外套につつまれて
人の集まる場所というのは、とかく騒動が起きやすい。違う価値観を持つ者が集まるのだから当然といえば当然かもしれない。
私が知る限り、それはある程度の場合に限定できる。静寂を求められる場での喧騒、肩がぶつかったなどの喧嘩などがそれだ。
静かな場というのにも様々な種類がある。完全な静寂が求められる場ならまだ、その雑音の主が口を噤んだ瞬間、周りの静寂に気付けるから救いがある。うるさいことを周りに指摘されてもすぐに気付ける。しかし、静寂が求められる場とはそういう場合ばかりではない。具体例としてあげるのにふさわしいかはわからないが、火災報知器が鳴っている場面があるだろう。火災報知器の音が辺りを包む。静寂とは真逆の世界だ。館内放送があるのを静かに待つ。そんな場面。慌ててしまい、周りに話しかける人間が少なからずいる。黙ったところで、辺りはうるさい。そんな状態では、自分がうるさいということには気付けないのもやむを得ないのかもしれない。周りに注意されても、気が動転しているので、余計な火種が生まれたりするものだ。
そんな非常事態で説明するのも少しおかしいのかもしれないが、似たような状況はそこらじゅうに溢れかえっているだろう。喧嘩に関しても、諍いの開始は小さなことだったりする。先述の肩がぶつかったですら、ぶつかった瞬間に謝れば大きなことにならない。故意にぶつかったり、ぶつかったことに対していちゃもんをつけるなどとなれば話は別だが、どちらとて悪意があるわけではない、どちらも引けなくなり、如何ともしがたい状況になるから騒動になる。引くといってもそれほど極端なものでなくていい。ごめんなさい、と平身低頭謝るのでなく、無礼を詫びればそれでいい。少しでも相手を不快に思わせたのならそれは無礼だ。いちいち謝ってしまっては人生は世知辛くなってしまう。しかし、間違えない折れ方というものは公共の場へ出る以上、知っていなければならない。
もちろん騒動の中には他の場所での因縁が爆発してしまうものもある。推理小説の殺人事件などはそういう類の物だろう。そういったその場にいる誰もに認知されるような、まさしく騒ぎならばいい。今、私はもっと静かな、騒いでもどうにもならない問題に瀕している。いざ帰る段になって、着てきたはずのコートがなくなっていたのだ。もちろん、ここで私が騒げば騒動になる。実際にそういう選択をする人もいるだろう。しかし今、騒いだところで、私のコートが返ってくるわけではない。もうこの場にいた大方の人は帰ってしまっていた。元々、かなり年季が入っていた。余程私に私怨のある人でもなければ、盗むようなものでもない。おそらく間違えて持っていかれてしまったのだろう。それに場所が場所だ。公民館で開かれている、地域の忘年会なのだ。すっかり隣近所の関係が薄れてしまったと言われる現代において地縁を大切にするというのは、古き良き習慣なのか、時代遅れの面倒な行事なのか、様々な見解が出てきそうなところだ。私も引っ越してきたばかりの右も左もわからなかったときによくしてもらった恩義がなければ、たとえ教えられても知らないふりをしたまま、年の瀬を過ごしていただろう。世話好きで忘年会について教えてくれた小母さんもとうの昔に帰ってしまっていた。
今、この公民館に残っているのは、この会の実行委員の人たちくらいだ。地域をさらに十に分けた地区からそれぞれ一人ずつ、合計十人で組織されていた。知っている人は一人もいない。私の住んでいる地区から出てきた人が誰かもわからない。ラックの前で途方に暮れていても仕方がない。忙しなく片付けをこなしていてたまたま私の近く通った人にコートがなくなった旨を告げる。その人は私の状況に同情の言葉をかけてくれてから、足早に去っていった。どうやら他の実行委員に私の状況を共有しているようだった。その実行委員からまた別の実行委員へ、伝言ゲームのように私の情報が伝わっていく。些事なのでわざわざ全体の動きを止める必要もないのだろう。たびたび飛んでくる、話題の主へと向けられる視線をムズ痒く感じながら、持ち主不明のコートが出てくることを静かに待っていた。今は冬真っ盛りだ。地球温暖化だ、暖冬だ、と騒がれていたとしても、やはり寒い。それももう日が暮れてからだいぶ時間が経とうとしている。コートを着て帰ることを見越していた服装には非常に応える厳しさだろう。人の物だから気色悪いということなど気にしていられない。寒さに耐えるための防具がどうしても必要、というのが私の結論だった。
