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終章 しろがねのしずく

『神聖暦7874年 炎月吉日。〈しろがねの太皇女〉は大安を平定せり。

太皇女は御身の責務を全うし、上皇陛下へ譲位の意を表わされ、高御座(たかみくら)より降りられた。

元老院は戦皇たる太皇女の偉業を称え、太陽神殿に戦皇の社を建てることを決議せり――』



 朱塗りの円柱が並ぶ大広間の奥。かつて悪鬼の玉座が在った高台に据えられた祭壇の上に、円くすべらかな鏡が置かれている。

太陽紋が彫られたその鏡は、朗々と大陸公報を読み上げた。

 

『オムパロスにおわす上皇陛下は、近日、宮処(みやこ)へ戻られる。すめらと復位される陛下は、偉大なる太皇女を、永遠に称えるであろう――』


 金の錦がかけられ、太い注連縄で飾られた祭壇の前で、クナは深々と平伏した。

 白い千早に長い真紅の袴。まとっているのは、すめらの巫女の装束だ。菫色の双眸を湛える面立ちは磁器のように白く、なんとも美しい。

 高台の下にはずらりとすめらの政務官や将官が並び立ち、祭壇を注視している。


『これにて、譲位の儀は成就せり』


 クナは厳かに宣言した鏡を祭壇から降ろし、千早を羽織る胸に抱いた。長い袴を器用にはらいながら高台から降り、しずしずと大広間を渡っていく。

 月のリンシンをはじめとする、三色の大神官たち。黒船の長シャンヤン率いる、すめらの将軍や軍団長たち。若き武官カンシンミン。ユィン姫にサン姫。クナに付き従った女官たち。そして、リアン姫……

 朱の柱の間に、晴れ晴れとした貌で並ぶ彼らは、次々と膝を折ってクナに深く頭を垂れた。

 銀の髪をなびかせて、クナは共に戦ってくれた戦友の前をゆっくり通り過ぎて行った。


『ここに集うた者どもはみな、元老院から大勲章が下されるであろうの』


 クナの腕の中で、鏡が声を発した。よどみない、英知にあふれる女性の声だ。

 クナはそうですねと笑顔で返した。

 鏡の中には、母とも思う大切な人の魂が宿っている。

 聖剣の中にいた鍛冶師によって機能不全にされたが、灰色の技師、モエギの手によって、見事に修復されたのだ。アオビであった蒼い龍蝶は、軍を率いて大安に入るなり、何よりもこれが必要であろうと、いの一番にクナに渡してくれたのだった。


「ああ、なんてたくさんの……」


 大広間を抜けて宮殿から出たクナは、宮殿前の広場に集まった大軍団を眺め渡した。

 煌めく銀縅しの鎧と、太陽紋の旗の波。

 蒼い龍蝶が率いたすめらの軍、五万。雷の結界が晴れるや、怒涛のように入城した軍団のすべてが、今、この広場に集まっている――

 

「戦皇陛下、万歳!」

「万歳! 永遠に、言祝ぎを!」

「勝利の女神! とこしえに、つつがなく!」


 広場に兵たちの歓呼の声が響き渡る。その声は大波となって鏡を抱くクナを打った。

 大安の広場は内裏の前の広場よりも広大であった。集う兵たちの背後には、かなりの余裕がある。 いにしえの宮処(みやこ)の城門は、はるか、地の果てにも思える遠さだった。


『すめらの軍の総大将には引き続き、シャンヤン殿が任命される。しばらくはこの大安を拠点にするであろうが、五万の軍団がやることはあまりなかろう』


 恐るべき技師が消滅すると同時に、大安の防衛機能はすべて停止した。

 朽ちた都を守る兵器も、クナたちを捕らえたり追ったりした金属の獣たちも、彫像のごとく動かなくなった。

 しかもそうなる前に、悪鬼のもとに集っていた傭兵団は、金の獅子の雷の結界で焼かれて激減していた。外へ出ればたちどころに狙い撃ちされるどころか、身を潜めた建物もことごとく撃たれて破壊されたのだ。おかげで敵軍は雷の結界が晴れるや、我先にと恐ろしい都から逃げ散った。

