5話 小茶会
ふと気づけば、あたりは一面、舞い散る花吹雪。
うすくれないの花びらが、あたり一面に降っている。見上げれば天は燦々、まばゆい陽光が輝いていた。
手に宿りし剣で、斬って、斬って、斬りまくった。息が切れ、腕がもげそうな感覚を覚えるぐらい。
もはや、一片の闇もない。
どこか遠くで、異国の楽器の音色が鳴り響いている。大きな門を通り抜け、意気揚々と都に戻りし軍隊を迎えるときのように。その音は高らかに、鏡の中で生きている人を祝福した。
『勝った、のか?』
ちりちりさららと、人身をまとう鏡姫の手から、剣が消え失せる。天より降り注ぐ花びらを眺めあげれば、白い千早のすそがふわりと舞った。
――「抗体が、ちゃんと機能しているようですね」
天から少女の声が降ってきたので、鏡姫は首を傾げた。この声は……たしか、年若い龍生殿の墓守のものだったかと、現のことを思い出す。
「索敵をかけてください。敵は胞子をまき散らすので、一度では倒せません。こちらから見つけて根絶やしにするんです」
『なんと、これで終わりではないのか?』
「胞子が残っている状態では、ダメです。この状態で大スメルニアがいるところに近づいたら、たちまち元通り。胞子を足がかりにされて、支配されてしまいます」
『索敵……よかろう。しかしその結果が出るには、しばし時間がかかる』
「待ってる間に、栄養補給をどうぞ」
『ぬ?』
天から、こぽこぽという水の音と共に。ほのかに香ばしい香りが降りてきた。
なんと良き香りであろうか。
鏡姫は香りをかもす天に向かって跳んだ。日の光に体が溶ける。天の中に、「自分」が広がっていく。 人であるときの感覚がすうと消えゆくとともに、光の中に景色が浮かび上がる。
赤茶けた歯車の砂漠。歯車の山。そして鋼の列柱――
『ああ。この香りは、そうか。お茶か』
大翁様は、歯車の卓にぴったりの椅子を調達したらしい。座った姿勢で悠然と、湯呑みをすすっている。人が必死に戦っておるのにのんきなことじゃと、眺める鏡が呆れると。その円い視界の端に老人の姿が映りこんだ。
『長い白髭……あなた様はたしか、九十九の婚儀を報じた公報に載っていた……』
たしかこの老人は、九十九の方の、茶の師ではなかったか。歯車の卓上には、小さく白い風炉が置かれている。老人はこぽりこぽりと、そこから湯を急須に注いでいる。
始めて御目文字いたしますと、その老人は丁寧にも鏡に会釈してきた。
「わしは道玄と申します。さきほど、すぐ下から登って参りました」
『下から、というと』
「現在この二番島は、北五州の南方、ユーグ州の真上に浮かんでおるのです」
『なんと……九十九がおるところにか!』
「さよう。姫様がおられたところ……でございます」
「ぬ?」
――「さて皆さん! そろそろ、おいしいものが焼ける頃合いです」
老人の背後から、墓守の娘がひょこりと顔を出す。少女はえへんと胸をはった。
「いくら栄養素が完璧とはいえ、軍部の糧食はもう飽き飽きってことで。麵包とか比薩餅とか焼ける窯、徹夜でトテカンして大正解でした。こうしてお客様がいらっしゃったんだもの」
「材料はどうしたのだ?」
「ご心配なく、シーポゥさん。先生とその助手さんから果物の差し入れをいただいたので、すめらの糧食団子に包んで焼いております。先生の助手さんが、窯番してくれてまして。ほらほら、いい匂いがしてきてるでしょう?」
言われてみればたしかに、甘やかな果実を熱した香りが漂ってくる。
茶のお代わりを淹れましょうと、茶の師は懐からかわいらしい棗を取り出した。
「墺州平野で栽培されました、極上の茶葉にございます。姫様も、大変気に入っておられました」
『九十九が……』
「かような事態となり、面目次第もございません。姫様には塵ほどの咎もなく、ご立派に州公妃を務めておられましたのに」
老人は無念そうに視線を落とした。
