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黒の舞師 ~身代わり巫女は月夜に舞う~  作者: 深海
六の巻 不死の皇帝
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11話 蛍蜻蛉

 強力な結界の中に在るというのに、ルデルフェリオは余裕綽々(しゃくしゃく)だった。

 永らく住処にしていた剣の精霊石や義眼の中はかなり狭く感じていたとか、この氷結結界はだいぶ居心地がいいとか。快活にうそぶいた少年は、「お使い」の内容を詳しく聞くと、俄然やる気を出したかに見えた。


「つまりミカヅチノタケリの本体に泣きつけって? 神頼みをしろというわけか。それで《上の世界》に行ってこいっていうからには、すんなりそこへ行ける神器を持ってるってこと?」


 今から取りに行くと黒髪様が言うと、結界の中にいる少年はくすくすと、小馬鹿にするように笑ってきた。


「もしかして、かつてこの寺院に在った〈門〉を探し出すつもり? 神託の石版を? 広大な鍾乳洞のどこかに隠されて、忘れ去られたものを?」

「探す必要はない。私は石版の在りかを知っている」

「ああ、そうだったね。黒き衣のトリオンは、いつも鍾乳洞をさまよっていた孤独の人だったっけ」


 師に愛されない弟子は偶然にも鍾乳洞の中で、大層なものを見つけたというわけか。

 まるで傷を抉ってくるような憐れみを込めた声音で、少年は黒髪様の顔色を伺ってきた。


「おまえの師は兄弟子ばかり面倒を見て、おまえのことは完全に放置してたもんな。寂しさと飢えを満たすために、おまえは鍾乳洞に籠もってばかりいた。はは、そんなに顔を歪めるなよ。おまえって聖剣を持ってたレクリアルとずっと一緒にいたじゃないか。だから僕は、おまえのことをよく知ってるんだ」

「黙れ。とにかく今から石版を取りに行く。そこで待っていろ」

「待ってよ。鍾乳洞は馬鹿みたいに広いから、取ってくるには時間がかかるんじゃないの? 僕はすぐにでもエクスを取り戻したい。彼女は僕の伴侶。僕の大事なかたわれなんだもの。だから僕はおまえに、もうひとつの石版のありかを教えてあげるよ」

「なんだと?」

「ねえ、大昔に一体誰が、上の世界へ行ける石版を造り出したと思う?」

「な……もしかして……」

「そうだよトリオン。僕はおまえが想像するよりはるかに、腕のいい技師なんだ」


 少年は甘ったるい声で言ってきた。神託の石版を造ったのは、まごうことなく自分であると。しかも、造ったのはひとつきりではないと。


「複製品は鍛冶工房から入れる隠し部屋に封印されている。きっと今でも強固な呪文に守られているだろう。魔導帝国軍には、おそらく見つけられていないと思うよ」

「あんたが作ったなんて……嘘だろう?」

「いいや、本当のことさ。あれは僕の肉体が限界を迎える数年前のことだった。あの頃の寺院では、黒の導師のだれもが、いずれ自分も上の世界へ行くんだと、何日も断食して瞑想修行するのが常だった。あるとき最長老が長いこと瞑想室に籠もって、そのまま即身仏になりかけたことがあった。上の世界にいる、偉大なエリュシオンに会いたいと思うあまりにね。導師たちが最長老を部屋から出して介抱している間、僕は命の危険を冒さずに上の世界と交信できる石版を作るようにと、長老たちから命じられた。ふふ、それはすぐに出来上がったよ。だって僕はそれまで何度もこっそり、試作品を作ってたんだから」


 ルデルフェリオは屈託無くころころ笑った。他の導師と同じく、自分も上の世界に行きたかった。だから石版を発明したのだと彼は言った。彼は自己の欲求をとことん追及する人であるらしい。望みを叶えるために努力するのは当然だろうと、露ほども悪びれる様子がなかった。