 斥候隊によれば、統制する者を持たない傭兵たちは、命からがらあまたの属州へ逃れ、そこからさらに西へと姿をくらましているらしい。

 悪鬼を王と崇める龍蝶たちも、ほとんどは悪鬼に食われ、消えてしまった。

戦は、終わったのだ。

 クナはしばらく宮殿の前にたたずみ、歓呼の波に揉まれた。びりびりと頬がしびれる。全身が揺さぶられる……

 感極まってまなじりを下げながら、クナはおのれを信じて参じた大軍に向かって、深々と頭を下げた。


「ありがとう。力を貸してくれて、ありがとうございます!」


 明るく喜びに満ちた貌を大軍に見せたクナは、右手に折れて、巨大な宮殿の縁をぐるりと回った。

 長い袴を払いながらしずしずと、朱に塗られたひさしの下を進んでいく。

 その腕の中で鏡がぼやいた。


『元老院から直伝がきた。上皇陛下がお乗りになられた船が、宮処の飛行場に着陸した。まもなく内裏に入られるとのことじゃ。ふん、あの若造、またぞろ大きな顔をするのであろうな』

「聖剣に内裏を守ってほしいと頼んだんですけど、それはちょっとと遠慮されました。あたしのそばから離れたくないそうです」

『当然じゃ。見も知らぬ帝に仕えたくはあるまいて。しかしそなたは本当に野心がないのう。亡きメノウは、そなたがずっと帝位に在るよう、元老院に働きかけていたというに』

「メノウさまが?」

『大スメルニアが消えて、いにしえのすめらの記録を自由に紐解けるようになった結果、かつてそなたのように戦を代行する戦皇がたくさんいたことが分かってな。中には戦が終わったあとも譲位を拒んで、死ぬまですめらを治めた帝が少なからずいたのじゃ。メノウはその前例を以て、そなたも幾久しく帝であり続けるべきと、元老院に訴えたらしい』

「先帝が暴君ならともかく、上皇さまは悪い御方ではありません。シガを本当に大事にしてくださってます。あたしの妹が后に冊立される。あたしの姪がすめらを継ぐ。上皇さまの思し召しは、あたしにとっても大きな喜びです」


 言いながら、鏡を抱えるクナは歩数を重ねて帝宮の裏手に回り、池に浮かべられた小舟に乗り込んだ。

 舟には、かすかに青い炎を放つ龍蝶が座して待っていた。

 クナが向かいに座ると、銀の髪を足元に垂らす龍蝶は黙ってうなずき、ふうっと船尾の方へ息を吹きかけた。

 口から青白い炎が出たと思いきや。舟はするすると進みだし、池を渡り始めた。

 

「しろがね様、譲位の儀、お疲れさまでした。これであなた様は持てる権能をすべて、上皇陛下にお返ししたことになります」


 蒼い龍蝶の言葉にクナはうなずき、大きな荷物を降ろすように、長く息を吐いた。


「やっと終わったのね。あたしは自由になる。シガは宮処で幸せになる。そしてシズリ姉さんは……」


 クナは空を見上げた。飛行船が一隻、大安から離れていく。

 あの船かしらとクナが問うと、蒼き龍蝶はそうですとうなずいた。


「ご心配はいりません。檻にも船にも結界が施されておりますので」

「姉さん……」




 大安に軍が入城した直後。シズリは大安の城壁のそば、結界をはりめぐらした大天幕の中で、封印の眠りを解かれた。目覚めたシズリは、実の妹であるクナに会うことを断固として拒み、蒼い龍蝶とだけ言葉を交わした。

 クナは譲位する前にこれだけはと、シズリに恩赦を与えた。龍蝶がそのことを通達すると、シズリは渋々それを受ける代わりに、シガと同じように、復位する帝の後宮に入ることを望んだ。帝家の血を引くのだから当然だと、いずれは皇后になってやるのだと、野心満々。すぐに入内したい、早く船を手配しろと、あきれるほど傲岸であった。