どうやら、実行委員全員に私の事情が伝わったようだ。それほど、実行委員自体は多くはない。大きな声でも出せば届くだろう。なんとなく一人一人に伝言されていくさまは滑稽だった。そんなことを考えられるくらいには心の余裕が残っていたようだ。
副実行委員長が話しかけてきた。もちろん、なんとなくの記憶なので、間違っているかもしれない。しかし、入場したとき、会の進行中、そして片付けに関してと、何かとセカセカと世話して回っている。忘年会の最初に長々とした挨拶をした人の役職が実行委員長だったはずで、この人ではない。この人が副実行委員長だというのは、かなり確信には近い推測だ。
「外套をなくしたってのは君かい?」
文節ごとに間がある、それでいて早口な話し方だった。私はとりあえず頷いたが、しばらく「ガイトウ」がなんのことかわからなかった。ガイトーという言葉だけがまず頭に浮かび、該当、街灯、外灯などの漢字があてられるなかで、ようやく「外套」という字にたどり着いた。
私が「ガイトー」の意味を考えている間にも片付けは進んでいく。地域と言っても小規模なものである。十人もいればすぐ片付く。実行委員のメンバーも最後の問題を解決するため、私の周りに集まっていた。喧々諤々の議論が巻き起こったなどということもなく、誰かがなんとなく口走った、皆がそれぞれのコートを回収して残ったものがあれば、私がそれを着て帰ればいいという結論になった。私も他に適当な方法を思いつかなかったし、異論を唱える必要もなかった。実行委員が自分の上着を回収していく。一人一人、ハンガーラックから自分のコートを外していく。途中で私は嫌な予感がした。まだ取っていない人数とハンガーラックに掛かっているコートの数が一緒なのだ。間違えて持っていたのではなく、何も羽織ってこなかった誰かが、自分は羽織ってきたものと錯覚して、着て帰ってしまったのか。肝が冷えていくのがわかった。後、一枚。取っていないのは一人。私は自分の運命を呪った。しかし、最後の一人は、初めから厚着でそれ以上は着てこなかったらしい。取らずにじっとしていて、同じように疑問に思って尋ねた他の実行委員にそう答えていた。それ以外の全員は上に一枚羽織ってきていた。
残った一着は、インバネスコートだった。シャーロックホームズが着ているので有名なそれだ。良いものであることはファッションに興味がない私でもわかる代物だった。私の安物のダッフルコートが、上品なインバネスコートに化けた。コートをなくした災難が幸運へと変わった。
もちろん、そうも言っていられない。持ち主はまず間違いなく、気付いた瞬間慌てるだろう。さまざまな手を尽くして見つけ出そうとするだろう。私も家までの帰り道を寒い思いで過ごすことだけ避けられればいいと思っているから、そうなれば、元の持ち主に返すべきだと考える。それはここにいる全員の認識のようだった。
必ず後日公民館に連絡するように、と念を押され、実行委員全員に見送られながら私は会場を後にした。羽織ったコートの自分のジャケットとの不和に微妙な不快感を覚えながらも、風を見事に防いでくれるコートの優秀性に感動しながら、夜道を歩いた。道すがら、わらしべ長者の話を思い出していた。道端に寒さに震える子どもがいて、その子どもにこのコートを渡したら、何かをお返しでもらって、そのお返しをまた誰かと交換して。交換する相手に多く出会えるように少しだけ人通りの多い道を行くか、はたまた近道の畦道を行くか。普段は何も考えずに通る道も、今は重要な人生の分岐点であるかのように考えていた。
