12話 鳳、天へ
すめらの平らな軍船の中にいるクナは、アオビたちに協力を要請した鏡姫の様子を、固唾をのんで見守った。
鏡は始めしばらく、返事がこないと当惑していた。それから突然、動揺したかのように激しく明滅し、徐々に、異様な輝きを放ち始めた。剣将や星妃という単語が、ぽつぽつと鏡から流れてくる。クナが心配げに訊くと、鏡はため息をついて、困り果てた様子を見せた。
なんと、アオビがアオビではなくなってしまったという。
何やら、おとぎ話の終幕のような、不可思議なことが起こったというのだった。
『実に面妖じゃ。アオビたちの持つ水晶玉のことごとくに、半透明の龍蝶の姿が映っておる。それが申し訳ありませんと、一斉に謝ってきておるのじゃ』
一万二千年の呪いが解けた――
どのアオビも、口をそろえてそう言っているらしい。
『とにかくも、最寄りの伝信大塔へ行ってくれと頼んだぞ。伝信塔は水晶玉の伝信を中継するために、すめら全土に何十万と建っておる。小さな祠の形をしたものがほとんどじゃが、三里圏内に一基、大きな塔が据えられておる。そこから、幻像の発信が可能じゃ』
「アオビさんに私の姿をとってもらって、各地で帝はここにありと、発信してもらうのですね」
『衛舎近くにおる者には、船を借りるよう要請した。三隻ほど、この船の影分身を作ろうぞ。リンシン、元老院に伝えて、便宜をはかってたも』
「御意!」
しかしアオビは、本当に大丈夫なのか。龍蝶に変じたとは一体、どういうことなのか。
クナが問うと、鏡姫は困惑しながらも答えた。
蒼い鬼火たちはもともと、ひとりの龍蝶であったとか。しかし、大スメルニアによって鬼火に変えられてしまったとか。しかも、そのような境遇にあったのは、アオビだけではないのだとか。
水晶玉に映る龍蝶は、そのようなことを話してきたという。
「アオビさんが、もとは龍蝶だったなんて驚きです」
『大スメルニアの呪いを受けて、鬼火に変えられた龍蝶は、三人おるそうじゃ。
アリスイヨツ。これは、緑の鬼火に。レイスナダは、蒼い鬼火に。アイテスセリという者は、赤い鬼火になったらしい。アオビはその中の一人。レイスナダであると、主張しておる』
鏡が龍蝶の名前を告げたとたん、クナはみるみる、顔を白くした。アオビだった者がつぶやいたというそれは、明らかに、自分の記憶の底にある名前だったからだった。
「アリス……レイス……アイテ……それってみんな、龍蝶の……」
『ああ、王族の家名だね』
クナのそばに浮かぶ鍛冶師の剣が、龍蝶の中ではよく知られているものだと、そっけなく返した。
『龍蝶は長命で、王の在位は数千年。この星では、三代しかいない。すなわち、アリステル、レイスレイリ、アイテリオンの三人だ。それで、なんだって? アオビは、レイスなんとかって、名乗ったって? ということは、レイスレイリの血族だっていうの?』
『待て、本人に確認する。ふむ……そうか……。レイスレイリは祖母、アイテリオンは叔父だそうじゃ。赤や緑の鬼火となった龍蝶も同じく、近しい親戚らしい。彼らもかつての記憶を取り戻したはずだと、アオビだった者は申しておる。しかも……』
大スメルニアが封じた龍蝶たち。
彼女たちはそれぞれ、三貴神に仕えていたという。
アオビだったものは、自らを剣将の伴侶、星妃であると称したそうだ。
「伴侶……とすると、鬼火たちは、三貴神同様、人の世を嫌っているのでしょうか。まさかそのために、大スメルニアの呪いを受けた?」
そうだ。それゆえにアオビは謝ってきているのだろうと、鏡姫は鏡面を暗くした。
『我らに与するかどうか、迷っているにちがいなかろう。他の鬼火たちも過去を思い出したということは、御所に立ち昇った、緑の炎の柱というのは……』
「もしかして、緑の鬼火でしょうか」
『おそらくそうであろうな。それが人を憎むものなれば、御所が危ないぞ』
「う……」
―—「御所から撤退中の軍団より、伝信!」
クナが緊張のあまり、声を詰まらせた時。水晶玉を覗いていたリンシンが声をあげた。
