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黒の舞師 ~身代わり巫女は月夜に舞う~  作者: 深海
五の巻 闇炎の黒獅子
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6話 大茶会

 控えの間に戻るのを余儀なくされたクナは、寝床に横になって体を休めつつ、妹を救う手立てを考えた。

 何をおいても気になるのは、二人の巫女王の神託だったが……

 星の巫女王(ふのひめみこ)の一団は、日没直後から儀式を始め、夜が深まったころ、祭壇から戻ってきた。入れ違いに祭壇へ向かった月の巫女王(ふのひめみこ)は、余裕綽々(しゃくしゃく)。行ったと思ったらすぐ、隣の部屋に戻ってきた。


「星の大姫様の戻りが遅くて、明日に延期になるかと思いましたわ!」

月女(つきめ)様は気まぐれな御方。いと高き星へ近づく時間が、毎晩違いますものね。明晩でしたら、ゆったり移動できましたのに」


 耳を澄ますまでもなく。月の巫女たちは大声ではしゃいでいた。


「でも我が大姫さまは、さすがですわね。始めてすぐに、神託が降りてきましたもの」

「これでめでたく、湖黄殿(こきでん)女御(にょうご)様は皇后様に! 太陽の大姫様は役立たず。星の大姫様は私と同じご神託を得られたと、トウイ様が仰ってましたもの」

「太極殿の御方はお気の毒ですわね。いけにえにされるなんて」

「ああ、それはどうでしょう。龍蝶のことを言ったのは、私だけだったそうです。それにしても、明日の茶会が楽しみですわ。どんなお菓子が出るのかしら」

「まあ、大姫様ったら――」


 にぎやかしいお喋りは、またもやビン姫によって遮られた。なんとうるさい、こんな夜更けにと、力任せに結界をずどん。音を遮断する膜が、クナたちの部屋を包んだ。

 間一髪で聞きたいことを聞けたと、クナはホッとした。

 最悪の事態は免れた。星の巫女王(ふのひめみこ)は、いけにえのことは仰らなかったようだ。


(これで二対一? いいえ、きっと五分五分だわ。あたしの神託は取り上げられなさそうだもの。シガと赤ちゃんがどこかでおだやかに暮らすことを、陛下に認めてもらうには……どうしたらいいの?)


 考えれば考えるほど、焦りと不安がいや増してくる。

 眠気など微塵もなく、しばしば咳き込むクナを心配して、リアン姫が湯気立つ湯呑み手渡してきた。


「しろがね、暖かいものをお飲みになって」


 前にもこっそりくれた、甘い蜂蜜だ。姫の気づかいにクナはホッとしたけれど。目ざといビン姫が湯気の匂いをくんと嗅ぐなり、クナの手から湯呑みを奪いとった。


「これは蜜湯ではありませんか。いけません、神出しの後はしばらく、蜂蜜は厳禁です。毒になりますぞ!」

「えっ? 疲れたときの万能薬といえば、これでは……」

「いいえだめです! リアン様、大姫様を殺すおつもりですか?!」


 たちまちリアン姫がうろたえるのを、ビン姫は見逃さなかった。

 なぜ顔を蒼くしている? 何か後ろめたいことでもしたのか? まさか他にも、とんでもないことをやらかしたのでは――

 矢継ぎばやに問い詰められたリアン姫は、老女の勢いに気おされて。おのれの「罪」を告白した。


「すみません。昨夜も、大姫様にさしあげて……しまいました」


 直後。雷の声が太陽の姫を打った。


「毒を与えたばかりか、断食して浄めねばならぬ体を穢したというのですか? だから大姫様はわけのわからない神託しか言えず、こんなに消耗されたのですっ!!」

「ビン様、リアン様は本日初めて、神出しを経験されました。蜂蜜がだめだということを、知らなかったのでは」


 ミン姫が困惑してかばうも、老女の怒りは冷めやらず。猛獣のように吠え猛った。


「本日だけならともかく、昨日もというのは解せませぬ! もしや、大姫様の廃位を目論んだのでは? (シャン)家の人間ならば、そんなことを(はか)るのも不思議ではございません!」

