6話 皇女の系譜
雨が降る。空が光る。天からごうごうと、嗤い声が降ってくる。
小さきものを馬鹿にするような、余裕たっぷりの轟音だ。絶え間ない雷の音よりも、その声の方がはるかに大きい。
『ハハハハ! メシコ! メシコォォオオオッ!!』
すめらの守護神、ミカヅチノタケリ。龍生殿の奥宮に居たときは、まばゆい光。金色の塊であったと鏡姫は言う。だが、今のタケリは少しも輝いていない。
まっ黒な雷雲をまとった長い体は、漆黒の渦。闇夜が、雲の中を蠢いている。
『出テコイ、メシコォッ!!』
声も姿も、神たる始龍とは似ても似つかない。あれは腐った屍龍そのものだと、天を映す鏡姫が呻いた。臭くてどろどろの龍が、そのまま大きくなったようだと。
たしかにそうだと、鍛冶師の剣を掲げるクナは深くうなずいた。
雷すら割るような耳障りな嗤いも、その口調も、初めて会ったとき自分を食らおうとした、化け物と同じだ。なれどもタケリは、神々しい正体をひそめるために、再び黒い龍の皮を被ったわけではないのだろう。
「鏡姫さま、タケリさまは、神々しい光の龍の霊核を失ってしまったのでしょうか」
『であろうな。堕天して、始龍と屍龍、二つの霊核が併存できなくなったのじゃろう。くされ龍の方が、あれの内で勝ち残ったに違いないぞ。おそらくは、もともとのタケリの人格の方がな』
「とすると、やはり神々しい始龍の人格は、神獣に改造するときに、後付けされたもの? では、今のタケリさまは……」
『うむ。制御など、少しも受けておらぬ。自由に、我が意のまま、振る舞っておるということじゃ』
タケリが龍蝶の帝に従っているのは、強制されたからではない。
悪鬼は、かつてタケリがもっとも愛した主人、アリステルの生まれ変わりのひとりである。
その喜びと、アリステルを完全なものにしたいという欲望が、タケリを上の世界から堕としたのだが。 タケリはそうなってしまったことを、少しも後悔しているそぶりがない。
ごうごう、どうどう、龍はまた、機嫌良く嗤った。
その神気に打たれて、クナが居る高御座が激しく軋んだ。
御簾の向こうは、猛烈な嵐だ。紫の雷が絶え間なく、石畳を穿っている。
『出―テーコーイー!! 我ト遊べ! メシコォ!!』
ひとしきり激しい雷が、目の前の拝所を襲う。高御座の結界に守られているはずの神殿が、ぎりぎりと揺れ、朱の柱に亀裂が走った。瓦屋根がぼろぼろ落ちてきている。
三種ノ神器を護る大神官たちの結界にも、ヒビが入ってきた。大神官たちは必死に祝詞を唱えているが、雷雨に耐えるので手一杯のようだ。偉大なる神獣に対して、攻撃を放つまでには至っていない。
防御一辺倒では、いずれ雷に砕かれ、焼かれてしまう。
そう思った瞬間。
「うう?!」
「きゃあ!」
凄まじい雷が高御座を直撃した。紫ではない。黒い雷が、ばりばりと襲ってきて、あっというまに御座の壁に割れ目を入れた。
『ハハハハハ! チンケナ包ミナゾ、潰シテヤル!』
ぼろりと、壁の一面が崩れ落ちる。もう一面も、すぐに砕けた。たじろぐクナに、メノウが叫ぶ。
「動いてはなりません! 大丈夫です! 土台と、芯である陛下がおられれば、柱はなくなりません!」
彼女が言った通り、壁がなくなっても、高御座から立ち上る柱の光は消えなかった。七色の虹のごときそれは、まさに一本の柱。嵐の中に凛と立っている。
「攻撃しなくちゃ!」
クナは迷わず、黄金の玉座を両手で背後に押しのけた。
『ほほほ、すめらの玉座を舞台にするか!』
「はい! 壁がない方が、好都合です。思い切り舞えますから!」
ぼろぼろとまた、壁が崩れ落ちる。鏡を首から提げ、剣を構え、クナはひるまず、くるくる舞い始めた。
たちまち、あたりにつむじの渦ができる。胸で揺れる鏡が、それに呼応して朗々と、祝詞を唱えてくれた。
われら かしこみ かしこみ
天よ静まれと 願いもうす!
