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黒の舞師 ~身代わり巫女は月夜に舞う~  作者: 深海
五の巻 闇炎の黒獅子
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12話 黄金の鳥かご

 燃ゆる天におどろおどろしい咆哮が轟いたので、太陽の巫女たちは固く身を寄せ合った。

 しろがねの娘の亡骸を守り抜く。そんな覚悟をしたものの、あたりはごうごう、真っ黒な炎の嵐。

 リアン姫やミン姫が呼びかけても、影の子は耳を貸さずに泣きわめき、あろうことか、内裏(だいり)をめちゃくちゃにしてしまった。彼が作った大地の亀裂は、南北に長く広がり、深い裂け谷となり果てて。今や絢爛壮麗(けんらんそうれい)であった寝殿の瓦礫(がれき)を、次々と呑み込んでいた。 

「黒すけ! このバカ! 落ち着きなさい!」

「何をしているんですか! これは、ゲンコツどころの騒ぎじゃありません!」


 鬼火に焼かれたビン姫を抱えつつ、太陽の巫女たちは、命からがら亀裂の広がりから逃れた。


「ビン様! しっかりなさってください」


 ミン姫の師は虫の息だ。ましろの千早は焼け焦げ、その肌も黒ずみ、呼吸が荒い。明らかに死が迫っている。

 

「ひめ、さま。はやく、にげ……」


 最期まで愛弟子を守ろうとする老女の手を、ミン姫はなんとか落ち着き払って、しっかと握りしめた。


「分かっています。御所のあらゆる路が、逃げ離れる方々であふれていました。陛下も後宮の夫人たちも、官たちも、かろうじて難を逃れたことでしょう。私たちも退避したいのは山々ですが、太陽の大姫様と影の子が、すぐそこにいます。二人を置いてはいけません」

「ひめ、さ……」

「心配無用です。たった今、影の子から黒いものが離れていきましたから。だからきっと、この暴走は止まります」


 霊力高き太陽の姫たちは、神霊の気配を降ろして周囲の空気を固めていた。ゆえにその身はふわりと重みがないかのように浮いている。その浮力が薄れて姫たちの身が下がったので、リアン姫がばしりと、ひいひい泣きじゃくるメイ姫の肩をはたいた。

 

「泣いている間に結界を張り直しなさい! ひびが入ってますわよ!」

「でもっ、ででででもっ」

「あたくしだって、めちゃくちゃこわいですけれど。力を合わせたあたくしたちは、無敵ですわっ」


憑きものが落ちた黒い子は、いまやすっかり大人の体型に変じている。

長い黒髪には透き通った光沢が加わり、真っ黒だった肌は白くなり。背に作った翼は、日の光を集めたように輝いていてまばゆい。鬼の子のごとき姿形の面影はなく、今や息を呑むほど神々しい。

なんと美しく、そして――


「なんと柔らかな笑顔でしょうか」


遠目ながらもしっかりそんな(かお)が認められたので、ミン姫は、すぐにも破壊が収まると見たのだが。その読みは珍しく外れてしまった。


「太陽の巫女たち。みな無事か?」


白い娘を抱く黒い人は、亀裂のきわに浮いている巫女たちに気づいてくれた。

彼はまばゆい翼に命じて、こちらに飛んでこようとしたのだが。もう少しでこちらに届くというところで、深淵から昇ってきた、黒く長い闇の帯に囚われた。


「黒すけっ!? ああ、亀裂に引きずり込まれますわ!」


 悲鳴をあげるリアン姫のもとに、りんと、透き通った美声が飛んできた。


「我らは大丈夫だ。どうかこの場から逃げてくれと、我が伴侶が言っている。今すぐ退いてくれ……!」

「伴侶?」

「しろがねの子の魂が、体に戻ってきた。巫女たちよ、だから殉じる必要はない」


 黒髪の美丈夫となった人は、白い娘もろとも、闇色の帯にぐるぐる巻き付かれた。なれど苦し紛れにサッとひと薙ぎした腕から、こおっと冷たい突風を放ち、蛇のようなその戒めをこっぱみじんに砕き散らした。

