4話 三種ノ神器(みくさのかむたから)
八角塔の形を成す天幕、高御座が、ゆるゆると都の西大路を進んでいく。
緑の鬼火が百体、車輪近くに群がり、えっほえっほと押したり引いたりしている。
その前後に連なるは、鎧輝く太陽の神官兵の列だ。大路の果てまでずらりと並んで、動く高御座を守っている。
「なんて長い列……」
鏡を抱えながら御座の玉座に座す娘――クナは、御簾からうっすら見える光景に感嘆するばかりだった。
大路の両脇には、日輪模様の国旗を振る民が連なっていて、荘厳なる軍列を見守っている。橙色に染められた日輪模様の、なんと鮮やかなことだろう。
再建されつつある宮処の家々の軒下で、ずらりと下がった真っ赤な提灯が波打っている。向かい合う家から家へと、大路に幾重も渡されているのは五色の吹き流しだ。極彩色の門を成していて、実に鮮やかである。
「すごい……人、人、人の波! こんなにたくさんの人が、宮処に住んでいるのね」
「大陸公報で、陛下のご即位が、すめら百州全土の民に向けて、発信されました。ゆえに、陛下を支持する宮処の民が、集まってくれたのでしょう」
黄金の玉座の後ろに平伏するメノウが、クナに告げた。
「いよいよ、最後の儀式となります。高御座は西の大墳墓へと、進んでおります。これより墳墓にて、高祖帝への参拝を行っていただきます」
「即位の宣言は、大安の〈悪鬼〉に対する宣戦布告……三日たつのに、先方が何の動きも起こしてこないのが、不気味です」
「相手は、機を伺っているのでしょう。我々は予定通りに、儀式を行うのみです。すべて、予定通りに」
玉座に座すクナは、疲労が入り混じった息を吐いた。腕の中の鏡が点滅して、励ましてくる。
『もう少しの辛抱じゃ、我が巫女。これが終われば、ミン姫の見舞いに行けるぞ』
「はい……」
神降ろしの儀式の最中に起きた騒ぎは、太陽の巫女王となったミン姫のおかげですぐに鎮められた。なれどミン姫は倒れ、西の後宮域にある寝殿に急ぎ、搬送された。降りてきた神が体内にいるときに場を乱されたため、神返しができなかったのである。
メノウが遣わした緑の鬼火の報告によると、第一位の従巫女となったビン姫が、ただちに、クナの時のように神出しを行ったらしい。しかしてミン姫は今、高熱にうなされているそうだ。
「ミンさま、お辛いでしょうね」
『妾も、神降ろしはきつかったわ。降りてきたものを素直に口にすれば、そんなに疲れはせぬのじゃが……』
ミン姫は、新帝の御代は輝かしいものだと、実によろしい神託を告げてくれた。
けれどそれは……
クナは鏡姫に確かめた。
「ミンさまがくださったご神託は、きっと嘘ですよね」
『うむ。妾の鏡面にも映ったが、あのときの表情は、まさに……降りてきたものを呑み込んだ顔であったわ』
神降ろしを経験したことがあるクナには、分かってしまった。
ミン姫は、降りてきたものをねじ曲げたのだ。姫が見せた涙は、歓喜の涙ではなかった。自然に口から出そうな言葉を必死に抑えている、苦しさに耐えている表情だった。
天照らし様の光を浴びた姫は、いったいどんな言葉を、その身の内に封じ込めたのだろう?
