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10話 金のりんご

 熱風吹きすさび、砂塵舞い上がる地に、累々と骸が横たわる。

 陽光がむなしく照らすは漆黒鎧のつわものども。真紅の潮河が砂を染める。 

 鮮血吸い込む砂山一面にきらきらと、黒く輝く金属片が入り混じる。

 それはもとは、翼がついていたもののよう。

 鳥であったのか。竜であったのか。砕け散った黒鉄(くろがね)の体躯はおびただしき数。

 折られた翼が針山のごとく、連なる砂丘に突き刺さる。

 ごおうごう。

 つわものどもを見下ろす蒼穹が、轟音に裂かれる。

 飛び去る白い船の一団に、黒い影がみるみる近づく……。





「……というわけで、皇帝船団を発見・急襲した主さまは、鉄の竜(ロンティエ)二百機のうち四十七機を失いましたものの、」 


 垂れ下がる御簾(みす)の前で、黒檀の床にびたりと、蒼い鬼火が頭を打ちつけている。


(シャヒーン)級軍艦三隻を落とし、さらには猛追しました屍龍(シーロン)どのが、みごと皇帝船にとりつきまして、鋼鉄切り裂く爪にて、白い船体を紙のようにかっさばき。

 紅の髪燃ゆるレヴテルニ帝のすぐ目前に、迫ったとのことでございます」


 報告する鬼火の声は、内容に反してふるふる震えている。その燐光ゆらめく体のように、何かに怯えてはかなげだ。


「かの龍が咆哮吐き出す合間に、我らが主さまがすらり魔封じの剣を抜き、あっという間に間合いを詰め、光一閃。魔道の力もつレヴテルニ帝の結界ごと、かの美少年の頬をすぱっと! 鮮やかに斬ったとのことで、ございます」


 御簾(みす)の向こうからぱたたと、扇が鳴る。


「あっぱれじゃ!」


 黒の薄様(うすよう)の衣かさねるお方は、青畳にきっちり正座なさっている。扇の動きはせわしない。ひどくいらいらなさっておられる。


「その後、主さまの本軍が西郷に進入し、みるみる押し返しまして、北部を奪還。州の一部を取り返しましたところで、敵軍が一時停戦を申し入れてきた由にございます。それで本日――」


 ごおうごう。

 黒檀の床が轟音でびりびり揺れる。床に頭さげる鬼火の体が、振動を受けてわななく。鬼火はその音が鎮まるのを待って、再び言上した。


「本日、主さまは戦地より、晴れてご帰塔なさった次第です」 

屍龍(シーロン)は負傷したとか」

「はい。それで主さまは停戦を受けるよう、大衛府に言上つかまつったようです」


 皇帝を襲ったとき、屍龍(シーロン)は金の獅子の反撃を受けたのだと、鬼火は報告した。

 金の獅子は、紅の髪燃ゆるレヴテルニ帝の守護者。常に帝のそばに在り、その魔道の力すさまじきこと、いにしえの神獣のごとし。ゆえにうるわしの帝には何ぴとたりとも、近づくことがかなわなかったのだが。


「その鉄壁の守りを越えるとは、さすがすめらの神龍。主さまの剣一閃は、まこと後代まで、勲詩に言祝がれるべき武勲でありましょう」 


 ごおうごう。ふたたび轟音が轟き、塔がみしみし揺れる。


「しかしうるさいのう」

「あーそれは、さきほど主さまが放ちましたご勘気で、さらに怪我を……」


 扇がばたばた不機嫌に鳴る。機嫌かんばしくない正奥様は、低い声で鬼火を刺した。


「つまりわらわたちのせいじゃと」

「いえまさかそんな、滅相もございません!」


 鬼火はへたに慰めの言葉を奉げることは控えた。

 いやはやしかし、ご帰塔なさった主さまの、ご勘気の凄まじさといったら……。

 あれを思いだすと、鬼火の体は恐怖でか細い糸のようになる。

 主さまは開口一番、レヴテルニ帝の首を取り損ねたと呪詛まじりにぼやかれ、非常にふぎげんであられた。その上さらに、しろがねの方がお倒れになられ、三日三晩こんこん眠っておられる――ということをお知りになったとたん、ご勘気を爆発させたのだ。


