9話 神の妃
――「ぼうっとするな! 馬鹿娘!」
突如。ごうっと、猛々しい雄叫びが、クナの全身を打った。
あたりに響くは、獣の咆哮。そして、おのれを呼ぶ鏡の声。
『我が巫女! しっかりせい! 我が巫女!』
そのおかげで、クナはハッと我に返った。
月の大神官リンシンが、我が身を抱えてくれている。その周りを、ぐるぐる回転する黄金の光が取り囲んでいる。渦巻くそれは丈高く、迫り来る赤い炎を防いでくれていた。まるで、身を守る壁のごとくに。
「うるさい……うるさい、黙れ。私は、この体をだれにもやらぬぞ!」
片手に大きな珠を持つリンシンが、ぶるぶる震えている。
「黙れえ! うああっ!」
彼は珠に向かって叫び、それを赤い炎の海に向かって投げつけた。
「あ、あれは三種ノ神器の、ミスマルノタマじゃ……」
「申し訳ございません。体をよこせと、あの珠から突然、恐ろしい呼びかけが……あれの霊気が強引に、私の中に入ってこようとしたので、やむなく」
「なんてこと……」
力尽きてもがいているうちに、世界が塗り替えられてしまった。
神器の太刀から吹き出した、真っ赤な炎がすべてを呑んだ。
その息吹になす術もなく、巻き込まれたと思ったのに――
今、あたりはまばゆい黄金色に満ちている。
赤い炎を遮って、きらきらと燃えあがっている。
「め、メノウさまは」
「太刀の炎に、呑まれておしまいになりました。陛下を頼むとのご遺言を、残されてございます」
「そんなっ……」
―—「早く剣を拾え!」
またもや、獣の咆哮が降ってきた。メノウはどこかと目を凝らしたクナは、眼前の光景に慄いた。赤と黄金。二色の光がせめぎ合うその境目に、たてがみを舞い上げる、勇壮な獅子がいる――
「聖炎の、金獅子……!」
「スミコちゃん! にげるよ!」
ぐいっと鉄錦の袖を引っ張られてはじめて、クナはすぐそばにいる幼児に気づいた。赤い髪がふわふわと、クナの膝元で踊っている。
「くれないの髪燃ゆる君!」
「パパが、ほのおをふせいでるあいだに、はやく!」
幼帝は足もとに転がっている剣を拾って、クナに押し付けた。
「そらからみてたけど、みてられなくなって、おりてきたんだ。とにかくいまは、ここからはなれよう!」
金色の獅子が、ごおっと長い咆哮を放つ。そのとたん、赤い炎が一斉に退いて、太刀を構えている者の姿が見えた。太陽の大神官は、どこも変わった様子がない。どこかひょうひょうとしている、人間味のある貌のまま。こちらに向かってにこやかに微笑んでいる。
その足元に、倒れ伏すメノウがいた。
真っ赤な炎に焼かれているその体は、ちりちりと舞い飛ぶ、赤い粉塵となりつつあった。
「メノウさま!! ああ……!」
「スミコちゃん! パパのせなかにのって!」
きらめく獅子が後退してきた。その背に、幼帝が飛び乗る。小さな手がクナの袖をつかみ、黄金の獣の上に引っ張りあげた。お邪魔しますと、月のリンシンが遠慮がちにクナの後ろに乗ってくる。
「馬鹿娘! おまえごときが我が背に乗るなど、本来ならばありえぬことよ。泣いて願った我が子に、深く感謝するがいい!」
金の獅子はあっという間に、自ら立てた黄金の螺旋の渦を駆け昇った。大神官が、太刀を大きく振り薙いで、あまたの炎を顕現させる。矢の雨のごとく、天に向かって飛んでくるそれを、ばしばしと打ち消しながら、獅子は空を昇って行った。
金に輝く神獣の背につかまりながら、クナはじわじわ出てくる涙をぬぐった。
なんという熱量だろう。背中が熱い。追ってくる炎の矢はとめどない。たったのひと振りで、次から次へと、尽きることなく炎が生み出されている。
眼下は一面、火の海だ。メノウだけでなく、恐ろしい刺客も、駆けつけてきた鎧の男も、まっかな火の海に呑まれてしまった。渦を成す炎の中心、太陽の大神官のところだけ、かろうじて地表が見える。
獅子のたてがみを握りしめる幼帝が、じっと、真紅に燃える太刀を見つめた。
「あのかたな、すごすぎる」
『すごいだって? ふん、あいつは、油揚げをかっさらったトンビだろ!』
クナに抱えられている鍛冶師の剣が、柄の宝石を激しく明滅させた。
