16話 幼帝
びょうびょうと、燃えるような色の砂が舞う。
クナは体を縮めて強風に耐えた。顔にばちばち砂が当たって、ろくに目が開けない。抱きしめている鏡が、大丈夫かと様子を伺ってくる。
『異様な波動も魔法の気配も、妾にはまったく感知できなんだ。それなのに、二度も転移しておる。まったく、面妖極まりない現象じゃな』
あたりは一面、炎――いや、違う。真っ赤な砂。砂。砂の山だ。
燃えるような色合いの砂丘がえんえんと、地の果てまで続いている。砂を巻き上げながら吹きつけてくる風は、肌が焦げてしまいそうなほど熱い。本当に炎で炙られているかのようだ。
モエギと花売りが立て続けにそばに落ちてきたので、クナは安堵の息を吐いた。だが、どんなに待っても残る一人が転移してこなかった。
クナにとって一番大事な人。黒髪様だけは。
心配のあまり、クナの白い顔は次第に血の気を失っていった。
「まさか、ルデルフェリオさんの力が、尽きてしまったの? あたしたちを助けるために、ひどく無理をしたんじゃ……」
銀髪の鍛冶師が黒髪様に復讐を企んでいることなど、クナは知るよしもない。だから良人と同じく、鍛冶師のことも痛く心配になった。
モエギが足下の砂をすくって、じっと見つめる。赤色石英の割合が……などとつぶやいた彼女は、ここは〈赤の砂漠〉に違いないと断定した。おそらくここは、船で何日もかかる西南の国。黄海を越えたはるかな地の果て。すなわち、魔導帝国のただ中であるという。
「寺院からの移動といい、大安からといい、移動距離がはんぱじゃないわ。逃げられなくなった玉座の間から、出してもらうだけでよかったのに」
上の世界では、クナたちの世界はほんの小さな玉だった。だからルデルフェリオは、細やかな微調整ができなかったのかもしれないと、何も知らないクナたちはしごく好意的な解釈をした。
人里の近くに落とされているといいですねと、花売りが腕で目をかばいながら、周囲を見回した。
「赤の砂漠は、大陸の西南一帯に広がっています。おそろしく不毛に見えますが、魔導帝国は結構な数の都市を建設してますよ。人口数万の都市が、六十以上はあったかと。そのうちの十都市にサンテクフィオン社の出張所があります。でも救援船を出してもらうには、僕らが正確にどこにいるか報せないと……」
では任せてくれと、モエギが水晶玉を出した。
「おじいちゃんなら、私の伝信を受け取るだけで、私たちの位置を割り出してくれるわよ」
「ピピウサギさんが、あたしたちの居場所を?」
「そうよ、スミコちゃん。おじいちゃんはいくつかの浮島に、伝信波を受診して位置を割り出す〈大いなる目〉を設置しているの」
モエギがウサギの技師と連絡をつけて、数分経たぬうち。天照らし様がギラギラ輝く天から、銀色のペリカンがものすごい速さで降りてきた。どうやらウサギは、クナたちのかなり近くにいたらしい。砂丘に足を付けるや、ペリカンの背に乗っているウサギは転げ込むようにして、クナたちの眼前に駆けてきた。
「おーい、おまえらなんで、こんな所にいるんだよ!」
ウサギは大きなたんこぶができている頭を、もふもふと毛が生えた小さな手で押さえていた。曰く、白い御座船で仕事をしていたらいきなり、やたらと口達者な剣が落ちてきたという。
「その剣って、魔導帝国の宝物庫に封印されてたはずなんだけど。なぜか聖剣の魂の一部、つまり鍛冶師とその伴侶の魂が、入り込んでるんだよ。何がどうしてそうなったのか聞いたら、鍛冶師くんが、君らに上の世界に行けって脅されたって説明してきてさ。伴侶が人質にされかけたんで、隙を突いて二人で逃げ出して、スレイプニルの宝物庫にある剣に飛び込んだって言うんだわ。でもなんでいきなりオレの所に来たのか、それが皆目……」