「もちろん僕は最長老に手渡す前に、自分自身で石版を使ってみたさ。でも僕の魂は当時まだ若くて未熟だったから、上の世界を垣間見ることができただけで、住み着くことはできなかった。だから僕は自分の魂を剣の精霊石に封じ込めて、自分の魂が熟成するのを待つことにしたんだ。そう、かつてエリュシオンがやったようにね」


 あれから五百年以上経った。自分は十分に、おまえたちの要望に応えられる。上の世界に長く滞在することができる。だから――


「さあ、工房の隠し部屋から、僕が作った石版の複製品を取っておいでよ」


 少年は得意げに、隠し部屋の扉の呪文を教えてきた。わかったとうなずき、黒髪様は花売りとモエギに氷結結界を見張るよう頼み、クナを連れてその場を離れた。地上へ昇って工房へ向かうのかと思いきや。黒髪様はクナの手を引いて、封印所のさらに奥へと足を踏み入れた。すなわち鍾乳洞をずんずん進みはじめたので、クナは首をかしげた。


「工房には、行かないんですか?」

「ルデルフェリオの言う通りにはしない」


 少年の言葉は信用できない。黒髪様はそう断じて、ため息をついた。


「たぶん隠し部屋には厄介な罠が仕込まれているんだろう。それに運良く嵌まらず石版みたいなものを見つけたとて、それが本当に神託の石版と同じものだとは思えない。どこかに欠陥があって、あいつにしか扱えないとか、我々に危害を加えるような性能を持っているかもしれない。だから私は、自分がこの目で見たものしか信じない。一度自分で使ってみたことのあるものしか」


 ランタンを掲げる黒髪様は、迷うことなく鍾乳洞を進んだ。

 暗く湿った穴を通るうちに、クナは徐々に、寺院で受けた恐ろしい想いが和らぐのを感じた。距離が離れたことに加えて、黒髪様の手がしっかと自分の手を握ってくれているせいもあるのだろう。

 ランタンの光に照らされる鍾乳石は、美しくも異様な形をしていた。天からびっしり連なる氷柱のような形のもの。砂時計のように真ん中がくびれたもの。編み目のような模様を成している地面。

 小川のごとくさらさらと水が流れているところもあれば、真っ青な水を湛えた泉もあった。

 クナは湿ってつるつるした岩に足を取られないよう、気を配りながら黒髪様と共に進んだ。


「鍾乳洞には何でもある。様々な鉱石や薬になるコケ。触媒になる珍しい魚やコウモリ。甲羅蟲。寺院の導師たちはここで採れるもので生活していた。でも彼らが足を踏み入れていたのは、魔力を高めるへロムの鉱石があるあたりまでだ。ここまで入って来ていた人は、私以外ほとんどいなかった」


 黒髪様とクナはずいぶん長い時間歩いて、水が流れ落ちる細い穴を通り抜けた。とたん、あたり一面びっしりと石英が生えている空間に出たので、クナは思わず感嘆のため息を吐いた。淡いランタンの光に照らし出されたものを、クナの目は、はっきり捉えることができたからだった。


「すごい……! 色とりどり! なんて綺麗な結晶……!」

「ここで昔、レクリアルに水晶を取ってあげたんだ。紫水晶の欠片を。私が初めて贈ったものを、レクはとても喜んでくれた」


 黒髪様は懐かしげに石英の森を見渡して、それから手を突き出し、韻律を唱えた。たちまち魔法の気配が降りてきて、そばにそびえる紫水晶の塊にびしりと亀裂が入る。手のひらに載るほどの大きさの欠片が、地に落ちた。昔はこんなに簡単に切り出せなかったと笑いながら、黒髪様はクナに水晶の欠片を手渡した。


