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黒の舞師 ~身代わり巫女は月夜に舞う~  作者: 深海
七の巻 御光の女帝
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25話 王殺し

 漆黒の翼を生やした少年の姿がすっかり見えなくなるまで、クナは大安の城門前に留まっていた。

 後を追いたい。そんな気持ちに駆られたが、願いは叶わなかった。崩れた城門の向こうから、またもや火球が飛んできたからだ。真っ黒な少年が蹴散らしたはずだが、敵は守勢を立て直したらしい。


「普通の火器ではありません」


 ごうっとうなりを上げて飛んでくる炎の塊を見て、シンミンは貌を蒼くした。


「かなりの霊力を感じます!」


 瓦礫だらけの地を、落ちた火球がさらに焦がしていく。

 しかし、その精度は微妙だった。雨あられと飛んでくるもことごとく、クナやユィン姫たちの頭上をはるかに越えていくのだ。

 瓦礫の向こうに目を凝らせば、黒衣をまとった一団がこちらへ向かって進軍している。方陣を組んでおり、陣の真ん中には大きな台車がある。その上に、ぎらぎらと輝く銀色の獣が乗っていた。


「なんてまぶしい」


 獅子。いや、たてがみがないから、虎か豹であろうか。ぎゅるぎゅると動く三つの眼。金属で作られているような体皮を持つそれこそが、ごうごう咆哮しながら火球を吐き出しているのだった。

 方陣を成している者たちは、異国の韻律使いらしい。獣を運びながら異様な呪言を唱えて、霊力を燃え立たせている。獣は無数の突起がついている背中をばりばりと帯電させて、彼らの霊力を吸い込んでいた。


「体内で、神霊力を火球に変えているのね」

「はい。体は小さいですが、あの身体構造と霊力。神獣か、それに限りなく近い眷属かと。大安が帝都であったころ、都を守護するために使われていた守護獣かもしれません。遷都に伴い、都市防衛機能はあらかた封印されたと、太子監(大学)で習いましたが……」

「封印が解かれたということでしょうか。悪鬼のもとには、優秀な技師がいると聞いています」

「なるほど、灰色の技師ですか。そやつが、守都の力を蘇らせたというわけですね」


 第三の目をぎょろりと動かした獣は、一瞬クナに向かって火球を吐き出すそぶりを見せた。だが転瞬、あからさまに首を上げ、大きな口を空に向けた。放たれた球が、クナたちのはるか頭上を越えていく。シンミンは貌を険しくしてクナの手を取り、鉄の竜に乗るよう急かした。


「精度がお粗末なわけではないようです。今までの攻撃はすべて、威嚇攻撃。けん制だったようです。どうか今のうちに、離脱を!」

「どうして直接狙ってこないのですか?」

「我々のことを、斥候であると判じたのではないかと。大安にはまだまだ戦力がある様子を、我々に伝えさせる。それまでの、おそらく数分の猶予です」

輝く獣は一体だけではなかった。方陣の後ろに、同じ陣容のものが続々と連なっている。一列だったそれは、門であった所を越えるや、先頭の方陣の真横に並び始めた。


「いけません、時間切れになります!」


 クナは急いで鉄の竜(ロンティエ)に乗り込んだ。

 ユィン姫とサン姫も倒れた竜に乗り込み、なんとか起動させることに成功したようだ。竜の体が起き上がるのを見て、クナはホッとした。

台座で帯電する獣たちが、明らかにこちらに狙いを定めてくる。クナたちと姫たちの鉄の竜が舞い上がったのと、獣たちが火球を吐き出してきたのは、ほぼ同時のことだった。

 まばゆい閃光。

竜たちの浮力が勝って辛くもかわせたものの、すぐに次弾が飛んできた。

 シンミンは竜を急上昇させたが、火の玉の勢いは苛烈で、ぐんぐん伸びてくる。はるか空の高みにまで達する勢いだ。

 

