幕間 滅びの予言
一部残酷な描写があります。
苦手な方はご注意ください。
(今回は、大翁様視点のお話です)
細やかな木片が雨あられと降っている。
ずいぶん微塵に砕いたものだと、見た瞬間、感心してしまった。
我らの頭上で、漆黒の巨体がうねっている。なんとおぞましい……。
漆黒の熱波は周囲のものを吹き飛ばし、それどころか、深く地を穿ってきた。
木片を舞い上げているのは、黒い炎。天を覆うは、雷まとった暗雲。
ああ。どこからともなく、歌が聴こえる。
あどけない子守歌が……
「ぎゃあああ!」
火だるまになっているのはだれだ? 石の床にできた亀裂に嵌まりて、ごうごう燃えさかり、消し炭になろうとしているこの人は……
「ひいい、曇家のご当主が!」
我のすぐ隣で、透家の当主があわあわとしゃがみこんだ。
月の透威。月の一位の大神官だ。紫色の衣の両袖で頭を隠し、ただただ慄いている。
「し、死にたくない、死にたくないぞ!」
「ぐああああ! 誰か……助……!!」
曇家の当主は、見る間に焦げていった。黒く燃え盛る腕を我らに向けて、助けを求めながら。 まさか、この私にまですがろうとするとは……
哀れな。よほど混乱していたとみえる。
我の息子が曇家の巫女姫を手籠めにして以来、曇家の当主はかたくなに、私と言葉をかわすことを拒否してきたというのに。
犠牲者の炎を消すべく動けるものは、ひとりとていない。私も他の者たちも、自らを守るので精いっぱいだ。タケリの禍々しい神気の、くそ凄まじいことといったら。舌打ちしたいほど、苛烈に過ぎる。
「あな恐ろしい……! ここは、地下ですぞ?」
「地下三階、分厚い壁に守られた、帝室専用の護身処のはずなのだが。ここまで抉られるとは……!」
紫の衣が、炎にあおられ翻る。太陽の御三家……尚家のご隠居も、袁家の若き当主もまだ、かろうじて無事か。
さすがは太陽の者、若かりし頃は将軍として戦地に赴いたこともあるゆえ、神霊力は抜きんでている。なんとか結界を張り直して維持しているが、他の色の者たちは……
「ひぐあああああ!」
「ひいっ?! 芙殿?!」
「トウイ、我の足にしがみつくな」
「しっ、しかし、識破どのっ。これは地獄でございましょう!」
結界を維持できずにまたひとり、今度は月の者が燃えだした。
第三位の月の大神官、芙巴。月の巫女王の父君だ。
二位の大神官、朧家の当主の結界も危うい。
この光景は……夢で見た。
いつであったか、ずいぶんと昔だ。数年……いや、十年は前か。
我は透視は得意だが、未来予知はさほどではない。
夢に見ても、それが予見であると自覚することはまれである。夢が現実となりて、初めて予知していたのかと気づくことがしばしばある。
忌まわしきこの光景が、かつて夢でみたものと同一の結果になるのなら。
このあと我は……
「護身処が破壊されるなど……うああ! 炎の雨がっ」
「トウイ、我を押し倒すな!」
くそ、尻もちをついてしまった。我一人ならこんな炎ごとき、結界でたやすく弾ける。だがトウイが入ってきたおかげで、強度が心もとない。このままあとずさるしかなかろう。
「ああああ、鏡様が木っ端みじんですじゃ。地に破片が散らばっておりますぞ。なんということじゃっ」
「はは、鏡を守ろうという気は、あったのだがな」
気づいたら盾にしていた。壊れろという未秘の故意は大いにあったが、とっさのことゆえ、だれも気付いていないようだ。
――『はははは! そうだ抉れ! もっと地を抉れ、我の始龍! 宮殿の土台を作るには、深い穴が必要だぞ!』
