしゃいます。

 戦皇の女官を務めた巫女たちもしろがね様に付き従って、共に舞っています。

 あたかも北五州を巡った、舞踊団のように。

 妹君の願いはおのれ自身の願いでもある。しろがね様は常にそう仰って、天に昇った御霊をしのんでおられるそうです。

 


 しろがね様の祝福の舞は、〈舞師の風〉と呼ばれて、あまたの人々が待ち望むものとなっております。

 なぜならばその柔らな風に包まれると、怪我が治る。病が治る。

 そう信じられるようになったからです。

 

 

 しろがね様は、舞い続けるでしょう。

 すめらの民のために。

 百州を巡り終えたら、大陸中の人々のために。

 天女は、優しい風を贈り続けることでしょう。

 どんな人にも、分け隔てなく』





 暖炉のそばで赤子が泣き出した。

 ポポフキン夫人は羽ペンを置き、贈り物の山に囲まれた我が子のもとへ駆け寄った。


「よしよし、大丈夫ですよ。さあ、お父様のところに行きましょうね」


 夫人は赤子を抱いて私室を出た。

 廊下の窓からもれる月明かりを見て、夫人は目を細めて微笑んだ。

 しろがねの月は、凛と美しく空で輝いていた。

 そばに小さな子どもの月を、従えながら。

  




ここまで読んでくださってありがとうございます。

あと一話で完結です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あああああ! せっかく和解の芽が見え始めたところで……と残念な思いはあるけれど、シガ嬢の思いも分かってしまう……そうかぁ、そうかぁ……。
[一言] シガ……(。´Д⊂) それでも姉妹、あれこれのしがらみを越えて抱き合えたことは、しろがねも嬉しかったことでしょう。 今までの常識から抜け出すのは容易ではないでしょうが、いつか、きっとしろがね…
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