10話 燃ゆる神眼
陽光がまぶしい。真っ黒な地平線のすぐ上で、ぎらぎら輝いている。
天照らし様はまだ沈まない。衣の御魂たちが恐ろしい速度で、西へ遠のく天体を追いかけているからだ。
(お願い、もどって!)
強く念じるクナを無視して、三色の衣の魂たちは雲に届くすれすれの高さを飛んだ。
追いかけてくるウサギの影は、はるか後方にすっかり消えてしまった。ずいぶん引き離してしまったようだ。
黄昏の空の中、クナたちはすぽんと雲海の中へ飛び込み、一気に上昇した。あっという間にましろの雲の上に出ると、漆黒の天を埋め尽くす無数のまたたきが見えた。
これが星というものか。なんと美しい――そう感嘆する暇もなく、真っ正面に、黒くて巨大な影が迫ってきた。
(これは島? 浮いてる……天の浮き島だわ!)
そこは、黒髪様と過ごした島ではないようだった。滝や泉や果樹の影はひとつとてなく、三角屋根の建物らしきものの影が、何棟もそびえ建っている。整然と四角に仕切られた区画は、太い大路で真っ二つに分かたれていて、奥にひときわ高い建物の影が、お山のように鎮座していた。
ここで休め タルヒのむすめ
クナにぴたりとついたまま、白き聖衣の御魂が囁いた。
すめらの帝が起きるまで ほろびがすべてを消し去るまで
あまたの帝がそなたを守るだろう
御魂たちは大路を突っ切って、クナを奥の建物へ運んだ。
分厚い扉は閉まっていたが、魂だけでしかないものたちにはまったく、無意味なものだった。
中は真っ暗な広間で、幾本もの列柱が左右にそそり立っている。はるか先の正面奥にのみ、青白い光が見えた。天井から下がる円い灯りに照らされて、ぼうっと何かの影が浮かび上がっている。
(舟? いえ、ちがう。これは……)
えもいわれぬ畏怖が、じわりとクナの中に染みてきた。
この形には覚えがある。霊光殿に赴いて百臘の方のお体と対面したとき、泣きながら手で探って確かめたのと同じ形だ。
(これは、棺よね? え? ちょっと、まって!)
どうにも離れない衣の御魂たちはいきなり、クナを舟の中へ突っ込んだ。何をするのかとクナは度肝を抜かれたが、大きな舟には蓋がなく、中身は空っぽ。幸い何も入っていなかった。
すぐ後ろに、ほぼ同じ高さの祭壇が据えられているようだ。その上に大きく円いものが一枚立てかけられていて、天井の光を反射している……
(鏡……!)
クナは反射的に身震いした。鏡からまた変なものが飛び出してきて、襲ってくるのではなかろうかと、
見下ろしてくるものに恐怖を覚えた。
(皇太后さまは、本物の皇太后さまじゃないようだった。だれかに、乗り移られていたようだったわ)
鏡の言葉こそ神の御言葉。クナから神霊玉を奪いとった恐ろしいものは、そう断じて譲らなかった。
それは皇太后様の身体を捨てて、ほかのものに移ると言っていた……
(たしか、新しい皇后の中にでも入ろうかって、言っていたわ)
コハク姫が危ない。シガや従巫女たちが無事かどうかも知りたい。黒い影の子が御所を破壊しつくす前に、宮処に戻らなくてはならないのに。
(こんなのいやよ! どうかあたしを、宮処へ戻して!)
