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黒の舞師 ~身代わり巫女は月夜に舞う~  作者: 深海
七の巻 御光の女帝
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10話 女帝聖誕

 クナを乗せた白い御座船は、真っ赤に染まる大墳墓から辛くも逃れた。

 太刀の炎は船を追って広がったので、赤毛の幼帝は蛇のようにくねっている大河の上を沿うように船を進め、大きな湖の上に滞空させた。

 炎は水に阻まれ、火勢は一気に衰えたが、それでもごうごう、しばらくの間、平原を焼いていた。

タケリとの闘いで精魂尽きたクナは、月のリンシンに支えられながら、船の上甲板に並んでいる大きな長椅子に身を沈めた。

 船尾の壁が船窓になっているロビーは、噴水が流れ、観葉植物が並び、楽団が演奏できる広場がある憩いの空間となっている。その瀟洒(しょうしゃ)な風景にホッと息をつきたいところだったが、船窓から見える光景は凄惨そのもの。燃ゆる平原の姿に、とても、心を落ち着けることはできなかった。


「なんて赤い……炎がどこまでも追ってくるなんて。大墳墓にいた軍団は、大丈夫なの?」

『これは厳しい状況じゃな』


 鏡姫はクナと共に、沈痛なため息を吐いたのだが。鍛冶師の剣は、世の終わりのごとき惨状よりも、自分より腕の良い技師のことが気になるようだった。


『悔しい! 僕に把握しきれないことがあるなんて……』


 一万年以上生きてきた金の獅子が、教えてくれた。

 神器に封じられていたのは、三貴神(さんきしん)と呼ばれる古い神。

 この星。そして、この星を照らす、太陽と月。

 三つの天体の、御魂(みたま)であると。

 すなわち、剣将とは……



「この星そのもの。黒の、三の星……」



 この大陸に住まう者たちは普段、この星のことをそんな風には呼ばない。

 すめらでは、世界を意味する言葉として、「すめら百州」を使う。

 西方諸国の人々はもっと単純で、この世界のことを、「大陸」と呼ぶ。

 獅子によれば、「黒の三の星」は、とても古めかしい呼び方であるらしい。

 人間の故郷である、青の三の星。龍蝶の故郷である、紫の四の星。これら、遠く空のかなたにある偉大な星々と並び称される時に、使われるそうだ。


「黒って、どうしてそう呼ぶのかしら? この星は、そんなに黒いの?」


 クナは、ギヤマンの船窓を仰いだ。

 大人になり、何もかも見えるようになったクナの目に映るものは、実に鮮やかだ。

 見渡す限り、空は青い。平原は、炎に呑まれる前は緑だった。

 南に広がる豆畑は、黄金の穂を揺らしていて、山々はうっすら紫ががっている。

 夜はどこもかしこも暗くなるけれど、(またた)き様や月女(つきめ)様が、きんきんきらきら、さやかで美しい色をほんのりつけてくれる。

 黒髪様の髪のような漆黒のものは、めったにないように、思えるのだが……。

 