「あの、ルデルフェリオさんはほんとに、上の世界に行ってくれたんですけど」
「なんだって?」
クナがウサギに詳しく事情を話すと、ウサギはみるみる顔を引きつらせた。水晶玉を取り出し、大陸中にいる赤毛の妖精たちに慌てて回線を繋げて、何か変わってしまったものはないか、今すぐ探せと伝えるやいなや。水晶玉の向こうから叫び声が聞こえてきた。
『おじいちゃん、窓の外を見てみたら、山の形が変わってます!』
「うわあやっぱり……」
「ええっ? 地形が変わっているんですか?!」
「スミコちゃんの説明通りなら、鍛冶師くんはスミコちゃんを助けただけでなく、上の世界からこの大陸を色々弄ったんじゃないかって思うんだわ。あいつ、そんなことはおくびにも出してないけど。たぶんエクステルを結界から出したのも、剣の中に引っ越したのも、神の力で成したんだろうな。
しっかしいきなり敵とタイマン勝負って、そりゃあ大変な目に遭ったなあ。そういえば当初の目的は果たせたの? 黒髪の力を封じた義眼は、無事封印できたの?」
寺院の地下に封じるはずだった義眼は、岩舞台にいたとき、クナの背負い袋に入っていた。よもやいきなり寺院から大安へ飛ばされるとは思わなかったので、いまだ袋の中に在る。
クナはつい先ほど帝に抗して、背負い袋からとっさに鏡姫を出したのだが。
『我が巫女よ、そなた、帝の目の前に、背負い袋を落として来たままじゃぞ』
「あ……! ど、どうしよう」
鏡姫に指摘されて我が身を確かめたクナは、おろおろと困り果てた。あろうことか、封じなければならない恐ろしいものを、恐ろしい者たちが居るところに置いてきてしまったらしい。
玉座の間にはまだ、黒髪様が残っている。帝に気づかれぬうちに、背負い袋を拾ってくれるだろうか? そして黒髪様は独りで、あそこから逃げることができるだろうか?
帝の中からなんとか外に出すことができた魂たちも、心配だ。自分たちの体の中に戻れても、あの状態ではまた、帝に食われてしまうのではないだろうか……
「あたし、何もかも失ってしまうかもしれない。黒髪様も。家族も。あたしの願いは、無茶な願いだったの?」
上の世界に行かなければ、家族が危機に瀕していることは分からなかった。クナは決して、あの時点では自分が知り得ないことを知ってしまった。
知れば、どうにかしたくなる。望んでしまう。人とは、そういう生き物だ。
ああでも、自分の分を越えた望みを抱いてしまったのかもしれない。
目に涙を浮かべ、鏡を抱いたまましゃがみ込んだクナに、ウサギは重苦しいため息をかけた。
「神の力なんて、土台、使うべきもんじゃないんだよ。そうしなければ、自分の意に沿わない運命が訪れるのだとしてもね。オレたちは自力でがむしゃらにがんばって、どうにでもできないって無力さを呪いながら、血の涙を流して苦しんで。足掻きながら、精一杯生きていくべきなんだ。だって神の力を使えば、思考停止しちゃって、成長も進化も止まっちまうし。相応の代償が要るんだぜ」
「代償……あ……世界を、好きに変える……ルデルフェリオさんがあたしからもらった代償は、それ? あたし、大陸を生け贄にしてしまったの?」
「ってことになるかなあ。今回の場合」
黒髪様は、ルデルフェリオが上の世界で勝手なことをしないよう警戒していた。見張っていなければ、こういうことになると読んでいたのだろう。でもクナは、ルデルフェリオが完全なる好意から願いを叶えてくれると信じてしまったのだった。