「きれい……!」

「またお守りにするといい。魔力を込めるのに、とても良い素材だから」

「はい。大事にします」

「さあ、先を急ごう。ここを抜ければ、蛍蜻蛉(かげろう)の湖がある」

「蛍かげろう……」


 クナの胸がどきりと高鳴った。なぜかいきなり、その虫の姿が脳裏にパッと浮かんできたからだ。

 白くて細くてはかない、小さな虫。蒼い湖の上で群れなす虫の群れ。まるで夜空にまたたく星々のように輝き、ぐるぐる舞い飛ぶ虫たちの光景が、とても鮮やかに。


「ああ……そうよ。ここにはあの虫がいるんだわ……」


 胸の奥から、えもいわれぬ懐かしさがこみ上げてくる。魂の奥底から、記憶が染みだしてきているのだろう。


「蛍蜻蛉(かげろう)白綿蟲(しらわたむし)と一緒の時期に出てくる。行けばきっと見られるよ」


 黒髪様はクナの手を引いて、紫や黄色に光る水晶の森を通り抜けた。狭い穴道を経て、二人はしんしんと静寂が支配する空間に出た。底の見えない蒼い泉が、そこに在った。奥まで長く広がる岸辺に真っ白なものが分厚く降り積もっている。それを目にしたとたん、クナは片手で口を押さえて、悲鳴が漏れ出そうになるのを抑えた。

 

「知ってるわ。この光景を。あたし、知ってるわ……!」


 岸辺の白いものは、蛍蜻蛉(かげろう)の体が積み重なったものだ。泉の上にはぐるぐると、鮮やかに明滅する虫たちが群れ成している。きららきららと、淡く美しい光を放って、穴全体をふんわりと蒼く染めているのだ。蝶のような、しかし二枚しかない大きく美しい羽。光っているのは腹部だ。ゆっくりと点滅しているものや、またたくように早く点滅しているものがいる。虫たちは光の言葉を発しながら、必死につがいを探しているのだろう。

 虫たちが舞い飛ぶ岸辺を、クナと黒髪様はゆっくり進んでいった。

 白い屍の山は、ふみしだくとシャリシャリと繊細な音をたてた。


「蛍かげろう。そうよ。この子たちはすぐに死んでしまうんだったわ」


 この蜻蛉(かげろう)は、羽化するとたった一日しか寿命がない。

 深い泉の底で何年か暮らし、ついに大人になったその日に死んでしまう。そんな(はかな)すぎるものだ。

 

「でもまれに、死なない子がいるの。はぐれ虫っていうのがいるのよ」

「うん。その昔、決して死なない蜻蛉(かげろう)がいた。その虫はいつも私を導いてくれた。何度もこの鍾乳洞で、道しるべになってくれた……」

「見て、黒髪様。見て……!」


 クナがおそるおそる伸ばした手に偶然、蛍蜻蛉(かげろう)が一匹、ふわりと舞い降りた。明滅する虫はとても美しくて、クナは思わず、幼い子どものようにはしゃいだ。


「輝く星があたしの手に止まったわ! 輝きの明星、竜の涙、それから真珠のしずく!」

「田舎娘……」

「ああどうして……あたしまだ、その星を見たことがないのに。生まれてこのかた見えなかったし、この新しい目でもまだ、その星座は見ていないのに」


 自分が何を口走ったか気づいたクナの胸が、ぎゅっと痛んだ。懐かしさが一気にこみ上げてきて、大きな瞳が潤んでいく。


「あたし知ってるわ。輝きの明星も。竜の涙も。真珠のしずくも。みんな美しい、天の星たちなの」

「私も知っている」


 黒髪様はクナの手をきつく握った。


「昔ここで全く同じ事を言った子を。その子は……レクリアルは最長老レヴェラトールの弟子で、毎晩、星見をしていた。師に請われて毎晩、今はもう存在しない、青の三の星を探していた」

「妖精の涙。サソリの心臓。あれは鷹の目。王の冠に女王陛下の首飾り……」


 クナは頬を濡らしながら次々と、頭に浮かんでくる星の名前をつぶやいた。


「天の宝玉。サラマンデルの瞳。水晶の竪琴。白鳥の羽。そして、戦神(いくさかみ)の、剣の柄……そうよ……あたし、黒髪様にここに連れてきてもらったわ。レクリアルだったときに、この光景を見せてもらった……」

