9話 第三のタケリ
頭には鉢巻き。まとっているのは、優美な透かし織りが入っている白い単衣。履いているのは紅色の巫女袴。
クナは、手に持つ鏡に映る自分を見つめた。
真っ白な髪をおさげにして、両肩に垂らしている娘。
それが自分だ。
肌は髪の色とほぼ同じ。大きな双眸は、なんとも形容しがたい色を宿している。
菫よりも濃い紫紺。空の高みの色だと、黒髪様は言っていた。
羽化してから色々起こったが、鏡の中へ行っているうちに体はほとんど固まった。今はもう肌を押してもぶよぶよしない。
もとからこんな顔だったのだろうか。それともかなり変わってしまったのだろうか。
鏡の中の自分にクナはよろしくと微笑みかけた。
クナが繭から出てきた時のためにと、黒髪様は衣装を用意してくれていた。真っ白な単衣は、しゃらしゃら唄う布からできている。かつてクナが着せられたレクリアルの服と同じ、白綿蟲の糸で織られたものだ。
『凜々しいのう。ほれぼれする』
金縁取りの鏡が、誇らしげに囁く。
『いざ、出陣じゃな』
「はい!」
クナは意を決した顔で鏡を絹のふくさに包み、銀色の袋に入れて、背に負った。袋は鉄錦と同じく、鋼の糸からできている。赤毛の妖精たちが器用に編みあげてくれたものだ。
「よく似合っている」
準備万端整い、階下へ降りていくと、澄んだ美声がクナを迎えた。黒い衣をまとう黒髪様は、ちょうど、鎖で縛られた小箱を腰に下げた袋に入れるところだった。箱の中には、黒髪様の力を封じた義眼が入っている。鎖はウサギが作ったもので、魔力を完全に遮断するそうだ。
黒髪様が義眼を持つのは危ないのではないかとクナは心配したが、良人たる人は自分が持つべきだと言って譲らなかった。自分以外の誰も、危険にさらすわけにはいかないというのだった。
心配げなクナを宥めるように、黒い衣がふわりと、彼女の身を包んできた。
「祈ろう。旅が無事に終わるように」
「はい。無事に目的を果たせるように」
クナは黒髪様と一緒に、白い塔の外に出た。晴れ渡る空を見上げれば、もはや神帝の船は無い。熱砂舞う魔導帝国へ帰っていったのだ。
クナが鏡から戻った翌日、技師たるウサギは再び、金の獅子が居る船に戻っていった。主人を失って不安定になっている獅子が暴走しないよう、見守るためである。
まったくどいつもこいつも世話が焼ける。早く師匠を迎えに行かないといけないのにと、ウサギは文句をたらたら。白い塔から去る前に、小さな機械鳥を用意していってくれた。
『二人で乗るにはちょっと狭いけど、まあ大丈夫だろ。うちの妖精たちが巡航させてる船まで、これで飛んでいくといい。船に乗ったら、目指すところに連れてってもらうんだぜ』
目指すところ。
それは、遠い北の果て。すめらを出て、できるかぎり北へ行ったあと、西へ西へ飛んでいく。そうすれば行き着くところだ。
「岩窟の寺院……義眼を封印できるところ……」
剣の魂が色々怪しげな事を言い出しているが、無視するべきだとウサギは断じた。
このまま、北の果ての封印所に突っ込んでおくのが無難だという。
『くさい物には蓋をしろだ。黒髪が御せなくて四苦八苦するぐらいの代物なんだから、無理は禁物だよ。大人しく封印してしまった方がいい。いいな? 剣の魂の声には、絶対耳を貸すんじゃないぞ』
ウサギは去り際にくれぐれもと念を押していった。剣の中にいる鍛冶師というのは、かなりの曲者らしい。さわらぬ神に祟りなし、なのだろう。
塔のまん前で、くちばしが異様に大きい金属の鳥が二羽、くわくわ鳴いている。
そのうちの一羽にはすでに、花売りが乗っていた。剣の魂の行く末を見届けたいと、彼はクナたちに同行することにしたのだった。
「スミコさん、黒髪さん、剣が無いので、戦力としては役に立てませんが、どうぞよろしくお願いします。極力、足手まといにならないようにしますから」
よろしく頼むと答えつつ、黒髪様が機械鳥の背にまたがる。彼の後ろに、クナは腰を降ろした。
赤毛の妖精たちがわらわらと塔から出てきて、励ましの声をかけてきた。灰色の衣をまとうモエギが、その人垣の中からひょっこり出てきて、花売りの後ろにどかりと座った。
