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黒の舞師 ~身代わり巫女は月夜に舞う~  作者: 深海
七の巻 御光の女帝
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6話 皇女の系譜

 雨が降る。空が光る。天からごうごうと、嗤い声が降ってくる。

 小さきものを馬鹿にするような、余裕たっぷりの轟音だ。絶え間ない雷の音よりも、その声の方がはるかに大きい。


『ハハハハ! メシコ! メシコォォオオオッ!!』


 すめらの守護神、ミカヅチノタケリ。龍生殿の奥宮に居たときは、まばゆい光。金色(こんじき)の塊であったと鏡姫は言う。だが、今のタケリは少しも輝いていない。

 まっ黒な雷雲をまとった長い体は、漆黒の渦。闇夜が、雲の中を蠢いている。


『出テコイ、メシコォッ!!』


声も姿も、神たる始龍(シーロン)とは似ても似つかない。あれは腐った屍龍(シーロン)そのものだと、天を映す鏡姫が呻いた。臭くてどろどろの龍が、そのまま大きくなったようだと。

たしかにそうだと、鍛冶師の剣を掲げるクナは深くうなずいた。

雷すら割るような耳障りな嗤いも、その口調も、初めて会ったとき自分を食らおうとした、化け物と同じだ。なれどもタケリは、神々しい正体をひそめるために、再び黒い龍の皮を被ったわけではないのだろう。


「鏡姫さま、タケリさまは、神々しい光の龍の霊核を失ってしまったのでしょうか」

『であろうな。堕天して、始龍と屍龍、二つの霊核が併存できなくなったのじゃろう。くされ龍の方が、あれの内で勝ち残ったに違いないぞ。おそらくは、もともとのタケリの人格の方がな』

「とすると、やはり神々しい始龍の人格は、神獣に改造するときに、後付けされたもの? では、今のタケリさまは……」

『うむ。制御など、少しも受けておらぬ。自由に、我が意のまま、振る舞っておるということじゃ』


 タケリが龍蝶の帝に従っているのは、強制されたからではない。

 悪鬼は、かつてタケリがもっとも愛した主人、アリステルの生まれ変わりのひとりである。

 その喜びと、アリステルを完全なものにしたいという欲望が、タケリを上の世界から堕としたのだが。 タケリはそうなってしまったことを、少しも後悔しているそぶりがない。

ごうごう、どうどう、龍はまた、機嫌良く嗤った。

その神気に打たれて、クナが居る高御座(たかみくら)が激しく軋んだ。

御簾(みす)の向こうは、猛烈な嵐だ。紫の雷が絶え間なく、石畳を穿っている。


『出―テーコーイー!! 我ト遊べ! メシコォ!!』


ひとしきり激しい雷が、目の前の拝所を襲う。高御座(たかみくら)の結界に守られているはずの神殿が、ぎりぎりと揺れ、朱の柱に亀裂が走った。瓦屋根がぼろぼろ落ちてきている。

三種ノ神器を護る大神官たちの結界にも、ヒビが入ってきた。大神官たちは必死に祝詞(のりと)を唱えているが、雷雨に耐えるので手一杯のようだ。偉大なる神獣に対して、攻撃を放つまでには至っていない。