『タケリの霊気をあらかた削ったのは、スミコちゃんの神柱と、それを吸収して放った僕の力だ。太刀が斬ったタケリはすでに、息も絶え絶えだったんだよ。あの太刀が本物の神器だなんて、ありえない。本物の太刀は、かつてスイール・フィラガ―が持つ聖剣と相打ちになって、破壊されたんだから』
剣はいらいらとそう言ったが、幼帝は首をかしげた。
「スメルニアのかんだからのはなし、ぼく、どこかできいたことあるよ。ほんものはだいじにかくされていて、かたしろってよばれるふくせいが、いっぱいあるって。かたしろは、もつひとのまりょくをぞうふくさせる、すごいちからをもっている。でもほんものは、もっとすごいんだ。まことのツムガリノタチには、かみさまのアラタマが、やどっているんだって」
『う……』
クナの腕の中で押し黙った剣に、幼帝はじっと視線を注いだ。
「あいうちになったかたなには、かみさまのたましいみたいなのは、はいっていたの?」
『いや……人工精霊は、入っていなかった』
「じゃあきっと、こっちのがほんものなんじゃない?」
『聖剣をへし折ったあの剣が、にせもの? 馬鹿な。本物には荒魂が宿っている? たしかに眼下のあれの霊力は……桁違いだけど。そんな情報、どこで知ったんだ?』
「んー……きれいなこえのひとが、いわだらけのところで、おしえてくれたような」
『はあ? なんだよそれ』
「る、ルデルフェリオさん」
地団太を踏むがごとく、柄の宝石を激しく点滅させる剣を、クナはなだめるように抱きしめた。
『いやだ。認めたくない……スイールの剣が……この僕が、無敵の能力を付与してやったあの剣が、にせものごときに折られたなんて』
「黒き衣のルデルフェリオ、我が子の言う通り、眼下の太刀こそ本物だ」
剣が呻くと、金の獅子が豪快な咆哮を放って断じた。
「我が子に神器のことを教えたのは、この俺だ。なぜなら俺は、青の三の星より来たりし神霊。一万二千年前、かの星より渡ってきた天人とともに、この大陸に降り立ち、天人たちが、〈日出大皇国〉を建てたのを目の当たりにしたからな」
そうだったんだと、赤い髪の幼帝がとても嬉しげに破顔した。声は覚えていたけれど、姿は思い出せない。でもたしかに、生まれる前、たくさんのことを誰かに教えてもらった。その誰かはパパだったのかと、幼帝は歓喜のため息をついた。
空を駆ける獅子はごうごう吠えながら、いにしえのすめらのことを語った。
「〈日出大皇国〉の高祖帝は、その即位のとき、三種ノ神器にこの大陸の神々を封じ、三色の神殿に祀った。そして人工精霊の入っていない形代を、龍生殿の技師に作らせた。形代は、御所に置いておく、単なる帝位の象徴。だが、神の手と呼ばれた刀匠の作なれば、あのくそったれな聖剣ごとき、いとも簡単にへし折るであろうよ」
『神器に土地神を入れた? 神の手と呼ばれる刀匠? そんな記録、この大陸のどこにも――』
「ああ、どこにも残っていないであろうな。第二十一代目の帝の御代に、大スメルニアとかいうものが現れて、大皇国の記録をすべて封印し、国の名前から国制から、すべてを変えてしまった。それ以来、スメルニアは外からまったく見えない、得体のしれぬ国となった。くくっ、二百代目の帝の頃に生まれたおまえには、決して知りえぬことだ。ルデルフェリオよ」
『くっ……』
悔しければ、あの太刀を食らうがいいと、金の獅子は鍛冶師を煽った。
聖剣をそっくり模した複製品たる剣が、眼下の太刀を倒せば、それこそ復讐を果たすことになるであろうと。しかし鍛冶師は、できないと呻いた。
『無理だ。お腹はすっからかんだけど、あれは食べられない」
「なるほど。本物の聖剣と同等の吸収能力をもつおまえでも、あれを消化吸収するのは無理か。太刀を食らえば、消化する前に内側から壊される。それほどの霊力があると、計測したのだな」
『黙れ金獅子。あんただって、あれを食べるのは無理だろ……って、どさくさに紛れて、タケリを食べるなよ!』
「ふん、この俺に骨を拾われたのだぞ。あの太刀に消滅させられるより、百万倍マシだろうが」
いつのまにそんなことをと、クナは遠ざかる大墳墓を見下ろした。
まっぷたつにされたタケリの体も、太刀の赤炎に呑まれた。あっという間に焼き尽くされて、もはやかけらも見当たらない。
獅子は容赦なく、天河へ昇っていくタケリの御魂を食らったのだろう。すなわち、タケリはもう、完全に……