『巫女団に入れて戦わせただと? 私が許したのは、修行だけだ!!』


 怒りの波動で半径五十尺四方のあらゆるものが、こっぱみじん。塔の一部が損壊した。

 おかげで家の司(いえのつかさ)が吹き飛ばされるとか。

 柱が折れて、鬼火が総動員で支えるとか。龍にとばっちりがいったとか。

 ご正室さまを筆頭とする巫女団が、上階に呼び出されて叱責されるとか。

 黒の塔はしばし阿鼻叫喚。ついさきほどまで、恐怖の風ふきすさぶ地獄絵図であった。


「はぁ……我が君は怒ると怖いからのう。それでおぬし、何代目のアオビじゃと?」

「十三代目にございます。先代が消される直前、すんでのところで分裂いたしました」 

「そうか。まあ、せいぜいがんばるがよい」 


 かしこまった鬼火は、御簾(みす)のすきまからそろっと短冊を差し入れた。


「二の奥様よりの、歌の短冊でございます」

「ふん。あんさんはおひとよしだのと詠んだ戯言なぞ。いらぬわ」


 濃ゆい香りを醸しつつ。正奥さまは真横にある菓子台へ手をのばし、醍醐(だいご)をごっそり香り紙に包む。それを短冊の上に乗せて突き返した。


「しろがねを舞わせたはあの狐じゃが、それを許したは巫女団長のわらわじゃ。狐におかんむりの我が君の仕置きを、わらわがかぶるは当然であろ」 


 正奥さまは、とくに責められた二の奥さまの代わりに、三日の謹慎処分をお引き受けなさられた。主さまはそれほど怒り心頭。なれど、巫女団が塔を守った働きはちゃんとお認めになられた。

 正奥さまは黒螺鈿の菓子台と、醍醐(だいご)を褒美にいただいた。これはすめら最高級の菓子である。清州高原の黒牛より絞った黄金色の乳を固めたもので、滋養強壮不老の効果ありと謳われている。

 二の奥さまや使い女たちも、それなりの菓子と菓子台を下された。

 

 それで正奥さまは一見平気なそぶりであられるが、実のところはかなりお辛いであろうと、十三代目アオビは思う。

 これから三日間、下の竹の間から二の奥様を召すことができないからだ。このいらいらは、けむり草を禁じたときに出る禁断症状と、似た類のものにちがいない。


「それでしろがねは?」

「はい、主さまが薬湯に漬けておられます。じき目覚められるかと」


 一瞬安堵の息が扇のかげから漏れ出たが。それはぱたたと、高速の扇ぎ風にかき消された。


「ふん、あれしきで眠りこけるとは。しかし舞力はかなりのものじゃ。実戦はならぬと我が君はおっしゃったが、あれを側室扱いするなら、わらわの巫女団に入れるのが筋じゃろうに」

「そ、そうですよねえ……」


 しろがねの方は入塔記録に「(さい)」と記されている。しかしすでに正室さまがおられるゆえ、側室扱い――この解釈で良いはずなのだが。主さまのご様子をみるにつけ、アオビはこれでよいのかと不安になる。

 ちなみにご正室さまの入塔記録には、なんと書かれているかというと。


(「巫女団長」……やはりご正室のことですよねえ?)


 すめらのやんごとなき神官族の正奥さまは、お家を守るべく奥向きの女性を統率して巫女団を組織なさる。ゆえに「巫女団長」とは、(さい)と同じく正室を表す言葉であるのだ。


