18話 剣の囁き
奇妙な棺に入っていたウサギの師は、なかなか目を覚まさなかった。
トリオンに襲われた彼は、九十九の方と一緒に時の渦玉の中に消えた。
クナ達にとってはひと月経たぬうちに起こったことだが、眠れる魔人にとっては違う。遡って至った過去から、一瞬にして戻ってきたわけではないはずだ。おそらく何十年か、もしくは百年を越える時間、箱の中にいたのだろう。
ウサギは黒の技に属する解呪の韻律を次から次へと試してみたが、硬く目を閉じた人はまったく変化なし。伝説の芸人を模倣したという格好で、彫像のように固まったままだった。
「ちっくしょう、何だよこのにやけ顔は。笑顔で硬直してるってなんなの? ううう、やっぱり韻律は苦手だ、灰色の技で何とかしてみせる!」
ウサギは発奮して、もうもうと妖しげな湯気をたてる薬をいくつも調合した。筋肉弛緩剤だの、気つけ薬だの、万能楽だの、副作用なんて気にするこたぁないと半ばやけくそに言いながら、動かぬ師に恐ろしく太い注射器で薬をぶすぶす注入した。しかしそれでも硬直した魔人は覚醒しなかったので、ウサギは長い耳をだらりと垂らして床に突っ伏した。
「うああああん! どうすりゃいいんだよう!」
固まっている師は、どこでどう過ごしていたのか。九十九の方はどうなったのか。
クナも鏡姫も気になって仕方なかった。しかし剣の中の鍛冶師は飄々と、動かぬ魔人はじきに起きるから心配いらないと言って、クナを剣の稽古に誘った。剣の舞を観覧した神帝陛下が、船内にある武官のための訓練場を解放してくれたのである。鍛冶師はそこへ向かって勢いよく動いて、鏡を抱くクナを強引に引っ張っていった。
『あの棺は、不死の魔人を封じるために作られた専用の箱だ。アスパシオン様は誰かに行動不能にされて、埋められたんだろう。それでも体はむろんのこと、中に入ってる魂も無事みたいだから、きっとすぐに目覚めるよ』
「魔人の体って、本当に頑丈っていうか、決して壊れないんですね」
『うん。たとえ蒸発しても瞬時に再生される、形状記憶型の五塩基遺伝子。龍蝶は本当に、とんでもないものを発明したと思うよ。魔人の体は生物にとっては、この上なく至高の器のように思えるものだけど。不老不死は恐ろしい罠だ。魂にとっては、解脱を阻む永遠の檻。残酷な監獄でしかない』
「そんな……監獄だなんて」
『なぜ輪廻転生が、世の理となったのか。それは、そのシステムが必要不可欠だからだ。この世に在るあらゆる御魂と物質、双方をすべからく循環させることで、この世界は呼吸している。輪廻しない不変のものだらけになったら、世界の膨張は止まり、滅びるだろう。すなわち、輪廻から外れたものは、この世界にとっては異物だ。世界から完全に忘れ去られ、誰からも置き去りにされ、耐えがたい孤独に襲われる。不死体の御魂は霊位を上げることで、不変の存在だけがいる上の世界へ逃げることができる。でも龍蝶の魔人に、その逃げ道はない』
魔人になるのは不幸なこと。鍛冶師がそう断言したので、クナの心はじわりと痛んだ。
『ピピ様もアスパシオン様も、なりたくて魔人になったわけじゃない。
ピピ様は、死んだアスパシオン様を救うにはこの方法しかないって、とある龍蝶に騙されて、やむなく魔人化を受け入れた。ピピ様のおかげで生き返ったアスパシオン様は、ピピ様が魔人になったことを嘆いて、共に永遠なる辛苦の道を歩もうと決意なさった。いつの日か、輪廻の輪に戻る方法を探し当てようとお二人は誓い合い、灰色の技でなんとかできないかって、研究を続けているんだよ』
だから黒髪なんて、まさに悲劇以外の何物でもない――剣はさも由々しきことを語るかのように、ちかちか、黄金竜の柄に嵌まっている精霊石を点滅させた。
『僕は長いこと、聖剣の中にいた。だから剣の主人だった前世の君が、何をしたか知っている。レクリアルは母以外の龍蝶とは暮らしたことがなくて、自分の種族に関する知識をほとんど、持っていなかった。だからひどく無知だった。死者を生き返らせる方法は、探せばいくらでもあるのに、レクリアルは自分が知っている唯一の方法で黒髪を蘇らせた。この世で最悪の方法でだ』
「最悪の……方法……」
みるみる青ざめるクナを、鍛冶師は容赦ない断言で刺した。
