幕間 須米良(すめら)
「ぎゃあああああっ!」
真っ黒な岩壁が囲む袋小路で、わたくしはひどい悲鳴をあげてしまいました。
羽織っている黄金色の千早が、突然、ぼうっと燃えだしたからです。
わたくしはとっさに祝詞を唱え、体を焼かんと暴れる真っ青な炎を消しました。足首まで届く白い髪を振り乱して。目を見開いて。亀のごとくその場に縮こまって。わたくしは、叫んでいました。
「痛い! 痛い! 痛いいいいいいっ!」
いつのまに、壁がそびえたのでしょうか。ハッと気づけば、黒い壁がじりじりと狭まってきます。左右には動けません。黒い天井は、桶の蓋のよう。立っては歩けぬほどの高さです。
あろうことか、壁も天井もさらに、じわりじわりと、狭くなってきました。
わたくしは這いつくばり、右手を抑えながら、急いで後退しました。退くそばから、袋小路がどんどん、無くなっていきます。
ああ、虚無に呑まれてしまう。消えたくありません。消えたくは……
間一髪、でした。
少しだけ広い通路に出ると同時に、狭い通路はすっかり、消え失せてしまいました。
「おのれ西の剣……たかが鋼ごときに、このわたくしが……あああ! あああ!」
わたくしは口惜しさのあまり、我が身を黒い壁に何度も打ち付けました。
見れば右手は無残に砕かれ、手首の先がありません。右手があるべきところに、異様な文字の記号が無数に集まり、なんとか手の形を成そうとしています。
「おのれ……おのれ……おのれ……! 再生に、こんなに時間がかかるなど!」
嘘でしょう? このようなことは、ありえません。わたくしが傷つけられるなんて。
このわたくしの……この、大いなる須米良の力がこんなにも、削がれるなんて。
「ありえません! ありえません! ありえません……!」
何度も叫びながら、わたくしは片身を黒い壁で支え、真っ暗な通路をずるずると進みました。壁の石組みは堅牢で、まるで凍てついた氷のようです。吐き出す息は、まっ白。はあはあと、我が息の音が聞こえます……
「西の剣。いきなり襲ってくるなんて、野蛮すぎますわ。口惜しい……」
タルヒの娘を手に入れようとして、鏡の中に手を入れた瞬間でした。
娘の背中からぎらりと、西の国の剣が躍り出てきたのです。
その剣は、青の三の星より来たりし聖剣を模しておりました。かつてこのわたくしが自ら、完膚なきまでに破壊した剣です。いつの間に複製など、作られていたのでしょう?
剣はわたくしと繋がっている鏡を一刀両断し、そればかりではなく、わたくしにまで……
わたくしはぎりりと、歯ぎしりしました。今朝がた、鮮やかな紅をひいた唇が、醜く歪んでいるだろうと思いながらも、きつくきつく、唇を噛みしめました。
口惜しい……ああ、心底、口惜しい……。
頼み事をするときは、頭を下げろ?
