表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒の舞師 ~身代わり巫女は月夜に舞う~  作者: 深海
六の巻 不死の皇帝
120/171

4話 胡蝶

 黒衣に包まれ抱きしめられながら、クナは途方にくれた。


『どうか、この心核を預かってください……』


 剣に頼まれたことを打ち明けたら、良人(おっと)たる人はとんでもないと、血相を変えて止めてくるだろう。

 光の塔と化した御子は、ユーグ州を破壊した。

 剣は御子に喰われた魂たちを解放したと言ったが、魂が骸に戻ることは不可能だ。日が経ちすぎているから、天河へ昇っていくしかなかったはずである。

 多くの人命が失われ、失われた街や村は数知れず。被害を受けた誰もが、光り輝くあの神獣を憎み、呪っているに違いなかった。

 誰もが恐れ、嫌悪する存在。それが自分自身だといきなり突きつけられても、受け入れられないのが普通の反応だろう。

 クナは頬に落ちた黒髪様の涙を、指先で拭きとった。

 この涙は塩辛い。そう思ってそっと口に含めば、思った通りだった。

 あたりがまばゆすぎて、黒髪様の姿は光の中に埋もれている。顔も輝きすぎていてよく分からない。

 布越しに伝わってくる彼の体温は、まったく冷たくなかった。クナに刻まれた炎の聖印を中和するために、橙煌石を胸に嵌めていたはずだが……


「体から冷気が出てない……」

「必要なくなったから、石は外した。君は一度死んだ。そのとき聖印の効力が失せたんだ。だからもう、君の体は熱くはならない。鉄壁の加護も消えてしまった。あの強力な技が破られるなんて、信じられないが……」

「皇太后さまには、なにか恐ろしいものが取り憑いていました」

 

 クナを傷つけた者は、砕けて死んだ。加護はちゃんと発動したのに、クナは死んでしまった。クナが受けた〈制裁〉は、本来なら、体がその場で木っ端微塵になるほどのものだったのかもしれない。相手の破壊力は大幅に緩和されたが、それでも十分に致命傷だったのだ。

 

「あの加護を上回る破壊力を持ち得る者は、この大陸にほとんどいるまい。神獣か、それとも本物の神か。そのような者の中でも、相当に霊位の高い者でなければ無理だ」

「霊位の高い神……」

「剣が吸い込んだ力も、そのような類いのものだとひと目で分かった。限界を超えている……」 

 

 深いため息がクナの頬に落ちてきた。


「あれは存在してはいけない。永遠に封印するべきものだろう」


 周囲でばたばたと、赤毛の娘たちが慌ただしく動いている。花売りと一緒に塔から飛び出していったウサギ技師から、伝信が入って来たようだ。ここにいる赤毛の妖精たちすべてに報せるため、水晶玉から発する声が増幅されて、あたりに響き渡った。


『花売りが剣を見つけた! もうだめだ、赤く光ってひび割れて、ぶすぶす燻ってる! 花売りは避難させる! 剣にはオレひとりで近づく! 塔に結界を張れ!』

「了解、おじいちゃん! 結界はすでに張り始めてます!」

「おじいちゃん、気をつけて!」 

『剣まであと60パッスース!』

 

 クナを守るぬくもりが離れた。黒髪様は立ち上がり、ぶつぶつと韻律を唱え始めた。たちまち魔法の気配が降りてきて、クナは分厚い結界に囲まれた。


「張れるだけ結界を張り、羽化するまで君を守ってくれたこの塔を守る。君はまだ柔らかい。絶対にここを動くな」

「は、はい!」

「羽化は完璧だ……本当によかった」


 願い石のおかげだと、クナは胸元にある糸巻きを抱きしめた。糸巻きは首にちゃんとかかっている。もうひとつ、母の形見を首にかけていたはずだが、手探りしても体にはついていなかった。義眼のように、足もとに落ちてしまったのだろうか。