 背にまとうまばゆい翼が、その風を広げる。あたりにごうと吹き荒れた風は、太陽の巫女たちを結界ごとそっくり、亀裂のそばからはじき飛ばした。巫女たちは勢いよく弾む鞠のように、瓦礫の山をぼんぼん跳ねていき、ついには御所の北の端に落とされた。


「お、大姫さまは、生き返ったんですか?」

「そのような仰りようでしたが、黒い人は襲われています。御身から離れた憑きものが暴れているのでしょうか」

「ごらんになって! 亀裂から、何かが飛び出しましたわ!」


 メイ姫に抱きつかれているリアン姫が、亀裂があるところを指さす。そこからどおっと真っ黒い柱が立ち昇り、天地を一閃した。真っ黒な塊が、天へめがけて一直線に飛んでいったのだった。

 目をこらした巫女たちは、その塊が、影の子とよく似ていることに気がついた。目にもとまらぬ速さで飛ぶそれは、流星のごとく舞い飛び、御所から逃げるように飛びゆく黒髪の人を追いかけた。


「ちびの黒すけが、大きな黒すけを追ってますわ!」

「黒い方に近づくあの小さな鳥は、何なのでしょうか? なんだか白いもふもふしたものが乗っているような」

「あっ、ここから離れていきます。大姫様を抱いてる人と、もふもふを乗せた鳥が一緒に、ずんずん天に昇っていきますっ。ああっ、雲の中に消え……」


 メイ姫がひいっとリアン姫の腰に顔を埋めた。どんな魔力が作用しているのか、けたたましい嗤い声が、天から朗々と降ってきたからだった。

 

『はははは! 朕に恐怖して、尻尾を巻いて逃げたか! 朕の力を思い知ったのだな!』


 そのとき。巫女たちに抱えられているビン姫が、目をカッと開いておののいた。

 

「お……おおお……この、御声……この、音、は」

「ビン様?!」

「知って、いる……わた……は、この、声、を、知って……」


『すめらの民よ! 朕の声を思い出せ! 朕の力を浴びて、すべてを思い出せ! さあ今こそ、愚かなおまえたちを、古びた鏡の呪縛から解き放ってやろう! 目覚めよ! 我が臣民よ!』


天より降り注ぐ声に、老女はぶるぶる痙攣した。恐怖のためか、それとも断末の発作ゆえか、顔をひどく歪ませながらも、必死に言葉を紡ごうと唇を動かした。


「ああ……ああ……! お、おそろし、き、竜蝶、の、陛、下……く、黒龍君くろきりゅうのきみ……!」

 

 黒龍様、あの黒龍様の主人だと、ビン姫は何度も呻いた。


「あ、あの方こそは……さ、災厄を呼んだ黒龍様の……か、飼い主……!」

「災厄を呼んだ? び、ビン様!」


 がくりと、老女が力尽きる。息が途切れた焦げ臭い胸を、ミン姫は思いきり打ち叩いた。

 死なないでくれと、心の臓をまた動かそうとして、目を潤ませながら強く打った。

 リアン姫もビン姫の肩をつかみ、目を開けてくれと揺さぶった。 

 

「しっかりなさい! しろがねの許しなくして逝くことは、許しませんわ!」

 

 御三家の姫ふたりの口から、同じ祝詞が同時に飛び出す。祈りの波動が、離れかけた老女の魂を体につなぎ止めた。

 

「息が戻りましたわ!」「まぶたが開きました!」「び、ビンさまあ」


 安堵の声をあげる巫女たちのそばで、山と積み上がった瓦礫が雪崩れた。天に在る影の子が、その背から大きな黒い翼を出し、はばたいたせいだった。

 空の高みから繰り出された風は、嵐のごとく地上を舐め、大いに揺るがし、焼き焦がしてきた。

 太陽の巫女たちは必死に結界を張り続け、天より降ってくる炎熱に耐えた。

 そのかたわらで――崩れた瓦礫から、碧の鬼火たちがぷはっと大勢出てきた。瓦礫の下敷きになっていたのが、今の地震で急死に一生を得たらしい。鬼火たちはその場であれよあれよと、大きな黄金色の鳥かごを掘り出した。


