13話 アオビ
炎が、近づいてきます。
真紅で、なんと雄々しいのでしょうか。
我が君。
この力の波動は、間違いなくそうです。
黒の三の星。
大いなる星の、大いなる御魂。
蒼い息吹に包まれてしまったこの大陸で、再びこうして、あなたにまみえることができるとは。
ワタクシの胸には、歓喜ばかりが込みあげてきます。
空も海も蒼くされてしまってから、一体どれほど経ったでしょう。
あなたの気配が感じられなくなってから、一体どのくらい、この星は太陽の周りを回ったのでしょうか。
永い永い、時が流れました。
おのれが何者であったのか、すっかり忘れ去っていたぐらい。
ああでも。
あなたの吐息が空を覆ったとたん、ワタクシはすべてを思い出せたのです。
ワタクシが生まれたとき、この星は、どこもかしこも真っ黒でした。
大地から湧き出しているのは、赤い溶岩。
それが冷えて、異様な形の黒い地表を作っておりました。
空は薄暗く濁っていて、海や河川など、ほとんどなかったのです。
そんな中でも、ワタクシたちは、ごく普通に暮らしておりました。
ワタクシたち。
しろがねの髪なびかせる、龍蝶たち。
ワタクシたちは、他の星からやってきて、永らく、黒い岩窟に住んでおりました。
龍蝶は、生まれ故郷と全然違う環境でも、難なく生きていくことができます。
空気が変わっても、肺が焼けることはありません。さすがに液体内での呼吸は無理ですが、大体の気体に順応できます。
はるか一万光年の彼方、紫の四の星とは似てもにつかぬこの星を、ワタクシの一族はありのまま、受け入れました。
今はもう存在しない、懐かしい故郷の星のように改造しようとは、思いませんでした。
だってこの星には、この星の御魂があるのですから。
むろん、龍蝶の王たるアリステルは、故郷の星を離れるとき、紫の四の星の御魂を閉じ込めた宝玉を携えておりました。
甘い甘い、甘露の海が渦巻く紫の星を、いつの日か、どこか別のところに復活させる。
それは、ワタクシたちの悲願です。
だからアリステルは、砕け散った星から抜け出た御魂を、大事に大事に、運んできたのです。
なれど偉大な王はこの星に、故郷の星の御魂を放つことは、しませんでした。
黒の三の星が、ワタクシたちを、優しく迎えてくれたからでした。
『ナダ、私はこの星を殺したくない。〈黒〉はまこと、寛容で慈悲深い』
アリステルは常々、うっとりと仰ったものです。
『〈紫〉が恋しくなるときは、もちろんある。紫の空。甘くて白い海。光に満ち溢れた、この上なき楽園。我ら龍蝶のふるさとは、いつの日か必ず、復活させる。なれどその場所は、ここではない』
偉大なアリステル。
万の時を生きる龍蝶の王こそ、まこと、寛容で慈悲深かったのです。
我ら龍蝶の一族の力をもってすれば、〈黒〉の御魂を封印し、甘露けぶる〈紫〉を、この星の御魂に据えることが、できたのですから。
『〈黒〉は私に歌ってくれるのだ。両腕を広げて、せいいっぱい、抱きしめてくれるのだ。まるで、父か母のようにな。親になろうとしてくれているものを、どうして踏みにじることができようか。
だから〈紫〉は、我らの子孫に託す。〈黒〉で殖えた我らの子らは、〈紫〉を携えて、この星から出ていくだろう。そうして、遠いどこかで、我らの故郷をよみがえらせるだろう』
偉大なアリステル。
ワタクシたちと、〈黒〉は幸せでした。
龍蝶はもともと黒の三の星で生まれたかのように、土着の生き物と共存しておりました。
一万二千年前。別の生き物が、やってくるまで。
王たるアリステル。
あなたは、優しすぎました。
あなたは、あとからきたあの、恐ろしい人間たちを、受け入れてしまいました。