「そうだよ田舎娘。私たちは昔、この光景を見た。私が君を鍾乳洞へ案内した。君に見せたくて。そして……」


 黒髪様は立ち止まり、クナをそっと抱きしめた。


「君を、愛したくて」


  



 鍾乳洞はどこまでも果てがなく、クナと黒髪様はえんえんと、湿った穴道を歩いていった。

 道中いくつもの分かれ道に出くわしたが、黒髪様は迷うことなく道を選び取っていった。

 速い勢いで水が流れているところを、ふわりと浮遊の術で飛び越えて、ふたりはついに神託の石版があるところに行き着いた。そこは小さな穴がびっしり無数にある岩壁だった。

どの穴も同じようで見分けが付かないぐらいであったが、黒髪様は石版が隠されている穴に、しっかり目印をつけていた。


「まるで寺院の図書館のように穴がたくさんあるから、私は自分で記した地図や覚え書きの類いをたくさん、ここに突っ込んでいた。鍾乳洞に入った時には、一週間以上籠もるなんてざらだったからね。その時の拠点をいくつか持っていたんだが、ここはそんな場所のひとつだったんだ」


 おそらくここに来るまで、半日ぐらい経っているのではなかろうか。ランタンに入れた油がものすごく減っている。ゆっくり歩いてきたけれど、クナの足はくたくたにくたびれてしまっていた。

 黒髪様はきらびやかな錦に包まれたものを、結界が張られた穴から厳かに取り出した。彼は錦をそっとめくり、中のものを確認して、大丈夫、壊れていないとうなずいた。

 

「本当に、石の板なんですね」

「原理はおそらく、義眼や仙人鏡と同じだろうな。石のように見えるが、この板の中には複雑な回路が内蔵されている。こことは次元が違う世界へ行くためには、石板を天へと向けて、それからおのが魂を、この板の中に入れなければならない」


 つまりこれは射出機なのだと説明しながら、黒髪様は錦に包まれた石版をクナの背負い袋に入れた。とても重そうに見えたのに、空気のように軽かったので、クナは驚いた。


「さあ、氷結結界へ戻ろう」


 来た道を戻るのかと思いきや、黒髪様はそのまま穴道の先へと進んだ。常にクナの手を引き、小さな泉がいくつも連なるところではクナを抱き上げて、ふわりふわりと浮遊の術で飛んでくれた。

 そこを超えると、異様に寒い空間に出た。真っ黒い岩の中にところどころ、鮮やかな橙色の光の粒が見える。まるで星空を映し出しているかのような、不思議な岩があたり一面にそびえていた。

あまりの寒さに、クナは震えた。吐きだした息が真っ白だ。


「この冷気の匂いは……」


ああこれは、よく知っている。かつて何度も、肌で感じたことのある凍気だ。

がちがちと体をわななかせるクナは、息を呑んで不思議な模様の岩壁を見渡した。


「もしかして、橙煌石? 黒髪様が胸に嵌めていた、あの……」

「そうだよ。炎の聖印を受けた君を抱くために、私の胸につけたのと同じものだ」

「あの石の、鉱床なんですね? 冷気を放つ石。だから、すごく寒いんだわ」


 黒髪様は急速に冷えていくクナの手をそっと握った。


「かつてレクリアルも、最長老から炎の聖印を刻まれていた。だから私は、あの子をここに連れてきた。ここなら、どんなにゲヘナの炎が燃えさかろうが、あの子を愛することができたからね」

「愛するってその……」

 

たちまち頬を赤く染めたクナに、黒髪様は目を細めて微笑んだ。


「うん。レクに触れられるのは、この場所を知っている私、唯一人だけだった。ずっと独りで鍾乳洞に籠もっていた私の孤独は、レクリアルによって癒やされた。二人で過ごした時間は本当に、かけがえのないものだった……」