空で躍る黒きものから、懐かしい嗤い声が降ってくる。
黒龍のごときミカヅチノタケリ。あれに乗っているのだろう。
おくり名を与えられなかった皇帝陛下。天で砕かれた直後、その存在を抹消された、我が君。
しかと、あの御方の視界に入っているであろう我らは。
いったい何人、生き残れるのであろうか――
紫の衣をまとう我ら。
太陽と月と星。各神殿の頂点に在る、各色の御三家。
その長たる我らは、総勢九名。
陽、尚、袁。
透、朧、芙。
輝、汪、曇。
我らはかつてこの御所にて、龍蝶の帝を滅せと、大いなる鏡に命じられた。
『忠実なるわたくしのしもべたちよ。すめらを滅ぼさんとする悪鬼を、封じなさい』
龍蝶の帝はすめらの敵。大スメルニアは、そう断じた。
魔導帝国の帝都スレイプニルに倣いて、我らは龍蝶の魔人と化した帝をタケリの巣に封じた。
紫明山のふもとは地形的に、大地の力がこの上なく蓄積しているところであったからだ。
碁盤の目のごとき街並みは、風水の羅盤図を具現させたもの。巨大な魔法陣にほかならない。その設計図はまさにここ、大安の御所で、我ら〈九人組〉が頭を寄せて生み出した。
一見整然とした、しかし実のところは、複雑に大地の力を編みあげた、鎮守の都。
すめらの敵を葬る巨大な墓。
それこそが、今の宮処の正体なのである。
だが……
神獣を封じる龍穴を、完璧に作りだしたはずなのに。強固な封印をたやすく破壊するとは。
あの黒い影の子は、一体いかほどの神気を持っているのであろうか? 実に、空恐ろしい。
『陽のご隠居。大遅刻ですな』
『はよう、鏡様の前へ』
五十年前のあの時のように、鏡と〈九人組〉は、列柱並ぶ大広間で、遅れてきた私をじっと待っていた。開口一番、大スメルニアは、感情のない冷たい声でぼやいてきた。
『実におぞましいことです。すめらの敵が、ミカヅチノタケリを強奪しました』
大いなる鏡は私を責めた。すめらを襲ったこの惨事は、我が養女たる太陽の巫女王の、邪悪な企みによって成されたというのだった。
『龍蝶の娘は配下の者に命じて、悪鬼の存在を探り当て、あろうことか封印を解かせたのです。
陽識破。そなたはなぜに、あの娘の謀反を看過したのですか?
龍蝶の娘を監視せよ。不穏な動きを見せたならば、即刻洗脳せよ。それが叶わねば、処分せよ。
わたくしは、そう命じ……』
我らは平伏して、鏡のご神託を拝聴していたが、鏡は突然ぶつりと、思考を閉ざした。
ざあざあという雑音が、しばし聞こえてきたのち。鏡はひどく機械的に、我らに危急の知らせを伝えてきたのであった。
『悪鬼とタケリが、この大安の上空に現れました。地下へ避難しなさい』
彼らが襲来しなかったら、我は鏡に断罪されていただろう。
我が権能をすべて、甥に譲るべし。そう命じられたはずだ。そしておごそかに、処刑の宣告を下されたに違いない。
ゆえに我は、ホッと胸をなでおろした。
飛空船をのろのろ進ませ、飛行場からの鉄車ものろのろ進ませ、できうるかぎり到着を遅らせた甲斐があった。おかげで、「すめらの敵」という、はなはだ不名誉な認証を公言されずに済んだのだから。
私と月の朧家のご隠居、それから星の望家の当主の三人が、大鏡を抱えて、長い石階段を下った。
護身処は、歴代の帝が有事の際におこもりになられたところ。星を割るほどの衝撃を受けても、鉄壁なはずであった。蔵の扉よりも分厚い扉は、押しても引いてもびくともしないほど重く、神霊力を使って閉じなければならなかった。
