血国編 第5話
※本作は架空世界を舞台に、情報と記憶を巡る群像劇です。
※暴力・政治的描写を含みます。
『今から車に乗る。情報屋たちが先に着くようなら、丁重に応接室へお通ししてくれ』
燐へ連絡する。運転手は私の姿を石階段の上で見つけると黒い傘を持って、わざわざ迎えに来た。
「ありがとう。でもその差し方だと君が濡れてしまう。私はいいよ。濡れたい気分なんだ」
「…わかりました。ではお言葉に甘えて」
この運転手も、私がどういう人か知っている。なにも聞かず、言わず、私の後ろについてくる。
車の前で扉を開け、閉める。いつも通りのルーティーンに支配されている。私とは真反対の素晴らしい人間だ。
「お客さんが来るんだ。可能な限り急いで頂戴」
「わかりました」
ばたんと扉が閉まる音が鳴り、少しだけ車が揺れる。私は目を瞑る。今日の出来事を反芻する。今日はとてもいい1日だった。賀茂、泰山、冥道、そして陛下。今何を考えているだろうか。一緒に狂うてくれるだろうか。
ー車が止まり、運転手の声で目が覚めた。
『お通ししています』
燐からの連絡を返せていなかった。
「ありがとう。今日はもうどこかに出ることはないから、中でゆっくりとしていてよ。傘もいいから」
「わかりました。何かありましたらいつでもお申し付けください」
お辞儀もそこそこに、ゆっくりと車に乗り込み、車庫の方へとハンドルを切っていった。
さて、と屋敷に目を向ける。雨樋から滴り、水たまりが何個もできていた。
鍵は…開いているようだ。ぎぃと開く。あら、と燐がゆっくりと迎えに来た。
「お客様がお待ちですよ。お茶をお持ちいたしますので」
燐が私の姿を見る。
「な、ん、で、そんなに濡れているのですか?」
「ああ、急な雨に当たってしまってね」
イラッとした顔を見せる。
「あのお、篝は、なぜ、傘を持っていないのでしょうか」
「篝?」
「運転手ですよ」
いつもより、小さな声でイラついている。客が来ているからだろうな。
「ああ、篝というんだっけ。燐以外、取っ替え引っ替えだからね。もう覚えないようにしていたんだ。篝はちゃんと傘を持っていたけど。丁重にお断りした」
「はぁ?」
燐はこの国に向いていない。主従はあるが礼儀がない。
「ごめんって。早くお茶の準備を。私は忙しいんだ。客が私を呼んでいるからね。では」
ちっ、と燐の舌打ちが聞こえた。
ふぅ、と深呼吸をする。どこまで、何を知っている奴らなのだろう。
コンコンコン
扉の向こうには1人がソファに腰掛け、私の姿を見てすっと立ち上がる。スーツを見事に木古内していた。1人は応接室の蔵書から引っ張り出したであろう本を分別なくテーブルに置いて本を読み耽っていたデニムにスウェット。そしてもう1人は、ただ、背中に手を組んで外を見ていた。
3人とも整った顔立ちをしていた。そしてその振る舞いは、些か血国の者ではないことが手に取るようにわかった。
「初めまして、右京公。お呼び立て頂きありがとうございます」
スーツの男が深々と礼をする。
「ほら、右京公がお見えになられましたよ。本を読むな、外を見るな。集まりなさい。まったく。ああ、もう。本当にすいません」
だらだらと本を置き、こちらを見る。外から目を離しこちらに寄ってくる。
「やあ、右京公。いや…狂の君、と呼ばれるようになったのだったかな?いい名前だね。かなり、気に入っているように見受けられる」
…へえ、やばいね。
「なんでそれを知っているの?」
「情報屋だから、ですよ。狂の君」
ふぅん。楽しいかも。
「そう。流石だね。まあ、座らなくてもいいし、本を読み続けていても構わないよ。私の話なんて、たとえば自己紹介なんて、する必要もないだろうしね。そうだろう?」
「そうですね。いらないです。私たちはあなた以上にあなたのことを知っていますから」
背中で手を組みながら、また、本当に外の景色を見に行く。
…こいつ、常識がいい感じにない。しっかり、狂うている。
「へえ、素晴らしいね。であれば、うちの侍従に頼んでいた情報も、当たり前のように知っていると理解して、いいんだね?」
くるりとこちらを向き直す。
「もちろんですよ。ああ、失礼。私は泡沫。今後ともよしなに。狂の君殿。そこで立っているのが空蝉で、座って本を読んでいるのが方丈です」
ぺこりと空蝉は頭を下げ、方丈はまだ本を読んでいる。
ノックが3度鳴り、燐が私のお茶を持ってきた。何も言わず、ただ粛々とティーカップを置き、注ぎ、そして一礼して部屋を出ていく。
「じゃあ、教えてもらおうか」
ソファにゆったりと腰掛ける。泡沫もゆっくりとソファに腰掛ける。
「その前に1つ、お伺いしたいことがあります。かの教国の内乱について、貴方は何を知り、何を得たいのですか?」
何を得たいのか、難しい質問だ。
「何を知りたいか、ねえ。まあ全てだよ。今の社会で内乱やら革命は、そう起きるものじゃないからね。なぜそうなったのか。内乱に関わる全ての疑問を解消したい。ただの、好奇心だよ」
泡沫はじっと、私の顔を見つめる。
「して、その知識から、狂の君は何を得ようとしているのですか?」