赤毛の帝の白い船で何度も練習したように、クナは大いなる息吹を、両手に持つ剣に乗せた。
「剣よ!」
『任せて!』
大きく溜めた回転から、まっすぐ前へ。
勢いよく振り下ろされた剣が、つむじ風をどうっと御座の外へと叩き出した。
高御座に集められた神官族たちの力、七色の柱が、前方に傾き、天へと吹き抜けていく。柱は勢いよく、周囲の雲を打ち払った。
「虹の光輪!」
天を見上げるメノウが、目をみはる。なれども鏡姫は、だめじゃと激しく点滅した。
『すぐに押し返される! 次弾を!』
「はいっ!」
『任せろ!』
鍛冶師の剣が、勝手にぐるりと向きを変えた。
『僕も動くよ。風をもっと、この身にまとうために。さあ、風を起こして!』
クナの腕の中で、剣がぎゅるぎゅると、ひとりでに高速で回りだした。
回転しながら浮かんでいる剣に向かって、クナはさらにくるくる回り続けた。
「暗雲を、祓いたまえ!」
『天を、きよめたまえ!』
『退け、タケリ!』
剣が踊る。七色の風が天に向かって、突進していく。
虹の輪は渦となり、ごうごう渦巻く天へ昇って行った。
天を晴らすために、きらきらと。盾を割る神槍のように。
ごうごうばりばり、渦巻く黒天。それを穿とうと昇っている、虹色の柱。
リアン姫は、重い鉄錦の裾を引き寄せ、大天幕の布窓から見える恐ろしい光景をじっと見据えた。
天幕は帝の行幸に随行するためのもので、ほぼ円形をしている。もともとは、西の州に住む遊牧民が住居として使っていたのを、太陽神殿が軍用に改良したものだ。六頭の馬に引かれて、今は大墳墓のすぐ手前にきている。
新帝がおわす高御座は少し離れた先、大墳墓の聖域に入っているが、坂の上にあるので、視認することができない。
普段の行幸では、御座を動かすには、選りすぐりの軍馬か、鉄の馬が使われる。なれども即位の儀では、緑の鬼火がゆるゆるゆったり、半日もかけて高御座を動かした。この大天幕も、その速度に合わせてじりじり、都の大路を進んでいった。
「恐ろしい……あのタケリ様と、戦っているなんて。すめらの守護神と……」
「ほんに恐ろしい。空は晴れるのでしょうか」
リアン姫の背後で、鉄錦に身を包んだ女達がひそひそ、肩を寄せ合っている。
各神殿から、内裏に勤める女官に選ばれた巫女たちだ。
「わたくし、もうくたくたです」
「ええ、私も。三日三晩のご祈祷で、神霊力を全部、高御座に注ぎましたもの」
「立つのも、おぼつきませんわ。我らの力を吸った陛下は、本当にタケリ様を倒せるのかしら」
「大体にして、新帝陛下は、悪鬼の実の孫という触れ込みですのよ」
「宮家が軒並み粛清されて、もはやそんな、本来ならば敵となるであろう御仁に、鬼退治を頼まなければならないなんて」
「ほんに、世も末ですわ。陛下のご血統、本当かどうか、怪しいものです。お噂では、山奥にいた、ただの村娘だったというではありませんか。そんな御方に、すめらの命運を託すなんて」
ぎりっと唇を噛み、リアン姫は鬼の形相で振り向いた。
天幕の中はかなりの広さ。女官たちは、几帳でおのおのが自分の区画を確保している。なれども今はほとんど全員、中央の広間に集いて、布窓から垣間見える光景におののいていた。
「陛下のお血筋が怪しい? そんなことは、ございませんわ!」
重たい錦をものともせず、太陽の姫はずかずかと、女官たちの前に詰め寄った。
「あなたたち、朝議の儀式で、太陽の大神官様が申し上げたことを聞いておりませんでしたの? 陛下のご出自を詳しく、天の神々と、集いし神官族に発表いたしましたでしょ?」
「尚家のリアン様。確かにお兄様は、元老院より下されました、陛下のご出自を記した御顕現の書を、奏上いたしましたが……」
長い金髪に、鉄の板を仕込んだ白鉢巻。ふくよかな顔の姫が、ぶっくり口を尖らせる。
太陽の第一位の大神官となった照庸の実妹、サン姫だ。
照家の台頭はめざましい。男たちは、かつて陽家の者が担っていた重職を軒並み継承した。姫たちも、めきめきと出世している。新帝の女官となったサン姫に加えて、六つ上の姉であるラン姫は、巫女王であるミン姫の従巫女となっている。