「申し訳ございません、陛下。伝信障害は消え去ったようなのですが、うまく繋がりません」


 クナのそばで、月のリンシンが焦り顔で水晶玉を示した。

 各所になんとか伝達をと、しかりに伝信を飛ばしているのだが、水晶玉は、ざあざあ雑音をたてるばかりらしい。見かねたクナは、鏡姫に願った。


「鏡姫さま。どうか、お力を貸してください」

『妾は、大スメルニアのようなものには、なりとうない。我が巫女だけの鏡でありたいのじゃが』

「神器のことを一刻も早く、政庁に知らせなければ」

『ぬ……そうじゃな。内に籠っている場合ではないか。あい分かった。では、覚悟を決めて、回線を開いてやろう』

「ありがとうございます!」


 リンシンはまず、拝所にいた星の一位の大神官の無事を確認してくれと、鏡姫に要請した。

 だが、鏡姫がどんなに伝信を飛ばしても、星の大神官から、反応はなかった。

 伝信障害がまだあるのか。それとも、太刀の炎に燃やされてしまったのか。

 クナの貌に、焦燥と不安が満ちたとき。鏡姫が飛ばした伝信が、クナを警護して大墳墓についてきていた軍団に繋がった。


『太陽の、第三位の大神官殿の玉に届いたぞ。音だけでなく、景色もはっきり、映っておる……!』


 クナもリンシンも、鏡が映し出した光景に息を呑み、凍り付いた。


「ああ……」

「なんという……!」


 赤。赤。赤。

 鏡面に映し出されたのは、燃え盛る炎。

 鏡の向こうから、恐ろしくも、兵士たちの叫び声が聞こえてくる。あまたの兵士たちが、広がりゆく炎に怯み、おののき、慌てて後退している。

 鏡に映る画面が、ひどく揺れた。水晶玉を持っている太陽の大神官も、必死に逃げ走っているのだろう。

 阿鼻叫喚。この世の終わりだと、たれかが泣き叫んでいる……


「み、皆さん、大墳墓から逃げてください!」


 クナは思わず、真っ赤に染まる鏡に叫んだ。

 

「タケリ様は、消滅しました。ですが、新たなる脅威が、あろうことか、神器の中から顕現してしまいました。緊急事態です。急いで宮処(みやこ)へ戻ってください。そして……」


 大墳墓について来た軍団の数は、一万。軍部大本営の長のひとり、第三位の太陽の大神官が率いている。

大本営の副長たる第二位の太陽の大神官は、他色の二位以下の大神官たちと共に、元老院の幕の下に居て、残り数万の兵と共に、御所を守っている。

 もしクナに何かあれば、元老院が旗頭となり、軍部の大本営が取りまとめる軍団と、各神殿の総力をもって、宮処(みやこ)を防衛する――そんな体制が敷かれていた。

 都市と民を護る。それが急務に思えて、クナは夢中で言葉を重ねた。


「そして、どうか、宮処(みやこ)の人々を、護ってください! 大墳墓から、炎が広がっています。生けるものたちが焼かれないように、どうか――」

『待て!』


 しかしそのとき、鏡姫がクナを制した。


『我が巫女よ、落ち着け。そなたはすめらの帝。その声は、玉音であるぞ! 御身の重みを考えよ!』

「あ……!」


 鏡の向こうから、困惑した声が飛んでくる。


『い、今、語りかけてきた方は一体、どなたですか? 陛下は……新帝陛下は、無事であられるのですかっ?』

『しろがねの陛下は、無事なの?!』


 問い合わせてくる声の後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


『まさか、焼かれていないでしょうね?!』

「リアンさま……!」


 太陽の大神官が、振り向いたのだろう。鏡に、針金足のイチコに支えられたリアン姫の姿が映った。肩で息をしている姫は、腹を抑えて苦しそうだ。しかしその青い瞳は、生気に満ちて燃えている。


「リアンさま! あたしは……! いえ、わたくしは……!」


 クナは貌を引き締め、深く息を吸い込んだ。

 動揺してしまって、一気に思いをぶちまけてしまった。でも、それではだめだ。

 今の自分が、一体何者なのか。そして今、何を成すべきなのか――

 おのれを案じるリアン姫の顔を見つめながら、クナは座椅子から立ち上がり、背筋をすうっと伸ばした。

 

「耳を澄まして、お聞きなさい! わたくしは、しろがねの新帝! すめらの(いただき)に座す者! わたくしは、タケリを倒しました! そして今、つつがなく、空の上にいます!」


 鏡の向こうに、凛とした玉音が轟いた、そのとたん。

 真っ赤な炎に囲まれた兵士たちが、どよめいた。

 それは、歓喜と安堵からきたものだった。歓声は、波のごとく鏡の外に襲い来た。

 おおお。おおお。おおお……!