「まったく。陛下にご献上なさる竜蝶の娘に、傷をつけたくないのはわかるが」

「あ、あのう、もしかして甘露にあてられたとか……」

「はぁ? 我が君が竜蝶の娘に魅了されたというのか? たしかにあの種族は、涙ひと粒で人をかどわかす。だがそんなもの、我が君に効くわけなかろう!」


 御簾向こうで、扇がばんと青畳に打ち付けられた。


「あの方にはどんな毒も効かぬ。煮ろうが焼こうが決して死なぬ、不死身の魔人ぞ!」


 正奥さまはくるり背を向け筆をとり、すっすと何かしたため始めた。喪服のごとき黒衣をたなびかせるそのお姿は、なにやらおどろおどろしい。

 鬼火は失言したと身を縮め、菓子の包みと短冊を持って、部屋から下がった。


「あああ、おそろしい」


 いきなり書き出したあれは、しろがねのお方への呪詛かもしれぬ。なにかぶつぶつ、低い声で呪言を唱えておられる……

 奥向き専門に作られた人工鬼火は、そう思いこんだ。その昔、初代アオビが住んでいた、すめらの帝の後宮の記憶を引き出しながら。

 とかく奥というのはそういうもの。そうなるもの。くわばらくわばらと。





 頬に風があたる。すうっとした草の匂い。それからほんのり甘い果実の匂い。

 どこから匂ってくるのか、甘酸っぱい風味の風が鼻をくすぐる。

 ひゅるるひゅるると、風が鳴る。


(いいにおい……)


『起きなさい』 


 澄んだ声が聞こえる。風が踊って声を運ぶ。


『りんごを取ってきたよ』


(りんご? それはなに?)


『黄金色の……』 


 すぐそばに、だれかが近づく気配がする。甘酸っぱい匂いが鼻をつく。


 ごおう。


 突然、風の音がうるさくなった。

 ごうごう、なんと凄まじい轟音。そばにきた気配が何か言う。

 けれどもその音にかき消されて、なんと言っているのかわからない。


『……てる……』


(え? いまなんて?)


『……してる……私の……』


 ほとり。

 頬になにか、しずくが落ちた――。





「あ……熱っ……!」


 急に胸がカッと熱くなり、クナはばちりと目が覚めた。

 胸を押さえてよろと起き上がれば、そこは塔からせり出した舞台ではなく。梅の間の、青畳香るおのれの寝台でもなく。甘酸っぱい香りの奥に、ほんのり樟脳(しょうのう)の匂いが漂っている。


「匂いに惹かれて起きたかな」

「ち、ちゅうこくさま?!」


 なんと黒髪の柱国さまがそばにおられる。しかもクナは、一番初めに入った部屋に寝かされていたようだ。おそらく、主さまの寝室であろうところに。

 とりあえず挨拶しようと寝台からもぞもぞ、下りてみれば。


「あ、あれ? きもの……?」


 重い衣も歩ける袴もどこへやら。襦袢(じゅばん)も着ておらずに、一糸まとわぬ姿である。あわてて腹の下を手で隠すと、鼻先から甘酸っぱい芳香が襲ってきた。主さまがくだものを差し出しているらしい。

 クナは反射的におずおず両手を出し、丸みを帯びた形を確かめながら受け取った。

 そんなに大きくなく、固そうな実。おいしそうだ。おいしそうだがしかし……。


「きものは?」

「邪魔なので剥いた。君は体が石のように硬直したまま、昏睡していた。だから薬湯につけて、ほぐしてやったところだ」

「そう……なんですか。ありがとうございます」

「初心者が魔法の気配の中で無理をすると、こんなことになる」


 柱国さまの声は、すこぶる機嫌が悪そうでため息まじり。くだものを両手に乗せて胸元で抱いているクナは、責められた気がして肩身を縮め、俯いた。

 遠い戦地にいた主さまがここにいる。ということは、おのれはかなり長いこと、意識を失っていたのだろう。


「しかし巫女団のご夫人たちには困ったものだ。勝手に戦に動員するとは」

「みこだん?」

「今上陛下より名をいただいたとき一緒にいただいた、巫女の一団だ。塔を守備するのに使っているんだが……すめらの慣習はよく分からぬ。なぜか鬼火どもは、夫人たちを私の伴侶扱いする」