「……! ……!」


 瓦礫に潰されたのだろう、半ばひしゃげた鳥かごの中に、人がひとり、閉じ込められている。

 幸い、怪我は負っていないようだ。色薄い鳶色の髪をふり乱し、黄金の格子をばんばん打ち叩いて、必死に助けを求めているのだが。その人の声は、少しも聞こえてこなかった。


「菫色の瞳……! 鳥かごの中にいるのは、竜蝶です! もしや、しろがね様の妹君では?」

「きっとそうですわ! ああっ?! 待って、行かないで!」


炎熱に耐える巫女たちは出現したものに驚き、じりじり鳥かごへ近づいたが、届かなかった。 

 碧の炎を散らす鬼火たちが、瓦礫に半ば埋もれていた細長い鉄車に鳥かごを押し込めて、強引に発進させたのだった。

 天から降ってくる黒い炎を避けるべく、鉄車は分厚い装甲を降ろした。鋼の壁にすっかり覆われた車は、あろうことか翼もないのに突然浮き上がり、みるみる遠のいていく。がしゃがしゃと、屋根から瓦礫を落として去りゆくそれを、太陽の巫女たちは口惜しげに見つめた。


「追わなくては……!」

「ミン様、あたくしがあとを追いますわ。あなたとメイは、ビン様を太陽神殿に運んでちょうだい。ビン様は、すぐ治療しなければならない身なんだから」

「リアン様、しかし」


 ひとりで行くのは危険です――そう言おうとしたミン姫は、ハッと目を見開き、リアン姫の背後に視点を固めた。

 

「お、鬼火たちが」


 また碧の炎たちが現れたのか。警戒顔で振り向いたリアン姫は、真紅の瞳を丸くした。

 いました、見つけましたと口々にいいながら、蒼い鬼火たちがわらわらと、巫女たちのもとへ駆けつけてきたのである。彼らは天から降る炎熱から守ろうと、巫女たちの結界を取り囲んだ。


「黒すけ殿が、神殿から飛び出して行きましたので」

「アカシ様が、我らを遣わしました!」

「御所が崩れて、結界がなくなって、侵入可能になりましたので!」

「もう安心です」「ええ、もう安心です」

「あ、アオビの半分! あの鉄車を、リアン姫と一緒に追ってくださ……」

 

 命じたミン姫は、しかしその口を半ば開けたまま、その身を固めた。巫女たちの結界に貼りつく鬼火の向こうを眺めて息を呑む。


「何ですの、ミン様。またびっくりするようなものが出てきましたの?」

「あ、はい、リアン様。で、出て、きました……」 


――「我が姫! すめらの星! 無事であるか!?」


 鬼火たちの向こうから飛んできた声を聞いた瞬間。リアン姫も、口をぽっかり開けて凍りついた。


「金獅子州公が第一子、獅子の加護まといし我、ここにあり! 帝宮が崩れたのを見て、馳せ参じた!」


 がしゃりがしゃり、騒音を立てて近づいてくるものを確認した太陽の姫は、ええとあれはと、わなわな唇を引きつらせた。


「な、なんで、あたくしがここにいることを、あいつは――」

「知っていたのでしょう。間諜やら隠密やらお庭番のおかげで。それにしてもよく焼かれずに……」 

「あ、あのごてごてしい全身鎧、防火の効果があるのかしら。ていうか、なんですの、あのでかい剣!」


 黒き嵐が吹き荒れる空に、自信に満ちた(とき)の声が、高らかに轟いた。


「我が姫よ、安心するがよい! 獅子の御子たる我の剣が、汝の敵を滅ぼすであろう! ことごとく!」





燃ゆる天から黒い炎熱の風が降きおろしてきたので、赤子を抱くコハク姫は、我が身をすくめた。

姫が乗っている黒塗りの鉄車が、御所の西門を抜けてからだいぶ経った。ご紋のない車からは、なぜか車輪の音が聞こえてこない。なれど車は、混み合う路を避けながら、ひたすら西進している。