 波に呑まれてぶるぶると、鏡が震える。クナの体も、大いなる波に揺さぶられた。


『万歳! しろがねの陛下は、健在ですわよ!』


 イチコに支えられたリアン姫が、輝く笑顔で叫んだ。

 三位の太陽の大神官も、熱を帯びた声をあげる。


『陛下は、この炎を逃れ、天の高みにおわしますぞ! さすが、天照らし様の加護ある御方じゃ!』


 万歳! 万歳! 陛下は、健在! 


 口々に叫びながら、兵士たちが走っていく。炎を逃れて、疾風のように。

(とき)の声を上げながら、雄々しく、駆けていく。


『我らの柱は、まだ建っているぞ!』

『あきらめるな! 炎から逃れよ! 生き延びよ!』


 混乱していた軍団が、みるみるまとまってきた。鏡の向こうから来た大波に呑まれたクナは、まるで雷に打たれたかのように、我が身がしびれるのを感じた。


「我らの柱……あたしは、みんなの支え……」

『そうじゃ、我が巫女。そなたはどっしり、構えておらねばならぬ。動かぬ山のごとくに』

「山の、ように……」

『そして、三色(みしき)の神殿をみくびるでないぞ。神官族は長年、民を統べてきた。悪い意味でも、良き意味でも、飼いならされた家畜ゆえに、従順で勤勉。すぐれた官じゃ。特に、我が身とあまたの民を護る術は、しっかり会得しておる。一言でいえば、とてもしぶとい』


 鏡に一瞬、百臘(ひゃくろう)の方の笑顔が映し出された。

 黒く染めた髪に包まれた、美しいかんばせが、クナにやさしく微笑みかけてくる。


『ゆえに、我が巫女よ、臣下たちを信じよ。そなたはただひとこと、命じればよい。すめらの民が手にするべき、結実を。それをただ、真摯に望め』

「分かりました!」


 クナは今一度、深く、息を吸い込んだ。

 じっと鏡の向こうの光景を見つめること、数拍。そうして、凛とした、美しい玉音を打ち放った。

 

「すめらの人々よ。生きなさい!」





 クナの玉音は、兵士たちを打った。駆けながらも軍団は整然と列を成し、速やかに撤退を続けた。

 きっと大多数が宮処へ戻れるだろうと、クナとリンシンが胸を撫でおろしたとき。鏡姫の鏡面が、紫の天幕がはためく、屋根のない建物を映し出した。


『よし、元老院に繋がったぞ!』


 空が燃えていると慄いている各色の神官たちに、クナは堂々と、玉音を送った。


「わたくしは、しろがねの新帝! タケリを討ち果たしました!」


 鏡姫の伝信は、高御座が居たところに据えられている祭壇の上、大きな水晶玉に繋がったらしい。

 元老院の神官たちが一斉に、クナの声がしたところを凝視した。

 クナは、ゆっくりはっきり、凛とした声で命じた。


「太陽の人々よ。すめらの脅威を、打ち払いなさい!

 月の人々よ。わたくしたちの戦いを、大陸全土に知らしめなさい!

星の人々よ。すめらの国土と民を、護りなさい……!」

 

 直後。クナのかたわらで、目をきらきらと燃え立たせるリンシンが、深く頭を垂れた。


「御意、陛下! 月神殿は、大陸公報を発布いたします。また、オムパロスへ使者を送り、古い記録の開帳を要請いたします。いにしえの神々のことを調べ、再封印に全力を尽くしましょう!」