暖かい腕がクナを包んでくる。黒髪様は水晶を打ち鳴らすような美しい声で囁いてきた。


「思い出をありがとう」


 もし自分が、レクリアルの生まれ変わりではなかったら――

 きっと心が砕けてしまっただろうとクナは思った。自分の内からこみ上げる懐かしさ。脳裏にパッと浮かんでくる映像。たしかに自分は、この鍾乳洞をかつて黒髪様と歩いたことがあるのだろう。ここでこの人と、愛し合ったのだろう。だからこんなに、まぶたが湿ってしまうのか。

 抱きしめられたクナは、こふりと白い息を吐いた。優しい口づけが、その口をそっと塞いできた。

 クナを極寒の空間から守ろうと、黒髪様はクナを抱き上げて、再びふわりと飛んだ。その背中に精霊たちが集まり、きらきらと美しい翼を成している。妖精たちからこぼれおちる光の粒が、長く尾を引いた。

 唇を合わせたまま、黒髪様は橙煌石の空間を出て、泉がつらなる所を越えた。しかし入ったところとは別の穴に、彼はすうっと入っていった。腕に下げているランタンの油が、今にも切れそうだ。淡い光が、細くて険しい急斜面を照らし出す。上下に突き出す剣のような岩のすきまを、黒髪様は器用に通り抜けた。


「あのいけ好かない鍛冶師を、もっと待たせてやりたい気がするな。二、三日たっぷり」

「黒髪様、もしかして、わざとたっぷり時間をかけて歩いてたんですか?」

「思い出の場所だから、じっくり巡りたかった。それが一番の理由だが。もうひとつ、どうにも信用できない相手のために、保険をかけておこうと思ってね」

「保険?」

「うん。ルデルフェリオが本当に神託の石版を作ったのなら、あいつにしか発動できない細工が仕込まれているかもしれないからね。だから……」


 黒髪様は突き立つ岩の向こうを指した。


「あるものを採っていこうと思う。あいつの力を制限できるものを」

 

 前方を眺めたクナは目を丸くした。もしかして地上に出たのではないか。そう見まがうほどまばゆい光に満ちた穴が、岩の向こうに広がっている。この光は一体何なのかと、目を凝らすと。ふわりふわりと、何かがたくさん穴から飛んできた。


「羽毛? なんだか、きらきら輝いてる……」

鱗鳥(うろこどり)の巣だ。原始の鳥だよ。甲羅蟲や竜魚の珠と同じくらい、有用な触媒が採れる」


 穴の入り口に降り立った黒神様は、クナを降ろしてランタンの火を消した。


「肉食でコウモリや魚を食べる。かなり獰猛だから要注意だが、術をかければ使い魔にすることもできる。三体ぐらい狩っていこう。風を起こして、一番近くにいる鳥を起こしてくれるかな? 一羽ずつおびき寄せて捕獲しよう」

「分かりました。やってみます」


 体はまだ鈍っている。お世辞にも万全とは言えないが、クナは背負い袋から鏡を出して、息を整え、あたりに神霊の気配を降ろした。 


「鏡姫様、祝詞をお願いします。今から風を起こして、狩りをします」

『ふああ。なんじゃ、やっと出番か? 暇で暇で眠っておったわ』


 鏡から聞こえてくるのは、眠たげな声。クナは苦笑しながらゆるりゆるりと舞い始めた。身を寄せ合って眠る、まばゆい生き物に視線を留めながら。鳥はまるで天照らし様の御使いのごとく輝いていた。燦々と、燃え上がっているように。





「……はい、はい。そうですか……」


 氷結結界のまん前で、花売りは点滅する水晶に返事を返した。金獅子家の船に乗っている市子から、緊急の連絡が入ってきたからだ。


「シガさんのご家族はみな、大安に連れ去られたと……いうことですね?」


 報せの内容は由々しきものだった。コハク姫は金獅子家に頼み込んで、クナの生まれ故郷の村人たちを救おうとしていたのだが。彼らのほとんどが、突然大安からやってきた役人たちに強制連行されたという。三色の神殿は大安に居座った悪鬼を滅ぼさんと躍起になっているが、どうやら悪鬼に従う一派が、異国からこっそり流入してきたらしい。 