「すめらより精鋭をいただき、果てはタケリ様までご投入いただきましたが。いかなるつわものたちも、我が策も、塔の光にことごとく、焼き尽くされてしまい申した。今や光の塔は難攻不落の大要塞。塔の頂上におわす姫様は、強固な結晶に閉じ込められ……そのまま、あの塔は……」
「いまだに信じられぬが……」
「この道玄もそうでございます、大翁様。塔はつい数刻前まで、まっすぐ東をめざして、移動しておったのです」
『なん……じゃと』
塔が動いていた? つまりはどこか、目的地があったということか。
日の昇る方角ということは――
大陸の地図をざっと思い浮かべた鏡姫は、もしやと息を呑み、鏡面をひどく点滅させた。
『大陸の東に広がるは、すめら百州、これあるのみ……!』
「仰る通りにございます。光の塔は、姫様の故郷をめざして動き出したのだと、我らは推測しておりました。光の塔は、神獣でございます。すなわち生き物なれば、心がございます。塔はその心で、母君の望みを叶えようとしたのだろうと、思われたのですが……」
生まれたところへ戻る。それは生きとし生けるものの、本能といえるだろう。塔は、九十九の方の確たる願いではなく、無意識の欲求を読み取ったのかもしれない。
移動し始めた塔は、ユーグ州をまっすぐ横断していたという。村や町があることなぞ無視して。美しい、自然公園も。きらめく湖も。ことごとく踏み荒らして。ひたすら一直線に進んでいたという。
しかし――
「魔道帝国の大陸同盟軍がやっと集結し。いよいよ塔を攻めるという段になったとき。すなわち、本日未明……塔は突然忽然と、あとかたもなく……消え去ったのでございます」
『な……消えた?! まさかそんな!』
「本日はどこの国も、そのことで大騒ぎだ。塔が無くなった。消失したとな」
大翁様が眉間にしわを寄せて、深いため息をつく。
鏡はびりびり、異様な音をだしてうろたえた。山に迫るほどの高さを持つ、巨大なものが、突然消え失せるなど。そんなことがありうるのだろうか?
「さすがにこの道玄も、途方にくれてしまいました。ゆえになんとか冷静になろうと、茶を立てておるところでございます」
――「あ、派が来ましたよー! 助手さーん、こっちこっちー!」
墓守の娘が、ぴょんぴょんその場で跳ねながら手を振る。娘の視線の先は角度が合わず、鏡には見えなかった。みしりみしりと、歯車の砂漠を踏みしめる足音が近づき、甘くて暖かな匂いが鏡を包む。
卓に、湯気立つ円形の焼き物が載った歯車の皿が置かれた。それを持ってきた人の手が映り。肩が映り。横顔が映る――
『おお! おぬし、アヤメではないか!』
派を持ってきた女性――アヤメは、今にも泣きそうな顔で鏡を見つめてきた。
「その御声……あなた様はやはり、百臘様で、いらっしゃるのですね」
じわじわ涙をにじませるアヤメは、西方風の腰の締まった服を着ている。袖にふくらみがある、品の良いものだ。
ユーグの兵士に捕らえられた彼女は、不思議な力に救われ、小さな街に飛ばされて。太陽神の神殿に助けを求めた。水面下で塔をなんとかしようと動いていた道玄先生とは、傷が癒えたころ、やっと連絡がとりあえたそうだ。以来、助手兼隠密として、茶の師に帯同しているという。
『しろがねが、そなたを救い出せたとホッとしておったぞ』
「しろがね様が、私を? では、私を空にさらったものは……」
『そうじゃ。あれと黒すけ――ちびた黒髪様なのじゃ』
「ありがたいことです……! いつか礼を言わねばなりませんね」
――「さあさあ、辛気臭くならないで。おいしものを食べて、元気を出しましょうっ」
墓守の娘が、歯車の皿を卓にごとんごとんと置いて、その上に切り分けた派を載せていく。
鏡の前にも皿が置かれたので、鏡はぷっと吹き出した。
『眼福じゃがのう』
「いい匂いでしょう? 幽霊や神さまって、香りがご飯なんですよね。だからお線香をたくんですけど、鏡姫様も同じです。おいしい匂いを吸い込めば、百人力です!」
『ぬ?』