「政庁に迫りし緑の炎の柱、太陽の巫女王様をかたどるものが、巨大な螺旋を成し、空を焦がしているそうでございます! これあたかも、神柱のごとくである、と」
『神柱じゃと?』
「広い御所の外れからでも、巨大に見えるほどのものにて、しかも、なにやら不気味な歌が流れてきているそうでございます。来たれ我が君、我が珠の君、と……」
『ぬう。三貴神が一柱、珠将を呼んでいるのか? しかしその神器は、剣将のそばにあるはずじゃ』
これでは、燃える剣将が宮処へ呼び寄せられてしまうではないか。
神器の内にある珠将や鏡将を顕現させられては、たまったものではない。いまだ一柱しか顕現していないうちに、どうにか封じ込めなければ。神霊力を以てすれば、どうにか緑の神柱を砕けるだろうか。
クナへ全力を注いだ神官たちを再び集め、緑の柱に力をぶつけてもらうことはできないだろうか。
クナはめまぐるしく考えた。しかしその数拍のうちに、リンシンが再び、声をあげた。
「緑の柱が、御所の亀裂に落ちたそうです……!」
「えっ?!」
「突然、不気味な歌が途切れて、凛とした叫び声が聞こえたとのことです。その瞬間、柱が消えたように見えたと。もしやと思い、兵が亀裂を覗きましたところ、緑の柱は自ら、深い亀裂に落ちていったとのことです」
「まさか……まさか……」
クナは震えた。恐ろしい予感が、クナの心を襲った。
菫の目を見開いて、クナは、緑の炎の中に囚われている友を案じた。
「ミンさま……!!」
落ちる。
落ちる。
地の底へ。
ここならば。岩壁そびえる、ここならば。
どんなものも、焼かれない――
ごうごうと、緑色の炎が暗い石を照らしている。
我が身を包む炎の、なんと冷たいことかと、ミン姫は顔をしかめた。
神妃を名乗った緑の鬼火は、容赦なく、太陽の巫女たちに光弾を放ってきた。
寝殿はその一撃で木っ端みじんに吹き飛び、ミン姫をかばったビン姫は、ついに斃れてしまった。ミン姫を守れて本望だと、老巫女は微笑みながら、天河へ昇っていった。
従巫女のラン姫とメイ姫が泣き叫びながら、体を張って、次弾からミン姫を守った。二人とも肩や腕を穿たれて動けなくなったが、命はとりとめるだろう。
二人がしのいでくれている間に、ミン姫はおのが霊力を全力で発現させた。
体内に在る神霊玉が、熱く燃えさかるのを、しかと感じるほどに。
若き太陽の巫女王は、いよいよの時のために編み出された秘法を使う時が来たと、察したのだった。
―—『これは、古い時代の巫女王が、何としても生き永らえるために編み出した禁忌にございます』
それは、まだ童女であった頃に、ビン姫が伝授してくれたものだった。
―—『太陽の大姫様であられた姫様の母君は、次代に私をと推してくださり、その秘法を伝授して下さいました。なれど私は次代を辞退し、姫様の世話役に志願いたしました。母君様を幼くして亡くした姫様を、この手でお育てしたかったからでございます。母君様より伝えられしすべてを、私は姫様にお渡ししたいのです。母君様の愛と、大いなる御技を』
「ビンさま、お許しください。この秘法は、本来、生き延びるためのものだというのに、私は……ですがこの得体のしれぬものを、世に放つわけには参りません」
『これで、わたくしを支配下に置いたつもりですか?』
暗い岩盤に片膝をつくミン姫の口から、声音の違う二つの声が出た。
その手が激しく、冷たい岩を打ち叩く。
緑の炎は消えるどころか、さかんに燃え猛っている。の炎が、ぐるぐる螺旋を描いて、落下する姫の体に浮力を与えた。御所を東西に裂く亀裂の底にふわりと着地することができたのだ。
ミン姫は、床を叩く手をもう片方の手でぎりぎりと抑えながら、しゃがみ込んだ。
「抵抗は無駄です。もはや、私とあなたは、一心同体です」
『何を言っているのですか? 自らわたくしを体内に入れるなど、明らかに、愚かな所業です。太陽の巫女たるこの体は、スセリ日女様にこそ、ふさわしいでしょう。陽妃たる御方にこそ、捧げるべきです』
