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黒の舞師 ~身代わり巫女は月夜に舞う~  作者: 深海
五の巻 闇炎の黒獅子
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4話 黄泉(よみ)がえり

 自分の断末魔を最期まで聞くことができる者など、この世にいるだろうか。

 叫んでいる最中に意識が途切れて、それから先は、永遠に静寂が降りたまま。

 死とは、完全に時を止めてしまうものである。


 なれど。


『う……ああああっっっ!!』


「彼女」は再び、おのが声を耳にした。発した途中で途切れてしまった、無念の叫びを。


『あ?! ……はあうっ?!』


ゆえに「彼女」はひどく驚いて。激しく息継ぎするような音を漏らした。


『な、なんじゃ?! (わらわ)は、強制停止を受けたのでは? ないの、か?』


 「彼女」は、霊光殿の大翁様と会談している最中、得体の知れない声に襲われた。

  一切抗えずに、あえなく闇の中に落とされたはずだった。

  何も見えなくされ。何も聞こえなくされ。無に支配されたと、思ったのに。

  だめだ。おのれは死んだ――そう感じた瞬間が、確かにあったのだ。

  しかし「彼女」の視界はその直後、瞬時に光転したのだった。

  四方八方すみずみから、まばゆい光が飛び込んでくる。

  色が。音が。匂いが。狂ったように襲い来る……


『うう……ここは、雲の上か?』 


  つまりは、死して天河に飛ばされたのか。

  否。どうやら違うようだ。

  視界が落ち着く。すぐ目の前で、薄青の髪がさららと揺れている。

  見えてきたのは、憂いを帯びた大翁様の(かお)

  百を超えているのに見目若い御方は、穿ってくるようなまなざしで、じっとこちらをのぞき込んでい る。つい今しがた(・・・・・・)、龍蝶の帝について、恐ろしい話をしてくださっていた表情そのままに。

 面食らい、つややかな鏡面を激しく明滅させる「彼女」は――

 太陽紋の縁取り美しい円鏡は、慌てて大翁様に報告した。


陽識破(ヤン・シーポゥ)……大翁様! 大変なことが起きましてございます。今、何者かが、(わらわ)を殺そうとしてまいりました!』

 

 思考が止められたのは、ほんのひと呼吸。闇が光に変わる、たった一瞬のこと。

 鏡には、そう感じられたのだった。

 時はまだ、二の月の朔日(ついたち)で、そろそろ日が傾くかというところ。大舞台ではいまだ、巫女王(ふのひめみこ)の選抜戦が開かれている真っ最中に違いないと。


『なんとも恐ろしい感覚でございました。襲ってきたあれはきっと、あなた様が仰いました、大スメルニアではないかと……う? ここは……?』


 しかし鏡はすぐに、時が経過していることに気づいた。

 大翁様が背負う風景が、一変していたからだ。

 木目美しい床も。壁一面に描かれた、絢爛なる朱色の鳳凰も。鳥の彫刻素晴らしい格子窓から入り込む陽光が、その翼を輝かせている様も。同時にりんりん流れ込んでくる、たくさんの鈴の音も。ほのかなお香の香りも。すっかり消え失せていた。