 リンシンの声は、鏡を通して、元老院の神官たちのもとに、びんびんと響き渡った。

月の大神官は続けて、詳しい事情を元老院に説明し、全力で対処するよう要請した。

 時宜よく、太陽の第三位の大神官から元老院に報告が舞い込んできたので、やんごとなき神官たちは困惑しながらも、なんとか状況を把握していった。


『太陽の一位の大神官が、古き神に取りつかれるなど……』

『まずは更迭。しかしその前に、タケリ様を退けた陛下を、讃えましょうぞ』


 歓声のごとき万歳の唱和が巻き起こり、それから、審議が始まった。

 瞬く間に、太陽の第二位の大神官が、第一位に繰り上げられた。

 太陽神殿は大墳墓からの撤退軍と御所を護る軍とを合流させ、帝都防衛に徹する。四方の州からも、できうるかぎりの軍団を集結させる。星神殿は、都の民を東区域に避難させ、いざとなれば、地方への避難経路を確保する……等々、対応策が次々と議決され、元老院から各神殿へと、伝信が発信されていった。

 そうしているうちに、リンシンの水晶玉もなんとか、伝信の機能を取り戻した。

 彼は元老院の審議に参加しながら、せわしなく、帝都月神殿や腹心であろう神官たちに、様々な指示を飛ばし始めた。


「すごい……」

 

 クナは固唾を呑んで、政庁が動いていく様子を見守った。

 専門的で意味の分からぬ言葉がしばしば飛び交ったが、鏡の向こうで行われる審議に、懸命に耳を傾けた。

 そのさなか。平原を焼く炎が消えてきたと、白い御座船の艦長が艦内に、報告の伝信を流してきた。クナは急いで、大きな船窓に身を寄せた。


「ああ、本当に。炎が退いていくわ」


 恐ろしい太刀を持つ者はどこにいるのだろう? まだ、大墳墓にいるのだろうか?

 焦土と化した平原の色は、一変してしまった。

 家畜が好むような、丈の短い草に覆われ、鮮やかな緑であったのに、今は漆黒が、眼下に満ちている。


「黒……大地が、黒くなってしまったわ。緑が、なくなってしまった」

―—「おおむかしのたいりくは、ぜんぶ、まっくろだったみたいだよ」


 赤毛の幼帝がひょこりと、流れる噴水の陰から顔を出し、クナのそばにやってきた。両手に湯気立つ揚げ菓子を持っている。マクルードっていうんだと、幼帝はクナにそれをひとつ、差し出した。

 腹が減っては戦ができぬ。受け取ったクナは自分でも驚くほどあっという間に、揚げ菓子を一気に平らげた。


「まだ、かたでいきをしてる。だいじょうぶ?」 

「大丈夫です。それより、大昔の大陸が、黒かったって、それは一体?」

「パパがいってたよ。この星にきたばっかりのころは、そらもだいちも、まっくろだったって」

「え……もしかして、そのせいでこの星は、黒の三の星って、名づけられたんですか?」

「そうらしいね。まっくろなようがんばっかりで、うんざりしたって、パパは……ひゃっ!」


 噴水の向こうから金の獅子が現れて、幼帝を引っ張り寄せた。


「ここでの用事は済んだ。帝都へ帰るぞ、俺の子」

「かえる? でもパパ、まだスミコちゃんのたたかいは、おわってないよ?」

「スメルニアにも船の一隻や二隻あるだろうが。小娘、おまえはこれから、自分の御座船に乗れ」


 金の獅子は、口からごうっと、黒味を帯びた炎を吐いた。


「今すぐ、この船を降りろ。一つの船に、二人も帝はいらぬ」

「二人も、って……」

「いっぱしの皇帝が、いつまでも人の船に居候するなと言っている」


 クナは目を丸くして、獅子を凝視した。


「あの、それって、つまり、あたしのことを認……」

「半刻後に、問答無用で放り出す。今すぐ、お前の船を呼べ」

「パパ、まってよ――」

「長年の念願が叶った。俺は、タケリを食って満たされた。あとは、我が子を慈しみ、守り抜くことに、全力を尽くす。ゆえに、俺は我が子を連れて、俺たちの帝国へ退避する」

「パパ、なにいって……ふぐ!」


 慌てる幼帝をたてがみの中に引っ張り込んだ獅子は、クナに向かってごうっと吠えた。

 