「いったいどれだけの射程が……!」


 若き武官は見事な操縦で火球を避けながら、宵空めがけて竜を駆った。

 クナは祝詞を唱えて、結界を張ろうとした。なれど怪我をしているせいか、うまく気配が降りてこない。ぎりぎり絞り出した霊力は、なんとか操縦席を守れるだけの範囲にしか広がらなかった。

 

『大安の霧、消失!』

『陛下の剣、都内へ進入!』


 クナが持つ伝信玉に、蒼鵬に乗る斥候たちの報告が入ってくる。彼らは大安の上空を飛び回っているゆえ、このままでは危ない。シンミンは手を後ろに伸ばしてその玉をクナから借り受け、鵬の騎手たちに伝信を飛ばした。

 

「緊急伝信! こちら第二十衛府師団所属艦、〈麗江丸〉格納機! 大安斥候隊に警告! 大安陣営、対空兵器展開! 即時離脱を推奨する!」

  

 数十頭の獣が吐き出す火球が、せわしなく宵空を裂く。シンミンは鉄の竜を急旋回させた。なれど竜の尻尾は火球の弾幕をかわし切れず、じりっと焼け焦げた。かすっただけだというのに、なんという衝撃か。竜はいっとき体勢を崩して大きく揺れた。


「……っ! ユィン姫! サン姫! 逃げて!」


 伝信玉を返してもらったクナは、操縦席にしがみつきながら、姫たちへ伝信を送った。

 ユィン姫は操縦が不慣れだ。格好の餌食になりかねない。

 ああでも、せっかくここまで来たのに。

 大安が離れていく。離れていく。離れていく……。

後ろ髪を引かれる思いで大安を眺めたら、驚くべきものが迫ってきた。

 吐き出された火球が突然、変質したのだ。真紅から紫へと色が変化した瞬間、まるで花火の玉がかち割れるように真っ二つに割れ、別の物へと姿を変えたのである。燃え盛る無数の、炎の矢に。


「追いかけてくるわ!」

「く……! 追尾型の球に切り替えたようですね!」


 無数の矢が、鉄の竜と蒼鵬たちめがけて突進してきた。

 (おおとり)の鳴き声が、星空を引っ掻いた。矢はぼすぼすと音を立てて鵬の体を射抜き、あっという間に火だるまにしていった。

 

「ああ! 鵬たちは生身だから……!」

「こちらは鉄装甲ですが、それでも辛いです! 火炎放射しかできませんから、打ち払えない!」


 霊力でできたもの、ましてや炎の塊に、火炎攻撃など効くはずがない。

 クナは頭を抱えた。竜の全身に突き刺さった炎の矢が破裂したのだ。機体が揺れ、しまいにはきりきり舞いし始める。矢は目にも止まらぬ高速で飛んでいるゆえ、硬い装甲を穿つ力もそこそこあるようだ。


「姫たちの機体が!」


 後方を飛ぶユィン姫たちの竜の片翼が動かなくなった。矢が着弾した衝撃で、翼の根元が損傷したらしい。姫たちも疲弊していて、うまく結界が張れなかったのだろう。失速して落ちていく竜を受け止めんと、シンミンは竜を急降下させた。

 

「間に合え!」


 クナたちの機体はがっしりと、姫たちの竜を肩で支えた。なれども、そのまま飛び続けることは叶わなかった。

 絶え間なく襲い来る炎の矢が、鉄の装甲を穿っていく。その翼が、羽ばたけずに浮力を失っていく。

 もっと広くて強い結界を張らなければ。地上に激突しても、しのげるぐらいのものを。

 クナは必死に祝詞を唱えた。すぐ頭上の姫たちも、同じことをやろうとしていた。

 瓦礫だらけの大地が迫っている。近くで炎に包まれた鵬が一羽、流れ星のように落ちている……

 

「しろがねのまたたきの神々よ、かしこみ、かしこみ、願い申す!」

 

 風よ。どうか、守りたまえ。

 力の気配が降りてくる。クナは勢いよく腕を薙いだ。大風が巻き起こるも、風の壁は薄い。負傷しているせいだ。

 どうか。どうかもっと。風よ――

 焦げた大地がみるみる迫ってきた。

 星の灯りが照らすことの叶わない、漆黒の大地が。すぐ、目の前に。



 

