6話 眠れる魔人
日が暮れても、白の塔の中はまったく暗くならなかった。
塔の壁面は、きらきらとまばゆいまま。赤毛の妖精たち曰く、塔は、昼の間に吸い込んだ天照らし様の光を発散しているのだという。
妖精たちは三階の壁に黒い天幕を張り、夜の空間を作った。毎晩、消灯時間になると光を遮断して、目を休めるというのだった。
「輝きすぎるのも問題よね」
「光量が調節できるといいわよね。あと、壁だけじゃなくて、床も自然にできあがるといいわ」
「中が竹みたいな構造だといいんじゃない?」
夜の空間のおかげで、クナは自分の目が思った以上に見えることに気づいた。
暗いところでは、ぼんやりとではあるが質感がちゃんとあるように見えるのだ。うっすらと色も分かった。
妖精たちの髪は、燃える炎のよう。彼女たちは、それぞれ違った色のスカートをはいていた。
花売りの髪は、天照らし様の光のよう。袖や裾に紋様が入っている、木の葉色の上着を着ていた。
倒れた黒髪様は、肌は月女様のように白くて、あとは真っ黒だった。
「黒い服……夜を吸いこんだみたい」
黒髪様はこんこんと眠り続けている。
クナも休むようにと、赤毛の妖精たちは、黒髪様の隣に寝床を用意してくれた。ふわふわした感触の分厚い布はとても心地よく、周りからはほどなく、妖精たちの寝息が聞こえてきた。だがクナは、心配のあまりほとんど眠ることができなかった。
「息がかぼそい……止まりそう」
クナは何度も黒髪様の白いかんばせに耳を近づけて、呼吸が止まっていないことを確認した。
優しい花売りはクナに付き合ってしばらく起きていた。
「すごいですね、この寝床、肌触りが最高です」
ふわふわの寝床が痛く気に入ったらしい。商魂たくましい彼は、夜番の妖精たちから、材質や製法を詳しく聞いていた。
「なるほど、赤の砂漠で栽培される綿花から糸をとるんですか。これ、大陸中に広めたいです。うちの花畑で栽培したいなぁ」
「北国の気候では、育たないかもしれませんよ?」
「支社の敷地で育ててみます。そうですね、ファラディアあたりで。砂漠地帯の気候と似てますから、育つんじゃないかな。うん……たぶん」
花売りは、自信なさげにため息をついた。
「いつもならこういうとき、剣が色々教えてくれたんですよね。うるさく言って来る人がいなくなったので、正直寂しいです」
剣の魂は天河に昇った気配がないと、花売りは夜番の妖精に訴えた。黒髪様が今だ固く握っている義眼に、一緒に吸い込まれた可能性が高いというのだった。
「黒髪の人が、結界で爆発範囲を縮めてくれたわけですが、あれは相当に強力なものだったようです。剣の魂は、外に出られなかったみたいです。閉じ込められたままでは、さすがに可哀想なので……魂の抽出を、ピピ様にお願いしたいと思っています」
しかしウサギは、魔導帝国の船に行ったまま。夜が明け、南中を過ぎても帰ってこなかった。
赤毛の子が入った円筒を無事に収容した御座船は、いまだ飛び去る気配なし。ぶんぶんという静かな機関音をあたりに落としながら、塔のそばに停泊している。
「神帝陛下が復活するまで、ピピ様が拘束されるということは、ないですよね」
「ひと月ふた月、御座船がずっとここにいるとは思えません」
「おじいちゃんは、船が移動するときにはいったん、こっちに戻ってくると思います」
剣の昇天を見届けたいからと、花売りはウサギを待つことにした。
クナは黒髪様のそばで、花売りとぽそぽそ食事をした。朝も夕も実に美味しいパンを妖精たちからもらったが、睡眠同様、食欲は湧いてこない。金髪の商売人は、うなだれるクナを励ました。
「黒髪の人はきっと大丈夫ですよ。今まで会った竜蝶の魔人の中で、桁違いにしぶとい。剣は、そう愚痴ってました」
「剣さんは、黒髪さまのことはあんまり、好きじゃなかったみたいでした」