結局、これといった出会いもなく、私は無事、家に到着した。インバネスコートをいつもより慎重に、タンスにかける。自分のものなら多少乱雑に仕舞っても気にしないのだが、他人の物となると、どんなに丁寧に仕舞っても、妙なシワがついてしまいはしないかと妙な心配をしてしまう。
私は既に仕事納めをしていたので次の日は休みだった。しかし、カレンダーは平日なので公民館は動いているらしい。私は公民館に電話をかけ昨日の話を告げる。公民館職員も慣れない事象なのか、電話の相手がこういった対応に慣れていないだけなのか、少し要領を得ないまま、とりあえず持ち主が見つかったら連絡をもらう、ということで落ち着いた。当面は、と言ってはなんだが、随分前の彼女との思い出の詰まったジャケットがある。なかなかの優れものでこれでも寒さは凌げるのだ。何かあったときの予備用、なんて未練がましく捨てられずに持ち続けて、再び日の目を浴びる日が来ようとは思わなかった。
カレンダーの赤くない休日というのは不思議なもので、お昼を過ぎてくると手持無沙汰になる。平日には、休日になったらあれをやろう、これをやろうといろいろと考えているのに、いざ休日になってしまうとやりたいことがなくなる。たまの休日ですることも思いつかなければ、することと言えば惰眠を貪るのが定跡だろう。再び寝ようとすると携帯電話が音を立てた。見知らぬ番号からの着信だ。公民館からにしては早すぎる。変な電話でないことは動物的本能で感じた。怪しい電話でないのだがやはり緊張はする。二度深呼吸をしてから通話ボタンを押した。こちらがもしもしと態勢を整えているうちに電話口から名乗られてしまった。しかも、名乗るスピードが早くて名字がうまく聞き取れなかった。相手が誰かはわからなかったが、聞き覚えのある声だった。私は相手の正体を探るため、相手の言葉に耳を傾けた。「今、暇かい?」や「地区の仲間で集まってね」といった会話の節々にヒントが隠れているような気がしたからだ。喋り方の特徴は早口、文節の間は長い。その結論に達したらすぐに正体が浮かんだ。忘年会の副実行委員長だ。外套に関しての情報かと思ったら、そうではなく麻雀のお誘いだった。私の電話番号を知っていることが不思議だったが、忘年会の受付で住所やら電話番号やらを書かされた。そこで得た情報を転用しているのだろう。法律で考えれば引っかかるところもあるが、地域の忘年会があるくらいだ。連絡網くらいに考えているのかもしれない。麻雀の誘いとあっては断れない。学生時代、徹夜で麻雀に興じたこともある。参加を承諾し住所を聞いて出る準備を始めた。やはり早口なので、聞き逃さないようにするので必至だった。
行くまでの間は、不安だった。およその位置は確かに電話で説明された。しかし、元々住宅街である。似た住宅が並んでいるので、説明で候補にあがった家が数軒ある。一つひとつ呼び鈴を鳴らすわけにもいかない。日頃、そのあたりを通ることがよくある。最寄りのスーパーへの通り道だからだ。名字を言われたところでどの家がその家なのかわからない。猪突猛進突っ走っているわけではないから、表札だって視界には入っているはずだ。しかし、心には届いていない。ほんの少しだけ覚悟をして私は家を出た。
不安材料として名字が不鮮明だったこともある。電話をかけてきた相手というのが、タノウさんなのだ。私はその名字を目にしたわけではない。先の電話以外では、実行委員同士の会話だけでしか名前を聞いていないのだ。私は「田生」という漢字を推定している。しかし、タノウさんは文節で間延びする喋り方が特徴なのだ。喋り方の癖で、本当は田野なのに田生と聞こえたとか、田上というのを省略して仲間内では呼ばれているということもあるかもしれない。あだ名で呼ばれ続ければふとした瞬間の自称がそうなってしまうこともないわけではない。私への電話だって公式の場とは言い切れない。うっかり普段の言い方が出てしまったのかもしれない。似た名字の家が並んでいたら途方に暮れてしまいそうだ。