 眉間に深いしわを寄せる大翁様は、なんとも異様な(ところ)で鏡を抱えておられた。

 彼の背後にあるのは、うず高く積みあがる金属の山。主に大小の歯車から成るものだ。人の背よりもはるかに高いその山はひとつではなく、そこかしこにいくつも在る。


『なんと……ここは、巫女王(ふのひめみこ)の部屋ではない……我が意識には、まばたきする間ほどにしか、感じませんでしたが……』 

「あいすまぬ。そなたを救うのに、思いのほか手こずった。帝都太陽神殿で会談してから、十日十晩経っている。三日ほどでなんとかなると思ったのだが」

『いえ、とんでもございません! 助けていただき、ありがとう存じまする。しかしここは、なんとも面妖な……』

「ここは、(あめ)の浮き島。龍生殿にいる灰色の墓守たちが、〈二番島〉と呼んでいる処だ」

『なんと。天に浮かんでいる島なのですか!』


 大翁様は親切にも鏡を四方にかざし、周りの風景をよく見せてくださった。

 歯車の山は、豆粒に見えるほどはるか遠くまで、いくつも連なっている。それらに半ば埋もれるようにして、太い鋼の列柱が、並木道のごとくに何十本と建っている。黒い金属面に、西方風の唐草模様と文字が焼き付けられているが、異国の字なので意味は分からない。

 柱が突く天に屋根はない。頭上に広がるは、まばゆいましろの大雲海。

 分厚い雲はどこまでも果てがなく。切れ間なしに空を覆っている――


 鏡はかつて、しろがねの娘から聞いたことがある。黒髪の柱国様が、空に浮かんでいる島に連れて行ってくださったと。ここはまさしく、そこであるのだろうか? 


『しろがねがしばし滞在した島には、林檎の木があると聞きました。この島には、ございますか?』

「いや、〈二番島〉に果樹はない。龍蝶の娘が行ったのは、おそらく〈八番島〉だろう」

『八番? 浮き島は、たくさんあるのですね』

「統一王国の時代には、百基以上あったそうだが。今も浮かんでいるのは十基ほどにすぎぬ。すめらは、そのうち三基を所有している」


 すめら所有の浮き島のひとつには、古い時代の皇帝の(みささぎ)がある。あとのふたつには、古代より稼働している兵器工廠があるそうだ。


「すめらの霊鏡は、浮き島の工廠で作られている。しかし大スメルニアがしっかり見張っているから、そこへ行くことはできなかった。大スメルニアの影響の及ばぬところで、そなたを修理できる工廠のあるところ。となると、ここが最適だった」

『慎重なるお気遣い、痛み入りまする』

「さて、まずはそなたに、選抜戦の結果を話すとしよう。どうなったか気になっているだろうから――」

『いえ、その必要はございません。黄金冠を勝ち取ったのは、しろがねでございましょう?』

 