「いったい何が、起こったんだよ……」

 

 突然、御所に暗雲が立ちこめ、大地が揺れた。今もまだ、天変地異は収まらないどころか、ひどくなるばかりだ。

 車窓からちらと見える光景は、混乱の極致にある。はるか後方となった御所から、黒い渦巻きが立ち昇った直後、熱くて黒い炎の嵐が降ってきた。宮処に住まう者たちは、この世の終わりが来たと叫んで右往左往。火を避けようと水で濡らした布を被り、家財を背負って逃げ惑う人々が、避難の行列を成している。

 人波を押しのけるように、御所から逃れ出た車の列が、そこかしこの大路を埋めている。どこも渋滞きわまりないはずだが、コハク姫が乗っている車だけは不思議なことに、一度も停まることなく一定の速度で進んでいた。


「なんだか視線が高い……まさかこの車……ああやっぱり、浮いてるんだ。宙を飛んでる……」


 これは、夢?

 姫はこめかみに手を当てた。視界が歪む。ずきずきと、頭が痛んでしかたがない……。 

 車の先頭へつながる扉には透ける窓が嵌まっていて、碧の鬼火が二体、御者席に座っているのが見える。広いとは言えぬ車両内にも、さわさわ異様な音をたてる鬼火たちが幾体もいる。まるで咎人(とがびと)を見張るように円陣を作っているので、姫は窓のそばの座席から少しも動けなかった。


「こちら東雲号、無事、皇子様とご母堂を保護しております」

「高祖御陵にて、西雲号と合流、了解しました」


 碧の鬼火たちはそれぞれに、小さな鏡を持っている。彼らはそのきらめく円い板から、だれかの命令をひっきりなしに受けていた。


「待って、なぜ西の御陵に? たしか、宮処の北に在るっていう離宮が、帝室の避難所になってるはずだけど」

「離宮には運びません」

宮処(みやこ)は、南北に裂け続けているのです」

「だから、南と北には、逃げられません」


 腕の中の赤子が泣き出したので、コハク姫はよしよしと我が子をなだめた。

 姫が住まっていた湖黄殿(こきでん)は、地震でぺしゃんこ。碧の鬼火たちに半ば連れ出されていなかったら、母子は瓦礫の下敷きになっていただろう。

 鬼火たちに感謝するべきなのだろうが、姫は礼の言葉を言うのをためらった。

 

「あんたたち、地震が起こる前に、私をどこかに連れていこうとしてたよね?」

「はい。幸い、目的地は変わりません」

「西の御陵。変更なしでございます」

「行き先は、変わらない??」


 碧の鬼火は天変地異が起こる直前、さわさわ騒ぎながら幾体も来たりて、姫を御殿から引っ張りだそうとした。陛下がお呼びだというのだが、内裏勤め専用の碧衆が後宮へ入ってくるのは、ありえないことだ。用事はすべて、蒼い鬼火に伝達して任せるはずである。

 昨日も、碧の鬼火は不可解なことをしてきた。

皇后昇位の是非を問う託宣を聞くべく、御子とともに内裏にあがると。碧の鬼火たちは姫に一服、茶を勧めてきた。ごく普通の甘茶だったが、呑んだ直後、姫の頭はぐらぐらゆらゆら。神降ろしの儀式の間、姫の意識は朦朧として、ひとことも声を発せなかった。


「まだ痛いよ……こいつら絶対、茶に何か盛ってきた。なぜ、あんなことを?」


 儀式を行った巫女王(ふのひめみこ)の姿も、どんな神託が下されたのかも、ほとんど分からずじまい。女官たちに抱えられて部屋に戻り、周囲の者たちに祝辞を浴びせられてやっと、自分は皇后になるのだと知った。

