18話 千の花びら
千の火花があたりに散らばる。まばゆい閃光が、渦巻く空気に絡め取られて長く尾を引いている。
この灰色の渦の空間は、一体何なのか――
とっさにここへ飛びこんだ金髪の童女は、歯を食いしばってあたりを睨みつけた。
体の自由がきかない。まるでつむじ風を舞うように、くるくる回転してしまう。定まらない視点はかろうじて、閃光の尾をとらえるばかり。
小さな箱を抱く男が、ここに逃げ込んだはずだが、どこにも見あたらない……
「トリオン様! どこにいますんや!」
童女の声は飛んでいかなかった。渦の中に巻きこまれ、火花のなれの果てのように、閃光となりて砕け散る。
「どこに……!」
白鷹の後見人は、黒髪様には敵わないと判断したのだろう。
彼は銀の杖で、歪なる三つの玉を作りだした。杖は折れて塵と化したが、それでもなお、彼の気配は魔力に満ちていた。黒き衣まとう体は倒れることなく、サッと渦巻く玉の中に走り消えたのである。
金髪の童女――九十九の方は、迷わず彼を追った。
黒髪様が、呆然と自分を見てつぶやいた言葉の意味を考えながら、渦の中に我が身を投じたのだった。
『箱の中の御子は……私? 金姫は私の……母だと言うのか?』
黒髪様が光の塔と化した御子だなんて……そんなことがありうるのだろうか。
すなわち、御子と九十九の方が流れ着くという花園は、今の時代にあるものではなく……
すなわち……
すなわち……
――「まいったなあ。猛烈な勢いで、過去に向かってるぞ」
千の火花がまたたく。
童女の背中にどこかのんびりとした男の声が降りかかった。くるくる回る九十九の方の体が、黒い衣をまとう男の胸に受け止められる。体の回転がようやく停まったと、ホッとして見上げれば。無精ひげを生やした男が、なんとも困り果てた顔をしていた。
「あんさんは……大陸一かわいいウサギの、師匠はん?」
「お、ちゃんと覚えてくれたのね。そうだよ、俺のウサギは超絶かわいいの。ちゃんと漫才できるんだぜ」
「まん……?」
「あ、ごめん。自慢してる場合じゃなかったわ。ちょっと大変なところに来ちゃったんで、俺から離れないでくれ」
ウサギの師は初めて会ったときのように、童女をひょいと抱き上げた。
「この渦から、早いとこ出た方がいい。いればいるほど、時間を遡っちまうぞ」
「ということは、この渦は……」
「うん。どこからどう見ても、これは時の渦だな。時間が猛烈に逆流してるっぽいから、退玉の中だわ」
まるで木々の花が散るように、火花がきらめく。
ウサギの師は、ふわりと時の渦の中に浮かび上がった。
魔力に満ち満ちているのか、この人は少しも渦に流されていない。周囲がめまぐるしく回転しているその中心で、しっかと独自の力場を作っている。
童女を抱いたままの姿勢で、ウサギの師はゆっくり上へ昇り始めた。
「しっかし、いくらすごい魔導器を使ったとはいえ、時の三つ玉をあっという間に作るなんて、さすがの俺もびっくりだ。やっぱり神獣ってすごいな。魔力がはんぱじゃないわ」
「トリオン様は神獣……黒髪様から分かれたお人ということは、黒髪様も……」
「限りなく人に近いけど、あいつらの魂ってよく見ると、神獣独特の形をしてるんだよな。光の巨塔の魂と、たしかによく似てるわ。同一人物ってのは、嘘じゃないと思うぜ」
箱に入れられた御子はうちの子ですと、九十九の方は消え入りそうな声で打ち明けた。
父は白鷹州公。そして夫の母こそは、白鷹様その人であると。
「白鷹様は先代の正妃様と融合し、人の体を得て、今の州公閣下を産んだと仰ってはりました。幸い、州公閣下は人として、お生まれになりました。うちの子が神獣として生まれる確率も、一割に満たなかったそうです……」
「そうか、光の巨塔は白鷹アリョルビエールの実の孫なのか。それなら、あの馬鹿みたいな神力も納得だわ」