胸に垂れる金の髪を右手で弄りながら、ふくよかなサン姫は、臆することなく言ってのけた。
「元老院は仕方なく、陛下を擁立したのですもの。多少の誇張や、改ざんやらなど、施しているに違いございませんわ」
「なんですって?」
「経歴を飾ることぐらい、わけないことだと、お兄様は仰ってましたわよ」
「な……! 陛下に仕える身でありながら、よくもそんな不敬を」
第一位の大神官を出した|照家は、いまや新しい御三家の筆頭。家長を亡くした尚家よりも、実質の上位に在る。女官宣旨の際には、大神官は古い御三家の尚家を立てて、リアン姫を先に呼んだが、そのときサン姫は、あからさまに不満げな貌をしていた。
今も、堂々として控える様子はまったくない。もはやリアン姫は、自分よりも下位の巫女。そう思い込んでいるのだろう。
「サン様、しろがねの新帝陛下の血筋は、確かなものですわ。すめらのあらゆる記録を保有していた鏡が、もうこの御方しか継承者はいないと、白羽の矢を立てたのが、我らが陛下なんですのよ」
「でも、その鏡は、狂ってしまったからと、すべて排斥されたではないですか」
「そっ、それはそうですけれど、陛下のことに関しては、嘘偽りはございませんわ。元老院は真実と誤認をちゃんと精査したと、聞いておりましてよ」
真実とは、しろがねの髪の新帝が、古い帝家の出身であるということ。
誤認とは、新しい帝が太陽の大姫であったとき、皇太后を殺めたとみなされたことだ。
「精査とおっしゃいますが、もみ消しとか、粉飾とかいうものではございませんの?」
「なっ……そんなことはっ」
―—「政に嘘はつきもの、といいますよってに。そこはいろいろ、忖度があったんですやろ」
サン姫の隣に座る女官が、あふんとあくびをかました。その口調と、淡い青銀の髪色から、ひと目で星の巫女と分かる。
曇家のイン姫。九十九の方の、従妹の君だ。齢二十歳、きりっとした狐目で、かの琵琶の名手と面立ちがよく似ている。
「陛下の神霊力はたしかに、すごいものです。西の聖剣を持っていて、タケリ様と渡り合えるから、悪鬼退治の旗頭に選ばれた。というだけではあらしまへんか?」
「そうですわよね。陛下は真実、皇女であられるのか。そこが疑問ですわ」
イン姫に同調して、サン姫がうなずく。他の女官たちも顔を見合わせ、こくこくと頭を振った。
「ただ説明されただけでは、すんなり信じられませんわ」
「ええ、何か、確たる証拠がなければねえ」
「あ、あなたたちっ……」
主人となった帝に対して、なんたることを口にするのか。
リアン姫は眉を吊り上げ、不遜な女たちを一喝しようとした。
そのとき――
「陣中、失礼をいたします。申し訳ございません」
天幕の入り口から、女の声がした。返事をする間もなく、するりと、千早姿の巫女がひとり入ってくる。その姿を見るなり、リアン姫の顔は、ぱあっと陽光を放つ天輪のように輝いた。
「アカシ様!」
「太陽の大姫さまの使いで参りました」
金の髪をきちりと結っている巫女は、入り口にとどまり、膝を折って平伏した。
「新帝陛下をお守りする皆様におかれましては、このような戦時でのお勤め、まことにごくろうさまです。わたくしは、太陽の大姫さまから預かってまいりましたものを、陛下にお渡ししたくて参りました」
「ミン様が意識を取り戻されたことは、緑の鬼火から聞いておりましたわ。その後のご様子はいかがですの?」
「ご心配痛み入ります。おかげさまで、大姫さまは、大変元気になられております。ぜひ新帝陛下にお目通りを願い、そのこともお伝えしたく思いますが。その前に……」
くいっと顔を上げ、アカシと名乗った巫女はにっこりと、満面の笑みを浮かべた。
「何やらもめていらっしゃるご様子でしたので、僭越ながら申し上げます。
新帝陛下はまこと、悪鬼の御孫君にございます。元老院は津々浦々、すめら百州内だけでなく、異国に残る記録もしらみつぶしに調べて、事実を確認いたしました。そしてそのことを、我が大姫さまに報告いたしました。とくに決め手となりましたのは、北五州地方すべての州公家に伝わります、それぞれの〈州公文書〉でございます」