 どずん、どずんと空気が重みを増し、クナの周囲がさらに閉じられていった。


「くそ、嫌な予感がする。もっと守りを固めないと」


 分厚い鉄の壁に閉じ込められたような、息苦しさが襲ってくる。黒髪様の声や赤毛の妖精たちの気配が、急激に遠のいた。物理結界を張られたために、音が遮断されたのだ。

 しかしウサギ技師の伝信は、飛空船の艦内放送のように大音響で鳴り響いているがため、まだかろうじて耳に入ってきた。


『あと10パッスース! 9! 8……ちくしょう、柄の宝石が完全に割れた!』


 ああ、だめだったのか……

 恐ろしい振動や爆発が起こるのかと、クナは身を縮めた。

 だが、幸いそのようなものはやってこなかった。


『なんだこれ! 剣の周りに結界が張ってある! 爆発が半径2パッスス内に収まって……これ韻律?! ああ、黒髪がやったのか!』


 黒髪様は剣を蹴り飛ばす寸前、剣に封印結界をかけたらしい。爆発しても心核の力が飛散しないように、とっさに最低限の防御策を施していたようだ。

 

『でかした黒髪! おまえ寝ぼけてなかったんだな! 剣はこっぱみじんになったけど、結界内で力が凝縮して球体になってる! 今のうちに吸い込むぞ!』

 

 なんとか、大陸はかち割れずに済みそうだ。しかし黒髪様はさらに、結界を重ねている。

 ずいぶん離れたところで魔法の気配が降りているのが、内側の結界に伝わってくる振動で分かった。

それが証拠に、技師の伝信は結界の壁で徐々に遮断されていき、ついにはまったく聞こえなくなってしまった。


「黒髪様? どうして? ウサギさんは間に合ったんじゃ……」


 念には念を入れて、心核の吸収が終わるまでは、全力で防御を高め続けようというのか。

 剣の魂が壊れていなければいいのだが。

 封印結界に阻まれて、剣の魂はまだ爆発の中心にいるはずだ。もしかしたら義眼の中に一緒に吸い込まれるかもしれない。あとで抽出して、天河へ送り出すか、別の宝玉に封じて復活させられたらいいのだが。

 しかして、御子の力が籠もった義眼はどうしたものか。

 たとえ黒髪様を説得できても、恐ろしい力が籠もる物を、いつまでも預かっておくことはできないだろう。どこかに封印してしまった方がいい。どこか人の手の及ばないところに……

 クナは考えながら、繭の底を探った。黒髪様の衣を頭から被り、あたりのまばゆさを遮りながら、見つめてみれば。(さなぎ)の皮の中に、母の形見を入れた袋らしきものが張り付いているのがおぼろげに見えた。


「袋が溶けてる。中身も……聖白衣って竜蝶の繭糸からできてるから、繭と同化してしまったの?」

 

 まだ湿っている蛹の皮をクナはきれいにたたみ、その上に、皮から引き剥がした形見の残骸を置いた。 それから繭の壁を両手で裂いて、隣にきちんと重ねていった。どちらもくらっとするほど、甘い芳香を放っている。

 確かにこれは自分の血の匂いだと、クナは気づいた。

 

「繭は間違いなく、あたしの体の一部なんだわ」


 裂いて細かくしてしまったから、この繭から糸は取れない。短すぎて、縒り出すことができないだろう。秘薬になるとも聞いたが、それ用にはまだ、使えるのだろうか。しかしこれに、まこと不老不死の効力があるものなのか……


「え? 地面が揺れ……」


 突如、強い振動があたりの結界を震わせたので、クナはよろけて膝をついた。

 技師が心核の吸収を始めて、それなりに時間が経ったように思うのだが……

 作業途中で、心核を内包した黒髪様の結界球が、もしや飛散してしまったのか。 

 振動が止まらない。床に両手をつき、クナは恐ろしい地震に耐えた。

 ばりんばりんと、音を立てて周りの結界が砕けていく。

 壁が割れていくごとに、遮断された音が徐々に戻ってきた。   


「近づくな!」 


 かなり離れたところから、澄んだ美声が聞こえた。クナは歌う衣から顔を出し、あたりのまばゆさをなんとかこらえて、目を凝らした。塔の入り口あたりに、黒髪様らしき人の輪郭が見えた。赤毛の娘たちもそこに殺到している。

 塔の入り口を埋めるその人垣は、激しい振動を受けて怯み、塔の内側にじりじりと後退した。

塔の外から内部に向かって、展開されていた結界が次々と壊されているらしい。

 しかしてその現象の理由は、爆発した剣のせいではなかった。

 

「ちょっと! お願い放して下さ……!」


 ウサギ技師の悲鳴が耳に飛び込んでくる。

 