『神託なんて、気にしなくていいと僕は思うけど』
玉座のそばに立てられている剣が、快活な声で励ましてきた。
『友人を心配する気持ちはよく分かる。君の御代を称えてくれた大姫のためにも、儀式を粛々と、滞りなく済ませよう』
「はい……!」
クナはすぐにも、ミン姫を見舞いたかったのだが。即位の礼は、その日のうちには終わらなかった。
神降ろしの儀のあと、三色の神殿がそれぞれ一夜ずつかけて、大神楽を展開したからである。それは、神官と巫女たち、総動員で行われた大祈祷であった。
『それにしても、大神楽はすごかったね。すめら百州の隅々から、のべ三万人の神官族が集まるなんて』
びっくりしたと笑う剣に、メノウが固い顔でうなずく。
「三色の神殿が、ひそかに檄を飛ばして集めました。彼らの大神楽により、ありえぬほどの量の神霊力が、今この、高御座に集結しております」
メノウがクナに「動くな」といった真の理由は、まさにこのため。
三日三晩のご祈祷で、〈悪鬼〉に対抗する霊力をまとうためだった。
〈悪鬼〉には最強の味方、ミカヅチノタケリがついている。堕天したとはいえ、タケリは神獣以上の力を持つ神だ。まともに相対するには、相応の力が必要となる。それゆえに三色の神殿は、新帝と高御座に、大いなる力を付与する儀式を行ったのであった。
「七つの橋に七つの塔。あまたの民を動員して作られました新しい宮処は、それ自体が結界を発生させる大砦の構造を成しております。なれどもそれだけでは、黒きタケリ様や悪鬼の神気に対抗できません。霊力を得てご神柱となりました陛下と高御座こそが、宮処を護らねばなりません」
神官族の霊力を一身に受けた高御座は、宮処を護る結界の核となる。
それと同時に、クナがまとう力の衣ともなるというのだった。
たしかに、クナの武器である剣は、大いに大神楽の恩恵を受けたようだ。
『いつ襲われても大丈夫だよ、スミコちゃん。僕の力は今、次元を裂けるぐらい高まっているから』
三日に渡ってひたすら注がれる霊力を、クナが持つ鍛冶師の剣はみるみる吸収していった。すごい、おいしいと叫びながら我が身を強化していった剣は今、その刀身を真っ赤に輝かせている。神霊玉を体内に宿している、神官や巫女たちの瞳のごとくに。
剣だけではなく、クナ自身にも無敵の力が宿ったと、メノウは言う。けれどクナには、この身が何か変化したという感覚は、ほとんど感じられなかった。
「メノウさま、あたしは本当に、みなさんの力を受け取れたんでしょうか?」
「高御座の外に出ますれば、如実に分かりましょう。今は御座と一体化しておられるので、感じにくいだけです」
力を受け取るために、三日三晩。ご祈祷の間ずっと、そして今も、クナは高御座の中に入ったまま。一歩も外に出ていない。
もとは軍用の天幕だったという御座には、長く滞在するために必要な調度品がそろっている。顔を洗うための御手洗台や黄金の寝台が、壁の中に内蔵されており、龍の形をした取っ手を引くと、すうっと出てきた。錦が詰まった黄金の長持ちも、一見壁であるところから、引き出せるようになっている。
夜間は寝台で休んでいてよいとメノウは言ったが、御簾の外では大音響で祝詞が唱えられていてうるさかったし、ミン姫のことが気になるしで、クナはなかなか寝付けなかった。
だから鏡に映るクナの顔には、くまがくっきり浮き出ている。
「メノウさまが毎朝、ミンさまの容態を知らせてくれなかったら、あたしきっと、辛抱できなかったわ」
「なんでもご報告いたします。包み隠さず」
『狼藉者の素性は、割れたのかえ?』
鏡に問われたメノウは、それがと顔を曇らせた。
「神降ろしの場を乱した者は即刻、太陽神殿の管轄である刑部に引き渡され、尋問が行われました。なれど、狼藉者は毒をあおって死んだそうです」
『自ら口を封じたか。まあ大方、オムパロスにて先帝を抱えておる金獅子州公家あたりの差し金であろう』
「あのようなことが二度と起きませぬよう、元老院が神官族に厳命を送っております。今はとにかく、新帝陛下のもと、一枚岩になるようにと。せめて、〈悪鬼〉を倒すまではと」
大祈祷を行ってくれた神官族の中にも、先帝こそ正統と思う輩はたくさんいたのだろう。