アカシはまるで、説教をくらわす上臘巫女のよう。凛として語る来訪者に、女官たちは氷のように固まった。リアン姫もそれは初耳だと口の中でいいながら、硬い表情でその場に正座した。
「各州光家の〈州公文書〉には、神聖歴7773年に廃された帝が、十年後に再び、すめらの帝に返り咲き、五十年前の災厄の直後まで、玉座にあったことが記されております。その帝は、〈偲里の君〉、もしくは、〈糖蜜の君〉などと呼ばれていたそうでございますが、これが今、すめらにて、悪鬼と呼ばれている龍蝶にございます。
悪鬼は、皇子をもうけられませんでした。なれども復位後に、皇后ではなく、龍蝶の女御によって、皇女を三人得ました。三人の皇女はそれぞれ、各帝都神殿の巫女王となりましたが、新帝陛下の母君は、そのおひとり。月の大姫となられました、垂氷皇女殿下にございます」
「アカシ様、そのことは、即位の儀の時に聞きましたわ。陛下が、タルヒ皇女の御子だというのは」
ふくよかなサン姫がふんと鼻を鳴らす。なれども、アカシは動じなかった。
「〈州公文書〉には、災厄後の三皇女についても、記されてございます。父たる悪鬼が災厄を起こした張本人として封じられたのち、皇女たちは、すめらから追放されました。そして皇女ふたりは、元老院から放たれた刺客によって、異国の地で暗殺されました。しかし垂氷皇女だけは生き延びて、ひそかにすめらに戻り、龍蝶が住む隠れ里に身をひそめたのです。そこで皇女は、御子を五人もうけました。良人となった龍蝶は、三人。陛下の父君は二人目の伴侶で、すでにこの世にはありません」
垂氷皇女の三人の良人 は、三人兄弟であった。
長兄は、皇女と隠れ里を護るために、刺客と戦って死んだ。
新帝の実父である次兄は、生まれつき病弱で、不治の病に侵されていて、新帝が生まれてほどなく亡くなった。
末弟は、シガともうひとり、幼い弟君をもうけ、病に倒れた皇女を看取った。なれども現在、舅である悪鬼に囚われ、生死不明。新帝の兄弟も、妹君のシガ姫以外は、生きているのか、それとも悪鬼に殺されたのか、分からない――
アカシは淡々と新帝の家族について語りながら、目を細めた笑顔で、女官たちを圧した。
「〈州公文書〉にこの項目が記載されたのは、ごく最近のこと。すめらに新帝が立つと決まってからです。各州公家はそれぞれ極秘に、まこと、皇統にある方かどうか、新帝陛下のことを調べ尽くしました。特に、金獅子州公家は、陛下の髪の毛を、極秘の伝手を使って入手いたしました。また、隠れ里に葬られていた垂氷皇女のご遺体を掘り起こし、その髪の毛も手に入れました。そしてもうひとつ。悪鬼の髪の毛も、大安に潜伏した密偵が、命を賭けて、拾い上げました。そうして龍蝶三人の純白の髪の毛を、太古の秘法を行える装置に入れ、真実、血縁の関係にあるかどうか、調べたのでございます」
「な……しろがねの陛下の、髪の毛を? 州公家の密偵が? いつの間に?!」
リアン姫が眉をひそめる。アカシは、その伝手は秘されていて不明なのですと、苦笑した。
「金獅子の州公家は、密偵をたくさん、大陸各地に放っているそうです。それに、すめらの龍生殿のごとく、太古の超技術を継承する技師の集団が、存在するそうですよ」
「密偵の数がはんぱないというのは、殿下から聞いておりましたけれど。まさかそこまでするなんて……髪の毛? それで、家族かどうか分かるものなの? いったいどんな秘法なの?」
「あな恐ろしい……」
「そんなことが行える魔導が、西の果ての州公家にあるなんて」
リアン姫と同様に、女官たちは顔色を変えてどよめく。アカシを名乗る巫女は、きりっと貌を引き締めた。
「ですから、新帝陛下のお血筋は確かに、皇統を引く、れっきとしたものにございます。各州公家も他の大陸諸国も、陛下には皇位継承の資格があるとみなして、適切な対処を行うことでしょう」
「あっ……確たる証拠があるゆえに、陛下の地位を揺るがすことは、容易にはできない……」
リアン姫はハッと一つの答えに至りて、アカシの眼前にがぶり寄った。
「陛下を排除するには、不慮の事故などを起こして、暗殺するしかない……これから異国から、刺客とか、暗殺者とか、そういうものがわんさか来るかもしれないってことですわよね? オムパロスにおわす陛下を支持する国って、結構ありましたもの」
