14話 願いの石
「今すぐ、大人に……」
両端に炎が燃え立つクナの視界いっぱいに、瞳をきらめかせるウサギの顔が映った。
この視界に映る光と影は、なんと美しいのだろう。
魂だけの状態で視るものとはやはり、全然違う。物と物との境界がはっきりしているのだ。ウサギの丸い瞳は実に鮮やかで、どんなものよりも熱く燃えているように見えるのだった。
「スミコちゃん、君の脳みそが、成長する髄液を出せるほど壊れてなければ、このまま体を治しただけでも、いつの日か繭になれる。でも、竜蝶の成人年齢はとても高い。自然に繭になるのを待ってたら、何十年かかるか分からない。それまで、君はたぶん、ろくに動けない。普通に喋ることすらおぼつかなくて、誰かに手厚く看護されなきゃ、生きていけないだろう」
頼まなくとも熱心に看護してくれる人は、そばに居る。その人は、何十年どころか何百年だって、喜んで世話してくれるだろう。でも……
そうつぶやくウサギのまなざしが、ちらりと少し上の方へ動く。動揺している黒髪様の顔色を伺っているようだが、それからすぐに、クナはウサギを見ることができなくなった。
黒髪様の胸に嵌まる橙煌石が、大きく映し出される。良人たる人がひどく困惑しつつ、クナの頭をその胸に押しつけ、きつく抱きしめたからだった。
成功率が――
消え入りそうな囁きが、冷気放つその胸から漏れてきた。
「この子の髪は白い。すなわち、純血とほぼ同じ血の組成ゆえ、無事に羽化できる確率がかなり低い。損傷した脳に急激な変化を促すなど、その確率をさらに下げるだけなのではないか? よい影響を及ぼすとは、とても思えぬ」
――「いいえ……いいえ、きっと大丈夫です。今すぐ、成長する秘薬を入れてください」
クナは迷わず答えた。この先何十年も動けないまま、看護されて過ごすなんて、できようはずがなかった。やらねばならぬこと。やりたいこと。どちらも山ほどある。おのれの存在とその死がもたらしたものにきちんと向き合わなければならないと、クナは思った。竜蝶の帝を鎮めることも、帝や皇太后を操ったものから大事な人たちを守ることも。他人任せにはできぬことだと。
「今すぐ繭にしてください。あたし、すぐに動けるようになりたいです」
ほんとにいいかと確かめてくるウサギに、クナはためらいなく頼んだ。
「あたしはまだまだ未熟です。取り柄といえるのは、舞うことだけです。この先何年も舞えなくなるのは辛すぎます。何にもできないのは、嫌です。だからどうか――」
「だめだ」
しかし黒髪様は、クナの決意に待ったをかけた。
「君の気持ちは分かるが、技術的な面での不安が拭えぬ。看過できない」
「いやそこは、オレの腕を信じてほしいところなんだけど」
「信じられるものか」
黒髪様はにべもなく、冷たい声でウサギを斬って捨てた。
「このウサギはかつて、とある竜蝶の羽化を目の前で失敗させて、史上最悪の魔王を生み出した。こいつの師匠から、そう聞いている」
「い、いやそれは! た、たしかにそんなこともあったけど、同じ轍は踏まないように、それに関する技術力を極めてるから、そこは安心してくれていいよ!」
「どんなに改良していようがだめだ。確実に羽化できる確証がなければ、私は首を縦に振れない」
「ちょ、それは」
いくらなんでも成功率十割は無理だと、ウサギがガチガチ音を立てた。拒否の意味で前歯を鳴らしたようだ。
「黒髪、オレの試算では、現時点の成功率は、脳の損傷による負荷を加えて七割。混血の竜蝶と同じ確率だよ。純血の繭に何も手を尽くさない場合は、およそ三割。それに比べたら、余裕の数値だと思うんだけど」
「レクは混血だったが、失敗した」
「それは、外的な要因があったからだろ?」
「いかにも。私が守り切れなかったからだ……」
クナの視界が揺れた。黒髪様が震えたのだ。
クナの前世だった子は、羽化に失敗した。それはおのれのせいだと、黒髪様は思い込んでいるのだろう。明らかな動揺からくる震動が、胸の橙煌石をふるふるとかすかに鳴らした。
「だからこそ今生では、限りなく成功率を高めてから、繭になってほしい。成功率は、十割にできるんだ。でもまだ、糸巻きの力が熟していない」