家を出るときの覚悟をあざ笑うかのように、その家はすぐ見つかった。表札がかなり大きく出ている。候補にあげていた家全部がそうだっだ。同じ苗字の片方の家にだけ表札があり、表札がないほうが正解だった、なんてことも心配ではあった。ここまでくれば、もはや心配しすぎなのも承知なのだが、それでも万が一は考えたい。現実はそんな不安とは程遠く井上さんと稲葉さんの間に「田生」という表札があった。珍しい名字は特定の地域で多いことが多いが、そういうわけでもないようだった。候補の家すべてで名字が違った。呼び鈴を鳴らすとドアの向こうが少しだけ騒がしくなってから、さっきの電話の相手が出てきた。
家にお邪魔すると、すでに先客がいた。顔に見覚えがあるということは、実行委員だろう。話を聞くともともと集まって麻雀をしていた。しかし、一人が帰ってしまって、まだ続けたいが、三人での麻雀には抵抗があるらしく、新たな四人目として、忘年会で出会ったニューフェイスの私を思い出した、とのことだった。ダメもとで連絡してみて今に至るのだ。
先ほどまでいた人の後を継ぐだけだ。つまり準備ができているので早速始まった。皆が皆、下手の横好きといった感じだ。捨て牌からもそれがわかる。自分もまた同程度の実力なので、だからといって対策して圧勝といかないのが悲しいところだ。麻雀も真剣ではなく、雑談をしながら楽しんでいる。麻雀は頭を使うからボケ防止になるんだ、と先客の二人が楽しそうに言う。田生さんは聞き役に回っている。よくしゃべる割には、名前は出てこない。だから私はこの二人の名前がわからない。わからなくともなんとかなっているので、聞ける空気にはならない。おそらく二人も私の名前を把握してないと思う。驚いたときの口癖が「あだー」なのでアダさんと、牌を持つときホッと必ず掛け声を出すのでホウさんと呼ぶことにする。話が終わったとき、顔を向けられた人間が次にしゃべる。そんな感じで会話が続く。名前を呼ばなくともそうやって会話が進行していく。相手を指名する必要がない。会話が切れる唯一の方法が鳴くことなくらい会話は途切れなかった。
「ところで君は普段何をしてるんだい?」
半荘が終わって一息ついて油断していたところに痛い質問が飛んで来た。何をしているとはつまり職業を聞いている。春に大学を卒業した。就職活動は全滅だった。一社だけアルバイトからなら、と雇ってくれた会社があった。今はそこに勤めている。しかし、今そこで正社員になれるまで待つかどうか考えている。仕事自体は好きなことなので正社員になれるならなりたいのだが、正社員になると付き合わなければならない上司がどうにも性に合わない。それなら今の経験を活かせる、もっと人間関係が友好的な同業他社を探してもいいと思っている。ここしばらくの悩みなのだ。答えないわけにもいかないと思い、会社名だけを告げた。すると、アダさんから意外な答えが返ってきた。
「ああ、米長さんの息子さんが勤めてるところかい?」
まさしく先ほどの上司と同じ名字で驚いた。上司のことだ。私は直感した。この年代からみれば、あの人は息子という年齢でもおかしくない。
「多分、そうです」曖昧だが、詳しく聞いてあの人のことを思い出し、不快になるのも嫌だった。私は弱く返すことしかできなかった。
「米長さんかあ。それなら息子も、あの人に似て、とっつきづらいんだろうなあ」ホウさんがうなるように言う。そもそも米長さんが誰かわかっていないで話を進めていた。話は強い方言を伴って進行していく。ネイティブでない私には聞きなじみのない言葉も交じっている。その意味を類推している間に話題は進行してしまう。つまり、言葉を挟む余裕がない。
「米長さんの家わかるかい?」不意に、田生さんが私に話を振った。
「い、いえ」急に振られて驚いて、とりあえずの意味で知らないという意思表示だけする。
「あだー、本当かい」
「公民館とケーキ屋のちょうど間くらいの家の……」
そんな二人の少しずつ出されるヒントで、ようやく米長さん宅のおおまかな場所がわかった。その地区特有の地名がある。本当なら私ももうわからなければいけないのかもしれない。新参者であることには変わりないが、もう十分この土地の地形は覚えている。