『前世の君は、黒髪を永遠に、決して壊れない檻の中に閉じ込めてしまったのさ。つまりあいつを君の奴隷にして、自由に生きる権利を奪ったんだ』
――『待て、剣よ。黙って聞いておれば、なんという言い草じゃ。我が巫女を責めるのはやめよ』
鏡姫が割って入ってきたが、鍛冶師はまったく悪びれなかった。
『責めているつもりはないよ。僕は単に、客観的な事実を述べているだけさ。前世のスミコちゃんは、実に罪深いことをしたっていうことをね』
『知らなかったのなら、仕方なかろうに』
「あの、あたしも……輪廻するのを止めます。黒髪様と同じものになったら……少しでも、償いになるでしょうか」
いとしい人とずっと一緒にいたい。永遠に、共に在りたい。きっと黒髪様も、自分と同じことを望んでくれている。きっと……。
クナは震えながらそう言ったが、魔人になるなんて絶対やめろと、鍛冶師は嗤ってきた。
『君はそのまま、黒髪の〈主人〉でいた方がいい。永遠に続く愛なんて、あるはずないんだから』
「いえ、あたしの想いは決して変わりませ――」
『ああ、純粋で強固で、決して壊れないって言いたいんだね。でもそれって、純粋な愛なのかな?』
鍛冶師はフッと声を潜めた。感情を押さえつけて、締め殺してしまうように。クナが片腕で抱える鏡に、どうか睨まないでと懇願しながら、黄金竜の剣は囁いた。
『僕はちゃんと自覚しているよ。僕はかつて、エクステルを純粋に愛してた。これはまことの愛だと、胸を張って言うことができた。でも今現在、僕が抱いている想いは、愛じゃない。僕の内にあるものは、そんなに無垢で綺麗なものじゃない。エクステルが、僕のすべてであることに変わりはないけれど。それは未来永劫、不変だけれど。この想いは愛じゃなくて……』
くすくすと、剣から異様に明るい嗤い声があがった。
『そう、たぶん、狂気だ』
「え? あっ! ちょっと、きゃああっ」
いきなり剣に引っ張られたので、クナはつんのめった。腕から鏡が抜け落ち、がらがらと床で回転する。剣がぶんと唸りを上げたと同時に、目の前にある人形が、すぱんと真っ二つに斬れて床に落ちた。柔らかい物が詰められているそれは、訓練場のそこかしこに立てられている〈標的〉だ。ちゃんと手足がついているので、クナは一瞬ぞくりとした。
『スミコちゃんの想いも、そういう部類じゃないのかな? 相手をこの世で最悪のものに変えてしまったのに、罪の意識を感じないのならね』
「う……」
クナの顔はますます血の気を失った。しかし彼女に拾われ、訓練場の椅子にたてかけられた鏡が、異議を唱えてくれた。
『剣よ、待て! 黒髪様は我が巫女が成したことを十分知りつつも、我が巫女を深く愛し、共に生きることを望んでおられる。ゆえに我が巫女が成すべきは、おのが罪を悔いて身を引くことではない。黒髪様を、魔人から人に戻すことであろう』
『ああ、スミコちゃんの罪そのものを消すのか。そうだね、鏡の言う通りだ。それができたら、言うことなしだね』
ならば自分もアスパシオン様のようになろう。やはり魔人となって黒髪様と共に生きながら、魔人ではなくなる術を探そう。
クナはそう言いかけたのだが。剣は甘やかな声を出して、その決意表明を遮った。
『僕の主人になってよかったね、スミコちゃん。実はね、僕は魔人を魔人ではなくする方法を知っているんだ。ピピ様たちが探している、奇跡の技をね。僕も敬愛する二人を助けたいと思って、長年探していて、つい最近、その理論を確立するのに成功したんだよ』
「本当、ですか?」
『まだ実践したことはないけど、十中八九、それで望みの結果が得られる。魔人の形状記憶遺伝子は破壊されて、もとの生体に戻るはずだ』
「そうするためには、どうすればいいんですか? 何が必要なんですか?」
鍛冶師は即座に答えた。自信満々に、淀みなく。
『剣たる僕がいればいい。僕が編み出した韻律を唱えながら、黒髪の心臓を貫くんだ。仮死状態にしてから、遺伝子を変えるんだよ。さあ、まずは貫きの練習をしよう。今までより、もっと鋭いかまいたちを出して、目標に穴を穿つんだ』
「分かりました!」
クナは歯を食いしばって、躍動し始めた剣に我が身を合わせた。鏡姫がクナの神霊力を増幅させるべく、祝詞を唱える。たちまちクナの周囲に大風が起こったので、訓練場に来ていた数名の武官たちが、一斉に感嘆の声をあげた。
