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16話 守りの錦

 ひゅおう、ひゅおう。格子の窓から冷たい空気が入り込む。

 クナは手探りで窓辺に寄った。


「ふゆのにおい……」


 外は雪。耳を澄ませばしんしんさらら。雪が舞う音が聞こえてくる。

 手探りで窓のよろい戸を閉めると、真新しい木の匂いが鼻をついてきた。直されたばかりの柱国さまの寝室は、塗料の香りがきつくてどうにも落ち着かない。

 クナは空気を入れ替えるべく、凍えそうになるまで窓を開けていたのだった。

 

「さむい」


 寝台に座ってぱたり。身を倒し、ゆたりとした衣のすそを引き寄せて身を縮める。

 とたん、しゃららと衣が歌う。頭からすっぽり被る形の服は、なんともつややかな肌触りだ。


『私の黒衣と同じ、白綿蟲の糸で織られた衣だ。君のは生成りで白い』


 二つ並べられたおそろいの長持ち。クナの箱に入っている衣はみな、綿蟲の糸で織られたものらしい。しかしどれも、ほんのり甘い匂いがしみついていた。


『あのこれ……もしかしておふるのきもの?』


 柱国さまに聞けば思った通り。かつて柱国さまを不死の魔人にした龍蝶。きれいな名前の子が着ていた衣だという。形見の品を着るのは無理だと、クナは即座に遠慮したのだが。


『君のものだ』


 柱国さまは他の衣をくださる気は毛頭なかった。嫌がるクナにその衣を被せたとたん、たちまちその美声は湿り、クナは腰の骨が折れそうになるほどきつくきつく、抱きしめられた。


『ほら、ぴったりだ……』


 それから柱国さまは渋々、宮処へ飛んでいかれた。

 クナが願い倒さなかったら、きっとクナを抱きしめたまま、出立を日延べしたことだろう。

 

『おねがいします! へいかのところにいるりゅうちょうのようすを、みてきてください!』

『見てきてやりたいのはやまやまだが。君と離れたくない』

『あたしははなれたいです! へやからだしてください!』

『出してやりたいのはやまやまだが。君を離したくな――』

『だいたいにして、へいかのごめいれいをむしするのは、だめだとおもいます!』

 

 尻を叩くような剣幕で訴え、がっちり唇を両手で防護して口づけ拒否。


『う……』


 それでようやくのこと、柱国さまは出塔なさった。


『この糸巻きに、私の無事を祈ってくれ』


 夫を名乗る人は出がけに、あのお守りの糸巻きを出してきた。糸に歌をふりかけてほしいという。

 深い想いがこめられている糸に、自分の歌声なぞかけてよいのだろうか? 

 ひどく躊躇すると、柱国さまは大丈夫だと請け負った。

 

『歌の願いは蓄積される。あの子は毎日糸巻きに祈りを込め続けてくれた。君がさらに想いを込めてくれたら、このお守りはもっと力を増す』


 耳を当てれば聴こえてくる、透き通った歌声。


 あいしてる。

 あいしてる。

 あいしてる……


『合わせて歌ってくれ。同じ言葉をこの糸に』


(むり……そんなのむり)


 胸が詰まってとても言えない――。

 美しい歌声に、自分の凡庸な声を混ぜるなんて。糸にこめられた純粋な想いを壊してしまうような気がして、クナはぽそぽそ、糸に向かって遠慮がちにつぶやいた。

 

『ぶ……ぶじに。どうかぶじに……かえってきて、ください』

『嬉しいな。涙をこぼすほど別れを惜しんでくれるのか』

『ちが……ちがいます。これは――』 

『糸巻きが輝いているよ。ありがとう』


 これでひと息つける。せいせいする――柱国さまを送り出した直後、クナは濡れるまぶたをしばたきながらそう思った。しかし真新しい部屋で独りぽつねんと寝台に横たわると、なぜか胸がきりきり痛みだしてくるのだった。

 凍る外気を入れた部屋はとても寒い。柱国さまがそばにいた時は、寒さなど微塵も感じなかった。ずっと肌を重ねられていたゆえ、炎の聖印が常に燃えていた。とても暖かくて心地よかった……。


「やだ……さびしくなんか……」


 なぜかじわじわ目がうるむ。鼻がつんと痛くなる。

 柱国さまはお守りの糸巻きを後生大事に持って行かれた。「あの子」の涙で赤く染まったという糸を。

 赤い涙を流し、人を不死にする? 妙なる歌声で加護の力を与える?

