終章3話 天照らしの姫
新たに造営された太極殿の表庭は以前よりも広く、一面白い玉石で覆われている。
なんともまばゆい純白の庭に赤一線。左右に両断するかのごとく、長細い赤絨毯が御殿に向かって敷かれている。
なんて仰々しい道かしらと、尚家のリアン姫は半ば呆れ顔で、絨毯の道を進んだ。
右手にも左手にも、三色の神殿を代表する元老院の議員たちがずらり。固く口を引き結ぶ者、穿つような視線で窺ってくる者、はらはらと心配げに体を震わせる者。様々な様相で、白い千早に黒袴を穿いたリアン姫を注視している。
半月前、悪鬼が倒されて勝利に沸く大安にて、恐ろしいことが起こった。
戦皇たるしろがねの女帝が刺客に襲われ、天守の塔が崩れ落ちた。
幸い女帝は無事で、今は夫君とつつがなく天上に在る。大安に集った軍団は、女帝の命令ですめら百州の各衛府へと戻された。いにしえの都に残ったのは、いくばくかの駐屯兵だけだ。
「黒髪さまがひどく怒っているけれど、御所に殴り込むのをなんとか思いとどまってくれた」と、しろがねの女帝は天から便りをよこしてきた。
いやいや、怒れる柱国将軍に思い切り暴れてほしい、復位した帝をがつんとやっつけて退けてほしい。リアン姫は心の底からそう思ったものだ。だが心優しいしろがねの女帝は、夫君が復讐することを是としないようであった。
「底抜けにお人好しで、呆れるほど我欲のない……ああもう、あたくしだったら、夫君を焚きつけて、速攻で内裏に攻め入りますのに。ほんと、しろがねったら」
しろがねの女帝の女官たちは、大安の軍団が解散したのを見届けてから、蒼き竜蝶と共に宮処へ凱旋した。黒船に乗り、ゆるりと航行三日。飛行場に降りた矢先に、リアン姫は内裏からの召還を受けた。
復位した帝の妃たち、すなわち太極殿の御方と湖黄殿の御方お二人のご要請。
随伴していた月のリンシンが蒼白い顔で、そう伝えてきた。
てっきり後宮の一殿にて、妃殿下たちに拝謁するものと思っていたら、帝がおわす太極殿に登殿せよとのことだし。伝信の水晶玉をひっきりなしに確認するリンシンは、ますます顔色を悪くするし。しかも黒い袴に召しかえてほしいと、喪の服装を渡された。
まったく――
なんということが起こったのだろう。
「喪の垂れ幕。本当に、これは現実のことですのね」
リアン姫は新太極殿の正面にそびえる階段の真ん前で歩みを止めた。
仰げば、御殿のひさしから黒い垂れ幕が何枚も垂れ下がっている。御殿の中に据えられている御帳台は、いつもの白基調ではなく、黒い錦ですっぽり覆われている。その両脇に、妃たちが侍っていた。
しろがねの女帝の実妹である太極殿の御方。
皇子と共にセーヴル州へ赴くはずであった湖黄殿の御方。
どちらも黒と薄墨のかさねの装いで、髪を短く肩先で切りそろえている。
太陽の姫は階段の下にかしづいて、黒錦の御帳台に深く頭を垂れた。
「亡き陛下の冥福を祈りまして、ここに魂の安寧を願う祝詞を唱えさせていただきます」
慇懃に、しかし機械的に祝詞を唱え、また深く伏すと、御帳台の右手に座す湖黄殿の御方が硬い口調で告げてきた。
「太陽の巫女姫殿、お悔やみ痛み入ります。陛下が身罷られたことは、まだ、公表しておりません。すめらの民に報せて喪を課すのは、すべてを万全に定めてからと、元老院との会議で採決されましたゆえ。恐れ多くもシガ様と私が、しばらく摂政として幼き皇子を補佐することと相成りまして、連日この御庭に元老院を呼び、朝議を開いております」
湖黄殿の御方、すなわち透家のマカリ姫は、凛と背筋を伸ばして御帳台の右手に座し、堂々たる風情である。なれども左手に座す太極伝の御方、すなわちシガは、ぎょっとするほど憔悴している。背を丸めてうなだれ、半ば顔が見えない。みるみる縮んで、消え入ってしまいそうな雰囲気だ。
帝の死が衝撃であったのか。すめらを救った女帝にとんでもないことをしたあの帝を、これほどやつれるほどに惜しみ、悼んでいるのか。