「なっ……なんて失礼なことを仰いますの?! お言葉ですけどあたくし、ビン様が大姫様をぎっちりいじめるから、見かねてしまったんですわ!」

「いじめる? とんでもございません! わたくしはわが全力を以て、お仕えしているだけでございます!」

「待って、二人とも落ち着いて。けんかしないで……!」


 クナはいさかいを止めようとしたけれど。言いがかりをつけられたリアン姫はいきり立ち、ここぞとばかりにビン姫を非難し始めた。


「ふん、信じられませんわ! (ヤン)家の金魚のフンこそ、大姫様の廃位を狙っているのではなくて? 大姫様に厳しくあたって、潰すつもりなんでしょう? 手塩にかけて育てたミン様を、巫女王(ふのひめみこ)にするために!」

「リアン様、私の師をフン呼ばわりは、さすがに――」

「ミン様! 上臘(じょうろう)様に頭が上がらないのは、よっく分かりますけど! しろがねは大姫である以前に、あたくしたちの、大事な友達ではなくて?!」

「むろんです。ですから私はしろがね様に、敬愛する我が師に認められてほしいと……」


 仲裁に入ろうとしたミン姫の声は、途中で弱弱しくすぼんだ。


「願ってしまって……いました」

「そうですわよ! その思いを知ってるからこそ、ビン様は増長してるんですわ!」

(シャン)家の姫! その恥知らずな口を閉じなさい!」

「閉じるもんですか! ミン様、ビン様は、あなたの想いを利用してるんですのよ! 師を敬う心をね!」

「っ……」

 

 それは鉛のような一言だった。ミン姫は二の句が継げずに押し黙った。師への信頼と、そうかもしれないと友を肯定する思い。それが真っ向からぶつかったのだろう。

 ミン姫の様子に動揺したのか、ビン姫も息を呑んで沈黙した。師弟が、互いに声をかけるのをためらっている――そんな気配を感じ取ったクナは、もう十分だと、声を張り上げた。


「言い合いはやめて! あたしは大丈夫です! それよりどうか、考えさせてください。いけにえにされそうな龍蝶夫人を……実の妹を、どうやって助けたらいいのか、考えさせてください!」





 一瞬。水を打ったような沈黙が広がった。

 爆弾を放ったクナは、皆のまなざしが一斉に、自分に集中したのを感じた。

 メイ姫の、驚きの視線。ビン姫の、いらだつ針のような視線。ミン姫の、納得のうなずきを伴うまっすぐな視線。


「大姫様は陛下にお仕えしていたとき、身を挺して龍蝶夫人の繭を守ったと聞きましたが……」


 そして。リアン姫の、苦笑混じりの優しい視線。


「やっぱり、姉妹でしたのね」


 四人のため息を浴びるクナは咳き込みながら、きちっと寝床の上に正座した。


「無理難題だと、自分でも思います。でもどうか、家族のためにもがく時間をあたしに下さい。

 それからリアンさまは、あたしに謝ったり、償おうとしたりしないでください。あたしは本当に、大丈夫です。だれがどんなことを言おうが、あたしは、リアンさまは潔白だと、胸を張って言えます。だから言いたいことを全部ぶちまけて、従巫女やめようとか、そんなのはダメです!」

「ちょっ、しろがね、それは……」

「リアンさま。これからもずっと、あたしを支えてください。お願いしま……」

「頭下げて命じてくるとか……ああああ、もうっ」


 クナの釘刺しは図星だったらしい。リアン姫はまるで影の子のように頭をかきむしり、当直をすると言って、部屋の入口にずんと腰を下ろした。


「うう、ビン様の結界に鼻をぶつけましたわっ。あたくしたちの言い争いが外に漏れなかったのは、まあよかったですけど!」

「リアンさま、顔が真っ赤……ていうか、今夜はあたしが当直じゃ……」

「余計なことを言うんじゃないわよ、メイ! いいからあなたは、大姫様を介抱してさしあげて!」

「は、はいっ!」

「龍蝶を……助ける……? なりません。それは、なりません。陛下の物を奪おうなど大罪です! 大体にして龍蝶なぞ、百害あって一利なし! おぞましい甘露で人を惑わすものなど――」 