「つまり、臭気を稼働熱量に変換する機能を付与しました。冷却装置で吸い込んでみてください」
鏡が内部にある装置を稼働させてみると。おいしい匂いがふわりと、鏡の中に入り込んできた。ほどなく蓄力層が半分満たされたという表示が、鏡面に浮かび上がる。
『ああ……ここは常に曇天なのじゃな。太陽光が十分に吸収できぬから』
「はい。ですから、陽光とは違う方法で力を蓄えられるようにしたんです。でも……うーん? 満杯になりませんね?」
「あの、百臘様には、この香りがよろしいのでは」
アヤメが洋服のポケットから、錦に包んだ匂い袋を取り出した。近づけられたそれを吸い込むなり。鏡姫は、ああこれはと、うっとり目を細め、はるかなる過去を懐かしむような声を漏らした。
その香りはなんとも雅で。濃厚で。艶やかで。よく知っているものだったからだった。
『麝香たっぷりの、我が練香の匂いではないか。もしやそれは以前、妾がそなたにあげたものか?』
「はい。だいぶ前に、黒の塔の巫女団員の証として、頂戴しましたものです」
「わ!? あっという間に畜力層がいっぱいに!」
墓守の娘が目を丸くする。鏡はほほほと、機嫌よく笑った。
『すばらしきかな、我が香り。好い……なにやら力が沸いてきたぞ』
索敵が終わったらしい。鏡面に、異物を発見したという警告が出てきた。大スメルニアの胞子はしぶとくも、数か所から芽を出そうとしているようだ。
鏡姫は即刻、自分の内部へと潜った。下へと降りるにつれて、千早を羽織った人身が形作られていく。
榊を持った手を打ち振ると、それはふたたび、長い剣と化した。
『前のものより長く鋭く、眩しいとは。我が練香の効果か……! よし、妾は負けぬ。だれにも、支配などされぬ。妾は――自由じゃ!!』
剣持つ戦巫女は雄々しく鬨の声をあげ、はるか先で蠢く漆黒に向かって飛んでいった。
まるで疾風のごとくに。
クナが息を吹き返したのは、日暮れ近く。倒れてすぐに、南中まで待機していた処に運び込まれていた。すなわち太極殿内にある、並び部屋のひとつにである。
神出しをする騒動となったので、部屋の入口にはさわさわ燃え立つ気配がたくさん。倒れた巫女王の様子はいかがかと、内裏勤めの鬼火が集まっていた。
すぐ隣で待機している月や星の巫女王も、騒ぎを聞きつけてしまっては、気になってしかたがない。様子伺いに、従巫女たちを遣わしてきた。
「大丈夫です。まったく問題ございません」
ミン姫は手短かに答えて、色違いの巫女たちを追い払ったのだが。当然それでは納得しない巫女たちは、戸口に集まる鬼火たちに事情を詳しく聞いていた。
――あらまあ、息がお止まりに? それは、お気の毒に。
――神託を仰ったとたんに、お倒れになられるとは。
――なんとおいたわしい。
従巫女たちの大袈裟な驚きと同情の吐息を耳にしたクナは、ほどなく鬼火のひとりから、皇太后様からの思し召しを受け取った。
『神おろしを行いしこと、大儀であられた。体が治るまで、ゆるりと養生していかれるがよろしい』
温情ある御言葉と思いきや。ミン姫はとんでもございませんと、主人に代わって固辞の意を示した。
クナはまだ激しく肩で息をしていて、どうにも声が出せなかったからだった。
「夜になりますれば、月と星の大姫様が、神おろしの儀を行います。そのような場で、これ以上のご迷惑はかけられませぬ。なにとぞ、内裏を辞することをお許しください」
(待って)
クナはがふりと甘い息を吐いた。体内はすっきりしたが、疲労感がはんぱない。手足を動かすのもやっとだった。
(シガがどこにいるか、鬼火さんたちに聞きたい……!)
クナは知りたかった。シガの居場所と、彼女の無事を確かめたかった。
いけにえにせよと、変な声が命じてきたということは、まだ生きてはいるのだろう。
いったいどこに居るのか、陛下を世話している鬼火たちなら、きっと何か知っているはずだった。
(さわさわの鬼火さん。どうか、おしえて!)