リアン姫が燃えるような視線でシガを穿ったとき、マカリ姫がすっと立ち上がった。
「リアン様。しろがねの女帝陛下は、刺客に襲われる前に、次代の太陽の巫女王に照家のサン姫を推されました。そしてあなた、尚家のリアン姫は変わらず女官としてそばにあってほしいと、思し召したそうですね」
「その通りですわ。しろがねの陛下はしばらく大安にて、もろもろの戦後処理を行うおつもりであられましたの。なのに……」
リアン姫は怒りの視線を黒錦に包まれた御帳台に移した。
中には、帝の骸が安置されている。腐らぬよう薬に漬けられ、何十枚もの錦に包まれているのだと、内裏に入る前に月のリンシンが耳打ちしてくれた。
帝に凶刃を揮ったのはセーヴル州の貴族の娘で、近日中に元老院が沙汰を下すという。
異国の娘はなんと勇敢なことをしてくれたのか。よくぞおのが命を投げ打って、大いなる業を果たしてくれたものだ。ああまったく、帝は自業自得であろう――
眉を吊り上げるリアン姫の想いを汲み取るかのごとく、マカリ姫は深くうなずいた。
「亡帝陛下は、してはならぬことをなさいました。元老院はただちにしろがねの女帝陛下のご無事を確認し、亡帝陛下に代わりて陳謝奉り、できれば新帝として内裏にお戻りになって欲しいと懇願いたしました」
「そうです。あたくしたち女官団も、すめらを統べてほしいとお願いいたしました。でも……」
「ええ、まことに残念なことに、女帝陛下は、地上にはお戻りになる意志はないと思し召しました。ご夫君と共に、天の浮き島にて静かに暮らしたいと仰るのです。ですが、陛下の女官団は解散しないと聞きました。あなたがたは陛下直属の巫女団となり、地上における陛下の手足となり、すめらのために尽くす。そう誓いあったとか」
「そうですわ。基本、元老院の要請に応えて、すめらに貢献するべし。しろがねの女帝陛下はそう、私たちに要請なさいましたので」
「では、元老院の要請を受け入れていただけないでしょうか。尚家のリアン姫」
太陽の姫は驚いて目をみはった。マカリ姫がしずしずと御帳台の前に出てきて三つ指をついて座し、深く頭を下げてきたからだった。
「いっとき北五州へ赴き、すめらの星とも呼ばれた御方よ。すめらはあなたを、金獅子州公家のもとへ派遣したく思っております。なぜならあなたは、金獅子州公家のお世継ぎと親しい。そう聞いておりますので。どうか、すめらとセーヴル州を結ぶ親善大使となられてください」
それはあろうことか、平身低頭の懇願であったのだが。固く真面目な口調で言葉を連ねるマカリ姫に、リアン姫は甲高い声をあげた。
「はあ? 大使として、ですって?」
「はい。すめらは金獅子州公家と密かに交渉し、取引を行いました。金獅子州公家ゆかりの者が帝を殺めたという事実を伏せる口止め料として、すめらは今後、多大なる国益を得ることとなります。加えて、私が産んだ皇子、天藍殿下が次代の帝に昇りますので、金獅子州公家への婿入りは白紙となりました。婚約破棄の違約金等も支払わずに済むこととなりました。とはいえ、金獅子州公家の本音は、不本意極まりないというところでしょう。これからしばらく、すめらに弱みを握られて、ことごとく優位に立たれることとなりますから」
「それで、親善大使を?」
「すめらは金獅子州公家と、真の友好を築かねばなりません。その証としての、大使派遣です」
リアン姫はふんと鼻を鳴らし、不機嫌をあらわにした貌で立ち上がった。
「気に入りませんわ。ええ、まったく気に入りませんわ!」
太陽の姫は肩をいからせ、堂々と声を張り上げた。
「大使? なんですの、そのうだつの上がらない身分は。まったくもって、すめらの元老院らしからぬ裁定ですわね。しろがねの女帝陛下を、復位なさる陛下の後宮に入れようと目論んだ方々が考えたことだとは、到底思えませんわ。あたくしの知っているすめらの元老院ならば、ここは当然、皇子殿下の代わりに血筋の良い姫を輿入れさせる、という意見で一致しているところではないかしら?」