 まったくもって神の御技としか思えぬ力だ。しがない田舎娘であるクナとはくらぶべくもない。

 糸巻きはクナの声に反応して輝いたなんて、きっと嘘だ。糸はクナではなく、「あの子」の声に反応したに違いない……

 

「あたし、そんなたいそうなこじゃない……」





 独りの夜をかく過ごしたクナは、翌朝、階段を一所懸命掃く掃除婦と化した。

 扉は閉じられていない。膳は鬼火が持ってきてくれるし、いつでも部屋の外に出られる。口づけを盾にして、部屋から出る自由を勝ち取ったからだ。

 龍に食べられるのは恐ろしい。しかし柱国さまの妻として、ただ愛でられるだけというのもまた、恐ろしい。一日中褥の中で抱きしめられて、触れられているだけなんて。


(そんなのばっかりは、いや!)

 

「いやその、申し訳ございません。奥様にかようなことをさせますのは、大変心苦しく……」

「からだをうごかしたいんです、アオビさん。どうかやらせてください」

 

 箒とちりとりと三角巾は、あわてて後をついてきた鬼火から貸してもらった。

 塔をとりまく螺旋の階段は石造り。頭と口に布を巻いたクナは、上から順に箒で掃いていった。しゅっしゅと小気味よい階段の音を聴いていると、気がまぎれる。鼻に布を当てていれば、衣の甘い匂いも気にならぬ。そうして中階ほどまで降りてきたころ。

 

「いったんご休憩ください。お菓子をお持ちします」


 箒をくれた鬼火が、嬉しい言葉をかけてきた。

 いつしか鼻歌が出てくる。箒が踊る。しゅっしゅと跳ねる。

 出されるのは、あんころもちか草もちか。


「おだんごがいいなぁ……あら?」


 下の方から誰かが階段を昇ってきたので、クナは箒を止めた。しかしその気配に、めらめらという燃焼音はない。耳に入ってきたのは床にすれる衣の音。

 そう察するのとほぼ同時に。近づいてきた者は、いきなりクナの腕を掴んできて。


「しろがねさま。すみませんが落ちてください」

「え?!」


 ずいと、下へ引っ張り倒してきた――

 

「ふえええ?!」

――「奥様さまああっ!」

 

 なぜか突然、階段から落とされたクナの耳に、鬼火の悲鳴が飛び込んできた。 

 階段を転げ落ちながら、クナはその声を呆然と聞いた。

 一体何が起こったのかと、わけが分からぬままに。

 

  

 


「それで。あんさんは階段で掃除をしてはったと?」

「はい。やれることって……それしか思いつかなくて」

「なんというか。ほんまにあんさんは、ふつうの子ぉなんやねぇ」


 数刻後。濃ゆい香が焚きしめられている松の間で、クナは正座してかしこまっていた。すぐ隣には琵琶の名手、九十九(つくも)上臘(じょうろう)さまがいらっしゃる。そして二人のまん前、奥間には部屋の主。正奥さまが鎮座していらっしゃり、重苦しいため息を吐かれた。


「まあなんじゃ、無傷でなによりじゃ」

「は、はい……」


 何者かに階段から落とされたクナは、転げる途中で頭を打ち、しばし気を失った。すぐに意識は戻ったものの、アオビはクナを担架に乗せ、松の間に運び入れた。鬼火の報告を受けた正奥様が、そうせよと思し召したからだ。