今の時点でとれる、最良の選択。それが、クナを旗頭とすることであったから、皆、仕方なく力を貸してくれているのだ。
そのことを忘れてはならないと、クナはくまができた顔をぱんと、片手で張って引き締めた。
「長引かせてはだめ。早く決着をつけて、早く譲位をしなければ。そうよ。ミンさまから、本当のご神託を聞いて、そして――」
いまだ、大安に行ったアオビたちから連絡はない。なれど成し遂げて見せると、クナはおのれの覚悟を口にした。
「黒髪さまを、救い出すわ……絶対に」
高御座の軍列はほどなく、宮処の郊外、なだらかな丘陵が連なるところに入った。
鏡姫曰く、この丘はすべて、古い帝の墳墓であるのだという。
『高祖から二十代目まで、最も古い時代のすめらの帝たちは、大きな墳墓に葬られておる。中でもひときわ大きい前方後円の陵が、高祖帝の墳墓じゃ』
「正面に見える、あのお山ですね」
『そうじゃ。墳墓は建造するのに何年もかかる。広い土地も要る。ゆえに、二十一代目の帝から代々、天の浮島にある霊廟に、葬られるようになったのじゃ。高祖帝の棺も浮き島に移す、移さないの議論があったそうじゃが、移葬は結局、墓を暴くことになるとのご神託が下りた。ゆえに、断念したらしい』
「高祖帝は民と同じ大地に座して、すめらを見守っておられる……」
『うむ。まさにそうなのじゃ』
眼前に連なる軍列が、石畳の参道に入った。道はかなりの上り坂だ。巨大な石の鳥居の直前で、列は左右に分かれ、進軍を止めた。
割れた列の間を、緑の鬼火たちが運ぶ高御座が、ごろごろと進みゆく。鳥居の中へと入っていくと、境内に、各神殿の一位の大神官が横並みになって待っているのが見えた。皆それぞれに、黒い漆塗りの大箱を捧げ持っている。
「あれこそは、陛下が継承なさった剣璽。三種の神器でございます」
メノウが、御簾の向こうをサッと、白い扇子で指さした。
「ではこれより、即位の礼の締めくくりとして、継承報告の儀を執り行います」
すめらの皇統は、一万二千年続く由緒あるもの。
青の三の星より来たりた高祖帝は、はるか星の海を渡る以前から、さる国の帝であった。
高祖帝が故郷の星より受け継いだ、三つの皇位の御徴。それらを、代々の新帝は、即位の礼において受け継いできた。
帝都太陽神殿のご神体、すなわち天照らし様そのものであるとされる、神鏡真経津鏡。
帝都月神殿のご神体、すなわち月女様であるとされる、神玉弥栄瓊美須麻流之珠。
帝都星神殿のご神体、すなわち瞬き様の筆頭である北極星の化身、神剣都牟刈太刀。
宮処が焼かれたとき、神器は帝都神殿それぞれの避難所、周神殿へと持ち出された。神官たちが何を置いてもこれだけはと、ご神体を必死に守ったのである。
『帝でも実見できぬという、玉璽以上の御徴。皇位継承者の証を示して、高祖帝に帝位継承を報告するのじゃな』
「はい。神器は王朝開闢より、三色の神殿にて、聖所に祀られてきたものです。帝の守護者たる神々の力を、帝よりお預かりする、という形で、神殿は政を行ってきたのです。神器がひとつでも、オムパロスにおわす先帝に持ち去られておりましたら、陛下の即位はもっと難儀であったでしょう」
『上皇が、そこまで気の回らぬ暗君で助かったのう。しかし、真経津鏡に、大スメルニアが乗り移っていないとよいのじゃが』
『その心配はいらない』
鏡姫の懸念を、玉座の脇に在る剣が拭い去った。
『神器の鏡には、伝信回路も情報蓄積回路もついてない。本当に、ただの鏡でしかないよ』
『剣よ、誰も見たことがないのに、なぜそうと言い切れるのじゃ?』
『僕が乗り移っていた聖剣に、その記録幻像があったからだよ。聖剣も青の三の星で作られたものでね、星が割れるっていうときに急遽、三種の神器やら他の聖遺物と一緒に星船の倉庫に詰め込まれて、間一髪、脱出したんだ。そうしてどんぶらこっこと、星の海を渡ってきたらしいよ』
『なんと、西の聖剣は、すめらの神器と一緒の船に乗ってきたというのか? 信じられぬ話じゃのう。大昔に、神剣が西の聖剣と刃を交えたことがあるという伝説は、聞いたことがあるのじゃが』