「忘年会のとき実行委員だったよ」
話が一瞬止み、田生さんが言葉を繋ぐ。言葉数は少ないが、的確な情報をさっきから私に提供してくれている。全体を見る力に長けているのだろう。その割りにさっきの麻雀は焼き鳥になっていたが。
「あー、そういえば、そうだな」
「あんときのコート、てっきりあの人のだと思ってたんだよなあ」
「ああ、わかる。あの人ああいうコート持ってた覚え、俺もあるもん」
あの時のコートとは、すなわち、私が着ていったコートだろう。確かに、違和感があった。厚手の服をすでに纏っていたとはいえ、コートを羽織るのがこの時期の常識だ。実行委員の人々はお世辞にも若いとはいえない。そういう意味では体調管理という意味でも尚更だろう。
「行ってみます」私の口から自然と出た言葉だった。確信はないが、あのコートはあの人の物な気がする。どうして、自分のものでないと言ったのか、理由はわからない。行けば解決する気がするのだ。インバネスコートを羽織るシャーロック・ホームズよろしく私は名探偵の心境だった。
言葉の中に、機会があれば、というニュアンスを込めたつもりだった。今はまだ麻雀の途中だったし、中途参加した人間が用があるからと早々に帰ってしまうのはまずいだろう。しかし現実には、今から行くという意味で捉えられてしまったようだ。
「今の時間なら庭先に出てるからすぐわかるかもしれないな」なぜ今の時間にどこにいるのか言っているのか、私には違和感だった。違和感の理由に気付いたのは雀卓が片づけられたからだった。面子が足りなくなっては、これ以上続けてもしょうがない。私が来る前から三人は麻雀で打っていた。既に飽きていたのかもしれない。それに各地区からの代表だ。家もそれなりに離れているのだろう。それならば、渡りに船で帰る口実になったのかもしれない。彼らにとって、新たな麻雀相手が見つかったということが今日最大の収穫であったこともある。私が電話越しでできないと言ってしまえば、そもそもこの会はお開きだった。お開きにするにはなんとなく物足りなかったから、ダメ元で確かめてみたといった感じなのだろう。
さて、こうなると行くしかない。それならば私は一度家に帰らねばならない。コートの主に会うならば、当然持って行かなければならない。確かに、私のコートはなくなる。しかし、返さなければならない。
コートを丁重に扱い、しかしそれでいて、慇懃無礼にならないように扱いながら、持って行く。あまりに丁重すぎると汚物を扱っているようにも見えるから注意が必要だ。とにかく相手の性格が見えないのが私を不安にさせる。
辺りは少し暗くなっていた。冬は日没が早い。それでもまだまだ、訪問に無礼な時間ではなかった。寒いのだが正装に近いコートがない。寒くなりきる前に帰ってこれるだろう。私はそんな甘い考えで、厚手のジャケットという一応の防寒を施して家を出た。コートの主と思われる人のお宅に向かいながら、様々な考えが頭に浮かぶ。いざとなるといろいろなことに気付くようにできている人間はつくづく不思議だ。
コートをクリーニングに出せばよかった。まさかこんなにすぐ持ち主が見つかるとは。そしてすぐに会いに行かなくてはならなくなるとは。しかし、もしクリーニングに出していたとしたら今手元にあったかどうかわからない。持ち主だと判明してからクリーニングに出すと言って預かってもいいのではないか。あなたのだったんですね、クリーニングに出すから預かります。そんな話は聞いたことがない。第一、使ったらすぐクリーニングに出すのが、他人の物とわかっているならマナーなのではないか。そういうことにうるさい人だったらどうしよう。さっきの話では、とっつきづらいとのことだった。とすると、所謂頑固親父なのかもしれない。そういえば、見た目もそんな感じだったなあ。