 クナは月のリンシンを通して、元老院にシズリの処遇を決めてほしいと望んだ。

 元老院はただちに協議して、内裏に住まわせることはできぬと回答し、離島に在る神殿をシズリが住まう冷殿として指定した。表向きは帝都太陽神殿預かりの巫女として離宮の神殿に仕えてもらうが、強力な結界をめぐらして、離島から出られぬようにするという。


「シズリ様は幽閉など片腹痛い、いずれは内裏に乗り込んでみせると大口を叩いておられましたが、あの御方を眠らせている間に、私が腹から神霊玉を抜き取りました。ですから今は何もできません。再び玉を呑んで臘を重ねることを禁じれば、大人しく過ごしてくださると思います」

「ありがとうございます、アオビさん。できれば姉さんに会って話したかったですが……」


 眉を下げるクナを、鏡姫が慰めた。


『シズリはそなたにどんな顔をしてよいのか、わからなかったのであろ。いつかは、穏やかに相まみえることができる日が来ると思うぞ』

「はい。できれば、姉妹三人で会えたらと思います」


 元老院からは他にも色々と通達が来た。

 戦皇の役割を全うしたクナには、ありとあらゆる勲章が授与されること。金子や物品が褒賞として贈られること。太陽神殿にクナを祀る社が建てられること……

 クナがしばらく大安にいたいと告げたので、褒賞を運んでくる使節が近日、大安に来る予定だ。

 元老院は封土も譲りたかったようだが、上皇は難色を示した。星の大姫が相応の賞を授けるべきだと説得したにもかかわらず、一片たりとも土地はやらぬと思し召したらしい。

鏡姫はけちくさいと文句を垂れたが、クナはどこかの領主にしてもらうなんて恐れ多いことだと返信した。

 住むところには困らない。正直、何もいらない。

 自由に勝るものなど、何もないのだ――


 風に運ばれた小舟が、池の向こう岸に着いた。

 見上げれば、三基の円塔がそびえている。クナはまっすぐ、真ん中に立つ〈天守の塔〉へ向かった。

 

『石畳でよろしかったのう。でなくば、袴の裾が泥だらけになるところじゃ』


 鏡から笑い声があがる。クナもつられてくすりと笑った。


「着替える暇が惜しくて」

『ほほ、そうであろうな』


 〈天守の塔〉の入り口に、灰色の衣をまとった少女が立っている。

 衣の裾から垣間見える萌黄色のスカートが、目にまぶしい。

 

「しろがね様、お疲れさまでした」


 灰色の技師モエギは、クナが近づくなり報告してきた。


「虹色の卵を、黒髪の御方の体と融合させました。これから徐々に、魂の傷が癒えていくはずです」

「施術に成功したんですね」

「黒髪の御方の方が一息ついたので、次は聖剣の様子を見させてもらいますね。見るだにすごいものを吸い込んでいるようですから」

「よろしくお願いします」

 

 鏡を抱くクナは、モエギに先導されて塔の中に入った。入口の広間の奥には、螺旋階段がある。器用に長い袴の裾をはらいながら、クナは地階へ至る階段を下りていった。

 

「モエギさんが来てくれてよかった」

『そうじゃのう。わらわもこうして、無事に復活した。黒髪様もきっと、目を覚ますであろう』


 クナの腕の中で、鏡がそっと囁いた。


『いつか、きっとな』





 魂を傷つけられた黒髪の人は、塔の地下にある泉の間に安置されている。

 モエギが来るまでそこは、円い噴水がひとつあるのみの室内庭園だった。しかしいまやそこかしこに、金属の箱やらギヤマンの瓶が並べられていて、かなり雑然とした作業部屋と化している。

 クナは噴水の前に置かれている白い棺に近づき、膝を折って寄り添った。

棺に納められた黒髪の人の瞼は閉じられていて、体は石のよう。まったく微動だにしない。首や腰に細い管が何本も刺されている。管は大きな金属の箱に繋がれており、その箱の一面に、不死の体がどんな状態かを示す数値が映されていた。クナには読むのもおぼつかない共通語の数字だが、モエギによれば、身体機能はしごく安定しているそうだ。さすがは不死の魔人である。

