血国編 第6話
※本作は架空世界を舞台に、情報と記憶を巡る群像劇です。
※暴力・政治的描写を含みます。
情報屋たちが部屋を後にしてから数分後、燐がやって来た。
「情報屋の皆さんはお帰りになりました。…有意義な時間、でございましたか?」
久しぶりに燐が心配そうな顔で様子を伺ってくる。
「ああ、そうだね。世の中は広いな」
「何よりです」
「彼奴らにはどのツテを使って接触したんだい?」
「表裏競売という、情報の売買をする場がありまして、そちらから」
「へえ。そこにはどんな情報が?」
「おそらく、ありとあらゆる情報が」
「へえ、見てみたいな」
「駄目です」
食い気味に侍従に否定をされる主人は、この世に何人いるのだろう。
「なんで?」
「旦那様にはリテラシーというものがないからですよ。あれは沼にございます。気づいた時には取り返しのつかないことに…なんてことが起こり得ますからね」
いや、私のことを許すだろう?何せ私は、狂うている。
「見せて」
この一言だけでいい。
「…しょうがないですね」
本当の主従関係は、最初から私たちの間にはない。
私は許されてしまう。情報屋が言った通り。
「ありがとう」
燐は自身の携帯を取り出し、何かのサイトにアクセスした。
『表裏競売』と書かれた画面を、私に見せる。
「まあ座ってよ。過去のログはどこに?」
一度燐に携帯を渡す。
私は許される。禁書区域に侵入しても罰せられない。
私は許される。家格や血が重視されるこの国で、不敬な態度を取っても罪には問われない。
狂うている。それだけで許される。
操作が終わり、また携帯を寄越す。
「これがログです。見た感じ、情報屋は管理者権限からこちらに連絡をしているようですね」
ふぅん。つまりはこの表裏競売の中を自由に動けるのか。
「で、情報収集と題した燐からの依頼に食いついて来た、と」
それにしても、今このタイミングで、よくもまぁここにいたな。偶々なわけがない。
…狙われている。どうやって燐と、そして私と接触できるよう動かした?
「そういうことになります」
燐は目を伏せたまま、座っていた。
狂の君と言われたのは今日。それも直接会話したことのない冥道からの言葉だ。情報が外から流れている、と考えた方が自然か。
「燐。この表裏競売で、今日ここに来た3人が何者なのかを調べてほしい。さっきちらと目に入った。得られない情報はない、と。情報屋に関する情報を集めてほしい。神のパラドックスというやつだ」
「かしこまりました」
燐はそう言って席を立つ。
「待ってくれ。もう1つお願いがある」
「なんでしょうか」
「私の情報は、少なくとも情報屋に漏れていた。血国内部に内通者、もしくは関係者がいる可能性が高い。調べてくれ」
「かしこまりました」
燐はそう言って、使い終わった食器を盆に乗せ、応接間から出ていく。楽しい。楽しすぎる。
楽しすぎて狂うてしまうのも忘れてしまうぐらいだ。
燐がすぐに戻って来た。
「陛下からの遣いが、こちらに到着いたしました。お通ししても、よろしいでしょうか?」
「嗚呼、そうだったね。今日は色々なことが起きるね。そうだね、お通しを」
お前が起こしたんだろう、と言わんばかりの目つきで私を見る。
ソファに身体を預ける。
私のこの体質に気づいたのは、いつだったろうか。
何をしても許される。こんなに魅力的で恐ろしいことはない。あの子は狂うていると思われるだけで、その場の全てが許されてしまう。唯一、血国出身ではない燐だけが、私を許さず、叱ってくれる存在だった。
ーでも、もう燐も、私の全てを許し始めている。
私が狂うていると知っていれば、私を許してしまうのか?わからない。この力が、なんなのか。
ー情報屋なら、知っているのか?だがそれを知ったところでどうしようもない。それに、これは私の根幹。売る筋合いは、ない。
こんこんこん
ノックが鳴り、静かに扉が開く。雨で少し濡れた肩。2人。遣いは、
ーー冥道と陛下本人だった。
流石に立ち上がる気にはなったが、身体が言うことを聞かなかった。
「陛下、それに冥道公。このようなところにわざわざお越し頂くとは。いやはや、遣いに拘束されるかもと冷や冷やしておりましたので、何故か少し安心しました」
扉の近くでは燐がばたばたと、立って挨拶しろというジェスチャーをしている。
「突然押しかけてすまないね、狂の君。陛下が是非ちゃんと話をしたいと申していたのでお連れしたんだ」
へえ、陛下が。
「左様でしたか。それはとても、光栄にございます。おかけくださいませ。雨に当たりましたでしょう。すぐに温かいものを持ってこさせます」
ばたばたしている燐に目配せをする。私をきっと睨み、一礼して部屋を出ていく。
冥道が先に陛下を通す。テーブルに積まれた乱雑な本の山を一瞬気にする素振りをした。
「…狂の君。随分と勉強熱心のようだな」