「ええ、かなり仲が悪かったようです」
パンをちぎりながら、花売りは苦笑した。
「実は、剣は僕に、あなたを口説けと再三言ってきてました」
「えっ……」
「フィオンの子孫なんだから、あなたを娶る権利があるっていうんです」
「フィオン……」
「ご先祖様はレクリアルの親友であり、守護者でした。剣が言うには、黒髪の人とレクリアルを取り合って、喧々囂々、熾烈な争いを繰り広げたそうです」
「そ、そんなことが」
いまだクナの中で眠っている記憶の中には、因縁深いものが色々ありそうだ。
すめらの星たるあなたは、大変魅力的ですが……と、花売りはごそごそ、伝信用の水晶玉を取り出した。
「でも僕には、心に決めた人がいるんです。剣に打ち明けたら、いや、我が主の方がずっといい、考え直せって、えんえん、主人びいきの大演説を聞かされちゃいましたけど。僕には、彼女が一番です」
水晶玉がぴかぴか点滅する。繋がった伝信先からイチコの応答が聞こえてきたので、クナはパッと表情を明るくした。
『社長ですね? こんばんは』
「定時報告。こちらピリカレラ・サンテクフィオンです。現在、剣の処理を続行中。ピピ技能導師が造った塔にいます。塔にて、スミコさんと黒髪の人に遭遇しました。そちらの様子はどうですか?」
――『スミコ? まさかしろがねがいるんですの?!』
水晶玉の向こうから、懐かしい声が割り込んできた。
活力にあふれた、陽光のようなこの声は……
クナの貌はたちまち、歓喜に満ちた。
「リアンさま……!」
『しろがね?! ああ、ほんとにしろがねの声ですわ!』
水晶玉から、懐かしい声がきんきん響く。元気に飛び跳ねる鬼火のように。
リアン姫の声はわずかに湿っていて、しきりに鼻をすすっているようであった。クナも、じわじわ濡れてくるまぶたを何度も拭った。
『あなたがこときれて、あたくしたち、めちゃくちゃ泣いたんですのよ!』
「ごめんなさい……! あたし今は、元気です。羽化しました!」
『羽化?! ちょっと、それってどういうことですの?!』
事情を話せば、リアン姫はなんという奇跡かと、灰色の技師に対して感嘆の声をあげた。
『ピピって技師、凄いですわね。しろがねの傷をあっという間に癒やすことができるなんて。さっそく、ミン様に報せないと。でもあれですわ、鏡には、このことは知られないようにしなくてはいけませんわ』
「鏡、ですか?」
神降ろしをしたとき、祭壇にあった大鏡。鏡自体は、手足にすぎないようだが、その中に潜むものが、実はすめらを支配している。その恐ろしきものがひどい公報を出したのだと、太陽の姫はクナに言った。
『太陽の巫女王は、黒い悪鬼を蘇らせた大罪人だって。だから、処刑されたって。いいことしろがね、生き返ったことを決して、鏡に知られてはいけませんわ』
リアン姫は怒濤のようにまくしたてた。
クナの従巫女たちは太陽神殿で蟄居の身だが、元気でいるとか。
シガは怪我をしたがなんとか回復し、今はつわりがひどそうだとか。
『月と星の大姫様は、なにげに犬猿の仲みたくなっちゃって――』
――『スミコちゃん?! スミコちゃんなの?!』
またもや、声が割り込んできた。
『あたしだよ。トウのコハク! よかった、どうにか元気でいるんだね!』
『ちょっとコハク様、水晶玉を返してくださいません?』
『あのう、姫様方、それは私の玉なのですが』
イチコの嘆息が伝信に入ってくる。姫たちは大人げなく水晶玉を奪い合っているようだ。
コハク姫も、リアン姫と同じことを言ってきた。
『大鏡は、ほんとにやばいよ。スミコちゃん、重々気をつけて。このまま別人を名乗って、すめらから出るのがいいと思う』
「ありがとう、でもあたし、逃げ去るわけにはいきません。御所の地下から蘇ってしまったものを、なんとか鎮めたいと思ってます」
