幻想郷の在り来りな夜
幻想郷は楽園である。
契約によって妖怪は人間の里の人間たちを襲えず、そこにいる人々は少なくともそこにいる限り、妖怪という魑魅魍魎から自らの命を守ることが出来る。
逆に妖怪たちも人間が生きることで得られる恐怖から寿命を長引かせることが出来る。
忘れられることが死を意味する妖怪の世では幾ら人間で腹を満たそうが人間がいなければ死んでしまうのだ。
さらにもし人間と妖怪が戦い合うことがあってもスペルカードルールによって一定の力を持ってさえいればそうそう生死のかかった命のやり取りが行われることは無い。
弱肉強食を覆し、実力主義を否定したこのルールはまた、人間という矮小な存在を妖怪と対等な立場まで吊り上げているのだ。
人間と妖怪に圧倒的な力の差があるにも関わらず実際的なパワーバランスは常に均衡を保ち、殺伐とした世界で奇妙な共生関係を作り上げている。
まさに幻想郷は楽園であろう。
ところで、今夜は人間が7人死んで、その内の6人は無事に妖怪がどこかへと持って行ったことを知っているだろうか。
見るも無惨な人間だったモノたちは深い森の奥へとゆっくりと引きずり込まれて行ったのを知っているだろうか。
なんてことはない数字がただ変化したのみだ。
幻想郷は確かに人間と妖怪にとって疑いようもなく楽園だ。
ただし、『種』としての人間にとって。
個々の人間は今日も恐怖し、戦き、怯える。
そして油断したものから腹が空き恐怖に飢えた百鬼夜行に飲み込まれていくのだ。
そうしてまた新たな恐怖が産まれ、妖怪を満たす。
こうして、幻想郷は『楽園』たらしめられてゆくのだ。
「ねえ、なんでこの話を君にしてると思う?」
後ろから女の声が響いた。
必死に走って逃げる。
暗い森の中を薄く輝く月光だけを頼りに走り回る。
汗が冷たすぎて、もはや自分の皮膚じゃないように感じる。
首筋の産毛がまるで透明な人間に触れられているかのように逆立つ。
「君がどうやってきたのかは知らないけど、運が悪いね。もう今は夜半の月、丑三つ時だよ」
さっきまで聞こえていた虫の声が、まるで何かに怯えるように一斉に止まった。
あんなに必死に逃げてきたのに、目の前の樹の奥から笑っているのか泣いているのかわからない湿った声が、じわじわと染み出してきた。
もう明るい月はいない。
どこどこまでも続く深淵の中で荒い息と湿った地面を踏みつける鈍い音が響く。
とうに手足の感覚はなく、はやく「あれ」から逃げたいという思考だけを下に動き続ける。
「くそっ、くそっくそっ、クソクソクソクソ!!」
意味の無い罵声が喉から飛び出る。
これが追いかけてくる女に対するものか、それとも自らに対するものか、或いは両方か。
これから訪れる未来を憂いているのか、ここへ至るまでの過去を悔やんでいるのか、深く暗い現在に怯えているのか。
恐らくはその全てが正解で間違っているのだろう。
ただ少なくとも正しいことは、それら全ては「恐れ」から来ているということだけだ。
「なんで、なんでこんなことに...」
「なんで、なんて分かってるくせに。楽園は来るものを拒まない、つまり、あなたもそうなんでしょう?」
———但し、来た後の保証はないけどね。
ただ愉しそうに喋る女の声は暗く静かな森に美しく響く。
この異常な状況でも女の声は鼓膜を揺らし、不自然なほど脳に情報が浸透した。
必死に逃げて、身体も心も恐怖に支配されている中、彼女のその声で理解した。
ああ、確かに、と。
———ただ、現状から逃げ出したかった。
来る日も来る日も訪れる昨日の繰り返し。
誰と特別な話をする訳でもなく、今日しか味わえない何かがある訳でもなく。
いつもと変わらない風景の中いつもと変わらない道を進んでいつもと変わらない会社でいつもと変わらない業務を行いいつもと変わらない帰路を辿りいつもと変わらず就寝しいつもと変わらない時間に起きて———
ただ、現状から逃げ出したかったのだ。
ベッドの中でどうしても寝れなかった夜、スマホの薄暗い光だけが顔を照らしている中、ある記事を見つけた。
『異世界への渡り方』
バカバカしい話だ。
科学的根拠があるとかないとかそんな話を逸脱している、全く無駄で信じる価値のない話だ。
だが、やった。
やって、しまった。
この現状を打破する為なら藁にでも縋りたがったのか、どうせやる理由もないならやらない理由も無いからとでも思ったのか。
今更意味なんて分からない、ただ、問題なのはそれが成功したということだ。
あの儀式が正当なものだったとは考えていない。
あんな適当な儀式で異世界へ行けるのなら中学2年生くらいの男子は全員この世から居なくなるだろう。
ただ違ったのは異世界の行先に幻想郷を選んでしまったことだ。
それが誰の何の琴線に触れたのか分からないが兎も角、何者かによって招待されたのだ。
幻想郷は何者も拒まない。
確かにそうだろう、恐らく幻想郷は来るものを何者も拒まず、阻まず、優雅に招き入れる。
だが俺は勘違いしていた、それは決して慈愛に塗れたボランティア精神でやっている訳では無いのだ。
この世界へ来て直ぐに女に、『妖怪』に襲われてやっと、漸く分かった。
外の世界に蔓延る美しい東方projectの話、起こる異変、彼女達のハチャメチャ騒ぎ、始まる宴会、人妖混淆の祭り......
