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紅朱狂奏曲  作者: 凪未宇
~第弐話~ Sign of disturbance
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弐ノ一

 穏やかな昼下がり。

 最近は目立った出動もなく、新撰組の屯所内も平穏そのもの。

 隊士達は、それぞれの稽古に当番にと精を出し活気ある明るい声を上げ。

 珍しく、騒ぐ相手のいない原田は斉藤に将棋の相手をしてもらい呻き。

そんな姿を眺めながら縁側で山南と井上が談笑をしており。

 はらはらと舞う落ち葉と戯れるように、沖田は猫相手に妙にはしゃいでおり。

 土方はそんな沖田を心配そうに眺め、煙草の煙を静かに吐いた。

 土方の見上げた先を、赤とんぼが横切っていく。

 本当に平和なのだと、誰もがこの束の間の時を楽しんでいた。


 不意に正門の方が騒がしくなる。


「今、戻ったぞ!」


 無数の声に混ざって、近藤の澄んだ声が屯内に響き渡る。

 江戸先見部隊が帰ってきたのだ。


 その夜、屯所では簡単な歓迎会が開かれた。

 近藤らが江戸視察と同時に、集ってきた新隊士達の歓迎会である。

 血気盛んな者が目立つ中、妙に落ち着いた色白の男がおり周囲の目を引いていた。


「お初にお目にかかります。私、伊東大蔵と申します。こうしてみなさんと杯を交わせるようになったこの日を記念し、たった今より今年の干支にちなんで伊東甲子太郎と改名いたします」


 伊東と名乗ったその男は、妙に役者じみた演出でたちまち隊士達の心を掴んだ。

 派手な態度が気に入らないのか、はたまた別のことか。土方は不機嫌そうに、酒をあおっている。

 伊東は方々に挨拶をして回ると、最後に山南に近づき隣に座した。


「あなたが、山南さんですね?」

「はい、そうですが」

「話は藤堂くんから聞いています。あなたも同じ北辰一刀流だとか」

「はい。とは言っても最近は殆んど振るっていませんが……」

「しかも副長とは、同じ流派の者として非常に鼻がたかいですな」

「いえ、副長と言っても名ばかりの副長ですから……」


 伊東は巧みに話しかけ、妙に山南に絡んでいく。

 やけに距離を詰めてるように見えるのは、同門のよしみというだけではなさそうに見える。


「彼はどうだ歳?」


 近藤がそっと隣の土方に小声で話しかける。

 土方は伊東の行動を睨んだまま酒をあおり答える。


「気にくわねぇな」

「そうか。学もあって、かなりのきれ者らしいんだが……」

「だから気にくわないんだよ。まぁ、近藤さんの決めたことだ。口出しするつもりはない。それよりも総司だ」

「総司がどうかしたのか?」


 土方は周りを伺いながら、近藤に耳打ちする。


「どうもな、こっそり医者に通っていたらしい……」

「なんだって!」


 思わず、近藤は驚きの声を上げた。何事かと、一斉に周囲の視線が近藤に集まる。

 何でもないと、ばつが悪そうに近藤が咳払いをすると、一同は思い出したかのように慌てて宴会に戻っていく。

 再び辺りは騒がしさを取り戻した。


「勇……」

「すまんすまん。それで、やっぱり病気なのか?」

「その辺はこれから調べる。それとな、女と会っているそうだ」


 溜息混じりの土方の言葉に、近藤は軽く目を丸くした。

 思いがけない言葉を聞いたという顔だ。


「誰が?」

「総司に決まっているだろうが……」

「なっ……!」


 再び大声を上げそうになった近藤の口を、土方はとっさに塞ぎ。慌てて近藤も自ら口を押えた。

 それは大事だと二人は目で語り合うと、さらに声を潜め耳打ちするように、二人は密談を始めるのであった。


「沖田、どうかしたか?」


 近藤と土方の密談を不安気に眺めていた沖田の目の前に、お猪口が差し出される。

 永倉が徳利を揺らし、どうだと伺ってくる。沖田は苦笑を浮かべながら、お猪口を受け取った。


「いえ……何か、嫌な予感がするんですよ」

「嫌な予感?」


 永倉は酒を注ぎながら、沖田の顔色を探るように見る。


「え、あぁ、何でもないです。それより永倉さんも」


 沖田は慌てて新しい徳利を手にし、傾ける。

 なみなみに注がれた酒に、苦笑する沖田の顔が映り込み、溢れた。


「おっとっとー。おう、ありがとな」


 溢れる酒に永倉が口付け、その場の追及は有耶無耶になった。

 逃れたことに安堵はしたものの、まだ内緒話を続ける近藤らの姿に、沖田は広がる不安に溜息をこぼすし徳利を傾けるしかなかった。


   ×   ×   ×


 ししおどしが、水を弾きながら高く鳴り響く。

 美しい秋晴れの空のした、半井邸には今までにない緊張感が走っていた。

 再び中庭でししおどしが響く。ゆるく握っているはずの拳にはじっとりと汗が握られ、畳に頭をつけたまま硬直しており。隣に座す娘も、これ以上ない程かしこまった様子で父と同じように頭を垂れて座っている。