「は? イトマキ?」
クナの視界の端がほんのり明るみを帯びた。黒髪様の腕の力が緩んでクナの頭が傾げたのか、まぶしいものが炎の柱の付近に現れる。クナの膝を抱える黒髪様の手の先に、何かがふわふわ浮かんでいた。
「あ……」
それはウサギの目の光と同じ光の色をまとっていて。長く細い糸を垂らしていた。
「糸巻き、なの?!」
いや。これは炎の塊ではなかろうか? なんとまばゆく燃えているのだろう……
(こんなに、まっかに輝くものだったなんて)
始め黒髪様がお守りにしていて。アオビたちが砂漠から持ってきてくれてからはずっと、クナと共にあったもの。碧の鬼火たちに襲われたとき、体から落ちてしまったけれど、黒髪様が拾ってくれたのだろう。
糸の端にウサギの小さな手が伸びるのが、視界の端に映し出されたとたん。驚きの声が響いた。
「なにこれ! すごい魔力数値! オレの義眼の計測器、信じらんない数値を叩き出してるっ」
「レクリアルの涙で染められた糸だ。願いの石に巻いている」
「え、願いの石? まさかそれって……」
白い物体が糸巻きに飛びついた。同じ光を帯びた瞳がきゅるきゅる唸る。
「ああこれ、祈願玉か! 羽化が成功するようにって、竜蝶が繭になるときに持たせるお守り! でもなんで、こんなに薄い色なんだ? 祈願玉って真っ黒な、炭みたいな石のはずだろ?」
「祈願玉は単なる気休めにすぎぬといわれているが、実はそうではない。正しく扱えば、本当に願いを叶える秘宝となることを、私はとある竜蝶から教えてもらった。石にこめられた願いは、時が経つにつれ成長して強くなる。強くなればなるほど色あせるのだ」
「え? これ、霊力がたまるとだんだん白くなってくの?!」
「かつて純血の竜蝶は、真っ白な祈願玉を持って繭になったそうだ。そのおかげで皆ことごとく、無事に大人になれたらしい。ゆえに私は、二度と帰らぬと誓って砂漠に至ったとき、糸巻きの芯をこの石に変えて、願いをこめた……」
巡り巡って、いつの日か君に届くように――
糸巻きに込められた、別れの言葉。それはそんな言葉で始まっていたけれど……
「願いの力によって、糸巻きは鬼火たちを呼び寄せ、渡したい人のもとへ至った。だが、この芯はいまだ、真っ白ではない。これではまだ、私が言葉にせずに込めたまことの願いを、確実に成就させるまでには至らない。田舎娘が、無事に羽化するようにという願いを……」
「黒髪さま……!」
クナは驚いて、燃え上がる真っ赤な糸巻きを凝視した。
黒髪様がまさかそんな願いを込めて、クナに糸巻きを返してくれたなんて。美声の人はいったいどれほど、クナのことを想ってくれているのだろう……
「田舎娘、どうか、芯が完全に白くなるまで待ってくれ。私は……君がこんなことになるのを読めなかった。予知の力はほとんど、我が分身が持って行ってしまったから、君が殺されてしまうことを予見することができなかった。君が繭糸を出すまでには、まだ何十年もあるだろうと……その間に糸巻きの芯が真っ白になって、必ずや、無事に羽化できると思っていたんだ」
「待って! 大丈夫です。あたし、黒髪さまの願いを知ることができたから。想いを、受けとることができたから!」
クナは我が身が全く動かないことをもどかしく感じながら、叫んだ。
少しでも手が動いて、深く深く自分を想ってくれる伴侶を、抱きしめ返せたらよいのに。震えている人を抱きしめられたらいいのに。そう思いながら必死に呼びかけた。
「だからたとえ芯が全然白くなくても。たとえ真っ黒でも。きっとあたしは、黒髪さまの願いに導かれるわ!」
「意志の力は偉大だ。私も我が念と、君の念、互いの力を信じたい。だが……それでも確証がほしいんだ。もしかしたらまた、あの恐ろしい光景を見るかもしれないと……思うと……」
美声の人はかつて、羽化に失敗した子を見ている。それがどんなにひどい有様だったのか、消え入りそうな声の中から、クナはその記憶をおぼろげに読み取った。
深い悲しみと恐怖を取り去るには、いったいどんな言葉をかければいいのだろう?
