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黒の舞師 ~身代わり巫女は月夜に舞う~  作者: 深海
七の巻 御光の女帝
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22話 黒い霧

 船体が安定して武官が船室を辞すると、クナはすぐに、ユィン姫とサン姫に自分の正体を打ち明けた。金の髪まぶしいサン姫は目を丸くして驚いたが、狐目のユィン姫は、やはりそうかと得心した貌であった。

 もしや、移し身の術を看破する眼力があるのではないか。

 クナの問いに、星の姫はこくりとうなずいた。


「うちは生まれつき、精霊や鬼や、人の魂が見えます。うちの家系は、見鬼の力を持つ者が多いのです」

 

 クナの魂はきれいな菫色をしている。ユィン姫はその色を見てはっきりと、クナだと分かったらしい。

 

「ユィン様は凄いのですね。陛下が蒼い竜蝶になられていたなんて、全然気づきませんでした」


 サン姫はしょんぼりと、船の床に視線を落とした。金の髪はきっちり結い上げられていて、大人びた雰囲気に見せてはいるが、実のところはまだ、いとけない少女の年齢だろう。背はユィン姫の肩ぐらいまでしかなく、鉄錦(たたらにしき)がぶかぶかだ。

 クナは従巫女だったメイ姫を思い出した。あの姫よりも、もしかしたら若いのではなかろうか。


「私ったら、臘は浅いし、霊力もないし。陛下のおそばにあがれたのは、兄上が、太陽の大神官になられたからなんです」


 年季の入った黒ずんだ床。そこに視線を落とすサン姫の声が消え入るばかりになった。金の髪まぶしい太陽の巫女は、(チャオ)家の出身。すなわちあの、太陽の第一位の大神官、チャオヨンの実妹なのだった。


「兄上は剣将に魅入られて、とんでもないことを……ですからあの、本当なら私なぞは、獄に繋がれるべきじゃないかと思うんです」

「いいえ、そんなことは」


 クナは身を縮めるサン姫の手を取った。


「太刀の中に剣将が封じられているなんて、だれにも分からなかったのよ。その封印が、解かれるばかりになっていたことも」


 たしかにチャオヨンは剣将と同化して、大地を焼き尽くした。でもそれは、剣将に操られてのことだ。クナの即位には懐疑的だったけれど、すめらを滅ぼしたいとは、思っていなかったはずである。鍛冶師のような者は、例外中の例外。剣将を持った者が誰であろうと、たぶん彼と同じ末路をたどっただろう。

 チャオヨンは自らの身を炭に変えた。命を散らすという贖罪を行った。

 それで十分だ。この上さらに一族郎党が、連座する必要はないと、クナは優しく姫に言った。


「この戦で亡くなった人たちの魂が、安らかに天河に昇るよう、あたしは祈っています。あたしが想う人々の中には、あなたの兄君も入っています。来世では、天寿を全うしてほしい。幸せになってほしい。そう願っています」


 サン姫はぽろぽろ涙を流した。肩を震わせ、嗚咽の声が漏れるのをこらえた。


「陛下。お優しい言葉を、ありがとうございます」





 シズリのもとへ着くまで十分休むようにと、クナは二人の姫を隣の船室に下がらせた。自分も寝台に横になったものの、クナはまどろむことができなくて、しばらく船窓から雲海を眺めていた。

 太陽のサン姫。星のユィン姫。二人のことをつらつら思っていると、船室の扉がそっと叩かれた。狐目のユィン姫が目通りを願ってきたのだった。クナが応じると、ユィン姫は遠慮がちに背を低めて中に入ってきた。


「恐れながら、報告さしていただきます。サン姫は船室に入るやいなや、懐刀で自分の胸を刺そうといたしました。即座に止めて、巫術で眠らせております」

「えっ? 自死しようとしたのですか?」


 動揺するクナに、ユィン姫は力なく微笑んだ。


「はい。まぶしき陛下の慈悲を受けるのは、おこがましいと。うちは刀を取り上げ、姫の動きを体術にて止めながら、申しました。なれば陛下に全力で仕えるがよろしいと。命を賭けて陛下をお守りせよと。陛下とすめらのために尽くすこと。これこそ購いやろと。うんうんうなずいてましたから、もう大丈夫やと思いますが……念のために、これを」