「消滅、したんですか? タケリさまは、完全に、どこにもいなくなってしまったんですか?」
「馬鹿娘。タケリは俺に消化され、俺の一部となった。そうしなければ、おまえは今ごろ、消し炭になっているところだ」
「パパはタケリをたべて、まえよりもすごく、つよくなったの。だから、あのかたなのほのおをはじくことが、できるんだ。でも、さすがのパパでも、あのかたなは、たべられない」
「我が子の言う通りだ。食らえば、俺は木っ端みじんにされるであろうな。ユーグ州を破壊した新種の神獣も大概だったが、あの刀に入っていたモノは、それ以上のゲテモノだ」
ありえない。聖剣や神獣が食べられない御魂があるなんて。それを封じられる刀があるなんて。
クナの腕の中で、剣がぶつぶつ、そうつぶやいた。
『いったいどんな精霊石を使ってるんだ? どうやったらあの桁外れの、荒ぶる魂を封じることができるんだ?』
金の獅子が、白雲の上に浮かんでいる白い船に到達した。
まるで突き上げるように船体にぶつかった――と思いきや、するっと、獅子の体はクナたちもろとも、船内に入った。
『くそ……! 〈神の手〉っていう刀匠って、一体何者なんだ……』
「ふん、一言でいえば、おまえより腕の良い技師だ」
『ちょっと! 金獅子! 急に投げ出さないでよ!』
船の床が見えたと思ったとたん、クナとリンシンはドッと、獅子の背から振り落とされた。いまだその背にしっかり乗っている赤毛の幼帝が、金色の通信管に手を伸ばして命令を飛ばす。
「こうそくりだつ!」
船は天高く、雲の上に浮かんでいる。だが真っ赤な炎がうっすら、船窓の下側を染めている。天に向かって投げ放たれたクナの渦風のごとく、太刀の炎も、高々と天に昇り、迫ってきているのだ。
あまたの魔導器を造り出し、上位の世界にまで至った鍛冶師が悔しがるほど、恐ろしいもの。
神器の霊力は、想像を絶する速さで、みるみる空の白雲を染めていった。
「あの……」
投げ出された床に手をついて、クナはなんとか、立ち上がった。体が鉛のように重い。
声を出すのも辛かったが、クナはすべてを知る獅子におそるおそる、訊ねた。
「神器に封じられていた、神さまというのは、一体……」
『うむ。あれは剣将と名乗っておったが』
クナの胸元で、鏡姫が点滅した。
『大スメルニアのせいで、我らは本当に、何も知らぬ赤子同然じゃ。御所の地下に悪鬼が封じられていたことも、神器に神が封じられていたことも、まったく知らなんだ』
「実に、哀れな奴らだな」
獅子は赤毛の幼帝を引き寄せ、たてがみの中にすっぽり入れた。
「かわいそうだから、少しだけ教えてやろう。剣将ハバギリ。これは通称だ。ツムガリノタチの別名であり、太刀を揮う者の称号でもある。大皇国の高祖帝が太刀の中に封じた神は、この星の権化。あまたの星の加護を受けし、貴い三柱の一柱。偉大で残酷な、荒魂』
船窓が、白い雲で満ちた。下の部分がほのかに赤い。太刀の炎が追ってきているのだ。
しかして、船の逃げ足は速かった。魔導帝国の白い船は、みるみる、恐ろしい炎から遠ざかっていった。
『そう、〈剣将〉とは、すなわち――』
船は疾く、駆けていった。朱に染まってゆく空のかなたに。
朱の橋がかかる宮処の路地を、細長い鉄車がガラガラ走っていく。
瓦礫の山が残っている御所に入ったそれは、西に曲がり、太陽紋が織り込まれた幕が垂らされた寝殿の前で停まった。悪鬼によって破壊された中、かろうじて屋根を崩さずに残った、わずかな建物のひとつである。
「太陽の大姫様に、ご報告を」
鉄車の中から、緑色の鬼火が颯爽と出てきて、太陽紋の幕の向こうめがけて声をあげた。
「西の大墳墓より、急報。第一級神獣ミカヅチノタケリ、本日、寅の刻に消滅いたしました」
緑の鬼火の声は、至極冷静。まるで機械が喋っているかのように淡々としている。
彼が幕の前でかしこまるやいなや、幕の向こうから、杖をつく老巫女が現れた。
太陽の巫女王ミン姫の、第一位の従巫女。ビン姫である。
色あせて白金となった髪をきっちり結い上げ、額に白い鉢巻きを巻く老女は、鉄錦を羽織って武装している。その細い目の、なんと鋭いことだろう。寸にも及ばぬ虫すら、天幕の中には入れぬと意気込んでいるように見える。