ウサギの師は、そうかそうかと何度もうなずいた。
「天空の白鷲アリョルビエールは、第一級の大神獣だ。竜王メルドルークですら倒せなかった金獅子を、張り手一発で退けたんだぜ」
「金獅子を、一発で?」
「うん。聖炎の金獅子って、今は魔導帝国で赤毛の子を守ってるけど、あいつ昔は、金獅子家の守護神獣だったんだ。白鷹家の白鷹様とは長らくお隣さんだったもんだから、金獅子はいつしか白鷹様に懸想しちゃってさ。あるとき、大陸一高いビングロングムシュー山に白鷹様を呼び出して、俺と二人でこの大陸を統一しようじゃないかって、言い寄ったんだよ。でも金獅子って、俺様で超絶性格悪いからさ、白鷹様はふざけんなって、かの霊峰から思いっきし、深い深い谷底に叩きつけたんだ」
「あの……つまりそれは、大陸最高峰で、金獅子と白鷹様が戦った、ということですやろか?」
「戦ったっていうか、盛大にフッたフラれたの痴話喧嘩したっていうか?」
ウサギの師は、実のところはどうだったんだろうねえと首をかしげた。
「俺、ユーグ州の州都で生まれたんだけどさ、ユーグの庶民の間では、俺が今言ったように言い伝えられてるぜ。霊峰突き落とし事件のおかげで、白鷹様はすっかり男嫌いに、金獅子は致命的に女嫌いになったってさ。白鷹様は〈白き処女〉って呼ばれてて、決して男を寄せ付けない女神として崇められててさ、ユーグ男子の憧れの的なんだけどなぁ……まさか、先代の白鷹州公と子どもを作っちゃうとはねえ」
ヒゲぼうぼうのウサギの師が、すうっと遠い目をする。ずっと憧れていた初恋の人の素顔を知って幻滅したかのような、なんとも複雑な表情だ。
化学変化。突然変異。陰性因子発現。
彼はため息をつきながら、そんな言葉をぶつぶつ、口の中で並べ立てた。
「孫の代で、神獣の因子が発現するとはなぁ……でもさ、光の塔はもう二度と、あんな大きなものにはならないと思うわ。花売りくんが持ってた戦神の剣が、神核をだいぶ食べちゃったからね。神獣としての力は、ほとんど失われたはずだよ」
世界に害を成してしまった力が取り除かれたのは、不幸中の幸いというべきか。
だが、力を抑えられず、祖母たる白鷹様を殺してしまい、ユーグ州のあちこちを破壊してしまった事実は、決して消えない。
自分など生まれなければよかったと御子が思うのは、当然の帰結だろう。
「御子……トリオン様は、自分の罪を無かったことにしたかった……でも、できひんかった……せめて、うちが遠い未来、封印箱を開けることだけは、阻止したいと思ってはる……」
「気持ちは分からんでもないが、自分のお母さんを殺そうとするのは、この世で一番やっちゃいけないことだぜ」
ウサギの師はスッと、上を指さした。
「今からぎっちり、俺がお仕置きしてやろう」
千の火花が舞っている。
渦巻く空間の上空はひどく明るく、渦もほとんど見えぬぐらい。そこに黒い人影が見えた。
その人もまた渦に巻き込まれずして、ふわりふわりと上に向かっている。
「トリオン様!」
あたりに散らばる火花が、ぱんぱん弾けた。
みるみる、人影が近づく。ウサギの師はあっという間に、逃亡者に追いついた。
大技を使ったゆえに疲弊しているせいか、後見人の魔力は、師よりもかなり弱いらしい。
箱を抱く後見人の顔は、今にも息が止まりそうなぐらい真っ青だった。
「……やはり、ついてきましたか」
「御子の箱をどうか、うちに抱かせてください。決して開けまへんから……!」
「いいえ。あなたには絶対に、渡しません。あなたは必ず開けてしまうのです。みまかる間際に、一人残される御子を哀れんで、私との約束を破ってしまうのです」
「あんさんがうちを信用できないのはよく分かります。うちはほんまに無力やったから……」