ウサギの水晶玉から、大陸中に散らばっている妖精たちの返信がぽろぽろと入ってくる。
『霊峰ビングロンムシューに、巨大なウサギの彫刻岩が出現しています! は、八頭身で、すさまじくシュールなウサギです!』
『オムパロス島の隣に突然、島が姿を現しました!』
『ファラディア東部の大平原に、青い薔薇が咲き乱れています!』
「ぶ。なんだよ八頭身のウサギって」
「あたし、何が何でもルデルフェリオさんと一緒に戻るべきだったのね」
鏡を抱えるクナは息ができなくなるほど青ざめたが、ウサギはいやはや、そんなに心配することもないだろうと苦笑した。
「誰かの命を奪うとか、生態系に致命的な改変を加えるとか、そんな悪さはしてないと思うよ。だって鍛冶師くんはオレの弟子だもん。オレはあいつの良心を信じてるし、スミコちゃんもそこは安心してくれていい。でもどうせなら、黒髪をここに連れてきて欲しかったよなあ」
「それは……できれば、そうあってほしかったけれど……黒髪様と離ればなれになったのは、安易に神の力に頼った罰なんだと思います」
クナは、じわじわ湿るまぶたを衣の袖で拭った。
「あたし、この世界にある力で、大安に戻ります。全力で、黒髪様と家族のもとへ急ぎます。帝を倒せなくても、なんとか大事な人と家族に再会できるよう、力いっぱいもがきます」
「うん、そうするといい。すめらに行く船は貸してあげるよ」
「お申し出はありがたいです。でもこれ以上、誰かに助けてもらうのは……」
「おいおい、スメルニアまで自力で走ってくつもり? 神の力は頼らない方がいいけど、仲間の力は大いに頼るべきだぜ。神には代償が必要だけど、仲間には、そんなものいらないんだからさ」
――『ピピちゃんのいうとおりだ』
突然、ウサギの水晶玉が激しくぴかぴか点滅した。玉から、あどけない子どもの声がする。ウサギは頭のたんこぶをさすりながら、じっと覗き込んだ。
『ぼくたちひとりひとりは、とてもよわい。でも、なかまどうしがてをとりあってたすけあえば、すごいちからをだせる。ふかのうをかのうにできる。ねえピピちゃん、そこにいるひとをつれてきて』
とたんにウサギは御意とつぶやき、クナたちに告げた。
「ごめん、まずは君らを、真っ白い船に運ぶわ」
白い船というのは、神帝と金獅子が乗っている船のことだろう。今そこでは、金の獅子が神帝の復活を待っている。邪魔になるのではとクナが首を傾げると、ウサギはいやいやそれがと、神妙な顔をした。
「工具を取りに帝都の工房に行って、白い船に戻ったら、くれないの髪燃ゆる君の魂の修復が完了してた。なぜか船の中だけ、時間がぎゅんぎゅん進むっていう怪現象が起きたんだわ。オレが作った異次元の欠片が船にひっついてて、けったいな反応を起こしたのかと思ったんだけどさ。もしかしたら……うん、あれもきっと、鍛冶師くんのしわざなんだろうなあ」
ウサギが説明する間に、ずどんずどんと、空から鉄の竜が三騎降りてきた。黒獅子の紋をつけた乗り手が、どうか乗ってくださいとクナたちを誘ってくる。
額に手をかざし、砂混じりの風から目をかばいながら、クナは空を見上げた。天照らし様が照らす空に雲はなく、さやかな色の天に、船が一隻浮かんでいた。
白い船は、煌々とまばゆく輝いていた。天を言祝ぐ、優美なる大鳥のように。
クナたちを乗せた鉄の竜は、翼を広げて飛び立ちて、神帝の船の腹部に進入した。
ペリカンに乗ってきたウサギが、先頭でぴょんぴょん跳ねながら、招かれし者たちを階上の広間へいざなった。