 

 ユィン姫は膝を折り、鮮やかに輝く翡翠の勾玉を差し出してきた。


「勝手なことをせえへんようにでける、制御の玉です。憑依ほどの強力さはあらしまへんが、眠ったサン姫の指先から血を垂らしまして、操れるようにいたしました。大義を果たすまでは、姫の意志を封じ込めたほうが、よろしいかもしれまへん」

「いいえ。これは受け取れません」


 クナは即座に、首を横に振った。


「姫の心を無視して操ることは、したくありません。サン姫の心から、哀しみと罪の意識が消えることはないでしょう。哀しみはまた、姫を打ちのめすかもしれません。でもその度に、私が姫に話します。どうか共に在ってくれと。共に戦ってくれと。姫にお願いします」

「陛下……」

「あたしは考えていました。アオビさんがなぜ、霊力の弱いサン姫を指名したのか。それはたぶん、姫が誰よりも苦しんでいたからだと思うんです。アオビさんは姫が手柄を立てる機会をもうけて、誰からも後ろ指を指されないようにしようと、気遣ってくれたのではないでしょうか」

「なるほど。武勲を得れば、人の見る目も変わりますか」

「あたしがしなければならないことを、アオビさんがしてくれたんです。もっと早くに、あたしが気を配って成さねばならなかったことを。サン姫と、そしてあなた。ユィン姫に、しなければならなかったことを」

「む? うちにも?」

「はい。アオビさんはなぜ、あなたを指名したのか。あたしはそのことも考えました。理由は、サン姫と同じです。(タン)家のユィン姫。あなたは、九十九(つくも)さまの妹君。そうですよね?」


 クナがまっすぐな視線を投げかけながら確かめると、狐目の姫はくしゃりと貌を潰し、苦笑した。


「いかにも。(ヤン)家の養女となられ、ユーグの州公に嫁ぎましたジン姫。あの御方こそは、うちの異父姉にございます。我が姉は、ユーグ州を破壊せしめ、大陸の地形を変え、危うくすめらを滅ぼすような大事を起こしました。そのことをかんがみれば、(タン)家は(チャオ)家以上の罪を背負っております」

九十九(つくも)さまの御子があれほどの力をもつものだと、一体誰が予想できたでしょうか。理不尽なことを強要されつつも、九十九(つくも)さまは無垢な御子を止めようと、力を尽くされました。そしてこの世から消え去るという、贖罪をなさったのです」


 どうか見て欲しい。

 クナは肌身離さず懐に入れていた水晶玉を、ユィン姫に見せた。

 黒髪の人に必ずや見せようと誓ったもの。九十九の方が、この上なく幸せそうな貌で、赤子を抱く姿が写し出される姿。この世で一番美しいと思う、かけがえのないものを。


「これ……は……なんと……」

「時の彼方で九十九さまは、お腹の中にいた御子と再会を果たしたのです。もっと早くに、あたしはこれをあなたに見せるべきでした。あなた方が、私のもとに来てくれた時に。本当にごめんなさい」

「いえ、星の姫たる母が(ヤン)家の血を引く姉を生んだ時点で、(タン)家の評判は地に墜ちておりました。それゆえの不遇を、うちは生まれたときから味わっておりましたんで、何が起きようがもはや動じることは……ああでも……」

 

 頭を下げるクナを見て、ユィン姫はやんわりと目を細めた。見えなくなった瞳から、つうっと涙が流れ落ちていく。

  

「戦時という大事にあって、陛下のご尽力は輝かしく、しかしめまぐるしく、個人的に玉音をいただく寸暇もございまへんでした。せやからどうかその龍顔を、うちに向かって下げないでくださいませ」

 