 その向かいに座すのは、正装した近藤。

 新撰組の名も、目の前の男が局長であることは直接面識のなかった半井でも知っていた。池田屋の事件以来、京の民にとって新撰組は恐ろしい人斬り集団としても、名が知れていたのだ。

 そんな男が何故自ら足を運び、こんな町医者の屋敷に訪れたのか。何か目をつけられるようなことでもしでかしてしまったのだろうか、思い当たるふしはない。


「そうかしこまらないでください。この度は、うちの沖田が大変お世話になったようで。こちらはつまらぬ物ですがほんの挨拶の品です」

「どうも御丁寧に、お気遣いいただきありがとうございます……」


 はて、新撰組の者など看たことがあっただろうか。

 半井は心の中で首を傾げ、はっと一人の青年を思い浮かべた。


「その失礼ですが、沖田様は会津藩御家中の方ではないのですか……?」


 半井は沖田の照会文を思い出しながら、やっとのことで口を開いた。


「何を言っておられる。沖田は我が新撰組きっての剣の使い手、一番隊の組長ですぞ」

「そんな……」


 近藤の言葉に娘の顔色も変わった。あんな風に笑う人が、新撰組だとは夢にも思っていなかったのだ。

 困惑と脅えの混じった空気に、笑っていた近藤は突然真顔に戻る。

 これは違った。歓迎する側の者ではない。


「これは失礼。どうやら何も知らなかったようですな」

「申し訳ありません」

「いや。どうせ総司の奴が隠したのであろう。しかし、その様子では……」

「申し訳ありません」


 半井にはそれ以上の言葉は出なかった。


「まあこの件はわしが勝手に足を運んだまで、気にすることではない。して、総司の病状は悪いの ですかな?」


 半井がゆっくりと口を開く。

 近藤は最後まで努めて冷静に、半井は極力刺激しないよう注意し。

 いくつか言葉を交わした、三人の影が畳の上で震えるように揺れていた。


 赤く赤く、雲が流れていく。

 近藤が帰って間もなく、沖田がやってくる。

 出迎えに顔を出した娘の顔色が、さっと青ざめた。いつもなら、軽い世間話などしながら診察室まで誘導するのだが、今日は終始押し黙ったままだ。

 診察室の半井もそう。どこか対応に困ったような、どうするべきか迷っているような。

 沖田は診察が終わると、静かに口を開いた。


「近藤さんでも来ましたか?」


 びくりと半井の肩が小さく揺れる。

 答えを聞くまでもない。

 半井は説明する言葉が見つからず、苦しそうに沖田から視線を逸らすように頭を下げた。


「……すまない」


 やっと出た言葉は蚊の泣くような微かなもの。

 沖田の表情に静かに笑顔の仮面がのる。


「いいんです。どのみち、ここに来るのも今日で最後にするつもりだったんですから」


 半井は申し訳なさと、ただの医者として動けない自分の恥ずかしさに顔が上げれなかった。

 新撰組に直接の恨みはない。しかし京市中の者は幕府に好意を持っておらず、長州びいきのところがある。その証拠に、幕府が追尾中の長州藩士を匿ったりしていた。

 それは半井も例外ではない。だから新撰組と分かってしまった以上、彼の治療は出来ない。


「そんな顔しないでください。僕は、大丈夫です。精一杯生きる事にしましたから」


 そう沖田は安堵させるように笑みを浮かべる。


「力になれずすまない」


 再び半井は謝った。


「近藤さんは、知っているんでしょうか? 僕の病のこと」

「いや、全ては話せなかったよ」

「それは良かった。うん、本当に良かったです。ありがとうございます」


 沖田は深々と頭を下げ、半井邸を後にした。

 半井が沖田を見送り、座敷に戻ると娘が泣いていた。


「沖田さんはもう帰ったぞ。これで最後だそうだ」

「お父様。なんであんなにお優しい方が壬生狼なのですか。あんなに……」

「私だって分かってはいる!」


 静かに半井が娘の肩を掴んだ。


「壬生狼だからと言って、悪いというわけではない。しかし、それだけではすまないのだ。分かるな」


 半井の言葉に娘は小さく頷く。


「どのみち、このまま治療を続けたとしても私にしてやれることは無い」


 娘は涙をぬぐい、半井の言葉の真意を知ろうと振り返った。

 半井が重い口を開く。


「彼……沖田総司の病名は結核……死病だ」


 カラカラと一人帰っていく沖田の全身を、夕日が真っ赤に染め上げていた。

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