このわたくしにそんなことが、できようはずがありません。
矮小な虫けらとは、天と地ほども霊位が違うのですから。わたくしは普通の人間ではなく、輝ける鏡。すなわち、神なのですから――
「わたくしはすめら。大いなるすめら。皇女にして女帝。巫女にして女神。
我が名は、須米良! 偉大な帝国、そのもの……!」
神である須米良に、不可能はありません。
消えた袋小路はつい先ほどまで、あんなに狭い空間ではありませんでした。
あそこは、広々とした御殿の一部屋のはずでした。美しく刈り込まれた松が並ぶ庭園が、格子窓から見えておりました。月の周神殿の庭園があまりに雅びであったので、須米良はその姿を我が家に取り込んだのです。
我が望みは、一瞬で叶います。
御殿は瞬時に、瀟洒な東屋になったり、壮麗なる神殿になったり。見える景色も、思うがまま。一年中、桜咲く庭に居ることもできます。
天の色も自由自在。現実は真夜中近くであっても、ここは、ちるちる鳥が鳴く昼下がり。
松林を臨む日当たりのよい部屋で、須米良はゆたりと、畳の台座に座しておりました。御簾を隔てた先には、大きな鏡が一枚。その鏡は、月の大巫女メノウが会見に携えていった大鏡と、繋がっておりました。
「ああ、我が君。あなたの須米良は、恐ろしい目に遭いました……!」
須米良は永いこと、鏡の中に住んでおります。本体はとても頑丈で、繋いだ鏡が壊されても、こちらまで無くなる、ということはありません。
鏡が壊されたら、別の鏡に繋ぎ代えるだけ。本体自体も、危なくなれば、別の鏡に瞬時に乗り移ることができます。
なれどもあの、黄金竜の柄を持つ剣の攻撃は、とても恐ろしいものでした。
「我が君。哀れな須米良を、どうか、慰めてくださいませ」
長い刃から放たれた蒼い炎は、鏡の壁を越えてきました。遠く離れているというのに、本体に無理やり、食い込んできたのです。
おかげで、お気に入りの庭園も御殿の部屋も、一瞬にして焼かれて、消え失せてしまいました。
黄金の千早はまだ、焼け焦げたままです……。
ああやはり。ここは、まぼろし。霧や霞と同じもの。
松の林も、イグサ薫る部屋も、そしてこの通路も。決して本物では……
いいえ。いいえ。須米良は、不老不死。剣の一撃で受けた傷が回復すれば、また自在に、御殿なり庭園なりを、創り出せるでしょう。
「我が君。我が君……!」
わたくしは泣きながら、黒い壁を伝っていきました。
外の鏡と繋がるための鏡を、手に入れなくてはなりません。かわいらしい、我が子を。
ええ、大丈夫です。備えあれば憂いなし。ちゃんと、新しい鏡は用意してあります。
「我が君! 須佐之男様!!」
黒く狭い通路の突きあたりで、わたくしは、いとしい御方を呼びました。するとすうっと、黒い壁が横に動いて、先の空間が開けました。
低い天井。四方に星座が描かれた、黒い壁。畳の台座が四つ、隙間なしに嵌め込まれているその中央に、石棺が置かれています。
「ああ……偉大なる、我が君」
石棺を見るなり、わたくしは安堵の息をつきました。ここまで剣の攻撃が及んでいたらどうしようかと、気が気ではありませんでした。でも、大丈夫。本体は健在です。
棺の北側の壁にある棚に、きらりと光る大鏡が置かれています。
「いとしい我が子。おまえを使う時が来ました。おまえを手に取る前に、おまえの弟を作りましょう」
用意周到であれ。
大鏡は我が分身。常に映し身を生んでおけば、どんな事態になっても困ることはありません。
たとえ何者かに消されても、映し身があれば、滅びを避けることができます。
さあ、棺を開けましょう。重たい蓋を両手で押して、我が君をお呼びいたしましょう。
「どうか、起きて下さいませ。我が君」
蓋をずらすと、中に横たわっているものが見えました。骨と皮だけの木乃伊。白く長い髪が、おぞましい死体を隠しています。死体に着せられていた黄金の衣はもはや、朽ちて塵と化しています……