クナが言葉を紡ぐのを一瞬ためらった、そのとき。しびれを切らして、白い物体が動いた。
「ああああもう! 真っ白じゃなきゃ嫌だってんなら、今すぐ真っ白にしてやるわ!」
ウサギは勢いよく糸巻きに小さな手を向けて、あっというまに魔法の気配を降ろすと、韻律のようなものを唱えた。
「なっ……」
「オレも願いを吹き込んでやったわ! たったひとりの願いだから時間がかかってるんじゃねえの? 大勢が願ったら、あっという間に白くなると思うぜ。ってことで、ちょっとこれ借りるぞ!」
「ま……待てそれは」
「黒髪、あのさ、伴侶を独占したい、自分一人でなんとかしたいって気張るのは分かるけどさ。ひとりで成し遂げられなかったときは、誰かに助けてもらうといいぜ。そのために日頃から、百人ぐらい友達作っとくのをおすすめする。肝心なときに、大事な人に待ってくれなんて言わなくていいようにな!」
ウサギは燃える糸巻きをひったくるようにして腕に抱えた。美声の人の手が伸びてそれを取り返そうとするも、サッとかわして、部屋から飛び出していく。
クナを抱いたまま、黒髪様は消えた相手を追いかけた。伸びゆく廊下に出てみれば、白い物体はものすごい速さで駆けていて。燃えあがる糸巻きを振りかざしながら、工房にいる人々を呼んでいた。
「妖精たち、集合! みんな集まれ! この糸巻きに願いを込めろ! スミコちゃん羽化がんばれって、念じてくれ!」
「はい、おじいちゃん!」「了解です、おじいちゃん!」「任せてください!」
たちまち、いくつもある左右の部屋から、赤い髪の少女たちが現れる。何人居るのか、同じような顔つきの少女たちがわらわらと、どこかの鬼火のように群をなして出てきた。
ウサギは廊下の突き当たりまでいくときびすを返し、真ん中あたりに戻ってきた。彼を取り囲む少女たちが、輪になって祈り出すその中央で、片手で糸巻きを高々と掲げる。ほどなくウサギはその体勢を維持したまま、腕にはめた帯のようなものに、何やら話しかけた。
「もしもし師匠? そっちの用事済みました? 終わったらこっちに来て、ちょっと一発、石ころに念を……うええ?!」
ウサギは突如青ざめ、いきなり声をひそめるや、しゃがみこんでひそひそぶつぶつ。それからちらりとクナの方を伺ってきた。
「師匠、ちょっとそれ、困るんですけど。てへって、通信機の向こうで舌出されても、舌打ちを返すしかないんですけど」
ウサギの師匠はたしか、光の塔を止めるために、異なる世界へ赴いてくれたはずだが……
「おお! そうですか、中に囚われてた女の人は、外に出せたんですね? じゃ、いったん戻ってきてくださいっ」
(九十九さま! 九十九さまが、やっと……!?)
素晴らしい報せに、クナの心は躍った。
ウサギの話しぶりからすると、手放しで喜べる結果になったわけではなさそうだけれど、まばゆい歓喜がクナの心をみるみる満たした。
これから繭になろうと、重大な覚悟を決めたときに舞い込んできたその報せは、まごうことなく良い前兆。大いなる祝福に思えた。
「黒髪とスミコちゃん、オレの師匠が今からここに戻ってくるから、詳しい報告を聞くといい。おっとほらみろ、思った通りだ。芯の棒、ものの数秒でだいぶ白くなったぜ」
ウサギが、ふふんと鼻を突き上げる。たしかにと渋々同意する黒髪様の腕をばしりと叩き、偉大な技師は軽やかにはね飛んで、さきほどいた部屋へ戻っていった。
「よっし、師匠待ってる間に、培養池を準備するわ!」
糸巻きに祈りを捧げ終えた赤毛の少女たちは、黒髪様とクナの方を向いて口々に挨拶してきた。にこやかに手を振ってくる子もいた。
「がんばって」「きっと大丈夫!」「こわがらないで」
少女たちの笑顔は、美しいひかりそのもの。魂だけになって飛んだ時に見た、きらめく光景。まるで平野に流れゆく陽を浴びた川面のように、輝いている。
本当にこの子たちは人間なのだろうか。何かの精霊のようだと、そして誰かに似ていると、クナは思いながら、少女たちに言葉を返した。あふれる想いを、そのまま素直に。
「ありがとう……!」
鉄の車がガラガラ走る。
行きと同じ車だが、今は浮いていない。車輪が激しく回っている。ホッとすることに、不気味な碧の光はひとつとてない。代わりに視界を埋めるのは、めらめら音を立てる、蒼い光。