「船内で過ぎ去った時間は、金獅子の体感で、およそ三年ぐらいだったそうだ」
休暇のために降りた乗組員が帰ってこなかったり、補充人員が待てど暮らせどこなかったり、各所に伝信を打っても返信が返ってこなかったり。船内はいっとき大パニックになった。
異変にうすうす気づいた金獅子は、船を即刻、基地に着陸させた。乗組員は側近数名を除いてすべて降ろされ、ウサギは原因究明を命じられたのだという。
「外に出たらたちどころに、時流が違うって分かったわけだけど。異変現象はオレが工具とって戻ってくるまでに収まってくれた。側近たちは外に出てちらっと様子を伺ったらしいが、獅子は神帝を護るために船から一歩も出ないで、じっと耐えてた。魂を治す卵は、制作者であるオレにしか扱えないから、動かしたくとも動かせなかったんだよ。金獅子はほんと、赤毛くんのためならどんなことだって耐え抜くんだよな」
大帝国の帝の御座船であるというのに、船内は白一色。さほどの装飾もない。通路を進む花売りは、意外そうにきょろきょろあたりを見渡した。
「これが、名高き神帝陛下の船、〈アズライール〉の内部ですか。帝都スレイプニルに在る帝宮の謁見の間には、一度招かれたことがあるんですけど。そこよりはるかに質素ですね」
「帝都の帝宮は凄いわよね。あたしも姉さんたちと一緒にお邪魔したことあるけど、どこもかしこも金ぴかでびっくりしたわ」
彼の隣を歩くモエギ曰く、神帝の地上の住まいは、宝石と金にまみれた財宝や、古今東西から集められた絵画や、水晶や貴金属で作られた彫像だらけなのだそうだ。謁見の間の壁のレリーフは、大陸一有名な彫り師が手がけたとか、精霊たちが舞う紋様がすごいのだとか、たぶん金獅子の好みなんだろうとか。彼女が詳細に説明するうち、クナたちは円形を成す広間に足を踏み入れた。
正面奥に、背もたれが異様に高い玉座がある。さすがにここの建材は通路とは違い、高級なものが使われているようだ。玉座も床も、天照らし様の光のような色合いである。
床一面にびっしり隙間なく描かれている薔薇の紋様に、玉座から放射状に伸びる線模様が射している。おそらく、陽の光を浴びる花園を表しているのだろう。円形の天井を支える柱は、壁にごく近いところに立ち並んでいる。白地に金の花模様がびっしり施されていて、なんとも豪奢だ。
「復活なさったという神帝陛下はどこに……」
皆は玉座にまなざしを向けたが、そこに赤毛の子はいなかった。玉座は空っぽだ。
クナは玉座のさらに奥へと目を凝らした。正面の最奥に、丈高く細長い船窓が幾枚も連なっている。そこに金色の塊が見える……。
「天照らしさま?」
太陽がそこに在るのかのように感じて、クナは目をしばたいた。輝きがきつくて輪郭しか把握できない。大きな獣であろうそれは、くるりと丸まっている。輝き放つその体の中に、燃えるような色の髪の小さな子がいた。髪の色と同じ色の透けた衣をまとい、ぺたりと両膝をつけて座っていて、長い剣を抱えている。
「きみのねがいを、かなえてあげたいけど」
赤毛の子は、あどけない声で剣に話しかけていた。
「ぼく、きみみたいなけんはにがてなの。すごくこわいんだ」
『えっ、そうなの?』
剣からルデルフェリオの声が流れてくる。ということはあれこそ、突然ウサギの頭に落ちてきた剣なのだろう。
『剣術が苦手だって大丈夫さ。僕が君を誘導するよ。だから僕の主人になって、魔王を倒す勇者になってほしいな』
「うーん。あのね……」
赤毛の子は困ったように、頭を大きな獣に押しつけた。