マカリ姫は一瞬固まったが、その通りだとうなずいた。実のところはそんな話も出た、なれどもいきなりの代替縁組みは酷ではないかと、妃たちが再考を促したのだと、たじたじとなりながら説明すると。
「はあ? 酷?」
リアン姫は口の端を曲げ、今にも階段を昇って詰め寄りそうな勢いでまくしたてた。
「あたくしなんぞが、東宮となられる皇子殿下の身代わりになるのは、確かにおこがましいことですわ。ええ、役不足であることは十分、承知しておりましてよ。でも大使という身分であちらに行くなんて、絶対にお断りですわ。土台そんなまだるっこしい立ち位置では適当にあしらわれて、部外者だからと、州公閣下にも臣下団にも、物申せませんもの。どうせ行かなければならないのなら、妃として輿入れする方が百倍ましというものです。州公閣下にも夫君となる公子様にも直に色々と話せますし、とくに公子様には、閨でしっかり躾ることも可能ですし」
「し、しつける? ちょ、それは」
「妻を演じて御す、ということですわ」
「いや、意味は分かるけど。でもそんな、ドヤ顔で言われても――」
マカリ姫が硬い守勢を崩し、地の言葉を漏らしてたじろぐ。
「たしかに、金獅子の公子様に懸想しているという事実は、まったく、露ほどもございませんけれど!」
念を押すように言ったリアン姫は、燃えるようなまなざしをフッと弱め、笑顔を浮かべた。
柔らかに山を成すまなじり。わずかに小首を傾げた姫の、陽の光のごとき明るいかんばせが、あたりをかっと照らした。
「でも、あたくしにお小水をひっかけた、あのかわいい皇子のためなら、いくらでも体を張れますわ。ええ、あの御子のためなら」
「り、リアンさま……」
「あたくしがあやして襁褓を換えたあの御子。次代の陛下たる天藍皇子殿下が、どうかこのすめらにて、健やかにお育ちになられますように。殿下がつつがなくご即位なさり、その御代がいついつまでも、続きますように」
感極まったか、マカリ姫が口元を手で覆う。
太陽の姫はまばゆい笑顔を放ったまま、言葉を続けた。
「ああでもね、色々と注文はつけさせていただきますわ。まずは、ありとあらゆる称号をあたくしに付けてくださいませ。あたくし、すめら出身の妃だからと、第三妃に甘んじる気は毛頭ありませんの。帝室の養女、すなわち殿下の〈おねえさま〉にしていただいて、大公主の称号をいただきたく思いますわ。それからさらに、空位である龍の巫女王、死後に女神と合祀される神女、あとそれから、どこか適当に西の属州のどれかの女侯の身分もひっさげていけば、正妃に迎えられるのも不可能ではありませんわよねえ。ああもちろん、あたくしが〈すめらの星〉であることは、大々的に宣伝してくださいね。輿入れの際には、文官や武官をたっぷり、軍隊を成すほどにつけていただきますわ。護衛艦はそうね、五隻でよろしくてよ。そのうち一隻は、私用の船としてもらい受けますわね。あと、馬車と牛車も五台ずつ。むろん、嫁入り道具も、贅をこらしたものを存分に。ええ、ユーグ州に嫁いだ金姫様よりも、もっともっと豪勢なものを。たとえば茶道具、銘柄は敬徳鎮の――」
怒濤のように欲しいものをどんどん並べたてるリアン姫を、マカリ姫は湿るまぶたを拭いながら、そしてくすくすと笑いながら眺めた。
頭を垂れていた太極殿の御方、すなわちシガも面を上げ、ぽかんと小さく口を開けて、太陽の姫を凝視する。
「シガ様、なんてまぶしい太陽だろうか。熱くてとてもかなわない」
マカリ姫の言葉に、シガは数拍遅れて反応した。両手を胸に当てて、こくりと大きくうなずく。いまだ泣き暮らして腫れの引かぬ目元が、かすかに柔らぐ。乾いた秋風が黒錦の御帳台へと吹き付けてきて、長い鳶色の髪を揺らした。さららと、さやかに。
さらら。さらら。
緑の木々が一斉に歌う。小鳥の鳴き声と共に。
鳥の種類は何だろう。胸が蒼くて、手に乗るぐらい小さいのだけれど。
夜ウグイス? ひばり?