「浮力走行ってどうやるんですか?」「分かりませんね」「ええ、分かりません」
「もう、普通でいいですよね」「ええ、十分速いですから、大丈夫でしょうっ」
赤子を抱いて席に座るコハク姫は、目の前に鎮座する太陽の巫女をじっと眺めた。
黄金の巻き毛揺らす巫女は、行儀よろしく、真向かいの座席の上に正座している。
尚家のリアン。巫女は、そう名乗った。太陽の御三家の姫で、太陽の巫女王の従巫女であるらしい。
「あの、さ。助けてくれたのは感謝するけど。ちょっと、満員すぎない?」
「あら、そうかしら」
車体は長くてそこそこ広いはずだが、蒼い鬼火がぎゅうぎゅう詰め。その隙間からようやく、他の乗客の姿が垣間見える。
祭壇の鏡を割ってくれた命の恩人にして、異様な金属の爪を背負っているイチコ。
重い鎧をがしゃりがしゃり、一所懸命脱ぎ落とそうとしている、公子だと名乗る若い男。
目を閉じ、横になって弱い息を吐いているシガ。
それから。
まっ白な聖衣と、まっ青な聖衣をまとったお二人。
月と星の巫女王はすっかり意識をなくしており、姫たちの前の座席に横たえられている。鏡が割られたとき、お二人は同時に昏倒した。鏡の操りの術は相当に強かったらしく、お二人の意識はまだ、深いところに沈んでいるのだった。
「息ができないほど、混んでるんだけど」
「少しぐらい我慢なさいませ、月の姫君」
リアンと名乗った太陽の姫はつんと答えて、燐光の塊から漏れ落ちてきた鬼火を片手でむんと押し返した。
敵の本体を探しだし、完膚なきまでに叩くのが理想ではあったけれど、こちらは負傷者あり、赤子ありの一団。うかつに近づけば、鬼火たちがまた操られる。ゆえにコハク姫はリアン姫と話し合い、手堅く撤退することにしたのだが。リアン姫は大丈夫だ全員乗れると、鉄車一台にぎゅうぎゅう、皆を押し込んだのだった。
「とにかくも、シガが無事でよかった……太陽の大姫……スミコちゃんの妹だって聞いて、びっくりだよ」
「あなた同様、身重のシガさんも、どこか安全なところへ連れていかないといけませんけど……」
「各色の帝都神殿は、有事の際に身を寄せるべしと定めた神殿を宮処の郊外に持っている。帝都神殿のものたちはおそらく、ほとんどそこへ避難しただろうね。そこへ身を寄せたいところだけど」
いいえ、だめですわと、リアン姫は首を横に振った。
「真西にある周月殿。真南にある周星殿。そして真東にあります、我らが太陽神殿の避難場所、周陽殿。おそらく帝都神殿の皆様はそれぞれそこへお入りになっているでしょう。でも、鏡に狙われたあなた方がそこへ行くことは危険ですわ。だって神殿ですもの、祭壇には大鏡が祀られておりますわよ」
「いきなり鏡を壊せば、なんとかなるような気もするが……」
「敵は体内に神霊玉がある者を自在に操れるみたいですから、神官や巫女が全員、敵になりえますわ。鬼火たちもあたくしたちも、鏡に近づいたらまた、操られてしまうでしょう。大姫様たちも然りです。体の中に神霊玉があるかぎり、きっとだめなんですわ」
得体の知れぬすめらの支配者。その力を覆すことは至難だ。なぜなら国を動かす神官族はすべからく、
幼き頃に神霊玉を呑んでいる。霊力を高めるためと言われて、一片の疑いもなく体内に入れたのだ。
残念ながら、取り出す方法は知られていない。そんなことをする者は今まで誰もいなかった。いや、玉を取ろうと考えることすら、恐ろしい支配力によって、封じられてきたのかもしれない。
三色の神官族は、何かに、完全に支配されている――
おそろしい事実をおぼろながらも把握したコハク姫は、きつく唇を噛んだ。
「神霊玉が体内にないイチコどのが、我らの唯一の戦力というわけか。だが彼女はかなり消耗しているだろうし、土台一人きりでは、霊力ある神官や巫女たちを御すのはかなわない……」
「ええ。ですから触らぬ神に祟りなし。神殿には近づかないようにするのがよろしいかと。すなわちここはその……あの人の言葉に甘えて……」
金の巻き毛の巫女はちらちらと、鬼火の炎の中に半ば埋もれている鎧男を伺った。金獅子州の公子だという彼は、いまだ、なかなか外れぬ具足と格闘している。
「皆様、鏡がないところへ行かれるのがよろしいかと」
「鏡のないところ? それって、まさか……」