 それでクナは今、むせかえるほど艶美な匂いが立ち込める部屋にいる。

 不思議なことに体はどこも痛んでいない。打ち身も擦り傷もひとつとてない。


「そういえばおちたとき、ふわっと、ころものそでがひろがったような……なんだか包まれたような……ていうか……」


 くんくん濃ゆい香を嗅いだクナは、ごっくり息を呑み、恐る恐る聞いてみた。


「あのう、せいおくさまって……ひゃくろうのじょうろうさま?」

「今頃気づきはるとか」


 呆れた様子で、九十九(つくも)さまがため息を落とされた。


「すめらのやんごとなきお家では、巫女団いうのは、主さまの奥方たちのことをさしますんやで。巫女団長は正奥様。副団長はニの奥であるうちや」

「ひえっ。つくもさまが、にのおくさまなんですか?!」

「これまた今頃、驚きはるか」

「す、すみませんっ」

「しかしまあ。あんさんがなんともあらしまへんのは、その衣のおかげやろな」


 九十九(つくも)さまはそっと、甘い匂いがする衣の袖に触れてきた。


「この光沢。特殊な織り方をされてはる。守護の力が宿ってはるようですわ」


 百の上臘(じょうろう)さまが仰る。白綿蟲の糸から織られたものらしいとクナが申し上げると、奥さま方は「なるほど」とたちどころに得心なさった。


「はるかな異国、北の果ての寺院で織られたものか。おそらくそなたのは昼星の錦じゃな。太陽や真昼に輝く星々の力が織り込んであるという噂の。主さまの黒衣と、対となるものじゃ」

「つい……となるもの?」

「我が君の衣は夜星の錦。あの方の衣には、月と夜空に輝く星々の力が織り込まれておる。昼星も夜星も、どちらも矢をやすやすと弾くほどの、魔法の鎧衣(よろいごろも)と聞くぞ。よもや我が君はこうなることを予見して、おぬしにその鎧衣を着せたのであろうかの?」

「こうなること?」

――「命を狙われるということや」


 九十九(つくも)さまが横から言葉を挿してくる。二人の奥さまにじっとまなざしを注がれて、正座するクナはたちまち身を縮めた。

 

「ちょうど居合わせたアオビが犯人を確保したんやけど。申し訳ないことに、うちの一番年長の侍女……キキョウでしたわ」

「まったく! 貴重な舞い手だというに」


 キキョウ。戦いのとき、クナと一緒に舞った人だ。

 なぜに?

 呆然と呟けば、正奥様は悲しげに息を吐き、あの娘はたれぞの間諜であったのじゃと仰った。お持ちなのは、閉じた扇子であろうか。ばしりばしりと手を打ち叩きながら、喉の奥で涙を呑んでいらっしゃる。


「娘らは、主上の後宮にいたころからわらわたちに仕えし者。長いつきあいじゃからと、手放しで信用してはならぬのが、すめらの大後宮じゃ」


 クナを狙った理由はただの私怨や嫉妬ではない。

 二人の奥様は口々にそう言い切った。侍女は柱国さまの動向を逐次伝えるよう、たれかに密命を下されていたのであろうという。

 

「他の五人の侍女らも、だれかれかの思し召しをいただいてるかもしれへん。主上の母君に、三色(みしき)の神殿の神官たち。疑わしいのはごまんといはる」

「我が君は、帰化なさってたった十年かそこらで柱国の勲位と国姓を戴いた。かようなお人に、すめらの中枢が警戒せぬはずがないわ」

 

 そのため奥様二人は、侍女たちが塔の外へ送る書状をすべて検分している。しかしキキョウはその目をかいくぐるため、直通の水晶玉かでまことの主と通信していたと、自白したそうだ。


「キキョウの父親は、地方の太陽神官じゃ。となれば今回の黒幕は、おそらく太陽神殿ですやろな」

 

 月神殿が龍蝶を使い、内裏にて大きな顔をしている今。柱国さまが龍蝶を塔に隠していることが太陽神殿に知れたら、かなり具合の悪いことになる。月の者の専横を許しただけでなく、希少な龍蝶を無体に扱い死なせれば、「野蛮な異国人」であると糾弾されるだろう。

 キキョウに密命を下した真の主は、そうなることを狙ってきたらしい。


「太陽神殿の上層部は、新参者である我が君の栄達をひどく妬んではる。龍蝶殺しは格好の攻撃材料にされますわな」

 

 恐るべきは他の侍女たちにも、外部への密告の疑いがあるということだ。

 太陽のみならず、月や星の神殿にもすでに、クナのことがばれている可能性があるという。


「まったく、むつかしい(きもちわるい)わ!」

 

 正奥様がしきりにびしりびしりと扇子で手を叩く。なにゆえ涙をこらえてらっしゃるのか、クナはすぐにその理由を知った。


「申し開きぐらいしたらええのに。なぜに、すぐ自害するのじゃ……!」



 