 頬を濡らすユィン姫は、口の端をほんのり上げて、祝詞を唱えた。

とたんに白魚のような手の中にある緑の勾玉が、ちりちりと、砂塵と化してこぼれ落ちた。

 

「操ればよいなどと。浅はかなる考えを持ちましたこと、どうかお許しくださいませ。今後うちはサン姫を労り、励まして、友のごときに振る舞いたく思います。姫が弱音を吐こうものなら遠慮なく、おいどを叩いてやります。ええ、何度でも。びしばし、叩かせてもらいます」


 床に落ちた砂はまばゆく明滅しながら、空気の中に溶け込んでいった。

 まるで始めから何もなかったかのように、それは跡形もなく消えていった。

 わだかまりも悩みも哀しみも、みんな、こんな風になくなるといいのに。

 クナは心の底から、そう願った。

 みんなが幸せになる未来。どうやったらそれが作れるのだろうか。

 悩みは尽きない。だが、今はとにかく進まねばならない。

 シズリの炎をめざして、一直線に。進むしかないのだ。





 炎の柱を捕捉した、と武官が知らせにきたのは、昼過ぎのことだった。

 ごんごんうるさい機関音に阻まれながらも、クナははっきり、大安が燃えている、という言葉を聞き取った。

 先行して斥候の任についている蒼鵬たちが、黒船に伝信を送ったのである。その伝信を、太陽の武人シャンヤンが、この船に転送してくれたのだった。


「大安より出でし炎の柱は、来た時とは比べものにならない速さで、大安へ戻ったと。あたかも竜巻のごとしと。すでに都の北側の外壁は、すっかり崩壊しているとのことです」

「この船が大安に至るまで、あとどのぐらいかかりますか?」

 

 クナが問うと、機関音にうんざりといった体の武官は声を張り上げて、陽が沈みかけたころになると答えた。

 行き着くまでに、大安はすっかり廃墟になってしまうのではなかろうか。

 クナは青ざめながらユィン姫の船室を訪れて、サン姫を起こして集まってほしいと頼み、自分の船室に戻った。直後、続報が入って来たと別の武官がやって来て、大安の都が持ちこたえていることを告げてきた。城壁が破壊されたあと、突如として、黒光りする大結界が出現したというのだった。

 

「大安にはもともと、鏡のごとき反射結界が張り巡らされており、中の様子は分からず、伝信も全く通じないという有様でした。その結界が破壊されると同時に、あらたなる結界が展開された模様です。炎の柱はそれを砕かんとしておりますが、結界はなかなかに強力なようです」


 クナは武官に、伝信と一緒に幻像が送られきたかどうか訊ねた。

 蒼鵬が送った伝信ならば、鳥の目が捉えた幻像もついているはずである。武官はうなずいたが、伝信を受け取った場所は立ち入り禁止なので、見せられないと言ってきた。


「申し訳ございません。制御室は当艦の武官のみ、立ち入りを許されている場所なのです。大安に近づきましたら、立ち入り可能な船窓から肉眼で検分して下さい。船尾の各階の甲板、三階の中央甲板は、ご自由に歩き回って結構です」

 

 この船の艦長は気難しいのか。いや、シャンヤンが制御室に入れてくれたのは、クナがすめらの帝であったからだろう。今のクナは別人となっていて、帝の使いという身分でここにいる。だから特別扱いはされない、というだけのことだ。


「ごめんなさい! 私、がんばります!」


 ユィン姫と並んでやって来たサン姫は、開口一番そう叫んで、床に平伏してきた。

 泣き腫らした目が痛ましいが、きりっと生真面目な貌をしている。誠心誠意、務めを果たそうと意気込んでいる様子だ。精一杯務めるのが罪滅ぼしになる、というユィン姫の説教が、効いたのだろう。もしかしてもっと色々、ユィン姫は励ましの言葉を重ねたのかもしれない。