防御一辺倒では、いずれ雷に砕かれ、焼かれてしまう。

そう思った瞬間。


「うう?!」

「きゃあ!」


 凄まじい雷が高御座(たかみくら)を直撃した。紫ではない。黒い雷が、ばりばりと襲ってきて、あっというまに御座の壁に割れ目を入れた。


『ハハハハハ! チンケナ包ミナゾ、潰シテヤル!』


ぼろりと、壁の一面が崩れ落ちる。もう一面も、すぐに砕けた。たじろぐクナに、メノウが叫ぶ。


「動いてはなりません! 大丈夫です! 土台と、芯である陛下がおられれば、柱はなくなりません!」


彼女が言った通り、壁がなくなっても、高御座から立ち上る柱の光は消えなかった。七色の虹のごときそれは、まさに一本の柱。嵐の中に凛と立っている。


「攻撃しなくちゃ!」


 クナは迷わず、黄金の玉座を両手で背後に押しのけた。


『ほほほ、すめらの玉座を舞台にするか!』

「はい! 壁がない方が、好都合です。思い切り舞えますから!」


ぼろぼろとまた、壁が崩れ落ちる。鏡を首から提げ、剣を構え、クナはひるまず、くるくる舞い始めた。

たちまち、あたりにつむじの渦ができる。胸で揺れる鏡が、それに呼応して朗々と、祝詞(のりと)を唱えてくれた。


 われら かしこみ かしこみ

 天よ静まれと 願いもうす!


赤毛の帝の白い船で何度も練習したように、クナは大いなる息吹を、両手に持つ剣に乗せた。


「剣よ!」

『任せて!』


 大きく溜めた回転から、まっすぐ前へ。

 勢いよく振り下ろされた剣が、つむじ風をどうっと御座(みくら)の外へと叩き出した。

 高御座に集められた神官族たちの力、七色の柱が、前方に傾き、天へと吹き抜けていく。柱は勢いよく、周囲の雲を打ち払った。


「虹の光輪!」


 天を見上げるメノウが、目をみはる。なれども鏡姫は、だめじゃと激しく点滅した。


『すぐに押し返される! 次弾を!』

「はいっ!」

『任せろ!』

 

 鍛冶師の剣が、勝手にぐるりと向きを変えた。


『僕も動くよ。風をもっと、この身にまとうために。さあ、風を起こして!』


 クナの腕の中で、剣がぎゅるぎゅると、ひとりでに高速で回りだした。

 回転しながら浮かんでいる剣に向かって、クナはさらにくるくる回り続けた。

 

「暗雲を、祓いたまえ!」

『天を、きよめたまえ!』

『退け、タケリ!』


 剣が踊る。七色の風が天に向かって、突進していく。

 虹の輪は渦となり、ごうごう渦巻く天へ昇って行った。

 天を晴らすために、きらきらと。盾を割る神槍のように。




 ごうごうばりばり、渦巻く黒天。それを穿とうと昇っている、虹色の柱。

 リアン姫は、重い鉄錦(たたらにしき)の裾を引き寄せ、大天幕の布窓から見える恐ろしい光景をじっと見据えた。

 天幕は帝の行幸に随行するためのもので、ほぼ円形をしている。もともとは、西の州に住む遊牧民が住居として使っていたのを、太陽神殿が軍用に改良したものだ。六頭の馬に引かれて、今は大墳墓のすぐ手前にきている。

 新帝がおわす高御座(たかみくら)は少し離れた先、大墳墓の聖域に入っているが、坂の上にあるので、視認することができない。

普段の行幸では、御座(みくら)を動かすには、選りすぐりの軍馬か、鉄の馬が使われる。なれども即位の儀では、緑の鬼火がゆるゆるゆったり、半日もかけて高御座(たかみくら)を動かした。この大天幕も、その速度に合わせてじりじり、都の大路を進んでいった。


「恐ろしい……あのタケリ様と、戦っているなんて。すめらの守護神と……」

「ほんに恐ろしい。空は晴れるのでしょうか」


 リアン姫の背後で、鉄錦に身を包んだ女達がひそひそ、肩を寄せ合っている。

 各神殿から、内裏(だいり)に勤める女官に選ばれた巫女たちだ。


「わたくし、もうくたくたです」

「ええ、私も。三日三晩のご祈祷で、神霊力を全部、高御座(たかみくら)に注ぎましたもの」

「立つのも、おぼつきませんわ。我らの力を吸った陛下は、本当にタケリ様を倒せるのかしら」

「大体にして、新帝陛下は、悪鬼の実の孫という触れ込みですのよ」

「宮家が軒並み粛清されて、もはやそんな、本来ならば敵となるであろう御仁に、鬼退治を頼まなければならないなんて」

「ほんに、世も末ですわ。陛下のご血統、本当かどうか、怪しいものです。お噂では、山奥にいた、ただの村娘だったというではありませんか。そんな御方に、すめらの命運を託すなんて」


