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紅朱狂奏曲  作者: 凪未宇
~第参話~ What should be of soul?
13/14

参ノ四

 足音荒く真っ直ぐ自室に戻って来た土方は、襖を閉めるなり証拠の刀を畳に叩きつけた。

 湧き起こる怒りが抑えきれず、体が震え今にも爆発しそうだ。

 確かに、犯行に使われた刀は、山南の部屋で見つかった。だがこの刀は山南の物ではない。銘も付いてないような安刀。

 他の隊士なら露知らず。

池田屋の出動ですら辞退するほど、人を斬ることを拒絶してきた男が、いまさら殺しなどするはずがない。

 それは犬猿の仲と周りから言われていようと、土方にだって分かる。長年共に歩いてきた時間と信頼がそう告げていた。


「山南さんは犯人じゃありません」


 隣の部屋の音に気付いた沖田が、襖越しに静かに声をかけた。

 何があったかは、沖田も既に聞いている。

 彼もまた信じられない気持ちと、怒りに満ちている。


「僕たちが一番良く知っているじゃないですか。だから、大丈夫です。きっと、大丈夫ですから、そんなに自分を責めないでください」


 土方の拳はあまりに強く握りしめて居たのだろう、赤黒く染まり震え続けている。


「誰が仕掛けやがった」

「……僕もいくつか気になることがあります。少し調べてきますね」

「…………すまねぇ、総司」

「いえ。僕たちの仲じゃないですか、土方さん」


 いつもの調子で笑う沖田の声に、やっと土方は怒気を弱め、拳を緩め。疲れたようにふすまに寄りかかった。

 そこに鬼の副長の面影はない。

 ただ友人を案じる、弱い一人の男の姿があるだけ。

 沖田と土方は襖越しに感じるお互いの重みに、互いの過ごしてきた月日と同じだけの信頼と思いを感じ、しばらく二人はただ静かに背を合わせていた。


 屯所から少し離れた前川邸に設けられている自室へと篭った山南は、今回の事件について思考していた。

 先程、土方の小姓に今日の行動を伝えたばかりなので、今はよりはっきりと思い出せる。

 考えて見れば妙だったのだ。

 今まで一度もすれ違ったことの無い道で、あの時間に伊東と会ったことが。

 土方は何て言っていただろうか。

行燈の明かりに揺られながら、山南は何かに気付いたように目を見開く。思いついてしまった考えに、事件のからくりに山南は震えが沸き起こった。

これは単純な濡れ衣事件ではない。もっと大きな、いや明らかな悪意が動いている。

山南は心を静めるように深く呼吸をし、白紙を広げた。


「明里……すまない……」


 君とは行けない。そう心で涙を零し、山南は筆を手にする。

翌朝。綺麗に片付けられた山南の部屋に、穏やかな朝日が差し込み。誰も居ない文机に、一通の書簡だけが置かれていた。


   ×   ×   ×


 近藤、土方、沖田は重い表情で事件について話し合っている。

 懸命な調査をしたものの山南が居たという飲み屋はなく、かわりに殺人現場から立ち去る姿を見たという証言が出る始末。

 動けば動くほど状況は悪くなるばかり。


「やはり真犯人を見つけるしかないか。奉行所の方はどうだ?」

「今のところ、新しい手掛かりは見つけていないようだ。しかし、いつまで欺けることか」


 土方の表情は曇ったままだ。


「伊東君はどうだね?」

「それとなく話しかけてみましたが、やはり土方さんと話していた時間以外も屯所から出た形跡はないようです」

「ふむ」


 近藤は考え込むように嘆息した。

 始めから分かっていたことだが、あまりにも状況が悪い。

 しかも証拠の品である刀を隠蔽しているが、奉行所に山南のことが知れるのも時間の問題だろう。


「山南さんが行ったという飲み屋ですが、店事態が存在してませんでした。いくら酔っていたとはいえ、無い店に入るのは難しいと思います」

「狐に化かされたか」

「やはり忍が関与している可能性があるのでは無いでしょうか。ここ最近、街中にも増えているようですし」


 沖田はそう言葉を紡ぎながら、見回りのとき感じる視線を思い浮かべ。土方もまだ寝たきりの山崎のことを思い、眉をしかめた。

 そこに慌てた足音が飛び込んでくる。


「し、失礼致します!」


 騒がしい声と共に、障子が勢いよく開けられる。


「何事だ!」

「申し訳ありません。し、しかしこの一大事に……」


 土方の一喝に、隊士は怯えたように額を床につけ、怖れながらも、近藤に書簡を差し出した。