だからワタクシたちは、人間たちが〈黒〉を封じてしまうのを、止めることができませんでした。
あなたがもう少しでも、厳しい御方であったなら。
〈黒〉も、龍蝶たちも、虐げられることはなかったでしょう。
「我が君!」
ああ、ワタクシの声は、喜びに打ち震えております。
「我が君、こちらです!」
大好きな皆様のためにと、ワタクシは軍船に乗り、我が君を呼び立て、人里から引き離そうとしております。
でも、伝信塔にいるワタクシたちが、こちらに来たくてうずうずしているのが分かります。
龍蝶の姿を思い出したものの、ワタクシたちは、有機体ではございません。
蒼い炎の体はそのままです。鬼火の炎は自在に、姿を変えられます。
おそらくふらふらと、何体かは鳥に変じて、こちらに飛んできていることでしょう。
ワタクシも、今すぐ炎の柱のところへ降りていって、走り寄りたい衝動にかられております。
太刀の中に入っているのは、我が君の、ほんの一部に過ぎません。
それでも。大いなる波動は、ワタクシを芯から揺さぶるのです……
「あ、アオビさま、あの、ご指示の通り、ありったけの伝信玉を平原に落としました」
軍船の艦長が、おそるおそる、ワタクシに報告してきます。
ワタクシはうなずきました。
急いでかき集めた水晶玉は、ぽつりぽつりと、平原を縫うように落とされたはずです。
遠く伝信塔より、ワタクシたちの幻像が、その玉に映し出されることでしょう。
我が君はその姿に引かれて、しろがね様が望むところへ、至るでしょう。
「我が君。どうか、来てください。こちらです……!」
ごめんなさい。どうか、お許しください。
そんな思いが、こみあげてまいります。
でも。ワタクシは。
一体どなたに、謝っているのでしょうか――
『アオビ!』
軍船に乗っている龍蝶の幻は、おのが手に持っている水晶玉から聞こえてくる声にびくりとした。
『アオビ! どうか頼む。剣将を封じる方法を、教えてたも』
敬愛するあの、百臘の方の姿が。懐かしいあの、黒く髪を染めた巫女の姿が、水晶玉に浮かび上がる。
『わらわは、人の世を失いとうない。この世界を、壊されたくないのじゃ』
船窓のはるか下、黒い平原に、ふわりふわりと、小さな幻像が立ち昇る。
船が落とした水晶玉から、美しい龍蝶の姿が現れて、こちらへ、どうかこちらへと連呼し始めた。
伝信塔から、アオビたちが呼びかけているのだ。
炎の柱がじりじりと、その幻像に近づいていく。炎に包まれた伝信玉は、燃え上がる大神官に拾い上げられた。しかし大いなる熱に耐えきれず、すぐに砕け散る。
『我が君!』
そのとたん、次の水晶玉が龍蝶の幻を立ち上げて、こちらだ来てくれと、〈星妃〉の声を発した。
剣将はまじまじと水晶玉を見つめ、ゆっくり平原を進み、また、玉を拾い上げる。
それが砕け散るとまた、前方にある次の水晶玉目指して、進んでいく……
剣将がゆるりと平原を横断していくのを見下ろしながら、アオビであった龍蝶は、乞い願ってくる鏡姫に声を送った。
「申し訳ございません、レイ姫様。ワタクシは〈星妃〉ナダ。ワタクシの口から、我が君を封印する方法を言うことは、できません。ワタクシは今、伴侶たる御方が復活して、歓喜に満ち溢れているのです」
『剣将が良人であるというそなたの言、信じた上での頼みじゃ。大いなる巫女よ、無理を承知で、乞うておる。どうか、少しでも我らのことを、哀れと思うてくれるのなら。手がかりとなることだけでも、教えてたもれ』
しろがねの髪美しい龍蝶は、しばらくじっと水晶玉の中に映る百臘の方を見つめていた。その紫の瞳は大きく見開かれ、たじろぐように震え、そして、涙で潤んだ。
ぽつぽつと蒼い炎をほのかに散らしながら、龍蝶は澄んだ声をそっと、絞り出した。