これが一周。文字にすれば長いが思考なので一瞬の出来事だ。十分から十五分。おおよその目安としてそのくらいだったが、いつもその道を歩くときより、遥かに遠い道のりに感じられた。普段通るときは、ケーキ屋の看板娘を目の保養と見に行く。つまり、心の軽さがまるで違う。暮れなずむからだいぶ進行した空が不安感を駆り立てているのかもしれない。
ついに見えてきた。確信はないが、あのくらいしか候補の家はない。近くにあるのは、小さな商店ばかりなのだ。民家といえば、あの家しかない。そして、特徴として教えられていた青い屋根。正門の柵。正門からそれほど離れていないところにある勝手口と思われる木戸。どれ一つ違ってはいなかった。ああ、このまま通り過ぎてしまおうか。実際、今は暗がりだ。気付かず通り過ぎてしまうことだってあるかもしれない。ケーキ屋の看板娘を一目見るなんて用事がないわけではない。少しずつ足が重くなってきた。歩くペースが遅くなっている。小学六年生のとき、登校班の班長として前を歩くとき、一年生の歩幅を気にして歩いていた。そのころのことがフラッシュバックした。
「ああ、いらっしゃい」不意に後ろから声をかけられ、軽く飛び上がった。さっきまで足が重かったとはなんだったのだろう。飛び上がれたではないか。飛び上がると同時に熱さが込み上げてきた。急に話しかけられた驚きと、込み上げてきた暑さとで、私は寒いのに汗が出てきた。つくづく人間の身体というものは不思議だ。
私は登校班で歩いていたはずだ。辺りもこことは違う。あれはいつの日の回想だったのだろう。すれ違う人もいなかったし、車もこれといった特徴を見いだせなかった。歩道と車道がきちんと分けられている道路なので、それほど車に意識がいかないのだ。現実に戻ってみれば狭い路地だ。後ろから声ではなく、車のクラクションが聞こえていたら危なかった。車が通るのも珍しい場所だが、このあたりに用がある人ならここを車で走る。咄嗟に避けられるほどの幅がない。お店の軒下とでもいえばいいのだろうか。少しだけ高くなっている入口部分に飛び込む。ときに見せの奥から迷惑な雰囲気を感じる。癪に障るときもあるのだが、入口を塞いでいるこちらにも非があるのだから仕方が無い。
回顧から戻って振り返ってみれば、おばちゃんと言う言葉がぴったりな婦人がそこにいた。なぜ、いらっしゃいと声をかけられたのかわからなかった。
婦人は足早に私を追い抜き、勝手口らしき部分から青い屋根の敷地に入る。あの家の人だった。すると奥さんだろう。
奥さんに呼ばれて旦那さんが現れる。まさしく、あの忘年会の実行委員で唯一コートを羽織ってこなかった人だ。いや、その認識はそろそろ訂正されることになるだろう。
「おお、あんときの坊やか。珍妙な恰好だなあ」
私は二十歳は過ぎている。それなのに、坊やと呼ばれたことに少し戸惑ったが、まあ、気にしないことにした。
「この寒いのに、コートを着ないで手に持ってるだけってのは、最近の流行なんかい?」米長さんがなおも話し続ける。
「返しに来ました。その節はありがとうございました」
私はコートを差し出しながら、そう言った。コートを持った手は汗で蒸れていた。緊張と、コートの保温効果とでかなりの効果がある。
「はっはっはっは。誰から聞いた?」ほっそりした体型なので、それほど豪快という笑い方ではないが、芯の強さが伝わってくる笑い方だった。
「誰ということはありません。コートを着てこなかったのがすごく引っかかっていただけです」私はここで、二人の名前を聞き逃したことを思い出し、少し困った。誰という問いを、なぜという答えで返すことで話を逸らすしかなかった。
「まあ、立ち話もなんだ。ちょっと上がってけや」
私の本音を知ってか知らずか、米長さんは私を家に招き入れた。日がさっきよりも沈んで、肌寒いという限度すら越えてきていた。コートがあるのに羽織れないというのは、拷問に近かった。
家に入ると、暖房の効いた接客間に案内された。この家の主の対面に座らされ、会話の糸口を考えていると、奥さんがお茶を持ってきてくれた。
「飲んでくれや」
促されて、私はお茶を口に運ぶ。