小鳥がはばたく。
高く明るい声が、あたりを照らしたからだ。
「……とまあ、そういうわけで、元老院は目下、あたくしの嫁入り支度に全力を出してくれていますの。すめらの星の称号を持って行くこと、実は心苦しいのですけれど。あなたが構わないと仰ってくれて嬉しいですわ、しろがね」
今朝方、地上から客人が一人、鉄の竜に乗って天に浮かぶこの島にやって来た。
金の髪まぶしい太陽の巫女。尚家のリアン姫だ。
明るい笑顔をふりまく姫の話に耳を傾けながら、真っ白い髪の娘は大理石の円卓に手を伸ばした。手編みの藤かごに盛られた金のりんごを取ると、共に卓を囲んでいる黒髪の人が、何個目だろうかと目を細めてくる。ゆたりと裾が広がる漆黒の衣の、長く地に垂れた袖がしゃらんと鳴った。
「まだ三個目です」
しろがねの髪の娘は、小首を傾げてとぼけた。長い髪が肩からこぼれる。向かいに座る夫の装いと対を成す白い衣は、とても着心地がいい。袴のように腰を締めないから、多少太くなってもごまかせる。
この島は本当に平和で穏やかだ。
どの地よりも天照らし様に近いというのに陽光は柔らかく、吹き抜ける風も優しくて心地よい。毎日ゆたりとくつろいで、りんごを食べる日々。刺客に襲われ、目覚めた黒髪の人と共に天へ昇ったことが、何十年も昔のことのように思える――
「あら、あたくしの見る限り、五個目ですわよね」
娘の隣に座っているリアン姫が、円卓に両肘をついてころころ笑った。
「そのりんご、普通のりんごよりも滋養があるのでしょう? しろがねったら本当にぷっくりとしてしまって」
「そ、そんなに肥えてないですよ?」
まあ、もとが貧相だったからと、太陽の姫はしみじみのたまわった。
「戦の最中はガリガリだし満身創痍だし。あたくし自身死にかけてましたけど、しろがねもいつぶっ倒れるかと、気が気ではありませんでしたわ。この浮き島に住むようになってからみるみる健康的になって、ひと安心ですわ」
「私も同感だ。しかし食べ過ぎには要注意だよ」
黒髪の人が口調穏やかに口を挟む。
「りんごは通じを固くする。摂取量が多いと出なくなるからね。柑橘系にはその逆の効果がある。色んなものを偏りなく食すといい」
さすがは腕利きの薬師だと、太陽の姫は目を輝かせた。
「あたくしがいただいた薬茶にも、柑橘の果物が入っているっておっしゃいましたわね」
「そうだが、他に何十種類もの薬草を混合しているよ。どれも適量をすぎれば毒となるから、くれぐれも飲み過ぎぬように。つまり暴飲も暴食も百害あって一利なし、ということだ」
異国へ嫁ぐことが決まったリアン姫は、最近方々から祝意の贈り物を受け取っている。しろがねの娘も何か贈りたいと申し出たら、太陽の姫は即座に、懐妊しやすくなる薬を夫君に作ってもらいたいと願ってきた。嫁ぐからには絶対に世継ぎの御子を産んでみせると、意気満々の様子である。
「公子様は大はしゃぎで、あたくしと一緒に故郷に帰ることにするって決めてしまって、ずっと宮処の大使館に居ついてますわ。だから時折、我が尚家の別邸にご招待したりなどしてるんですの。あの方、隠居しているあたくしの祖母と二人で、邸に山と積まれたあたくしの嫁入り道具を、ああでもないこうでもないと品定めするんですのよ」
九十九の方の時よりも性急に、それでも数ヶ月かけて結納の儀を行うので、リアン姫の輿入れは来春以降になるという。それまでに膨大な量の嫁入り道具を揃える予定であることがすめら中に広まっているらしく、名だたる商人たちが足繁く、帝都太陽神殿に詰めているリアン姫のところに直接売り込みにくるらしい。最高のものをと思って、こちらから工房へ出向いて視察を重ねてもいるのだと、太陽の姫はおのが目が肥えたことを自慢した。
「おかげで明日のための品々も、佳きものを揃えることができましたわ」
そうして姫は身をかがめ、足下に置いていた黒塗りの大箱の蓋をとった。
「これがあなたの分ですわ、しろがね。黒数珠は英湖で採れた最高の質の黒真珠。千早と黒袴は長州の錦。仕立ては内裏の蔵司に依頼しましてよ」
「帝室の衣を仕立てている所にお願いしたんですか? すごい……わざわざこちらに持ってきていただいてすみません」
「あたくしも同じ装いで、頭には玉をつけた黒錦の帯を結びます。しろがねは、これをつけてちょうだい」
リアン姫が大箱からそっと朱塗りの箱を取り上げる。中には黒玉がびっしりと下がった黄金の冠が入っていたので、しろがねの娘はたちまち慌てた。中央に黄金の鳳凰が付いているのだが、鳳凰はすめらにおいて妃や女帝を現す意匠である。
すなわちこの冠は、すめらの帝冠そのものであった。