 ぎりっと唇を噛み、リアン姫は鬼の形相で振り向いた。

 天幕の中はかなりの広さ。女官たちは、几帳でおのおのが自分の区画を確保している。なれども今はほとんど全員、中央の広間に集いて、布窓から垣間見える光景におののいていた。


「陛下のお血筋が怪しい? そんなことは、ございませんわ!」


 重たい錦をものともせず、太陽の姫はずかずかと、女官たちの前に詰め寄った。


「あなたたち、朝議の儀式で、太陽の大神官様が申し上げたことを聞いておりませんでしたの? 陛下のご出自を詳しく、天の神々と、集いし神官族に発表いたしましたでしょ?」

(シャン)家のリアン様。確かにお兄様は、元老院より下されました、陛下のご出自を記した御顕現(ごけんげん)の書を、奏上いたしましたが……」


 長い金髪に、鉄の板を仕込んだ白鉢巻。ふくよかな顔の姫が、ぶっくり口を尖らせる。

 太陽の第一位の大神官となった照庸(チャオヨン)の実妹、サン姫だ。

 (チャオ)家の台頭はめざましい。男たちは、かつて(ヤン)家の者が担っていた重職を軒並み継承した。姫たちも、めきめきと出世している。新帝の女官となったサン姫に加えて、六つ上の姉であるラン姫は、巫女王(ふのひめみこ)であるミン姫の従巫女となっている。

胸に垂れる金の髪を右手で弄りながら、ふくよかなサン姫は、臆することなく言ってのけた。


「元老院は仕方なく、陛下を擁立したのですもの。多少の誇張や、改ざんやらなど、施しているに違いございませんわ」

「なんですって?」

「経歴を飾ることぐらい、わけないことだと、お兄様は仰ってましたわよ」

「な……! 陛下に仕える身でありながら、よくもそんな不敬を」


 第一位の大神官を出した|(チャオ)家は、いまや新しい御三家の筆頭。家長を亡くした(シャン)家よりも、実質の上位に在る。女官宣旨の際には、大神官は古い御三家の(シャン)家を立てて、リアン姫を先に呼んだが、そのときサン姫は、あからさまに不満げな貌をしていた。

 今も、堂々として控える様子はまったくない。もはやリアン姫は、自分よりも下位の巫女。そう思い込んでいるのだろう。


「サン様、しろがねの新帝陛下の血筋は、確かなものですわ。すめらのあらゆる記録を保有していた鏡が、もうこの御方しか継承者はいないと、白羽の矢を立てたのが、我らが陛下なんですのよ」