焦ったクナが、叫ぶようにそう念じたとき。
『失礼いたします。安らかにお眠りになられている、すめらの先帝陛下方に申し上げます。熱源感知。霊廟島に、未確認飛行物体が接近中』
突如、祭壇の鏡が淡々と機械的な声音を発してきた。クナはびくりとおののいて、大きな鏡を見上げた。ましろの鏡面は天井の灯り以外、何もとらえていない。しかし鏡は、さらに声を発した。
『申し上げます。警告を送りましたが無視されましたので、迎撃します。熱射砲、開門』
鏡は、クナたちのことは感知していないようだ。他の何かを排除するために、島の防衛機関を動かしているらしい。
ほどなく、どどん、どどんと、広間の入り口が扉もろとも、激しく揺れだした。何かが漆黒に沈む扉に突っ込んできては退き、ぶつかってきては退きを繰り返しているらしい。
頭上の鏡は寸分乱れぬ口調で、だれもいない広間に告げてきた。
『偉大なる先帝陛下方に申し上げます。侵入者に、第一から第七までの、すべての防御結界を突破されました。排除できませんでしたので、緊急体制に移行します。地下霊廟の切り離しを、開始いたします』
とたんに、クナたちが潜む舟の棺がゆるりゆるり、下へ沈みだす。しかしてそのゆるりとした降下は、途中で停止することを余儀なくされた。分厚い扉を打ち破り、勢いすさまじい流星のごときものが広間に飛び込んできて。祭壇の上の鏡を蹴り飛ばしたからだった。
「うらああああっ! これで頭脳停止だあっ!」
クナの頭上をかすめたのは、ウサギの影だった。
「スメルニアの帝廟なんて、なんのその! 大陸一頑丈かつ安全かつ鉄壁なところに逃げ込んだつもりだろうが、無駄無駄無駄! 魔人なめんな!」
鏡は舟の中に転げ落ち、しばらくの間、恐ろしい速さで回っていた。ましろの鏡面には深い亀裂が入っており、もはやその声はぶつぶつ、わけのわからぬ完全な機械音と化している。
大陸横断を一体何回やらせるんだと、ウサギの影は、長い耳を揺らして舟の中に入ってきた。
「スミコちゃん、あんたに憑いてる御魂たち、頭いいぞ。オレから姿をくらますために、大陸一強固な結界があるところに来やがった。でもあんた、オレにぶつかったから、オレの匂いがばっちりついてるし、異次元使えば移動は一瞬だし、オレって無敵だから!」
(ありがとうございます! あ……ウサギさん、背中のオルゴオルは?)
「師匠に渡して、代わりに色々、作業道具持ってきた。光の塔は師匠に任せる。オレは、あんたを蘇らせるのに専念す――ぐあ、ちょっと待て!」
衣の御魂たちがクナを舟から浮き上がらせた。ウサギの影から離れるべく、ものすごい速度で闇色の広間を突っ切っていく。
逃すものかと、ウサギの影は俊敏に動き、大きく跳躍した。小さな鳥の影が空を裂く音をたてながら飛んできて、彼を乗せる。旋回した鳥は、たちまちクナたちの正面に回り込んできた。
クナの真ん前に飛んできたウサギは、燃え上がる小さな物を突き出してきた。
「輝け、真紅の瞳! 汝が映すものを捕らえよ!」
それはめらめら音をたてていて、まるで小さな鬼火のよう。それを見たとたん――
(えっ?! これは?!)
クナはぎゅるぎゅるとその光の中に吸い込まれた。三色の衣の御魂もろとも、あっという間のことだった。
(な、なんだか、引っぱられて沈んでます! 渦……! すごい渦です!)
「心配無用! こいつは吸魂機能つきの義眼なんだ。へへっ、赤毛くんのお古を、使わせてもらったぜ!」
(赤毛くんって……)
「ちまたでは、紅の髪燃ゆる君って呼ばれてる人。オレの雇い主さ」
(神帝陛下?! え?! あの人の目?! )
「あいつ、片っぽの目に黒獅子を封じてたんだけど、こないだそいつを外に出したときに割れちゃってさ。そいつがこわい金獅子の大長文クレーム付きで返品されてきたんだわ。俺の子が怪我したどうしてくれやがるってそりゃもう……ととととにかくもう一方は無傷で手元に返ってきたから、有効利用する! さあ、スメルニアのミヤコに戻るぞ!」
いけない、昇れ、昇れと御魂が歌う。
しかしクナにとり憑いている者たちは、浮き上がることができなかった。彼らは必死に上へ上へと昇っていこうとしたが、大いなるうねりの渦が、クナたちを捉えて下へ下へと沈めていった。
巻き込んでくる渦はカッと熱くて、鬼火が燃える音と同じ音を立てていた。これは風ではなく、炎の一種なのだろう。
渦の底に着地すると、三つの玉はあきらめきったようにクナから離れた。困り切ってうろうろあたりを浮遊して逃げ場を探しているが、やはり上へは昇っていけないようだ。炎の渦がごうごう吹きつけてきて、少し上がっても押し戻されてしまっている。
(神帝陛下の目は神眼だって噂だけど、本当だったのね。う? あれは……なに?)
