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紅朱狂奏曲  作者: 凪未宇
~第壱話~ sickness & bell
3/14

壱ノニ

 静かな夜だった。

 屯所に戻ってきた沖田は縁側に腰掛け、手の平を何度も月に透かし眺めている。


「こんなところで、何をしていらっしゃるのですか?」


 突然かけられた声に、沖田は驚いたように顔を上げた。

 穏やかな空気を纏った山南が、立っていた。

 山南は長着の上に羽織を着て、商人のような姿をしている。袴姿より気楽だと言って、仕事のあるとき意外は、大抵この姿である。

 温和な性格の山南には、その姿が実に良く似合っていた。

 見られていたことが恥ずかしく、沖田は驚いたように、手を引っ込め、姿勢を正す。

 良く見れば、穏やかな笑みを浮かべた山南の脇に元気のない藤堂の姿もある。


「山南さん。それに藤堂さんまで……!」


 こんなに傍に来るまで気配に気がつかないなんて余程疲れているのだろう。沖田は動揺を隠すように笑みを深める。


「そんな格好では風邪をひいてしまいますよ沖田くん」

「大丈夫です。心配してくださって、ありがとうございます」


 自然と嘘の笑みが浮かんだ。

 こうして笑顔を浮かべていれば、自分の悩みなど誰も気が付かない。これまでそうやって、心を隠してきたのだ。この先もそれは変わらない。


「よお、お揃いで何やってんだ?」


 奥の裏口から出かけようとしてたのか、通りがかった原田が豪快な声で笑いながらやって来る。

 一緒に永倉もいるので、一杯煽りにでもいくのだろうか。

 原田はまるで歌舞伎役者のような男である。

 長身でなかなか整った顔立ちをしており、腹を割ったような性格をしているため、女性にも隊内でも彼を慕う者は多い。

 隣の永倉の方は人好きする顔をしているが、血の気が多く何度か県下騒ぎなども起こしていた。大きな問題にはなっていないのが、 不思議なくらいだ。

 その割に、沖田や藤堂を含む若い隊士達には親切で、道場では剣の指南などもしていた。


「私達も、ちょっと通りがかっただけですよ」


 やんわりと山南が言う。


「そうですか。どうだこれから島原に行くんだけど、お前達も一緒に行かねぇか?」


 永倉が歯を見せるように笑いながら、一同を見渡す。


「僕は遠慮しておきます」

「…俺も、今日はいいや」


 沖田に続いて、藤堂も苦い返事をする。


「なんだ、今日はつれねーなぁ」


 原田が心底残念そうな声をもらす。


「まぁ、そう言う時もあるよな。じゃあ、俺たちは行くな。気が変わったら来いよ、いつもの店だから。では、山南さん失礼します」


 永倉はそう最後に軽く山南に会釈をし、原田と共に出かけていった。


「いつも通りですね。彼らはこの先もきっと変わらないんでしょうね……」


 山南は微かに目を細め、優しく微笑んだ。


「……山南さん。俺なりに考えてみます……その、いろいろ聞いてくださってありがとうございます。 明日出立しますんで、お先に失礼します」

「分かりました。あまり思いつめてはいけませんよ」

「はい……」


 藤堂は深々と頭を下げると、重い足取りで、部屋へと戻っていく。

 その後姿を心配そうに山南は見守る。

 明らかに普段と様子の違う藤堂に、沖田も心配そうな表情を浮かべる。


「何かあったんですか?」

「……お知り合いが居たそうです。あの池田屋襲撃の現場に」


 沖田の問いかけに、山南はゆっくりと振り返る。


「では、その方を……?」

「いえ、生きていらっしゃるようです。だからこそ苦むのでしょう。 これからどうすべきか分からなくなったと……そう藤堂くんは言っていました」


 山南の言葉に沖田は、何も言えなかった。

 たとえどんな気の利いた言葉が思いついたとしても、それは慰めにはならなかっただろう。