「たぶん、ほかのけんはつかえるけど、きみはむり」
「俺の子に取り入ろうとしても無駄だぞ、黒き衣のルデルフェリオ。さっさとあきらめて、別の奴をあたれ」
ごうっとまぶしい獣が唸る。その神気あふれる音のせいで、かすかに床が揺れた。
『残念だな。神帝陛下の宝物庫にあったんだから、陛下が僕らを使うべきだって思ったのに』
「お前が入っている剣は、寺院の最長老レヴェラトールが幾本も作らせて、聖騎士どもに持たせたもの。かつて俺の子を切り刻んだのと同型ゆえ、俺も決して目に入れたくない代物だ。がっつり封印していたのに、なぜ出してきた? 喧嘩を売っているとしか思えぬわ」
『えっ、ちょっと、そういうつもりじゃないよ。僕は神帝陛下こそ、大陸を救う英雄となるにふさわしいって思ってるだけさ』
「ぼく、えいゆうはだいすきだけど、じぶんがなるのはちょっと……あ、パパ、おきゃくさんがきたよ」
赤毛の子はクナたちに気づいて立ち上がった。長い剣をよいしょと抱えて、よたよたと近づいてくる。しかし剣が重いのか、それとも長い衣の裾を踏んでしまったのか、クナの目前で小さな子はつんのめり、すっ転んでびたんと額を打った。
「俺の子!」
瞬間、大きな獣――金の獅子が吠え猛り、赤毛の子のそばに駆けてくる。
「大丈夫か? ケガは無いか?」
大丈夫だと答え、小さな手でまばゆい獣のたてがみをつかんで立ち上がった子は、てへっとクナに舌を出した。
「ぼく、とうめいなびんから、おそとにでたばっかりだから、あしがまだよくうごかないの。あのね、ぼく、このからだにはいるまえのこと、あんまりよくおもいだせないんだ。でも、ピピちゃんとおはなしできるタマから、きれいなこえがきこえてきて、それですこし、おもいだしたんだよ」
スミコちゃんだよねと、赤毛の子は真紅の目をにっこり細めた。
「まいがとってもじょうずなおんなのこ。すごくきれいでかわいいひと。またあえて、うれしいな」
神帝はクナよりだいぶ背が低い。クナの胸より下に真っ赤な頭がある。顔つきは生前と変わらず、よくよく見れば、モエギや赤毛の妖精たちに似ている。その双眸はぱっちりと大きく、真紅に輝いていて、息を呑むほどかわいらしい。
小さな帝はぴたりと寄り添うまぶしい獅子に、あどけない甘え声でねだった。
「ねえパパ、ぼく、スミコちゃんとけっこんしたい。だってそうしたらまいにち、スミコちゃんのまいをみられるもん。いいでしょ?」
とたんに獣は恐ろしい唸り声をあげ、ぶるぶる震えだしたが、なんとか人語として聞き取れる声を絞り出した。
「結婚せずともよかろう。宮廷舞踏家として雇って、毎日舞わせればよい」
「やだ。ぼく、おきさきさまがほしい。おうさまには、おきさきさまがいないとだめなんだよ」
「俺の子……おまえの伴侶はすでにいる」
「え? ハンリョって……おきさきさまのこと? ぼくのおきさきさま、もういるの? どこに? どんなひと?」
目を丸くして聞く子に、金の獅子は鶏が絞め殺されるような声をあげた。ウサギがあわあわ慌てだし、それよりほら、その剣どうしようねえと大声で割って入る。獅子は黙れと吠えて、ウサギを尻尾で突き飛ばした。
「俺の子、おまえの伴侶は金の髪輝く、この世で一番美しい奴だ。魔力に満ち満ちていて、あまたの神獣をあっという間に倒せるほど強く、実に頼もしい。そいつはおまえのためにだけ存在し、お前を幸せにするためだけに生きている。ゆえに未来永劫、おまえを完璧に守り抜くだろう」
「そのひと、まいができる?」
「なに?」