 

 ハッと我に返ったように、厳しい老女がわめき出したけれど。しかしてその言葉は、冷静な弟子によってきっぱり遮られた。


「ビン様! 龍蝶は悪しき者だと、決めつけないでください!」

「ミン……様……!?」

「私は、大変立派な龍蝶を知っております。その方は、すめらのために北五州の劇場で舞いました。刺客に襲われ傷を負っても、舞台に戻ってきて懸命に舞い、すめらは偉大な国だと、大陸中の人々に知らしめました。今ここにおわす大姫様こそ、その御方に他なりません。

 ですから私は、一位の従巫女として命じます。龍蝶を侮辱し、蔑んではなりません。そのような言動は今後一切禁じます。そして……立派な大姫様を支え、いっとき見事に、すめらの星の代役を務めた方……私の友であるリアン様を疑うことも、許しません!」


 それはおそらく、弟子が生まれて初めて師に見せた、「反抗」だったのだろう。

 老女は驚きの息を吐き、言葉を失った。なれど厳しい修行を重ねて熟した人は、数拍のうちに冷静なる精神を取り戻し、押し殺した声を床に落とした。


「申し訳ございませぬ。思い返せばたしかに……不適切な言動を重ねてしまいました。未熟な我が身に、瞑想を課します」


 老女はサッと部屋の隅へ下がり、瞑想を始めた。師を黙らせたミン姫は、騒がしくしたことをクナに謝り、一緒に救出の手立てを考えたいと、申し出てくれたけれど。これは至難の業でしょうと、ため息をついた。


「陛下に妹君を寵愛したことを思い出させて、憐憫の情を起こしていただくよう訴えれば、あるいは……」

「あたしも、そうするしかないと思うんです。今はすっかり嫌いになってしまったとしても。好きだったときの気持ちを、思い出してもらえたら……」

「あ、あの、大姫さまこれを」


 メイ姫がおそるおそる、湯気たつ湯呑みを差し出してきた。


「だめなのは、蜂蜜だけですよね? これ、昆布茶です。あったまります」

「ありがとう……」


 二人の従巫女が離れて反省する中。クナは暖かい湯のみを握りしめながら、ぽつりぽつり、噛みしめるようにつぶやいた。


「優しくて素晴らしい人たちに出会えたおかげで、あたしは生きのびることができた……。妹や他の龍蝶たちにも、そんな人たちが現れてほしい。龍蝶は人にはあらず。そんな風に思わない人が、このすめらにもっと増えてほしい。殺されたくない。もっと生きたい。普通の人たちがごく普通にそう思うように、どんな龍蝶も、そう思っているはずよ。だってみんな、心があるんだもの」