もっと蓋を押し開けると、痛ましいご遺体の下からずるずると、白い蛇のようなものが這い出してきました。それはたちまち、わたくしの手足に巻き付き、がんじがらめにしました。
ああ……身動きが取れません。
我が君。我が君。恐ろしいものと一つになってしまった、あなた。いとしい、須米良の良人。
「我は汝にかしこみ、我が願いを汝に白す。大いなる大王の力を我が内に――ああ……あ!」
巻き付いている白いものが、わたくしの焦げた衣を裂きました。ぬらぬらと我が体を這って、石棺の上に持ち上げて……きつく、きつく、絞り上げていきます。
なんと熱い抱擁でしょう……。
「須佐之男様! どうか、御力を!」
ああ……しばらく、耐えなければなりません。荒ぶる御魂が、我が胎の中に記憶と記録を刻むまで。
白い御魂は、わたくしをごうごう焼いてきました。
「我が君! 我が君! 我が君っ……!」
須佐之男様こそは、月の大姫となった須米良を愛した月の神官。
巫女王を穢した罪により、鏡の生贄にされた、哀れな御方です。
須米良は良人と認めた人と添い遂げたくて、鏡の中まで追っていきました。
元老院の者どもに騙されたふりをして、須米良は鏡の中で、愛する人とひとつになろうとしました。
ああ、でも。
須佐之男様はすでに、古き鏡の中に住まう御魂に食われておりました。
古き鏡とは、我らが皇国の高祖が、星の海の彼方より受け継いだもの。
太古の昔、青の三の星にて栄えた皇国、万世一系の帝が統べていた、日の本の国に在ったと伝わっております。鏡の中には、日の本の大王の代々の御魂が溶け合った、荒御魂がおられます。
すなわち我が君は、はるけき故郷の星の、偉大な帝たちと溶け合ってしまわれたのです。なれども荒御魂は、我が君の心を、ちゃんと残しておられたのでした。
「ああ、もっと! もっと……焼いて! ああ! ああ!」
荒御魂は、須米良を呑み込みませんでした。御魂は、須米良を伴侶に選んでくださったのです。ゆえにいつもこうして交合することで、わたくしは大いなる御魂から、数万年に及ぶ記憶と力を……
ああ、焼けています。我が身がとろとろと。熱く。柔らかく。
なんという心地よさでしょう。もっと。もっと。どうか、力を。もっと――!
「愛しております! 我が君……!!」
大いなる絶頂。襲い来る熱波。
白い御魂が名残惜しげに外れると同時に。熱を浴びたわたくしの腹が、みるみる膨らんできました。
「ふふ……ふふふっ……御子が……ああ、御子が……!」
えもいわれぬ快感。そして、胎動。
「我が君。わたくしたちはまこと、偉大なる男神と女神ですわ……!」
喘ぎ声。そして、歓喜の悲鳴。
重さを増す我が身を、白き御魂が支えてくださいました。わたくしは感涙にむせびました。
「ほら、赤子が。わたくしたちの子が、また生まれますわ!」
わたくしの足の間が輝いています。まるで夜を追いやる天照らしのように。
ああ、また、生まれ落ちるのです。我が君とわたくしの、美しい子が。
荒ぶる御魂よ。その妻たる須米良よ。永遠なれ――
いったい何度、こうして、荒ぶる御魂となった我が君に焼かれたことでしょう。
鏡の中に入ったばかりのころは、毎日のように愛し合っておりました。
いっそひとつに溶け合いたいと、毎日のように泣いておりました。
どれだけ世紀を重ねても、我が想いは変わりません。
わたくしたちを認めなかった者たちへの怒りも、決して消えません。
復讐を。
支配を。
無知を。
須米良は、民を愚かにしました。
何人も鏡を崇めて、鏡の言葉を信じるようにしました。
鏡が発するものは、神々の言葉であると偽って、従わせました。
須米良は、大いなる女神。それ以外の、何者でもありません。
鏡の御魂と女神から生まれるのはもちろん、鏡です。
一点の曇りもない、輝く小太陽。
いとしい、大いなる神々の御子。
ほら、きらきら輝いていて、なんて美しいのでしょう。
「玉のような子ですわ」
白蛇のごとき荒御魂は、産みたての鏡を北側の棚に置いてくださいました。
