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紅朱狂奏曲  作者: 凪未宇
~第壱話~ sickness & bell
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壱ノ三

 その日も沖田は人目を避けるように、裏口から密かに出て行こうとしていた。

 見回りから戻ってきた永倉が、目ざとく沖田を見つけそっと近寄る。


「何、こそこそしてんだ。島原へでも行くのか?」


 突然声を掛けられた沖田は、驚いたように振りかえる。


「なんだ、永倉さんじゃないですか。脅かさないでくださいよ」

「なんだは、こちの台詞だ。何をこそこそしている。表はあっちだぞ。まさか、本当に……」


 永倉が探るように沖田を見た。


「ち、違いますよ。私はお菓子を買いに行こうと思いまして……その、土方さんが最近うるさいんですよ。 遊んでばっかりいるなって怒られちゃいました」


 沖田は本心をはぐらかすように、笑った。


「そうか、そうだよな。お前、女は苦手だったよしなぁ。そんなんじゃ、男がすたるぞ。通う女の一人や二人ぐらいいないと」


 そうからかうように大声で笑い、永倉は沖田の背を叩いた。

 その痛みに沖田は苦笑いを浮かべる。

 嘘に付き合ってやるそれが、沖田へのせめてもの優しさだと永倉は思っていた。

 だから理由は聞かない。


「よし、分かった。土方さん達には特別に黙っておいてやろう。ついに沖田にも春が来たか……」

「もう、本当に違うんですから」

「いいからいいから、とにかく頑張って来いよ!」

「すいません。ありがとうございます。では失礼します」


 駆け足で出て行く沖田を、永倉は心配そうに眺めた。

 裏口から沖田は外に出ると後ろ手で戸を閉じた。そして、小さく咳き込み笑顔を消した。

 半井邸の診察室に心地良い風が吹き込んでくる。

 半井は薬を調合している。

 診察の終わった沖田は、着物の襟を治しながら窓の外を眺めている。

 緑の合間に紅葉し始めた葉が揺れている。


「もう秋なんですねぇ……来年の夏もきっと暑くなるんでしょうね。きっといい祗園祭りになるんでしょうね……」


 不意にこぼれた沖田の呟きに、半井は一瞬表情を強張らせる。


「……どうだろうな。来年にならんとわからんさ。さぁ、冷たい風も体に良くない。もっと中に入りなさい」

「はい。すいません」


 沖田は何事も無かったかのように笑みを浮かべ、振り返った。

 その笑顔の仮面の下で、ゆっくりと現実を受け入れながら。

 屯所への帰り道。沖田は憂鬱そうに思い足を進めていた。

 ちょうど壬生寺の前を通りがかると、境内のほうから犬の声と子供の楽しそうな声が聞こえてくる。

 沖田はふと足を止め、目の前の屯所の入り口を見つめる。見張りの隊士が眠そうにあくびをしていた。

 まだ日は高い。

 それに帰りがたい心情でもあった。

 久しぶりに近所の子供と遊んだ方が、気が晴れるかもしれない。

 沖田はくるりと方向を変え、境内に向かい足を進めた。

 沖田が境内に近づくにつれ、子供達の声に混じるようにして手毬歌が聞こえてくる。

 どうやら、子供だけではないようだ。

 やんんちゃな弥彦と正吉は大きな黒い犬と追いかけっこをし、小夜と茜は手鞠で遊んでいる。 その傍らで、境内に腰掛けながら娘が手鞠歌を歌っている。

 沖田はその姿に思わず足を止めた。

 こんなに何度も出会えるものなのだろうか。

 そこに居るのは、あの盲目の娘。

 髪飾りを見ると、既に蝶の先に二つの鈴が揺れていた。

 手鞠が小夜の手を外れ、沖田の足元に転がってくる。


「あっ、宗次郎だ!」


 沖田の姿に気づいた小夜が、嬉しそうに声をあげた。

 娘は歌を止め、軽く顔を上げた。

 まだ距離はあったが、十分に血の香りと沖田の気配が娘の元まで伝わってくる。


「あなたは……」

「また、お会いしましたね」


 沖田は困ったような笑みを浮かべ、鞠を拾いあげると小夜に渡しすぐさま背を向ける。

 彼女に不快な思いをさせないためには、近づかないほうがいいだろう。

 また、熱くなった手の平と、胸が小さな痛みを訴える。


「あっ、お待ちください……!」


 娘は慌てて立ち上がると、思わず沖田の着物の袖を掴んだ。

 驚いたのは沖田だ。振り返った表情が困惑している。

 彼女に不愉快な思いをさせまいと、なるべく関わらないようにしようとしていたのに、 まさか彼女のほうから寄ってくるとは思いもしなかったからだ。

 子供達はそんな二人のことには構わず、手鞠を再開している。

 娘はゆっくりと口を開く。


「この間は、ありがとうございました。鈴を拾ってくださいまして、それなのに、ちゃんとお礼も出来ずに……」

「いいんですよ。僕はたまたま拾ったにすぎないんですから」


 沖田の言葉に、娘は安堵のしたように表情を緩めた。


「その、どうしてあなたが鈴を持っていらしたんですか?」

「落し物でしたから。それに、すぐにあなたの物だと分かりましたので」

「そんな、あんなに酷いことをあなたに言ったのに……」