「でも、その鏡は、狂ってしまったからと、すべて排斥されたではないですか」

「そっ、それはそうですけれど、陛下のことに関しては、嘘偽りはございませんわ。元老院は真実と誤認をちゃんと精査したと、聞いておりましてよ」


 真実とは、しろがねの髪の新帝が、古い帝家の出身であるということ。

 誤認とは、新しい帝が太陽の大姫であったとき、皇太后を殺めたとみなされたことだ。


「精査とおっしゃいますが、もみ消しとか、粉飾とかいうものではございませんの?」 

「なっ……そんなことはっ」

―—「(まつりごと)に嘘はつきもの、といいますよってに。そこはいろいろ、忖度(そんたく)があったんですやろ」


 サン姫の隣に座る女官が、あふんとあくびをかました。その口調と、淡い青銀の髪色から、ひと目で星の巫女と分かる。

 (タン)家のイン姫。九十九(つくも)の方の、従妹の君だ。齢二十歳(はたち)、きりっとした狐目で、かの琵琶の名手と面立ちがよく似ている。


「陛下の神霊力はたしかに、すごいものです。西の聖剣を持っていて、タケリ様と渡り合えるから、悪鬼退治の旗頭に選ばれた。というだけではあらしまへんか?」

「そうですわよね。陛下は真実、皇女であられるのか。そこが疑問ですわ」


 イン姫に同調して、サン姫がうなずく。他の女官たちも顔を見合わせ、こくこくと頭を振った。


「ただ説明されただけでは、すんなり信じられませんわ」

「ええ、何か、確たる証拠がなければねえ」

「あ、あなたたちっ……」


 主人となった帝に対して、なんたることを口にするのか。

 リアン姫は眉を吊り上げ、不遜な女たちを一喝しようとした。

 そのとき――


「陣中、失礼をいたします。申し訳ございません」


 天幕の入り口から、女の声がした。返事をする間もなく、するりと、千早姿の巫女がひとり入ってくる。その姿を見るなり、リアン姫の顔は、ぱあっと陽光を放つ天輪のように輝いた。


「アカシ様!」

「太陽の大姫さまの使いで参りました」


 金の髪をきちりと結っている巫女は、入り口にとどまり、膝を折って平伏した。


「新帝陛下をお守りする皆様におかれましては、このような戦時でのお勤め、まことにごくろうさまです。わたくしは、太陽の大姫さまから預かってまいりましたものを、陛下にお渡ししたくて参りました」

「ミン様が意識を取り戻されたことは、緑の鬼火から聞いておりましたわ。その後のご様子はいかがですの?」

「ご心配痛み入ります。おかげさまで、大姫さまは、大変元気になられております。ぜひ新帝陛下にお目通りを願い、そのこともお伝えしたく思いますが。その前に……」

 

 くいっと顔を上げ、アカシと名乗った巫女はにっこりと、満面の笑みを浮かべた。


「何やらもめていらっしゃるご様子でしたので、僭越ながら申し上げます。

新帝陛下はまこと、悪鬼の御孫君にございます。元老院は津々浦々、すめら百州内だけでなく、異国に残る記録もしらみつぶしに調べて、事実を確認いたしました。そしてそのことを、我が大姫さまに報告いたしました。とくに決め手となりましたのは、北五州地方すべての州公家に伝わります、それぞれの〈州公文書〉でございます」


 アカシはまるで、説教をくらわす上臘(じょうろう)巫女のよう。凛として語る来訪者に、女官たちは氷のように固まった。リアン姫もそれは初耳だと口の中でいいながら、硬い表情でその場に正座した。


「各州光家の〈州公文書〉には、神聖歴7773年に廃された帝が、十年後に再び、すめらの帝に返り咲き、五十年前の災厄の直後まで、玉座にあったことが記されております。その帝は、〈偲里の君〉、もしくは、〈糖蜜の君〉などと呼ばれていたそうでございますが、これが今、すめらにて、悪鬼と呼ばれている龍蝶にございます。

悪鬼は、皇子をもうけられませんでした。なれども復位後に、皇后ではなく、龍蝶の女御によって、皇女を三人得ました。三人の皇女はそれぞれ、各帝都神殿の巫女王(ふのひめみこ)となりましたが、新帝陛下の母君は、そのおひとり。月の大姫となられました、垂氷(タルヒ)皇女殿下にございます」 

「アカシ様、そのことは、即位の儀の時に聞きましたわ。陛下が、タルヒ皇女の御子だというのは」


 ふくよかなサン姫がふんと鼻を鳴らす。なれども、アカシは動じなかった。


「〈州公文書〉には、災厄後の三皇女についても、記されてございます。父たる悪鬼が災厄を起こした張本人として封じられたのち、皇女たちは、すめらから追放されました。そして皇女ふたりは、元老院から放たれた刺客によって、異国の地で暗殺されました。しかし垂氷皇女だけは生き延びて、ひそかにすめらに戻り、龍蝶が住む隠れ里に身をひそめたのです。そこで皇女は、御子を五人もうけました。良人(おっと)となった龍蝶は、三人。陛下の父君は二人目の伴侶で、すでにこの世にはありません」