 

「龍生殿はミカヅチノタケリに派手に壊されてしまったんですけど、地下に置いていた機材はわりと無事に残ったんです。その中からめぼしいものを持ってきました。黒髪の御方は神獣と同じ霊核をお持ちですから、タケリの調整に使っていたものを流用することができるんです」


 タケリもその子たちも死に絶えた。

 龍生殿は奥宮まで空っぽだ。神獣を作って維持する施設を再興するかどうか、元老院は悩んでいる。

 すめら各地にいくばくか残っている眷属の獣や、大安で使われた金属の獅子たちを龍生殿に集めて、無理矢理神獣に仕立てることは不可能ではない。だがそこまでして、大陸諸国のほとんどが持たない生物兵器を保有すべきかどうか。

 魔導帝国の護国卿のように、すめらにも強力な守護神がいるに越したことはないが、すめらはタケリの暴走でひどい被害を被った。新たに神獣を作ったところで、二の舞になりはしないかと、元老院は警戒している。

 クナも同じ思いだ。

 人に制御されたタケリの懊悩。龍蝶への深い思慕と、痛ましい暴走。思い出すにつけ、生物兵器などこの世にない方がよい。そう感じるばかりだ。

 なれども鏡姫は、思わずため息をついてしまうようなことを告げてきた。


『龍生殿は再興されるであろうの。リンシンが昨晩ぼやいておったわ。上皇陛下が、神獣を作れと元老院に発破をかけてきておると。魔導帝国に対抗するため、是が非でも神獣を保有せよとな』

「陛下はいまだ、魔導帝国を敵視されてるのですね。私たちは、大いに助けられたのに」 

『我が巫女、そなた譲位を急ぎすぎたやもしれぬぞ。もう少し勝手をして、土地を馴らしてもよかったと思うが』

「いえそれは。そこまでやるのはさすがに、出過ぎた真似です」


 クナは白い棺のそばに鏡姫を立てかけ、黒髪の人を覗き込んだ。

 黒い衣をまとった体が、ほんのり輝いている。モエギの施術のおかげで、幼帝からいただいた卵が体に溶け込んでいるのだ。黒髪の人の体そのものが、再生の卵と化したはず。あとは魂の傷が癒されるのを待つだけ。なのだが……


「魂の傷が治るのに、どれぐらいかかるんでしょうか」


 聞かれたモエギは、渋顔で首をかしげた。


「幼帝の時は次元がわやくちゃになった中で、魂の再生が成されました。はた目には数日という感じでしたが実質は三年以上経ったと聞いています。黒髪の御方も、最低同じぐらいはかかるかと。それにしてもくれないの髪燃ゆる君は、よくも虹の卵をくださったものです。卵はおじいちゃんの最高傑作。もともとは魔導帝国の世継ぎを創るために、発明したものなんです」

 

 おじいちゃんとは、ウサギの技師のことだ。

 ウサギは今、幼帝の再誕祝いのために大掛かりな仕掛け時計を作るようと金の獅子にせっつかれていて、霊峰のふもとにある塔にこもっているらしい。

 くれないの髪燃ゆる君は久方ぶりに魔導帝国の首都へ戻って、代替わりの儀式を次々と執り行っている。神帝自身が若返っただけなのだが、公には、第三代目となる新帝が立ったと公表されている。幼帝にも金獅子にも色々、思うところがあるのだろう。

 

「世継ぎを創るための器。そんなすごいものを」

「あとで返せって言われても、すっかり溶かしちゃったんで無理ですね」


 モエギはてへっと舌を出しながら、管がたくさん繋がっている金属の箱をちらりと見た。

大丈夫だと確認してから、今度は分厚い金属の箱の山に近づき、箱に立てかけられているひとふりの剣を手に取る。とたん、モエギはさっと顔色を変えた。

 