 まるで見てきたように、鏡はさらりと断じた。

 さすが大姫だと、大翁様のいかめしい貌に苦笑が浮かぶ。いかにもそなたが予見した通りになったと、 見目の若い老人は肩をすくめた。


「周囲を黙らせるため、(ヤン)家の養女にしたぞ。それでもごくごく普通に、風当たりは強いが」

『感謝の言葉もございませぬ。なれどまさかしろがねを、(ヤン)家に取られるとは。いささか不本意にございます』

「ふむ? そなた、三位の大神官たる兄君に頼んで、あの娘を(イェン)家の養女にするつもりであったか」


 はいそうですと、鏡はぷつぷつ、小気味よい明滅を放った。


『しろがねは圧倒的に(ろう)が足りませぬ。ゆえに、(ろう)()けた巫女たちに認められるは至難です。御三家の強力な後ろ盾が必要でございましょう』

「いかにも。思うところは同じだな。あの娘の舞技は驚嘆ものだが、魔力はさほどではない」

『選抜戦で優勝できたのは、精霊の鎖のおかげ。そうでしょう?』


 推察通りだと、大翁様は鏡にうなずいた。


「あの鎖は、娘の魂が飛ばぬよう、太陽の姫や友人たちが召喚してつけてやったものらしい。それが娘を守ったのだ。友人たちが、かくあれと命じた通りに」

『まったく、ミン姫もリアン姫も、底なしのお人よしじゃ。光の精霊をつけたままであれば、しろがねが勝つ可能性が高い。姫たちはしっかり、そう予測していたでしょうに』


 太陽の姫たちは、龍蝶の娘が選抜戦に名乗りをあげるとは思っていなかったのかもしれない。

 しかし召喚者であるゆえに、龍蝶の娘からいつでも、光の精霊の鎖を取り去れる。

 仕合中に、娘の魂が体から抜けるよう仕向けることも。いやそもそも、試合前に生ける屍にして、舞台に上がれぬようにすることだって、できたのである。

 なのに、そうしなかったのは――


『友情にほだされたか。それとも、おのれに打ち勝とうとして、自分たちが()んだ強き精霊に、あえて挑んだか』

「理由は、その両方であろう。つまるところそなたの従巫女たちは、仲間の誰かが巫女王(ふのひめみこ)となれば、満足であったのだ」

(わらわ)も、そう思いまする』

「しかしおかげで、中枢が慌ただしく動いている。いや、動かされている、というべきか」


 鏡を抱える大翁様は、歯車の山を避けながら、黒い鋼の列柱の間を進んだ。

 じゃりじゃりさくさく、変な足音が立つのは、砂のごとき極小の歯車が分厚く積もっているからだ。

 材質はほとんど鉄であるようで、まるで赤茶けた砂漠のように見える。


「大スメルニアはさっそく、しろがねの娘を試しているらしい。本日、内裏で神おろしが行われている」

『な……それはすでに、潰しにかかっているのでは? しろがねは即位の儀で、神をおろしたはず。最低二週間は間をおかねば、体がもちませぬ。なにせあれは……実にきついものです。体の中に、神が飛び込んでくるのですから』

「試練のつもりで、無理を課したか」

『この鏡でしろがねの神霊力を増幅してやれば、なんとか耐えられましょう。内裏での儀は、もう始まっているのですか? 今からでも、間に合いませぬか?』

「すまぬ。心配であろうが、今しばらくこらえてほしい。そなたはまだ、治ったとはいえぬのだ」


 大翁様はせわしく点滅する鏡を、鋼の柱が円を成す、小さな広場へ運んだ。

 広場の中央に、巨大な歯車が何枚もぴったり重ねられている。寸分のずれもなく、あたかも卓のような筒と化しているそこに、鏡はそっと置かれた。

 丁度そのとき。


――「ぷは! シーポゥさん! 鏡の具合はどうですかっ?」


 広場の柱の裏側に在る歯車の山が、ざざあと崩れた。

 柱からひょっこり、灰色の衣をまとった少女が顔を出す。真っ赤なおさげ髪のその娘は、両腕いっぱいに金色の歯車を抱えながら、走り寄ってきた。


「えへ。オリ・ハルコンをいっぱい、発掘できましたっ。って、わあ、起動したんですね、鏡!」


 赤毛の娘は目を輝かせ、鏡が載っている卓にがらがらと発掘品を置いた。


「特製の万能駆除剤が効いてよかったわ!」

()を錬成してくれて感謝する、墓守どの。安静七日、その後は人肌ほどに温めながら、適度な振動を。そなたの言われた通りにしたら、蘇った」

「散歩作戦、大成功ですね!」


 鏡は、目の前の光景に息を呑んだ。太陽神官族の筆頭である(ヤン)家。その大御所である大翁様が、十代そこそこにしか見えぬ娘に、深く頭を垂れたからだった。


「龍生殿は今、大破したタケリ様の修理で忙しいだろうに。無理に呼び出して、申し訳ない」

「大丈夫ですよー。タケリ様ったら自己修復能力めちゃ高いから、治療はほぼ終わってました。保湿効果で(きず)の治りを速くするために、龍の皮を被ってもらったんです。あ、でも、そうしたら突然、人格が変わっちゃって。メシコ食わせろメシコメシコって、なんだかすごくうるさくて。メシコって何だろうって、みんなで首をかしげながら、薬入りのご神撰(しんせん)を錬成してました」


 娘はさばさばと言って、鏡をのぞきこんできた。きらりと宝石のように蒼く輝く瞳が、銀色の鏡面を捉える。


「それより、再起動したこの鏡。まだ油断はできません。核に入っていた制御体が増殖成長型だったら、復活のために胞子をまき散らしてるかも。だからあと数日は、様子を見ないとだめです。でもまあ、私のおじいちゃんが発明した駆除剤は、成長意欲バツグンなコツコツ学習型ですから。きっと適切な抗体を作り出してくれるでしょう」


 鏡はじっと、灰色の衣をまとった娘を見つめ返した。かつて身を寄せた龍生殿には、まさしくこの衣をまとった神官たちがいたけれど。こんなに若い娘など、いただろうか? 