 

(ぬえ)を食らい尽くすとは。吸魂石はまこと、えげつないものよな」


 朱色の円柱そびえる広間に、自信に満ちた声が響き渡る。

 広間の奥。段を重ねて高みを増した頂に、神々しい輝きを放つ黄金の玉座が輝いている。

 龍たちが絡み合う、なんとも精巧で美しい彫金の椅子だ。

声の主は、そこに座していた。床に届くほど長い銀髪。吊り上がった紫紺の瞳。足を組み、けだるげに玉座に片肘を付くその身は、龍の紋様が刺繍された黄金色の衣に覆われている。

玉座を守っていたのだろう、(きざはし)の下には銀の鎧を着こんだ龍蝶たちが数十人、折り重なって倒れていた。皆、昏倒していて意識がない。


「ふん。鬼の首を取ったような貌だな」


 龍蝶は、伏した龍蝶たちの前に立つ漆黒の少年を眺め降ろした。少年はついさきほど、この広間に入ってきた。黒い翼を生やしたその姿は、鳥人か、それとも天の御使いか。蒼い双眸が爛々と、玉座に座す龍蝶を捉えている。手に持つ剣は、まだ一度も揮われていない。黒い翼のはばたき。その神気に満ち満ちたうねりが、彼の障害を一瞬のうちに排除したのだった。

なれども――


「我が護衛の魂、食わずともよいのか? その剣、まだまだ力を吸えるであろうが」


 孤立無援になったというのに、玉座に座す龍蝶はなんとも涼しい貌で、剣の力を誉めそやした。


「一千五百年の昔、大陸を統一した偉大なる王国は、数多の浮島を空に浮かべた。そのひとつ、トリヘイデンこそは、もっとも特殊なる鉱石を産出する島であった。生きとし生ける者の魂を吸い込む魔性の石、吸魂石が採れたのだ。その石こそ、お前が持つ剣の柄に嵌まっているものであろう」


 口元をにやりと引き上げながら、長い黄金の爪を嵌めた指で剣を指す。爪にちりばめられた金剛石がきらりと光った。


「吸魂石の鉱山は、大陸で唯一、トリヘイデンにしか存在せぬ。そは、我らが祖先がはるか、紫の四の星よりくり抜いて、星舟で運びしものであると言い伝えられておる。凡庸なる宝玉でも人為的に、人魂を封じる魔力をもたせることができるが、我らが故郷たる星団に在った吸魂石は天然にして、その力は桁違い。生きとし生けるものすべて、そしてどこからでも、雫ほどの小さな一点に哀れなる魂を無限に貯めこみ、融合させることができる。なぜならこの世界は、極小なる一点により始まったからであり、その〈始まりの核〉こそ、我らの星団の吸魂石であるからなのだ」


 漆黒の少年はふわりと浮いて、倒れている龍蝶たちを越えた。彼はそのままの高さで玉座に在る者を見下ろすことはせず、なぜか床に降り立ち、玉座の段に足をかけた。

 一歩一歩、少年はゆっくりと階を昇って行った。

 足を持ち上げるたび、黒炎がその体から放たれて、玉座の両脇を走っていく。地に降りたのはこの恐ろしい威圧を行うためだったのだろう。なれども龍蝶は、眉一つ動かさなかった。


最古の深淵セニオレム・カヴンニグルムの恐るべき鉱石、魂を吸い込むものアニマ・インハランテスが宇宙開闢の核であるというのは、一つの仮説にすぎない。ついでに言うと、極小なる一点の膨張(ビッグバン)は、あまたある世界創成方法の一つにしか過ぎない。それは非常に古めかしい方法であり、核の殻を破ったのは〈音〉、すなわち世界そのものの胎動であったと、エリュシオンは語っていた」