 犯人のキキョウは鬼火に自供した直後、すめらの宮中でよく使われる毒人参を即座に飲んだ。たちまち回った毒で体は痺れ上がり、九十九(つくも)さまが駆けつけた時には、すでに虫の息。ほぼ喋れぬ状態であったが、最後にひとこと「真にお仕えできず、申し訳ございません」と、涙ながらに謝罪してきたという。

 奥様二人は他の侍女たちにも聴取を行ったが、根掘り葉掘り厳しく追及するのは控えた。

 騙し騙され渡っていくのが、すめらの中枢の常道。下手に刺激するのは禁じ手であるという。

 クナは奥様方から諦観混じりに、しばらく部屋から出歩かぬがよろしいと言い聞かされた。


「我が君の足を引っ張ろうとする輩に、隙を与えへんようにしなはれ」

「そうじゃ。我が君がおぬしを外に出したがらぬのは、一理あることぞ」

「ちゅうこくさまは、あたしをまもってた……?」

「そういうことじゃ。ご自分が数多の御仁に警戒されておることは、あの方も重々ご存知じゃ。まあしかし、こそこそ情報を流しておった疑いだけならともかく、今回のようにあからさまに塔内を乱すとなると話は別じゃ。あとの五人はこれを機会に、里に返した方が良いかも知れぬ」

 

 かくも厳しいことを仰った奥様二人であったけれど。

 翌日、おふたりはキキョウの弔いをしめやかに執り行った。

 許すまじき罪人――きっぱりそう断じたものの、長く一緒に暮らした縁はようよう、消せるものではない。お二人とも、ご自分の娘のごとく思うお気持ちが強かったのだろう。

 巫女団長たる百の上臘(じょうろう)さまが喪主となり、主人であった九十九(つくも)さまと共に、雅歌朗々。心こめた送りの歌を歌われた。


「汝さまようことなかれ」


 死した侍女は白装束を着せられ、名前を取られ。細い舟の形をした棺に入れられて、塔の下層からせり出す下舞台にて荼毘にふされた。

 そこは塔で戦死した一般兵を送り出す場所。気丈な九十九(つくも)さまは、今までの戦功を鑑み感謝するとの言葉を棺に送られた。

 クナは奥様二人に挟まれて守られながら、おのれを殺そうとした人に手を合わせた。

 自分のせいで人がひとり死んだ――。

 そう思うと、怖くて合わせる手がふるふる震えた。 


「汝さまようことなかれ。無事天河に昇りて、すべての罪を洗い流したもう」

「汝思い出すことなかれ。天河にたゆたい、すべての記憶を洗い流したもう」


 死してお家を守る氏神にはなれるのは、その家の血縁のみ。そうでない御魂は、船に乗せて天へ送ってやらねばならぬ。さすれば、悪鬼や悪魔となってこの世をさ迷うことはない。

 天河に至った御魂は、生前のことを全て忘れ去る。

 なにもかもすべて――。

 まっさらになった魂は大地へこぼれ落ち、再び命あるものとして生まれくる。


「汝ふたたび、この大地に生まれ落ちよ」

「まさらの赤子となりて、生まれ落ちよ」


 りんりんと鈴が打ち鳴らされる。五人の侍女たちが喪衣を地に引きずりながら、荼毘の炎の周りをゆっくりめぐり、音柱を作っている。

 嘆きの声が入り混じる音色は物悲しく。ちらちら雪の舞う風に巻き上げられていった。

 どうか安らかに天へ。

 祈るクナは、奥様方の送り歌を聴きながらふと考えた。

 

(あたしも……ぜんせのことをぜんぶわすれて、またうまれてきたのかも……)


 天河は忘却の河とも呼ばれる。

 

(ぜんぶわすれて……)

 

 ふとあることが頭に浮かんだが。いやそれはありえないと、クナは俯いた。 

 

(あたしは……あのこじゃない。かみさまみたいなちからなんて、もってない)

 

 共通点は龍蝶であることだけ。どこも似ていない……。

 劣等感がじわじわ胸を締め付ける。ゆえにクナは即座に否定した。

 おのれの前世が、きれいな名前の子かも知れないということを。


(あたしはあのこのうまれかわりじゃない。きっとちがうわ)


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