クナはハッと前方を見すえた。周囲にそびえ、天高く燃え上がる渦の片面に、何かの影がぼうっと現れている。
『ごめんなさい! 本当にごめんなさい!』
その影に呼びかけるように少年の声が降ってきたので、クナはびくりと驚いた。
『でも俺は、トリオンのレクルーの望みを、かなえてあげたかったんです。だから、災厄を砕く星船に乗せたんです』
『獅子の子よ。どんな理由があろうと、私が君を赦すことはない』
渦の中の影から、りんと水晶を打ち鳴らしたような声が返ってきた。
ぼやけていた影がはっきり、形をとる。真っ黒で長い髪。それは神霊の気配を下ろしたときに、一度ならず見ることができた、真っ黒な人の姿だった。
(黒髪さま……!?)
その声を、聞き間違えることなどありえない。何かを掴もうとするかのように、黒髪様の影は、真っ黒な腕を伸ばしてきた。
『私は今から君を殺す。だがなぜ、金の獅子を弾き飛ばした? 君の守護者をなぜ、遠くへ押しやった?』
美声の人の問いに、少年の声が答えた。
『あなたと、話をしたかったからです。どんなに逃げたって、あなたはあきらめない。だから俺は今ここで、神殺しの代償を受けます。でもどうか、俺を殺す前に、教えてください。あなたは、知っていますか? トリオンのレクルーが何のために死んだのか、知っていますか?』
『何のためにだと? 大陸の平和と安寧。この星に生きるものたちのために決まっている。レクは、自分のことなど露ほども考えない。たとえ誰かに殺されたって、怒らない。今まで何度も殺されすぎたせいで……自分はそういうものだと思っている。虐げられて、当然のものだと思い込んでいる。でもあの子は、この大陸に愛着を持っている。この大陸に生きる皆を、深く愛しているのだ……』
水晶を打ち鳴らしているかのような美声が、悲しげにわなないた。
『災厄が来ることは、何年も前から予知していた。だから私は、我が分身たるマクナタラを作った。不死の魔人たる私かあいつが、独りで災厄を潰しに行く。不死の魔人とて、この大事を成したら、おそらく消滅するだろう。でもレクのそばに私かあいつが残れば、それでよかろうと思ったのだ。
しかしレクは、私たちを死なせたくないと泣いた。ならば我らだけ、どこかの星へ逃れよう……そう言ったら、烈火のごとく怒ってもっと泣いた。レクは私に向かって大嫌いだと叫び、そのまま……私を置いていった。あの子は、大陸に生きるものたちを、見捨てることができなかったのだ』
『違う……レクルーが大嫌いと叫んだのは、あなたが、大陸を捨てようとしたせいじゃない』
『……何だと?』
少年の声に、渦の中の影が動きを止める。
燃える目の中にあるこれは。この会話はもしかして……
(神帝陛下の目が、見聞きしたもの? 記憶、なの?!)
クナは呆然と、渦の中の黒髪様を凝視した。美しい声に、怒りの色を入れてきた人を。
神帝と話しているということは、これは北五州で黒髪様が黒獅子に食われる寸前の出来事なのだろう。
『神眼を持つ子よ……君は、何を知っている?』
『星船に乗ったとき、レクルーは俺に打ち明けてくれました。災厄が来る直前まで、あるものを作っていたと』
『……』
黒髪の人が沈黙する。まるでぐさりと、とどめの一撃を食らったかのように。
『レクルーは、なけなしの魔力で、人造の命を練り上げていたと言いました。それは俺が今ジェニと作っているものと同じで、レクルーとあなたの魂のかけらを合わせたものだったと。あなたの分身であるマクナタラとは違って、それはたしかに二人の子どもといえるものだった。けれどあなたはそれを……』
黒髪様の影は大きくゆらめき、わななきながらつぶやいた。少年の言葉を遮るように響いた美しい声は、震えていた。
『あの子は君に語ったのか。私の罪を』
『はい』
『それはいらないと……私は言った。永遠に等しい寿命を持つ竜蝶と、死なない魔人。二人きりで十分、幸せだからと。二人の世界を邪魔するものは、必要ないからと。そう言って私は……』
美声が息が止まったように詰まる。少年の声が静かに言葉を継いだ。
『あなたは、消してしまった。レクが作っていた魂を』
『そうだ……それまでに私は何度も、あの子に我が意志を伝えてきた。あの子が拾ってきたものは、全部拒否した。子犬も、子猫も、目が見えない赤ん坊も。あの子は全部あきらめてくれたが、最後のあれだけは……赦してくれなかった。私はひどくなじられ責められて……別れの言葉を告げられた』
大嫌い
大嫌い
さよなら
クナの中に突然、そんな言葉が湧き上がってきた。まさか、固く封じられている記憶がよみがえったのだろうか? いや――慟哭しているかのようにわななく黒髪さまの影が、まるで呪文のようにその言葉を囁いたのだった。