「おじいちゃんの名代として、同行させていただきます。寺院の封印所の中には、いにしえの昔に灰色の技師たちが作った物が、あるそうですから。あたし、お役に立てると思います」
「了解した。行くぞ」
黒髪様のかけ声と共に、機械鳥がはばたいた。
二羽と鳥は、みるみる大地から離れた。乗り心地は鉄の竜とほぼ同じだ。あれよりはすごく小さいらしいが、座席の堅さはまったく同じ。たぶん半刻も乗れば、お尻が痛くなるだろう。
黒髪様は後ろからついてくる機械鳥を振り返り、目を細めた。
「花売りは、妖精たちにもらった綿の種をすぐにでも栽培したいだろうに。律儀なことだ」
「はい。とても真面目な人だと思います」
「彼のためにも急いで目的を果たそう。赤毛の妖精たちの船は、魔導帝国の船と同じ。翠鉱を使った動力機関だ。船に拾ってもらったあとは、おそらく三日ほどで目的地につくと思う」
「そんなに速く……!」
クナは黒衣をまとう黒髪様の腰に腕を回し、黒い背にひたと頬をつけた。
「義眼を封じるところ……そこには、タケリ様を鎮める神器がある……」
「そうだ。あそこになら、あるはずだ」
黒髪様は迷うことなくうなずいた。
「大陸を滅ぼすような力を持つもの。危険な魔力を帯びたもの。岩窟の寺院の封印所には、人が扱うには危険すぎると認定されたものが集められ、封じられていた。一振りで大地を砕く武器や、街を焼いてしまう兵器とか。神獣を封じた宝玉とか。くれないの髪燃ゆる君は、寺院を滅ぼした時にそんな封印物をあらかた持ちだして魔導帝国の財産としてしまったが、私たちがこれから求めようとしているものは、絶対に見つけられなかったはずだ。それは封印所の奥の奥、鍾乳洞の中に隠されていたからね」
水晶のように澄んだ声が、空に溶けていく。クナはそっと目を閉じ、その声を味わった。
「寺院にいた頃、私は鍾乳洞に籠もるのが好きだった。レクリアルに出会うまでは、だれもいないところで独りになることが、唯一の救いだった。そこで偶然見つけたのがそれだ。ここではない次元へ飛べる〈門〉。第三のタケリと対話できる神器――」
昨晩、黒髪様はみなに驚くべき事を告げた。すめらの守護神ミカヅチノタケリは、神獣ではないと断じたのだ。
いや、あれは間違いなく神獣だろうとウサギが即座に反論したのだが、黒髪様は首を横に振った。
『ミカヅチノタケリは、かつて竜蝶に飼われていた龍だ。そしてピピ師の言う通り、神獣として改造されてすめらの守護獣となった。すなわち、魂の中に神獣の霊核を持っているんだが、そこにはもうひとつ、異質な核が併存している』
神のごとき、まばゆく神々しい龍神。龍の父たるタケリの神格は、神獣の霊核から顕現している。
そしてもうひとつの異質な核から、黒くて重くて残忍な、あの腐龍の人格が現れているという。
それを聞くなりウサギはたちまち困惑した。
『え? 神獣の霊核が、別の核と一緒に? 屍龍は単なる多重人格かと思ってたけど違うのか。とするとそれって、ありえないことだぞ。だって神獣は、同等の霊核や力を食らって吸収する本能を持ってるんだから』
『そう、本来なら屍龍の霊核は、神獣の霊核に淘汰されるはず。だがタケリの霊核は、異質な核を食らおうとしない。機能不全に陥っているのか、あるいは、本能を制限されているのか。とにかく、異常な状態だ』
敵を食らう。人を契約主とし、人の制御を受ける。
ミカヅチノタケリの神獣としての本能は、人間が無理やり付けたものだ。神獣の本能を組み込んだ額の宝玉に、タケリの魂を封じこめて一体化させている。屍龍の霊核もそこに共にある。
『おそらく屍龍の霊核の方が、もともとのタケリの人格であるのだろうと思っていたのだが。どうもそうではないらしい』
黒髪様は西郷での戦いでくれないの髪燃ゆる君に肉迫し、その玉体に傷をつけた。あれは屍龍の突撃の力で無理矢理試みたことで、完全に捨て身の一撃だったそうだ。
『実を言えば、まさか本当に傷つけられるとは思っていなかった』
そのときの黒髪様は、おのれは無事に帰れないと覚悟していた。いや、「死」と同じ境遇に陥ることを望んでいた。だからわざと金獅子の懐に飛び込んだのだという。
