参ノ二
華やかな行燈が揺れ、着飾った美しい女性達が格子越しに訪れる男達に微笑みかける。
そこは花街。
その一角にある置屋の一室で、沖田は芸妓達からのお酌を受けていた。
その表情はぎこちなく戸惑いが浮かぶ。
どうしてこうなってしまったのか。
教えてあげようと言う山南に言われるまま、気が付けば花街に連れてこられ、いつの間にやら女性達に囲まれて。
訪れるのは初めてではないが、正直苦手な場所である。
他の隊士から誘われても断り、のらりくらりとかわして来ていたのだが、まさか訪れることになるとは。
嫌いなわけではないが、濃い化粧の匂いと酒の香りが混ざりあい、独特な香りが鼻腔まで刺激をしてくる。
「沖田君、楽しんでいますか?」
笑顔を作るので精一杯であったが、はいと答えると山南は満足そうに微笑んだ。
山南は常連なのか、慣れた様子で女たちと楽しそうに言葉を交わし、酒も進んでいるようだ。
そういえば、山南の想い人は花街の女性だと聞いたことがある。
それは隊内でも良く知られている話で、良く藤堂を始めとする同門の隊士らと連れ立って訪れているというが、この店がそうなのだろうと沖田は納得した。
だが、今宵は遊びに来たわけではない。
「その、僕は鈴華の行方を知りたいのですが……」
声を潜めながらも、早く話を聞きたいという焦りが、言葉に滲む。
「分かっています。約束は守りますから。もう少し待っていてください。もう少しですから」
「はあ」
これ以上、急がせても山南は答えなさそうだ。ここは辛抱強く話し始めてくれるのを待つしかなさそうだ。
たまには、こういう席に付き合うのも悪くはないだろう。
そう沖田は諦め、軽くお猪口に口をつけた。
ドロリと苦い味が広がる。
飲めないわけではない。好んで飲まない間に味が変わったようだ。
いや、自分が変わってしまったのだろう。病の影がさらに濃くなったようだ。
「沖田君、口に合わなかったかい?」
しまった。心の内で狼狽を口にする。
表情に出てしまっていたのだろう、山南が心配そうに聞いてくる。
沖田はいつものように、努めて笑顔を浮かべた。
「いえ。久しぶりでしたので、少し強く感じたみたいです」
大丈夫。ちゃんと笑えている。
「はっはっは。まぁ、無理しないで気楽にしていなさい」
声を上げて笑う山南は、屯所に居る時より饒舌になっており、沖田の様子には気づいていない。
まだ、大丈夫。
そう静かに、沖田は笑顔でお猪口を口に運び続けた。
それから半刻程経っただろうか。
更に追加の酒が運びこまれ、襖の向こうから声が掛けられた。
「お待たせしんした」
見習いの舞妓が静かに襖を開け、そこに一人の美しい太夫が座して居た。
彼女の姿に、周囲との歓談を楽しんでいた山南の表情が、たちまちとても柔らかな物へと変わっていく。
「待っていたよ」
沖田が聞いたことのないような優しい声で、山南は彼女に声を掛けた。
恋をしている。
そういった色恋に疎い沖田ですら分かる程、山南の表情には愛が溢れていた。
彼女は美しい華々を彩った鮮やかな着物を纏、髪には豪奢な鼈甲や細工のこった髪飾りが揺れ、そのさらに後ろには二人の芸妓が控えている。
「明里と申しんす。今宵もごゆるりとお楽しみくんなまし」
明里がゆっくりと顔を上げる。
優しそうな綺麗な女性である。百合のような女性というのは、彼女のような人を示すのだろう。
互いの視線が合い、山南の表情が一段と綻ぶ。
彼女もまた山南に恋をしていた。
ほんの少し、その場にいることに沖田は気恥ずかしさを感じた。
「綺麗だろう。彼女が明里だ。それから……」
明里の指示で、二人の芸妓が顔をあげる。
沖田は山南に促され、彼女らに視線を向け、声を失った。
顔を上げた芸妓は明里に劣らない美人だったが、沖田が驚いたのはそれだけではない。
忘れるはずがない。
その顔に白粉を塗り、口元に紅を差していたとしても。
綺麗に髪を結い上げ、幾つものカンザシに、着物に飾られていたとしても。
そこに居た芸妓は、鈴華であった。
沖田は思いがけない衝撃に、しばらく鈴華に見惚れていた。見慣れていた鈴華も十分美しかったが、この姿もまた美しい。
遅れて鈴華の表情に狼狽が浮かぶ。
油断していた。
鈴華は、置屋での務め中は、普段より少し周囲への緊張を緩めるようにしていた。
僅かな差とはいえ、常に警戒しているような女が同席していては、客も面白くはないであろう。