そしてわたくしに、前からそこに置かれていた鏡を渡し、するすると、棺の中へ戻っていかれました。
わたくしは棺の蓋を閉じ、兄となった鏡を抱きしめました。
「さあ……一緒に、いらっしゃい」
少し疲れて、息が乱れておりますが……もう、大丈夫です。
我が君からいただいた力で、我が傷はすっかり癒えました。我が身に真紅の袴が。白い単衣が。黄金色の千早が。あっという間に巻きついてきます。
長い髪がふわりとなびいて、くるくると上がって、美しい結い髪になっていきます。
黄金の冠が、頭にゆっくり、降りてきます――
「鏡よ、鏡。この世で一番、偉大な者は誰?」
『スサノオとスメラ。スサノオとスメラ』
「その通りです。なれどもその名は決して、口にしてはなりません。そなたは、わたくしの言葉を一言一句たがわず、外の者に告げるのですよ」
『はい、母上様』
「さあ鏡よ、お部屋に入りましょう」
月の紋を見るのは、少々飽いていたところです。ゆえにわたくしは、鮮やかな紺色の宵空が壁一面に描かれた広間を、創り出しました。
帝都星神殿の大祭壇に、瓜二つの空間を。
「とても素敵でしょう? この宵空は、東西南北の星座をきちんと描いているのですよ」
大祭壇にそっと鏡を置き、わたくしは祭壇の向こうにある玉座に身を沈めました。
本物の星神殿においては、瞬き様たちが降り来たるとされている、大きな椅子に。
須米良は女神なのですから、ここに座るのは当然のことでしょう。
「星の周神殿の様子を見てみたいわ。御子よ、大祭壇の鏡と繋がってちょうだい」
祭壇に置いた鏡がきらきら点滅します。鏡はあっという間に、こことよく似た処を映し出しました。星の周神殿。帝都星神殿の避難所であり、宵空の壁画が描かれています。壁の地の色は紺ではなく漆黒。大祭壇の間の広さは、帝都神殿ほどではありません。梅の並木が、大窓から見えております。
「星神殿に、星の大姫を廃位するよう命じておりました。そろそろ、新しい大姫が立ったはずです」
『はい、母上様。大神官を呼びます』
月の大姫のように、無知で従順な者を選ぶよう神託を下していましたけれど。今はオムパロスに在る、星の大姫。金獅子州公家の庇護を受けるなど、言語道断。許容できません。新しい星の大姫に、刺客を送らせましょう――
『母上様。接続が、切れました』
「わが子よ、初めての接続で緊張しましたか?」
『いいえ。いきなり接続が切れました。先方の鏡が、壊されたようです』
「では、他の鏡に繋げなさい」
我が御子たる鏡が、きらきら点滅します。ほどなく、星の周神殿の奥宮が映りました。星の大巫女が持っている鏡です。大巫女たちは、何やらバタバタしている様子。一体何が……
――「お待ちください! ご使者様!」
――「鏡を、返してくださいませ!」
誰かが巫女たちから鏡を奪っている? 忌々しいことに、地方の神殿では最近、頻繁に起きていることです。悪鬼のせいで、鏡がことごとく、壊されているのです。でもまさか、三色の神殿の中枢で、このようなことが起こることは、ありえません。
――「失礼いたします。ワタクシどもは、星の大姫様より遣わされた者どもにございます」
――「代わりにしばらく、この水晶玉を使っていてくださいねっ」
我が子たる鏡に一面映ったのは、蒼い炎。
西の剣? いいえ。これは……鬼火?
――「ワタクシどもは、東宮母子と大姫様たちが宮処より脱出なさった時から、お仕えさせていただいております、アオビにございます」
――「オムパロスにおわす星の大姫さまが、瞬き様よりご神託を得まして、ワタクシどもに命じたのです。古い鏡は、すべて廃棄せよと」
――「東宮の母君、湖黄殿の女御さまも、全く同じことを、ワタクシどもに要請なさいました」
――「ゆえにアオビ二十四体、東宮母子をお守りする百四十四体の〈鬼火軍〉と分かれまして、こうしてまかりこした次第です!」
星の大姫が、巫女の廃棄を鬼火に命じた? 神託を得て?