「ああこれは……ちょっとまずいですね」


 言いながらモエギは、長くて分厚い金属の箱に剣を安置した。その手つきは慎重に慎重を重ねていて、少しの振動も与えないようにしていた。


「恐ろしく質量のあるものを吸い込んでいるので、いつ爆発するかどうか分からない状態です。封印箱の中に入れておけば、核融合級の爆発が起きても大丈夫ですけど。できるなら、剣の中から少し力を放出した方がよいかと」

「そんなに危ない状態なんですか? では、人気のない平原かどこかで力を発散させます」

「ぜひそうしてください。できるだけ早急に。大安の眼前の平原よりも、ちょっと西の王洲平原あたりがいいと思います。あの平原には、町や村がないですから」

 

 クナは棺に視線を戻し、黒髪の人の頬にそっと手を当てた。

 動かぬ体はほんのり温かい。確実にこの人は生きている。

 その意識も、この不死の体の内にしっかりとあるはずなのだ。


「黒髪さま、ちょっと外に行ってきます。どうか」


 クナは思いを込めていとしい人の頬を撫でた。


「どうか一日も早く目覚めてください……」





 さっそく剣の力を放出する手はずが整えられた。

 モエギが伝信玉で月のリンシンに、船を出してくれるよう頼んだのである。

 大安の飛行場へと向かうべく、クナは鏡姫を、モエギは剣を収めた箱を抱えて、泉の間から出ようとした。

 だが、二人の足はすぐに止まってしまった。出口に近づくと、いきなりびゅうびゅうと、強くて甘酸っぱい匂いのする風が吹き込んできたからだった。

 

「しろがね様、下がって!」


 モエギが怒鳴り、二人が室内に退くないなや。入り口からどどっと、黒い兵士がなだれこんできた。一人ではない。十数人もいる。みな紋のついていない黒甲冑を着ていて、なんとも異様だ。

 箱が転げる。器も割れた。

 この軍団は一体何なのか。クナの褒賞を運んできた使節ではないだろう。 

 青ざめるクナの腕の中で鏡姫が唸った。


『控えよ! しろがねの太皇女の居城と知っての狼藉か! 何者か名乗れ!』

「は、放して!」


 異様な兵士たちは鏡姫を無視した。中のひとりがモエギの腕をつかみ、剣を入れた箱を取り上げる。モエギは必死に取り返そうとしたが、ギラリと光る刃が、彼女の背中を容赦なく襲った。


「モエギさん!」


 呆然とするクナの眼前に、異様な兵士たちがずらりと並んだ。すめら人に違いないが、顔をすっぽり隠す兜をかぶっており、すこーすこーと音を立てて息をしている。どの鎧にも太陽紋が刻まれておらず、軍部所属の軍団ではないようだ。列を成した彼らの真ん中から一人がずいと進み出て、居丈高に黄色い(はく)をクナにかざした。