『後悔している……あの魂だけは拒否してはいけなかったと、私はすぐに気づいた。だが、万事休すだ。あの子は決して誰にも抱かなかった感情を私に浴びせた。怒りというものを……ゆえに私は、我が身を焼き尽くすしかなかった。我が身を罰せずには、いられなかった』
『レナン様、どうか聞いてください。レクルーが死んだのはたしかに、大陸に生きる皆のためでもありました。でも一番の目的は、自分のためです。生まれ直したかったから、死んだんです』
『私と生きることに、うんざりしたからだと言いたいのか?』
『違います。レクルーはあなたを嫌いになってなんかいません。今度はちゃんと大人になって、あなたの子どもを生むために、輪廻の道を選んだんです』
黒髪様の影が彫像のように固まる。息をとめてしまったかと思うぐらい動かなくなった人を、少年の声が押し潰した。
『ちゃんと腹の中に宿した子だったら、あなただってきっと愛してくれるはず。レクルーはそう言っていました。もちろん、輪廻した自分を、あなたが見つけ出すことも、固く信じていました。でもレクルーはかつて羽化に失敗して、魔人とほぼ同じものになった身だから、そう簡単には死ねません。だから転生するためには、災厄にぶつかるしかなかったんです』
固まっていた影がゆっくり動きだす。止まった身体を無理矢理動かして、苦悶の声をあげる。
『レクルーは、見たかったんです。あなたの子たちが、大好きなこの大陸で輝きながら生きるのを。マクナタラみたいな分身じゃなくて、ほんとの子孫が増えていくのを。この世に二人きりじゃなくて、もっと大勢で、幸せになりたかったんです』
『……獅子の子。あの子のことを、一番知っているように語るな』
『だから俺は、レクルーに協力しました。お人好しすぎるあの子が、誰かのためじゃなくて、自分のために、切に望んだことだったから。たとえあなたに拒否されても、あの子がどうしても叶えたい、わがままだったから――』
『黙ってくれ! 罪深い私に希望を与えるな、獅子の子!』
炎の渦の中で、黒髪様の影がごうと吠え猛った。黒く長い髪がうねり、逆巻いて乱れる。怒っているのか、慟哭しているのか分からぬ人は、震えながらこちらに向かって両手を突き出してきた。
転瞬、何かがずぶりと貫通したような音とともに、か細く絞り出すような少年の悲鳴があたりに飛散した。黒髪様の腕が両方、突き出されている。おそらくこの目の持ち主の身体を貫いたのだろう。しかし数拍もおかぬ間に、黒髪様の影は突然、がくりとくずおれた。
『黒獅子……出てきてくれて、ありがとう……』
どうどう、ごうごう。なにやら空恐ろしい轟音が響き渡る。と同時に身も凍るような叫びをあげて、黒髪様はもがき、みるみる縮んでいった。
『どうかしばらくその人を閉じ込めていて……ジェニの怒りが、冷めるまで』
ごめんなさいレナン様と、何度も謝る少年の囁きが、めらめら燃える音に溶けていく。
美声の人の影も小さく薄くなり、炎の中に千々に消えていった。
(あたしが……望んだ? 生まれ直したいって願って……転生した?)
黒髪様の子を成すために。ふたりの子どもを、生むために――?
瞳の記憶が消えたあとも、クナは放心したようにしばらく、燃え上がる炎をみつめていた。
胸を貫かれるような悲しみと、それでも不変で強固な想いが、自分の内にあるのを確かめながら。
(あたしが自分の記憶に蓋をしたのは……固く固く封印したのは、このせいだったのね)
北五州で黒髪様の名前を探したとき、クナは自分の記憶が固く閉じられていることを知った。紅の髪燃ゆる君は、消したかったけれど迷ったあげくに封じることにしたのだろうと言っていたけれど……
(その通りだったんだわ。あたしは、あたしが生み出そうとしたものを、忘れたくなかった。でも、黒髪さまのことを、大嫌いだって思ってしまった気持ちは……忘れたかったんだわ……)
本当に好きだから。自分には、あの人しかいないから。
それは決して、揺るがしたくないことだったから。
忘れたくないけれど、忘れたいものだったから。
(黒髪さま……)
その人は今、すめらの御所を破壊しようとしている。他の誰でもない、クナの死に絶望して。
(だめよ。もうあたしに近づかないで。今の記憶を一緒に見たのなら。どうかもう、近づかないで)
くるくる、困ったように周りをさまよう衣の御魂たちに、クナはきっぱり意志を放った。
(あたしは、黒髪さまに言わなければならないの。自分の身体に戻って、自分の声で言わなければならないの)
糸巻きはもういらない。直接伝えなければ。出陣式のとき、勇気を出して好きですと言った時のように、あの人に直接、言わなければ。
すべてを思い出したわけではないけれど、きっと何があろうとこの気持ちは変わらないのだろう。他にどんな記憶が眠っていようとも。だから言うのだ。あの人に。
大嫌い。
大嫌い?