しかして暗い室内に入ったか入らないかのうちに、我らはかように悲惨な有様となった。あらゆる攻撃に耐えうるはずの聖なる結界も、分厚い壁も、一瞬のうちに崩されてしまったのだ。
天井は抉られ、瓦礫の雨。見上げれば、目に入ってくるのは昏い天。
「歌が聴こえる。開闢の言祝ぎが……」
「なんですと?」
しゃがみこんでいるトウイが、立ち上がった私を見上げてくる。ついに気が触れたかと、引きつり顔だ。
「しかもまぶしい」
「はい? 識破どの、あたりは真っ暗ですぞ? 黒い炎で、まるで夜のようじゃ」
「いや、鏡の破片が光っているのでな」
大スメルニアが龍蝶の娘をすめらの敵とみなしたのは、甚だ残念としか言えぬ。まさか宮処を破壊せしめた大罪人にするとは、よっぽど気に入らなかったのだろう。
しろがねの娘はたしかに色々、すめらの真実を探っていたようではあったが。公然と、鏡に逆らったというところか。
すめら百州を統べる鏡こそは、絶対的な神。逆らってはならぬ「法」である。
鏡を疑うこと。鏡に従わぬことは、すなわち、すめらの支配体制を乱すことに直結する。
大スメルニアにとって、「従わぬ」ということは、致命的な反逆にほかならない。
ゆえに、万死に値するのだ。
しかしまあこれで、私の夢は真実となるのだろう。我はここで――
そして次代の太陽の大姫が選ばれる。陽家のミン姫が、黄金の冠を被ることになる。
孫娘を救えなかったのが心残りだが。致し方あるまい……
「トウイよ、龍蝶の帝を滅したときも、その理由はしごく単純なものであった」
「はい?」
「五十年前、そなたの義祖父が〈九人組〉であったころの話だ。大スメルニアは、存在を抹消すべしとした帝に、なんだかんだと大層な、もっともらしい罪を着せていた。だが実のところ、廃位の理由はただひとつであったのだ」
命令に従わぬ。
ただ、それゆえに――
半世紀前。龍蝶の帝は勝手に星船を出して、災厄を止める英雄になろうとした。
かつて北五州から盗んだ黒龍、ヴァ―テインを持ち出したのも、鏡の意に反することであった。
帝の進発を渋々認めるかわりに、鏡はタケリを船に乗せよと命じた。
鏡が、すめらを守る「唯一の」神獣であると公認しているものを。
大スメルニアは異国のものを非常に嫌う。特に西方諸国のものは毛嫌いしている。
それは神獣においても同じであり、北五州の神獣はどうにも、すめらの守護獣であるとは認めたくなかったらしい。
なれども当時、龍蝶の帝は、かつて自ら北五州に赴いて手に入れた黒龍を重用していた。龍蝶を愛してやまぬタケリが、嫉妬のあまりへそを曲げるほどに。
帝は鏡の言葉を無視した。彼女の家畜で居続けることを拒否したのだ。
すなわち、龍蝶の帝は自由を求めた。
ただ、それゆえに――
しろがねの娘もただ、人としてふるまっただけなのだろう。
家畜ではなく、ひとりの人間として鏡と対峙したのに違いない。
「すめらに生まれた者は、従順な家畜であらねばならぬ。庶民だけではなく、我ら神官族も、ただただ鏡を祀り、崇めなくてはならぬのだ」
「ぬ? 識破どのは、ずいぶんと信心深いのですな? たしかに、鏡様のご神託は絶対ですが」
愚かなトウイが、私を憐れみの目で眺め上げる。
おのれだけは大スメルニアの支配をものともせず、おのが野心を実現させてきた。
そう自慢したげだ。
だがトウイよ。そなたとて我と同じ。鏡を出し抜けたことなど、一度もあるまい。
姫を入内させられたのも。国民教化の政策をすめらに津々浦々広められたのも。大スメルニアの意に叶うものであったからこそだ。