「予想通り、それは俺のものだ。いや、物だったと言わなきゃいけないな」口火を切ったのは相手からだった。湯呑を口に近づけたばかりだったので、今言葉を発すれば、お茶が零れる。仕方がないので、相手の目を見て頷き、話を前に進めようとした。
「なんであのとき、俺のじゃないって嘘ついただって思ってるんだろ?」私が聞きにくく、どう尋ねようか考えていたところをズバズバと語ってくれる。おとなしくしているつもりはないのだが、なんだか借りてきた猫みたいになってしまっている。家にお邪魔してから、私は一言も発していないのだ。
「俺と坊やだったら、坊やのほうが薄着だったし、坊やは客人だからな。困ってる人を助けるのは人間として当然だろ」
嘘も方便。その言葉が私の頭に浮かび口走ろうかとも思ったが、タイミングは既に去った。嘘をついたと言ったときに返せば賛同の気持ちを込められるが、今のタイミングで言ってしまえば侮蔑のニュアンスすら感じられる。前者に対してなら、嘘も方便という言葉もあるから気にしなくていいという心情を伝えられる。しかし、後者に対してなら、美化してますがさっき嘘をついたことを白状したわけですし、その言葉の中にも嘘があるかもしれませんね、なんて捉えられかねない。少し考えすぎな気もするのだが、それでも、近所では堅物と評判の人物だ。用心に越したことはないだろう。
「さて、それどうする?」
コートの主がコートを指さしながらそう言った。
「一度俺は所有権を放棄してる。もう坊やのものでいいってのが俺の本音だ。ただ、わざわざ返しに来たんだから、それを無下に持ち帰れという気もない。選んでくれ」
「お返しに来たのですからお返しします」やっと私も気持ちを伝えることができた。伝えたい言葉をきちんと伝えることができたのだ。名言を吐く主人公のように晴れやかな気分になった。
「しかし、坊やのコートはなくなったままだろ。大丈夫なのかい」
私の心にまた風が吹く。かっこよく返すままでは済まなかった。相手の厚意のそもそもの理由である私のコートの紛失自体がまだ解決していなかった。
「大丈夫です。寒いのには慣れてますから」
「痩せ我慢はよくないぞ。さっきだって、寒がってただろう」
なかなか格好がつかない。素直に受け取ってもいいのだが、一つ懸念があった。
「本当に大丈夫です。まだ若いですし。私に大事なコートを渡したせいで体調を崩されてはいけませんし」
なぜだろう。私は焦っていた。今の状態を水掛け論だと思い、終いに待ち受ける喧嘩という結末を恐れて、結論を急ごうとしてしまった。そして、一番気を付けていた若いという単語を使ってしまった。人を年寄り扱いするなと、怒号が飛ぶことを覚悟した。
「ハッハッハ。年寄りじゃないという気はないが、まだまだそんな年じゃない。気にするこたあない」
私の中にあった何かが切れた。怒りではない。おそらくはなんとなく感じていた緊張だろう。相手の善意に甘え、見つかるまでの間だけ貸していただこうかな、と口に出そうとしたそのときだった。
「父さん、客人かい」
どこにいたのかはわからない。家主の息子が顔を出した。私はその顔を見て、思わず声をあげそうになった。その息子というのが、田生さんの家で語っていた通りの人物だった。もしかしたら、と考えることはよくある。しかし、まさか本当にその通りになるとは誰も思わないだろう。
すなわち、私の上司。いや、正確に言えば、私の上司の上司だ。直接な関わり合いは少ない。しかし、何度か顔を合わせている。私のことを覚えているかどうかははっきり言ってわからない。五分五分といったところだ。
「お邪魔しております」
無数の挨拶が頭を巡り、最もふさわしいと思えた言葉を告げる。上司の視線がこちらに向く。
「あ、どうも」
そう言いながら、上司の視線は私から離れない。どこかで見たことがある、と記憶をたどっているのがわかる。普段と私の格好も違えば、自分の親と部下の部下が話している状況だ。こんな場面を想像することは不可能に近いだろう。
「いつもお世話になっております」
記憶が定まらないうちに、私が先制で正体を明かす。名前を告げたところで、わかってはいないようだった。そちらのほうがこちらとしても好都合だったりする。