「戦皇であった者よ。謹んで、復位された今上陛下の密勅を受けるがよい」


 目を見開くクナに向かって、兵士は異様な呼吸音を建てながら、(はく)を読み上げた。


「悪鬼の孫よ。大安にて自決せよ。汝が国を乗っ取らぬというのなら、その証拠を身を以て示せ」


 なんて理不尽なと、鏡姫が喘いだ。

 オムパロスにおわした帝は、クナが国を盗りはしないかという思いを極めてしまったらしい。

 疑いを拭えず、おのが身の安寧のみを願った結果、密かに手を打ってきたのである。

 この密使たちは大安に入城したすめらの軍に紛れこみ、クナが譲位する時を虎視眈々と待っていたのだろう。

 勅令をふりかざされては、衛兵は退かざるをえない。結界も解かねばならない。密使は堂々とここに入ってきたのだ。

 クナは震えながら答えた。


「今すぐすめらから出国します。それでどうかご容赦ください」

「ならぬ。復位された今上陛下は、汝の首をご所望であられる。すめらに尽くすならば、最後まで尽くせと。命を捧げよと仰せである」

「そんな……!」

「できぬのなら、介錯をするまで」

『おのれ! 何を言いやるか、ふざけるな! これが、おのが代わりに国を救うた者に対する仕打ちか? あの若造、まこと天子にふさわしくないわ!』


 密使たちは鏡の怒声にたじろぐことなく、さっと間合いをとった。クナが逃げ出せないよう横に広がり、出口を阻む。真ん中の一人が鞘から刀を抜きだし、勢いよく振りあげる。

 クナはすばやく反応し、ひらりと鮮やかに、振り下ろされた剣をかわした。

 だが、体は酔ったようにひどく重たく、祝詞を叫んでも、神霊の気配が降りてこなかった。

 室内に流れ込む果実のような匂い。それは密使たちが流しこんだものにちがいなく、吸う者の動きを鈍くしたり、神霊力の発言を阻害する作用があるようだ。

 密使たちが異様な音をたてて息をしているのは、兜に特殊な呼吸器がついているせいだろう。室内の空気をじかに吸わぬようにしているにちがいなかった。

 

「抵抗されるな。大人しく死するがよい」

「いいえ! 嫌です! どうかあたしを、自由にしてください」

 

 剣が唸る。身をかがめてなんとかかわしたものの、すぐ横から蹴りが入ってきた。肩に衝撃を受けたクナは、鏡を落として倒れた。

 

「待って! 剣を持って行かないで」


 よろりと起き上がりながら、クナは叫んだ。床に伏したモエギのそばから、剣の箱を抱えた兵士が離れて、出口へ走っていくのが見えたからだった。ああ、剣の箱の蓋が開いていれば、自分の声が届いただろうに……


「剣は陛下が、失われた神器の代わりと成すと、定められた。よってこれより内裏へ運ぶ」


 今の状態では危険だと、叫びかけたとき。階段から青白い炎が漏れてきた。


「しろがね、さま!」


 蒼き龍蝶が駆けつけてくれたのだ。なれどもその姿は、斬り裂かれたかのように散りぢりに砕けている。おそらくは塔の入り口で、詔を持ってきた密使に不穏な雰囲気を感じ、必死に抵抗してくれたのだろう。だが、あえなく突破されたのにちがいなかった。

 神霊力が使えない空間で、蒼き霊体でしかない龍蝶の形がみるみる崩れ、無数の鬼火がひゅるひゅると室内を乱舞する。しかしてそれは無力で、つわものたちの鎧を焼くことさえできなかった。

 剣の箱を持った兵士はたやすく蒼い鬼火を突破して、螺旋階段を登っていった。

 だめだ、追えない。ここで兵士たちを退けることも無理だ……

 クナが唇を噛んだそのとき。


「棺の、なか……へ!」


 血だまりの中でモエギが呻いた。と同時に、床に落ちた鏡姫が、まばゆい閃光を放った。


『我が巫女!』


 密使たちが一瞬、圧倒的な光量に怯む。クナは弾かれたように動いて、黒髪の人が安置されている棺へと飛び退った。

 モエギが力を振り絞り、棺の蓋を閉める装置を手探りでいじっている。

 棺の蓋がゆっくり閉まっていく。クナは思い切って黒髪の人のもとへ身を投げた。腕を伸ばし、降りてくる蓋を内側から強引に閉めた。

 剣が蓋を斬りつける恐ろしい音と、蓋がどずんと締まる重い音が重なる。


『蓋を施錠・対魔人封印装置、起動』


 棺の中が闇に包まれると同時に、足元から機械的な声が響いてきた。 

 