「ええ、一緒にがんばりましょう」


 サン姫は大丈夫だ。

 そう確信しながら、クナは笑顔を浮かべ、姫たちを小さな卓にいざなった。


「大安は遷都のあと住む人がほとんどいなくなり、廃墟と化していました。ですが今は、悪鬼が雇い入れた軍団が駐屯していて、数万の人口であると推測されているそうです。報告を聞くと剣はどうやら、大安にいる兵士たちをすべて、焼き尽くしそうな勢いです」

「悪鬼一人だけ狙うのは難しいからやと思います」

「私もそうだと思います。敵も味方も、死者がでないに越したことはないですが」


 サン姫がしっかり意見を言ったので、クナは安堵した。

 そのとき、アオビに持たされた伝信用の水晶玉が、ぶるぶると震えた。アオビが様子伺いの伝信を送ってきたのであった。

 

『しろがねさま、シズリが大安に到達してしまいました。でも、尋常ではない強さの結界が、破壊を阻んでいるようです』

「はい。伝信の転送を受けて、こちらもそれを把握しました」

『どうかお気をつけて。こちらでは、跡詰めの船団のおかげで、戦後処理が進んでおります。それから先ほど、モエギ様が到着いたしました。さっそく、鏡姫様の修理に取りかかっていただいております』 

「よかった……よろしくお願いします!」  


 嬉しい知らせを聞いてクナは微笑んだ。モエギは腕の良い技師だ。きっと鏡姫を蘇らせてくれるだろう。クナに化けている人はさらに、大安の結界に心当たりがあると言ってきた。


『剣将が復活する前。大安に潜入した私はその情報を入手し、封印玉に封じ、宮処へ持ち帰ろうといたしました。ですが、ナダに覚醒したばかりの私はとても混乱してしまって、それを軍船に置いていってしまいました。剣将猊下のもとへ馳せ参じ、この身を委ねた方がよいのか。それともしろがね様にお仕えし続けるか。迷っていたからです』


 でも、今は大丈夫。迷いは消えました――

 ナダはきっぱりそう告げてきた。これからもずっと、クナのもとに居続けるだろうと。


『機密の封印玉が、宮処の軍部に送られましたこと。その封印の解除に難儀していることを、リンシン様から知らされました。ゆえに私は軍部に、機密の封印玉を解く鍵を送りました。しろがねさまには今から、私がじかにお伝えします。大安を包んだ結界の正体を』


 クナは伝信玉をじっと覗き込んだ。ナダは膝の上に伝信玉を置いているようだ。大天幕の様子が、クナの水晶玉に映し出されている。

 少し焦げている几帳。長持ちに、手洗いの鉢などなど、調度品が増えていた。それから、祭壇のようなものもあった。白い布でおおわれたそれはナダの眼前に据えられていて、その上に、大きな水晶玉が置かれている。

 

『黒船の制御室にあるのと同じものです。船倉に補完されていた代替品で、シャンヤン様が設置してくださいました。蒼鵬を通して、剣の戦いを見られるようにと』


 ナダは巨大な水晶玉に、伝信玉の焦点を合わせてくれた。大きな水晶玉には、戦慄してしまう光景がはっきり浮かび上がっていた。

 すさまじく回転している炎の渦は、湖を干上がらせた剣将の炎よりも、はるかに巨大でまばゆい。大きな都に取りついて、都をすっぽり包んでいる黒い霧を絶え間なく削っている。

 しかして、黒い霧は尽きる気配がない。炎が焼き尽くしても、あとからどんどん湧き上がってきて、炎を完璧に抑えているのだった。


「すごい……」

『この結界は、〈(ぬえ)〉によって造り出されております。〈(ぬえ)〉とは、悪鬼が操る新たなる神獣です。悪鬼は、ウサギの技師様に匹敵するほどの技を持つ技師を傘下に入れて、神獣を作らせたのです』

「黒い霧……まさか……くろすけさん?」

『そうなのです。技師は悪鬼に取り憑いていた黒獅子を剥ぎ取り、タケリ様の子に埋め込みました。その上さらに、黒髪の御方の力を合成して、世にも恐ろしい力を持つ化け物を作り上げたのです。シズリに私ごと剣将を移したのも、その技師のしわざです。悪鬼はその技師のことを、〈我が光明〉と呼んでおりました』