『黒い悪鬼が出現したのは、鏡がスミコちゃんを殺したせいだって、リアンは言ってる。スミコちゃんのせいじゃないだろ?』
「でも、その悪鬼というのはたぶん、あたしのお祖父様なんです」
『えっ?!』
「義憤からとはいえ、黒髪さまが封印を解いちゃったし、血族としても、見過ごすことはできませんから……あ、皇子様は、お元気ですか?」
『あ、ああうん、それはもう』
『あたくしがなぜか、乳母になってますわよ!』
リアン姫の声がびんびん響く。ずいぶん感度良好だなと、花売りが驚いた。
もしかしてこの近くに彼女たちを乗せた船がいるのかもしれないと、彼はそわそわ天井を仰いだ。
「イチコさん、もしかして、この塔の近くにいませんか?」
『昨日、塔のすぐそばを飛びました。いつでも社長を拾えるよう、近隣空域を旋回していただいております』
「ありがたいですが、僕は大丈夫です。かまわず、ただちに空域離脱してください。塔のそばに魔導帝国空軍総旗艦、神帝船〈アズライール〉が停泊しています。触らぬ神に、祟りなしです」
『了解しました。ピピ技能導師の塔におられるなら社長の御身は安全かと思いますが、どうか、聖炎の金獅子の咆哮に焼かれませんよう、お気を付け下さい』
「もうすでに、どつかれました」
『な……ご無事ですか?』
「本社に戻ったら、看病してください」
『いいえ社長、負傷の状態を詳しくピピ技能導師と助手たちに伝えて、ただちに治療を受けてください』
花売りはイチコの反応に苦笑した。ほんと通じないんですよねえと、ひそひそぼやく。
「息も絶え絶えの重傷だって言って、即刻こちらに来て欲しいところですが。危険極まりない船がいるのでだめですね」
もしかして、花売りが心に決めた人というのは……。
クナが驚いている間に、サンテクフィオン社の水晶玉は、再びリアン姫の手に収まった。太陽の姫は気を利かせて、シガのもとへ水晶玉を持っていってくれた。シガは船室に鍵をかけていたようだが、姫に呼ばれて渋々顔を出してきたようだ。たじろぐ気配が伝わってくる。
『しろがね、羽化しても目はそのままなの? 今、シガを水晶玉に映したけど……』
「おぼろげに、何かいるのは見えます」
『ほんと? よかった、前より見えるようになったのね? 素晴らしいわ!』
シガは喉を潰されているので、話すことができない。でも主上から教えられて、つたないながらも字を書くことが出来るらしい。それで姫たちに、自分の身の上をある程度、教えてくれたという。
『シガによると、故郷の村人はみんなほとんど竜蝶なんですってね。月神殿の者に捕らえられたときに、シガや村人たちは、自分たちが他の人間と違うことを、初めて知ったそうですわ。つかまった竜蝶たちは、南州にあるトウイの御料地に運ばれたんですって』
『スミコちゃんごめん、うちの父様、ほんとに、えげつないことをしてた。まさか村人を全員さらってたなんて。ごめんね』
コハク姫が謝ってくる。シガの親族や村人たちはおそらく今も、トウイの別邸に囚われている。彼らをなんとか保護できないかと、姫は現在、金獅子家に掛け合っているそうだ。
『このすめらで、私は無力だ。神官族は鏡に逆らえず、私は鏡に狙われている。誰かを救うどころか、自分の身も危うい。だから、異国の力を借りることにした。
シガの事情を知った私は、今朝方、金獅子州公に頼んだ。隠密部隊を父様の屋敷に投入して、囚われている竜蝶たちを救い、異国に安らかなる居住地を与えて欲しいと。宮処が破壊されて中枢が混乱している今、月神殿の伝信系統は乱れている。だから、どさくさに紛れて、屋敷を強襲することができるはずだと。私と共にいるシガは、第二位の帝位継承者となるかもしれない子を宿している。ゆえに、彼女の親族を助けることは、すめらの帝室を助けることと同義であると。
金獅子州公は、帝室の庇護者になりたがっている。恩を売る気満々だから、きっと、国母になるかもしれない私の願いを叶えてくれるだろう』