 覚えているのは、太陽の巫女王(ふのひめみこ)の、鮮やかな朱の衣だけだ。

 雅風煌々(がふうこうこう)たるあの舞だけは、なぜか目に焼き付いた。

 舞い上がる風で衣の裾が広がり、鳳凰が飛翔しているかに見え、なんと美しいと姫は打ち震えた。

 朱の鳥は天照(あめて)らし様の御光を浴びて、雄々しく気高く、燃え上がっていたのだ…… 


「スミコちゃん……あれは、スミコちゃんだったよね? ああ、お願い、泣かないで」


 乳母(めのと)がついてきていないから、母たる姫は不安でたまらなかった。乳をあげるのも、ほかの諸々の世話も、ほとんど乳母に任せているから、正直、何をどうしてよいのか分からない。

 端衣(みずきぬ)は濡れていないようだから、お腹がすいているのか。姫は御子に乳を与えようとしたが、まったく使われていなかった姫の胸からは、もはや乳が出なくなっていた。

 どうしようと内心焦りながら、泣き続ける子をあやしているうち、鉄車は御陵に行き着いた。

碧の鬼火たちに促され、外へ出てみれば、木々を生やした巨大な丘が、眼前にそびえていた。


「中へお入りください」

「急いでお入りください」


 碧の鬼火たちが、姫の背中をずんと押す。円の形にかたどられた入り口をくぐると、細く長い通路が一本、中に通っていた。百歩以上歩いたその先に、円い両開きの扉があり、先導する鬼火たちがそれをよいしょと押し開けた。赤子を抱く姫は、扉のむこうに広がる空間を目にして、息を呑んだ。


「なんて大きな空洞……」


 天井は高く弓なりで、丸い灯り球が、いくつもぷかぷか浮いている。球の光量は実に控えめで、あたりをほんのり赤く染める程度。中央に大きく丸い、島のごとき祭壇が、ぼうっと浮かび上がっている。

 

「……! ……!」


 かなり高いその(いただき)をめざして、だれかが鬼火に引っ張られながら、石階段を昇っていた。階段のふもとに、ひしゃげた黄金色の鳥かごが置かれている。その人は、そこから出されたらしい。ひどく嫌がっているが、後ろにも碧の鬼火たちがたくさんついていて、逃亡するのを阻止している。

 ひったてられているその人は、必死に口を動かしているのだが。


「声が出てない! ああ、あの人は……!」


 赤子を抱く姫は、真っ赤な瞳をどくんと縮めた。


「シガじゃないか!」


 髪振り乱すシガは、薄い単衣を一枚羽織っているだけだった。鳶色だった髪は、羽化を経た今、白に近い色になっている。瞳の色は、あたりが暗すぎてよくわからない。しきりにかばっている腹は、ずいぶんと大きい。そのせり出し方は、ひと目で、御子が宿っているのだと分かるものだ。

 コハク姫の父、大神官トウイが、シガの喉を潰して、今上陛下のもとにこっそり戻したことを、コハク姫は知っていた。陛下が、どこかでひそかに彼女をかくまって愛でていたことも。

 

「……! ……!」


 声を出せないシガが、必死に何を叫んでいるかは、一目瞭然。

 なぜなら、シガを引っ立てる碧の鬼火たちが、声を合わせておそろしい歌を歌っているのだった。


 いけにえを いけにえを

 新しき皇后さまに 永遠の寿命を

 偉大な御方に 永遠の祝福を

 

「いけにえ? 新しい皇后にって、もしかして私に捧げられるってこと? 待って、そんなこと、する必要ないよ!」

「さあさあ、湖黄殿(こきでん)の女御様、祭壇をお昇りください」

「てっぺんへどうぞ」


 赤子を抱く姫は青ざめ、きびすを返して逃げようとしたが、碧の鬼火にずんずん背を押された。鬼火たちは隙間なし。ぐるりと姫を囲んだまま、その身を石階段へと追いやり、祭壇へと押し上げていった。

 島のような祭壇のてっぺんには、つややかな薄い石が張られており、ひと隅に丸い台座が据えられている。その上には、巨大な円鏡が一枚。赤い灯り球の光を受けて、不気味に輝いていた。

