血国編 第1話
※本作は架空世界を舞台に、情報と記憶を巡る群像劇です。
※暴力・政治的描写を含みます。
飽きというものは唐突に舞い降りてきた。舞い降りて、何処かに飛んで行って仕舞えばいいものの、それは私の中でいつの間にか巣を作っていた。
「旦那様、朝でございます。本日は内裏へ向かわれる日でございましょう」
面倒くさい。
「いや、別の日になったはずだ」
少しだけ間が空き、紙を捲る音がする。
「いえ、予定に変更はございません。適当なことを仰らないで。ささ、ご準備なさいませ」
侍従だと言うのに身体から寝具を剥ぎ取る。
「私、旦那様なんですが?」
「存じてますよ。そんな些細なことは良いので、早くご準備くださいませ」
そう言って、燐が部屋からたたっと出ていった。
身体を起こし、んー、とひとつ背伸びをする。長い付き合いの従者はこれだから困る。
だらだらと、牛歩のように素足でベッドから降りる。
いつも通り。いつもと同じ。この生活が死ぬまで続く。
飽きたな。声に出た。言葉は誰にも届かず、どこかに消えていった。
できるだけ時間をかけて、ゆっくりと食堂に向かう。全く、部屋の数と住んでる人数とが全く合っていない。そろそろ代々続く浪漫のあるこの家を売っぱらって、何処かでのうのうと暮らしたいものだ。部屋を出てから何歩で食堂に着くのか。もう何世紀も経った気がする。
内裏ねえ。この世で最も退屈な場所だ。長いこと出仕しているが、ただそこに居るだけ。
燐がせかせかと朝食の準備をしている。朝からご苦労なことだ。なんと例えるのが雅だろう。染みついたくだらない習慣が染みのように私の中に広がっている。
長ったらしい食卓の中央に座る。燐が食事を運ぶ。慣れた手つき。
私はあの空間に、いまだに慣れない。
「ありがとう」
目の前には温かいハムだのなんたらエッグだのが並ぶ。
「いえ、お口に合えば良いのですが」
言い切る前に、また背を向けて次の準備をする。
今日は何を話すんだったか。周辺各国、特に宗国の動向、教国の内乱に関して、だったか。
燐が珈琲を持ってくる。立っていた湯気は、時間をかけて室内に香りを薄く伸ばして広げていく。嗚呼…。酷く興味が湧かない。ただ、教国の内乱は確かに目を引く。高級官僚が内乱を起こし、当時の統治者を追放。珈琲に手を付ける。ざらざらと苦味が舌から喉へと焼き付いていく。
其奴は自死、ねえ。有森か…色々と話を聞きたいな。どこかにツテがあればいいのだが。
なんたらエッグの味は、いい塩加減だった。ぼうっとせっせと動く燐を見つめる。
なんですか?と言わんばかりに目を合わせ、直ぐにその目を逸らす。いつも通り、私の服を用意しに、部屋を出ていった。そうだ、スクランブルエッグだ。スクランブルとはどう言う意味だったか。携帯で調べてみる。
ー侵攻してきた敵機を迎え撃つための緊急発信
ー繁華街の交差点で車両を全て止め人間に自由な方向に歩くことを許すもの
…昔、そんなことがこの国にあったとは聞いている。
自由に歩くことを許可する。面白いな。いい言葉だ…気に入った。
朝食を済まし部屋に戻ろうとする。燐は既に、いつもの場所に立っていた。
「旦那様、支度ができております。10分後には参内いたしましょう」
「…ああ、うん。ねえ、ひとつお願い事、いい?」
ん?と首を傾げる。
「ええ、もちろんでございます」
少し警戒した目線。
「教国の内乱,あったじゃない?数日前の。あれの主導者と会いたい。有森 前初等教育長官」
めんどくさそうな表情。
「できるよね?」
「…追って連絡いたします」
できる侍従は違うねえ。
部屋に戻ると、清潔に保たれたスーツが掛かっていた。
着替えを済ませる。別に、顔を洗う必要も、髪を整える必要も、ない。
姿見で自分の姿を見る。いつもと変わらない。
ポリポリと頭を掻いて、ベッドに寝転がり暇を潰していると、つかつかと足音が聞こえてきた。
ー燐だなぁ。扉が開く。
「失礼いたします。あの.、」
私を見る。
「何、やってるんでしょうか?スーツ、クリーニングに毎回出してるんですが?これから内裏に行くんですよ?何考えてるんですか?」
はぁ、と数キロ先にも届く溜息をつく。これが主に対する態度なのだろうか。
「ああ、ごめん。ついつい。さぁ、行こうか」
ぱっぱっとスーツの皺を伸ばす。燐は呆れた顔のまま、やる気なさそうに、どうぞ、と案内する。この顔がたまらなく好きだ。
いつもの車に、いつもの運転手。具合が悪くなるほどの固定された日常。
いつものように車に乗り込み、いつものようにぼうっと窓の外を見る。
がちゃりと運転席の扉が開き、運転手が乗り込む。いつも通りなのに名前も覚えていない。
「雨でも降らないかね」
「どうかされましたか?」
「いやあ、雨でも降らないかな、と言っただけだよ」
「はは、そうですな。雨が降らないと植物も農作物も育ちませんから」
いつも通りの当たり前の返答。嗚呼、飽きた。金太郎飴みたいだな。
…眠るとしよう。起きたら世界は変わっているかもしれない。