「心……ですか」


 部屋の隅から、ビン姫の囁きがひとこと、流れてきた。しかし言葉に続きはなく、重苦しい空気が部屋に降りた。


 陛下にすがる――

 結局、それ以外なにも方策が浮かばないまま、夜が明けてしまった。

 まどろみの中に陥落したのは、幼いメイ姫だけ。リアン姫とビン姫は夜通し反省し、ミン姫は、一睡もできぬクナを守るように、そばで正座していた。

 一番鶏が鳴くと同時に、ミン姫とリアン姫は、楚々と動き出した。二人は仲良く一緒に格子を上げて、朝のひかりを部屋に入れた。

 なれどビン姫は微動だにせず、かたくなに瞑想を続けていた。


「すすす、すみませんっ! あたし、いつのまに!?」


 鬼火が持ってきた無味の粥をすすったところで、眠りこけていたメイ姫がようやく飛び起きた。


「よだれを垂らして爆睡している寝顔を見たら、叩き起こす気が萎えましたわ」

「ひいい! リアンさまのいけず!」


 クナは大(だらい)に頂戴した清水で、全身を浄めた。姫たちの介助で(ひとえ)を重ね、聖朱衣(せいなるあけのころも)を羽織り、黄金冠を載く。

 すっかり身支度ができ、いざ部屋を出ようと一歩踏み出した、そのとき。突然部屋の隅から、ビン姫の声が飛んできた。


――「大姫様。かつてすめらでは、皇后昇位の際、皇后様の乗り物であった鳳凰(ほうおう)の尾羽が、三色(みしき)の神に捧げられておりました」


 一瞬何を言われたかと、クナはびくりとした。それはあたかも、空裂く矢のよう。声は壁を反射して響いてくる。ビン姫はクナに背を向けたまま、不動の姿勢で喋っているようだった。


「五世紀前に鳳凰が絶滅して以来。捧げ物は、高貴な獣であればなんでもよいとされました。しかし、太陽の姫だけは今も、皇后となられる際、まがいもののいけにえを使うことはございません。なぜなら帝都太陽神殿の宝物庫には、鳳凰の尾羽が保存されているからです。

 天照(あめて)らす御ひかりの大姫様。浮かれている月の者どもに、太陽神殿の威光を知らしめなさい。古来より正統とされる捧げ物は、龍蝶のいけにえに勝るでしょう」

「ビン様……! ありがとうございます!!」

 

 さすが二百臘。その知識は深き海のごとし。

 クナの顔に満面の笑顔が浮かんだ。明るいひかりが。大いなるひかりが、頬を撫でてきたような気がしたからだった。

 希望を見つけて高鳴る胸を、衣の袖で押さえつつ。クナは控えの部屋を出た。

 しゃららと、(あけ)の衣がかろやかに歌うのを聞きながら。


(すてきな音を、ありがとう。あなたも、喜んでいるの?)





 廊下に出るなり、クナは鬼火たちが担ぐ台座付きの輿(こし)に載せられて、太極殿の謁見の間に運ばれた。

 鬼火たちは、クナの後ろに月と星の巫女王(ふのひめみこ)を載せた輿を連ねて、行列を成した。

 背後に従巫女たちがついてきたけれど、途中で離され、別室へ。三人の巫女王(ふのひめみこ)だけが、竜顔を拝せる処へ通された。

 止まった輿から降り、鬼火に手を引かれて、香り良い畳台が据えられた席に上がると。

 

「質素な朝餉を出して、申し訳ないですわ」


 開口一番。真正面から、皇太后様の声が飛んできた。


「神おろしの後は、重い食べ物は負担になりますからね。清水で焚いた粥を出すよう、命じました」

「お心遣いに、感謝いたします。また本日は、茶会に召していただけまして、我が身は無上の喜びを感じております」


 クナの右隣りの席に座した月の巫女王(ふのひめみこ) が、さっと答える。自信に満ちた声音は、打てば響く鐘のよう。左隣の席にいる星の巫女王も、丁寧な挨拶を述べた。ふたりの衣がきんきん鋭い音を立てたので、クナはハッと身を硬くした。


聖衣(せいなるころも)……! なんだか、怒っているみたい)


「太陽の大姫どのは、昨日は特にお疲れのようでしたが。具合はいかがですか?」

「は、はい。おかげさまで、だいぶよくなりました」


 平伏しながら答えるクナの頭を、ほのかに暖かい光が焼いてくる。朝日だ。ピチチチと、すぐそばで小鳥が鳴いている。

 屋根のない露天の広間に、茶会の席が設けられたのだと、クナは察した。

 おそらくここは、玉座を戴く(きざはし)の下。左右に珍しい植物や木々を植えた庭園がある謁見場だ。陛下が私的に、親しい人をもてなすときに使う処である。  

 正面奥から、規則正しい吐息が聞こえてくる。陛下はすでに、玉座におられるようだ。つつがないようだけれど、昨日と同じく、皇太后様だけが話されるのだろうか。そうクナが思ったそばから。