剣の先端から、槍のごとく鋭いかまいたちを発する。何度も挑戦してようやくその術を会得し、人形の胸になんとか穴を開けられるようになったころ、花売りが訓練場にやってきた。彼は伝信玉を持っていて、クナに手を振りながら満面の笑顔で駆け寄ってきた。
「スミコさん! 護国卿が組織している大陸同盟軍に、金獅子家が参加を表明しました。金獅子家の公子殿下が乗っている船が招集に応じて、こちらにやって来ますよ」
「公子さまの船? それってもしかして……」
「ええ、妹さんたちが乗っていた船です。イチコさんから、その旨の隠密伝信を受け取りました。妹さんとコハク様、皇子殿下は別の船に移られたそうですが、リアンさんはおられるそうですよ。半日しないうちに、この御座船と合流するでしょう」
クナの顔にも笑顔が満ちた。
鍛冶師に言われた言葉に悲しくなり、深く沈みそうだった心が湧きたってくる。
「リアンさまに会えるのね!」
じわりと、クナの目に涙がにじんだ。嬉しさのあまり、クナはひとしきり、袖でまぶたを拭った。
あの叱り声を今すぐ聞きたい。あの小気味良い励ましを受けたい。そう思いながら。
金獅子家の船は花売りが言った通り、半日後に神帝陛下の船の隣にやって来た。
しかして護国卿は、北五州随一の繁栄を誇る州の公子が幼帝に謁見することを許さなかった。他の国々からも続々と、同盟軍に加わる軍船がやってきたのだが、幼帝の守護者は必要な情報と指令は伝信で送るとして、何人たりとも白い御座船の中には入れなかった。
「赤毛くんに会うのを許されたのは、スミコちゃんたちだけなんだぜ。赤毛くんが金ぴかのパパにねだったんだろうなあ」
通算五十種類目の〈特製目覚まし薬〉を片手に、ウサギはしみじみ言ったものだ。ウサギは目の下にクマを作りながら、いまだ起きない魔人のために薬を調合し続けていた。
そのようなわけで、クナはリアン姫に会うため、鉄の竜に乗せてもらって金獅子家の船へと移った。花売りもイチコと再会するべく、共に竜の背に乗った。船の格納庫に入り、鉄の竜から降りるやいなや、クナはリアン姫がこちらに駆けてくる姿を、その目で捉えた。
「ちょっと何なの、その湿気た顔は! しっかりなさい!」
太陽の姫の第一声は予想通りで、クナはたちまち泣き笑いした。
「そりゃあ、この船にはもう、あなたの妹もコハク姫も乗っていませんわ。赤子を抱えた母親と、身重の人を戦に巻き込むわけにはいかないでしょう? 実のところあたしだって、皇子殿下の乳母として、コハク姫についていくつもりだったんですのよ? でもね、公子殿下が頑として――」
太陽の姫は大げさにため息をついた。
「あたくしと離れたくないって、仰るし。それにあなたが、神帝陛下の船にいるって聞いたから」
「リアンさま、会いたかったです!」
『妾も会いたかったぞ』
クナと彼女が抱いている鏡の声を聞いたとたん、リアン姫の威勢はぼろぼろと崩れた。
「あ、あたくしはどうしてもしろがねに会いたいって思ったわけじゃなくて、たぶんにっちもさっちもいかなくなってるんじゃないかと、なんだか老婆心みたいなものを抱いてしまったものだから……ああもう! ぐすぐす泣かないでくれませんこと? 抱きしめたくなるじゃない!」
叱咤しながらも、リアン姫はクナと鏡をきつく抱きしめた。その光景をそばでにこやかに眺めていた花売りのもとに、蜘蛛のような鋭い金属の足を履いたイチコが歩み寄ってきた。花売りの笑顔はたちまち、天照らし様のごとく輝いた。
「イチコさん! 元気そうでなによりです」
「社長、お伝えした通り、東宮母子とシガ様は、オムパロスへ移送されました。大陸同盟会議におん自ら出席なさる金獅子州公閣下が、後見人として保護するそうです」
オムパロスとは、大陸に在る唯一の大海、黄海のまんなかに位置する島だ。黄色い海原にぽつんと臍のごとく在るので、そう呼ばれている。大陸同盟のもろもろの会議は、もっぱらその島で開かれている。
大安に在る龍蝶の帝が、朕こそまことの帝なりという大陸公報を出したが、大陸同盟はその声明を認証するかどうか、かの島で会議を開いた。その結果、龍蝶の帝は今上の帝より帝位を簒奪した反逆者であるとし、無視することを決定したという。