 やはりあの楽の音を奏でた一団の中に、正奥様たちがいらっしゃったようだ。

 しかし柱国さまは、奥様たちのことを認めてらっしゃらない? すめらの習慣がわからぬとは……たしかに本名は、生粋のすめらの人ではなさそうではあるが……


「あのでも、あたしはみこしゅぎょうをしてるので、たたかいにさんかするのは、やらなきゃならないおつとめだったのかなと」

「修行はしてもよいが、戦に出ることは許さぬ。危険だからね」

「でも、おくさまたちもあのぶたいに――」

「いやだから、彼女らは私の伴侶ではない。君とは違うのだ。私は君の記録に「(さい)」と書いた。なのになぜこうなるんだ……巫女団用の部屋につっこまれているし」


 なんと奥方さまたちは、本当にこの方の奥さまではない? しかも妻と書いたのは…… 


「ほ、ほんきなんですか?! なんで、あたしをおくさまに?!」 

「伴侶にしたいからに決まってるだろう。なぜなら君は――」


 ごおう、ごう。澄んだ美声が、轟くすさまじい音に遮られた。柱国さまは舌打ちなさってずかずか部屋を横切り、大きな音を立てて窓を閉めた。とたん、塔を揺るがすような音がすっと遠くなる。

 頬撫でる風は窓から来ていたのかと、クナは夢で感じた心地の由来に気がついた。

 そしてあのうるさい音は、おそらく龍の声。ずいぶん泣き喚いているような気がする……。

 と思ったとたん。


「田舎娘。とにかく君の部屋は、ここだ」「ふあ?!」


 いきなりの抱擁。クナはきつく抱きしめられ、そのまま寝台に押し倒された。

 ぎしりとほどよい固さの寝床がきしみ、甘い囁きがクナの耳を襲った。


「夫婦とは、一緒に住まうものだからな」





 とかく身分の高い人というのは、こんなに強引なものなのか。

 柱国さまの頭の中では、クナと彼は、なぜかすでに夫婦。普通それは最低でもひとこと、おまえを好いとるとか、おまえを娶るとか、相手に言ってからなるものではないのかと思うのだが、この方はそんな手順をすべからくすっとばしている。

 もしかして有無をいわさず妻にするぐらい、この人はクナのことを好いているのだろうか?

 しかしまだ、ろくに会話もしていない仲ではないか。


「ちょ、ちょっとまって!?」 


 クナは縮み上がった。胸に抱くりんごなるものを挟んで、主さまの体がひたりと合わさってくる。その肌に、衣の感触がない。


(これほんき?! ほんきであたしを? でもそんなのこまる!)


 抵抗を封じようとしてか、背に回された腕に力がこもる。

 しかしみるまにクナの胸はじりじり熱くなり。肌が合わさったところもひどく熱くなり。すぐにぼうっと、燃えるような熱が噴き出した。


「……ぁあ!」

「実に忌々しい印だ」


 クナが悲鳴をあげると同時に、柱国さまの体がしぶしぶ離れた。刹那すうっと、クナの体から熱が引いていく。

 月の女性につけられた胸の印は、だれかがクナの体に触れると燃え出すらしい。まさしく純潔を守ってくれるのだ。

 柱国さまはあきらめたくないのか、大きく息吐くクナの髪を、ひと房つかんでいじりだした。


「それにしても口惜しい。もう少しでレヴテルニを殺せたんだ……本当にもう少しで……。金の獅子が邪魔すぎた」


 突然、美声の人の声が暗く沈んだ。


「レヴテルニをおびき寄せるため、龍二頭を見殺しにした。「西郷」は占領させねばならなかった。なのに……また仕切り直しだ。だが決して、あきらめぬ。レヴテルニは、決して許さない」


 鬱々と語られる不穏当な言葉。その声は闇夜のように(くら)かった――



「あいつは殺す。私がこの手で」


 

 びり、とあたりにするどい空気がおりる。これは、柱国さまの怒りであろうか。

 ひどく重く、痛々しい。怒りのなかにうずまくのは、心が捻られるような哀しみの気配。


「力及ばず情けないことだ……すまない。次は必ず、あいつを仕留めるよ」

 