「はい。大陸同盟の三分の一の国が、金獅子州公家が庇護しております上皇こそ、まことの帝と支持しております。ゆえに刺客の類が放たれる可能性は、非常に高うございます。陛下の身辺は、重々、警護されなければなりませぬ」
「ええ、そうですわ。あたくしたちが、しっかり守らなければ!」
「リアン様、わたくしも、太陽の大姫さまも、同じ気持ちでございます。そして少しでも、神柱となられた陛下を助けたく思っております。ごらんください。わたくしは大姫さまから、この刀を預かってまいりました」
アカシは白い千早の懐から、漆黒の短刀を取り出した。それは細くまっすぐ鍛えられていて、きんきんさやさやと、力満ちる音を静かに出す、実に美しいものだった。
「これは……すごい波動を感じますわ。まさか、ミン様の神霊力がここに封じこめられているのでは? 」
「仰せの通りです。神柱には、三色の巫女王の力が加わっておりません。大姫さまはそのことを、気に病んでおいででした」
「あたくしもそれが気になっておりましたの。それで柱はなかなか、雨雲を払えないんじゃないかって。神柱にミン様の力が加われば、この上ない加勢となりますわ。今すぐ、しろがねの陛下のもとに持っていきましょう!」
黒き刀の、力の満ち満ちていることこの上なく。太陽の巫女が放つ力の波動が、沸々と伝わってくる。
ゆえに、リアン姫は全く何も疑わなかった。太陽の姫は歓喜に顔を明るくしてうなずき、アカシと共に天幕を出た。
「こちらですわ!」
ごうごうざあざあ、雨が叩く参道を、リアン姫は竹傘をさして先導した。
美しい放射を成す傘の骨組みが、折れてしまうのではないか。そんな心配をするほど、雨は激しかった。天を見上げれば、虹の柱が穿った晴れ間が狭まっている。
「急ぎましょう! しろがねが苦戦していますわ」
「リアン様。ここからは、わたくし一人で参ります」
「えっ?」
何を言われたか一瞬、理解が追い付かなかったリアン姫は、後ろをふりむき息を呑んだ。
「え……その……刀……」
後ろからついてきているアカシが、ばさりと竹傘を落とし、懐からゆっくり、短刀を抜いている。
その刀身が、みるみる長くなり。
「世継ぎの公子の許嫁。第一妃候補、尚怜安様。失礼をいたします。しばし、お眠りください」
「ひ?!」
黒き蛇が、とぐろを巻く。短刀の刀身から、波動の一撃が繰り出されたのだ。
不意打ちを食らったリアン姫は、腰に巻き付いてきたとぐろに締められ、たちまち膝をついた。催眠の術なのだろう。黒い煙があたりにたちこめるや、姫はがくりと頭を垂らして、前のめりに倒れこんだ。
「ふ……造作もない」
アカシであった女の顔が、ぎゅるぎゅると変化していく。
カッと輝いた雷が、その変容を捉えた。細かった目が大きく。頬がもっと丸く。
女は今や、倒れた太陽の姫そのものになっていた。
リアン姫となった者は、本物の姫を抱き上げ、雨の中をすたすた進んだ。女官の天幕は軍の先頭。西域にある高御座までは、何人もいない。
目前に迫る大鳥居のそばに、杉の大木が生えている。その陰にリアン姫をそっと置き、姫の姿を奪った者は、聖域へと目を向けた。
「では。参りましょう」
目を細め、口角を引き上げ、踵を返したとたん。
―—「まち、なさい」
リアン姫となった者は、足もとに違和感を感じた。見下ろせば、白い手が、赤い袴を掴んでいる。
必死に。ぎりぎりと。女が進み行くのを止めようとしている――
「おや。もう起きたのですか? ご祈祷で、霊力は尽きているはずなのに」
「あたくしを、眠らせようなんて、百年、はやいです、わ……!」
激しい雷が空を裂く。
這いつくばりながら、敵を食い止めようとする太陽の姫。その姿が、カッとまばゆく輝いた。
「あなた、もしかして、金獅子家の……や、やるなら、全力で、やりなさいよ!」
「わかりました。では、その御言葉に甘えます」
「——っ!!」
雷の轟音が、肉を斬る音を打ち消した。
「しろ、が……ね……!!」
黒い炎が刀から噴き出して、鮮やかな真紅の飛沫を焼いていく。
雷はその恐ろしい音も消していった。
容赦なく。残酷に。