「君は、確か前田邸の」

「はい。その……部屋に向かったら山南さんの姿がなく……代わりに、この書簡だけが置いてありまして……」


 隊士の言葉が終わるより早く、土方は書簡を奪い取り一気に読み。その顔色がみるみる険しくなっていく。


「土方さん?」


 心配そうな沖田の声を聞きながら書簡を覗き込んでた近藤も、土方同様に顔色を変える。

 近藤はしばし考えるように軽く目を伏せ、ゆっくりと口を開く。


「山南が脱走した。すぐに監察方を市中に……」

「追っ手なら私が行きます」


 沖田がすっと立ち上がった。


「総司……」

「行かせてください。必ず連れ戻します」

「……いいだろう。行って来い」


 承諾した土方に驚き、近藤が振り返る。


「歳!」

「ありがとうございます」


 近藤が止める間もなく、沖田は刀を手に飛び出していく。

 土方は思いっきり拳を壁に叩きつけた。


「なぜだ。あいつは俺が信じられなかったというのか……!」


 その肩が不安に震えていた。

 近藤も同じ気持ちを抱き、土方を見つめている。

 誰もが山南を犯人だとは思っていなかった。せめて真犯人が見つかるまで。それまで待っていてくれればと、そう思っての謹慎だったのだ。


「歳、サンナンは帰ってくる。必ず帰ってくる」

「……そうだな。総司が行ったんだ。必ず帰ってくる」


 そう言いながら、どこかで帰ってくるなと別の心が叫び声をあげている。


「歳、少し休んだほうがいい。昨晩から、調べもので寝ていないだろう。たまには私にまかせておけ。お前が起きるころには、答えがでているはずだ」


 穏やかな近藤の声が、そっと部屋に広がる。

 曇天の空は二人の心のように、今にも崩れそうな悲鳴をあげゆっくりと漂っていた。

 夕暮れの道を、沖田は馬を走らせた。

 その胸に病とは違う痛みを感じながら。

 ただ、ひたすらに……


   ×   ×   ×


 同じ頃、鈴華は置屋の自室で琴の練習をしていた。

 差し込む夕暮れを、微かな光の傾きと空気で感じながら迷いを断ち切るようにその指は止まることを知らない。

 お座敷用の振袖を纏う姿は、華やかさよりどこか憂いを帯びて見える。

 明里がその姿を心配そうに見つめていた。


「お鈴ちゃん、昨夜も沖田はん来てたようやけど。ほんまにこのままでええの。このまま終わりにしてええの?」


 微かに琴の音が震える。

 明里は柔らかな笑みを浮かべ、三味線を奏ではじめた。

 二人はお互いに言葉を交わすことはなく、その心を語り合うように。

 思うのは大切な人。

 明里は山南を想い。鈴華は沖田のことを想い。

 その身を案じ、未来を案じ……


   ×   ×   ×


 暮れ行く大津の街道を旅人達が急ぎ歩いていく。

 馬上から沖田は旅人達を確認しながら、その心は居ないでくれと願っていた。

 しかし、山南は途中の道端で、のんびりと畑仕事に精をだす農民の姿を眩しそうに眺め休んでいた。


「山南さん。どうして……」


 その姿を見つけてしまったことに、なぜまだこんな近くに居るのかと疑問を込め、その名を呼んだ。


「そうか、追っ手は君か。これでは刀を抜けないな」


 山南は極穏やかに笑った。

 人を斬る事から逃げているが、山南は北辰一刀流の免許皆伝。文武両道で副長でもある男だ。

 ひとたび刀を抜かれれば、並みの隊士では山南を捕えることは出来ない。

 それに可愛がっている沖田を斬って逃げるという選択は、始めから山南にはなかった。


「なんでまだ居るんですか……」


 さまざまな思いが溢れ沖田には、それ以上言葉がでてこなかった。


「そうだな。私を信じて待っている人がいるからかな。急ぎでは無いのだろう。宿はとっているんだ。一杯付き合わないか?」


 全てを悟っていたかのような山南の笑顔に、沖田はいつものように薄っぺらい笑みを浮かべることしかできなかった。


「はい。ぜひ……」


 そう告げた心が涙で溢れていた。

 夕闇に浮かぶ欠けた満月は、まるで沖田の心のように残酷で美しい。

 宿の縁側に腰掛け、沖田と山南は何年ぶりかに、酒を酌み交わした。

 どんなに飲んでも味は分からず、日野で過ごした日々が思い浮かぶ。


「今日はなんて月が綺麗なんだろうね」


 山南は静かに酒を飲む。


「あれから鈴華ちゃんには会ったのかい?」

「いいえ。一度、街で見かけたきりです。あれ以来会う勇気がなくて……」