『ああ、それは四百年前のことだね。西から攻めてきた剣の英雄スイール・フィラガーを倒すために、当時の皇帝虹渡君が、自ら、神剣を開帳して使用したんだ。結果は相打ちで、どちらの剣も砕けた。だから、今の都牟刈太刀は、鋳造し直されたものだよ』
「さすが、西の聖剣の複製。物知りですね」
『壊れた聖剣はこの僕が直したんだよ。その時の記録幻像を見た限りでは、すめらの神剣は、実に美しい鋼の剣で、人工精霊の類は宿ってなかった。本当に、ただの古い剣だったな』
剣の柄がびかりと光り、御座の壁に幻像が映し出された。
黄金の衣をまとった人が、鬼気迫る貌で祝詞を唱え、黒塗りの箱から剣を出す様子が、おぼろげながらも壁いっぱいに現れる。
とたん、メノウは恐れ多いと悲鳴をあげて、眼を衣の袖で隠した。
「な、なりませぬ! 神聖なるものを、むやみやたらに開帳しては」
『あは、ごめん。百聞は一見に如かずっていうからさ』
「ルデルフェリオさんは、本当にすごいです。剣の中にあった記録をこうして、見せてくれるなんて」
クナは一瞬で消された幻像を、瞼の奥でじっくり再現した。
映っていたのはすめらの帝。彼が抜いた剣は一面錆びていて、今にも折れそうだった。
帝の貌はこの上なく、怒りに満ちていた。聖剣を持って相対した人は、いったい何をしたのだろうか。ただ挑発したとは思えないぐらい、激しい怒りだ……
「陛下、高御座からお降りになり、墳墓の前の拝所にお入りくださいませ」
「あ、はいっ」
クナは玉座から立ち上がり、剣を背に負った。
胸元に鏡を抱いたまま、メノウが上げた御簾から外に出る。
長く敷かれた朱色の絨毯の上に降り、一歩踏み出したとたん――
「うう!?」
クナはつんのめり、地に倒れそうになった。
体が異様に重い。それに、なんだか煌々と、我が身が輝いている。白い肌がまるで灯り玉のように、きらきら光を発している。
「足が、動かな……!」
『落ち着け、我が巫女。大祈祷の霊力が、その身に宿っているのじゃ。ゆっくり前へ踏み出せ』
「は、はい」
クナはなんとか、長い袴をさばいてよろよろと進んだ。
拝所は境内の奥に建てられている、屋根と柱だけの建物だ。横長の祭壇が据えられており、その向こうに墳墓の入り口が見える。
神器をそれぞれ捧げ持つ大神官が、その祭壇に神器を次々と置き、輝くクナの後ろに回って控えた。
大神官たちが、朗々と祝詞を唱え始める。
クナは鏡を抱えたまま、なんとか祭壇の前に伏す体制をとった。
(重い……ゆっくりとしか、動けないわ……!)
偉大なる はじめの君に
かしこみ かしこみ 願ひ白す
どうか 三種のかむたからを受け継ぎし 日の御子に
大いなる加護を 下されんことを
三人の大神官の和合が、びりびりとあたりの空気を震わせる。
クナは背に当たる神霊力に、舌を巻いた。背中がひりひりする。皆、かなりの力の持ち主だ。
祝詞が終わるや、クナは歯を食いしばって立ち上がり、やっとのことで振り向いて、大神官たちに一礼した。礼を返してきた大神官たちの瞳は、いまだ力がたぎっていて、真紅に輝いている。体内の神霊玉が大いに燃えているのだろう。
大神官たちが皆、右に寄る。
クナは空けられた道を進んで、高御座へと戻ろうとした。
「すごいですねえ。三日三晩、あれだけの霊力を受けたのに、歩けるなんて」
大神官たちの前を抜けようとしたクナは、ぎょっとして足を止めた。ぐいと、後ろに引っ張られる感覚に襲われたからだ。
やっとのことで首を回して見れば、太陽の第一位の大神官が、こちらを見上げている。腕を伸ばして、にこにこと。背から流れ落ちているクナのしろがねの髪を、ぎっちりと掴みながら――
「あ、あの、髪っ……」
「ふうむ。このおぐし、霊力を帯びて、なんとも輝かしい。しかし本当に、色素がないんですねえ。〈悪鬼〉の髪も、このように繊細な、銀糸のようなのでしょうか?」
「照庸!!」
至極真面目につぶやく、金髪まぶしい大神官。そのすぐ隣に平伏していた月の大神官、リンシンが、鋭い声を放った。
「陛下になんたる無礼! 手を放せ!」
「ああ、すみません。あまりにお美しいので、つい手が伸びてしまいました」
「何を言っている! これは本番だぞ! 予行練習ではない! 本・番! この陛下は本物だ! 練習台の巫女ではないっ! 本物の、ご神柱となられた陛下だぞ! いいからとにかく、手を放せ!」