「ええ、これくらいしか、やることがございませんので」
「ほう、それは批判かな?」
「いえ、事実を伝えたまででございます」
冥道が私を睨む。1日にそう何度も違う人に睨まれたくないものだ。
「冥道」
陛下が口を開く。はっ、と小さな声で返事をする。
「喧嘩をしに来たのではない。ただのお茶会だよ。招かれていないけれど。噂に聞く右狂公がどのような人物なのか、さっきはあまりにも短い時間だったからね、知りたいのだ」
陛下はしげしげと本を見つめる。
「なにか、この積まれた本から収穫はあったかい?」
…かましてみちゃうか?無造作に置かれた本の背表紙を見つめる。
「ええ、ございました。この血国のあらまし、分岐戦争の末、何が起きたのか、今一度ご歴々と議論したいなと思うておりました」
ふむ、と陛下は口元に手を当てる。
「具体的には?」
一拍置く。
「なぜ、諸国からの情報統制を黙認しているのか」
がたっ、と冥道が議場での私のように立ち上がる。
「貴様、どういう意味だ。何を知っている」
なんだ?この焦りようは。
「いえ、先にある者たちから聞き及んでおりましたので。他国からの外交使節と聞いておりますが、ちらとそのようなことを申しておりましたので」
冥道の顔色がみるみると変わっていく。陛下は、微動だにしない。
「情報統制か。それは私も気になるところよ。同じような噂に覚えがある。なにか、知っているのか?冥道」
これは、実に面白い展開だ。
陛下の言葉、冥道の様子。冥道は許されないことを、してしまったのだろうな。
情報屋の話によると、冥道以下、右枢院の連中が一切を取り仕切っている、という。だが、ここでどちらかの肩を持つのは、面白みがない。情報は小出しにしたほうがいいようだしな。
私は陛下と同じく、冥道の言葉を待つ。賽は、すでに投げられている。
「ええ。もちろん、存じ上げております。私以下右枢院が、連邦政府と交渉を、継続中なのですから」
「ふむ、私が預かり知らない内容のようだ。何を交渉している?」
「それは国家機密に当たりますので、少なくとも右京公のような家格の者に、何も定まっていない情報をお伝えするわけには…」
「構わぬ。申せ」
それでも私を見、言葉を躊躇した。数秒経って、ようやく口を開く。
「…国内外の情報貿易。そして出入国の、緩和に関することでございます」
…情報の行き来、出入国の緩和。
「ふむ、やはり知らぬ内容だ。私の手元にあるのは風に乗ってやってきた、情報統制されている可能性がある、という知らせのみ。…して、右枢院は、どの立場に立って交渉を進めているのだ?」
「…反対の、立場に」
「なぜ?」
冥道は目に見えて言葉に詰まっている。
「血国の伝統を守るためでございます」
「へえ、伝統を守る、ねえ。耳障りのいい言葉だこと」
くだらないな、聞くに絶えない。
「陛下、恐れながら申し上げます。私は今お二方がお話している内容に興味が、ございません。私は誰が何をしているのかに興味がないのです。情報統制がなされているのであれば、私は狂い死んでしまうほど、退屈なのです。だから、私になにか玩具をいただけないかと思っております。それこそ、禁書区域の開放、といったことを、でございます」
「そんなもの、良い訳がなかろう。なぜ禁書であるかを十分理解してからー」
陛下が冥道の発言を手で制する。
「冥道、もうよい。帰れ。そして、情報統制、出入国について、連邦との間でどのようなやり取りをしているのか、一言一句違わず、提出しろ」
顔色が悪いまま、冥道は俯く。
「以上だ。貴様にできないのなら、他の者にやらせる。行け」
はっ、と今日一番の小さい声とともに、席をあとにした。
出ていくまで、陛下は睨むこともなく、ただその背中を見つめていた。
入れ違いに燐がお茶を携えて、やってきた。
気にならないほどの音で、テーブルにカップを並べ、注いでいく。
「すまなかったね。私としてはもっと和気藹々とした初夏のような陽気の話ができればと思っていたのだが、生憎、外の天気と同じく、嫌な雰囲気になってしまたtな」
首を横に振る。
「いえ、私は雨を好んでおりますので。それに陛下も少し、楽しんでいるのではないですか?この状況を」
ふふ、と上品に笑った。全ての所作に品が纏っている。
「そうかもしれない。確かに、貴公と話していた時間は久しぶりに楽しかったからな、だからこうして会いに来たのだ」
やはりそうだった。議場で、陛下は、笑ったのだから。
「陛下も飽きているんでしょうな。この国に」
「それは、私が言ってはいけないことだ。私の檻は、もうここだと決まってるからね」
少し儚げで悲しげな顔でお茶を飲む。
「…禁書区域の黴の生えた本より、もっと面白い玩具を、貴公にあげよう」
ほぉ。興味があるな。
「というか、既に贈っているけれどね」
すでに?