「いいんです。あなたのおっしゃったとおり、僕の手は血まみれなんですから」


 沖田は悲しさを見せないように、笑みを浮かべる。

 娘は急に表情を曇らせた。

 沖田の心が微かに伝わってくる。


「ごめんなさい。そんな辛い言葉をあなたに言わせてしまって」

「いえ、僕は本当に気にしていませんから……」

「それなら、どうして心で泣いているのですか?」


 娘は光を映さない瞳で沖田を見つめる。

 まるで全てを見透かすような、その目に映りこんだ沖田は確かに笑っていなかった。


「え、いえ、私は……」


 娘は沖田の目の下辺りにそっと指先で触れる。

 こぼしてもいない涙を拭くように彼女の指先がなぞり。


「あなたは、本当は人を斬りたくはないのでは…?」

「……!」


 沖田は言葉を失った。

 笑顔を作る方法が崩れ、真顔になる。

 そんなことはないと、否定する声が沖田の心の奥に沈んでいく。


「鈴姉、早く続き教えてぇな」


 小夜が娘の着物を引く。


「少し待っていて」


 娘は小夜に微笑みかけ、沖田のほうを振り返る。


「私にはあなたの心が泣いているのが分かります。辛い時には無理に笑わなくてもいいんじゃないでしょうか。 そして時には背負っているものを忘れ、心から笑ってみてもいいのではないでしょうか?」


 娘はそこまで言うと、優しく沖田に微笑みかけ、小夜達の待つ境内前に駆け戻っていく。


「宗次郎―剣術の続き教えてくれよ。約束だろー!」

「俺、強くなったんだぞ」


 ぼんやりと娘の言葉の意味を沖田が考えていると、男の子達が向こうから手を振っている。


「……宗次郎、どうかしたのか?」


 待ちきれなくなった正吉が、沖田を迎えに来て顔を覗き込む。

 沖田は、動揺を鎮めるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。


「え……あぁ。いえ、なんでもありません。強くなったんですね。それでは、まずはお手並み拝見と致しましょうか」


 振り返った沖田は、再びいつもの笑みを浮かべ男の子達のほうへと歩き出す。

 境内の方からは娘の手毬歌が、小さく聞こえ始める。

 沖田は男子たちとチャンバラを始めながら、ときおりそんな娘の姿を盗み見ていた。

 辺りがすっかり朱に染まっていく。

 遊びつかれた子供達は鐘の音に誘われるように、それぞれ帰っていった。

 境内に座る娘の傍らには大きな黒い犬が、寄り添うように纏わりついている。

 沖田は遠慮がちに娘に歩み寄った。


「此処には良く来られるんですか?」

「えぇ。ランマルが好きなんです」

「ランマル?」


 沖田の声に、呼ばれたと思ったのか犬は大きく尾を揺らし沖田の足に擦り寄った。

 微かに娘は驚いたようだった。


「そうか、お前がランマルと言うんだね」


 沖田は腰をかがめ、優しくその犬の毛並みを撫でる。ランマルは、遠慮なく沖田の顔に鼻先を押し付け喜んだ。


「あははっ、くすぐったいですよ」


 沖田が声を上げて笑うと、小さく娘も声を出して笑う。


「やっぱり、素直に笑っているほうがいいですよ」


 娘の言葉に、沖田の心に暖かな気持ちがわきあがる。


「そうですね」

「あなたは悲しい人。そんなに無邪気に笑えるのに、まるで死に魅入られているみたいで……」

「そうかもしれません。でも、この生き方を後悔したことはありませんよ」

「たとえ、何人もの命を奪ったとしてもですか?」

「奪ったとしてもです」


 沖田は真っ直ぐに娘を見つめ、答えた。

 道場の仲間と一緒に出てきた時に、沖田の覚悟は決まっていた。自分の剣の腕が必要となるなら、どこまでも突き進もうと。

 例えそれが人の命を奪うことだったとしても。それが、仲間のためになるのならば。

 娘の表情が微かに曇る。


「あなたは私の良く知っている人に似ています」

「え?」


 沖田が聞き返そうとしたが、それをさえぎるかのように、娘はゆっくりと境内から立ち上がる。

 その動きに合わせるように、ランマルは沖田の元から離れ、するりと娘の傍らに戻る。


「お送りしましょうか?」


 沖田の言葉に娘は、少し考え首を横に振る。


「大丈夫です。慣れていますから」

「あ、いえ……そういうつもりではないんでが……」

「分かっています。でも、大丈夫です。ランマルが居ますから」


 必要のない助けはいらないと、頑なに娘は沖田の申し出を断った。

 娘の言葉に沖田は、少し残念そうな表情を浮かべが、本人がいらないと言うのだから仕方ない。

 そんな沖田の様子に、娘は軽く考え微笑を浮かべる。


「坂本鈴華と申します」


 沖田は驚いたように娘を見つめた。


「あなた様は……?」

「えっ、あ、僕は……」


 そこまで言いかけ、沖田は一度言葉をのみこみ静かに口を開く。


「僕は沖田宗次郎といいます」


 それは思わずついてしまった嘘。

 だが、彼女は何も言わず、ただ優しく微笑んでくれた。

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