それはきっと全体の一部の上澄みだけの話なのだろう。
真実は分からない、ただ美しさだけで構成されている訳では無いのは確かだ。
幻想郷は何者も拒まない。
———そして、去るものを決して追わない。
きっと、俺は『餌』なのだ。
人妖の争いは制限がかかっていると女も言っていた。
つまり、妖怪が食べる人間の数は減っているはずなのだ。
では、その差分をどう補うのか?
その答えが、きっと俺なのだ。
つまり、スペルカードルールの適用外である『幻想郷に来たがっている外の世界の人間』を餌にすることで幻想郷は楽園足りえているのだろう。
「ハァ....ハァ.....!」
もう、限界だ。
全力疾走を長時間続けた反動が既に足全体を襲っている。
酸素が足りないのだろう、視界はぼやけ、平衡感覚がおかしくなっている。
その場にペタリと座り込む。
泥の冷たい感覚が足から脳へと伝達され、火照った体を冷やしていく。
脳も少しずつ冷静さを取り戻していく。
ふと、気付く。
そういえば、途中から足音が聞こえなくなっていた。
まさか、逃げきれたのか?
恐る恐る後ろを振り向く。
ゆっくり、ゆっくりと、首を後ろへ向ける。
なにも、いない。
女の足音も、声もしない、ただただ鈴虫のような虫の鳴き声が暗い森に響き渡っている。
「逃げ、きれたのか...?」
そう独りごちながら前を向く。
「なぁんだ、追いかけっこはもう終わり?」
目の前に女がいた。
あまりの恐怖を前にして声も出ない、動くことも出来ない。
心臓を直接冷たい手で握られるような悪寒が瞬時に体を包み込む。
もう、ダメだ。
悟ってしまった。
逃げることは、できない。
「そんなに怖がってくれるなんて、久々だよ〜。うらめしや〜!とかの方が良かったかな?」
ゆっくりと、少しずつ、一歩ずつ、女が近付いてくる。
怖い。
絞首台の上へ登る罪人はこのような気分なのだろうか。
ゆっくりと、近づいてくる。
———『死』が目前まで迫っている。
「......お、おま...おまぇは....!いったい......一体なんなんだよッ!!!」
森に響く下駄の音、夜に似つかわしくない青い服、そして、ただずっとこちらを見つめる傘。
近づいてくる女は、もう眼前まで来ていた。
「わちきですか?わちきの名は多々良小傘、唐傘お化けだよ!もうお別れだけど驚いてくれてありがとうね!」
何ともまあ愉しそうに笑うものだ。
恐怖心で覆われた目には見えなかったが、こうして眼前で見るとなんと可愛らしい顔なのか。
そしてなんと恐ろしいものなのか。
彼女はこんなにも純粋無垢な顔であどけなく、そして容赦なく俺を殺しに来ている。
そこに躊躇は一切無く、人間がステーキを無感情にナイフとフォークで切り分けるように手を伸ばしてくる。
これが『妖怪』なのか。
これが、現実の、幻想郷の、真の、『妖怪』なのか。
恐怖と諦観との間で雁字搦めになっているのに、どうしようもなく笑いが込み上げてくる。
遂に、理解した。そうか、だからこんなにも幻想郷は美しく、そして残酷なのか。
———これは確かに、楽園だ。
「それじゃあ、いただきます」
「......あぁ、クソが」
彼女が首筋に口を近づける。
生涯感じえなかった激痛が走る、首の骨と動脈が一斉に千切れる。
最大限声を張りたかったが声は出なかった。
ただ、一切の感覚が一瞬の内になくなり、意識は途切れ、絶命した。
———ああ、なんてちっぽけな人生だったのか。
ただ、最期まで彼女の顔が意識から消えることは、無かった。
小傘ちゃんがちゃんと妖怪やってる作品書きたかったから書いてみました。
稚拙な文章でしょうがここまで読んでくれた貴方へ感謝を!
それでは次があればまた。