 沖田は一瞬口ごもり、悲しさと諦めを零す。


「やはり、ばれてしまったのでしょうか……僕が新撰組の沖田総司だって。誰だって嫌ですよね、人斬りは」

「あの子が、そんなことで君を嫌いになると思うのですか?」


 山南は明里が自分を受け入れてくれた日を思い浮かべ、微笑んだ。

 新選組は、京都の街の人に嫌われやすい。だが、明里は壬生狼と分かってからも、変らずただの山南敬助を見てくれた。


「沖田君。君は信じているかい。鈴華ちゃんを、自分を、周りにいる仲間を」


予想していなかった言葉に、沖田は答えにつまり視線をあげた。


「信じなさい。君が見たものを、聞いたものを。自分の感じたものを信じてあげなさい」

「山南さん。僕は……」


 沖田は、今まで溜め込んでいた思いを全て山南に話し始めた。

 どんな思いで剣をとったのか、試衛館の仲間と会った日々、京都へ行くと決めた時の事。

それは別れを惜しむかのように、夜が明けるまで、延々と語り合うのであった。


 夜明け前の屯所は薄靄に包まれ、恐ろしく静まり返っていた。

永倉・原田・藤堂が、門の前で待っている。

靄の向こうから、低く馬の蹄の音が聞こえ。

一同は目をこらし、その音のほうを伺う。

ゆっくりと見えてくる馬の影の傍らに、二人の人影が見えてくる。


「帰ってきた!」


 嬉しそうな原田の声に、全ての視線が集まる。

 靄から現れたその姿は、沖田と山南。


「山南さん!」


 思わず永倉と原田は悲痛な表情を浮かべ、山南に駆け寄った。

 今にも泣き出すものが居そうな雰囲気に、山南は苦笑を浮かべる。


「すまないね、皆に心配をかけて。藤堂くんも、すまなかったね」

「山南さん。……どうして出て行ったんですか。どうして……!」


 藤堂はこらえていた思いがこみあげてくる。

 山南は、そっとその肩に手を置いた。彼の目に浮かぶ涙は、皆の気持ちである。


「すまないね。ちょっと、外を見てみたくなってしまったんだよ」

「外?」


 永倉は眉をしかめた。


「そう、外をね……」


 山南は静かに明けはじめる空を見つめ、穏やかな微笑を浮かべた。

 沖田は胸を痛めながら、静かに彼らから離れていった。これから起こることに、沖田は何もかけられる言葉がなかったから。


 日が昇る。

 山南は再び前田邸の一室に戻ってきた。

 たった一晩空けただけなのに、その胸には妙に懐かしい思いが溢れている。

 山南は文机に向かうと、ゆっくりと残りの手紙を書きはじめた。

 今回の選択が、本当に正しかったか分からない。だがあの時、山南が出来る最善はこれしかなかった。

 愛しい人の姿を思い浮かべ、これから起こりうるであろうことを思い浮かべ。

 思いを込め、筆を進める。

 日が沈む頃、遠慮がちに格子窓を叩く音がした。

 山南は筆を止め、視線を上げる。


「永倉くんかな」

「大当たり」


 窓の隙間から、ひょいっと永倉が顔を覗かせる。


「外はどうでした?」

「まだ明るい。そう思えたよ。でも、やっぱりここが落ち着くね」

「当たり前だろ」


 永倉は淋しそうに笑った。


「すまないが、ちょっと頼まれてくれないか」


 そう格子窓の隙間から山南は、綺麗に折りたたんだ手紙を渡す。


「これは……明里さんなら、平助が呼びに行っているから……」


 山南は首を横に振った。


「私は会わないほうがいい、彼女にはまだ先があるのだから」


 その言葉に、永倉の胸に熱いものがこみあげてくる。


「分かりました。確かにこの文、永倉新八がお預かりしました」

「ありがとう。君なら、そう言ってくれると思っていたよ」


 永倉はしっかりと文を懐に入れ、深く頭を下げた。

 日が暮れてからも、山南は手紙を書き続けた。揺れる行灯の明かりが消えそうになりながらも、その手が休むことはない。

 ふとその視線が、何かに気付き戸のほうに向けられる。

 山南は、ふっと表情を緩めた。

 一番不器用で、ずっと共に歩んできた友。


「土方君。そこに居るんだろ?」


 山南の声を聞きながら、土方は引き戸に体重を預け寄りかかる。

 返事の代わりのように、戸の軋む小さな木の音がした。

 仕方がないなと心の中で苦笑を漏らし、山南も腰を上げると、同じように引き戸に寄りかかった。

 土方の背に、山南の体重が静かに伝わり、引き戸を挟み、二人は背中を合わせになった。


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