「私は、目前の敵を打ち砕かねばと思ったまで。私はあなたを食らいました。私の魂は力の鎖を編み上げ、あなたを捉えて同化しました。私たちは溶け合ったので、もう、離れることはかないません。これより私は全力で、あなたが伴侶の珠将を呼び覚ますことを、阻止します」
『あなたの神霊力など、微々たるもの。日女姉様に譲らぬのなら、わたくしは、おまえを食らい返します』
「いいえ。あなたはもう、私なのです」
これは憑依の術ではない。そのさらに上をいく、秘術の中の秘術。
憑いたものと同化するという、禁断の呪法。
「私はあなた。あなたは私。二つの魂は間もなく完全に、一つになります。魂が統合した私たちは、しばらく動けなくなります。その間に……」
ミン姫は、胸元を合わせた衣の隠しから、小さな瓶を取り出した。
「神降ろしをした直後に、取り寄せました」
言うなりミン姫は瓶の蓋を取り、一気に煽った。
『何を呑んだのです?』
「遅効性の毒です。一つになった私たちは、動けなくなっている間に、死ぬでしょう。そうしてこの体に宿る魂は、迷うことなく、天河へ昇るでしょう」
『愚かな。わたくしを無理矢理、この世から引き離そうというのですか?』
「そうです。あなたは強大すぎます。でも、この方法ならば、倒せる……! どうか一緒に、死んでください!」
ミン姫は祝詞を唱えた。
体内で、緑の鬼火だったものがもがき始めたのを感じながら、淡々と歌った。
凛とした声が、緑の炎にからみつき、陽の光のような光輪を発生させる。
歌い終わるやいなや。ぽつりぽつりと、姫の周囲に、輝く光の玉がいくつも現れた。
それは、亀裂にそびえる黒い岩の精霊だった。
「念のために、精霊たちに、しばらくしたら私を殺すよう命じておきます」
『愚かな……なんと愚かな! ああ……離れない……抜け出せない……おのれ……!』
「すめらの巫女をみくびらないでください。大いなる巫女王の技。一万二千年の秘術。今ここに……!」
ミン姫は我が身を抱きしめて、地に額をつけた。とたん、真紅の瞳の中の瞳孔がみるみる開いていく。体は硬直し、まるで銅像のごとくに微動だにしなくなった。
ごうごう燃えていた緑の炎も、徐々に薄れ、消えていった。
固まったミン姫の周りを、岩の精霊たちがせわしなく飛び回る。ぐるぐるちかちか、ほのかに光りながら乱舞する。
そうして、半刻ほど経ったのち。
「く……あ……」
ミン姫の瞳はまたゆっくりと、正常に戻っていった。
「わた、し……」
二つの魂が合わさった者は、ゆっくりと金の髪まぶしい頭をあげた。
ミン姫と、月妃イヨツ。二人の記憶がぐるぐると、姫の頭の中を駆け巡る。
太陽の巫女として育った記憶と。それから……
「ああ。人がやってくる。わたくしの神殿に。珠将さま、助けて」
押し寄せる兵士たち。切り裂かれていく龍蝶たち。自分に覆いかぶさる、何人もの男。
そんなものが次々と、姫の脳裏に現れてきた。
「あ……あ……ああっ……」
恐ろしい記憶が、精神を刻んでくる。
砕かれた祭壇。ちらばる供物。裂かれる衣。白い髪を掴まれ、引きずられ。
どんなに泣き叫んでも、誰も。誰も。誰も……
「ああ、アリステル。どうして人を、滅ぼさないのですか」
苦しげにおのが胸を掴んだ姫の目から、涙がこぼれ落ちた。
しかしその涙は真紅に染まり、地にどろりと血だまりを作った。
毒が、効いてきたのだった。
「あ……やめ、て。死にたくな……いいえ、死ななければ。天へ行くの。いやよ、やめて。わたし。どうしたら、いい、の」
二人だった時の、相反する思いが、姫を混乱させた。ぼたぼたと、赤い双眸から真紅の涙が流れ落ちる。
どうしてよいか分からなくなり、両手で顔を覆った時。舞い飛んでいた精霊たちが一斉に、姫に向かって突進してきた。
「……!!」
血に濡れた目を見開いた瞬間、姫は精霊たちに穿たれた。胸にいくつも穴が開いたのを、心の臓が吹き飛んだのを、姫はしかと感じた。
同時に、自分がどうしてこうしたのかを思い出し、姫は満足げに、かすかにほほ笑んだ。
「ああ。神降ろしで、見た、通り……。しろがね様。リアン様。みんな……私はこれで、さよならです」
どうっと前のめりに倒れこんだ姫の体から、即座に、美しい御魂が飛び出した。