いつもの常連客だから、同じ仲間を連れてくると思い込んでいたのだ。
何か山南が話しているようだが、そんな音すら二人の頭には入ってこない。
まるで今ここに二人だけしかいないような、そんな錯覚を鈴華と沖田は感じていた。
どうして、此処に君が……。
どうして、此処にあの人が……。
「……くん、沖田くん。どうだい。僕の記憶も捨てたもんじゃないだろう」
山南の言葉はどちらの耳にも入ってこなかった。
「鈴華!」
「っ!?」
沖田が声を上げたのをきっかけに、呪縛から解かれたかのように、鈴華は部屋を飛び出した。
二度と会うつもりはなかった。
「待ってください!」
沖田は慌てて、後を追って部屋を飛び出していった。
慌ただしく去っていく足音に、鈴華の必死な様相に込み入った事情があることは察せられる。
だがそこに踏み込むのは今ではない。
山南は軽く微笑み、盃を手にした。
「若い、ねぇ」
慌てふためく他の芸妓達を放って、明里は山南の傍らに寄り添った。
「ほっといて、ええんどすか?」
「そういうことは、自分達で何とかするしかないのさ」
「本当に、山南さんは悪い人ですね」
「君ぐらいだよ、僕を悪いと言ってくれるのは」
山南に同意するかのように、差し出された盃に明里は酒を注いだ。
「知っているかい。気が付いたら沖田君も、もう二十四になるんだよ」
山南は盃の酒を一気に流し込む。
「僕らには確かな夢と大義があった。だが、随分と遠くに来たと思わないかい」
その言葉は悲しく、頷くことは出来ず。明里はただ優しく山南を包むことしか出来なかった。
一方、部屋を飛び出した二人は、置屋の廊下を駆けていた。
「待ってください!」
その後を追う沖田の声に、他の部屋で賑わっていた芸妓や客らが痴話喧嘩かと好奇の視線を向けてくるが構わない。
程なくして沖田に追いつかれた鈴華は、彼に捕らえられてしまった。
普段であればこうも簡単に捕らえられることは無いのだが、今宵のように単衣を重ねた着物では仕方ない。
思ったよりも華奢な鈴華の腕を掴み、沖田は軽く咳き込み呼吸を整えた。
鈴華はそれ以上逃げる様子はなく、静かに背を向けている。
「やっと会えました。その……最近、姿をお見かけしなかったので、子供達がとても心配しています。何かあったのでしょうか?」
子供達がと沖田は言葉を紡いだが、本当は彼自身が誰よりも心配していた。
「困ったことがあるのなら、僕が力になりますから……」
真っ直ぐな沖田の言葉に、鈴華の胸は締め付けられた。
沖田の言葉は嘘偽りない本心の声。心から鈴華の力になりたいと言っているが、それは決してかなうものではない。
答えられないまま鈴華が俯いていると、沖田は悲しそうに口を開き続ける。
「僕がいけないのでしょうか……やはり僕が居るから、あなたは逃げて……」
「違います! いいえ、違うのです」
「違わない、あなたは僕が壬生狼だと知ったから……!」
瞬間、隠し抑えていた殺気が鈴華から溢れ、沖田は咄嗟に手を放しそうになった。
「鈴……華……?」
背中に一筋の汗が流れる。
言い表しようのない、動揺が沖田の中を駆け巡る。
自然ともう片方の手はしっかりと刀の柄を握っていた。沖田にそうさせるほどの殺気を、彼女が向けてきたということだ。
何故と問いたいが、言葉は沖田の喉で詰まった。
代わりに鈴華が絞り出すように、問う。
「……どうすれば、仇討ちの剣を振るうことができますか?」
「仇討ち? 仇がこの京にいるのですか?」
それが誰かとは沖田は問えない。
ゆっくりと深呼吸をし、殺気を抑えた鈴華の手が震える。
本当は泣いているのだと、鈍い沖田でも分かる。だが口にできない強い葛藤があることも、察することができた。
「僕には話せない、そういう相手ということなのですね?」
彼女の沈黙は肯定ということなのだろう。
沖田の表情は曇り、どうすることもできない苦しさがその胸に広がった。
「……宗次郎様。もう、私に関わらないでください……あなたに会うのは……これ以上、あなたに関わるのは、とても辛い……です……」
全てを拒むような彼女の言葉に、沖田は捕らえていた手を緩めてしまう。
するりと鈴華は沖田から逃れていく。
鈴華は何か言いたそうに一度だけ振り返るものの、吹っ切るようにそのまま店の奥へと姿を消した。
沖田は己の手を見つめ、消えた感触を確かめ何度も握り返し。刀の柄を握ってしまった、もう一方の手を見つめた。
仇は新撰組ということなのだろう。きっと。