しかしその念は声にはならず。ぐったり四肢を垂らしたクナは、ミン姫とビン姫に抱えられ、太極殿から離された。
リアン姫とメイ姫が、神殿より持ってきた長持ちを、二人がかりで抱えて運び出した。黄金冠や、聖衣や単、神楽鈴などを収めたものだ。
幼いメイ姫は、御所をゆるりと見物したかったのだろう。重い荷物にひいふう言いながらぼやいた。
「ミンさま、こんなに急がなくても、いいんじゃないですか?」
「いえ。早々に辞するが吉です。大姫様が、月の女御様を皇后にせよとのご神託を受け取らなかったのは、まことに僥倖。私たち太陽神官族にとっては、大変に助かることでした。ですが……」
言いにくそうに声をすぼめるミン姫のあとを、老いたビン姫が継いだ。
「なぜ、人目のつかぬところに退くまで、倒れるのを我慢できなかったのですか!?」
老婆はクナを責めた。きよらではない体で神おろしをするから、こんなことになる。そう言いたげな冷たい口調で、ぶすりと刺した。
「神おろしで倒れるということは、体内で神が怒り、暴れたということ。すなわち大姫様は、ご神託に逆らい、無理に捻じ曲げた。祭壇を眺めておいでだった方々はみな、そう感じたに相違ございません!」
意味の分からぬご神託が下されたので、皇太后様は非常に不満げであられたらしい。クナが倒れた直後、毒入りの茶でも差し出してきそうな形相で、呪詛めいたものを呟かれたという。
そのご様子をしっかと目にした月の大神官トウイは、この機を逃さなかった。彼は鬼の首でも取ったかのように倒れたクナを指さして、わめきたてたそうだ。
『罰当たりにも、太陽の巫女王は、ねつ造した神託を陛下に申し上げたのだ! だからこのように倒れたのであろうっ!』
祭壇を囲む観覧の場は、ざわざわひそひそ。不穏な空気に包まれた。
太陽の大神官たちは慌てて、前に神おろしを行った時から間が開いてないからだと、クナを擁護した。 しかし、そんな理由で狡猾なトウイが引っ込むはずがない。クナが従巫女たちによって運び出された後もえんえんと、月の大神官は、太陽神殿を弾劾する演説をぶっていたという。
「なんか、ものすごい剣幕でした」
「トウイ様は皇子の祖父君になったから、こわいものなしなんですわ」
リアン姫とメイ姫がそうだったと思い返して、閉口するそばで。ビン姫はクナの耳元に口を近づけ、ヒソヒソ確かめてきた。
「大姫様、こたびのご神託は、体に入ってきましたものが言ったことに相違ございませんね? 間違いなく、祭壇から飛んで来た――」
しかしそのとき、さわさわ燃えるものが近づいてきたので、ビン姫は厳しい口をピタリと閉じた。
やってきたのは内裏勤めの鬼火だ。今度は陛下からの思し召しを伝えると言って、彼はクナたちを通せんぼするように回り込んできた。
「明日の朝、茶会に出るように。ゆえに今宵は、太極殿にお泊まりになるように。月と星の大姫様も、呼ばれております。陛下は、大姫様たちをねぎらうことをお望みです。これは、勅令でございます」
陛下から茶をいただく? いや、それよりも。
「どうか……! でき……ば、太極殿の方に、お会……」
「はい? 龍蝶夫人にお会いしたいのですか?」
クナがそうだと、重い頭を動かしてうなずくと。鬼火はいともさらりと、求める答えを発してきた。
「おそれながら、龍蝶夫人は、宝物殿の中におられますので、お会いになるのは無理です。陛下はあの方を仕舞ってしまわれました。太古の時代の宝物である、黄金の、魔法の檻の中に」
「な……ぜ?」
「なぜと申しますれば」
「なぜならば」
「なぜならば」
「引き止め」にきた鬼火は、一体ではなかった。さわさわざわざわ、あっという間に鬼火の気配が集まってくる。まるでその場で増殖しているかのように、増えていく。
数十体におよぶであろうそれらは、一斉に答えた。
「「「なぜなら、龍蝶夫人は、身ごもっておられるからです」」」
「え……っ!?」
「陛下はずっと、隠しておりました」
「檻の中にいる金色の人形に、龍蝶夫人の世話をさせておられました」
「陛下は龍蝶の御子をこっそり育てて、お世継ぎになさるおつもりだったのです」
「でもつい先日、ついに皇太后様の知るところと、なりましたのです。だから我らや内裏の皆さまの知るところとも、なりましたのです」
「ですからみなさま大慌てで、皇后様と東宮様を定めることに、しましたのです」
「なぜならば。龍蝶の御子が帝位を継ぐことは、決して、許されませんので」
そうです。そうです。許されません!
