終章 4話 葬礼
雅美端正なる笙の音色が、白亜の舞台に響き渡る。
合わさる笛の音。合間に入る銅拍子が小気味よい。
演奏しているのは、黒絹の衣をまとう太陽の神官たちだ。
たえなる雅楽を負いながら、舞巫女が一人しずしずと、露天の舞台に昇っていく。
黒玉の金冠を被り、白い千早に黒錦の長袴をはいた姿は、神々しい女神のよう。長いしろがねの髪が、舞台にふりそそぐ陽光に照らされて、きらきらと輝いている。
舞巫女は円い霊鏡を凛と掲げながら、舞台の中央に進んだ。
そこには黒錦に覆われた祭壇が据えられている。注連縄で四角に囲われており、それぞれの角には聖なる篝火が焚かれている。
舞巫女が注連縄の結界の中に入ると、雅楽の音が止んだ。
静寂の中、巫女は祭壇にうやうやしく鏡を置いた。鏡は、すでに祭壇に置かれているものに向けて立てられた。あたかもじっと、それを眺めさせるかのように。
巫女は身をかがめて後ずさり、結界の外で両膝を折って深く頭を垂れた。
「天に名を返した御方に、謹んで敬意を。どうかあなたさまの旅路が、安らかなものでありますように」
聖なる鏡が映すのは、赤玉がびっしり連なる黄金の冠。
これこそは、すめらに蘇った旧きものたちと果敢に戦い、そしてみまかった、先代の太陽の巫女王が被ったもの。はるか後々の世まで歴代の巫女王に受け継がれていくことになる、神女の冠であった。
「鏡姫さま。どうか永遠にこの光景を、御身に収めてください」
しろがねの巫女の願いに、冠を映す鏡が厳かに応えた。
『我が巫女よ。そなたの願い、全霊をもって叶えよう。妾はすめらの津々浦々に、この光景を届けよう。天に名を返した太陽の乙女よ。神女となりて、天河をゆけ。我らはいつの日かきっと、相まみえる。母として。娘として。姉妹として。かけがえのない友として。必ずや再会を果たすであろう』
舞巫女にとって、そしてみまかった巫女王にとって、鏡の中に在る御霊は、おのれの母とも呼べる存在である。鏡に宿る袁家の偉大な姫は、鏡面をカッとましろに輝かせた。
『舞うがよい、我が巫女。そなたの想いを。我らの想いを。天へ飛ばすがよい』
いったん止まっていた雅楽が、再び舞台に流れてくる。
しろがねの巫女は舞い始めた。
長い袴をものともせず、見事にさばいて優雅に回転した。
ゆるり、ふわり。
ふわり、ゆるり。
柔らかな風が、巫女の周りに立ち昇っていった。天へ延びよと、高く。さらに高く。
「シガ、姉上の舞が始まったよ」
黒い喪のかさねをまとう夫人が、じっと舞台を見据えながら、同じく黒絹に身を包んだ隣席の夫人に囁いた。
すめらの皇太后にして摂政となった、湖黄殿の御方。すなわちマカリ姫は、しろがねの巫女の舞に感嘆のため息を投げた。
「あの長袴のそよぎ方の、艶やかなことといったら。風に身を浮かせているんだね。すごいな」
帝都太陽神殿の本殿前にある、円形の舞台。その座席は本日、ぐるりと三百六十度、黒絹に身を包んだ貴人たちで埋め尽くされている。太陽と月と星、宮処の政庁に勤めている、三色の神殿の神官と巫女たちがほとんど集っているのだ。
この荘厳なる葬礼の場に、マカリ姫とシガも揃って出席した。すめらを守ってみまかった巫女王に、敬意を表してのことであった。
黒衣に紫の帯を巻いた元老院の議員たちも一人残らず参じていて、二人の妃の背後にずらりと並んでいる。あたかも、摂政二人の守りの壁のごとくである。
「ああもう、こんなときにすみません」
マカリ姫のすぐ後ろで、月のリンシンが慌てている。マカリ姫がちらりと背後にまなざしを飛ばして窺うと、月の一位の大神官は、ぴいぴいと受信音をたてる伝信玉を黒い袖で包み込んでいた。伝信玉に口を寄せ、ひそひそ何やら返信している。各政庁や異国の大使館から、ひっきりなしに連絡が来ているのだろう。
「……大陸公報の文言の最終確認を。セーヴル州からの使者は予定通り、離宮円明園にて個別のもてなしをお願いします。お越しになられている他国の賓客には、極力接触させぬよう配慮を……」
今日この日、巫女王の葬礼が終わった直後に、復位した帝が身罷ったことがすめら全土に公表される。
死因は不治の病とされ、翌朝、大喪の始まりを告げる儀式と銘打って、きよらなる娘が生け贄に捧げられる。生け贄となるその娘こそ、帝を手にかけた張本人であるのだが、その事実は伏せられる。娘の故郷を統べる金獅子州公家と元老院が、秘密裏に取引した結果だ。