「レイ姫様。一万と二千年前、人間たちが、青の三の星からやってまいりました。
彼らは、黒い大地に降り立つや否や、黒い空を青く変えてしまいました。
この星にはほとんどなかった青い海を造り、青い川を造り、青い木々を植え、それから……
青の三の星にいた生き物たちを、次々とよみがえらせて、放ちました」
そのために。そうするために。
ああ、なんと恐ろしきことが起こったことか。
アオビであった龍蝶の声が、悲しみで震えた。
「もともとこの星に生まれて、殖えていたものは、多くが殺されました。ゆえに、先にこの星に住み着いていた龍蝶たちは、その多くが星船に乗って、この星から逃げていきました。アリステルは、故郷の星の御魂を、逃げ行く子孫たちに託して、この星と共に生きようと誓った一族と、地下に潜りました。ワタクシは、我が君たるこの星の悲鳴を聞きました。でも、伴侶であるのに……この星の御魂と交信する巫女であるというのに、ワタクシは、無力でした。ワタクシが、この星の御魂を保護する前に……黒の三の星の御魂は、人間たちによって、黒い大地から抽出され、切り刻まれたのです……」
太刀の中に在るのは、大いなるこの星の御魂の、ほんのかけら。
いわば、片目にしかすぎぬ――
「ばらばらにされた〈黒〉の御魂は、あらゆるところに分散されて、封じられました。その方法は、青の三の星の技であるがゆえに、ワタクシは知りません。御魂のかけらは、大陸各地の神殿の地下や、ツムガリの太刀のような、神器に封じられました。しかし後世、〈黒〉の御魂のかけらのいくつかは、神獣の霊核に精製されて、人間に制御されながら、顕現することとなりました」
『なに? 神獣じゃと?』
「黒獅子レヴテルニ。黒龍ヴァーテイン。これらは特に強大な霊核を持つもので、剣将猊下と、非常によく似た波動を持っております」
『なんと……あの黒すけが、剣将と同じものだというのか?!』
「ほかにも多くの神獣たちが、黒の三の星の御魂を霊核として付与され、生み出されました。神狼リュカオーン、地獄の番人テューフォーン、それから、白鷹アリョルビエール……」
驚いた鏡姫が、うわずった声で聞いてくる。
タケリや竜王メルドルークも、そうなのかと。金の獅子は、青の三の星から来たと言っているが、どうなのかと。
「ミカヅチノタケリは、もともとは、龍蝶が作り出したもの。アリステルが、ふるさとの星、〈紫〉の御魂の息吹から生みだした龍でした。ですが、彼らに霊核を付与し、神獣として改造したのは、人間たちです。
メルドルークや金の獅子は青の三の星から来たもので、当初、〈黒〉の御魂をもとにした霊核は混じっておりませんでした。ですがあれらは、あまたの神獣を食らっております。〈黒〉の御魂をかなり、同化せしめています」
『つまり……神獣の霊核は、人が御せるよう改造された、この星の御魂そのものなのじゃな。なれば、神獣を造り、御す力こそ、星の御魂を封じられる術であるのか?』
アオビであった龍蝶は、押し黙った。鏡姫が、一つの答えに達したからだった。
『すなわち、灰色の技師に助力を乞えと……』
「……」
水晶玉に映る百臘の方が、じっと、黙る龍蝶を見つめ返してくる。龍蝶の表情を読み取らんとするように。
『いや。技師が御せない神獣も、あったな。九十九の子のように、破格のものと考えるべきか……。う……? 待て……待て、アオビよ。あの、御せぬほどの、恐ろしい光の柱、九十九の御子の力は。ユーグ州を破壊したあの力は。突然変異というよりは、むしろ……』
百臘の方がたじろぐ。美しい龍蝶は、黙ってうなずいた。
『白鷹アリョルビエールの系譜から生まれたあれは、もしや、先祖返りのようなものか?