「ほう? そやつはたしか、上位の世界に至ったという伝説の導師だな」

「そうだよ。僕は彼に直接会って話してきた。この世界だけではなく、無数の世界を眺め降ろしてきたんだ。だからあなたは僕に、うんちくを垂れる必要はない」 

 

 少年が構える剣の柄に嵌まっている宝玉が、煌々と真紅に輝く。玉座の龍蝶はわざとらしく眉を下げ、あからさまにため息をついた。


「美しい光だが。この星の大気のせいで赤き色に見えるのは、少々残念であるな。紫の四の星の大気の中では、その石は紫紺の輝きに見えるのだ」

「時間稼ぎに言葉を並べるのは、もう止めたら? 君の敗けだよ、フンミー」


 漆黒の少年が微笑む。闇色の口元が開き、白い歯がきらりと光った。もはやその身は、龍蝶の目の前に在る。剣の柄が真紅の光を放つ。きゅるきゅると奇妙な音を立て、細い炎の渦がたちまち、刀身に巻き付いた。

 龍蝶めがけて、構えた剣が振り下ろされた。

 しかし玉座の主は微動だにしなかった。白い刀身が頭を割ろうかという寸前。鈍い音を発して剣が止まった。少年の意を阻むものが、瞬時に展開されたのだった。


「物理結界なんて、無駄だ」

「ふん。そんな子供だましではないわ」


 龍蝶がサッと片手を振るや、彼を守る結界が膨張した。あたかも世界が開闢するように、急激に、勢いよく。

 弾かれた漆黒の少年は一気に広間の入り口まで飛ばされ、太い朱の柱に叩きつけられた。

 

はんさよう(・・・・・)かな?」


 柱にひびを入れつつも、何食わぬ顔ですとんと地に降りた少年の口から、別人の声が漏れた。


「いや……同じ力(・・・)だ」

「黙れ。抵抗しないで僕に意識を委ねろ。溶けて無くなれ、(ぬえ)。いや、レヴテルニ」


 遠くなった玉座で、龍蝶がゆっくりと片手を上げる。長い黄金の爪を嵌めた白い手が、狙いを定めるかのように少年を指さしたとき。玉座の後ろから、ひと振りの剣がふわりと現われた。

 

「はは! 至高の吸魂石に封じ込めた黒髪の力。我が孫がぽんと置いて行ってくれたのだがな。その力に稀有なものが貼りついておったわ」


 黄金の竜をかたどった柄。そこに嵌まっている赤い宝玉がびかりと光る。


「聖剣の魂。黒髪の力を吸い込み、あまりの質量に耐えきれず、破裂したようだが。その残滓が残っていたのだ。ゆえに、わが技師に命じて蘇らせた。こやつが食ったものは全部取り出し、虫一匹の生命力も与えておらぬ。つまりこやつは今、非常に飢えている。力に満ち満ちているお前は、格好の餌食よ!」

「ちっ、オリジナルめ。完全消滅してなかったのか」


 黒い少年の貌が歪んだ。明らかに不機嫌になり、いらいらとせわしく黒い翼をはばたかせる。

 

「しかも、技師に改造されて、吸魂力を強化されてるのかな。君の味方をするということは、洗脳されてる?」

「もちろんだ。こやつは我が剣。お前が得た力をすべて吸い取り、おまえにとって代わろうぞ」

「なるほど。剣将や黒髪の力で倒せなかった場合の、最後の切り札としては申し分ないね。失ったものを取り返すだけでなく、敵の力もそっくり吸収し、最強の神となる、か」

「でも、そいつが(あるじ)に絶対服従する奴隷に成り下がったのなら、攻略は簡単だ。お前が死ねば、剣は無能になる」


 そんなこと、できるものか。

 龍蝶は勝ち誇った貌で豪語した。

 朕は龍蝶の魔人である。すなわち、輪廻を外れた不老不死の存在。

 ゆえに何人も、滅ぼすことはできぬと。


「魔人化はもともと、吸魂石への対抗手段の一つであった。星舟が発明され、月に至った偉大なアリス・メテルが吸魂石を発見してからというもの、紫の四の星では、魂食いが戦の常道となった。技師たちが鉱石の影響を遮断する技を編み出すまで、我らが祖先は自らの体を魔人へと変えて、しのぐしかなかったのだ」