朱色にきらきらと煌めくそれは、天に向かって勢いよく、昇って行った。
あたかも――翼を広げて優美に舞う、鳳のように。
「衛兵が亀裂を確認。緑の炎が、消えたそうです!」
水晶玉を注視するリンシンが眉を下げた。
クナはどっと、椅子にへたりこんだ。ミン姫が一体何をしたのか、想像がついたからだった。
「戦ったんだわ。鬼火を、抑え込もうとしてくれたんだわ。ミンさまは……ミンさまは、無事ですか?!」
クナに問われたリンシンは、せわしなく伝信を飛ばしていたが、やがて、がっくりと肩を落とした。
「兵が……亀裂の底に、太陽の大姫様が倒れておられるのを視認したと……気絶されておられるのではなく……その……絶命なさっておいでだと……」
「そんな!!」
『なんと……ミン姫は、身を挺して御所を守ってくれたのか?』
泣いている場合ではない。クナは震えながら、自分に言い聞かせようとした。
しかし涙がとめどなく出てきて、もはや言葉を出すことがままならなかった。
乗り移られたのを逆手に取ったか。それとも、自ら果敢に、襲ってきた敵を食らったか。
いずれにせよミン姫は、神妃のひとりを倒したのだろう。おそらくは、緑の鬼火が、神器を持つ剣将を呼び寄せるのを、止めるために。
「すぐにご遺体を引き上げるよう、手配をいたします」
リンシンが気丈に、各所に指示を飛ばし始めた。
『これで御所が、しばらく安泰になるといいけど。急いで陽動を始めよう』
鍛冶師の剣が促してくる。頬からぽろぽろ涙をこぼしながら、クナは少し待ってくれと囁いた。その震える口から、切なる思いをこめた祝詞が紡ぎだされた。
天においてつつがなく
航海をなさるよう
そしてどうか 願い、たてまつる
どうか どうか
命あふるるこの大地に
どうか、戻って……
『鏡姫、アオビたちは、各地の伝信大塔に入ったかい?』
剣は、嗚咽の中から祈りを絞り出すクナを無視して、冷静な声で鏡に確認した。
『アオビたちに、指示を出してくれ』
『剣よ、わらわもしばし、ミン姫を悼みたいのじゃが』
『泣くのは、剣将を封じたあとにして。ミン姫の犠牲を、無駄にしてはだめだ。アオビは協力してくれるようだけれど、あと一色、動向が分からない奴がいる。鏡姫、赤い鬼火がどうなっているかも、今すぐ把握してくれ』
朱衆は戦闘に特化しており、普段は御所や守護の塔の護衛兵として働いているほか、宮処周辺にある衛舎にも、ばらけて配置されている。
鏡姫は渋々、つややかな表面を点滅させた。
『ぬ……宮処の東、第参衛舎にて、火災発生——』
『鬼火が原因かな? だったら排除しないと』
『ああ、大丈夫じゃ。運よく、そこに駆け込んだアオビが衛舎に入ってきて、赤い炎を吹き飛ばした。なんとか大人しくさせたようじゃ』
運よく鎮められたが、こんな偶然が、何度も起こるはずがない。
リンシンが、赤い鬼火は百体以上いるはずだと慄いた。
「緑の鬼火の配置場所は御所のみですから、完全に排除がなされたと存じますが。朱衆は宮処の内と外に、広範囲に散らばっております」
『まずは一か所に、集まろうとするんじゃないかな? 同化したほうが霊力が増すから。緑の鬼火も、ひとつに合わさったんだろう?』
『アオビに、アカビを泳がせるよう命じよう。ひとつに統合したところで、封じるなり負かすなりするのがよい』
アオビは陽動作戦で忙しい。しかもアカビを倒すには、ミン姫のように、大いなる神霊力を駆使できる者が必要だ。
リンシンは周神殿に籠っている月の巫女王に伝信を飛ばした。
「どうか、なにとぞ! 足止めをしてくださるだけでも……」
しかし水晶玉の向こうから返ってきたのは、恐れと困惑のため息ばかり。月の大姫はついぞ、応えてはくれなかった。
『スミコちゃん。だめだ』
「はい……」
クナは、涙を拭いて立ち上がった。息を整え、悲しみをぐっと呑み込む。
ミン姫の戦いを無駄にしてはならない。
剣の言う通りだ。
タケリとの戦いでまだ、体力が戻っていないが、戦う者がいないのであれば立つしかない。