『時限設定無し・冷却開始』


 棺は分厚く、相当に頑丈なようだ。蓋が閉まった直後、外の音がまったく聞こえなくなった。

 棺のふちから、凍えるほど冷たい風が吹きこんでくる。

 クナはいとしい人にすがった。目をぎゅっとつぶり、腕を腰に回して、きつく抱きしめた。


「黒髪さま……!」


 体が冷気で固まっていく。意識も遠のいていく。

 ああでも。

 いとしい人の鼓動が聞こえる。とくんとくんと、確かに。力強く。

 胸も冷たくない。ほんのり温かい。触れているところだけは全然冷たくならなかった。


「おそばに、います。あたしが。あなたの妻が」


 クナは黒髪の人からもらった名前をそっと口にした。この世で一番美しいと思う名前を。


「〈天からこぼれ落ちたしろがねのしずく〉が。永遠に、あなたのそばに。あなたが目覚めるまで。そして目覚めてからも。ずっと……ずっと……」

 

 このまま、長い眠りに落ちても構わない。クナはそう思った。

 モエギが棺を封印したのなら、同じ灰色の技を持つ技師にしか、開けることはできないだろう。

 それがいつのことになるのか。数日後か、数年後かわからないけれど、ここならきっと、二人とも安全だ。

 なにより安心する。確かな鼓動を聞きながら眠れるのだから。

 理不尽な仕打ちをされたのに、気持ちが穏やかなのは、冷気が催す眠気のせいだろうか……

 クナの意識がとろんと溶けてきたとき。頭にふわりと何かが当たった。

 

 暖かい何か。

 

 暗闇の中、クナはびくりと体を震わせた。

 見えなくとも分かる。これは、優しい愛撫。

 頭を撫でているのは。黒髪の人の手……


「えっ……?! 動いて……る?」


 冷気が体を固めているのに。クナの手はもう、ガチガチでほとんど動かないのに。

 黒髪の人の手が、動いていた。

 そっと撫でた頭から、もっと下へ。クナの腰へ。そして――


「な……ぜ……」


 透き通ったあの声が、聞こえた。水晶を打ち鳴らしたような、美しい声が。


「くろかみ……さま……!!」


 クナの口は凍えて、もはや声を出すのもおぼつかない。なれども黒髪の人は違った。


「なぜ、怒らない? 君はもっと、人を、恨んでいい」

「いえ、でも――」

「いつもそうだ。甘んじて受ける。くだらない人間の、くだらない欲望を。だめだ。そんなことはもう……ああ、まずはありがとうと言うべきだな。君の名を聞いて、我が魂は眠りからさめた」

「あたしの……なまえを……きいた、から?」

「そうだ。その名は、君そのもの。それは私にとって至高のもの。何にも代えがたい至宝にして万能の呪文。だから……もう大丈夫だ。しろがねのしずく」


 黒髪の人がクナの名を呼んだとたん。不死の魔人の魔力が一気に増大した。

 棺いっぱいにあの、魔法の気配が満ちてきて、棺から噴き出す冷気が止まった。

 気配が膨らむ。棺が軋む。

 頼もしい腕がクナを包み込み、きつく抱きしめた瞬間。

 轟音を立てて、棺の蓋がはじけ飛んだ。

 

「わが命。わが伴侶。君を虐げる者を、私は決して許さない――」


 棺から弾けた力は膨らみ続けた。あたりに大風を起こすほどに。

 風は噴水の間にあるものを次々と巻き上げていった。

 転がった箱も。割れた瓶も。そして恐ろしい刺客たちも。なにもかも。すべて。





 大安にてしろがねの太皇女が譲位したその日。

 突如起こった大竜巻によって、大安の天守の塔は崩れ落ちた。

 大いなる風の柱はただ、天にそびえるその塔のみを消滅せしめて、蒼穹へと駆け昇っていった。

 大安に集ったすめらのつわものたちは、風の渦の中に美しいものをかいま見た。

 黒い(おおとり)

 巨大なその鳥は、白い娘を背に乗せて飛んでいった。

 高く。いと高く。天に輝く日輪をめざして。

 そうして鳥と娘は、まばゆい光の中に消えたという――

 




 

あと一話か二話で…

次回は、宮処が舞台です。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 本当に徹頭徹尾、自分自身のことには頓着せず、周囲の人たちを気に掛ける娘さんだったなぁ……。 黒髪さまはそりゃあ心配なはず。 けど、他に何もいらないとそう言い切る彼女なら、いっそこうして二人…
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