「す、すみません、首根っこを掴まないで下さ……」


 花売りがうろたえる声も一緒に聞こえた。そのとたん、轟く咆哮が、人垣が退いた入り口を激しく揺らした。どさり、どさりと、二つの人間の輪郭が、外から勢いよく転がされてくる。続いて、あたりよりもさらにまばゆい光の塊が飛び込んできたので、クナは耐えきれずに目を覆った。

 

「なぜ人の姿をしている? ウサギに戻れ、クソウサギ!」

 

 ああ、この轟く声は――

クナの体は恐怖に震えた。まさしくそれは、獅子の咆哮。神気をびんびんに放つ獣の怒声だった。


「音信不通になったから何事かと思ったら、なんだ、この体たらくは!」

「あのでも、護国卿、オレはもともと人間で、ウサギの方が、仮の姿で――」

「いいから早く、ウサギに戻れ!」


 目に入れられない光はごうごう吠えた。凄まじい神気で結界が割れていく。黒髪様が必死に結界を張り直す気配が聞こえたが、それもあえなく、展開したそばから砕けていった。


「すぐそこで何をぐだぐだやってるのかと見てみれば、俺の子の目に、くそったれなものを突っ込みやがって! ふざけるな!!」


 飛び込んできたのは、まごうことなく魔道帝国の護国卿。彼は容赦なく、勘気の波動を四方に飛ばしてきた。

 黒髪様がクナのもとに駆けつけてきて、かばうように抱きしめてくる。

 心核を吸い込んだ義眼が金獅子に奪われてしまったと、彼は呻いた。


「まずい……金の獅子が、怒り心頭だ」

 




 まばゆい塔の中で恐ろしい波動の嵐が吹き荒れた。

 黒髪様はこの苛烈な来訪者が来たることを予知したゆえに、剣から心核が吸収されたと知ったあとも、結界を張りまくっていたらしい。

 だが、勘気放つ大神獣にとっては、それはただの薄氷にすぎなかった。

 輝く光の塊の前で、人の輪郭をとっていたものがみるみる小さく縮んでいくのを、クナはなんとか目に捉えた。

 

「よし、ウサギに戻ったな。それでいい」

「む、無理矢理ウサギに変えられた……うそだろ……」


 光の塊の中に燃え上がる真紅の一点が見える。心核を封じた義眼だろう。

 義眼を手にしている護国卿は、獅子と人との間の形を取っているようで、彼の声には始終、ごうごうと獣の咆哮が混じっていた。


「ところでなぜここに、黒髪魔人とすめらの星が居る? クソウサギ、殊勝にも俺への生け贄にしようと、まな板に載せていたのか?」

「いいえ、違います」

「おまえ、一体誰に雇われているのか、忘れてはいるまいな。まさかこいつらのせいで、おまえは消息を絶ったのか?」

「いいえ、赤毛く……偉大なる神帝陛下に、光の塔を消去せよと命じられましたので、それで色々やってましたら、工房船が墜ちてしまいまして……」


 その答えは、金の獅子にとっては非常に気に入らないものだったらしい。

 にわかに、光の塊の周りにひゅんひゅんとかまいたちが吹き荒れ始めた。


「俺が欲し、血眼になって探していた力を、俺の子の目に入れたのはそういうわけか。クソウサギ、おまえはこの目を、俺の子に献上するつもりだったのだな? 俺の子が、おまえにそう命じたのだろう? あいつは俺が変化することを恐れている。だから俺の手に絶対渡らぬよう、隠そうと……」 

「ち、違います! そのような思し召しは承っていません。成り行き上こうなっただけです。本当に、陛下はただ、光の塔が消えることだけを望まれました。あなたが決して、食べないように」