「洒落にならんゲテモノは、おまえらだけでなんとかしろ。おまえの冥福を、安心安全な高みから、祈ってやろうぞ、皇帝陛下! さあ、とっとと準備をしろ!」


 獅子は、幼帝を護りたいのだ。タケリを食らったというのに、それでもいにしえの神には敵わないと、直感したのだ――

 獅子の思いを察したクナは、青ざめながらも抗議しようとするリンシンを制した。


「分かりました。ご要請の通り、退去します。でも、あと少しだけ、教えてください。この星は、大昔は黒かったと聞きました。今とは、全然違っていたと。でもどうして今は、こんなに色鮮やかな星に、なったんですか?」


 獅子は船窓に近づき、低く笑いながら、眼下に広がる光景を眺めた。


「黒い焦土か。何もない、暗黒の……。そうだ、この星はもともと、あんな感じだった。

空の色。海の色。草木の色。他のものもすべて、青の三の星より来たりし人間どもが、変えてしまった。黒いものを駆逐して、故郷の星のようにしたのだ。

ゆえに、三貴神たちは、今の大陸など、露ほども気に入らぬであろう。目覚めているかぎり、剣将は我が身をもとに戻そうするだろうよ。人間が来る前の状態にな」

「そんな……じゃあ放っておいたら、すべての生き物が、無に……」


 いいからともかく船から降りろと、獅子は鼻先で、クナをリンシンのそばへと押しやった。

 月の大神官は大慌てで、最寄りの衛舎に伝信を飛ばし、軍船の確保を急いだ。

 このまま帝国に帰るのはいやだと、幼帝はしばし、父たる獅子に訴えていたけれど。急遽飛んできたすめらの飛空船が船窓に映るなり、獅子がクナたちを、鉄の竜が置いてある船倉に押しこんだ。

 幼帝は獅子の鬣を引っ張りながら、目にいっぱい涙をためて憤慨した。


「パパのばか! はくじょうもの! スミコちゃんといっしょに、たたかってよ!」

「黙れ俺の子。タケリを食らったというのに、防御結界で弾くことしかできぬのでは、話にならぬ」 

「むてきのししが、しっぽまいてにげるなんて! パパは、さいきょうのしんじゅうでしょ!」

「なんと言われようが、俺は、おまえを守る。どんな手を使ってでも、守り抜く。臆病者と責められようが、なじられようが、構わぬわ! 俺はおまえを、可能な限り、ゲテモノから遠ざける!」

「っ……!」

「神帝陛下、大丈夫です」 


 クナはできるかぎり颯爽と歩いて、鉄の竜に乗り込み、にっこりほほ笑んだ。


「今までたくさん助けていただきましたこと、心より、お礼を申し上げます。この恩をいつの日か返せるよう、力を尽くします」

「スミコちゃん! パパに、もっとつよくなってもらうから! もっともっと、かみさまをふういんできるぐらい、つよく! いそいで、そうなってもらうから!」

「ありがとうございます、神帝陛下。どうか、お元気で」 


 