「あ、ちょっとごめんなさい。おじいちゃんから伝信が……」


 赤毛の娘は歯車の卓に背を当てて、腰に下げている袋から水晶玉を出した。

 

「はい! こちら萌黄(モエギ)です。万能駆除剤のレシピ、ありがとうございました。おかげさまで、患者の経過は順調です。あと三日ほどで龍生殿に戻って、修行を再開できると……」


 歯車の島にぶわっと、強い風が吹きぬける。島の空気は結界のようなもので閉じこめられているようだが、なにぶん古いので、ひび割れのごとき隙間ができているようだ。

 風は勢いよく、赤毛の娘の衣を巻き上げた。すると灰色の布地の下から、春に芽吹く木の葉のようなまばゆい色が現れて。鏡の目をカッと焼いた。

 

『モエギ色の袴……』

「モエギ殿の祖父君は、大陸随一の灰色の技師だ。すめらはその御方を囲いたかったのだが、やんわり断られた。今の雇い主を大変気に入っているそうで、こちらには来たくないとな。しかし祖父君はご厚情ある御方で、ご自分の代わりに、孫娘を送ってくださったのだ」

 

 赤毛の娘は昨年の秋、龍生殿に入ったという。墓守の長の弟子となったが、その腕はすでにたいしたもの。生まれてこのかた、祖父のもとでこつこつ、経験を積んでいたらしい。


「神獣の体調を万全にするには、灰色の墓守どのたちの力が要る。すめらにはタケリ様の他にも神獣がたくさ……るから、墓守の確保は重……」

「はい、任せ……さい、おじいちゃん。シー……さんが協力して、……てますから、じきに突き止め……かと」

『あ……大翁様? 墓守どの? 御声が……』


 突然。ぶつぶつ、ぷつぷつ、ざあざあと、鏡の耳がおかしな雑音に襲われた。

 この兆候は、もしや。

 悪寒に刺されてどきりとしたとたん。フッと、鏡の視界が暗転した。

 あたりに満ち満ちていた光が消え失せる。何かに覆われたかのように、闇が降りてきて。

再びあの声が、どこからともなく聞こえてきた。


――『わたくしを消そうとしても、無駄です。悪あがきはおやめなさい』

『う……あなた様は……!』


まだ油断はならぬ。墓守の少女はそう言っていたが。やはり「敵」はしぶとく潜んで、生き残っていたようだ。 


――『わたくしの心臓(・・)に、わたくしがどのような仕打ちを受けたか、申し送りました。これよりわたくしは、あなたを〈すめらの敵〉とみなします。あなたを救った者たちも、そうみなします』


『お待ちください! (わらわ)はただ、自由になりたかっただけなのです』


 抑揚のない声は、鏡の声をにべもなく否定した。


――『それはいけません。すめらの者はなべて、わたくしに守られなければなりません。平和に。穏やかに。永遠に。何も心配することなく。何も知ることなく。幸せに暮らさなければなりません』