もう鈴華の心を確かめることはできない。離してしまったから。
ただ、残された温もりだけがそこにはあった。
別れた彼らの心は知らず、花街の夜は賑やかに更けていく。
鈴華は、この置屋の芸妓である。
盲目ではあるが、その器量とその見目が買われ、かろうじて店に置いてもらっているに過ぎない。
お店にも姉にも恩のある身だ。滅多に頼みごとをしない姉から頼まれれば、鈴華が断るような理由は当然無かった。
それに知らない相手ではない。
前に何度か同席したことのある、姉さんの特別なお人。
壬生狼らしくない壬生狼。
血の臭いが少なく、同行させる他の隊士も決まっていたから油断してしまったのだ。
周囲を警戒せず、招かれた座敷に入ってしまったから。
鈴華は奥の座敷で明かりも点けずに泣いていた。その心には憎悪と悲しみが、激しく渦巻いている。
出会ったことへの後悔。言葉を交わしたことへの後悔。そして、その思いに揺れている自分への憤り。
鈴華の心はいまにもはちきれそうだった。
「沖田君はもう帰りましたよ」
突然、山南に背後から声をかけられ、鈴華は咄嗟に懐に手を入れた。
鈴華がその手を抜くより早く、山南がその手を封じる。温和に見えても、さすがは北進一刀流の免許皆伝である。
「くっ……!」
「ここで騒ぎを起こすのはやめましょう。あなたもお店に居られなくなりますよ」
山南の言葉は穏やかだが、その裏に強烈な刃が見え隠れする。
彼もやはり壬生狼なのだ。
鈴華は抵抗するのは得策ではないと判断し、短く息を吐いた。
「あなたは宗次郎様と一緒にいらっしゃった方ですね」
「はい、改めて名乗るのも変かもしれませんが、山南敬介といいます。これでも一応、新撰組の副長を務めているんですよ」
両者とも言葉は穏やかだったが、緊迫した空気が間には張り詰めていた。
「そのような方が、私に何の御用ですか?」
「そうですね。あなたと、お話をしたいと思いましてね」
「私には話すことなどありません……」
鈴華は警戒しながら答える。その右手はまだ懐の中に入れられたままだ。
「そう怖い顔をしないでください。別にあなたの素性を追及する気はありませんから。それより……」
山南から殺気が消え、その表情が父親のような様になる。
「あなたは沖田君のことがお嫌いなのでしょうか?」
「えっ……」
鈴華は突然消えた殺気にも、その言葉の意味にも動揺し言葉に詰まった。
「すいません。性分なんですよ。こう、人を観察するのが……あなたの正体を暴くつもりはありません。僕が興味あるのは、あなたがどういう答えを出すかということです」
鈴華は、ますます困惑した表情を浮かべる。
「親心とでもいうんですかね。あの日出会った君達の姿を、もう一度見たいと願ってしまうのは……」
山南は悲しそうに笑みを浮かべ、沖田が渡し忘れていった着物を鈴華に手渡すと、それ以上は何も話すことなく、その場から立ち去っていったのであった。
山南の気配が遠のくと、全ての緊張が解かれたかのように、鈴華はその場に崩れた。
色んな事がいっぺんに起こった。
嬉しかった。
悲しかった。
温かかった。
苦しかった。
「私は……先生……」
祈るような言葉と共に、一滴の涙が鈴華の目から零れおちた。
× × ×
沖田はうなだれるようにして、一人夜道を歩き続けていた。
屯所に戻るというわけでもなく、どこかに向かうというわけでもない。あてもなく、ただどこかに向かって歩き続けていた。
胸が痛い。
それは病なのかそれとも、別の何かなのか。
咳き込めば、その掌が赤く染まる。
「あぁ……本当に僕の手は血塗れだ」
鈴華の心を救ってあげられない、そんな無力さが広がる。
沖田は足を止め、夜空を見上げた。
青白く煌々と凍えるような冷たい月が、輝いている。
その姿は、どこか鈴華の姿を沖田に思い出させ、さらにその胸を締め付けた。
× × ×
時を同じくして、山中でもその月を見上げる者がいた。
「こりゃ、まっこと大きゅうお月さんじゃ。隠れ鬼にはちぃーとばかし、不利じゃがのう」
その者は深く編み笠を被っており、顔は見えないが浪人のような風体をしている。
「いたぞー、あそこだー!」
幕府の役人達の声に、その者は軽く肩をすくめ、山道を駆け上ってくる松明を愉快そうに見つめた。
「おぉ、頑張っちゅうのう。幕府はせんばんと働きもんじゃ」
浪人は声をあげて笑うと、ひょいっと雑木林の中へ飛び込み、その姿をくらました。