 

「朱に白に青の衣。実に絢爛(けんらん)だな。目の保養になる!」


 聞き覚えのある、なれど、驚くほど快活な玉音が降ってきた。


「昨日はまことに、大儀だった。まずは醍醐(だいご)を召すがよい。蜂蜜をたっぷり混ぜ込んだ一級品であるぞ」


(蜂蜜?! 神出しをしたあたしには、毒になるけれど……)


 クナのすぐ前にあるつるりとした器に、鬼火がお菓子を置く。なんとも濃厚な乳の香りが漂ってくるなり、クナの右から喜びの声があがった。


「なんて美しいんでしょう! 白く照り輝いて、舟の形に彫刻されていて」


 月の御方は、さっそくお菓子をつまみ上げたようだ。きんきんちかちかと、彼女の聖衣がまた、鋭い音をたてた。まるで、食べるな、食べるな、と叫んでいるかのように。

 でもこれは、陛下が出されたもの。食べなければ、無礼千万とみなされる―― 

 大丈夫、死ぬことはないと覚悟を決めて、クナは一口ほどの大きさの醍醐(だいご)を口に放り込んだ。


「菓子はたんとある。もっと口を甘くしてから、茶を呑むとよい」


 次々と運ばれてくる小さい菓子を、クナはなんとか飲み下していった。

 蜂蜜の餡をはさんだ、ふ焼きの桜煎餅(せんべい)。蜂蜜に漬けた豆を固めた、三味の鹿ノ子(かのこ)。とろりとした蜂蜜の玉羊羹(ようかん)

 なぜかすべて、蜂蜜入りだ。これは偶然? それとも……

 疑いの闇が、サッとクナの心中をよぎったとき。皇太后様が、クナの左隣に座す人をやんわり責めた。

 

「あら、星の大姫様。菓子にあまり、手をつけていないように見えますが。お気に召しませぬか?」

「い、いえ、そういうわけでは」

「甘いものが苦手でしたかしら。それとも。神おろしのあとに、神出しをなさったのかしら?」

「……っ……!」

 

 がちゃりと、菓子の器がひっくり返る音がした。ざわわ。ざわわ。星の御方がまとう聖青衣(せいなるあおのころも) が、おびえるように啼く。すみません、粗相をしてと、星の御方は慌てて、皿の位置を直した。


「あら、手が震えておりますよ? それに、なんて蒼い御顔。まさか本当に、神出しをなさったのですか? きよらで、祭壇の鏡からいただく御言葉をちゃんと口にすれば、腹の中で神霊玉が燃えるなんてことは、ないはずですけれど」

――「答えよ、星の大姫どの」


 責める皇太后様に声を重ねて、玉座におわす陛下が、強い口調で命じてくる。


「そなた、神出しをしたのか?」

「…………は、はい……申し訳……」

「なんということだ。すなわちそなたは、聖なる鏡より下される神託を曲げたというのか? 嘘の神託を口にしたのか?」


 いいえ、とんでもございませんと、星の御方は必死に弁明した。


「湖黄殿の女御(にょうご)様を皇后にせよと。聖なる鏡は、たしかにそう仰いました」

「それなのに神出しをしなければならなかった、ということは。受けた神託を全部言わなかったのだな? そうであろう? 今ここでおのが罪を洗い浄めるがよい。神の御言葉を、すべて述べよ!」

 

 これがあの陛下? シガと毎晩とろけて、遊び呆けていた人? 

 クナは凛々しい若者の声を聴いて呆然とした。


(まるで別人だわ……!)