「内裏のお妃様たちがぜひにと。ああ、身構えないでちょうだい。天藍殿下が元服して正式に即位なさるまで、帝位は空位のまま。お妃様たちが摂政になって治める体制は変わりませんわ。でもねしろがね、あなたはすめらの戦皇として、死した者の御霊を天河へ送るべきではなくて?」
「それは……たしかに……もう名を言えないあの御方も、たくさんのつわものたちも、あたしの名のもとで戦死なさいました」
「新しく太陽の巫女王に昇ったサン様も、喪主はあなたが務めるべきだと思し召してますわ。この帛をお渡ししますわね。サン様からあなたへの、懇願の文ですわ」
しろがねの娘はリアン姫から白い帛を受け取った。
開けば、どうか見送りの主となってほしいというサン姫の願いがつらつらと、墨でしたためられていた。
「……分かりました。お妃さまたちのご要請。太陽の大姫さまの嘆願。謹んで、お受けいたします。戦皇として、最後の務めを果たしましょう」
明日、しろがねの娘は喪の衣をまといて地に降りる。
久方ぶりに宮処へ戻って、帝都太陽神殿に入る。
軍部の中枢にてまずは、大安の反乱平定にて散ったつわものたちの慰霊祭が開かれる。
その後、緑の鬼火たる女神を退けて身罷った、先代の太陽の巫女王の葬礼が、数日にわたって執り行われる。
死者の生前の名が、無闇に口にされることはない。
名を呼べば天河へ昇る御霊を引き戻し、輪廻を阻害すると信じられているからだ。
ゆえに葬礼でも、名を呼ぶことは憚られるだろう。
しろがねの娘は逝ってしまった友に思いを馳せながらも、表情を硬くした。
「あの、ひとつ確認したいことが。帝を手にかけた異国の御方が、明日処刑されると聞いたのですが」
「慰霊祭の直後に、英霊たちへの贄として捧げられることになっておりますわ。刑は、太陽の大神官たちが取り仕切るそうです」
「分かりました。心得ておきます」
リアン姫が鉄の竜に乗って帰ったあと。黒髪の人はしろがねの娘に苦言を呈した。
「下へ降りれば色々頼みごとをされるだろうが、どうか受けないでくれ。君は何かとほだされやすいから心配だ」
「それはたしかに、自分でも危ういと思ってます」
「客観的に見れば、女二人の垂蓮政治など、異国からすれば不安定なものにしか映らない。大いなる武勲を誇る戦皇が立つ方が、すめらにとってはよかろう。だが、君がまた必要以上に身を粉にするのを見るのは辛い」
「明日は、やるべきことをしたらすぐに帰ります。そうできるように、一緒に来て下さいませんか? あたし一人では、断り切れないかもしれませんから」
しろがねの娘が上目遣いで願うと、黒髪の人は目を細めて微笑み、卓にことりと小さな水晶玉を置いた。
「いいだろう。地上へ降りよう」
薄紫に光るその玉をひとさし指で撫でながら、柔らかな目でじっと見つめる。
玉に映っているのは、天から降りてくる赤子を抱きしめる女性の姿だ。
天守の塔を崩したとき、大事な伴侶が襲われた怒りのあまりすめら全土を滅ぼしてやろうかと、黒髪の人はしばし猛った。だが他ならぬ伴侶から、どうか落ち着いてくれと懇願されて、この玉を手中に押し込められた。
初めて見た瞬間は玉を地に投げつけたくなったが、ふしぎなことに、手から放すことができなかった。
あらためて見てみると、苦い薬湯を飲んだかのように、熱い怒りが粛々と鎮まっていった。
なぜなのか分からない。魔力など少しも帯びていないのに。中にあるのは、古びてところどころ欠けた幻像だけなのに。
以来、黒髪の人は黒い怒りに囚われそうになるたび、この玉に込められた幻像を見ている。
やっと会えたと赤子に頬ずりする女性の幻を手で包むと、心穏やかになる。自分はここに在ってよいのだと、親に愛された一介の人の子なのだと思える。
だから――
「大地を割ることはするまい。破壊する者ではなく救う者として、地に降り立とう。願わくばこの手で刺客を送った黒幕を屠りたかったが、それは叶わぬ。なれど勇敢なる英雄を救えば、少しは溜飲が下がるというものだ」
「それはお止めしません。むしろ、こちらからお願いしようと思っていました」
「同じ考えだったか。それは嬉しいな」
黒髪の人の柔らかな微笑に、しろがねの娘は自身も微笑みを返した。
「どうか、よろしくお願いします」
木の枝間に小鳥が戻ってきた。
しろがねの娘は目を細めて、かわいらしい生き物を眺めた。小鳥がつつっと枝を伝い、輝く金の林檎をついばむ。
見上げれば、赤がね色に染まりつつある空にしろがねの月が浮かんできている。そばに小さな、子どもの月を連れながら。
なんでも見えることが嬉しい。ああ、なんて美しい光景だろう――