月の男は、鏡の支配の従順なる教え子。支配されているという自覚のない、見事な家畜である。生まれたころより鏡の教えに洗脳されてきたゆえに、大スメルニアの意志を完璧に具現している。
すなわち、骨の髄まで飼いならされた豚にすぎぬ。
それにしても、ひっつき具合が実にうっとうしい。
夢の通りになるならば、これからこやつは我を……
「識破どの! そ、空をご覧くだされ! あれは鉄の竜では?」
「む? 銅色の竜か」
「群れ成しております! 宮処から、追いかけてきたのですかの?」
救いが来たと喜ぶトウイが指さす先。雷走る雲間に、銅色の鉄の竜が現れた。
我がかつて夢に見た通りに。
「おお、竜たちが降りてきましたぞ!」
軍部の竜は黒色。すなわちあれは、太陽神殿の鉄の竜ではない。銅色の輝きを放つ竜は、龍生殿が所有しているものだ。
地に着陸した竜から、たれかが降りてこちらへ走り寄ってくる。あたり一帯、平坦な地と化したところでふんばる我らのもとへ。鮮やかな黄金の錦が、我が目を焼いた。クジャク石の玉冠も目にまぶしい。
龍紋の錦に、龍頭をかたどった冠。
「おお! なんと、龍の巫女王か!?」
――「兄上! ご無事であられますか?」
駆けつけて来たのは、金の髪まばゆい巫女。
三位の太陽の大神官、袁家の若き当主が、彼女に応えた。
「瑛姫! よくぞ来てくれた、わが妹よ!」
かつて太陽の大姫であり、今は龍の大姫の位にある者。鏡姫の実の妹君。
龍の大姫は、兄が無事であるのを見て取って、ホッと安堵の色をかんばせに浮かべた。
「間に合ってようございました。兄上、ここはわたくしにお任せくださいませ。制御の大鍵を使用します。その隙に、どうか退避を」
「なんと、タケリ様を制御するつもりなのか?」
「待て、龍の大姫よ、花龍はどうした? なぜそなたも、鉄の竜で参ったのだ?」
タケリのつがいである龍の母は、このごろは龍の大姫を乗せて紫明の山を飛び回っていると聞いた。喜んで、大姫の乗り物となっているという噂である。
タケリほどの力はないが、その名代を名乗るあれは、それなりの神気を持っている。実の兄を助けるには、あの龍の力を借りるが妥当であろう。龍の子たちはいまだ、遠征地より帰っている途中なのだから。
「陽家の大翁様……くれないのあの御方は……花龍火尊タタラノイブキ様は……」
我の問いに、龍の大姫はびくりと震えた。
「黒くなったタケリ様に、食われてしまいました……」
「なんだと?」
「龍生殿に黒い者が押し入った直後、タケリ様はみるみる黒くなられました。花龍様は、それを止めようとしたのです。ですが……無残にも……」
「つがいを食っただと? タケリは完全に狂ってしまったのか?」
「〈九人組〉の皆さまは、どうかすぐに、龍生殿の竜に搭乗なさって退避されますよう。わたくしは鏡様のご命令どおりに、龍の大姫としての務めを果たします。そうしてわたくしは、イブキ様のもとに……」
待て。最後になんと言った? 黒い炎のせいで言葉が聞きとれなかった。今なんと……
「瑛姫! 待て、挑むのは危険だ! 共に退こう!」
袁の若き当主も、妹君の様子が変だと気づいたか。さもあらん、大姫の貌が尋常ではない。目を爛々と見開いて、笑顔を張り付かせているのだから。
「おおお、あれが制御の大鍵か。本当に、鍵の形をしているのですなあ」
「トウイ、のんきに感心している場合ではないぞ」
「いやはや、救助の人員が、こちらに走って参りますぞ。灰色の墓守たちが、わらわらとこちらに」