 垂氷(タルヒ)皇女の三人の良人(おっと) は、三人兄弟であった。

 長兄は、皇女と隠れ里を護るために、刺客と戦って死んだ。

 新帝の実父である次兄は、生まれつき病弱で、不治の病に侵されていて、新帝が生まれてほどなく亡くなった。

 末弟は、シガともうひとり、幼い弟君をもうけ、病に倒れた皇女を看取った。なれども現在、舅である悪鬼に囚われ、生死不明。新帝の兄弟も、妹君のシガ姫以外は、生きているのか、それとも悪鬼に殺されたのか、分からない――

 アカシは淡々と新帝の家族について語りながら、目を細めた笑顔で、女官たちを圧した。


「〈州公文書〉にこの項目が記載されたのは、ごく最近のこと。すめらに新帝が立つと決まってからです。各州公家はそれぞれ極秘に、まこと、皇統にある方かどうか、新帝陛下のことを調べ尽くしました。特に、金獅子州公家は、陛下の髪の毛を、極秘の伝手を使って入手いたしました。また、隠れ里に葬られていた垂氷(タルヒ)皇女のご遺体を掘り起こし、その髪の毛も手に入れました。そしてもうひとつ。悪鬼の髪の毛も、大安に潜伏した密偵が、命を賭けて、拾い上げました。そうして龍蝶三人の純白の髪の毛を、太古の秘法を行える装置に入れ、真実、血縁の関係にあるかどうか、調べたのでございます」

「な……しろがねの陛下の、髪の毛を? 州公家の密偵が? いつの間に?!」


 リアン姫が眉をひそめる。アカシは、その伝手は秘されていて不明なのですと、苦笑した。


「金獅子の州公家は、密偵をたくさん、大陸各地に放っているそうです。それに、すめらの龍生殿のごとく、太古の超技術を継承する技師の集団が、存在するそうですよ」

「密偵の数がはんぱないというのは、殿下から聞いておりましたけれど。まさかそこまでするなんて……髪の毛? それで、家族かどうか分かるものなの? いったいどんな秘法なの?」

「あな恐ろしい……」

「そんなことが行える魔導が、西の果ての州公家にあるなんて」


 リアン姫と同様に、女官たちは顔色を変えてどよめく。アカシを名乗る巫女は、きりっと貌を引き締めた。


「ですから、新帝陛下のお血筋は確かに、皇統を引く、れっきとしたものにございます。各州公家も他の大陸諸国も、陛下には皇位継承の資格があるとみなして、適切な対処(・・・・・)を行うことでしょう」

「あっ……確たる証拠があるゆえに、陛下の地位を揺るがすことは、容易にはできない……」


 リアン姫はハッと一つの答えに至りて、アカシの眼前にがぶり寄った。


「陛下を排除するには、不慮の事故などを起こして、暗殺するしかない……これから異国から、刺客とか、暗殺者とか、そういうものがわんさか来るかもしれないってことですわよね? オムパロスにおわす陛下を支持する国って、結構ありましたもの」

「はい。大陸同盟の三分の一の国が、金獅子州公家が庇護しております上皇こそ、まことの帝と支持しております。ゆえに刺客の類が放たれる可能性は、非常に高うございます。陛下の身辺は、重々、警護されなければなりませぬ」

「ええ、そうですわ。あたくしたちが、しっかり守らなければ!」

「リアン様、わたくしも、太陽の大姫さまも、同じ気持ちでございます。そして少しでも、神柱となられた陛下を助けたく思っております。ごらんください。わたくしは大姫さまから、この刀を預かってまいりました」