決意固く、息を吸い込む音が聞こえた。
『スミコちゃん。君とシガの家族は、透のマカリが救う。これはせめてもの、罪滅ぼしだ』
「コハク姫……!」
ああやはり、百臘の方たちが推察した通り。コハク姫はあのマカリ姫だったのだと、クナの胸は震えた。屍龍の生け贄になるはずだった、月の巫女姫。奇しくもクナが、その身代わりとなった。
その姫と縁を結び、ついにはこうして、購いを受けることになるとは。
なんとも数奇な巡り合わせだ。
「ありがとう、コハク姫……いえ、マカリ姫。どうかシガを。あたしたちの家族を。村の者たちを。お願いします!」
クナは水晶玉に深々と頭を下げた。それから、意志の強い姫たちに囲まれ、萎縮している気配を醸す妹に、声をかけた。励ましの思いを込めて。
「シガ! 元気な赤ちゃんが生まれるよう、祈ってるわ」
水晶玉の伝信が切られると、クナはよかったと安堵の息を吐いて涙ぐんだ。
家族や村の者たちのことは、心の底でずっと気にしていた。月の大姫が聖衣を新調したと知ったときには、心が乱れた。村の者が殺されて、糸を取られたからだ。
月の一位の大神官たるトウイの権力は、このすめらでは強大だ。ゆえに、月神殿から竜蝶たちを救い出すのは不可能だろうと、半ば諦めていたけれど……
花売りが、よかったですねとクナに声をかけてきた。
「はい……! 花売りさん、みんなの声を聞かせてくれて、ありがとうございます」
「いえ僕は、単に、定時報告しただけですよ。そんなに何度も、頭を下げないで下さい」
花売りは優しい人だ。クナが元気になるようにと、わざと伝信をしてくれたのでは。
そんな気がして、クナは彼に何度も礼を言った。
妖精たちがどうぞこれをと、二人のもとになんとも香ばしい匂いがする揚げ菓子を持ってきた。
パンと同じく、娘たちが丹精込めて手作りしたという。
そういえば食事していたのだったと、クナは輪のような形のそれに、手を伸ばした。
そのとき――
「きゃあ?! 動いた?!」
「いきなり?」
異変が起こった。
妖精たちが悲鳴を上げる。クナもぼとりと、菓子を床に落とした。
眠り続ける黒髪様の左腕が、突然、がくがく震えだしたのだった。
「い、一体どうしたの?!」
その痙攣はたちまち、黒髪様の全身に及んだ。
クナは驚いて、びくりびくりと激しく動く体を、両腕で押さえつけるように抱きしめた。
今まで経験したものより、はるかに重たい魔法の気配が降りてくる。花売りが悲鳴を上げて、床に這いつくばった。妖精たちも立っていられず、床に倒れて苦しそうに呻いている。
魔法の気配は、黒髪様が降ろしたのだろう。だが、彼のまぶたは固く開じられたままだった。
「黒髪様! 気配が、重すぎます!」
立ちあがれないほどの重圧で、めきめきと床が軋む。
異様な魔力放出に気づいて、大勢の妖精たちが三階に昇ってきた。娘たちはたちまち膝をつき、これは尋常ではない力場だとおののいた。
「スミコさん、一体何が起きたんですか?」
「わ、わかりません。急に黒髪様が、震えだして……!」
体の痙攣が止まらない。黒髪様を見た妖精たちが、なんて苦しそうな表情だと息を呑んだ。クナはびくりとして、良人たる人をさらに強く抱きしめた。
ああ、まだ目がよく見えない。どんな貌をしているか分からない――
「田舎……娘……」
かすかな囁きが、黒髪様の口から漏れてくる。
「ど……こ……」
「大丈夫。大丈夫よ。あたし、ここにいるわ。だから心配しないで。苦しまないで」
クナは重い気配の中でなんとか体を動かし、自分が被っていた黒い衣で、黒髪様を包んだ。そうした方が良いと、直感したからだった。
しゃらんと唄う衣に触れると、黒髪様の体はゆるゆると弛緩していき、だらりと腕を落とした。
とたん、急速に魔法の気配が消えていった。