攻撃は届かないだろう。
自分も屍龍も、金獅子に焼き尽くされるだろう。
だめでもともとの、自殺の攻撃だった。
だが、結果は違った。黒髪様の刀の一撃は神帝に届き、屍龍は首の皮一枚残して首を落とさずに済み、黒髪様は辛くも、神帝の船から離脱することができた。
『あのとき、金獅子の隙を突いたタケリは、屍龍ではなかった。神獣たるタケリでもなかった。全く別のものが出てきて、怒り狂う金獅子の攻撃を弾いた。出てきたそいつは声を発した。たしかにそれは言葉だったが、意味は分からなかった。だが、その力ある言葉ひとつで、金獅子の力は無効化された。我らを滅しようとした大神獣の力を、たったひと声で打ち消したのだ』
すなわち。ミカヅチノタケリには、二つの人格の他にもうひとつ、全く別の人格が存在するらしい。未だクナが知り得ない、屍龍でも始龍でもない、もうひとりのタケリ。大神獣の力を一瞬で消し去るほどの力をもつ存在が、内にあるというのだ。
『おそらくはその、途方もない力をもつ人格が、本来共存するはずのない二つの霊核を並立させているのだろう。そんな神業をやってのけられるとなると、そいつはおよそ普通の存在ではない。つまりタケリの第三の人格は、上位霊体かもしれない。この次元にはいない存在。子の世よりも上の次元にいる、霊位高き魂……』
龍生殿でタケリ様の調整をしていたモエギも、黒髪様の言葉に同意した。
『全身を補修するため眠らせている間に、寝言というか、意味不明の言葉をつぶやいたことがありました。でも、屍龍と始龍、どちらのものでもない声紋で、監視機器が測定不能という結果を出したんです。ただの雑音として、やむなく処理しましたが……私も、ミカヅチノタケリにはまったく別の人格があるように感じます。でもそれが、上位霊体……つまり俗世間一般に言う、神、なのかどうかは……』
『ありえないことを成せる奴だ。だから間違いないと思う』
まるで何者かが、チェスの盤上で駒を動かしているようだったと、黒髪様は言った。
ふたつの龍の駒を代わる代わる使い分ける指し手がいるようだと。
駒を動かしているその人は、普段は盤上に出てくることはない。だが、いよいよ負けそうになると、待ったをかけてくる。そうして、盤上の結果を「なかったこと」にする。
金獅子に殺されるはずだった屍龍を生かしたのは、まさしくその手を使ってのこと。ひとマスしか動けない、そんなルールのはずなのに、負けたくなくてニマス退いた。タケリはそんな、信じられない力を発揮したという。
『まるで、神の手が介入した感じだった。師を望み、神帝も殺したかった私にとっては、願ってもない結果になったが、第三のタケリは私に協力してくれたのではない。死ぬことを厭って、その運命を捻じ曲げたのだ。つまりタケリは、この世の者には決して殺すことができないのだと思う。現在、タケリが喜んで竜蝶の帝に従っていることに、第三の人格も満足しているのであれば……我々に勝ち目はない』
『うーんなるほど……第三のタケリが上位霊体ってのは、たぶん、間違いないんじゃないかな』
ウサギは考え込みながらも、黒髪様の推測にうなずいた。
『ユーグ州を蹂躙した光の塔。タケリはあの神獣に挑んで、食われずに生きて帰ってきたって話だろ? それってほとんど奇跡だもんな。もしかしたらその時も、第三のタケリが介入したのかもしれない。しっかし、もしほんとにそうだったら厄介だぞ。上位霊体って、この世にはいない代物だろ? 一つ上の次元にいる存在じゃないか』
『そう、我々の手では決して倒せない。だから説得するしかない。第三の人格たるものが、我々の味方になってくれるように。我々を気に入ってくれるように……』
気に入られるよう努力する? それっておまえが一番苦手なことだよなと、ウサギはぼそりとつぶやいたものだ。しかし黒髪様はとにかくと、ひどく咳払いしながら言ったのだった。
『第三のタケリを敵に回せば、我々は理不尽な反則を喰らうことになる。屍龍を焼き尽くせなかった獅子のように、深い悔恨と、死に匹敵する傷を負わされるだろう。ゆえに、シーロンたちと単に戦うよりも、第三のタケリと交渉するのが得策だ』