「何を得たいのだろうねえ。別に私は国を転覆させようと思っているわけでもない。ただの野次馬だよ。なんとなく知って、ただその物語に思いを馳せたいだけさ」
釈然としない顔をしている。ただ本能でやりたいと思ってしまったことに理由づけをする方が難しいだろう。お茶を飲む。燐が淹れるお茶は、いつも濃い。泡沫は蛇のような笑顔を見せる。
「はは、面白いですね。貴方は噂通り、狂うていらっしゃる。良いでしょう。私たちが知っていること、お伝えいたします。但し、それには1つ、条件がございます。
条件、か。
「金ならある。というか、金しかないよ私には」
いいえ、と泡沫が首を振る。
「お金はもちろん頂きますが、他にも狂の君はお持ちですよ。貴方の、記憶です」
記憶をもらう?よくわからん情報に触りすぎて、此奴も狂うているのか?
「泡沫。それは、どういうことかな?」
まずいまずいまずい。ー知りたい。
「そのままの意味ですよ。貴方の記憶が、情報の対価です」
「面白い条件だ。私の記憶の、何を、そしてどうやって持っていく?」
スーツの方がテーブルに折り目正しい包みを鞄から取り出し、差し出す。
「ここに入っている薬を飲んでもらいます。意識が混濁してきたところで、貴方の記憶を私が頂きます。貴方が狂の君になったその因果、そして禁書区域で見た記憶を、です」
薬を飲んで、記憶を奪う。狂うた理由。禁書区域で見たもの。
「面白いことを言うねえ。面白いってのは良いことだ。だが、渡せないものがあるなぁ」
泡沫は蛇の笑顔を崩さずにいる。
「というと?」
「禁書区域で見たものなどくれてやろう。別に、あそこにはいつでも入れるからねえ。でも、私が狂うた理由に関しては、誰かにあげる気はないんだよ。だから、君たちとの交渉のテーブルに付くことはない。他にも情報屋は沢山、いる。君たちに頼む必要もない」
狂うた理由は私の根幹。誰かに渡す気など、ない。
さぁ、どうする?
「確かに、情報屋はたくさんいます。ですが、私たちほどの情報屋はおりません。狂の君、貴方が欲しているのは、教国の内乱の他にもございますね?たとえば…葛葉調とはなんなのか。狂の君は非常に、芸事にも才があると伺っております。茶道の大家、万家がどのようにしてその道を極めたのかも、もしかしたらご興味を惹くかも知れません。それと…」
余裕の笑み。それだけで背筋が凍る者もいそうだ。
「なぜ、この国はこれほど退屈なのか」
…いいよ。情報屋。
「…それは酷く興味深い内容だ」
「よかったです。では、少し触りだけでもお伝えしてよろしいでしょうか?」
こくりと頷く。
「方丈。ご説明を」
最早椅子からずり落ちる体勢になっている、凡そ貴族の家にいてはいけない者。その身体をゆっくりとソファの背もたれに這わせる。まだ本から手と目を離さない。
「右京公。お目にかかれて光栄です」
台詞と態度、姿勢が合わない。
「さてさて、この国がどうしてこうも退屈なのか。私なりの解釈にはなりますが、お伝えいたしましょう。まずは前提を、といきたいところですが、聡明な右京公には釈迦に説法でございましょう。ここは割愛いたします」
ふむ、お茶を飲みながら言葉を待つ。
「分岐戦争以降、当時の公家、華族、そして財閥家はここを第2の本拠地といたしましたな。右京公のご両親の、そのまたご両親の代でしょうかね。では、それを誰が決めたのか、右京公はご存知でしょうか?」
さぁ、知らんな。方丈とやらはまだ本から目を離さない。
「時の皇帝陛下ではないのか?大規模な遷都だ。そう習った覚えがある気がする」
「違いますな。それは違うのですよ。右京公。時の皇帝陛下。つまりは今の陛下のお祖父様にはそのような権力はございませんでした。と言うより、権力がなかったから、分岐戦争が起きたと言ってもいい。では、誰が決めたのかをお伝えしましょう」
やっと、方丈は私の顔を見た。
「連邦ですよ」
お茶を飲む手が止まる。
「つまりは今、それぞれ運営している国家の元首たち。そこには教国も含まれます。衛兵たちの出身、軍国も含まれます」
「連邦にとってはあなた方のような既得権益をもつ層と言うのは非常に邪魔でしてね。だからゆっくりと金色の檻に囲うのです。緩やかに、教育や報道を歪曲させながら」
なるほど、辻褄は合う、な。
「その論拠は?」
「あなた方が愛でているものは、血国からすれば雅な苔、他国からすれば道端の黴と同義でございます。聖地として、この国に入ってくる者を選びますが、逆もまた然り。出ていく者にも制限がかかります・一度、私たちのように世界に目を向けて頂ければ、簡単に、わかりましょう」
「つまりこの国は遅れている、と?」
こくりと頷く。
「ええ。貴方の議場での歩き方のように」
抜け抜けと見たように、起こったことを言う。
「この国は外界から完全に隔離されていますからね。全てが操作され、古い情報を議論する国。先ほど、右京公は私に言いましたが、あなた方こそ、交渉のテーブルにこの30年載れておりません」
それほどまで、常識というのは違うのか?