 鉄の竜は真っ黒な焦土の上を飛び、尖っている白い船から、平べったくて茶色の船に移った。

 百年ほど前の古い船なのですがと、リンシンは恐縮しきり。艦長として急遽乗り組んだ衛舎長に、クナを船尾の船室へと案内するよう命じた。

 軍船は、今まで乗ったどんな船よりもうるさくて、龍か何かがごうごう吠えているような音が、絶え間なく船内に響いていた。

 こぢんまりとした船室の奥。一段高い畳台に身を置いたクナが、冷や汗をぬぐう衛舎長に、樟脳くさい脇息を差し出されたとき。元老院と繋がっていた鏡姫が、激しく点滅した。


『御所が、燃えておるようじゃ!』 

「大墳墓の炎が、伸びてきたんですか?!」

『いや、違う。元老院の者どもが、物見を出した。火元は、西区の一角……後宮の寝殿じゃ』


 まさかと、クナはみるみる青ざめた。

 後宮の夫人たちは皆、実家に戻ったり、地方の神殿に身を寄せている。今、焼け残った寝殿を使っているのは、ごくごく少数の一団しかいない。すなわち……


「ミンさま! 太陽の大姫さまがいるところが、火事になったんですか?!」

『異様な気を放つ、緑色の炎柱が、立っているそうじゃ。ミン姫に直接、打診を試みるぞ!』

「お願いします!」


 クナは、点滅する鏡を抱きしめた。

 しかして願いむなしく、鏡はざあざあと雑音をたてるばかりで、何も映すことができなかった。

 

『おのれ……繋がらぬ! 何かの障害が……この! この!』


 鏡の中から、鏡姫が焦っている気配がする。

 水晶玉を元老院に繋げたリンシンが、緑の柱が東へ移動し始めたと告げた。


「物見が、輝く人の姿を、柱の中に視認しました。じりじりと、元老院へ迫っているようです! 寝殿は緑の炎に包まれ、とても立ち入れぬ状況だと……」

「そんな……!」

「元老院の方々を避難させます! 何が太陽の大姫様を襲ったのか、ただちに調べさせて――」


 そのときぶつりと、鏡姫の鏡面が、鈍い音と共に光を放った。

 なんじゃこれは、一体どこに繋がったのじゃと、鏡姫がうろたえる。

 ぶつっ、ぶつっ、と、鏡面が激しく波打ち、続けさまに異様な音を立てた。

 とたん。


―—『あははははははは!』


 ぞっとするような嬌声が、鏡の向こうから響いてきた。

 クナの背筋はたちまち、凍り付いた。

 鏡面に、真っ白な髪を振り乱す、若々しい龍蝶の顔が、映し出されたからだった。


『やっと、繋がったか。おい! しろがねの! おまえ、とんでもないものをこの世に出したな! タケリの目を通して、しっかり見えたぞ!』


 鏡に映る龍蝶は目を細め、思い切りにやりと、口角を引き上げた。

 

「龍蝶の、帝……! 大安の悪鬼……!」

『ははははははは! そんなに眉を顰めるな。こちらはむしろ、感謝しているのだからな。朕は、これより大安に、剣将猊下をお招きする。人を滅すこと、猊下も朕も、目指すところが、一致しているからな。朕はいにしえの神々と手を取り合いて、四塩基の生き物を滅ぼそう!』


 鏡姫が、回線を切ろうとしているのだろう。クナの腕の中で、ぶるぶると激しく、鏡が揺れた。

 得意げに嗤う龍蝶の帝を、クナは食い入るように見つめた。彼はゆたりと、どこかに寝そべっている。大安で見たあの、玉座の間の広間ではない。もっとどこか、狭い部屋のようだ。

 帝が居るのは、黒い寝台の上?

 いや……

 黒いものは一体何かと、鏡を凝視した瞬間。

 クナの心臓が、跳ねた。

 

『ああ、こいつは、実に()い枕だぞ』

 

 龍蝶の帝が首をもたげる。帝が膝枕にしていたものが、腕を回して彼を支え、身を起こすのを助けた。 黒い衣の裾と長い黒髪が、寝台の上に流れている…… 


『なあ、しろがねの娘よ。おまえも、こちらに与した方がよかろう? まがりなりにもおまえは、我が孫。それにこやつも、朕にこうして従順に、仕えているのだから』


 間違いなかった。その顔には生気がなく、まるで機械人形のようであったけれど。そこにいるのはたしかに――

 クナは、叫んだ。どうかこの声が届けと、願いながら。

 鏡に向かって、切なる声で。


「黒髪さま……!!」 







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