「陽動しながら、私がもう一度神柱を作ります。霊力を貸してくれる神官兵をこの船に乗せれば、この船を御柱にできます。赤い鬼火は、剣将が持つもう一つの神器、鏡に宿る鏡将を求めるはず。剣将が動くところに、ついてきてくれることに、賭けます」
『待て。今の我が巫女には、荷が重すぎる。柱を作れる将軍と兵たちを、アオビが乗る船に乗せよう』
鏡姫がちかちかと、ものすごい勢いで太陽神殿に伝信を送った。
『すめら全土の神官族を、かき集めようぞ』
鏡姫の伝信は瞬く間に、すめら全土に飛ばされた。
即位の礼のために上洛していた神官族が多かったので、人員が集まるのには、さほど時間がかからなかった。
なれども、クナの神柱を作るために霊力を注ぎつくした者が多く、アオビが乗り込む軍船に集まった神官族は、数こそそろったものの、十分な霊力を発揮できるかどうかは微妙であった。
数を打てば、なんとかなるまいか。
鏡姫はすめら全土の衛舎に、神官族を乗せた船を進発させるよう要請した。
『位あるものだけでなく、すめらの神官、巫女たちをすべて、動員しようぞ。人の世が壊れるか否かの瀬戸際。なりふり構っている場合ではない』
しかし各州より船団が来るまでには、日をまたがねばならないだろう。
クナの御座船とアオビが乗った船に、この一両日の希望が託された。
アオビと神官族たちを乗せて衛舎より飛び立った船たちは、宮処の西方へと舵を切った。
「とにかく人のいない西へ、来てもらいましょう。できるだけ時間を稼いでいる間に、剣将を封印する方法をどうにか……鏡姫さま、アオビさんから、聞き出すことはできませんか?」
『再三聞いておる。だが、そこのところは、だんまりじゃ』
「そうですか……」
『説得を続ける。あれは確実に知っておるはずじゃからな』
炎に包まれし剣将は、クナを追って大墳墓の山を越え、焼き焦がした平野に足を踏み入れていた。
クナの御座船はできるかぎり、燃える太刀をもつ大神官のそばに迫った。
神器の太刀が容赦なく、炎の波動を繰り出してくる。
クナの船も、他の船も、ぎりぎりのところでそれをかわしながら、一斉に、『帝の姿』を船体に映しだした。
『すめらの帝は、ここに健在なり!』
決死の覚悟で、アオビの船のうちの一隻から鉄の竜が繰り出して、大量の水晶玉を黒く焦げた平原にばらばら落とした。
『伝信の玉を撒いたか。平原を離れよ! 人里のないところへ逃げるのじゃ』
鏡姫の号令のもと、船は西方域の、複数の方向へと散開した。
壮大な鬼ごっこが開幕しようとしたわけだが、剣将はしかし、クナの船には目もくれず、アオビが乗っている船に反応した。
逃げ行く船の胴体に映し出されたのは、クナによく似た、しかし明らかに目元が違う龍蝶の姿。
しかも船から、悲痛な叫びが発せられたからだった。
『我が君! 聞こえますか?! 私です! ナダです!』
燃え盛る太刀をふりかざす剣将は、ゆるりゆるりと、焼き尽くされた平原を横切り始めた。
『我が君! 私も、復活いたしました! 我が君!』
その時、平原にまかれた水晶玉から次々と、幻像が立ち昇った。
伝信大塔に入っていたアオビたちが、伝信を発し始めたのだった。
『我が君!』『聞こえますか?』『どうか足を止めて』
『こちらです!』『こちらです!』
美しいしろがねの髪の龍蝶の姿が、広い平原のそこかしこに現れた。
船を追おうとした剣将は、玉を拾い上げ、咆哮した。
それはおよそ、生きている者のあげる声とは思えぬ、轟きであった。
『ぬ……我が巫女の姿ではない。アオビだった者、そのままの姿を映し出しておる!』
「まさか……星妃として、剣将を呼んでいるのですか?!」
クナは一瞬たじろいだが、ぐっと、胸元で手を握り合わせた。
「信じます。あたしは、アオビさんを、信じます!」
大丈夫。アオビはきっと、自分たちを助けてくれる。きっと……
平原に転がる水晶玉から、青い幻像が燃え上がる。
いくつもの玉から煌々と、その優美なる姿が天に向かって丈高く、映し出された。
しろがねの龍蝶は、長い髪をなびかせ、両腕を広げて、切に叫んだ。
―—『いとしい、我が君……! どうか私のもとへ、来てください……!』