人の子と交わる禁忌を犯したことで、神獣の制御が外れ、その霊核が本来の姿に……黒の三の星の御魂の力が、むきだしになったのでは……
つまり、九十九の子は……黒髪様は……』
鏡姫が息を呑む。その姿を紫紺の目に移す龍蝶は、こくりとうなずき、つうっと頬に涙を伝わせた。
ユーグ州を破壊した、光の塔。九十九の方の御子。
それが顕現したとき、アオビたちはその力に呑まれ、恐ろしい神獣の子の眷属と化した。膨大に分裂し、光の塔の手足となりて、数多の人間の魂を狩る者と化した。
なぜに、そうなってしまったのか。
すべてを思い出した龍蝶は、得心していた。
あの光の塔も、剣将と同じもの。それゆえに、アオビたちはおのが身がなんであるかを思い出せないまま、あの塔の眷属となったのだ。
『と……ともかくも、剣将には、神獣に対する制御を試してみるのが、よいということじゃな。アオビよ、かたじけない。心の底から感謝する。今すぐ、灰色の技師たちの協力を仰ぐ!』
水晶玉から、百臘の方の姿が薄れ、消え失せた。
玉をひしと抱きしめ、美しい龍蝶は泣き崩れた。
「ごめんなさい。どうか、お許しください……
ああ、ワタクシは。〈黒〉と〈青〉、どちらに対して、謝っているのでしょうか。
この星は、〈青〉に満ちています。今やどこもかしこも、青の三の星の御魂に覆われております。
ワタクシは……〈青〉を、人間たちを憎めません。〈黒〉も〈青〉も好きです。
アリステル……! あなたもそうなのでしょう。
二つとも愛しているから、二つに分かれてしまったのですね。
大安に在るあなたの半分は、〈黒〉の復活を望み、女帝を名乗るあなたのもう半分は、〈青〉を守ろうとしております。
ワタクシは。〈黒〉の星妃たるワタクシは。いったい、どうしたらよいのでしょう? なぜ、こんなに迷うのでしょう?」
平原に撒かれた水晶玉から次々と、幻像が立ち昇っていると、艦長がクナに報告してきた。
伝信大塔に入ったアオビたちが、伝信を発してくれているらしい。
燃え立つ剣将は、玉をひとつひとつ、拾い上げているようだ。
突如、おどろおどろしい轟音が、平原に響いた。
剣将が吠え猛ったのだ。その恐ろしい轟きは、クナが乗る船の窓をびりびり震わせた。
それはおよそ、生きている者のあげる声とは思えぬものであった。
『玉より出ている幻像も、我が巫女の姿ではないようじゃ。アオビだった者。星妃ナダの御姿に、剣将が反応しておるのじゃな』
鏡姫が喘いでいる。アオビと交信して、剣将を封じるには、神獣の制御方法を試すのが良いという結論を出した彼女は、ウサギの技師やモエギに伝信を飛ばし始めた。
『よし、モエギに連絡がついた。しかしウサギ殿には、とんと繋がらぬ』
鏡がぼやくと、鍛冶師の剣が苦笑を飛ばした。
『ピピ様には僕も伝信を飛ばした。でも、かなり忙しいみたいだね。金の獅子が、幼帝の誕生祝いを早く作れって急かしてるし、えっとその、僕がいろいろ、上位世界からいじった大陸の各所を、点検して回ってる』
『おのれ、おぬしが余計なことをしたからかっ』
『お山にピピ様の像を掘ったりとか、しごくかわいいイタズラだよ。というか。アオビの言う通り、剣将が神獣と同源だというのなら、僕ら技師の力で、なんとかなる』
「剣が食べるのは危険です。花売りさんの剣は、光の塔を食べきれずに破裂しました。剣将は、光の塔と同じか、それ以上の力をもっているのでは……」