「御託はいらない。僕は何でも知っている。魔人を倒す秘法だって、分かってるよ」

「魔人を倒す秘法だと? くっ……ははははは!」


 朱の広間に嗤い声が響いた。かつてすめらの帝であり、今もそうであると主張する龍蝶は、恐れなど欠片もない貌で金の玉座を打ち叩いた。


「四塩基の幽霊ごときが、この世で最も進化せし我ら、龍蝶(メニス)の秘法を試すというか。よかろう。やってみるがよい!」


 魔人の体はどうしたって破壊できない。不死の体からは決して、魂を引きはがせない。

 だが、中に入っている魂を器の中で壊死させることはできる。

 その方法とは――


「魔人の体に取り憑き、魔人の魂に触れた魂。それこそが、砕魂の楔となる。君に黒獅子が憑いたのは、実に好都合な展開だった。すなわち僕は、勝利の切り札を得た。黒獅子を食らった僕は、おまえの魂を消滅させることができる!」


 少年は腰を落として、突きの体勢を取った。そのまま黒い翼をはばたかせ、弾丸のごとく玉座へ迫る。剣を突き出し、動じず叫ぶ。


「アリステル。レイスレイリ。アイテリオンに連なるもの! 我が師アイテオキアが、我に相伝せし技を今ここに! 砕けよ魂! コンフラクタ・アニマ!!」

「させぬわ!」


 玉座の前に浮かぶ剣が、真紅の光を放って結界を展開する。突進する少年は、その結界をぎゅるぎゅると砕いていった。

 

「剣がさっそく、僕の力を吸い込み始めてるか。でも、僕の本体(この剣の切っ先)が、君に到達する方が早い!」

「はははは! 我が魂、壊せるものか!」

 

 龍蝶が紫紺の瞳をカッと見開く。


「その秘法は、アリステルが編み出したもの! かつて彼そのものであったこの朕には、決して効かぬわ!」

「効くさ! これはアリステルの術式じゃない!」

「なんだと?」


 少年はぐるりと剣を薙ぎ、蘇った聖剣を弾き飛ばした。


「これはわが師が、龍蝶の王アイテリオンを滅ぼすために編み直したもの。王殺しに特化した改良版さ!」


 少年の剣の光が赤から黒に変化した。刀身から漆黒の炎が噴き出しとぐろを巻く。聖剣の吸引力で、剣将の力が引きずり出されたのだ。

 熱いぞと、鵺が呑気にぼやいた。

 力が漏れていることなど気にも留めずに、少年は剣の切っ先を龍蝶の胸に深々と埋め込んだ。そうしてすぐ目の下に在る剣の赤い宝玉を見つめて、目を細めた。宝玉に刻まれたごくごく極小の刻印が、目に入ったからだった。


「『愛打(アイダ)』……わが師よ、あなたの技は無敵です」

「ぐ……!?」

砕けろ(シャッテル)龍蝶の王(レクスメニス)!」


 ひとこと囁いた瞬間――

 龍蝶は砕けた。

 玉座もろとも、木っ端みじんに。

 

 



 世界が砕け散ったのではないか。

 そんな風に感じるほどの恐ろしい爆音が、大安から星空に舞い昇っていった。

 クナは我が身を震わせた。体はまだ、なんとか動く。

 結界は不十分だった。なれど、鉄の竜が地に激突する寸前、シンミンがクナを操縦席から引き出し、かばいながら大地へ転がり出てくれたのだ。

 ユィン姫とサン姫も、墜落寸前に浮遊の術を使って、難を逃れてくれた。

 皆、無事でいる。今のところは。


「大破は免れましたが、だいぶ土の中にめり込んでますね。急いで再起動させます。また飛べるといいのですが」


 持って帰れないと困る。艦長にどやされると、若き武官シンミンはため息をついた。

 輝く獣による対空砲火は止みそうにない。偵察隊を全滅させるまで、徹底して攻撃すると決めているようだ。炎の矢が雨となって降り注ぐ中、シンミンは竜を動かそうと操縦席へ乗り込もうとした。