びきびき鳴っていた床が静かになり、空気が劇的に軽くなる。
恐ろしい重圧から解放されたので、みなはホッと息をついた。
黒髪様はすっかり落ち着いて、また死んだように眠る人に戻った。全身の力が抜けているようだが、左手だけは、ぎっちり義眼を握ったままだ。カチカチに固まっている。
クナも妖精たちも花売りも、一斉に、そこへと視線を向けた。
「これってまさか、義眼が原因じゃ……ずっと、握ってるんです」
クナの目には、拳は黒い輪郭の塊にしか見えない。痙攣は左腕から始まった。この拳から、得体の知れない波動が出たのだろうか。
義眼はおそろしい熱量の力を吸い込んでもなお、余力があるというのか。
それとも、中に入っている力が、黒髪様を呼んでいるのか。
「義眼を、手から外したほうがいいんじゃ」
「あたしもそう思います」
クナは、固い拳を柔らかくするべく優しくさすったり、指を一本ずつ放してみようと引っ張ったり。妖精たちが持ってきてくれた暖かい湯につけたり、香油をすりこんだり。
なんとか黒髪様の拳を開こうとしたのだが、固まったそれはびくともしなかった。
見守る誰もが、ダメかとため息をついたとき。
「しろがねさんという方は、どこですか?」
三階に、赤毛の妖精がいま一人、駆け昇ってきた。
他の娘たち同様、その娘も色違いのスカートをはいているようだが、それはゆたりとした衣にかくれているようだ。まばゆい輪郭の下の方、裾の部分がふわりと揺れる。
「あら、モエギ!」
「モエギ姉さま!」
妖精たちが口々にその娘の名を呼んで、嬉しそうに迎えた。
「大安から、退避してきたのね?」
「大丈夫だった?」
大安。そこはたしか、古き都とよばれているところ。そこは……
「竜蝶の帝とタケリ様が暴れているところから、来たんですか?」
よくぞ無事で、ここにやって来たものだ。破壊者たちについて、さらに詳しい情報がもたらされるに違いないと、クナはたちまち緊張して、体を硬くした。
「もう、阿鼻叫喚。大安は滅茶苦茶よ。命からがら、なんとか脱出できたわ。あなたがしろがねさんね? おじいちゃんが、あなたがこの塔にいるって伝信で伝えてきたの。そうしたら、ぜひここに身を寄せたいって、雷さんが言うものだから、私、彼女を持って来ました」
「レイ……? 持って……きた?」
まばゆいモエギの輪郭が、円く輝くものを差し出してくる。
まさかそれはと、クナは目をまん丸くした。
『ふあ。モエギよ、しろがねの所に、着いたのかえ?』
「鏡姫さまっ!!」
クナは、受け取った鏡を強く強く、抱きしめた。ころころ笑い声をたてる、光り輝くものを。
嬉しくて、涙がぼろぼろこぼれてくる。きんきんさらさら、心地よい鏡の声は、クナを慰め励ましてくれた。
『おやまあ。妾との再会を、そんなに喜んでくれるとは。嬉しいのう』
「鏡姫さま、どうして大安に?」
『大翁様のもとに行くはずじゃったが、それが叶わなくなってのう。その話を詳しくする前に、そなたが今直面しておる困りごとを解決しようかの。なんと、黒すけが、黒髪様に戻っているではないか?』
「はい。でも今、大変なことに……」
クナの腕の中で、輝く鏡はキラリキラリとゆっくり明滅した。まるでじっくり、何かを調べ上げるように。
『尋常ではない力場ができていたようじゃな。異様な波動を感じるぞ。黒髪様が左手に持っておるのはなんじゃ? それが黒髪様の魂のみならず、体まで吸い込もうとしているようじゃ』
「やっぱり……義眼を手から外したいんですが、手が開かなくて……」
『なれば手を切り落とすか、右手に同等の吸引力があるものを持たせるかじゃ』
鏡姫は即答した。
『妾を右手に持たせよ。黒髪様を引っ張ってみよう』
彼女はこともなげに言った。ほほほと、機嫌よろしく笑いながら。
『灰色のモエギより与えられた、我が力。試してみようぞ……!』