「あの人、西の飛行場に大きな船を置いてるそうですわ。私用ですけど、五百人乗れるそうです」
とりあえずそこへと、リアン姫はまたもや、蒼い鬼火を片手で押しのけながら言った。
「異国の船ならば、鏡の手も及ばないでしょう。内裏の方々や各神殿の方々には、船から連絡をつけることになりますわね。でも、お偉い皆様が鏡にやられて様子がおかしかったら、そのまま国外へ逃げることも考えるべきかと」
「異国へ逃げる、だと?」
コハク姫は赤子を抱く腕に力をこめた。手のひらが汗ばんでくる。
太陽の姫は、顔色ひとつ変えていない。こういった緊急事態は、もはや何度も経験してきたと言いたげに、余裕しゃくしゃく。しごく落ち着いた貌をしている。
「私……スミコちゃんやシガを、国外へ逃せたらって考えたことがあった。でもまさか自分自身が……。しかしいったい、どの国へ身を寄せたらいいんだ? 個人的な伝手なんてないし……」
――「いっそのこと黄海へ行って、大陸同盟会議へ訴え出てはどうかな?」
鬼火たちの塊の向こうから、鎧と格闘する男が言葉を投げてきた。
「困ったときは、大陸同盟に言いつけろ。我が父上は常日頃、そう言っているぞ」
「同盟会議?! それは……」
「その赤子は、皇位継承者なんだろう? 母であるあなたは、摂政だと名乗ればいい。それで十分に、同盟会議で発言できると思う。偉い巫女もふたり、付いているしな。まずは、庇護を求めるんだ。それから、悪いものを退治するために、同盟軍を集めてもらって、派遣してもらうといい」
「さすが金獅子家、利用できるものはとことん――ああいえ、それは名案かもしれませんわね。同盟にすがるというのは。さて、月の姫君はいかが思し召されますか? 第一皇子の生母、帝室の巫女団長としてのお考えはいかに?」
きりっと、太陽の姫の真っ赤な瞳が、コハク姫を見据えてくる。
遠慮なく力を推し量ってくるようなその視線に、月の姫はぐっとたじろいだ。覚悟を決めろと、有無を言わせず求めてくるその圧力は、太陽の陽光のように熱い色をしている。
コハク姫はいっとき、そのまなざしから逃れようとうつむいた。
「主上はおそらく、離宮へ逃れたと思う。ご健在であられるのに、私が我が子を担ぎ上げて、勝手に摂政を名乗るなんて……それは僭越にすぎる。異国へ逃れるのはやぶさかではないが……」
皇子を抱えて国を出ることは、すめらへの反逆となるかもしれない。
鏡の力が及びて、月の大神官たる父はそれを理由に、断罪されるかもしれない。
権力を求める父は嫌いだが――
ごくりと、コハク姫はゆっくり息を呑んだ。湧き上がるも臆しそうな意志を言葉にするには、巫女王たちに刃向かったときより、何十倍もの勇気が要った。
「私は、できうるかぎり、生まれ育ったこの国にとどまって戦いたい。安全のために公子どのの船に乗せていただきたいが、異国へ逃げるのはいよいよ、どうにもならなくなったときにしたい。まずは、大姫様お二人を起こして、私の味方になっていただこうと思う」
「御意。では、そうなさって下さいませ」
にっこり微笑むリアン姫に、コハク姫は自身もなんとか口の端を上げて応えようとした。
が、その貌はにわかに焦り出し、あわわと腕の中の御子の尻のあたりをまさぐった。
「あ……あのさ。瑞衣が、濡れてるみたいなんだけど。こ、これどうすればいい?」
「え?! えっと、か、貸しなさい。これはたしか、こうするんですのよっ」
ばしっと決めたはずの微笑をみるまに引きつらせて、リアン姫は泣き出した赤子を母からひったくり、濡れたおむつを外した。
「うああ?! 小水が噴水のように!?」
「お、恐れることはありませんわ! 布でお尻を綺麗に拭いて、それから新しいものに取り替えるんですのよ! って、替えのものは――」
「え、えっと、そ、それは、ない……かも?」
「はぁあ?! うううう、アオビ! アオビー!」
太陽の姫は、頼りになる鬼火に助けを呼んだ。
一斉に放たれた返事とともに、蒼い燐光の塊が、どそどそと姫たちの上に落ちてくる。
それから。車内にひとしきり、姫たちの悲鳴が響き渡った。
開いた窓からぽろぽろほろほろ、蒼い鬼火が何体か漏れ落ちて。怒濤のように走る鉄車を、必死で追いかけていった。まるで空を流れる流星のように。