 その時、大安から今一度、爆音が轟いた。振り返れば、いにしえの都からひと筋、まばゆい光の柱が立ち昇っている。宵空が明るく輝く。まるで急に、昼間になったかのように。

あの柱はもしかして、帝宮から上がったものだろうか。漆黒の少年が悪鬼を屠ったのだろうか。


「なんて赤い……」

「対空砲火が止みましたね。都の異変に動揺したのかもしれませ……う……!?」

  

 ホッとしかけたのもつかの間。クナたちはたちまち青ざめた。台座の上に鎮座していた金属皮の獣たちが、一斉に降りてきて。あろうことか、こちらに駆けてきたからだった。


「ちょ……全頭一斉に? なぜ?!」

「あきまへん! こっちに来よります!」

「嘘……!」


 大地が揺れる。咆哮が響き渡る。揺れが激しすぎて、クナたちは立っていることができなくなった。

 対空兵器が残党狩りまでするなんて、まさかそんな。シンミンはクナをかばってしゃがみ込んだ。姫たちも互いをかばい合いながら、身を低くした。

 獣たちは何か別の目標に向けて突進した――そう思いたかったのだが。輝く獣たちは明らかに、クナたちを狙っていた。四人はあっという間に、獣たちに囲まれた。鉄の竜を中心にして、大きな輪となっている。

 ここで焼き尽くされるのか。そんなことは願い下げだ。

 消えてしまった結界を張ろうと、クナは立ち上がった。

 そのとき。

 いの一番にこちらへ到達した獣の背から、何者かがするりと降りてきた。

 都から登る光に照らされたその姿は全身黒くて、背が高くて、まるで影法師のようだ。

 ひと目見るなり、クナは硬直して固まった。


「あなた……は……」

「大安の技師。辰三寶、とでも名乗っておこう」


 影法師は黒く長い髪を垂らして、クナに軽くと頭を下げてきた。

 この上なく澄んだ、水晶を打ち鳴らしたような美声を放ちながら。


「あなたは、技師では……ないはずです」

「いいや。技師だ。ほら、灰色の衣をまとっているだろう?」

「その衣、黒いです」

「ああ、獣たちの息で焦げてしまったようだ。まさかあなたが、鉄の竜(ロンティエ)に乗っていらっしゃるとは思わなかったもので。危うく間違えて、撃ち落としてしまうところだった。でも風が。美しい風が巻き起こったのが見えたからね」


 涼やかな貌で、その人はうそぶいた。黒髪の人と瓜二つの顔に微笑みが広がる。


「それで、あなたがいるのだと気づいた。ああ、ごく近くにいることは感じていたのだが。果敢にも、こんな旧式の竜でいらしてくださるとは。歓喜の極みだ」


 朗らかな声が、クナを穿った。この上もなく美しい声なのに。その言葉はなぜか、クナの背筋をぞくりとさせた。


「迎えに来たよ、我が伴侶。いや、今上陛下と敬い、膝をつくべきかな。ともあれ、大安への行幸に感謝する」


 大安から登る光が消えた。まるで力尽きたかのように、フッと突然、消滅した。

 影法師の姿が闇夜の中に溶けていく。

 と同時に。クナの意識も宵の中に落ちて行った。

 眠りの韻律を刻まれたのか。いつの間にそんな術を……

 ああ、だめだ。四肢が動かない。対抗するには、力が足りない。疲れすぎて、枯れている……


「長旅で疲れただろう。ゆっくり休むといい」


 ああ、何も見えない――

 強引だけれど心地よい、まどろみの空気が降りてくる。

 もはやあたりには、美しい声しか聞こえなくなった。

 闇がすべてを呑み込んでいった。すみやかに。容赦なく。  


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