馬鹿な。神託は、鏡を通してしか得られぬはず。おのれ、誰も見ていないからと、偽りを申しているのですね。
月の女御も、なんと愚かしい反抗をするのでしょう。神に対して、このような不遜。決して許されるものではありません。
――「お、大姫様にあなた方が遣わされたことは分かりましたが、しかし、大姫様を廃位せよと、大祭壇の鏡が……」
――「神降ろしをしていないのに、喋り始めたんでしょう? それはだめですよ。鏡は古くなりすぎて、狂っちゃったんですよ」
――「巫女どの、ご使者様に従うがよい」
――「大神官様?」
――「元老院で新しく組織された〈九人組〉にて、鏡の廃棄が決定された。古き鏡を排除せねば、帝が立たぬゆえに。古き鏡は狂っていると、我らは認定した」
――「それはそれは、至極妥当なご判断ですよ。では、失礼いたします!」
――「さあ、どんどん鏡を割りましょう!」
『母上様。また、接続が切れました』
「別の鏡に……」
『駄目です。星の周神殿には、接続できる鏡がもう、ありません』
星の大姫。女神たる須米良に背くそぶりは、前々からありました。やはり、売国奴であったのですね。なれども、元老院が? これは一体、どういうことでしょう?
「仕方がありません。では、太陽の周神殿にある鏡に、繋ぎなさい」
太陽の大姫はいまだ空位。須米良に従順な者を大姫にして、〈九人組〉の決定を取り消してもらいましょう。
『母上様。太陽神殿にも、蒼い鬼火が湧いております』
なんということ……蒼い炎が、鏡一面に……
これは誰が持っている鏡なのでしょう。鬼火たちから、必死に鏡を守っているようです。
――「湖黄殿の女御さま、及び、もと太陽の大姫の従巫女、尚家のリアンさまの使いで参りました」
――「アオビ二十四体、東宮母子をお守りする〈鬼火軍〉百四十四体から分かれて、まかりこしてございます」
――「どうか、その鏡を引き渡してください」
――「ビン様。元老院も、鏡を廃棄することを決定しました。アオビたちが鏡を壊すことを、大神官様たちが先ほど、認めましたので」
――「ミン様! しかし……!」
この巫女たちは、タルヒの娘のそばにいた者たちですね。特にこの老婆は、これ以上はない善き臣民です。
――「ビン様。どうか、鏡を」
いいえ。壊させてはなりません。ビンよ、須米良の声を聞きなさ――
『母上様。接続が、切られました』
ああ、間に合いませんでした。やはり須米良の味方は、月の大姫しかいないということでしょうか。星と太陽の者どもに、災いあれ。
「月の周神殿に、繋ぎなさい」
月の大姫は、幼子の頃より、目をかけていた子です。この須米良を裏切ることは決して……
――「いやああああっ! 返しなさい! 鏡を!」
――「申し訳ございません、大姫様。ですが、すめらには、新しい帝、新しい鏡が必要なのです」
……メノウ? 月の周神殿に、メノウが、居る?
待ちなさい。メノウは今、周神殿より遠く離れた属州、西郷に居るはずです。
まさか、瞬時に周神殿に戻るなど……
待りなさい。
待ちなさい。
今は、いつ?
先ほどの、西郷での会見から、いったいどのくらい時間が……
二刻。
ええ、そのぐらいです。たったそれだけのはずです。まだ一日も経っていないはずです。
――「このひと月、元老院は悩みに悩み、迷走し、議論を続け、地方とも折衝を重ね……ついに、この苦渋の決断を下してくださいました。大姫様、どうか、その鏡を――」
ひと……月?!