 大安の技師は、黒髪様の力を利用した。タケリの子を使った。

 ということは。大河で襲ってきた龍たちを作り出したのも、その技師の仕業なのか。

 クナが問うと、そうですと返事が帰ってきた。

 超文明の時代、灰色の衣の技師たちは、あまたの神獣を生み出した。なれど現在の大陸においては、彼らの技は希有なものだ。ウサギの技師やモエギが言うには、現在、技師はわずかしかいないという。すめらはタケリを管理するために、その大半を龍生殿に集めていた。となれば……


「悪鬼に与する技師はもしかして、龍生殿の墓守?」

『はい。タケリ様が龍生殿を破壊して悪鬼のもとへ飛んでいけたのは、その技師の手引きがあったからなのです。モエギさまに確認しましたところ、たしかに〈光明〉という名の技師が、龍生殿にいたそうですが……』


 ナダの声が一瞬途絶えた。ためらいの息が吐かれて、それから昏い声が聞こえてきた。


『その者は、全然目立たぬ、ぱっとしない者であったというのです。太陽の神官族の出身で、すなわち金髪の若者であったと。ですが……シズリに剣将が移された時、私は技師の姿をしかと、目にしました。その姿は、モエギさまの仰る人とは全然違っておりました。黒髪に蒼い目で……あたかも……』


 黒髪と聞いて、クナの胸がずきんと痛んだ。


『ご本人では、決してありません。でも、黒髪の御方に、瓜二つでした。黒髪の御方がどこにいるかは、私も分かりません。でも必ずや、大安にいるはずです』






 ナダとの伝信を終えたクナは、寝台に座って考え込んだ。

 鏡姫の妨害を越えて、悪鬼が無理矢理伝信を送ってきたことがあった。

 そのとき悪鬼は、これ見よがしに黒髪様を見せてきたけれど。


「もしかしたらあれは……本物の黒髪さまじゃなかった?」


 クナがナダと姿を入れ替えたように、悪鬼は技師に、黒髪様の姿を被せたのかもしれない。クナを動揺させるがために。

 しかしそれだけの目的なら、すぐに術を解くはずだ。剣将を呑み込んだナダを捕らえた時にまで、その姿を維持している必要性はない。ナダはその時悩み苦しんでいて、クナのもとに戻るという確証はなかったのだから。

 もしかしたら黒髪様にそっくりな容姿の方が、本来の姿なのではなかろうか。

 金髪の若者という姿は、正体を隠すための偽装。その正体は……

 いや。トリオンは韻律を使う人だったけれど、技師ではなかった。

 黒髪様の魂の半身たる人は、時の彼方へ行ってしまった。白い花となりて九十九(つくも)の方が身罷るまで見守り、そのあといずこかへ消えてしまったというけれど。技師となって、まさかこの時代に戻ってきていたということは……

 

「わからないわ。世界にはたくさんの人がいる。黒髪さまに似た人が、他にもいたのかもしれないし……」


 どうか早く。一刻も早く大安へ――

 クナは祈ったが、船が大安に行き着いたのは、武官の言った通り、空が赤く染まっているころだった。ナダが見せてくれた黒い霧が見えてくるまで、なんと長かったことか。まるで何ヶ月も船の中で過ごしたような気分だった。


「船の屋上に出て、舞柱を作りましょう。剣に呼びかけます」


 〈鵺(ぬえ)〉の力は驚くべきものだ。黒い霧はいまだ、炎の竜巻を食い止めている。竜巻の渦はすさまじく、中にいるはずのシズリの姿は見えない。シズリは飲まず食わずで何日も舞い続けているように見えるが、疲弊していないのだろうか。