『黒髪。上位霊体と話すには、ひとつ上の次元に行かなきゃなんないぞ。相手と同じ土俵に昇らないと、相手にされないだろうからな。でもいくらオレでも、上位世界へ行くものって、どうやって作ったらいいか分かんないわ。この世界の複製は、なんとか作れるけどさ』
『大丈夫だ。〈上の世界〉へ行く〈門〉は、我々が行かねばならないところにある。あの、岩窟の寺院に』
クナにはまだ、上位霊体というものがどんなものか、ぴんとこなかった。
ウサギは、ひと言で言えば神だというのだが、天照らし様や月女様のような精霊とは、性質が違うものらしい。
しかして黒髪様は確信を持って、道を指し示した。岩窟の寺院に在る封印所。そこに、上位霊体がいる次元へ行ける神器があるというのだった。
「上位霊体が存在する次元は、この世界とは全く異なっている。寺院に住まっていた黒の導師たちは、その次元はひとつ上に位置するものとみなして、〈上の世界〉と呼んでいた。天河をめぐる輪廻から外れて、魂の霊位を究極まで上げれば、そこに至れる……そう信じていた」
黒髪様曰く、黒の導師は神を崇めない。自らが神となるために修行していたという。
ゆえに導師たちの間では、〈上の世界〉へ至った人の話が言い伝えられていたそうだ。
寺院の開祖、すなわち初代の最長老であった黒き衣のエリュシオンは、秘法を駆使して何千年もこの世にとどまり続けて魂の霊位を高め、ついに上位霊体と同じものになった。黒の導師たちは、偉大なエリュシオンと交信するために、黒の技で〈門〉と呼ばれる神器を創り出したという。
エリュシオンは何百年もの間、寺院に神託を授ける神として君臨したそうだ。
だが、彼と対話できる神器はいつしか、封印所から無くなってしまった。
何代目かの最長老がエリュシオンに造反して、神器を封印所の奥に隠したのだ。神器はそのまま行方不明になったのだという。
「それを、黒髪様は寺院にいるときに見つけたんですね」
「そうだ。本当に偶然に発見できた。あの広い鍾乳洞の片隅、冷気放つ橙煌石の洞窟の近くに……たいして大きなものではない。小さな石碑で、神聖文字がびっしり彫られている。実は、見つけたときに試してみたんだ」
「えっ?」
「レクリアルに出会う前の私は、この世を厭っていたから……どこかこの世ではないところに行きたいと思っていた。石碑に刻まれた韻律を唱えたら、たしかに、この世から飛び出ることができた。だが、〈上の世界〉は未熟な魂にはおよそ耐えられないところで、私はすぐに弾き飛ばされてしまった」
「待って、それじゃ……」
たとえ上位霊体がいるところへ行けても、また同じことになるのでは?
クナが聞くと、黒髪様は心配いらぬときっぱり答えた。
「龍蝶の魔人は体から魂を離せないから、私自身が〈上の世界〉へ昇ることはできない。君もたぶん、数秒とあそこにいられないだろう。平気で何日でも滞在できそうな奴に行ってもらって、第三のタケリと話し合ってもらおうと思っている。千年どころか、万の齢を経てなお存在する魂に」
「一万年、この世にいる魂? そんなに古い魂って……あ……まさか」
「ウサギはとっとと封印しろと言ったが、私はそうしないつもりだ」
機械鳥がきゅるると鳴いた。ウサギが塔の近くへこいと呼び寄せてくれた妖精たちの船が、前方に見えたからだ。しかしクナは船影に喜ぶ場合ではなくなり、驚きのあまり息を呑んだ。
「まさか剣の魂に、頼むつもりなんですか?」
いやだが、かの剣は義眼に吸い込まれ、閉じ込められている状態だ。ウサギは、義眼から分離できないと匙を投げたではないか。
しかして機械鳥を操る黒髪様は、なんとかできるかもしれないと答えてきた。
「寺院の封印所には、灰色の技や黒の技で造られた、人魂を吸い込む系統の遺物がごまんとあった。壁一面に嵌まっている鏡とか。壁画とか。そういうものは取り外せないから、おそらく今も残っているはずだ」
義眼が吸い込んだものを別のものに移し、その過程で剣の魂だけ取り出せないだろうか。