「情報屋だよ。ここに、さっきまでいただろう?」
ーなるほど。陛下だったか。
「では、ここに情報屋がいらしたのも、全て陛下の計らいだったと、そういうわけでございますね」
ふふ、と意地の悪いお顔をなさる。
「そうだよ。というか、向こうから私に接触してきたのだけれどね。私の記憶を引き換えに。そして、そのおかげで貴公と出会った」
すでに、盗られている…?
「失礼ながら、陛下はなんの記憶を…失っているので?」
にやりと笑った。
「私にとってはいらないものだったよ。私の言葉は、行動は、意味を持ちすぎる。だから…その振る舞いを、消された」
…話の規模が大きすぎて、よくわからないな。
「と言うと?」
「嗚呼、つまり私は自分の言葉の重み、雰囲気が周りにどんな影響を及ぼすのか、わからなくなってしまったんだ。統治者は、全ての行動を誰かに見られているものだろう?態度1つで議場の空気が一変してしまう」
陛下はカップを持ち上げ、静かに一口飲み、一息ついた。
「そこへの気遣いがまるでできなくなった。と言うより、覚えていたはずの方法が、思い出せなくなった」
成程。元首として、象徴として、それは致命的だ。
「どうして、そんなことをなさったので」
陛下は自嘲気味に笑った。
「なんてことはない。貴公と同じだよ。退屈だったからさ。この金色の檻の中で、ただ鳴き、餌を与えられ、ただ鑑賞されることに、飽きたんだ」
陛下はゆっくりと、その顔から笑みを溶かしていった。
「私と同じ…光栄ですな。まさか私のような人が、これほど身近で、縁遠いところにいたとは思いませんでした」
「私もだよ」
カップのお茶を見ながらぼうっとする。
「交換条件として、私は情報を受け取った。私が興味のある芸術に関わる文献、それに私の理解者の一覧もその1つ。国内外問わず数100人の規模でね。その中に貴公も含まれていたのだが、そこで疑念が生じた」
芸術の情報、国内外の賛同者。つまりー
「先の情報統制、のことですね」
陛下はゆっくりと頷く。
「あの冥道の様子を見るに、彼奴が色々と手を回していたんだろうな。理由はわからないが」
「私にもわかりませんな。情報を牛耳ったところで、冥道公の手には余るでしょうから」
「まあいい、そのうち、わかるからな。して、本題なのだが、情報屋から伝言があってな。もう1度会いたいそうだ。ここまで見越して、私を使いっ走りとして寄越したわけだ」
もう1度、情報屋たちと…
「なんでも貴公は私のような人間と違い、特別枠のようだよ」
特別?私が?
「特別…ですか。それで言うなら陛下の方が、特別だとは思うのですが…」
「私が特別なのは過去の、数百年に渡る血の結果だよ。家格というやつだ。でも貴公は違う。貴公は家格はともかく、その個人を特別だと判断しているようだ」
陛下が携帯を見る。
「今、ここに呼んでもいいだろうか?」
何かしらの連絡が来たのだろう。そして、家格だけで言うのなら断る理由はない。
「もちろんです」
「ありがとう。では私もゆるりと待たせてもらうとするよ。気遣いは無用。もう私は空っぽ。ただの器さ」
足を伸ばし、だらっとソファに全体重を預ける。身体の力が抜けたように、何かから解放されたように、歳相応の人間がそこにいた。