「賓客の方々の様子は……そうですか。魔導帝国の陛下は、ご機嫌斜めですか」
本日の葬礼には、異国の賓客も少しばかり招かれている。
同盟国から元老院が厳選して招待した方々だが、彼らはこの舞台を見ることは叶わない。すめらの法では、帝都太陽神殿で行われる神聖なる儀式に、異国の者が立ち入ることは許されないのだ。よって現在賓客たちは、神殿前の広場にあつらえられた特設の祭場に通されていて、舞台から流れてくる雅楽のみを聴いている。
「摂政猊下、くれないの髪燃ゆる君はやはり、しろがね様の舞をごらんになりたいようです」
背後のリンシンからそっと報告を受けたマカリ姫は、隣のシガに囁いた。
「姉君にお願いしてみよう。赤毛の幼帝陛下のために、特設の祭場でもう一度舞ってくれって」
それはよろしいことだといいたげに、シガはこくりとうなずいた。
姉の舞を見つめる彼女の貌が思いのほか穏やかなので、マカリ姫は内心ほっとしていた。
しろがねの巫女は戦皇の位を返した直後から、シガに会いたいと、たびたび会見を求めている。なれどシガはかたくなに姉の求めを拒んできた。
『合わせる顔がない』――何度か使者や友人を天の浮き島に遣わして、そう伝えさせている。
しろがねの巫女はいまだ真実を知らない。
シガが異国の娘に加勢して帝を殺めたことを知っているのは、ただひとり。その瞬間に御帳台の中にいたマカリ姫だけだ。
しろがねの巫女はただただ、シガは良人を亡くして哀しみに伏せっているのだと思っている。だから今回も、舞を見てくれるだけで十分だと、優しい伝信を妹へ送ってきたらしい。
「シガ、あなたが姉君に直接、お願いしてくれないかな? ついでに姉妹でゆるりと、想いを交わし合ったらどうだろう?」
マカリ姫は、さもなんでもないことであるかのように、サバサバとシガに提案した。
「あたし、あなたに文字を教えたよね。わりと書けるようになってるんだから、筆談で話したらいい。秘め事を打ち明けるか、墓場まで持って行くか、それはあなたに任せるよ。あなたがどんな選択をしても、あたしの覚悟は変わらない。あたしは、あなたと共に歩む。最期の時まで」
帝を貫いた刃。異国の娘とシガが揮った剣を、一緒に持ちたかった――
帝がみまかった直後、マカリ姫は返り血で真っ赤になったシガにそう伝えた。
おのれの心も、あの刃の中にあったのだと。
それから毎日、マカリ姫はシガに寄り添い、励ましてきた。
自分もシガと同じ業を背負いたい。負いながらも、色んなことを成し遂げたい。
ふたり手を取り合って、皇子と皇女を立派に育てよう。油断のならないあまたの異国から、すめらを守り抜こう……
「できれば、大切なものを守る決意を姉君に伝えてほしいな」
シガが目を細めてかすかに微笑む。マカリ姫はその儚く優しい貌を、承知の印とみなした。
しろがねの巫女が起こした風が、舞台を走る。心地よい風がさらさらと、后たちの頬を打つ。
マカリ姫は異国で「星」と謳われた舞手に視線を戻した。
ふわり、ゆるり
ゆるり、ふわり
「なんて心地よい風だろう」
笙の音色が高らかに終音を告げた。と思いきや、銅拍子が勢いよく拍子を打ち始めた。
舞巫女が両手を広げて凪と化した舞台に、黒絹の鉢巻きをした太陽の巫女たちが昇ってくる。
先頭に立っているのは、現巫女王、照家のサン姫だ。
祭壇を背にして巫女たちを迎えたしろがねの巫女が、かんばせをぱあっと輝やかせた。巫女たちの中に、かけがえのない友の姿を認めたからだろう。
マカリ姫もはばかることなく、歓喜の声をあげた。
「ああ、リアン姫だ。サン姫のすぐ後ろについている。あの姫には、感謝してもしきれない。あの人こそ、あたしの太陽だよ」
雅楽の調子が変わった。
ゆたりとした調べが徐々に速さを増していく。
しろがねの巫女と太陽の巫女たちが、生き生きと舞い始める。
「あたしも舞いたいな……」
マカリ姫はシガの手に自分の手を乗せ、ぎゅっと握った。
「ねえシガ、今度一緒に内裏で舞おう。桜の宴の時に。あたしが教えてあげるから」
舞台に感嘆のどよめきがあがる。
舞台にいっぱいに広がった太陽の巫女たちが、中央に向けて放った風。その大きなうねりを支えにして、しろがねの巫女が飛んだのだ。
天へ届けと、高く。高く――
「ああ、飛天だ!」
マカリ姫はうっとり、しろがねの巫女をみつめた。
太陽の巫女たちが朱の裳を高々と投げ上げる。
うねり立つ炎のごとき裳の海を越えて、天女と化した巫女はさらに高く跳ねた。
神々しくも、艶やかに。