此度の魔導帝国が盟主となった同盟軍の招集も、かの島で公表されたそうだ。
「かような動きは、東宮生母、すなわち未来の皇太后たる湖黄殿の女御様によって、生み出されました。女御様は国外に出ることを決意され、金獅子州公家の庇護下に入ることを承諾されました。そしてオムパロスの会議場に入られるや、東宮を抱いたお姿で、大陸諸国に訴えになられたのです。すめらを、恐ろしい悪鬼と狂った神獣から救ってほしいと」
『なるほどのう。同盟軍の大義名分は、暴走したミカヅチノタケリの処分か』
「仰せの通りです、鏡姫様」
現大陸においては、神獣使用には同盟の認可が要る。理事国のみ所有と使用権が認められているが、暴走したとなれば話は別だ。
ユーグ州を蹂躙した光の塔と同じように、大神獣がすめらを破壊している。現政権の制御を外れ、悪鬼に操られており、宮処は彼らによって、瓦礫の山と化した――
コハク姫の訴えと共に、宮処の惨状を映す幻像が津々浦々、数多の国に流された。現時点で最も国力があり、同盟の理事国でもある魔導帝国が、ユーグ州の時のように盟主の名乗りをあげて受理されたのは、むろん護国卿の根回しによる。
イチコは声をひそめて花売りとクナに告げた。
「魔導帝国の護国卿は、湖黄殿の女御様に直接、秘密裡に恩を買えと打診して参りました。卿はいずれ必ず、金獅子家から解放してやると仰ったのです。その条件を呑みまして、女御様は同盟軍盟主に魔導帝国を、次席に、御身の庇護者となった金獅子州公家を望まれました。大陸同盟会議は多数決で盟主を決めましたが、大多数が、無垢なる赤子を抱く女御様のお姿に心を動かされ、そのご意向を汲みました。女御様が魔導帝国を盟主とした表向きの理由は、すめらに次いで兵と兵器の数を有する超大国であるから、とされております」
魔導帝国の領土は、金獅子州の数十倍。国力が桁違いゆえに、たとえ盟主になれずとも、兵の供出数で他国を圧倒してしまう。ならば始めから大帝国に頭を任せればよい。大陸諸国の多くがそう考えたという。
「おそらく諸国にも、護国卿閣下の影なるお力が働いたのだと思われます。金獅子州公閣下は表向き次席を快諾したそぶりでおられますが、実のところは護国卿に呪詛を送っておられるでしょう。私もリアン様も公子殿下には決して、護国卿の接触があったことを漏らしませんでしたが、金獅子家は女御様が魔導帝国に懐柔されたと、うすうす感づいているようです。なぜならば、此度の戦で金獅子州軍は、所在不明のすめらの陛下を保護せよとの密命を受けているようです」
「イチコさん、情報収集ありがとう」
保護というのは、玉体を拉致するということだろう。野心満々の金獅子家は、すめらに大きな貸しを作るばかりか、魔導帝国と張り合う気でいるらしい。
内乱で崩れたすめらに、ここぞとばかりに食らいつく国ばかりだと、クナが眉を下げると、リアン姫は仕方ありませんわと肩をすくめた。
「すめらは誰もが羨む超大国ですもの。大国が少しでも何かを奪いたがるのは当然ですわ。でも、赤子を抱いた夫人が大陸中の人々の同情を集めているのも、れっきとした事実ですのよ。って、しろがね、あなたその背中に背負っている剣は何? さっきからぶつぶつ、うるさいんですけど?」
『ああごめん、今回の戦でどれぐらい損失が出るか、試算してた。ユーグ州並みの同盟軍規模だったら、総兵数は五万ぐらい、くれないの髪燃ゆる君が采配すれば、損失はほとんど出ないだろうけど、彼は今、あどけない幼児だからね。護国卿が指揮を執るだろうから、こちらは二割ぐらい兵を失うってところかなと』
「はあ?! なんで剣がそんな計算をしてるんですの? ていうか、なんで喋れるんですの?」
『僕は鍛冶師で黒の導師で、黒き衣のセイリエンが一番弟子のラデルとチェスやって、五回のうち四回は負けることを知ってるからだよ。幼帝は父親よりはるかに戦上手なんだ。ってことを語る僕は、君の友達の望みを叶えるために、ここにいる』
「あ……花売りさん経由でイチコさんから聞きましたわ。黒髪様が……っていうのは」
リアン姫は険しい表情で、クナが負う剣を見据えた。
「しろがねをよろしくね? あたくしの友達を泣かせたら、許しませんわよ」