「黙ってください。集中して、この渦から出なければいけませんので」
「おいおまえ、大丈夫か? 右手が吹っ飛んでるじゃないか」
叫んできたウサギの師を、後見人はぎろりと睨んだ。
「どうかご心配なく。たとえ四肢がバラバラになろうが、竜蝶の魔人である私は、決して死ねませんので」
どうにかして、一緒にもとの時代へ帰ろうと言いかけて、九十九の方は言葉に詰まった。
どんな方法をとるにしろ、もといた場所へ戻ったら、御子は永久に、白鷹様の祠に凍結されるだろう。そうなれば、御子が黒髪様になることはない。巡り巡って、しろがねの娘と出会うこともない。
「あかん……なかったことにしたら、しろがねはんは……」
「あ、こら待て!」
師がとっさに腕を伸ばすも、後見人はするりとよけた。その体がうっすら薄れていく。
「外に出たか! くそ!」
ウサギの師は鋭く韻律を唱えた。とたん、周囲の渦がひたりと停まった。
灰色の空間がみるみる消え失せて、万年杉の森が浮かび上がってくる。
あたりの景色は、もといた処となんら変わりないように感じたのだが。よく見れば、杉の高さが如実に違っていた。もとの半分ほどの背丈しかなく、幹の太さもはるかに細い。杉だけでなく、広葉樹が生えているところもある。
すがるような気持ちで、童女は黒の塔が建っていた平地や軍道を探した。
だがそのようなものは、どこにも見当たらない。
どれだけ時を遡ってしまったのかと、童女はぞくりと体を震わせた。
「うわ、時の渦が消えちまった。まずいなあ、三つ玉が壊れちゃったか。荒玉に入れたら、もとの時代に戻れたかもしれないのに」
ウサギの師がため息をつく。もはやこの場所から、未来へ戻ることはできないようだ。
杉の幹の合間に黒い衣が垣間見える。童女を抱くウサギの師は、よろよろ動くそれを見つけるなり、草が茂る地からふわりと浮き上がって、一直線に飛んだ。
「トリオン! 封印箱を渡せ! でないと俺、容赦しないぞー!」
後見人の黒き衣が、草の茂みの中に埋もれゆく。
倒れた人はぎっちりと、左腕に箱を抱えている……
『出でよ、風の乙女!』
ずんと、魔法の気配が降りてきた。ウサギの師が突き出した右手から、ごうと突風が吹き出す。
長い髪をなびかせる風の精霊が一体、その風に乗って矢のように後見人のもとへ飛んでいき、一瞬で小さな箱を奪い取った。
千の花びらがあたりに散る――
風の精霊がウサギの師のもとへ戻ってきて、小さな箱を九十九の方の手に落とした。しかしその箱は童女の手に触れるなり、細かな花びらと化してちりちり、砕け散っていった。
「うああ、木っ端微塵!?」
「そんな……!」
風の精霊が、ウサギの師がまとう風と同化して消え去る。ごうと音を立ててうねる風の向こうで、白鷹の後見人がよろよろと立ち上がるのが見えた。
「我が身に結界を張れませんでしたので、時の渦から出たときに負荷がかかりすぎて、砕けました。でも、ご心配なく。もとから、箱の中には何も入っていませんでしたから」
「な……?!」
「今砕けた箱は、アスパシオン様から奪ったものです。御子は、私自身が持ってきた封印箱に入れました。その箱はすでに、私が引き連れてきたユーグの騎士に引き渡しています――」
「いいかげんに、しいや!」
童女はするりとウサギの師から離れ、後見人のもとへ走った。
彼の眼前に迫るなり、ばしりと一発、歪んだ嗤いを浮かべる顔に平手をはたき込む。
「あんさんの言葉は、何からなにまで信用ならへん! 今のはまっかな嘘ですやろ!? 本当のことを言いなはれ!」
打たれた後見人は、よろけて尻もちをついた。息を荒げる童女をゆっくりと見上げ、目を細めて苦笑する。
「私は不死身ですが、すっかり魔力を使い果たしました……もはや喋ることすら億劫です……」
「うちに、ごまかしは効きまへん! あんさんのその目、えらい泳いでますわ!」