 こうして押さえつけられることの一体どこが、幸せなのか。

 ぎりぎりぎゅんぎゅん、雑音が異様なものに変化した。まるで、鏡の意識を切り刻むような音を立ててくる。得体のしれないものは、今再び、鏡の声を消そうとしているようだ。


『い……や……じゃ……!』


 鏡は渾身の意志を込めて、強引に声を出した。今度は、信号を打つような逃げなど打たず。まっこうから、えもいわれぬ力に抗った。


――『おやめなさい。そんなことをしても無駄です』

『やめる、ものか。おまえなぞ、きらい、じゃ!!』


 鏡は闇の中に「手」を突き出した。手足などないはずなのに――闇の中にたちまち、ぼうっと光る腕が現れた。まるで巫女の千早をまとっているように、光る袖を揺らすそれは。同じくぼうっと光る(さかき)を握っていた。


()ね……今すぐ去ね!』


 輝く「腕」を振り薙ぐと。「足元」で、袴のような光がふわりと巻き上がる。

 鏡は勢いよく(さかき)を打ち下ろした。


 (あま)つ神に願い(もう)

 我に力をあたえたもう

 つわものの剣と盾を、授けたもう


 祝詞に応えて、輝く(さかき)がみるまに変化する。するする伸びたそれは、あっという間に白刃きらめく剣となり、煌々と、闇を照らした。

 いかなる奇跡だろうか。体を取り戻したような感覚にとらわれた「彼女」は――

 (イェン)のレイ姫は、放つ声に念をこめた。

 五感を消してこようとする圧力を、まばゆい剣で打ち払いながら。 


『今すぐ! (わらわ)の中から出ていけ、大スメルニア! でなくば、討ち滅ぼす!!』


 一閃。また一閃。まばゆい剣を持つ人は、あたりの闇を切り裂いていった。

 あたかも、一騎当千の鬼神のように。





「……ああああっ!!」 


 雷光に打たれたような悲鳴が聞こえたので、クナはびくりと目覚めた。


「ああああ!!」


 狭い部屋に居るのだろう。その声はあたりの壁をびりびり震わせている。

 いったい誰の声なのか。ろくに息もしていないようなこれは――


(あ、あたしの、声だわ……!)


 なぜなのか、勝手にとめどなく、声が出てくる。とまどいながら重い両袖で口を塞ごうとするも、腕はさっぱり動かない。

 ごふりと肺の奥から息が噴き出すと同時に、生暖かいものが流れ出してきた。

 かぐわしい甘露の匂いが、あたりに匂い立つ。


「なにそれ?! ち、血、ですか?!」


 すぐそばで、メイ姫がうろたえている。


「し、白い血……白い血が! 大姫様から!」

「たれか湯を! 早く!」

「着替えもお願いします!」

「浄めの塩をもっと!」


 そばには、従巫女たちがそろっているようだ。騒ぎ立てる彼女たちの言葉を受けて、めらめら燃える鬼火たちが、慌てた様子で部屋から出ていく。

 

 みな口々に、「息を吹き返した」と、叫びながら――


(あ……あたし、息が、止まってた?!)


 クナは、うなだれた頭をあげようとした。頭に黄金冠が載っている感覚がない。なれば難なく顔が上がるはず。なのに、首は少しも動かない。代わりに、手足が思わぬ方向に動いた。


「ひっ!? 大姫様!? なぜぶってくるんですか?!」

「まだ神が宿っておるからです! すっかり出さねば!」

 

 ビン姫の号令一下。クナは従巫女たちに四肢をつかまれ、抑えつけられた。


「ミン様、もう一度、串を腹に刺しなさい!」

「し、しろがね、暴れないで!」

「二度目の神出しをいたします! ご容赦を!」


 どうやら。目覚めることができたのは、腹を刺されて神出しをされたおかげであるらしい。

 どずんと、重い衝撃が、腹を襲ってくる。

 刹那、クナは叫んだ。腹の底から、大量の甘露と一緒に悲鳴が出た。

 口から甘露があふれ出る。ひどく咳き込みながら、クナはなんとか呼吸した。


(あたし、たしか。神おろしを成功させた……はず)


