参ノ一
壬生寺に粉雪が舞う。
いつの間にか季節は移ろい、冬を迎えていた。
冷たい風に、逆らいながら壬生寺に足を運んだ沖田は、思わず羽織の襟元を合わせた。
駆け抜けていく子供達は寒さになど負けずに元気に走り回っている。
なんて羨ましい光景なのだろうか。
吐く息の白ささえ眩しく、渇望するように沖田は目を細めた。
寺に溢れるのは、子供達の歓喜の声。
屯所のほうから聞こえるのは、引越しの準備をする隊士達の声だ。
引っ越しといえば聞こえはいいが、追い出されるようなものである。いつになっても、新撰組は京では異分子でしかないのに。
沖田は重く濁った息を吐き、境内に腰掛けた。
結局、上がっていた反対意見を押しつぶして西本願寺への移動は決定されてしまった。
最後まで反対していた山南の背中が思い浮かぶ。
山南はここでも暮らしたいと思っていたのだろう。
壬生狼は京の人々に嫌われている。
いつかは江戸に戻るとしても、滞在する間良好な関係を築きたいと思うのは決して間違っていない。
だが、血に濡れてしまった隊の、全てを理解させるのが難しい事も真実である。いくら幕府の神輿を担いでいると言っても、歓迎されていないことは周知のことである。
「なあ、宗次郎。お姉ちゃん今日も来ないの?」
女の子の一人が、手鞠を持って心配そうに沖田を見上げる。
こんな幼い子に心配をさせるほど、今の沖田は弱って見えていた。
だが、彼は笑顔を被り繕う。
「さあ、どうでしょうね。こう雪が降ってしまっては出てこられないかもしれませんね」 「手毬歌の続き、教えて貰おうと思ったのにな」
女の子は残念そうに、他の子供達の輪の中へと戻っていく。
沖田も女の子と同じ淋しそうな表情を浮かべていた。
嘘をついていた。
いつか、こうなることは覚悟していたはずなのに、先延ばしにしていたのだ。鈴華が離れていく日を。
目を閉じれば、こんなにもはっきりと鈴華の姿が思い浮かぶのに、沖田は何も知らなかった。
彼女が誰なのか。
何処に棲んでいるのか。
普段は何をしているのか……。
本当に何も知らなかったのだ。
ここで出会っていた鈴華という少女は、毎日この寺に通っていたに過ぎない。
当然、次に会うような約束もなく。会うためには、毎日通い続けるしかなかったのだ。
その彼女が何の前触れもなく、ぱたりと姿を見せなくなっただけである。
来なくなったとしても、全く関係のないことなのだ。
きっと。恐らく……。
いや前触れならあったか。
沖田は深い溜息を吐きだす。
山南と山﨑。二人の新撰組隊士と邂逅したあの日から、彼女は姿を消してしまったのだから……。
沖田宗次朗が新撰組の沖田総司だと知った、半井とその娘の怯えた顔が浮かぶ。
「壬生狼、か……」
虚しく吐いた息が漂う。
成りたかった者は何だったのだろうか。侍ではないことは確かだ。
日野の道場で過ごした日々は、暖かく眩しくて。大好きな人達に褒めて欲しくて、剣を振るい続けていただけなのに。
沖田はボンヤリと新撰組であるという意味を考え、待ち人が来ないであろう境内に座り続けた。
それから数えて五日。
やはり鈴華の姿は、沖田の前に現れなかった。
どうして彼女の姿を探しているのか、そんな自分の心も分からず。ただただ心配する気持ちだけが、沖田の中で紡がれていくのは当然である。
「やっぱり……」
沖田は今までと同じように、浮かんでくる危惧を振り払う。彼女は、きっとまだ沖田が誰であるか気づいていないはずだから。
それからさらに鬱々と数日が経ち、八の日が訪れる。
沖田は迷うことなく、音羽の滝に向かった。
この日なら、お茶のために水を汲みに来るはず。この場所なら鈴華に会えると、そう思っての行動だった。
冬の気配に、山は空気も木々も寒さに染まっている。沖田の体には応える冷たさだ。
滝の手前に着いた沖田は茶屋に入り、鈴華の姿を探す。
次々と町娘達が音羽の水を求め、滝の元へとやってきた。
その度に沖田は鈴華の姿を探し、目をこらし続ける。
何人もの街娘が水を汲み、山を降りていった。沖田がふと気がつけば、辺りは既に夕焼けに染まっていた。
随分と人足も途絶え、風が刺すように冷たくなる。
「お客さん。すいまへんけど閉店の時間なんどすが……」
「あ、はい」
沖田は慌てて勘定を払い、席を立った。
茶屋は、そそくそと店じまいをはじめる。
それからさらに一時。
沖田は日が落ちきるまで、その場に佇んで待ち続けていたが、鈴華には会えなかった。
日の落ちた壬生の町を、沖田は一人歩いている。
その心は重く、ただ漠然とした不安が広がっていた。こんな物騒な御時勢なのだ、何か事件に巻き込まれたのではないかと不安になるのも仕方ない。