うちをしっかり見なはれと、九十九の方は後見人の肩をつかんで怒鳴った。
「初めて会ったときから、そうやった。あんさんはうちを、真っ向から見はったことがあらしまへんわ! ちゃんとうちを見返しなはれ! 我が、御子よ!」
千の花びらが舞い踊る。
童女の声がりんと響いて、花びらをちりちり震わせた。
神霊玉で染まった真紅の瞳が、ぎらりと黒髪の人を射貫いた。
まっすぐなまなざしは、どんな矢よりも鋭くおそろしく、童女の瞳を捉えた後見人の蒼い瞳は、一気に縮んだ。
「今……なんと仰いましたか?」
「我が子と、呼ばせてもらいました。うちは光の塔となった子の、生みの親です。あんさんがあの御子だというのなら、うちは、あんさんの母親です。どんなに憎まれようが、母は、母です! さあ、うちにほんまのことを言いなさい!!」
烈火のごとき視線と声が、たちまち虚勢を焼き尽くした。びりびりと、花びらが焼かれていく。
「……騎士に渡したというのは……嘘……です……」
炎は、たっぷり数拍固まった人から、まことの言葉を引きずり出した。
「箱は、アスパシオン様が持っていたものしか……ありませんでした……。私は時の渦の中で、その箱を開けて、御子を落としました……」
「なん……やて? でも時の渦は、消えて……」
「ええ、一緒に消滅したでしょうね。あなたの手に渡ることを阻止できたので、私は満足です……」
後見人は力なく微笑んで、怒りと驚きに染まった真紅の視線から逃れようと、両目を閉じてうなだれた。
「ご存じですか? 神獣はどんな姿にもなれるんです。他の御霊と自分の魂を、融合させることができるのです……人や鳥、獣や虫……なんにだってなれるんです。木や花にだって……だからアリョルビエールは人と溶けて、人となった……」
千の花びらが吹き荒れる。いや。千以上のきらめきが、あたりを覆った。
花吹雪が舞う中、ちりちりと後見人の体が砕け始めた。黒き衣をまとう体がみるまに、光の粒と化していく。
「トリオン!? 何してるんだおまえ!」
ウサギの師が慌てて風をおさめた。だが時遅く、光の粒は四方八方に散らばっていった。ウサギの師がまとう風に吹かれて、広く高く舞い上がる。
輝く粒は光の雨となり、杉の森の地に降り注いだ。
九十九の方は目をみはった。
光が落ちたところから、みるみる芽が出て、白い草が伸びてきたのだ。それは葉を生やしてみるまに成長し、次々と、甘い香りを放つ、桃色の花を咲かせていった。
「うわあ?! なにこれすごい! いきなりこんな……あたり一面?!」
「この花は……」
『レクリアルが愛した白花になろうと思いましたが。未練がましい真似はやめようと思い直しましたので……』
風に乗って、花々からかすかに、トリオンの声がりんりん響いてきた。
『私は、自分が一番好きな花になることにしました』
ウサギの師が目を丸くしてあたりを見渡す。
「え? 花に?! トリオン、ちょっと待……」
「洞窟にあった花や……」
「え?」
金髪の童女はぶるぶる震えながら、風に揺れる薄桃色の花をみつめた。
「御子がまだうちのお腹に居たとき、うちは洞窟に逃げ込んで……この花を食べてしまいました……なぜか食べたくて食べたくて、仕方がなかったんです……」
『疲れました……ここで、眠ります……どうか、起こさないで、くださ……い……』
「こっそり花の種を持っていましたんか? 植物と融合するなんて……!」
九十九の方は、眼前に落ちた黒き衣を拾い上げ、ぎりりと握りしめた。
本当に、御子は渦と一緒に消えてしまったのだろうか。
だからトリオンは力尽きて、動けなくなったのだろうか。
御子の未来がなくなったから、彼は消滅する運命にあるのかもしれない。
最後に花となったのは、どうしてだろう?