「ん、なんだ。知り合いなのか」上司と二言三言会話を交わしたところで会話に置いてけぼりにされた家主が聞いてきた。
「ああ、俺が一番期待している部下のところのアルバイト」
その紹介が私にとっては以外だった。私の上司であり、この人にとっては部下の人物を、この人はいつもきつく叱りつけている。アルバイトの身分からすると、それはいじめに近いものに見えた。当事者になりたくないと思っていた。
しかし、今ここで嘘をつく必要はないだろう。きつくあたっていたのは、期待の裏返しのようだった。不思議なことに、今までこの上司に感じていた嫌悪感が嘘のように消えていった。
そうなってしまえば、もはや恐れることはない。恩人と、その息子である。近所で有名なとっつきにくい人と、嫌味な上司ではない。先ほどまではすぐにお暇したかったが、今は帰るのが惜しいとさえ思うようになった。
「ところでその彼がどうしてここに?」上司の疑問は至極当然だった。
「お前と違って、この子はきちんと忘年会に来たんだよ。まったくお前は昔から……」すぐに恩人が返したので私は黙っていた。最初は説明だったが、だんだんと息子への説教になっていった。親は地区の行事に出席した私のことを褒め、関わろうともしない息子を叱った。
「まったく俺は仕事が忙しいんだよ」
「同じ職業じゃないか」
「立場が違いますよ」
同じ職業と言われて苦笑し、思わず口を挟んでしまった。中間がつくとはいえ管理職と、吹けば飛ぶようなアルバイトである。いや、いずれはこの人の下で働く正社員になるつもりではあるのだが。
そのあとも少しだけ子に対する親の説教が続いた。叱り方は遺伝しているのだなと思った。確かに言葉自体は厳しいのかもしれない。しかし、その中に悪意はない。私はおそらくいつも通りの親子喧嘩を眺めながら、上司の叱り方が実は厳しいわけではない、ということを理解した。そうすると、私の悩みが完全に氷解した。
「あ、思い出した。年末にコート置いていってたよ、君」上司も記憶のわだかまりが解けたようだ。
突然そうつぶやいた。何を言っているのかわからなかった。
「最終営業日に事務処理手伝いに行ったら、先に帰ったでしょ。電車の時間が、とか言いながら」
そうだった。思い出した。忙しそうな上司の手伝いをしようかと思っていたところへ、この人が登場したのだ。善意でお手伝いをしているのに、嫌な思いをするのも癪なので、帰ることにした。なるべく関わり合いになりたくなかったから慌てて帰ったのだった。
なるべく慌てているふうを装いたかったので、落ち着くときには身体が火照っていた。暑いから、コートがないことに気付けなかったようだ。
いや、それも違う。きちんとした記憶が蘇った。コートがないことには出てきたときに気付いた。しかし、戻るのは嫌だった。理由は言うまでもないだろう。忘年会に行くときはしっかりと覚えていた。しかし、浮き世を離れている間にすっかり忘れ去っていたのだ。そして、新たなコートについて頭を取られたので、もはや思い出すことができなかった。まるで、記憶に蓋でもしまったようだが、それが事実なのだ。人間の記憶とは実にご都合主義なのかもしれない。
「はっはっは。それなら返してもらっても大丈夫かもな」米長さんが静かに言った。
「その節はありがとうございました。私も用事が済んだので、それそれ失礼させていただきますね」
「そうだな。こんな偏屈ジジイのところでよかったら、また遊びに来いよ」
「はい」私は返事をしてから、帰り支度を始めた。帰り支度といっても、借りていたコートを丁重に置き、忘れ物がないか確認しながら、玄関へ向かうだけなのだが。
「また、来年もよろしくな。あいつも期待してるみたいだから」
「はい。来年もよろしくお願いします」上司からの期待の言葉を受け、私はきちんとした、それでいて大きい礼をして、家を後にした。防寒具を纏っていないので身を切る寒さは堪えたが心は温かかった。私は思い切って走ることにした。