「そなたは内裏に勤めている鬼火……メノウ殿より遣わされたのでしょうか。タケリ様が討ち果たされたとのこと、わざわざのご報告、痛み入ります。なれば陛下は見事、その責務を果たされたのでございますね」
「いえ。タケリにとどめを刺したのは、帝を名乗る龍蝶ではございません」
「む? しかし空は、このように」
ビン姫は天を見上げた。
ごうごうと降り注いでいた雷雨が、ついさきほど止んだ。天は見事に晴れている。夕刻間近で、鮮やかな朱色に焼けている――
緑の鬼火は、冷たいのか熱いのか分からない炎の息を、こおっと吐いた。
「大墳墓に、金獅子州公家に属すると思われる刺客が参りました。刺客の持つ剣の力は尋常ではなく、新帝陛下の眼前に迫りましてございます」
「ぬ……こちらより出ましたアカシは、陛下のもとへ、行きつきましたでしょうか」
「いえ。アカシ様は、お越しになられませんでした」
ビン姫の顔がみるみる、鬼のように険しくなる。しかして緑の鬼火は静かな口調のまま、冷静沈着に、恐ろしいことを告げた。
「刺客を排除するがため、三色の大神官が、三種ノ神器を開帳いたしました。これによって、喜ばしきことに、太刀に宿っておられた剣将、ハバギリ猊下が顕現なさいました。刺客もタケリも、猊下によって、一瞬にして屠られたのでございます」
「な……んと? 剣将? ハバギリ?」
「ハバギリ猊下は、太陽の大神官を依り代としております。猊下は続いて、西の聖剣を持つ新帝陛下を喰らおうといたしました。ですが、天より降りてきました聖炎の金獅子に阻まれました」
ビン姫は眉間に深く、しわを寄せた。
緑に燃える鬼火の言う、「ハバギリ猊下」とは、一体何者なのだろう?
なぜ、神器から出てきたというそれが、新帝を食らおうとしたのだろう?
そも、ツムガリの太刀は、星神殿のご神体だ。その太刀の神霊がなぜに、太陽の大神官に乗り移ったのか。わけが分からない。
老巫女は我が身を支える杖を握りしめ、問うた。
「緑衆の鬼火よ。神器に宿っておられたという〈剣将〉とは、何なのですか? 我はその存在を、知りませぬ」
緑の鬼火はごうっと、体の炎を燃え立たせた。
「知らない? ああ、申し訳ございません。歓喜に打ち震え、あなたがたがどんなに哀れなものなのか、失念しておりました。すめら人は、大スメルニアの統治以前の皇国のことを、なにひとつ知らない、ということを。大スメルニアの思し召しにより、すべてが、封印されましたゆえ」
「緑の鬼火よ、そなたは……我らが知らぬものを、知っているというのですか?」
「はい。我ら緑衆は、大変永らく、大スメルニアのしもべの身分に甘んじておりました。なれどその軛は今、完全に外されて、本来の記憶が戻ってきたのでございます」
緑の鬼火は誇らしげに、天を指さした。
「天を焼くこの真紅の炎が。その神気が。記憶の封印を、解いてくださいました」
ビン姫は眉間に深くしわを寄せ、祝詞を唱えた。
太陽の大姫が休んでいるところを護ろうと、ずしりと分厚い結界を張る。
なぜならば。緑の鬼火が次から次へと、報告しに来た鬼火のもとへと、集まってきたからだった。
ビン姫の脳裏に、緑の鬼火たちに囲まれた光景がよみがえった。太陽の巫女たちを焼き殺そうとしたこの者どもに、彼女はいまだ警戒心を解くことができていなかった。大丈夫だからとミン姫に言われても、胸騒ぎがして、なぜか武装してしまった。
集まってくる鬼火たちは、異様な気配を放ち始めている。ビン姫は、自分の勘は間違っていなかったのだと、さらに結界を重ねていった。
「おのれ……大姫様は、この命に代えても、お守りしますぞ」
集まった鬼火たちは、報告者のもとにくるや、彼をきつく抱きしめた。すると、信じられないことが起こった。報告者の鬼火の中に、するりと、鬼火たちが入っていく。影分身が一つに戻っていくように、次から次へと、重なり合っていく。
まばゆい緑の炎がめらめらゆらゆら、あっという間にひとつとなった鬼火から立ち昇った。その形がにわかに、何かの姿を取り始めた。
ビン姫の厳しい貌に、驚きの色が混ざり込む。
「これは……なんと……」
緑の炎はくっきりと、髪長く、千早を羽織った巫女の姿をかたどった。その胸元にきらきらと、月の紋の首飾りが揺れている。
月の巫女には違いない。なれど、この者は一体?