 決意固い声で謝られ、クナはびくりとした。

 クナを撫でながら、柱国さまは実に申し訳なさそうに仰ったけれど。

 この謝罪は、なんだかおのれに向けられたものではないような気がした。

 柱国さまはしきりにクナの髪をいじっている。


『よい色だ……』


 うっとりそう囁いた色の髪を、とてもいとおしげに撫でている……


「あいつは逃したが、第一級の勲功にはなった。ゆえに今上陛下は、私に褒美を下さると思し召している」


 おめでとうございます――そう言うべきであるのだろう。

 しかしクナはごくりと息を呑んだまま。敵への憎悪をあらわにした柱国さまがこわくて、喉の奥に声を詰まらせた。

 こわばるクナの貌に気づいたのだろう、柱国さまは声音を明るくなさった。


「月の女の心臓。もしくは帝室宝物殿にある橙煌石。いずれかを、陛下にねだるつもりだよ。君を抱くのに、どちらかが要る。つまり印をつけた張本人を殺して印を消すか。印の効果を無効にする、絶対零度の環境をつくるかしないといけないからね。今のままで抱いたら、君が燃え焦げてしまう」

「だ、だく……」


 いちおうクナは、それがどんなものか知っている。

 姉のシズリは時折、物置小屋に男を引きこんでいた。糸つむぎ部屋に流れてくるのは、あんあん甘やかな喘ぎ声。そのあとシズリは台所でひそひそ、男に何をされたか妹に自慢していた……。


「だ、だかれると、きよいみこじゃ、なくなりますよね?」

「なくなるね」

「きよいみこじゃないと、シーロンさんにたべて、もらえない、ですよね?」

「うん。純潔を失えば、君は食べられることをあきらめざるをえない。だから抱く」

「で、でも! ちゅうこくさまは、しゅぎょうしていいっておっしゃいました! それって、あたしがまともなみこになったら、シーロンさんにあたえるってことじゃ……!」

「あれは君を落ち着かせるために言った。妻が生贄になるのを望む夫なぞ、いない」


 この方は本気で、自分を妻にするつもりなのだ。

 悟ったクナはおののき、寝台の上でそろそろ身を引いた。

 柱国さまは手から逃げたクナの髪を追い、そっとまた掴むとひそりと聞いてきた。

 

「ということで女の心臓と冷気の石。どちらをもらうか迷っている。君はどちらがいい? 田舎娘」

「どっちもいりま――」


 クナの答えは途中でぷっつり遮られた。言葉を止めたのは、柱国さまの唇。それは甘やかにクナの唇を割り、喉の奥からあふれくる混乱を呑みこんだ。両手に持つりんごで相手の体をぐいぐい押し返そうとするも、またもやきつく抱きしめられて離せない。

 胸から昇る熱が唇を焼くまで、主さまの唇はクナの悲鳴をむさぼり続けた。


 熱い。熱い。熱い。とろけてしまう……


「ふ……ふあああっ……!」


 燃え上がる寸前。ようやく離されたクナの喉の奥から、こふっと熱の息がほとばしった。

 こんなに熱くては、相手の舌はやけどどころではなかろう。だがクナの熱を食らった口は、さらり涼しげに恐ろしい言葉を吐いた。


「月の女の心臓がほしいと、陛下にねだることにする。ここを凍らせるのは面倒だ。いくら不死身の私とて、あの石の冷気を一晩中浴びるのはこたえる」

「そ、それはやめてください。やめてください、いのちをとるなんて!」


 とっさに叫んだクナは視線を感じた。おそろしい人にまっすぐ見つめられているのがわかった。

 だがどんな顔か、どんな表情なのか。見えぬ目ではわからぬまま、その視線はフッと外され、相手の体はすっかり離れた。 


「そう言うと思った」


 くすりと漏れる苦笑。


「金のりんごをお食べ、田舎娘」  


 囁きが壁を反射して流れてくる。クナに背を向けつぶやかれたそれは、とても優しかったが。大きな音をたてて開かれた扉は、主さまが出て行くとすぐに、どずんと閉められた。

 分厚い扉でもってして、つかまえた小鳥を閉じ込めるように。


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