 モエギが一体どういうことだと水晶玉を覗き込む。花売りは伝信を切り、かなりまずい状況らしいとため息をついた。


「我こそはまことの帝なり……悪鬼が流した大陸公報を受けて、異様な武装集団が大安にやってきたそうです。それが……竜蝶ばかりで編成された一団であるそうで……」

「竜蝶だらけの軍団?!」

「西の果てには、竜蝶の隠れ里なるものがあるのだそうです。悪鬼はそこにいる竜蝶たちと縁が浅からぬようで、ここぞとばかりに自分のもとへと招集したようです。隠れ里からばかりではありません。大陸中から続々と、竜蝶が集まってきているようです。スミコさんの家族や村人も、ほぼ全員竜蝶だそうで、密告か何かで悪鬼のもとに情報がもたらされたのでしょう。ひとり残らず、大安へ移されたらしいとのことです。

「そんな……竜蝶の帝が、竜蝶を集め始めている? ってことは、竜蝶の国を作るつもりでいるってことなの?」

「ええ、同胞を集めて新政府を作ろうとしているのでしょうね。コハク姫様たちは、拉致された竜蝶たちを救い出すべく、急いで救出部隊を編成しているそうです」」

――「ねえねえ、やっぱりあいつら、遭難しちゃったんじゃないの?」


 氷結結界の中から、ルデルフェリオが話しかけてくる。その声はずいぶんイラついていて、とげとげしい。クナたちが石版を取りに行って、はや半日。なかなか帰ってこないからだった。


「僕がせっかく、完全なる善意で手間を省いてやろうと思ったのに。人の好意をふみにじるなんて、ほんと、感心しないな。だからバチが当たったんじゃない? ねえ、君たち二人が代わりに、工房から石版を取っておいでよ」


 少年は甘ったるい声で提案してきた。


「大丈夫だよ。ちゃんと君たちの望み通りに、タケリをこちらの味方にしてやるからさ。ほらほら、早く取っておいでよ」


 何度乞われてもそれは却下しますと、花売りは頑として首を横に振った。数刻経った頃から、少年は再三、彼とモエギに工房へ行くようねだってきているのだった。


「ねえ、モエギ。石版を隠してる所には、貴重な宝石や素材もたくさん隠してあるよ。好きなだけ取ってきていいから――」

「いいえ、だめです。何度誘われようが、私は行きません」


 モエギもきっぱり、少年の甘い言葉を拒否した。少年はあきらめずに二人を説得しようとしたが、ウッと言葉を引っ込めた。ようやくのこと、クナと黒髪様がなんとも明るい光を背負って、封印所に入ってきたからだった。


「うわ……鍾乳洞で迷子になったやつが帰ってきた」

「迷子にはなっていない」


 黒髪様は腕を突き出し、そこに止まっているものを結界の前に降り立たせた。


「ちょ……おまえ、それは……」


 少年がたじろぐ。結界の中から、舌打ちが聞こえた。


「鱗鳥。別名、天の御使い……!」

「この鳥たちの魂を、一緒に上の世界へ連れて行け、ルデルフェリオ」


 きらきら虹色の鱗を煌めかせる首の長い鳥が、ばさりと羽ばたき、羽根をしまう。

 そのきらめきを見た少年は悔しげに、ちくしょうと低くぼやいた。


「おまえの魂が、上の世界のものたちに喰われないよう、身代わりのお守りとしてつけてやる」

「トリオン、お目付役はいらないよ?」

「遠慮するな。おまえをしっかり護るよう、この鳥たちにしっかり言い聞かせた」

「はあ? 僕を見張れって命令したんだろ?」

「いいや?」


 黒髪様は清かな目を細めながら、石版を包む錦をクナの背負い袋から取り出した。

 その口元がほころび、自信に満ちた声が、少年に向かって放たれた。

 ゆっくり、厳かに。


「では、始めよう――――」


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