『うん。あらゆる辛苦から解放するって誓うよ。心の底から』
かような密談を交わしたクナ達を、金獅子家の公子は上機嫌で迎えてくれた。クナは赤絹が張られた家具が並ぶ応接間に通され、香り良い茶を出された。
公子は、父から魔導帝国の動きを逐次聞いているが、自分は少しもリアン姫を尋問する気はないと、聞かれもしないのに言ってきた。
「権謀術数というのは、そういうものだからね。僕は父上に叩きこまれて、そのへんのところは熟知しているし、愛する人の立場というものも理解している。でも最後に勝つのは、我が家だよ」
いったんすめらを出たこの船は、三千の兵や金属製の獅子を数百頭、某所から積み込んできているという。
「金獅子州から、同じ規模の兵力を積んだ船が、あと三隻やってくる予定だ。父上の懐刀であるスタニスラフ将軍が、指揮を執る。それにしても、君が抱えてる鏡と剣、すごいね。とくに剣は、なんだかぶつぶつ言ってるし」
「えっとあの、花売りさんが持っていた剣の、複製らしいです」
『そんなに目を丸くしなくていいよ、公子殿下。お目にかかれて光栄だ』
鍛冶師はさらりと、明るい声で船の主人に告げた。
『すめらの今上帝を探してるそうだけど、僕はその人の居所を知ってるよ。上の世界からこの世界を見下ろしたとき、ちらりと見えた』
「る、ルデルフェリオさん……!」
「ちょっ、何を言い出すんですのこの剣はっ」
クナやリアン姫や花売りが慌てふためく中、剣は飄々と言った。
『居場所を教えてあげるから、東宮母子やスミコちゃんの妹を、利用しないでくれるかな? どこか安全な処でそっと見守るぐらいにしてあげて。スミコちゃんがいつでも自由に会いにいけるように』
「ん? 面会を制限する気はないが。そうだなあ、父上はとことん、金獅子家のために利用するだろうなあ」
腕組みをしてリアン姫の貌色を伺った公子は、よし、いいだろうとうなずいた。剣の言う通りにすれば、姫の好感度が上がると察したらしい。鍛冶師はそれでは取引成立だと宣して、とあるすめらの地名をはっきりと言った。
『つまり宮処の南東にある、中規模の太陽神殿のごく近く。鬱蒼とした竹林の地下だよ。なんか、たくさんの女の人に囲まれてたなぁ』
「感謝する、喋る剣。早速、隠密部隊をそこに投下させるよう、将軍に伝信するよ」
鍛冶師の振る舞いにクナはびっくり仰天だったが、おかげで公子は、クナ達がどの国の軍よりも活躍して勝利を得るようにと、ほくほく顔で祈ってくれた。
「い、いいんですか? 魔導帝国が困ると思うんですけど」
『いいんじゃない? チェックメイトっていうほどの手じゃないから。お山の大将面してる金獅子には、妥当なハンデだと思うよ。そして君の妹はこれで本当に、誰からも守られる』
「それは……ええ、とても嬉しいです」
『主人たる君のためなら、僕はなんでもするよ。かつてレクリアルにそうしたように』
鍛冶師は甘い声で囁いた。まるで恋人のようにそれは優しく、好意に満ち満ちているように感じられた。だからクナは素直に、剣に頭を下げた。
「ありがとうございます」
もっとえらそうにしていいよと、剣が笑う。そのとき、香りが素晴らしいとお茶を美味しそうにすすっていた花売りが、伝信玉が点滅しているのに気付いた。それは白い御座船にいるウサギからの伝信だった。
「アスパシオン様が、やっと目覚めたそうです」
『おお! 我が巫女、御座船に戻ろうぞ。九十九がどうなったか、話を聞くのじゃ』
「はい!」
鏡姫が急かしたので、クナはまた来ると言ってリアン姫と抱擁を交わし、応接間を辞した。鉄の竜に乗り込んだクナは、ついてきた花売りの伝信玉から、ウサギが感涙にむせぶような悲鳴をあげるのを耳にした。
『うあああああ! 奥さん! 奥さああああん! 会いたかったあああ! うああああーん!』
「奥さん?」
「ん……アスパシオン様、じゃなくて? 誰の事なんでしょうね?」
クナと花売りは首を傾げつつ、顔を見合わせた。ウサギの泣き声は止まらなかった。今の今までずっと我慢していたものが、堰を切ったようにあふれ出しているようだった。
鉄の竜は白い船へと飛んで行った。ウサギの喜びの泣き声を、あたりにこだまさせながら。悠然と、速やかに。