口々に喋ってくる鬼火たちの声と燃焼音が、クナたちをぐるりと囲んだ。
鬼火たちは小さな命を憐れむように、静かに合唱し始めた。
『御子は、そろそろお生まれになるでしょう。
あまいあまい、龍蝶の腹から、世に出るでしょう
されど決して、天照らし様の光を浴びることは、ないでしょう――』
クナを支える従巫女たちの腕に、力がこもる。静かに燃えていた鬼火たちの燃焼音が、突然変わったからだ。ごうごうこうこう。炎が思い切り巻き上がっているような燃え方だ。
――「ひっ?! あ、熱い! 熱いですっ!」
幼いメイ姫が悲鳴をあげて、長持ちを取り落とす。しっかりしろと、リアン姫がすかさず叱咤した。
「怯まず、箱をお持ちなさい!」
「ででででもっ! と、飛んできました! 炎が!」
じゅっと焼けこげる音がした。蒼い鬼火の燐光とはちがい、内裏に務める緑の炎は赤い鬼火の熱光と同じだ。戦でも通用する力を持っている。
「ミン様、この鬼火たち、一体何を言っているんですの? みんなニコニコ笑って、気味が悪いですわ!」
「リアン様落ち着いて。これは、聞いたままのことであるのでしょう」
「じ、じゃあ陛下はほんとは、月の女御様の御子を、お世継ぎにしたくないってことですか??」
「メイどの、それはありえませぬ!」
ビン姫がぴしゃりと、幼い姫の言葉を否定した。
「龍蝶の子を世継ぎにするなど。そのような狂いの入ったお考えを、すめらの陛下が持つはずがございません!」
そうですとも! そうですとも! そうですとも!
声を合わせる鬼火たちは、嬉しげに同意した。
「皇太后様は、陛下に大いなる鏡を見せました。帝室に代々伝わる、鏡を見せました!」
「ですから、陛下はめでたく、ご正常に戻られました!」
「陛下は龍蝶の呪縛から、みごと救われたのです!」
「龍蝶の子は母君と共に」
まことの皇后とその御子のために。ために。ために。
「勝利と栄光と繁栄を呼ぶ、いけにえと、なるのです……!」
なるのです! いけにえに! なるのです!
「偉大なる鏡よ! すめらよ、万歳!」
鏡よ、万歳! 万歳! 万歳、鏡よ!
「これ……は!?」
クナは愕然とした。声を合わせる鬼火たちが、クナの中に飛び込んで命じてきたものと、全く同じことを叫んだからだった。
まさかこの鬼火たちも、祭壇から飛んでくるものに侵されたのだろうか? でも、神おろしをする巫女でもないのに、いったいなぜ? なぜ彼らは、しきりに鏡を讃えるのだろう?
「鏡よ、永遠に!」
永遠に! 永遠に……!
炎の包囲はさらにせばまり、クナの頬をじわりと焼いた。
焦げ臭い匂いが鼻をつく。皆の衣が焼かれ始めたらしい。ミン姫が結界を張ろうとするも、ビン姫が、それはならぬと鋭い口調で応戦を止めた。
「鬼火どもは、勅令を持ってきました! ゆえにこれらへの抵抗は、反逆罪とみなされまする!」
「でもビン様、鬼火たちの目が変です。異様に光りすぎています。このままでは――」
「勅令に従うと……茶会に出ると、言いなさい!」
「は、はいっ」
ミン姫がやむなく、太極殿へ戻る旨を伝えると。ごうごう燃えさかる音がみるまに消えた。
すめらよ。永久に栄えあれ。
落ち着いた鬼火たちは、小川のせせらぎのような、優しい声で「歌」の終音を唱えた。
穏やかに燃える気配が、散り散りに散っていく……
(鬼火たちは、何かにあやつられているの? 一体だれに?)
陛下が鏡を見て正常になったというのは、どういうわけなのか。神おろしでは、ひと言もお話しにならなかったけれど。陛下は本当に、シガのことを嫌いになってしまわれたのだろうか?
それに。
月と星の巫女王たちは、これからどんな神託を口にするのだろう?
彼女たちの体にも、クナの中に入ってきたのと同じものが、飛び込んでくるかもしれない。
二人の大姫が、それが命じることに従ってしまったら。
(多数決になる? あたしの神託は無視されて、シガと赤ちゃんは、殺される?)
そうなる可能性は否めない……
(シガを助けなきゃ。考えるのよ。あたしは太陽の巫女王。きっとなにかできるはず。どうしたら救えるか、考えるのよ……!)
クナはがくがく震えながら、ミン姫の肩に力なくしがみついた。
日を置かない二度目の神おろしは、クナの体力をひどく奪っていた。
自力では、とても立てないほどに。