ぜひ試したいという黒髪様の言葉に、クナはますますたじろいだ。
「それは危険です。ウサギさんは、箱から出さないままで、封印した方がいいと……」
「私は二度と、義眼に触らない方がいいだろうな。モエギにやってもらうよう説得しよう。うまくいかなければ、寺院に住まっている幽霊に、〈上の世界〉へ行ってもらうことにする。あそこには古い幽霊がわんさかいるから」
「そ、それって冗談ですよね?」
いや本当に、寺院にはピンからキリまでうじゃうじゃいたんだと、黒髪様はくすくす笑った。
「どの壁画にも何かしら憑いていたし。ほとんど精霊と同じものになってしまっている者もいた」
「お、お化け屋敷」
「そうだね。まさしくそうだ。でも本当に、剣の魂を取り出せなかったら、そういうものに依頼するしかないな。死して輪廻することを拒み、〈上の世界〉へ行きたがっている霊たちに……わが師とか……きっとたぶん……」
クナは黒髪様の腰に巻いた腕にぎゅっと力をこめた。寺院へ着いたら、大変なものに出くわしそうだ。
悠然と空を飛ぶ機械鳥は数刻たたぬうち、すめらの属州上空で、赤毛の妖精たちが操る飛行船を見つけた。ウサギが連絡してくれていたのだろう、船尾の平たい部分に降り立つと、赤毛の娘が待っていましたとにこやかに、クナたちを迎えてくれた。
「おじいちゃんから伝信で指示がありました。これより、全速力で岩窟の寺院跡へ向かいます」
「よろしく頼む」
「はい、任せてください。あらモエギ! 久しぶりね」
「セイジ! 元気にしてた?」
娘は鳥から降りたモエギとしっかと抱き合い、きゃっきゃと明るい声で言葉を交わし合った。どうやら姉妹たちの中でも特に仲が良い間柄らしい。娘たちは嬉々としてクナたちを船内に導き入れてくれた。
「交易船ですので、船室は質素ですし、ロビーは客船のように広くないんです。でもソファなど置いてまして、くつろげるようにしています」
モエギは出迎えてくれた娘と一緒の船室を使うという。クナたちは、一階上の客室をそれぞれ割り当てられた。花売りが入った船室の隣に、クナは黒髪様と二人で使うようにと通された。
言われた通りに質素な部屋だ。壁も床も白くて、二階建てになっている寝台と小さな卓が壁についている。
「ウサギさんと妖精さんたちに、すっかりお世話になってしまって。なのにゆっくり御礼を言うひまもなかったわ」
背に負う銀の袋を小卓に置きながら、クナは悩ましいため息をついた。
「私とレクリアルは、ピピ師の島に永らく住んでいたから、ありがたいことにピピ師には、身内だと思われている」
「いつか恩返しをしたいけれど。あたしに何ができるかしら」
「アロワニンジンでも贈るといい。西方で採れる高級ニンジンだ」
「ニンジン? たしかにウサギさんは好きそうだけど」
「ウサギの一族みんなが喜びそうなものといえば、時計や機械の部品になりそうなものだな。寺院の奥にそういうものが残っていれば、持って帰るのもいいだろう。それにしても……」
寝床はひとつでよいのにと、黒髪様はぼそりとつぶやいた。
「え、ひとつ……」
「夫婦なのだから、ひとつだけで十分だろう?」
やっと二人きりになれたと、黒髪様はクナに微笑んで、クナの白い手をそっと握ってきた。袋の口を開けて鏡を出しかけていたのだが、紫色のふくさに包まれたそれを、黒髪は袋の中に押し込んだ。
「鏡はしばらく、出さないでおいた方がいい」
「どうし……」
クナの問いが口づけに呑まれた。熱くて優しいものが口の中を愛してくる。
暖かい腕がきつくきつく、クナを抱きしめてきた。
「黒髪さ……ま」
「体が固まってよかった。羽化したから、子を宿せるようになっているはずだよ。生まれ変わる前の君が望んだ通りに……きっと子供を作れるだろうね」
ひとしきりクナをとろけさせた口から、澄んだ囁きが漏れた。
「君が望むなら……いてもいい」
「え……」
「子供がいてもいいかもしれないと……思った。だから……」
クナの体がふわりと浮いた。黒髪様が抱き上げたのだ。どきりとする言葉が、口づけと共に額に落ちてきた。
「試してみようか?」