帰路を急ぐ子供達の笑い声が、妙に大きく響く。
気が付けば、辺りは良く見回りで通る長屋に入っていた。
「あら、あなた鈴ちゃんと良く一緒に居る……」
「はい?」
見知らぬ叔母さんに声をかけられ、沖田は不思議そうに振り返った。
「そうだ、あんたにお願いしたいものがあるんだよ」
誰だろうかと沖田が思考を巡らす間にも、叔母さんはいそいそと長屋の一つに入っていくと、その手に包みを持ち戻ってきた。
「これ、鈴ちゃんの着物なんだよ」
「鈴華の?」
「そう。代わりに取りに行ってあげたらさ、何も言わないで、突然引越しちゃうもんだからね。つい渡しそびれちゃったのよ。こんな高い着物、持っておくわけにもいかないし困っていたんだよ」
そう一気にしゃべると、叔母さんは沖田に包みを押し付けるように渡した。
「あの、引っ越したって……?」
「じゃあ、頼んだよ。あぁ、よかったよかった」
「あ、すいません……」
沖田が詳しく聞こうとしたときには、既に住人は家の中に戻ってしまっていた。
屯所に戻ってきた沖田は、何をするわけでもなく包みをもったまま縁側に座り空を眺めていた。
開いた包みの中身は確かに着物だった。
それもいつも鈴華が着ていたような、安価な着流しではなく、華やかな振袖。模様に金糸や銀糸が使われていることからも、高価な物であるのが一目でわかる。
盲目の長屋住まいの少女が持つには、不釣り合いな豪奢な着物である。
沖田の知らない鈴華の姿が、脳裏を過っていく。
彼女は盲目の、素朴で素直な少女ではなかっただろうか。
停止した思考は、ただただ美しい着物の模様に吸い込まれ消えていった。
「随分と綺麗な着物ですね。彼女への贈り物ですか?」
柔らかな声がかけられ、沖田はハッとしたように顔を上げた。山南がいつの間にか、正面に立っている。
「いえ、これは……」
説明しようとしたが、言葉が見つからず沖田は黙り込んだ。いや言葉が無くてという方が今は相応しいだろう。
山南はそんな沖田の心中を察し、優しい眼差しを浮かべそっと隣に腰掛け呟く。
「また、土方君を怒らせてしまいました。どうも彼と私は合わないらしい」
「……屯所の移転ですか」
「ええ。何度も説得したんですけどね、彼には伝わらなかったみたいです」
山南は悲しそうに笑みを浮かべた。
それは何度も見てきた顔の一つ。
諦めと羨望。
共にありたいという強い欲望と、同時に相いれないが故に許される立場の渇望。
土方を説得仕切れなかったことを後悔する、山南の顔は悲しみに濡れていた。
彼は土方の鞘になるはずだったのに……。
いや、なるべきだったのだろう。
「そんなことないですよ。土方さんは良く分かっていらっしゃると思います。それに山南さんの事を、いつも頼りにしていますし……」
「土方君が私を?」
「はい、当然じゃないですか」
きっぱりと言い切る沖田の言葉に、山南は素直に驚き目を丸くした。
「……ありがとう。嘘でも嬉しいよ」
「嘘なんかじゃありません。山南さんは、いつも隊のことを真剣に考えていて、今もこうして僕に声を掛けてくれたじゃないですか」
沖田は迷ったように、言葉を詰まらせる。
「それに比べると僕は……気付いてやることも出来なかったみたいです」
沖田は珍しく落胆した表情を浮かべ、膝の上の着物に視線を落とした。
「それは、その着物の方ですか?」
「はい。良くこの寺でお会いしていたんです」
山南の脳裏に、一度すれ違った鈴華の姿が思い浮かぶ。
「いろんな事を話しましたけど、僕一人が分かったつもりでいたようです。彼女が悩んでいることは、知っていたんです。でも、何も言わずに消えちゃいました」
沖田は笑みを浮かべた。
「そうでしたか……」
その悲しい沖田の笑顔に、山南は表情を曇らせ何かを思い出すように眉をひそめる。
「やはり、私は彼女を知っているような気がするな……」
「本当ですか。どこで、どこに彼女……鈴華はいるんですか?」
沖田は驚いたように山南に詰め寄った。
「沖田君、慌てないで。今、思い出しますから。名前は鈴華……鈴華さんというのですね?」
沖田は真剣な眼差しで頷く。
山南は鈴華の姿を思い浮かべながら、沖田の持つ着物を眺める。その着物にも見覚えがあった。
ぼんやりとしていた、記憶の点が結ばれていく。
「あっ!」
はっとした山南の表情に、沖田がくらいつく。
「思い出したんですか」
「あ、あぁ……」
そう頷く山南だが、どうも歯切れが悪い。言うべきか言わないべきか迷うように、口ごもっている。
「山南さん、教えてください」
こんな風に、沖田が剣以外で興味を持ったことはなかった。
山南は沖田の迫力に押されるように承諾したが、その内心は自ら変わろうとしている沖田の姿に喜んでいた。