「いや、喰わねばならぬ。ゆえに、この義眼は俺がもらう」

「それは絶対駄目です。返して下さい!」

「俺の子は、俺のものだ。すなわち俺の子のものも、俺のものだ」

「そ、その目は、返品されたものです! 閣下は、これはもういらないってオレに突っ返したでしょう! だからオレのものです!」


 次の瞬間、怒りの咆哮が光の塊から長々と発せられた。小さな生き物の輪郭がサッと飛んで、光の塊から真紅の一点を奪ったからだった。

 大変なことになってしまったと、クナは息を呑んだ。

 護国卿は御子の力を欲していたらしい。それでついに、ここを探し当てたのだろう。

 かまいたちが、逃げるウサギを追ってびゅんと飛んでいく。いとも簡単に塔の壁が裂かれて、大きな亀裂が入った。


「ちょっと! 破壊しないで下さいよ!」

「壊されたくなくば、目をよこせ!」

「オレのですってば! 閣下が注文されていたものが、ここにあります! ちゃんと出来上がっています! あまり暴れたら、それが壊れてしまいますので、どうか!」

「ああ、注文したものはしっかり貰っていく。だがまずは、その力を喰わねばならぬ!」


 獅子の波動がばきばきと、あたりの壁を壊していく。赤毛の娘たちが悲鳴を上げながら、わらわらと外へ退避していった。軽やかにかまいたちをかわすウサギが、みんな逃げろと命じたからだった。

 

「おじいちゃん!」

「おじいちゃん、外に大きな船が!」

「白い船がすぐそこに!」


 赤毛の娘たちは走りながら、口々に叫んだ。


「くれないの髪燃ゆる君の船が、います!」

 

 それを聞くなり、ウサギは雷に打たれたようにその場に止まった。


「ま、待って下さい! 閣下は、神帝陛下の船から降りてきたんですよね? 陛下はどうしたんですか? 閣下の飼い主たる陛下が一緒なら、こんな暴走は決して許さないはずです。まさか陛下は――」

「俺の子はもはや、自力では動けぬ」


 泣いているような笑っているような。形容しがたい永い吐息が、光の塊から吐き出された。


「今すぐ俺の子の魂を新しい体に入れてやりたいが、あの子の魂は割れかけている。魂の転移術には耐えられない。今のままでは砕けて無に帰すだろう。人知を超えた力の持ち主、神獣以上の霊位を持つ者でなければ、そこの黒髪野郎が俺の子の魂に負わせた瑕を、治してやることはできぬ!」

「閣下……あなたはやっぱり陛下のために……」 

「桁外れの神獣を喰らえば、俺の霊基はおかしくなるだろうが、そんなこと知ったことか! 俺は神となって俺の子を救う! だから今すぐ、その目をよこせ!」

 

 苛烈な咆哮が、輝く塊から放たれた。

 ぞくりとするほど禍々しい黒い風が立ち昇り、塔の中を荒れ狂う。

 不思議なことに、クナにははっきりその風が見えた。それは舞のつむじ風のようにうねり、獰猛な獣のように牙を剥いてきた。

 ウサギが風をかわして階上へ飛び逃げる。 

 クナを抱いた黒髪様も、金獅子が放ってきた衝撃波を何度もかわして飛びすさった。竜蝶の帝に追われたときのように精霊を喚んで背に翼を作り、階上へと舞い上がる。ギヤマンの板が嵌まっていない空き窓から、外に飛び出そうとしたのだが。獅子が放った黒い風は、クナたちを逃さなかった。


「精霊が喰われたか……!」


 黒いかまいたちはあっという間に、黒髪様の翼を巻き取り、散り散りにした。

 浮力を失った黒髪様は真っ逆さま。なんとかクナをかばって、背中から一階の床にどずんと墜ちた。黒い風はまだまだ勢いを増して噛みつくように襲ってくる。黒髪様は急いで精霊を喚び直して固い盾を作り、呪詛の嵐をしのいだ。

 

「くそ、君はまだ固まっていないのに」

「黒髪様、今すごい音が……背中を傷めたんじゃ……」

「大丈夫だ……」


 不死身だから平気だと黒髪様は答えたが、彼の息は荒かった。

 精霊を集めて翼を作ろうとするも、口から放たれる韻律が途切れる。獅子の怒りが、クナたちに降りかかってきた。

 

「俺の視界に入ったな! 黒き衣のトリオン! また殺してやる!」

「だめ! お願いやめて!」


 黒い風が槍の刃となって、黒髪様の背に突き刺さる。ずさずさと、幾本も。

 結界も精霊の召喚も追いつかない。クナをきつく抱きしめてかばう人は、その場から動かず、恐ろしい力をその身に受け続けた。


「いやあああっ! やめて!!」

 