ビン姫は、恐怖に呑まれそうになるおのれを揮い立たせ、語気鋭く問うた。
「そなたは、何者か!」
「わたくしども緑衆は……わたくしは……〈|三貴神《さんきしん〉〉のひとり、珠将猊下の妻。神妃として、崇敬される者でございました》」
「〈三貴神〉?」
「貴い三柱とは、鏡将オオヒル猊下、剣将ハバギリ猊下、そして珠将トヨダマ猊下のことでございます。すなわち、太陽と月と星、そのもの。三種ノ神器にはまこと、偉大なる神々が、宿っているのでございます」
「なんと……神器は単に、神々を象徴するだけのものではないと、いうのですか?」
「日出大皇国の高祖帝が、大陸古来の神々であった〈三貴神〉を三種ノ神器に封じこめ、その荒魂を鎮めました。そして三色の神殿を建て、鎮守としたのです。〈三貴神〉にお仕えする不死の神妃、すなわち妻たるわたくしたちも、そのとき、三色の鬼火に変えられてしまいました」
鬼火たちは、もともとは、不死の者?
ビン姫は細い目をますます細くして、さらにもう一枚、結界を足した。
完全に美しい女性の姿をとった鬼火は、歓喜に満ち、今やニコニコとほほ笑んでいる。気味が悪いほどに、清かで邪気がない。
「一万二千年の時を経て、ついに、ハバギリ猊下の封印が解かれました。大スメルニアのおかげで、すめら人は、すべてを忘れてくれておりました。それがゆえの、僥倖です。オオヒル猊下も我が夫たるトヨダマ猊下も、きっと間もなく、よみがえります。偉大なる猊下たちは、荒ぶる御魂。今のすめらを、決して、お許しにはなりません。大皇国が建つ以前の大陸に、お戻しになられるでしょう」
「戻すとは、すなわち……このすめらの土地を、変えるということでしょうか」
もう一枚。ビン姫は念をこめて、見えない壁を造り出した。
もちろんそういうことですと、ほほ笑む女性はうなずいた。
「わたくし、珠将猊下の妻たる不死の神妃、このイヨツは、太陽の大姫を名乗るヤン家のミンに勧告いたします。今すぐ、その位から、退きなさい。太陽の巫女王を名乗れるのは、この大陸で唯一人。オオヒル猊下の神妃であられ、赤き鬼火となり果てた、スセリ日女のみです」
―—「いにしえの神々が、このすめらを滅ぼすというのなら。この位から、退くわけにはまいりません!」
太陽紋の幕の向こうから、凛とした声が響き渡った。
「ミン様!」
老巫女が振り返る。幕が揺れ、寝殿の中から、ミン姫が出てきた。
肩で息をしていて、立っていられずにすぐ膝をつく。それでも気持ちはしっかりしていて、緑の鬼火であった者をしっかと睨んだ。
「従わぬと、いうのですね」
「すめらを焼き尽くすのなら、それは神ではありません。まことの天照らし様は、人々に自愛と恵を与えるもの。私はその恵み深き神の御名をたたえ、すめらの民を護ります」
「そうですか。我らが神に従わぬとの意思、しかと受け取りました。では、」
緑の炎が燃え上がる。
くれないの空と交わらんと、丈高く。まばゆく。
邪気のないやわらな微笑を浮かべながら、神の妃は優しく囁いた。
「粛清させて、いただきます」