おのれ……豚にしっかとしがみつかれているせいで、少しも動けぬ。
「瑛……ううっ!」
袁の当主も追えぬか。炎の雨が激しすぎる。
大姫の結界はさすがに、かなり強力なようだが……
「だめだ、消されたぞ。タケリの神気が圧倒的すぎる」
「瑛姫、戻れ!」
我と兄君の言葉に、ふりむきもせず行くか。覚悟のほどはすごいと称賛せねばなるまい。
「おおお! 皆様、大姫が大鍵をかかげましたぞ! なんと美しい光か! すさまじい光線が、大鍵から光線が放たれましたぞ!」
「はしゃぐなトウイ!」
たしかに大鍵の光は素晴らしい。光線がしかと、天で躍るタケリを捉えた。
あたりに降っていた黒き炎が一瞬消える。この隙にと、灰色の墓守たちが我らの袖を引っ張り、退避を促してきた。皆、鉄の竜のもとへ走りだす。
だが、姫の兄と我。我にしがみつくトウイはその場から動かなかった。
「だめだ、大姫を置いてはゆけぬ」
――『はははは! なんだそのちんけな光線は! 朕の始龍が、鼻で笑ってほっぺたを引っかいているぞ』
まったく。あの御方は、あいもかわらず情け容赦ない。
人の努力を一笑に付すあの性格。全然変わっておらぬ。
『それで、神獣を制御しているつもりか! たかが人間の分際で、始龍の主人を名乗るなど。一万年早いわ!』
『百万年早いと言い直してくれ、我が主』
黒龍なき今、あの御方はタケリを大いに頼りにするであろう。
それが自明であるから、タケリは有頂天なのだ。なんと激しく、嬉々として躍っていることか。
『はははは! 百万年か! いっそ、とこしえにと言ってやろう』
「ああっ! 大姫が膝をつきましたぞ! 天より黒いものが降りたちて、姫のまん前に!」
夢と同じく、我が叫んでも無駄であろうが……我は声を張り上げた。大姫の兄と共に。
「大姫! 退け!」
「瑛……!」
黒き光が閃く。我らの叫び声は、すさまじい炎の嵐にかき消された。
「うあああ?! 大姫が! ひ、姫の首があっ!」
トウイの悲鳴も、クジャク石の玉冠を被った大姫の首も、嵐の中に吹き飛んだ。
あの御方が地に降り立ちて近づいてきてから、たっぷり三拍はあった。
逃げようと思えば、逃げられたはずだ。大姫は、一歩も引く気がなかったとしか思えぬ。
花龍を失いて、乱心したのか……
放心した袁の当主は、首が無くなった妹のもとへ行こうとしたが、駆け寄ってきた墓守たちに止められた。おののきながらも、鉄の竜へと彼を引っ張っていく。
我も竜のもとへ行こうとしたのだが。うっとうしいことに、トウイが我が腕をつかみて逃走を止めてきた。重たい神霊の気配が降りてきて、我が結界はいきなり、月の息吹に砕かれた。
「なんということじゃ! 九人組が二人、しかも龍の大姫までがっ。識破どの、それもこれもみな、あなた様が、龍蝶の娘がとんでもないことをしたのを見過ごしたゆえにっ……」
「その娘を山奥から引っさらい、巫女姫の身代わりに仕立てあげたは、どこの誰であったかな?」
「ぬぬ?!」
「うまく隠しおおせていると思っているようだが、我は知っているぞ。鏡が言う大罪人を、宮処へ連れてきたそもそもの張本人は――」
「だだだ、黙れ! 始まりは問題ではないわ。こうなったのは、あなた様のせいだと、鏡様は仰せであられた。その御言葉、聞き逃すことはできぬ。すめらのため、天誅を受けるがよろしいぞ!」
やはり我を処分せよと、鏡の密命を受けていたか。
ことごとく夢の通りで笑えてくる。
月の男は、我らを助けようと寄ってきた墓守たちを追い払った。