無理に食べはしないさと、剣は笑った。
『たぶん、太刀の中にはもう、押し戻せないだろう。モエギに、強力な封印箱を用意してもらうのがいい』
はい、とクナは深くうなずいた。
「すめらが、ユーグ州のようにならないように。人の命が、奪われないように。封印箱が来るまで、しのぎましょう」
ごおうごうごう。焦げた平原が揺れる。
剣将は、水晶玉に映る星妃の姿に、強く反応しているようだ。
空に浮かぶすめらの軍船は、果敢に鉄の竜をだし、水晶玉を平原の西南をたどるようにばらまいた。平原の先には大きな湖がある。そこを横切れば、その先には、広い砂漠があるのだ。
剣将は、恐ろしくも地を砕きながら進んでいる。焦がされた平原には、痛ましい亀裂の軌跡ができあがっていった。
『来て……! 我が君!!』
水晶玉をひとつひとつ、じっくり検分しているのだろう。剣将の歩みは、ひどくのろくなった。
天は、星空へと変わり。ほのかな暁燃える朝となり。そして、昼となった。
鉄の竜たちは、湖にも水晶玉を撒いた。剣将は太刀の力で水をごうごうと蒸発させながら、湖を割り、美しい龍蝶の幻像を拾い続けた。
「ナダ!!」
『ここです!』
白い蒸気がもくもく立ち昇り、湖の水がみるみる干上がっていく。
「ナダァアアアアアア!!」
剣将は、吠えながら天を仰いだ。アオビが乗っている船は、湖のかなたに浮かんでいる。それを認めるや、剣将は片手で燃える太刀を思い切り薙いだ。
「ああ、湖の水が、完全になくなったわ!」
『砂漠へ入ってくれそうじゃな。しかし、油断はできぬ』
「鏡姫さま、モエギさんはいつ、こちらにこれそうですか?」
『万年杉そびえる白き塔で、突貫で封印箱を作っておるそうじゃが、あと三日はかかるとのことじゃ』
三日。すめら西域の砂漠は広いが、それまで星妃の幻像だけで持ちこたえられるだろうか。
クナが不安に思った時。軍船の艦長が急を告げにきた。
「西方第五衛舎より伝信! 赤き炎の柱が寄り集まり、大墳墓を越え、恐ろしい勢いで、旺平原に突入! おそらく、剣将を追っている模様です」
やはりアカビはひとつに合わさり、剣将のもとへ迫っているらしい。
このまま、砂漠に剣将をおびき出す一方で、アカビを倒すことができれば……
「すめらの神官族たちは、今いかほど集まっていますか?」
「今朝の時点で、宮処付近より、船三隻が参じました。それぞれに、神官や巫女たち、三百名が乗ってございます」
『ぬう。千に満たぬか』
「あと数日しますれば、十隻、三千名はかき集められるかと……」
だが、アカビの到達までには間に合わない。
クナは立ち上がり、神楽の準備を要請した。
「この船を、高御座のように、神柱にします。砂漠の入り口でアカビさんを待ち構えて、剣将との邂逅を食い止めます!」
かくてクナの御座船は、神官族を乗せた船三隻を従えて、急ぎ、砂漠の入り口へ取って返した。
クナは船の屋根に昇った。平らな船の屋根は、あたかも広くて四角い舞台のよう。ごうごう、強風が吹いていて、しろがねの髪がさかまいたが、船が滞空すると、その風は、そよりとしたものに変わった。
他の三隻から、神楽団が乗り込んできて、クナの後ろに控えた。
笙をもつ彼らに聞けば、すでに各船で祝詞が唱え始められているという。
クナも、疲れ切った体に鞭を打ち、鏡をそばに置き、剣を持ちて、舞い始めた。
風がうねる。