 いくら不死身でも苦しいはずだ。なぜなら、クナを抱きしめる腕が震えている。

 このままでは本当に殺されてしまうのでは。こときれたらなんとか息を吹き返すのだろうが、そんな姿は見たくない――

 

「田舎、娘?」

「だめ!!」


 どくりと、クナの心臓がわなないた。刹那、クナは黒髪様の腕を押しのけて、自分が矢面に立った。

 彼を動かすには相当な力が要ったはずだ。しかし無我夢中の娘は、おのれの異様さに微塵も気づかなかった。

 刃の風を止めようと、クナは両腕を広げた。

 背後で黒髪様が何か叫ぶのが聞こえたが、その声は襲い来る風に阻まれた。

 

 来ないで!!


 その風を、クナは力いっぱい振り払った。とても重たく暴れているので、歯を食いしばり、何度も叩いて横に投げ捨てた。

 とにかく、黒髪様にこれが当たらないように。

 ただそれしか、クナは考えていなかった。

 

「スミコちゃ……!!」

「鱗粉が……!」

 

 背後から、ウサギと黒髪様が驚愕の呻きを投げてくる。


「なんだその透明な羽根は! 精霊か!?」


 正面で吠え猛る光の塊が、驚きのあまり後ずさった。

 

「羽根?!」

 

 そこでようやく、クナはおのが身を確かめた。前に走り出たときに、黒髪様の衣は落ちてしまっていた。だから糸巻き以外何も身につけていないはずだが、おのが腕の周りにきらきらと、光の膜がたゆたっている。あたかもゆたりとした衣のようなそれは、細かな光の粒からできていた。


「白胡蝶!!」


 ウサギが叫ぶと同時に、クナは飛んでいた。思い切り足を踏みきり、花音(かのん)を舞う。

 何か本能のようなものに突き動かされて、そうしたのだが。クナが回転するのに呼応して、きらめく膜が周囲に広がった。

 まるで無数の蝶が、はばたいて飛んでいくように――

 

 クナ自身が驚いてたじろぐ中。光る蝶たちはたちまち、黒い風を切り裂き、消していった。

 恐ろしい怒号が正面からあがる。蝶たちがあっという間に、光の塊にまとわりついて、その身を縛り上げるように、がんじがらめにしたからだった。 


「おのれ……!」

「無理に払おうとしたら駄目です、閣下! 御身がちぎれます!」


 ウサギが叫びながら、階上から飛び降りてきた。クナの脇をすり抜けざま、ばしりと彼女の手に義眼を押し込んで、光の塊に駆け寄る。

 

「動かなければ無害です! 鱗粉を極力吸い込まずに、どうかそのままで聞いてください!」


動けぬようになった獅子に、ウサギは叫び立てた。 


「閣下は神にはなれません! 陛下は、それを望んでないからです! あなたが、陛下のものじゃなくなるから、絶対嫌だと言ってました!」

「なん、だと……」 

「神になったら、契約が切れてしまいます。あなたは陛下の伴侶ではなくなってしまう。契約で繋がれている二人の魂は、離れてしまいます。でも、そばにいろと、あなたは命令されてます! その命令を、あなたは違えられないはずです! 陛下が唯一、あなたに課した強制なんだから……あの人の、唯一の願いなんだから!」

「う……」


 獅子の咆哮が止んだ。揺れていた大地が鎮まっていく。

 

「だが、神にならなければ俺の子は……」

「魂を治す術はあります」


 押し殺した声で呻く獅子に、ウサギは力強く答えた。


「玉座の卵を使ってください。魂を育てるあの器に入れれば、魂は砕けない。中に入っている魂が瑕を塞ぐでしょう」

「だがあれは……」

「そうです。陛下は小太陽と同化することになりますが、それこそ、あなたの望むものではないですか? 聖炎の金獅子の伴侶にして世継ぎの御子。あなたの魂の一部分が混じる陛下にとって、あなたは、まことの父親となるのですから」

「本物の、父に……」


 クナは目をしばたいた。まぶしい光の塊が、びくりと体を震わせたように見えたとたん。みるみるその光が落ちていき、はっきりと人の形をとった。

 その人に見つからないように、クナは義眼を手の中に包み隠した。

 しばしの沈黙のあと。その人が、満足げに囁くまで。

 


「ああ……それこそ、俺の望むものだ」




 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