 もし藤堂が隊を裏切ったら、沖田は隊規に従い躊躇なく彼を斬るだろうから。

 それは山南も承知のこと。

 二人はしばらく無言で夜空を眺めた。

 天の河が煌々と流れている。

 こんな静かな夜なのに、彼らの心はざわめく。これからの不安と、現在の悲しみの狭間で揺らめく。

 沖田は昼間出会った娘のことを、ぼんやりと思い出していた。

 彼女の光を映さない目は、夜のように深かったが、この星のように光を煌かせていた。

 綺麗だった。それだけに手の痛みも思い出される。


「血塗れの手か……」


 思わず声が漏れていた。


「沖田くん。何か言いましたか?」

「え、いえ。何でもないですよ……!」


 ざわりと悪寒が走り、沖田は苦しそうに咳き込む。

 動揺が胸を締め付け、嘘が剥がれそうになる。


「大丈夫ですか。まだ本調子ではないのですから、無理はいけません。そろそろ中に戻りましょうか?」


 山南はまだ沖田が病だとは、気づいていない。

 大丈夫。沖田は悪寒を振り払い、ゆっくりと顔を上げる。


「そうですね。少し寒くなりました」


 偽りの笑みが、沖田の表情を全て覆い隠した。

 静かに、もっとも静かに夜は更けていく。

 翌朝早くに、藤堂は江戸視察隊として出立していった。他の仲間よりも一足先に、たった一人悩みを抱えたまま。


 あれから沖田は、度々屯所を抜け出しては半井のところへ診察してもらいに通った。

 薬もそうだが、気休めだと沖田は分かっている。

 ようは気の持ちようというわけだ。

 憂鬱そうに薬袋を懐に入れながら、沖田はゆっくりと歩いていく。

 その足が不意に止まった。

 人垣の向こう。見覚えのある白い着物が見えた。

 賑やかな商人達の声がとびかう中、地面に這い蹲るようにして娘が探し物をしている。

 せっかくの白い着物は、既に土で汚れてしまっている。

 この間会った、盲目の娘だと直ぐに沖田は気づいた。

 目の見えない彼女は、必死に何度も何度も地面を指先で探るしかない。通行人は視界の隅にその姿を捉えながら、 遠巻きに眺めたり、わきを通り抜けていく。

 誰も厄介なことに、関わりたくないのだろう。


「あの……」


 沖田は遠慮がちに声を掛けるが、呼びかけに娘は気がつかない。

 沖田は娘の肩に触れようとしたが、昨日の光景を思い出し触れる寸前でその手は止まった。


「あの、すいません」


 沖田は先程より、大きな声で呼び掛ける。

 はっとしたように娘は気づき、眉をひそめる。


「あなたは先日の……何か御用ですか?」


 娘は沖田の血の香りを牽制するように、冷たく答え手を休めず答える。

 当然といえば、当然の反応である。

 沖田は笑顔を浮かべたまま、傷ついた表情を隠した。


「あ、はい。実はこの間落し物を拾ったので、お渡ししようと思っていたんですよ」


 沖田は懐から鈴を取り出し、彼女の正面で手拭いを開いた。

 手拭いの上を転がった鈴は、綺麗な音を鳴らす。

 その音に娘は驚いたように、顔をあげ息がかかりそうな距離にまで、沖田に詰め寄った。


「あの、この鈴を……」


 沖田は真近に迫った娘の顔に動揺しながら、もう一度鈴を鳴らす。

 娘は音を頼りに、鈴を受け取り、手の中で鈴の形と音を確認し嬉しそうな笑みを浮かべた。

 あんまりにも娘が嬉しそうな表情を浮かべたので、沖田も思わず笑みをこぼす。


「良かったお返しできて。とても大事な物だったんですね。では、僕はこれで失礼します」


 血の香りが娘から離れていく。


「あ、あのっ……」


 娘は呼び止めようと立ち上がるが、既に沖田の気配は辺りから消えていた。

 後は見知らぬ人々の気配がゆるやかに、流れていく。

 娘は沖田の気配を記憶するように、しっかりとその手に鈴を握り締め、しばらくその場に立ち尽くした。

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