誰かへの想いを表したかったのだろうか。「レクリアル」という子がどうとか、言っていたけれど……
「そんな……御子はほんまに、死んでしまいましたんか? トリオン様も黒髪様も、いなかったことになってしまいましたんか?」
――「いいや。大丈夫だ」
真紅の瞳をじわじわ湿らせる童女の頭上から、力強い声が降ってきた。
「きっと大丈夫だ。胎児の状態であれだけ大きくなれた奴だ。時の渦が消滅する前に、自力で脱出してると思うぜ」
「ウサギの師匠はん……」
振り向けば。ウサギの師匠が、どんと胸をたたいて微笑んできた。
「ていうかさ、時の渦に入ったとき、俺が放った魔力探知には、トリオンしか引っかからなかったんだよな。もし箱から神獣の子が出されてたら、そっちの気配もしっかり感知できたはずなんだよ。気配がなかったってことは、すでに御子は、渦から出てた可能性が高い。そんなに時を遡っていないうちにね」
箱から出た瞬間、御子はトリオンの目をかすめて逃げたのか。それとも、トリオンはわざと見逃したのか。それは分からないけれど――
ウサギの師は花畑と化した地を、目を細めて見渡した。
「時間は変われど、俺たちが入って出てきた場所は変わらなかった。ということは、神獣の子はいつかきっと、ここに出現する。遠い未来であることは確かだが、いつ出てくるのかは分からない。でもきっとここに、落ちてくる」
「御子は……この花畑にやってくる?」
御子の母は花畑で箱を抱きしめて、死ぬまで孤独に生きるとトリオンは言った。
あれは嘘だったのか。それともこれは、トリオンが運命を変えた結果なのか。
どちらなのか分からないけれど――
金髪の童女は、黒い衣をまとった師の隣で、空を振り仰いだ。
「ならば……待たなあきまへん。御子がここに来るというのなら。その可能性がわずかでもあるのなら。うちは、待たなあきまへん」
万の花びらが、空に舞い上がる。
ウサギの師匠はにっこりと、両目を山の形にした。
「じゃあ俺もしばらく、ここに腰を据えるとするか。いやそれにしても、トリオンはほんと素直じゃないなぁ。何が魔力使い果たしただよ。なにげにしっかり、お母さんが一番好きな場所に、最強の避難所作ってやってるじゃん」
「え……? 好きな場所……」
「俺さ、光の塔のてっぺんから一所懸命あんたを出してるときに、神獣の子がそう言ってるのを聞いたんだ。お母さんが来たい所に来たんだって」
それは分かっていたけれど。自分が無意識に望んだところへと、御子が連れてきてくれたことは、気づいていたけれど——
金髪の童女は、渦巻く花びらのまぶしさに目をしばたいた。
さらさらきらきら、花びらの雨が降ってくる……
「トリオンのやつ、だからここでわざと、時の三つ玉を作ったんだろうな。誰も追ってこれない、絶対なる安全圏にあんたを保護しようと思ってさ。見ろよ、すごい結界が張り巡らされてるぞ。きっとここって、外側からは、絶対見えないわ」
まさかそんなと、童女は息を呑んだ。
「それは……きっと違います。トリオン様はうちのことを、本気で殺そうと……」
「いやいや、あいつ、これみよがしに箱をちらつかせて逃げただろ? ああすればあんたは絶対追ってくるって読んで、わざと悪ぶって挑発して、過去に引っ張り寄せたんじゃないの? 箱の中身はたしかに渡したくなかったんだろうけど、魔女として処刑されそうなあんたのことは助けたかった。俺はそんな気がするなぁ」
「……」
御子が生まれないようにいろいろ画策した。
未秘の故意で九十九の方を殺そうとした。
トリオンはそう言っていた。もしかして……それは嘘?
(いいや。きっと事実や。直接攻撃してきたときも、きっと手加減なんて、してへんかったはず。でも……お腹に居たときから、御子は自分だけでなく、うちも守ろうとしてはった。パーヴェル卿を溶かしたのも、白鷹様を傷つけたのも。みんな、うちを守るためやった……)
決して意志ではない。母を守ろうとするのは、おそらく本能に近い何かのせいに違いない。
何も出来なかった自分が、御子に思慕されるなど、ありえない……
九十九の方は、手のひらに落ちてきた薄桃色の花びらを、じっと見つめた。
花となった人が、自分を守ろうとここに導いてくれたなんて。
それはありえない。ありえない。ありえない……
湿る瞳を何度もしばたいて、何度もそう唱える。何度も。何度も。何度も……
だがしかし。
声にならぬ声がひとこと、喉の奥からそっと出て行った。
「おおきに……我が御子……」