「だが、待て。だとしても、完全な情報統制など、可能なのか?」
ああ、と方丈は、笑った。
「それはもちろん。寧ろ、それを自らしているのが、陛下直下の組織がございますでしょう。冥道公を長とした右枢院、でしたかな?彼らが全ての情報を支配下に置いております。禁書区域の管理も仕事の1つと記憶しておりましたが…」
方丈はわざとらしい顔をし、本をようやっとテーブルに置いた。
「おっと、これはもしかすると泡沫の言う、『触り』から逸脱したかもしれませんな。まあ、とはいえ、まだカードはありますから、今はこの辺りで」
言葉も出んな。何を話せばいいかわからなかった。
「しかし、それにしても、貴方はやはり聡明で、思っているよりは狂うていないですな」
くすくすと方丈は笑った。
「…長い1人語りだね。かなり私の人となりというのが、わかっているみたいだ。とても良い話を聞けた」
私は指を組み、視線を上げる。
「だが…そうだな。では少し質問を変えようか」
方丈は少し、真剣そうな表情を見せ、どうぞ、と私に掌を向ける。
「なぜ、私の過去の記憶を、外界の、それも有能な情報屋が欲しがる?引っかかるのはそこだ。そして、私はそれこそが私が持ち得る最強のジョーカーだと思っている。ジョーカーはわかるかな?トランプ。そちらでもまだ遊ばれているのかい?」
方丈は一瞬だけ顔を歪ませた。
「右京公。ここから先は私から何かお伝えできることはない」
全てを言い切る前にテーブルに積まれた本に手をつけた。この3人の意思決定をしているのが明らかになった。
「そうだね。じゃあここから先は私が。確かに、貴方のその因果、狂うている理由を、私たちは欲しいのです。何故か、という問いに今はお答えすることはできません。今伝えても、狂の君から良い答えは返ってこないでしょうからね」
泡沫はやれやれと、落ち込んだ素ぶりを見せびらかす。
「情報屋は、簡単に情報を渡さないものです。なので…本日はこれで失礼いたします。その内、陛下の使者が来るでしょうし。邪魔をしてはいけませんからね」
よいしょ、と立ち上がる。
「もうお帰りか。折角、禁書区域で見た記憶は渡そうと思ったのに」
はは、と泡沫は笑った。
「狂の君も仰っていたじゃないですか、別に見に行けば良いと。とはいえ、それは貴方だから許されていること。私どもが侵入して、それが誰かに見つかりでもしたら、それこそ国際問題になりましょうな。何かあれば燐さんにお伝えください。連絡先を伝えていますから」
スーツの方も、テーブルに出した包みを丁寧にしまいこんだ。
「この本、貰ってもいいかな?右京公」
空蝉がひらひらと分厚い本を揺らす。そんなことを言う奴はこの国にいない。これが、外界の者たちの行動なのか?
「…ああ、持っていけ。続編もある。必要なら燐に伝えてくれ」
空蝉はぺこりと初めてそれらしい行動をとった。
「では、また。ごきげんよう」
応接室から3人が出ていった。人を久しぶりにこの屋敷に入れた疲れがどっとのし掛かる。
ー貴方だからゆるされる。
あいつらは、どこまで知っているのだ?
ソファに浅く座り、足をテーブルの上に投げ出す。振動で茶器からお茶が溢れる。
薄いカーテンの向こうでは、強い雨がこちらを叩き続けていた。