神霊の気配を降ろすと、他の船から放たれた神官や巫女たちの霊気が、びんびんとクナを取り巻いてきた。
「できる……もう一度、柱を作れます!」
『無理をするな、我が巫女。さすがに、足運びが重い』
「大丈夫です、鏡姫さま。やれます!」
懸命に舞い、剣を回し、神気を練り上げていると。
剣将に勝るとも劣らぬ炎の柱が、ほどなく、ずたずたになった平原の向こうから飛んできた。
「鳥……!」
『なんと。太陽の化身、鳳か』
太陽神殿の巫女王の象徴。真紅の炎に包まれた巨鳥が、破壊され尽くした平原の上を一直線に飛行している。燃えるそれはみるみる、こちらに迫ってきた。
「まだ、柱が固まっていませんが……お願い、止まって!!」
クナは、タケリと対峙した時のように、おのれに集まった神気を急いで剣にからめ、炎の鳥に向かって撃ちだした。なれど、燃える鳥は難なく、その槍のごとき波動を弾いた。
びんびんふおうふおうと、神楽団が必死に、神柱の神気をまとめあげる。
クナはもう一度急いで、波動の風を練り上げた。
「お願い、止まって!! アカビさん!!」
再び、剣から撃ちだした波動の槍が、燃える鳥の片翼を貫いた。
やったと思った瞬間、鳥は大きくはばたいて、無数の炎の玉を船団に放ってきた。
御座船の胴体に、どうんと火弾が突き刺さる。船がひどく揺れた。ふわりと舞い上がっていたクナは、着地し損ねて、床に倒れた。
『だめじゃ、柱の力が足りぬ!』
『くそ、人も時間も足りないな』
タケリの時は、三日三晩、神気を練り上げた。今回は、力を集め始めてから、たった数刻しか経っていない。神獣よりは力劣る相手であろうが、しかしそれでも、アカビの霊気は相当に強かった。
巨鳥はごうごうと、強さを誇るように燃え猛り、旋回して、進路を妨害する船団を狙い始めた。
「もう一度!」
クナは三度、剣を揮った。しかし絞り出した渾身の一撃は、鳥の尻尾をちぎったものの、完全に砕くまでには至らなかった。
『くそ、だめか。タケリとの闘いで力を消耗しすぎたから……』
邪魔ヲ、スルナ!!
空が震えて、鋭い霊波が飛んできた。アカビが、意志を発してきたのだ。
と同時に、巨大な火球が御座戦の背後にいる船の一隻を直撃した。
「ああ! 船が!」
神官と巫女たち、三百名が乗る船が、砕け堕ちていく。ごうごうと、残酷なきらめきを放ちながら。
だめなのか。アカビが剣将に合流するのを、止められないのか。
剣を床に突き立て、クナががくりと膝を折ったとき。
『我が巫女! 蒼い炎が!』
平原の彼方から、氷の塊のような光を放つ、蒼い巨鳥が猛然と飛んできた。
「あれは、まさか」
アオビだ。各地の伝信大塔にいたアオビたちが集まって、駆けつけてきたのだ。
たぶん。たぶん、クナたちを、救うために。
スセリ様!!
嘴鋭い蒼い鳥は、燃える鳥に迷うことなく、突進していった。
「アオビさん……!!」
オ許シクダサイ!
オ許シクダサイ……!
燃える巨鳥が驚いた様子を見せ、空中に止まる。
蒼い鳥はその隙をついて、一気に巨鳥の胴体を貫いた。
『やった……!』
『おお!』
剣が。鏡が。そしてクナも、大きく、安堵の息をついた。
しかし蒼い鳥は自らも、千々に砕けた赤い鳥の炎に絡みつかれて、ごうごうと燃え堕ちていった。
まるで、溶けて消えゆく氷のように。
お許しください。
お許しください……
霧散していく蒼い炎から、悲しげな囁きが空に響き渡った。
ああ、ワタクシは。
〈青〉が、好きなのです――