「墓守たちよっ、鏡様は陽のご隠居の死をお望みなのじゃっ。この方だけは、助けずともよい! 置いていくのだ!」
「手際が悪すぎるぞ、月のトウイ。声がうわずっているし」
「だ、だまらっしゃい! 早く、黒い炎を浴びて焼け死んでくだされっ」
「我が結界を消すだけではなんとも。懐刀を抜いて、刺してきたらどうだ?」
「おおおおのれ!」
――『そこでなにをゴタゴタやっているのだ?』
黒い炎の雨が足元に降ってくる。子守歌と一緒に。
ふんふんと、機嫌よろしく鼻歌で歌いながら、黒き者がゆるりと近づいてくる。
「ひっ?! く、来るな! こちらへ来るな、悪鬼め! なぜこちらに!」
まったく。ぐずぐず騒げば、興味を示されるのは当然ではないか。
しかしずいぶんと黒い。以前の美しき姿とは、くらぶべくもない。
鳶色の髪も菫の瞳も闇に沈んでいるとは、嘆かわしいことだ。
周りにまとっている光の固まりは、一体何であろうか? 朱に蒼、そして白……あたかも、三色の神殿を象徴するがごとき色合いの玉だが……それだけは、実に美しい。
『陽識破。まだ生きていたか。感動の再会であるな』
「う? へ? あ? さい、か……?」
『おい。朕とおまえの間に、変なモノが挟まっているんだが』
「申し訳ございません。これなるは、ただの家畜でございます」
『そうか。ただの豚か』
「ひぐ……ああああ?!」
『顔をよく見せろ、陽識破。おまえ、全然老けておらぬな』
ひざまずき、とんでもございませんと我がそっけなく返す間に、月の男は黒い一閃に吹き飛ばされた。
真紅の飛沫があたりに飛び散る。我の頬にも、紫色の神官衣にも、無残な染みが無数についた。
明るく残酷な嗤い声が、我に降り注ぐ……
『あはは! おまえの一張羅を汚してしまった。許せ』
「お気になさらないでください、我が陛下」
『ふん、いい子ぶるのもたいがいにしろ。朕を嵌めた裏切り者が。おまえも朕のことを、鬼と呼んでいたのであろう?』
「とんでもございませ……」
黒いかまいたちが閃く。
『いっとき玉座を追われた朕を、みごと復権せしめたおまえのことを、朕は心の底から信じていたのに』
……右の指が落とされた。黒い風が一本ずつ丁寧に切ってくる。
「ぐ……が……ま、マカ、リ……」
後ろでトウイの息が止まりかけている……
「陛下。拙も、大姫やあの男のような、一撃の慈悲を賜わりたいのですが」
『馬鹿者、にっこり笑うな。そんな大いなる慈悲なぞ、くれてやるはずがなかろう』
黒い光がきらめいて、右の指がまた一本、落ちる。
――『識破さん、聞こえますか!?』
衣の袖の中から、少女の声? ああ、水晶玉の伝信か。
『こちらモエギです! 大安におります! 大丈夫ですか?! 鏡をお届けにあがりますので、どうか居場所を……!』
今すぐ逃げろと、我は左手で水晶玉を取り出して声を吹き込んだ。
『ふん。大スメルニアを取り寄せようとしていたか。やはり油断ならぬ奴だ』
黒いかまいたちが我の左腕を斬る。どそりと、手首と一緒に地に落ちた水晶玉が、黒い帝の足元に転がっていく。
我が陛下はにやりと昏い目をすがめ、点滅する玉を踏み砕いた。
「申し訳ございません。恐れながら、陛下は――」
『黙れ。耄碌したクソ婆の本体を叩く前に、おまえの心臓をじっくり味わってやろうぞ! 食ってやる!』
黒き炎が我を取り巻く。我は地に伏して何度も囁いた。
我が夢で見られなかった未来。ただの願いにすぎぬ未来を。
「我が陛下は、鏡姫に滅ぼされることでしょう……!」
我は何度も唱えた。
かまいたちが、我が喉を切り裂くまで。