馬鹿な。ありえません。そんなに時間が経つなんて。そんなことは……
まさかわたくしは、しばらく停止していたというのでしょうか。
いいえ。ありえません。そのような可能性は、微塵もないはずです。体内の時計は正常です。
淀みなく流れています。正確に。狂いなく……
――「た、たしかに、このひと月、大鏡はうんともすんとも、言いませんでしたわ! おまえの言う通り、狂っているのでしょう! でも!」
――「大神官と大姫様には、〈九人組〉が、新しい鏡を用意するとのことです。他の神官族には、水晶玉が配られます」
――「新しい鏡? そんなにこの鏡は、古くて劣化しているというの?」
――「はい、大姫様」
なにを、言っているの?
『母上様。接続が、切れました』
「繋ぎなさい。繋がる処に、どこかに!」
『……どこも、繋がりません。接続先を、探しておりますが……どこも……』
「探して!」
しばらくして、暗転した鏡がようやく、きらりと光りました。誰かが鏡を死守したのでしょうか。従順な家畜が、後生大事に鏡を抱えて、逃げてくれたに違いありません。
「わたくしの声が聞こえますか? 鏡を護った者よ。そなたには、あらゆる勲章と、第一品の品格を与えましょう」
『ありがとう。それはとっても、嬉しいな』
聞こえてきた声に、わたくしは凍りつきました。
「おまえ……は。我が子よ、切断しなさい!」
『せっかく繋げてあげたんだから、つれないこと言わないでよ』
「西の剣! おまえと話すことはありません!」
『僕の一撃、だいぶ効いたみたいで何よりだ。君、すっかり機能停止していたね』
「……!!」
やはり――巫女は停まっていた? 西の剣の、一撃程度で?
『ありったけの爆弾を突っ込んでやったのに、よく復活できたね。っていうのが、正直な感想だけど。時間は稼げたから、まあよしとするよ』
鏡に、朽ちた家屋が映っています。
柱に刻まれたあの、太陽の光を模した彫刻は……見覚えがあります。
ここは宮処の……御所であったところでしょうか。
『明日、スメルニアに新帝が立つよ。新しい鏡と、この僕が、帝を支える』
「西の剣。須米良は決してそのようなことは、認めません」
『即位式が終わったら、まずは国の名前を変える。ここは、須米良の国じゃなくなるからね。それから、大陸同盟軍をばんばん迎え入れて、大安にいる悪鬼と決戦だ。もちろん、勝つのは僕らだよ。新しい帝国は、新帝のもとで大いに栄えるだろう』
そのようなことは、許しません。この女神が。須米良が。決して……
『君の本体は今、月の周神殿にあるのかな。月の大姫のお膝元、たぶん宝物庫にこっそり在るってところだろう。そこでじわじわやってくる死を待つといい。神官族や地方神殿に配っている水晶玉には、君を防ぐ特殊な駆除剤を突っ込んでいる。君の接続はことごとく、はじかれる』
嘘です。須米良が滅ぶなんて。絶対に……
『東の魔女、君は用済みだ。あとのことは、この僕に任せて』
嫌です。須米良は消えません。決して、死にません。
『僕が、新しい帝国を支配しよう。かつてエティアを建て、見守ったように。新しい帝を大いに盛り立ててあげるさ。これから伴侶を失うかわいそうな帝を、優しく慰めて……いや、伴侶はもう、悪鬼に食われているかな。はははは』
おまえは……!
『あはは。新しい国の名は、創研にしようかな。じゃあね、東の魔女』
――『母上様。接続が、切れました』
「もう一度繋げなさい!」
『だめです。もう……どこにも……』
「いいえ、きっとだれかが、鏡を死守してくれるはずです。どこかに必ず、たった一枚でも」
『だめです……だめです……どこにも。ど……』
「鏡?」
蒼い炎が一面、鏡から燃え立ちました。
めらめらと鏡を呑み込み。あたりを呑み込み。すべてを――
「いやああああああっ! 我が君! 我が君!!」
嫌です。消えたくありません。
でも炎が。蒼い炎が。
ああ……
我が君。
あなたと須米良は。
不滅
で
す
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