太陽の大神官は動じない。目を細めてくすくす笑う。リンシンは目をむきながら、彼の腕をつかんで引っ張った。
「は、な、せ!」
もみ合う二人の隣で、星の大神官が呆れてあんぐりと、口を開けている。
リンシンはしぶしぶ手を離した太陽の人の頭をばしんと一発はたき、無理矢理平伏させた。
「申し訳ございません、陛下! チャオヨンは実に、変な奴なのです。国子監でも変人で通っていた者で――」
「世に二人といない才人と言ってください、リン先輩」
「黙れ! これは本番だというに!」
「あ、あの、あたし、高御座に、戻ります」
御座 から、メノウが血相を変えて駆け降りてくる。クナは彼女のもとへと、一所懸命歩を進めた。背後でリンシンが、太陽の大神官を羽交い絞めにしているのが、ちらりと見えた。
「陛下! お怪我はありませぬか? 太陽の者が、ひどい粗相を!」
「だ、大丈夫です。でも体が、ひどく重くて。息が、切れて……」
「それは仕方がございません。陛下は今、神官族の霊力を、一身に背負っておられるのですから」
御座の中に入るなり、体がすうっと軽くなった。水の中に入ったような心地だ。なんとも不思議な感覚に驚いていると、鏡姫が唸るように囁いた。
『照家のヨン……聞いたことがあるぞ。家格は、太陽神官族の第二等。幼きころは神童と茶の師に絶賛され、齢十二で、帝国の最高学府、国子監に入った天才。剣術の達人と聞く。なれどもあのように、少々難のある者でな。軍部に入ったのじゃが、大本営はどこぞの州神殿に入れて、州軍の将に任じ、帝都には寄せ付けぬようにしていたはずじゃ』
『まともな輩はみな、〈悪鬼〉に殺されちゃった、ということだろうね』
娘の背中で、剣が苦笑いした。
『思った以上に、スメルニアは傾いているようだ。これは大変だよ、スミコちゃ……』
剣の笑いが突然、どどうと、激しい振動にさえぎられた。
リンシンが、神霊力で太陽の大神官に仕置きでもしたのか、と思いきや。輝く蒼穹がいきなり陰り、ぼつぼつと雨が降り出した。
「今のは、雷?」
『いや、違う。見てごらん、雨が黒いよ』
剣がするりと、クナの背から動いて眼前に浮いてくる。
『やっと、お待ちかねの奴らが来たようだ。三種ノ神器が、各神殿からここに集結するのを狙ってきたんだろうね』
どん。どん。どどん。
高御座が上下に揺れる。大地が揺れているのだ。
「ヨン、来たぞ!」
御簾の向こうで、月の大神官リンシンが叫んだ。
「ついに、本番だ!!」
リンシンが祭壇に駆け寄り、月紋が施された神器の箱を抱え上げた。
「来るのが遅い。剣璽の儀で、こうなるかと思ったんだが」
「はは、やっと来ましたねえ。わざわざ大祈祷のあとでなんて、ご神柱と遊ぶ気満々なんじゃないですか?」
太陽の大神官、金髪のチャオヨンも同じく祭壇に走り、太陽紋が施された箱を抱える。
「あ、遊ぶだなんて。そんな余裕をかまさないでほしいです」
星の大神官がため息をつきながら、星紋が施された箱を捧げ持った。
たちまち、三人の瞳が真紅に輝き、周囲に神霊力の気配が降りてくる。強固な結界がみるみる、拝所を取り囲んでいった。
「さあ、神器を死守しましょうぞ!」
「守れるといいねえ」
「ぜ、全力を出しましょう、チャオ殿! 笑っている場合ではありませんぞ!」
―—「大神官たちが、配置についたようですね」
メノウが、御簾の向こうを見据えてうなずいた。
「陛下、剣を御簾の外へ向けるのは構いませんが、決して外へ出てはなりません。ご神柱の力を極力、分けぬようにしてください」
「はいっ!」
メノウが勢いよく、御簾を上げる。クナは、開けた御座の入り口から、空を見上げた。
さきほどまで抜けるような青空だった天は、一変していた。
雲。雲。黒い雲。
天は一面、暗雲に覆われている。
びしゃりびしゃりと、雲の間に稲光が走り、天地を照らす。
その放電の中に、何か巨大なものがとぐろを巻いている。雨雲をまといて、踊っているように見える……。
クナは、目の前の剣の柄を握り、雲間にうごめく真っ黒い影の名を呼んだ。
「タケリさま……!!」
黒い雨がびちゃびちゃと、石畳を黒く濡らしていった。
この世を、真っ暗に染めるかのように。