いいえ。赦しの言葉を直接、あの人に――
――「待たせたスミコちゃん!」
待ちわびた声が降ってきたのは、それからいかほどたった後なのか。
現の世界とは違うところの時間の経ち方は、よく分からない。クナの体感では、それは幾日も経ったように思えた。ウサギの声は炎の柱のはるか上から、しかしはっきりと降ってきた。
「ぐは! がふ! 真っ黒な消し炭の真ん前に降り立ったぞ! 大地が相当深く割れてる。左右は絶壁だ。消し炭はあんたの身体を抱きしめて、わめき倒して、俺の話まったく聞く気無しっ――ぎひ! え、えっと、あんたを外に出しちゃったら、身体との絆が切れてるあんたは、天河に引き寄せられちまう。でもこのまま、この瞳をあんたの身体に埋め込んだら――がふ!」
ウサギは、影の子が起こす猛烈な炎風に耐えているらしい。外の音はまったく聞こえないが、相当荒れ狂っているようだ。
「う、埋め込んだら、身体に固定される。それってつまり片目取って義眼入れるってことだけど――ごふっ! い、いいな? 片目真っ赤になるけど、ほんとにいいな? 嫌だったら額に第三の目を……いや、胸にねじ込む方がいいか? いやそれとも――ぐは!」
(か、片目でいいです!)
「左右どっちにする?」
(え、ど、どちらでも……じゃあ、右で!)
「了解! 俺の渾身の超弩級回し蹴りで、消し炭をあんたの身体から引き離して亀裂に落とす。あいつが這い上がってくるまでに、右目の交換作業を完了させる! 韻律と薬を駆使して約五分、全っ然痛くないから安心しろ! 魂をつなぐ糸と身体の損傷は、あとからじっくり治してやる。もしよければ新しい義眼も、両目分作ってやる。真っ赤じゃなくて、もとの目の色のやつとか、注文承るぜ。とにかく今は、その方法で身体に戻って、思いっ切り消し炭を呼んで正気に戻せ! 以上、施術前説明終わり! いくぞ!」
(はい!)
ウサギがさらに、ぐはっとかぐふっとか、辛そうな呻き声をあげる。
その合間を縫って、奇妙な呪文のような旋律の詠唱が放たれた。炎の柱がずずんと揺れる。何度も何度も、大きく揺れる……
「げふ! よ、よし! 消し炭落ちた! なんとか落ちた! 施術開始!」
立ち昇炎の柱がぎゅるぎゅる唸る。所在なさげに、衣の御魂たちがうろうろ落ち着きなく飛び交う中、クナはじっと待った。その瞬間を。
「視神経あと一本! き、来た! 消し炭昇って来た! ぐは! ぎり間に合――ぎゃあ!」
ひときわかん高いウサギの悲鳴と共に、炎の柱がいきなり左右に開けた。それはまるで両開きの扉のように、火の粉を散らしながら勢いよく開いていった。
その先に何かが現れて、みるみる大きく、広がってゆく。
同時に、ごうごうとすさまじい音が聞こえてきた。
これは……ひどく吹きすさんでいる。黒い、風のようなものだ。その中で、なにかがなびいている。真っ黒くて長い「なにか」が、ゆらゆら揺れている。
(これは、なに?)
もしかして。これはもしかして――
自分の身体が、「それ」をなびかせている人の腕の中にいることを悟って、クナは、はじけるように念じた。それがどうか声になるようにと、願いながら。
「黒髪さま――!!」
神帝の目には強大な魔力が込められているのだろう。
クナの身体は――その口は、すんなり動いた。まるで、生きているように。
だからクナは叫んだ。
大嫌い。
大嫌い?
いいえ。
「大好きです。大好きです! レナ……!! だからあたしは、還ってきたのよ……!」
びゅうびゅう荒れ狂う風の中、その声は高らかに響き渡った。
りんと力強く、地を刺す輝く陽光のように。