 帝に命じられた星の御方は、茶器を押しのけ席から降りて。平身低頭、地に声をつけながら、胸の内に秘めていたものを吐き出した。

 

「お、お許しくださいませ! 陛下の龍蝶を、皇后昇位のいけにえに……我が体内の神霊玉に来たりた神は、そうも仰いましたが。恐れながら龍蝶の犠牲は不要と思い、口を閉じたのでございます……!」

「なぜ不要だと思ったのだ?」

「そ、それは……わたくしの衣が……聖青衣(せいなるあおのころも)が、泣きました……ので……」


 なんだそれはと陛下は声を荒げたが。クナの胸はどくんと跳ね飛んだ。


(星の大姫さまにも、聞こえるのね。聖衣(せいなるころも)の声が)


 龍蝶の繭糸を織って作られた衣。そこに、殺された龍蝶の何かが――魂のようなものがこもっていれば。衣は泣くだろう。これ以上龍蝶を殺さないでくれと、嘆くだろう……。

 

「衣が泣く? そんなこと、ありえませんわ」


 呆れた様子で、右隣りの月の御方がせせら笑う。そのあざけりに、皇太后様の上機嫌な(わら)いが重なった。

 

「言うに事欠いておかしなことを。なれど、月の大姫様も龍蝶をいけにえにせよと、仰いましたゆえ。ご神託の内容は、嘘偽りないようですね」


 勝ち誇りて上気したその声は。まっすぐ、クナの方へと向けられた。


「そういえば、太陽の大姫様も神出しをなさったようだと、鬼火たちから報告されましたが。なんなく蜂蜜の菓子を食しておられるところを見ますと、単に失神しただけなのですね。ほほほ、ずいぶん未熟なようですから、鏡の御言葉を、聴きまちがえただけだったのでしょう」


『いいえ。あたしも祭壇の鏡から飛んできたものから、同じご神託を聞きました』


 クナは口から出かけた言葉を呑み込んだ。 

 もし「鏡」に逆らえば、神出しをする羽目になる? 蜂蜜のお菓子はわざと出されたもの?

 すなわち、この茶会は答え合わせ。帝室は、巫女王(ふのひめみこ)が神託をねつ造しなかったかどうか、審査してきたのか。

 だが――

 

(陛下たちは、鏡から飛んできたものが神様だと、信じてるの? でもあれは絶対、天照(あめて)らしさまじゃないわ。だって、ちゃんと降ってきたもの。太陽の御声はちゃんと、天から降ってきたもの)

 

 クナが天に向かって飛んだとき。朱の衣は鳴り響いた。まぶしい陽光を浴びて歌った。

 しろがねの月を浴びた、震える糸と同じように。

 母が持っていたあの糸(・・・)と、同じように――



 かあさん かあさん すてきなおとよ

 てんのきらめき おどるかぜ



(あ……)


 しろがねの月の囁きを思い出したとたん。

 クナの中で、何かがはじけた。


あの糸(・・・) は、母さんが紡いだ糸……いいえ、ほんとにそうだった? 龍蝶の母さんが持ってたあの糸(・・・)は、もしかしたら……もしかしたら……。もしそうだ(・・・)としたら、あたしが月夜の晩に、母さんに視せて(・・・)もらったのは……)


「それでは。こたびの神おろしにおいては、月の大姫様のご神託を正式なものとして、」

「待って! 待ってくださいっ!」 


 だめだ。ここで「鏡」の言葉をまことの神託とされたら、一巻の終わり。シガを救えない――

 

「どうか聞いてください! 違います! 鏡の神さまは、天照(あめて)らし様じゃありません!」


 いちかばちか。クナはとっさに席から立ちあがり、声高らかに叫んだ。


月女(つきめ)さまでも、またたきさまでもありません! すなわち! 鏡の御言葉は、本物のご神託じゃ、ありません!!」


 刹那。しゃりんと、(あけ)の衣が凛々しく鳴いた。

 まるで、研ぎ澄ました剣を抜いたかのように。しゃんしゃん、勇壮に歌い始めた。 

 



 かあさん かあさん ふしぎなおとよ

 てんのささやき おりる神――






 

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