 クナが姫たちを引き連れて屋上へ出ようとすると、武官が慌てて止めてきた。


「いけません! 艦内にとどまってください。外はものすごい熱量ですし、揺れもひどいですから」


 下手したら船から投げ出される。身の安全を保証できない。

 どうか船窓から見てくれ。見届けの務めはそれで十分果たせるだろう。

 言葉を重ねて通せんぼする武官に、クナはとっさに答えた。


「剣と交信せよと、陛下に命じられましたので。そうするためには外に出ないといけないんです」

「そ、そんな無茶な」

「もし事故が起きても貴艦に責任を問わないでくれと、陛下にお願いしておきます。出来ればもう少し、竜巻に近づいてほしいのですが」

「むむむ、無理です! これ以上は近づけないと、艦長が申しておりますっ」

「分かりました。では、せめてこの位置より遠ざからないようお願いします」

「なんと命知らずな……」


 渋々通してくれた武官に礼を言い、クナは二人の姫と船の背に登った。

 その手に持つは、榊の枝。剣のように力を秘めたものではないが、なんとかなるだろう。

 はるか前方で渦巻く炎の柱を見据えて、クナは神霊力をあたりに降ろした。

 ユィン姫がしごく落ち着いた貌で、琵琶を弾き始める。

 恐ろしい光景に引きつつも、サン姫が震え声で歌い出した。


「もっと力強う歌いなはれ!」

「は、はいっ!」


 ユィン姫に励まされて、サン姫は声を大きくした。その声の美しさに、クナは驚いた。

 なんとも繊細で、はかなく透き通り、琵琶の音色に完璧に溶け込んでいる。

 霊力がないと嘆いていたけれど、その歌声は十分に、それを補う才のあるものだった。

 琵琶の音色が調子を上げようと、速くなっていく。

 クナは小気味よい神楽を背負って、舞い始めた。榊の枝を回して霊力を混ぜていくと、きりきりと鋭い風の柱がたちまち出来あがり、あかね色に染まった空に立ち昇った。

 クナは榊の枝に風を乗せ、炎の竜巻に向かって打ち放った。がっつり黒い霧と組み合っている竜巻に当てて、こちらの存在に気づいてもらおうと思ったのだった。

 風にはしっかりクナの思念が乗っている。竜巻に当たって弾けたら、剣はクナの呼びかけを耳にするだろう。

 

「ルデルフェリオさん。気づいて。どうか返事をして」


 風を練りながら、クナは竜巻の反応を待ったのだが。剣は黒い霧を焼くことだけに集中しているのか、返事はこなかった。

 威力が弱かったのかもしれないと思って、クナはもう一度、前より鋭い風を撃ち放った。

 しかし何の反応もない。焼け石に水とは、このことか。

 ああ、一番星が見える。夜が近づいているのだ。でも空は赤から変わらない。炎のまぶしさが空と大地を染めている。

 もっと強い風を当てよう。

 クナがそう思って、つむじ風を舞い始めたとき――

 炎の竜巻からひと筋、長い尾を引いて、何かが飛んできた。

 剣だろうかと、クナが期待して目を凝らすと。


「うるさい風ね! 黙りなさいよ!」


 炎をまとうその塊から、甲高い声が降ってきた。

 塊はどすんと、クナの目の前に降りてきた。ばちばちめらめら、まるでアカビのようだが、すらりと背が高い。長い真紅の裳が燃えることなく、炎と一緒にその者の周りをたゆたっている。

 風のうねりを維持しながら、クナは息を呑み、そしておそるおそる、声をかけた。

 

「シズリ……姉さん?」

「ふん、姉さんだなんて、いい子ぶって呼ぶんじゃないわよ。あたしを立てる気があるなら即刻あたしに譲位したらどう?」


 ごうっと炎の塊が吠えた。

 その手に剣はない。剣はひとりで、黒い霧と向かい合っているのだろう。

 なれどもシズリは霊力に満ち満ちていた。鳶色の髪を振り乱し、菫の瞳をらんらんと光らせながら、炎をまとう巫女は激しく舞い始めた。


「あははは! さあ、遊びましょう、クナ!」



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