「まいができなきゃやだ。できないひとは、おきさきさまにしない」
「う……踊れる、ぞ。たぶん……ああ、できるとも」
「カノンとかヒテンとか、できる?」
「も、もちろん、やろうと思えば……」
「え? できないの?」
「で、できる。できるとも」
太陽のごとき獣の声が、わなわな震える。ああ、舞ってやろうじゃないかと、半ば投げやりなつぶやきが彼から漏れた。良人がいるからごめんなさいと頭を下げようとしたクナは、唖然として輝く獅子をみつめた。
「あの、舞の練習がんばってくださ……いえっ、船に乗せて下さって、ありがとうございます」
とっとと消え失せろと獅子が咆哮を殺しながら唸る。そんならんぼうなこといわないでと、小さな帝は輝く守護者をたしなめ、申し訳なさそうな顔で謝ってきた。
「ごめんねスミコちゃん。ぼく、パパがえらんだひととけっこんするよ。パパはきっとぼくのために、いっしょけんめいさがしてくれたとおもうから」
「あたしもそう思います。きっとその方は、陛下がこの人大好きだって、心の底から想う方なのでしょう」
「そうだといいな。おきさきさまにしてあげられなくて、ほんとうにごめんね。そうだ、おわびにこのけん、きみにあげるよ。これは、せかいをすくうゆうしゃが、もつべきけんなんだって」
おねがい、スミコちゃんをたすけてあげて。
小さな帝は真剣な顔で剣にそう願い、クナによいしょと差し出した。
「あは。やっぱり僕らは、君のもとに渡る運命なんだね。よろしくね」
剣の中に在るルデルフェリオが、いやに明るい声で挨拶してくる。クナは彼に色々問いたい気持ちを抑えて、丁重に剣を受け取った。後ずさって辞そうとすると、小さい帝はちょっと待ってとクナを呼び止めた。
「あのね、ぼく、くろいライオンをかってたんだけど……どこにいるか、しらない?」
「黒いライオン? 黒獅子のことですか?」
「うん。どこかで、はなしちゃったんだけど。ええと、どこでだったかな」
「陛下は金獅子城の敷地内で、黒獅子を放しました。黒すけさんは今、すめらにいます。竜蝶の帝と一体化しているんです」
できれば分離したい。黒すけさんを救い出したい。
クナが思わずそう口走ると、小さな帝は、そうかと笑顔を浮かべてうなずいた。
「そうだ、おもいだしたよ。ぼく、くろくてこわいひとに、ライオンをなげつけちゃったんだ。そうか、スメルニアのへいかが、ほごしてくれたんだね。じゃあ、いまからひきとりにいくよ」
「え……陛下が、黒すけさんを?」
「うん。だって、あのライオンはぼくのだもん。いいでしょ、パパ」
「ふん。帝を僭称する化け物もミカヅチノタケリも、恐るるに足らぬ。この俺が平らげて、スメルニアに多大な貸しを作るのも、やぶさかではないな」
食べなくていいよと、小さな帝は獅子をたしなめて、クナに微笑みかけた。
「いっしょにいこうよ、スミコちゃん。もくてきちは、おなじだよね?」
誘われたクナは、迷わなかった。広間の隅から這い戻ってきたウサギがそうしろと小突いてきたし、小さな帝が水晶玉ごしに言ってきた言葉が、耳によみがえってきたからだった。
ぼくたちひとりひとりは、とてもよわい。でも、なかまどうしがてをとりあってたすけあえば、すごいちからをだせる。ふかのうをかのうにできる――
独りでは無理でも、誰かと手を取り合えば、奇跡が起こせるかもしれない。
神の手ではなく、この、自分の手で。
クナは小さな帝に深々と頭を下げた。自分がかの地に至るまで、黒髪様が無事であるように。切に、祈りながら。
「はい。どうか一緒に。よろしくお願いします!」