 鏡の両脇に誰かがいる。

 白い衣をまとった女性と、蒼い衣をまとった女性。頭にはそれぞれ、精緻な細工の頭冠を載せている。

 

「月と星の……大姫様?!」


 二人の巫女王(ふのひめみこ)は、真っ赤なれどもまったく光のない眼を細めて、声を合わせた。


『さあ、儀式を始めましょう』


 その声は気味の悪いほど重なっていて、抑揚がなかった。


「大姫様! お待ちくださいっ」


 赤子を抱く姫は尻込みしながら、月と星の御方に訴えた。


「これは一体、何の儀式ですか? 皇后昇位がいきなり、しかもお墓で行われるなんて、聞いたことがありません! 陛下は、どこにいるんですか?!」

『黙って、御子を鏡の前に置きなさい。そして我が前に、ひざまずくのです。頭を垂れ、竜蝶の血を受けなさい』

「い、嫌ですっ。くっ! は、放せ!」


 二人の巫女王は異口同音に命じた。碧の鬼火たちが姫の腕から赤子を奪い、無理矢理、死んだ目をした月と星の御方の前に姫を押し出す。


『今より、寿命延命の儀を執り行いて、我が器(・・・)となりし汝の体を、永久(とわ)なるものといたしましょう』

「お、恐れながら、異議を申し立てます! これが、帝室の伝承にある、皇帝や皇后の寿命延命を祈願する儀であるなら、立会い人がひとり、足りません! 三色の巫女王がそろわねばなりませんし、竜蝶をいけにえにするなど、聞いたことなど――」

『心配無用。太陽の大姫は、ここにおわします』


 二人の巫女王が祭壇に載っている鏡を指し示す。その真下から音もなく、低い台座がせり上がってきた。眉をひそめてたじろぐ姫の真っ赤な目に、黄金冠と(あけ)の衣の煌めきが映る。

 それはまごうことなく、太陽の巫女王(ふのひめみこ)のものなれど。それを身につけ頭を垂れて座しているのは、生きている娘ではなく、顔も髪もない人形だった。


「な……」

『太陽の巫女王(ふのひめみこ)は、現在、空位。ゆえに、聖水と銀砂で作られた、聖なる依り代たるこの人形(ひとがた)が、代理となります』

 

 祭壇に置かれた赤子を気にしながらも、思わずあとずさる姫を、碧の鬼火が前へ押しやる。

 必死にもがくシガがそのすぐ目の前、すなわち、「三人の巫女王」の前に引き出された。

 さあ、いけにえを。

 月と星の御方が、全く同じ動作でシガを指さす。二人の指先からビッと、ましろの閃光がほとばしり、暴れる竜蝶の胸を打った。


「シガ!!」


 コハク姫が悲鳴をあげた、そのとき。


――「待て! そこまでだ! ぐは!」

「ちょっ……! し、しっかりしなさい!」


 ガシャガシャごろごろ、けたたましい音を立て、大きな金属の塊が、祭壇のてっぺんに転がり込んできた。ましろの千早を羽織る巫女を従えた鉄だるまは、よろよろ立ち上がると、長くて広刃の剣をよろめきながらふり回した。自信に満ちた(とき)の声を、高らかにあげながら。


「虐げられし者どもよ、安心するがよい! 我が姫のたっての願いにより、獅子の御子たる我の剣が、汝らの敵を滅ぼしてしんぜようっ!」

「と見せかけての、人海戦術ですわ! アオビ!!」


 千早の巫女が叫ぶと同時に。鉄だるまの後ろから、うわっと蒼い光がいくつも飛び出した。

 燐光燃やす蒼い鬼火たちは、みるまに祭壇をまばゆく染めていった。

 めらめらばちばち、碧の炎が、見えなくなるほどに――


「分裂!」「分裂!」

「増えます!」「増えますからねえっ!」

「お覚悟!」「玉砕!」


 ――あたり一面、蒼一色に。




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