 アカシは白い千早の懐から、漆黒の短刀を取り出した。それは細くまっすぐ鍛えられていて、きんきんさやさやと、力満ちる音を静かに出す、実に美しいものだった。


「これは……すごい波動を感じますわ。まさか、ミン様の神霊力がここに封じこめられているのでは? 」

「仰せの通りです。神柱には、三色の巫女王(ふのひめみこ)の力が加わっておりません。大姫さまはそのことを、気に病んでおいででした」

「あたくしもそれが気になっておりましたの。それで柱はなかなか、雨雲を払えないんじゃないかって。神柱にミン様の力が加われば、この上ない加勢となりますわ。今すぐ、しろがねの陛下のもとに持っていきましょう!」


 黒き刀の、力の満ち満ちていることこの上なく。太陽の巫女が放つ力の波動が、沸々と伝わってくる。

 ゆえに、リアン姫は全く何も疑わなかった。太陽の姫は歓喜に顔を明るくしてうなずき、アカシと共に天幕を出た。


「こちらですわ!」


 ごうごうざあざあ、雨が叩く参道を、リアン姫は竹傘をさして先導した。

 美しい放射を成す傘の骨組みが、折れてしまうのではないか。そんな心配をするほど、雨は激しかった。天を見上げれば、虹の柱が穿った晴れ間が狭まっている。 


「急ぎましょう! しろがねが苦戦していますわ」

「リアン様。ここからは、わたくし一人で参ります」

「えっ?」


 何を言われたか一瞬、理解が追い付かなかったリアン姫は、後ろをふりむき息を呑んだ。


「え……その……刀……」


 後ろからついてきているアカシが、ばさりと竹傘を落とし、懐からゆっくり、短刀を抜いている。

 その刀身が、みるみる長くなり。


「世継ぎの公子の許嫁。第一妃候補、尚怜安(シャン リアン)様。失礼をいたします。しばし、お眠りください」

「ひ?!」


 黒き蛇が、とぐろを巻く。短刀の刀身から、波動の一撃が繰り出されたのだ。

 不意打ちを食らったリアン姫は、腰に巻き付いてきたとぐろに締められ、たちまち膝をついた。催眠の術なのだろう。黒い煙があたりにたちこめるや、姫はがくりと頭を垂らして、前のめりに倒れこんだ。


「ふ……造作もない」


 アカシであった女の顔が、ぎゅるぎゅると変化していく。

 カッと輝いた雷が、その変容を捉えた。細かった目が大きく。頬がもっと丸く。

 女は今や、倒れた太陽の姫そのものになっていた。

 リアン姫となった者は、本物の姫を抱き上げ、雨の中をすたすた進んだ。女官の天幕は軍の先頭。西域にある高御座までは、何人もいない。

 目前に迫る大鳥居のそばに、杉の大木が生えている。その陰にリアン姫をそっと置き、姫の姿を奪った者は、聖域へと目を向けた。


「では。参りましょう」


 目を細め、口角を引き上げ、踵を返したとたん。


―—「まち、なさい」


 リアン姫となった者は、足もとに違和感を感じた。見下ろせば、白い手が、赤い袴を掴んでいる。

 必死に。ぎりぎりと。女が進み行くのを止めようとしている――


「おや。もう起きたのですか? ご祈祷で、霊力は尽きているはずなのに」

「あたくしを、眠らせようなんて、百年、はやいです、わ……!」


 激しい雷が空を裂く。

 這いつくばりながら、敵を食い止めようとする太陽の姫。その姿が、カッとまばゆく輝いた。


「あなた、もしかして、金獅子家の……や、やるなら、全力で、やりなさいよ!」

「わかりました。では、その御言葉に甘えます」

「——っ!!」


 雷の轟音が、肉を斬る音を打ち消した。

 

「しろ、が……ね……!!」


 黒い炎が刀から噴き出して、鮮やかな真紅の飛沫を焼いていく。

 雷はその恐ろしい音も消していった。

 容赦なく。残酷に。 

 


 

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