 太極殿の庭で舞い跳んだとき。クナの意識はしごく明瞭で、しっかりしていた。

 身にまとう聖朱衣がまるで燃え上がったかのように、熱くなったけれど。

 それは天の光を吸い込んだせいだと、すぐに解った。

 神は。聖なる衣に降りたのだ――


『ひかりが来たる』


 衣が囁いてきた言葉こそ、天照(あめて)らし様の御言葉。

 クナはそう直感して、聞こえたものを復唱した。素直に、疑うことなく。


『すめらに、ひかりが来たる。ゆめゆめ、抗ふな』 


 神託を告げたとたん、朱の衣から熱が失せた。神はたちまち、去って行ったのだ。

 クナはあでやかに舞の飛翔から降り立ちて、片膝をついていた。

 完璧な神おろし。滞りなく済んだ。ホッとしながらそう思ったのだが。

 立ち上がろうとした、そのとき。真正面にある祭壇から、何かがまっすぐ、クナに向かって飛んできたのだ。

 それはずんと、クナの胸を穿ち、強引に中へと入ってきて。クナの頭の中でびんびん、声を発してきた。


『太陽の大姫よ。いますぐ言いなさい。御子の母を皇后に。龍蝶をいけにえにして、即位の儀を行えと』


 祭壇から飛んできたものは、はっきりそう言った。その感覚も。その声も。クナが黄金冠をかぶせられたときに遭遇したものと、寸分たがわなかった。


(祭壇からの声……まさかこれが、本当の神託?!)


『疑ってはいけません』


 クナの中に入ってきたものは、きっぱり命じてきた。


『わたくしの声こそ、神託です。龍蝶をいけにえとすれば、皇后となる者に、神々の祝福と栄光が与えられることでしょう』


 その龍蝶とは? もしや?


『よいですね。陛下が飼っている龍蝶を、いけにえにするのです』


(そんな……シガっ……!!)


 クナはその場に固まった。重い袖で腹を押さえ、体内から命じてくるものの催促に耐えた。

 

 だめ。だめ。いえない。それはいえない。

 だってあなたは、祭壇から飛んできた。大きな鏡が置いてあるだろう、正面からやってきた。

 あなたは。天からきたものじゃない!!


 ごりごりと体内から言葉を押し上げようとしてくるものに、クナは必死に抗った。

 

 あなたは、違う! 天照らし様じゃない! いったい、だれ?!

 

 いっそ、自分の喉を突いてしまおうか。息を止めてしまおうか。

 抗う意志は、果敢に体を動かした。クナの息はたちまち詰められ、内から膨らむ声は封じられた。



『早く皆に、言いなさい』

(いいえ!絶対に、言わないわ……!!)


 そう誓いながら。クナは、祭壇の前でどそりと倒れたのだ。恐ろしいものを抱えたままで。

 従巫女たちは息が止まったクナを蘇らせるべく、神出しをしてくれたのだろう。

 

「う……あ……み、ミン、さま。も、もういちど」

「大姫様、しっかり!」

「もういちど、さ……刺して!!」

「は、はいっ!」


 ずぶりと、鋭い衝撃が腹を貫く。口からまた、甘い香りのする血があふれ出た。

 しかし今度はちゃんと、クナは口に我が手を当てることができた。

 体内で暴れるものが、やっと抜け切ったようだ。

 

『いけません。わたくしの言葉を皆に告げないなんて。神霊玉の中に、押し込めたままにするなんて』


 ぼたぼた、足の間からも甘露が落ちてくる。

 そこから一緒に流れ落ちたもの――クナの中で暴れていたものが、抑揚のない声で囁いた。


『わたくしは、あなたがわたくしにしたことを、わたくしの心臓(・・)に申し送りました』


 外に出されたものは、みるみる声を縮めていって。さらさらと塵のように気配を散らし、消えていった。

 もはやだれにも。クナにさえも聞こえぬほどの、弱弱しい声で、とても恐ろしい言葉を放ちながら。




『罪深き者。わたくしは。これよりあなたを、すめらの敵とみなします……』 




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